「どうも有難うございました。本当に助かりました」
涙目が治まらない状態で深々と頭を下げる姉。連れもいや無事で良かったと和みムードだ。
「え?? 龍也のお姉さん!? マジで!?」
「妹かと思った俺!」
「は、はい。どうも弟がお世話に…」
「やべー! スゲ可愛いんですけど!」
「え? い、いえそんな…」
助け出したお姫様に人気が集中し始めた。賛美の言葉を恥ずかしがって否定するが、それがまたカワイイだの何だのと盛り上がっていく。
……何? この面白くない空気。
本気で言われてる訳無ぇのに何ハニカミ笑ってんだよブスのくせに。…調子に乗ってんじゃねえ。
「何、その格好」
荒い口調で切り出して、姉を見下ろした。顔がさっと蒼くなる。
「ご、・・・ごめんなさい…」
…そのすぐに謝る癖、何とかならねえのかよ。うぜぇったらねえ。
「でもあの、・・・そ、の、・・・や、やっぱり…似合わない?」
珍しく食い下がってきた姉のその姿は、似合わないと言うより見慣れない。
珍しくも何とも無いただのミニスカにキャミ、素足にミュール。
いつも露出の低い服を着ているからか、不自然なくらいに肌が白い。胸元のアクセが絶妙な位置で変に煌めいて、否応も無く視線が絡めとられてしまう。
そこらの女となんら変わらないのになんでコイツが着るとこうも・・・
「そんなん着て恥ずかしくねぇの?」
「…や、やっぱりそうかな。…でも…どうしても着て欲しいって頼まれ…て…」
「へぇ、色目使って買わせたのか。そのバッグまで? 上手いも…ぐぁっ!?」
山崎が強烈な肘撃ちをして割り込んできた。
「こんなバカ弟ほっといて下さい! 大変よくお似合いです!!」
「そうそう! てめぇあっち行ってろ」
「お、おいっ!?」
他の連れにまで後ろに押し退けられてしまった。
「とても素敵ですよ!」
「俺もこんなお姉ちゃんが欲しいデス!」
「…あ、ありがとう…ございます…」
たどたどしく礼を言いながら頬を赤らめる。再び起こる絶賛の嵐。
だからそれが計算なんだって! 騙されてんじゃねえよてめえら!!
「でもお姉さん。どうしてこんなところに?」
「ここ結構目立ちますよ。こんなところに一人でいたら…」
「待ち合わせしてたんです。なかなか来なくて…そしたら…」
…“待ち合わせ”?
「俺と行く約束はどうしたよ!」
「「「「ハア!?!?!?」」」」
あ。
しまった、と思ったときには遅かった。当人はおろか連れ全員の視線が集中した。周りの通行人まで振り向いた。
「龍也…、…覚えてて…くれたの?」
再び涙目になった姉と目が合った。
「りゅ〜う〜や〜?」
「何? なになにぃ? 姉弟で花火!? ナニソレ?」
面白いネタに一斉に喰いついてくるハイエナ達。
「あ、あの! 私が花火見に行こうって言い出したんです。でもそれが予定が合わなくなってしまって…それを、ずっと伝えられなくて」
だから私が悪いんですと姉。だがフォローになってない。
「へ〜。ふぅ〜んそ〜なんだ〜。いいねえ姉弟仲良くてぇ」
「どーりでずーっとご機嫌斜めだったのねー。もー龍也ちゃんたら」
「やー、意外な一面見ちゃったなあ」
止め様の無い流れに辟易する。いっそ全員殴ってやろうか…ああ、全く!!
「そういやさっきのもスゴかったよなー」
「絶対光速超えてたぜ」
「“俺の姉ちゃんに手ぇ出すな!”ってカンジぃ?」
「…るせえ!!!」
目の色爛々と変えやがって…ガキかてめえらは!!
「…やってらんね…」
キレた。連れに見切りをつけ、背を向けた。…ったく、付き合ってられっか!!
「ああっ!! てめどこ行く気だ!」
「待てこのやろ!」
追っ手を早々に振り切り、雑踏の中へ紛れ込んだ。
開始時間も間近に迫り、駅前は更に人が増えた。皆足を揃えて会場に向かう中…。
「ええっ!? 紗綾さん帰っちゃうんですか?」
「ええ。ちょっと、……用事を思い出したので…一旦帰ります」
そんなぁ一緒に行きましょうよだの、気をつけてくださいねーだのと、名残惜しむ連中と別れ、姉は再び一人になった。
「……」
携帯を取り出し、ポチポチとメールしながら券売機へ歩いていく。
背後をつけられている事も、その脚やら胸やらを何人もの野郎に見られてる事にも気が付いていない。
頭痛がする。本当に全くこいつは…。
一回二回、辛そうに腕を擦りながら切符を買う。振り返るタイミングを狙って背後に立った。
「おい」
「きゃっ!? あ…、ああ、龍也」
「腕、見せてみろ」
「あ・・・」
返事も聞かず、腕を掴んだ。…一応、優しく。
ナンパ野郎に掴まれた痕は結構赤くなっていた。爪も入ったらしく血が滲んでいる。
「……」
始めから連れ去るつもりだったんだろう。もし通り掛るタイミングが少しでもずれていたらと思うと、怒りと同時に恐ろしさまでこみ上げてくる。
…少し、手に力が入ってしまったのかもしれない。
「み、見た目ほど酷くないのよ。私、結構痣になりやすくて…」
「?」
傷を睨み付ける弟の態度をどう思ったのか、いきなり的外れな事を言い出した。
「だ、だから…そんなに心配しな」
「…違うだろ」
「え…?」
「何俺に言い訳してんだよ」
「あ…ご、ごめんなさ」
「だから違うって!!」
「……」
竦み上がり、またも申し訳無さそうに俯いた。
「…う…」
何、この嫌な空気。
溜息一つ吐いても変な解釈されて傷つけてしまいそうだ。
どうしてそう一々すぐ謝ろうとすんだよ。弟にまで。何も言えなくなっちまったじゃねえか。
紗綾は笑ってくれない。あの夜から…、いや、もっと前から…。
当然だ。ずっと避けていたのだ。話さえ禄にしないまま…、ん?
ちょっと待て。
Q:最近、俺から話しかけた“会話”といえば?
A;“何、その格好”
Q:…いや、それより前で。何か…
A;“…すっげーブス…《意訳:大変顔色ガ…》”
………もういい。
もしかして、俺は今迄…、紗綾とまともに話をしたことが、無い?
今更な衝撃の事実に愕然としたその時、腹まで揺るがす爆発音が重い沈黙を破った。
「!」
花火が上がったのだ。
「あ…」
姉も、それまで下にばかり向いていた視線を天に向けた。
「…花火…始まったね」
「ああ」
林立するビルのすぐ向こうで独特の輝きが世界を照らす。輝きはビルを越し、紗綾の綻んでいく唇を淡く照らし出す。
打ち上がる度に響き渡る音はあの頃と同じ。
…昔あの音に誘われて、紗綾の手をとって、早く早くと急かして走った。
紗綾は…笑っていた。笑って、手を、握り返してくれた。
心底紗綾が大好きだった。いつまでも一緒にいるのだと本気で信じていた。
また、あんなふうになれたら…どんなに……。
「…困らせるつもりは無かったんだ…」
「え?」
「さっき…、腕…掴んだの」
「…」
「思ったよりひどい傷で…驚いて、つい力が入っちまった」
「…そ、そうなんだ…」
「それに…あの約束だって…」
「約束…ああ。言い出したの私なのに一緒に行けなくなっちゃって…ごめんね」
また謝る。
「……それも…別に怒ってねえから」
「本当?」
「ああ…だから…」
頼むから、謝らないでくれ。
だいぶ穏やかになった表情。重い空気も無くなった。よし! これを壊さないようにすれば…、
…すれば? は? …………何を?
何をどうしようって思ってた? しかも今何? 大好きって何? 誰を? 何のことだよ?
「どうしたの?」
「わ、わあっ!?」
「?」
焦った。心の底まで覗き込まれたようで。…全くこいつは、…こんなんだから…!!
「………そういえば…あった。怒ってること。…一つ」
「え? お、怒ってるって…、…な、何…」
深呼吸を一つした。いいか? これは決して溜息じゃないんだからな。ここでダメージ食らうなよ。
「…いくら頼まれたからって、そんな格好で一人でぼけっと突っ立ってるなんて。変な奴らに絡まれんの当たり前だろ。分かんねえ?」
「う、…うん…」
「どうぞナンパしてくださいって言ってるようなもんだ」
「……はい」
「第一、待ち合わせ場所最悪。こんな目立つとこじゃなくて、一つ手前の駅で落ち合うとかあるだろ?」
「…」
「聞いてるか?」
「う、うん」
「っとに、俺がいなかったらマジでやばかったぞ!!」
とと…、また語尾が荒くなっってしまった。やべ…。
また竦ませてしまうかと焦ったが、姉は…
「…本当ね。龍也がいなかったら大変なことになってた。…この間から、助けてもらってばっかりね。…ごめ…」
「…」
「じゃ、なく…て……ありがとう。大好きよ。龍也」
「!!」
例えるならば可憐な花が咲くような。それでいて儚げでありながら心臓を貫かんばかりの破壊力! 何という笑顔!!
どういう計算でやってんだよ!!
しかも、公衆の面前で弟とっ捕まえて……だだ、だい好き、て……
混乱しそうな頭の中、理性を奮い立たせて、念の為に聞いてみた。
「…なあ…、紗綾」
「え?」
「その、好きっていうのは、…“大切な弟”だからか?」
「? そうよ」
「……あ、そー」
「ふふ。…もう一回聞きたい?」
「っ!!?? 誰が!! 冗談じゃねえ!!」
やっぱ姉弟愛の話か……って、ああああ、…ヤバい。身体が勝手に反応しちまって。顔赤い。すげー熱い。…とに何やってんだ俺!!
落ち着け! 静まれ心臓!! それと下半身!!!
動揺を気付かれないように話を続けた。
「帰るんだろ」
「うん」
「俺も、帰る」
そもそもその為に後をつけて来たのだ。また変なのに絡まれたりしたらたまったもんじゃない。
「…え? でも龍也、お友達は…」
「あんな奴ら放っとけ。…お前こそ待ち合わせ相手はいいのかよ?」
「…んー?“おまえ”ー?」
ちょっとこら、お姉ちゃんをお前って呼ぶのはやめなさい、と眉を吊り上げる。…ついさっき弟に怒られたばかりで何威張ってんだ。
「さっきメールしたから、大丈夫」
また少し俯いた。聞いて欲しいのかそうでないのか、小さな声が聞こえた。
「…もともと…」
……もともとあんまり、乗り気じゃなかったし……。
「は?」
ノリキジャナカッタ?
今のは何? 俺の空耳デスカ?
「あ、ああ、気にしないで気にしないで。じゃ、帰りましょ」
「…」
「さっきは本当にありがとう。お姉ちゃん、嬉しいわ。大好きよ。龍也」
「……」
ほいほい好き好き言うな!! そんな顔で、無責任に…。弟まで誘惑するなよ。
「あ!!」
「?」
改札を通ろうとして、いきなり立ち止まった。何かと思えばバッグに手を突っ込んでお馴染みの困り顔だ。
「嫌だ…切符、落としちゃった…」
「何だよ…驚かすなよ」
「ごめん、買い直してくる」
「急げよ」
「うん。待っててね」
俺は定期で構内に入った。姉は切符を買い、こちらに来ようとして…
後ろを振り返った。男に声を掛けられたのだ。
「?」
顔こそ良く分からないが、紗綾の見知った相手だということは仕草で分かった。恐らく・・・元々の待ち合わせ相手。
「!!」
男が何か話している。遅れたことを謝っているらしい。紗綾もこれまた丁寧にお辞儀し返している。
「やめろよ・・・みっともねえ・・・」
あんな酷い目に遭ったのはそいつのせいだろ? そんな低姿勢でどうするよ・・・って、あああっ!! 肩に手ぇ回してきやがった!
この野郎馴れ馴れしく触るな!! お前もなすがままにされてんじゃねえ!!
乗り気じゃねえっつっといて何で嫌がらねえんだよ。そのウザイ性格直せよ!
しょうがないこうなったら、俺が……、
「……俺が?」
冷静になると同時にその場に凍りついた。
俺が今、姉の下に駆けつけて、二人のとこに割り込んでいって、…それで?
何をしようって?
『俺の姉ちゃんをとるな』って? いい年こいて馬鹿か?
勝ち目は無い。勝ち目なんて言葉も及ばない。
何故なら、こっちは弟で相手は恋人。俺は、ライバルにさえなれない。
二人が立ち去るのをただ、見つめるだけ。
一歩、二歩・・・、
行っちまうのか? そのまま、そいつと・・・
三、四歩・・・・・・歩いたところで紗綾が止まった。
「!」
何事かと伺う男に顔を向けた。短い話をしたかと思うと再度、深々と頭を下げ…
改札に向かって身を翻し、走り出した。
「!?」
な、何だこの展開は!!
呆然とする俺。いや、男の方も負けてないだろう。
「な、何考えてんだよ・・・」
恋人より弟を選んだのかよお前は。
きょろきょろしながら改札を通る。誰を捜しているのかは明らかだ。
「・・・や、やべぇ・・・」
このままじゃ、・・・俺は・・・
慌てて踵を返した。周囲に紛れ込もうとした。不自然にならないように、…無様に逃げた。
今来てるのは快速。乗りたいヤツはまだ来ない。追っ手の距離は確実に縮む。・・・駄目だ逃げられない。
絶体絶命マジでやべぇ。もし、もし今視線が合って、笑顔満面に駆け寄られたら…、そして、触れられてしまったら……。
「龍也!」
「・・・さあ・・・や・・・」
「良かった。会えないかと思った」
…そう。こんな風に…。
「び、びっくりした。いきなり引っ張るんだもん」
「もたもたしてたら乗り遅れちまうだろ」
「でもこれ快速だよ。降りる駅通過しちゃ」
「コンビニ寄りたいから」
「コンビニなら…」
「あそこ酒置いてないから」
「そ…そう」
「…」
俺は一体何を考えているんだ?
落ち着けよ、何をするつもりだ。何、締まる寸前の電車に連れ込んでんだよ。
ホームに目をやる。追いかけてくる奴は・・・って、もう動いてんだから。
「携帯、切っとけよ。鳴ったら迷惑だろ」
「うん」
言われるままにする姉。・・・よし。これで、もしヤツから掛かってきても…・・・・・って、本当に何やってんだよ俺!?
冷静な振舞いと裏腹に動揺してる心。まるで何かに操られてる。俺じゃねえ。これは俺じゃねえ!
「・・・あ、見て! 花火!」
「ああ・・・」
流れる建築物の合間から大輪の花が咲いては消える。
車窓からうっとりと見つめる紗綾を壁際に押し付けるように身体を寄せた。
「結構見えるもんだね、ちょっとした絶景ポイントかも…龍也?」
弟に寄り掛かられて少し驚いた顔をしたが、直ぐにまた花火に見入った。混雑しているからだと解釈したんだろう。或いは、弟も花火をよく見たいんだね、…とか?
思い切って抱え込んでみれば柔らかな胸の感触。キャミで創り出される谷間から目が離せない。
シャンプーでも香水でもない、紗綾特有の甘い香りが鼻孔を擽る。
「……」
全身の血が滾ってくる。堪らず腕に力を入れた。…姉は全く抵抗しない。
背後で俺が何を思っているか考えもしない、何の危険も感じていないのだ。
弟の苦悩を知りもせずのほほんとしきっている姉がいっそ憎らしい。
「ち…ちょっと、きついんだけど、龍也…」
「花火見てろよ」
さすがに抗議し出した姉を、更に強く抱き締めた。
快速のスピードは最高潮。やがて花火も遠ざかっていく。
「ああ…見えなくなっちゃったね」
「…」
「龍也…あの、もう…離れても…いいと……思う…ん………だけど…」
「…」
窓に姉が映っている。抱き付いたまま離れない弟に少し困った顔をして。
離さないのには訳がある。もし今、下手に手を離したら…いや、力を緩めたら……、
こっち向かせて顎捕まえて肩掴んでマジきすとかしてしまいそうで。
離れられないのだ。
「…ふふっ」
「何だよ」
「ん、久しぶりね。手、つないで歩くの」
「…ああ…」
予告した通りコンビニで買い物をした。最も大事な必要なものを手に入れるために。
姉は、奢ってやるというと喜んで弟に買い物カゴを任せ、嬉しそうにアイス棚に駆け寄って行った。
こうして手をつないでいる意図も、まだ判ってないだろう。
まあもう少し従順な弟でいてやろう。…家に着くまでは。
「あ、ここ昔よく二人で来たよね。覚えてる?」
「ああ…」
この公園でよく一緒に遊んだよね、滑り台にブランコ、後…、おままごとも。などと昔話に熱中している。
ああ、とか、そうだな。と単純な返事しかしなかったが、決して紗綾の手を離さなかった。離すつもりは、もう、無い。