異世界移動後13日目。
海の花女学園・3年D組の教室。
保安部は結成された日からこの教室にとりあえずの本部を置いていた。
机は長方形に並べられ会議室のような感じにしてある。
これは会議室で使われるような長テーブルに比べ普通の教室の机のほうが都合によって並べ替えや色々
な形に組み合わせることができるという利点があった。
また教室後部の黒板には一面に大画用紙にペンで描かれた学園全体の見取り図が貼られている。
そして教室前部の黒板に背を向けるような位置に保安部部長の席はあった。
今、冴島静香は「う〜ん」とその席で伸びをしていた。
「お疲れですか部長?」
声をかけたのは静香のすぐ横の席で保安部関係の書類に目を通していた唐沢美樹だった。
天文部所属の2年生ながら運動会系クラブの3年生前部長らと同格の幹部として迎えられた少女である。
「いや、たいしたことはないよ。それより美樹のほうこそ大丈夫?保安部の仕事のほかに天文部の観測
までやっているんでしょ?」
「ええ、でもあれは趣味ですし・・・息抜きにもなりますので」
(とはいえ掛け持ちもきつくなってきたなぁ・・・翔子先生は好きだし、三つの月の観測自体は面白い
のだけど・・・)
ある意味では保安部員としての忙しさは静香よりも美樹の方が上かもしれない。
結成時に静香たちから期待された文系クラブや帰宅部の生徒たちとの交渉及び保安部への参加呼びかけ
や参加後の彼女たちの班分けの計画。
さらには自治会との協議の下準備や、その人脈の広さを買われての延長でもあるのだが保安部スポーク
スマンとしての役割もこなしていたのだった。
美樹としても校内の情報収集は石橋知世に、その他の仕事は自分の秘書という感じで高見沢麗子にそれ
ぞれ手伝ってもらってはいるが、それでも多忙には違いなかった。
しかし美樹がそれでも黙々と自分の仕事をこなしているのは、自分が担ぎ出した静香の保安部部長とし
ての責務やそれからくる精神的な重圧は自分の比ではないと理解していたからだった。
しばらくして席から立ち上がった静香は窓際によって外の景色を眺めた。
中庭では二人の女性警備員が生徒たちに護身術を教えている最中だった。
保安部に参加している生徒の中には文系だけでなく運動系クラブでも武術と無縁な者も居る。
そこで彼女たちに武術系クラブの生徒や警備員たちが講師となり、闘うテクニックの基本を教えること
を静香は思いついたのだった。
幸いなことに田沼沙紀奈や丘律子たち女性警備員は快く引き受けてくれたし、武術系の生徒たちも協力
してくれることになった。
「ねえ、美樹。私たちは田沼さん達に本当にお世話になっているよね」
「ええ、警備や見回りの仕事の上に戦い方まで教えてくれているんですもの。プロ根性というのでしょ
うか・・・働きすぎで倒れられないか心配です」
「そこよ。あの人たちはプロ! 私たち戦いの素人には絶対必要な先生なのよ。だからこそ過労で倒れ
たりしないように、私たちで出来る限り田沼さんたちの負担を減らさないと」
「まったく同感です。ですが2日前の事件についても田沼さんはかなり気にしておられました」
「ユウ君たちがやられた事件ね。房子から詳しい報告は受けたけど・・・・あんな子供たちまで・・・
・(ギリッ)」
思わず静香は歯軋りをした。
保安部部長としての彼女の怒りは「この学園を守る者」として沙紀奈ら警備員の怒りと同じものであっ
た。
さらに襲われたのが最も力弱き兄妹だったこともあり、沙紀奈らは過労スレスレの中でより頑張ろうと
している・・・美樹はそこが心配だった。
(マジで田沼さんたちに少し休んでもらったほうが良いのだろうけど・・・あぁ、こっちも手一杯なん
だよな・・・天文部との掛け持ちは考え直したほうがいいかも、麗子もきついと言っていたし)
しかしここで天文部を辞めたらおそらく麗子も一緒に辞めると言うだろうと美樹は小学校以来の付き合
いである親友の顔を思いながらそう予想した。
自分と麗子が辞めると残る部員は同じ2年生の安達裕香ただ一人になってしまう。
顧問の翔子先生はさぞがっくりするだろう。
さらに翔子先生は、あの怪物たちが大挙して襲ってきた時に自分も武器を持って戦ってくれた上に、保
安部の創設の際にも職員会議で賛成してくれたのでよけいに辞めづらい。
しかし事態がこうなった状況で月の観測などしている場合なのだろうかと美樹は悩んでいた。
するとそこへ皐月が顔を出した。
「部長、西側校舎周辺の見まわり終わりました。異常ありません」
「ご苦労。今日は何事もなく終わると良いけど」
ところがその願いは数秒後、皐月がまだ本部にいる間に打ち砕かれることになった。
柔道部員1年生・黒田美智恵(くろだ みちえ)が保安部本部に駆け込んで来たのだ。
「大変です!東側校舎の近くにライオンの頭を持った怪物が現れ、見まわりしていた一つの班と遭遇し
たそうです!」
「!・・・それでその班の人達は無事なの?」
静香の問いに美智恵は興奮で顔を上気させながらもはっきり「ハイ、何もされなかったとのことです」
と答えた。
すると美樹が怪訝な顔で「何もされなかった?ほんとにそれだけ?」と尋ねた。
「ええ、ただ信じられないけどその怪物は日本刀を持っていて・・・さらにどうやら黛皐月さんの事を
聞いてきたそうです!・・・って黛さん!!」
そこまで言った美智恵はそこで始めて皐月の存在に気がついたようだった。
「はぁ!? よけいわからなくなったよ」と美樹。
「ええ私もよくわからないんですけど、なにせその怪物に会った人たちもえらく取り乱しているらしく
て」とまくし立てる美智恵。
「はいはい、落ち着いて」
と静香が間に入り美智恵に向かって「落ち着いて知ってる限りの状況を教えて」と言った。
「は、はい、すいません冴島部長」
皐月は思わぬところで自分の名前が出て唖然としていた。
美智恵が報告した内容をまとめると
・文系クラブ出身者による監視専門の班が人間体型で頭が雄ライオンの怪物にいきなり呼び止められた。
・その怪物はエンペラーと名乗り、日本刀を持っていた。
・さらに生徒たちの中で自分が持っている武器と同じ物を持つ人間を探しているらしい。
・一人の生徒が悲鳴を上げたので、その怪物は逃げた。
・その悲鳴を聞きつけた美智恵らの班が駆けつけた時はその怪物は影も形もなかった。
・とりあえず遭遇した班の3人は念のため保健室へ連れて行き、美智恵らの班のリーダー格の2年生が報
告のため彼女を保安部本部に走らせた。
というものであった。
「冴島部長、私をその保健室へ行かせてください」
皐月が声を上げた。
彼女は日本刀を持った怪物が存在した上に自分を探しているらしいことにも驚いたが、その監視専門の
班の一人が自分のクラスメイト児玉愛であることも気になっており、より詳しい情報を知りたかったの
だ。
「わかった、行ってきて。ただしさらに新しい発見があってもなくても、とにかく報告に戻ってきてね」
「はい」
静香の許しを得た皐月は部屋を飛び出していった。
その後姿を見ながら美樹は
(ハァ〜、それにしても次から次へと。いよいよ、さらば天文部を考えなきゃならないか・・・)
と思っていた。