“ごめんなさい。今日少し遅くなります。ごはん暖めて食べてね お姉ちゃんより”  
 手製の料理が冷蔵庫で待っていた。ジャーの中は炊き込みご飯。味噌汁のふたの裏側は汗のように水滴が付いている。  
「またかよ」  
 暖めもせずに一口。  
「・・・不味い」  
 てかもう食って来ちまったし、とぼやきながらもう一口つまんだ。見た目分からない様にして。  
 テレビをつければまた神経逆撫でするバラエティー。チャンネル変えても碌な番組がない。  
「・・・つまんねー・・・」  
 胸に募るは重苦しさ。たまらなくなってテレビを消せば今度は静寂に押し潰されそうになる。  
「・・・・・・」  
 もし、姉が結婚したら、俺は此処に、独り・・・こんな感じで・・・  
「いーじゃねーかそうなったって。何も困ることなんかねーし」  
 ・・・ぶつぶつと独り言言い続けて・・・年寄りか俺は。   
 他に何もすることもなく、部屋に戻ってベッドに横になった。  
 ・・・何ていうか・・・かなりイライラしてる。・・・そのイライラの元凶はまだ帰ってこない。  
「紗綾」  
 外食ばかりしないで家に帰って飯食ってくれって、涙目で訴えてきたよな。なのにこの仕打ちは何だよ。今ドコでナニしてんだよ!!  
「って、キレるトコじゃねーだろ、フツー」  
 こっちは散々外泊してんだから、姉の帰りの遅さを責める筋合いなんて無い。  
 だが! にしても! 人に説教しておいて、自分がフラフラと遊ぶなんて、アリか?   
 それに何より!! 振り出しに戻るが!!  
「どうすんだよ、花火大会!」   
 姉弟でつるむ気なんざ初めから無いが、何の話も無いままなのは本当にどういうことだ!!   
「一言くらい、言えよ」  
 ああもう!! いっそはっきりと言ってくれ。俺とは行けなくなったって。行く相手が出来たって。  
 あの見合い相手と!!  
 
 今だってその見合い相手とつるんでんだろ? 友人たちに囲まれて婚約祝いか? さぞ楽しいだろうな。  
 花火大会だって当然、そいつと行くのが自然な流れってもんだ。  
「・・・それに・・・」  
 そもそも俺と行く約束自体、酔っ払った勢いでの“口約束”だ。  
 本格的に忘れられた? あんな目で迫って来て、人の心を掻き乱しておいて・・・  
「・・・って、何で俺こんなことにこんなに悩まなきゃいけ・・・」  
 悶々としていた真っ最中、突然ドアをノックする音がした!!  
「!!??」  
「・・・ただいま・・・」  
「・・・・・・」  
 思考が止まった! 心臓まで跳ね上がった! いっ、いつ帰って来たんだよ!! ドアの音聞こえなかったぞ!? い、いい、い今の・・・・・・聞かれたか?  
「龍也、・・・起きてる? 話したいことがあるんだけど」  
 待ち焦がれたはずの瞬間が来た! ・・・でも、俺は答えられなかった。  
「・・・」  
「・・・龍也・・・寝ちゃった?」  
 既に電気は消してある。このまま黙っていれば・・・! 尚も跳ねる心臓を押さえつけながら、ベッドに張り付き動かずにいた。いや、動けなかった。  
 話? 俺には話すことなんか何も無ぇよ!! だから・・・!  
「・・・・・・」  
 少しの沈黙の後、扉から気配が離れた。足音がゆっくりと遠ざかって行く。そして、自分の部屋に戻る音を聞き、やっと緊張を解いた。  
 “話したいことがあるんだけど”  
 話・・・それは、・・・恐らく・・・  
「・・・聞きたくねー・・・」  
 
 
「・・・・・・」  
「・・・龍也・・・、・・・いの・・・もう・・・お願・・・」  
 あの日々を思い出したらまたイライラしてきた。  
「あ、ココまだ残ってるな。紗綾、ちょっと脚、開いて」  
「えっ!? も、もういいじゃない。このくらいで」  
 またも恥ずかしがる姉。だが、こちらも譲れないものは譲れない。  
「駄目。ちゃんと綺麗に剃らないと」  
「やめて・・・こんなこと姉弟で・・・」  
「・・・」  
 弟の視線に怯む姉。しかし持ち直して尚も食い下がった。  
「・・・いや、でも、・・・ええと、・・・・・・お、お姉ちゃん浮気なんかしないから!」  
「・・・本当?」  
「うん、絶対しない。誰とも。・・・だから、・・・ね?」  
 うんうんと必死で頷く姉。恐らく上辺だけだろうが、それでも気分がやんわりと落ち着いてくる。  
「でも剃るから」  
「えええっ!?」  
「それとこれとは別」  
「だ、だって龍也、さっき浮気防止って!」  
「静かにしないと怪我するぞ?」  
「・・・やだ・・・・・・そんなとこ・・・」  
「もっと脚、開いて」  
 本人がどんなに浮気しないといっても、紗綾を狙う男は何人もいるのだ。対策は万全に。  
 大丈夫。決して散々ヤキモキイライラさせられた仕返しって訳じゃないから。  
 それはもう取り戻してあるから。  
 あの花火大会の日に。  
 
 
 
 “花火大会は一緒に行けない”  
 その一言を告げられたくなくて、ひたすら避けてよけて逃げ回って、そして・・・  
 とうとう“その日”は、・・・来た。  
 
 
 昔は家族揃って花火を見に来ていた。親に連れられて電車に乗り、迷子になるなよと声を掛けられながら、早く早くと、手を・・・・・・  
 紗綾の、・・・・・・手を・・・・・・  
「それが・・・」  
「助かったぁー、龍也ー捕まえられてぇー」  
「これで女の子ゲットは確実だな」  
 結局、大学のダチとつるむことになってしまった。約束は、あやふやなままで。  
「はあぁ・・・」  
「また溜息が出たよコイツは。何回目だ一体よ。いいかげん諦めて付き合え!」  
「お、あのコ良いんじゃね? 龍也、声かけてくれよー」  
「却下」  
「じゃ、あっちのユカタ」  
「却下」  
「じゃ、モデル仲間呼べよ」  
「無理」  
「俺もモデルやりてー。エビちゃんとならびてー」  
「無理」  
 あり得ねえ。  
 頭を抱えたくなるバカ話と溜息を延々としていたとき、  
「・・・、・・・あ、あの、困ります」  
「!?」  
 ・・・・・・・・・物凄く、聞き覚えのある声がした。  
「コマリマスゥ? かっわいいーい」  
「いやーん、ギザカワユスぅ〜」  
 よくあるナンパの一場面だ。が、・・・聞き間違うはずの無い、この声は・・・  
「おい、あれ・・・紗綾さんじゃね?」  
 クサレ縁の山崎も気付いた。ここは駅前。どう混雑していても目立つ。視線が強制的に引き付けられる。  
 ・・・何してんだよ、こんなとこで・・・  
 数人の男に囲まれて、お得意の困り顔で相手する姉。  
「本当に、その、・・・すみません人を待っているので・・・」  
「うんうん。俺達待っててくれたんだよね」  
「いえ、違います」  
「ああん、つれなカワユスぅ〜」  
 丁寧な物言いで拒否しているが、男の方は当然ヤル気満々で詰め寄っている。姉は小さくなる一方だ。  
 
 姉のあの性格では撃退なんて到底無理だろう。ここは人として助けに行くべきだろうか?  
「・・・・・・」  
 しかし・・・同時に別の考えも浮かんだ。むしろ、こっちの方が、強く。  
 困っている仕草をしていながら・・・実は狙って演じていて、品定めしてるんじゃないのか?  
 散々聞いた噂が何度も頭をよぎる。  
 ・・・一緒に花火大会に行こうと誘った弟を放置して、男漁りかよ?   
 見合い相手だっているってのに、何股する気だよ。大したもんだな。  
 大体こんな所でまともな男なんか釣れる訳ねぇだろ? そこのタトゥーしてる奴なんか、明らかに頭悪・・・  
「やっ、止めて下さ・・・いっ、痛い!!」  
 突然声が悲鳴に変わった。  
「!?」  
「ちょ、紗綾さんヤバくね? ・・・って、おい! 龍也!!」  
 気付いたときには既にバカ男の腕を掴んでいた。  
「放せよ」  
「ああ? てめぇ何・・・っ!?」  
「その汚い手を放せ・・・」  
 紗綾をバカ男から引き離し、背中に庇った。  
「・・・あ・・・」  
 俺の姿を認めた紗綾は、安堵のせいかぽろぽろと泣き出した。  
「怖かったかい? もう大丈夫だよ」  
 その背中をぽんぽんと叩いて慰めているのは・・・山崎。・・・てめこのタコ野郎・・・!!  
「待たせちゃってゴメンね〜」  
「じゃっ、行こうか」  
 連れの面々も話を合わせて紗綾を庇える立ち位置に付いた。  
 だがすぐには収まらなかった。  
「待てよ。横取りしてんじゃねーよ」  
「やんのかよ」  
 獲物を取られたトンビどもが常套句をかざして反撃に来た。  
「おお?」  
 負けじとこちらも睨み返す。幸い、ガタイと頭数はこちらが上だ。  
 この状況じゃ優劣は明らか。ギャラリーも増えてきた上に・・・  
「そこの人達ー、どうかしましたかー?」  
 法被姿でインカムつけた大会スタッフにまで駆けつけられ、ナンパチンピラは捨て台詞をいくつか残して去って行った。  
 

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