まだ九月に入ったばかりなので、まだまだ夏はそこいら中に残っている。朝だというのに、足を動かせばじっとりと汗がにじむ。
僕はいつものように、川沿いの土手を通って登校していた。
むせ返るような緑の香りも後わずかかと思うと、名残惜しく感じられる。といってもこの暑さだけは早いところなんとかなって欲しいものだ。
ぼんやりとあたりを眺めながら歩いていると、土手にある階段に、人が座っているのが見えた。
僕はそれが誰なのかを確認すると苦笑の混じったため息をついた。いや、本当は誰かを確認する必要なんてなかった。
なにせ同じことが週明けの月曜日から、今日木曜日まで毎日続いているのだから。
相手も僕に気づいたのだろう。慌てた様子で立ち上がり、どんなドン亀にさえ勝ちを譲りそうな速さでとろとろ歩き始めた。
その止まっているのか動いているのかわからないようなスピードと、平均的男子高校生の歩行スピード。小学校高学年的算数の結果、僕と相手の距離はあっという間に縮まっていく。
僕がその人物に追いつき、追い越そうとしたときだった。
「お、おう。桐野じゃねぇか。ぐ、偶然だなっ」
ぎこちなく声をかけてきたのは喜多だった。
僕は内心で拍手喝采した。
本当に偶然だ。
確かに月曜日にはそう思った。
火曜日。なんだかおかしいなと思いながらも、やはりたまたまだと思った。
水曜日。土手の階段に座り込んでいる喜多を見た僕は、額に手をやった。そうして、喜多が僕に気づいてのろのろと歩き出し、僕に追いつかれるのを待って、月・火曜日と同じセリフを言うのを聞いて、こっそりとため息をついた。
そして今日。僕は四回目になるその言葉を、必死に笑いをこらえながら聞いた。
「ほんとに偶然だ、喜多さん。四日連続はすごいな」
「そっ、そうだな!」
喜多自身は僕が本当に偶然だと信じていると思っているのだろうか。
まさか、そんなことはないと思うが、彼女のある種の純朴さはなかなか信じがたいものがあるからわからない。
喜多はただ僕を待ち伏せて、一緒に登校したいだけというわけでもなかった。
彼女は僕の手に興味があったのだ。
といっても別にモナリザの手を見て勃起するような手合いとは違う。
彼女は僕と手を繋ぎたかったらしい。
それがわかったのは昨日、水曜日だ。
喜多は僕と一緒に歩いていると、僕の周りをまるで衛星のようにぐるぐる回った。
最初は落ち着きのない女だと思っていたが、少しすると動きに法則があることに気づいた。
彼女が僕の周りを動くのは――正確に言うと僕の左右どちら側に回って歩くかは――僕がカバンを持つ手を換えるたびだということがわかったからだ。
それでも、なぜそんなことをきっかけにうろうろするのかわからないでいると、僕は第二のヒントに気づいた。
喜多は僕としゃべりながら、ちらちらと僕の手を見ていた。そして、そのたびにため息をついて、自分の手を閉じたり開いたりしていた。
これだけ手がかりがあれば、さすがに鈍感な僕にもわかる。
なんと可愛らしいのだろう。
気づいたとき、僕の頬は不覚にも緩んでしまった。鼻の下も伸びていたかもしれない。さぞかし、しまりのない顔をしていたことだろう。広尾あたりに見られなくてよかった。
「……で、そのだ、なんていうか、きっ、桐野はあたしと手を、つ、つないだりはしたくないのか? いや! 別にあたしが繋ぎたいとかそういうんじゃねぇんだけどさ」
僕がぼんやりと物思いにふけっている間に、喜多はついに強行手段にでたらしかった。
しかし、残念ながらその精一杯の強行手段は失敗に終わった。というか、真っ赤になりながら、自分で否定していれば世話はない。
「手?」
一人遊びでがっかりしている喜多に僕は問いかけた。
「ち、違うぞ! 別にあたしはつなぎたいとか言ってないからな」
言ってるも同然だ。
僕は内心あきれながら、とうとうそっぽを向いてしまった喜多の横顔を見つめた。わざとらしく口笛を吹いている。なんだかなぁ。
しかし、この可愛らしい僕の奴隷は、どうしてこう僕の加虐心を煽るのか。
この日、僕は喜多の手を握るようなそぶりを繰り返しては、彼女の反応を楽しんだ。
僕が手を伸ばすと、彼女の動きはとたんにぎくしゃくして、ばね仕掛けのおもちゃのような動きになった。
会話も上の空になり、ただ僕の手を気にするのが精一杯という有様だ。
もし手の甲が触れ合おうものなら、もう彼女の顔は真っ赤になる。
いまさらそれぐらいで照れるような仲ではないだろうに。
そして今日――。
もはや恒例となった会話の後で、僕は考えた。
ここらで御主人様としてご褒美をあげないとな。
あんまり焦らしすぎるのもよくない。
「ねぇ、喜多さん」
「なんだよ」
「昨日さあ、喜多さんが言ってたことなんだけど」
「あたしなんか言ったか?」
「僕が喜多さんと手つなぎたくないかってことなんだけど」
「あ、あれか。念のためもう一回言っとくけど、べ、別にあたしがつなぎたいってわけじゃないからな。桐野が……」
こういう見栄っ張りなところが、喜多の可愛いところだと思ってしまう僕は、だいぶ病んでいるのだろうか。
僕は彼女の言葉に割り込んだ。
「言われて考えたんだけど、つなぎたい」
「へ?」
「手」
「……手……?」
「喜多さんと手つなぎたいんだけど嫌か?」
「お、お前がつなぎたいなら、い、い、いいけど。……ほらよ」
喜多が不器用に手を差し出す。
相変わらずぶっきらぼうな反応だ。
しかし、口調とは裏腹に、表情は嬉しさをこらえきれないでいるのがよくわかる。きっと尻尾があればちぎれんばかりに振りまくっているに違いない。
僕は脳内メモに、そのうち喜多に尻尾をつけてやる。ということをしっかり記した。
にやにや笑いを必死でかみ殺しながら、僕はそっと彼女の手をとった。
喧嘩慣れしているはずのその手は、柔らかく、少し汗ばんでいた。
僕が彼女の手を握ると、ぴくりと緊張が走るのがわかった。
「こういうのってけっこういいもんだな」
「そ、そうだな」
「そういえばこの前のことなんだけど……」
「なんだよ」
「……喜多さん。なんていうか」
「おう」
「単語じゃなくて文章でしゃべって欲しいんだけど」
会話というものは言葉のキャッチボールのはずだ。けれど、今の僕はなんだか壁当てでもしているみたいだ。
これはこれで楽しいが。
僕も性格悪いな。
僕の言葉に悩んだ末に、喜多の選んだ話題は素晴らしかった。
「……きょ、今日もいい天気だな」
ついに僕の中のダムが決壊した。
「くっ……はははははは。いや、ほんとに、はははは、いい天気だ」
「そ、そんなに笑うことないだろ!」
「いや、だって、いい天気だって、いや、確かにそうだけど、あはははは」
「わ、笑うなっつってんだろ!」
「くっ、くく……いや、ごめん。じゃあ天気の話はやめよう」
「わかればいいんだよ。わかれば」
「でもさ、なんていうか……喜多さんって見た目より可愛いよな」
「可愛い? あたしが?」
「うん」
「ふざけたこと言ってんじゃねえぞ!」
からかわれたとでも思ったのか、喜多の目がつりあがる。
「いや、本心からなんだけど」
「これ以上言ったらぶっ殺すぞ!」
「喜多さんと話せることがどんどん減ってくなあ」
「そんなくだらねぇことだったら減っていいんだよ」
周りから見れば、僕達はただのバカップルにしか見えないかもしれない。
そんな幸せな二人の目の前に立ちふさがる者が現れた。
「おいコラ! 待てや喜多!」
誰だこの男は?
見るからにヤンキーといった風だが。
「この前はよくもやってくれたな。おお!? 油断さえしなきゃ、俺がてめえみたいな女にやられるわけねんだよ。ぼこにしてやる!」
ゲーッ! 先週ボロ雑巾にされたヤンキーの超人!
形容しがたいセリフのおかげで僕はこの男のことを思い出した。
元気になって仕返しに来たというところだろう。所々に残っている痣が痛々しい。
周囲の学生やサラリーマンが、係わり合いになりたくないという顔で足早になった。だが、中にはちらちらとこちらの様子を窺ってくる野次馬根性の旺盛なのもいる。
僕の手を握っていた喜多の手に力が入った。
「あぁん! お前見たいなバカの相手してる暇はねぇんだよボケっ! また玉潰すぞ!」
露骨な言葉に、周りにいた学生やサラリーマンが失笑を堪えた。
男はそれに気づいたのか、ぷるぷると肩を震わせて、怒りで顔色を変えた。
「殺す!」
血走った目をして、男がのしのしと近づいてくる。
喜多が戦闘体制に入ろうとした。
が、そこでふと気づいたらしい。男と罵り合っている間も、ずっと僕と手を繋いでいたことを。
さすがに手を繋いだままで喧嘩はできない。
彼女は小さくうなりながら、じっと繋がれている手を見ていたが、やがてあきらめたらしい。
「ちくしょうっ!」
小声でつぶやくと、名残惜しそうに僕の手を離した。
喜多が迷っている間に、男はもうすぐそこまで近づいている。
しかし、喜多はあわてずに、手にしたカバンを男に向かって放り投げた。
至近距離だったので、男はよけられずに、払いのけることしかできない。
その隙を狙って、喜多が先日のように、股間に向かって教科書に載せたいぐらいのヤクザキックを放った。
だが、見事に命中したかと思われたそれは男のひざによって防がれていた。
「せっかく再起不能にしてやろうと思ったのによ」
「てめえのことだからどうせここを狙ってくると思ってたぜクソアマ。ここさえやられなきゃ女のてめえが勝てるわけねえもんなあ」
男はすばやく喜多の足を掴むと、にやにやとしまりなく笑った。勝利を確信したのだろう。
確かにいくら喧嘩が上手かろうが、捕まえられてしまえば力の差はいかんともしがたい。
それまで傍観者だった僕も、さすがにまずいと思い、二人の方へ駆け出した。
喧嘩なんてろくにしたこともないが、不意打ちを食らわせて喜多と二人でかかればなんとかなるだろう。
なればいいなあ。
くそっ!
僕が馴れない喧嘩のために覚悟を決めていると、男が拳を振り上げた。
あっ。と思う間もなく振り下ろされたそれは、喜多の顔面に命中する。
「っつ……!」
「痛かったら痛いって言えよ。俺の気持ちがすっきりするからな。泣きたくなったら泣いていいぜ。許さねえけどな。ひひひ。あれ、お前の男か? お前をぼこぼこにしたら次はあいつもついでに殺ってやる。」
男は聞く者を不快にする調子でしゃべりながら、喜多の頬をもう一発張った。
「テメエ……!」
喜多が低い声でつぶやいた。唇の端からは血が流れている。
ぶっ殺してやる!
怒りと殺意が激しく湧き上がった。
僕はジェダイにはなれない。フォースの暗黒面に捉えられてしまった。これからはダース・桐野を名乗ろう。
女に手をあげられて落ち着いていられるか!
ぶっ殺してやる!
あのむかつく男の顔面に照準をセットし、拳を叩き込む。後先なんて考えていられない。
と、そこで喜多が大きく状態をそらした。
「死ね! このボケっ!」
足を掴まれてるのにたいしたもんだと感心する間もなく、伸びきったばねが縮むように勢いよく頭が振られた。金髪がスローモーションのように尾を引いた。
「ぐぇっ、がこ」
蛙のような悲鳴をあげて、男が鼻を押さえた。指の隙間からぼたぼたと勢いよく鼻血が零れ落ちる。
なんと見事な頭突き。
喜多がよたよたと後ずさる男との距離をずんずん詰める。
「根性だせやコラァ! 痛かったら痛いって言え! 言っても許さねぇぞボケっ! 桐野は関係ねぇだろがぁ! 桐野はぁ!」
ハスキーな声が喜多の口から飛び出した。決してドスがきいた声というわけではない。……さすがに今のは自分をごまかすにしても白々しすぎたか。
ここは素直に賞賛しよう。さすがヤンキーだ。
嫌々をするように、男が手を突き出して喜多を拒もうとするが、そんなもので止まるわけがない。
「勘違いすんなよ。あたしがてめえのフニャチン狙うのは、お前みたいな馬鹿の相手に時間かけたくないからだ……よっ!」
今度のヤクザキックは見事に命中した。もちろん哀れな男の股間に。
口をパクパクさせて、今度は股間を押さえる男。鼻だったり玉だったり、忙しいことだ。
しかし喜多の怒りはまだ収まらない。
腰砕けになって股を押さえている男の股間にさらなる一撃を加える。手で覆われていようがお構いなしである。
僕は同じ男として絶対にあれは食らいたくないと思ったが、同情はしなかった。当然の報いだ。
「へぎょっ!」
ぐるりと男が白目を剥いて崩れ落ちた。再起不能だ。
これで終わりだと野次馬達は思ったに違いない。
しかし、僕は知っている。まだおまけがあるであろうことを。喜多はサービス精神が満点なのだ。きっとスマイルも0円なぐらいに。
「気絶したフリなんかで騙せると思ってんのかぁ!? この腐れヘニャチンが!」
いいえ、喜多さん。彼は完全に意識を失っていますよ。そのへんで勘弁してあげたらどうですか。
僕の勇気ある心の声は彼女には聞こえなかった。残念ながら僕はエスパーではないらしい。
僕に超能力がないことが判明した間にも、喜多は男を蹴りまわしている。
「なにあたしの顔殴ってくれてんだよっ。痣ができたら桐野に見せらんねぇだろ!」
なかなか可愛いことを言ってくれるのだが、おまけで血しぶきがついてくるのがやりきれない。こんなハッピーセットは遠慮したい。
「このぼけっ。あたしの幸せな時間を何度も邪魔しやがって。なんか恨みでもあんのか!」
あるから喧嘩を売ってくるんだろう。
「ちくしょうっ! やっと、やっと手、手を繋げたのにっ!」
思わず本音が出てしまったらしい。
慌てて口を押さえると、喜多は僕の様子を伺った。
心やさしい僕は、もちろん、にっこり笑って聞こえないふりをしてあげた。
それに安心したのか、彼女は最後に男の頭を思い切り踏みつけると、これで勘弁してやると言い放ち、僕のほうに戻ってきた。
男の鼻は変な風に曲がっていた。さぞ治療費が高くつくことだろう。
前回も思ったのだが、血のついた靴で僕の方に向かってこないで欲しい。すごく怖い。
「……前も言ったかもしれないけど、いつもこんなことしてるわけじゃないからな」
ひどく説得力に欠ける言葉だ。
ま、それはいい。
「わかってる。それよりも喜多さん」
「なんだよ?」
まだ喧嘩の興奮が冷めやらないのか、上気した顔ではぁはぁ言っている。なんだか妙な気分になりそうだ。
ま、僕の変態的な性欲は差し引いて考えたとしても、喧嘩を終えたばかりの喜多はいきいきして見えた。
綺麗だ。正直にそう思う。
おっと。思考が横にそれた。僕には伝えるべきことがあったんだ。
「鼻血でてる」
僕が小さな声で教えてあげると、喜多はあわてて制服の袖でそれをぬぐった。耳まで真っ赤になっている。
「ちょっ、ほら、そんなので拭かないで。ハンカチ貸してやるから」
なんか、普通は逆のような気がするけど。
「おう。ありがと。あ、あんま見んなよ。間抜けな顔になってんだから」
「名誉の負傷ってやつだねえ。ちょっとよく見せて……あんまりひどいことにはなってなさそうだけど、学校に着いたら保健室に行こう」
「いいよ、これぐらい」
「だめ。これは御主人様の命令だ」
「わかったよ。行けばいいんだろ、行けば」
「わかればよろしい。あとでご褒美をあげよう」
「ごっ、ご褒美」
なにを想像したのか、喜多は奇妙な身振りでじたばたと身悶えた。
「それとね、ちょっとこっち来て」
「お、おう」
僕の手招きに応じて身を寄せる喜多の耳元でささやく。
「あのときはおちんちんだってなかなか言ってくれないのに、喧嘩のときはフニャチンだなんだって大きな声で言えるんだな」
「ばっ、てめ! 声が、い、いきなりなに言いだすんだよバカっ!」
羞恥に頬を染めながら、喜多がうろたえにうろたえて僕の口を押さえつけた。
周りの人間はすわ第二の犠牲者かとざわついたが、きょろきょろと辺りを窺う喜多を見て、そうではないらしいと、僕達への興味を失いそれぞれの目的地へと足を進めだした。
「きゅ、急にとんでもないこと口走るな!」
「ふがむんが……」
「黙れっ」
このままずっと話せないわけにもいかない。
かといって、喜多はそうやすやすと手を離してくれないだろう。
僕は口をふさいでいる彼女の手の甲に指を伸ばした。力はほとんどこめない。まるで愛撫するように優しく撫でさする。
「んひっ!」
目論見どおり、喜多は情けない声をだしながら弾かれるように飛び退いた。
「な、な、な……」
驚きのあまり言葉も出ないようだ。
「はぁ、苦しかった」
「苦しかったじゃねぇだろボケっ! いきなりなにするんだ」
「手を触っただけだ」
「……」
「でもあれだけなのにあんな声だして、喜多さんはやっぱり敏感だなぁ」
「きっ、き……」
「き? なに?」
「桐野っ!」
顔に血を昇らせて怒鳴る喜多さんを見て、僕はこれぐらいにしておくかと考えた。
僕の視界の下のほうにいる、あの哀れな男のようにはなりたくない。デッドリストに追加される訳にはいかないのだ。
「喜多さん、急がないと遅刻するよ。結構時間食ったから。ほら」
手を差し出す僕をきょとんとした顔で見ていたかと思うと、一拍置いて喜多の頬が緩む。
「おう」
仏頂面の彼女。違うな。仏頂面のフリをしている彼女――これで隠せていると思っているだから凄い――は、おずおずと手を出した。
間違いなく役者にはなれないな。こうまで思っていることが顔に出やすいようじゃ。ギャンブラーも無理だ。ポーカーフェイスなんて夢のまた夢だから。
僕達は、その後もぎこちない会話を繰り返しながら登校した。
残念ながら、学校が近づき周囲に生徒が増えると、喜多は繋いでいた手を離してしまった。
どうやら他人の視線が気になるらしい。いわゆる一つの硬派な女である彼女からしたら、男と仲良くしている姿を見られたくないのだろう。
そのくせ、残念そうにしている。
やれやれだ。
教室に入ると、とたんに広尾が突撃してきた。
「よぉ、いい加減に先週なにがあったのか教えろって」
これも今週に入ってからの恒例行事の一つだ。
僕は机にかばんを置くと言ってやった。
「色々だ」
「てきとー言ってんじゃねぇって。もうそろそろ一週間になるんだから時効だろ? 親友の俺にだけ教えろよ」
「喜多に聞いてこいよ」
「馬鹿なこと言うなって。お前も見てたくせに」
広尾が顔をしかめながらおでこをさすった。
今週の月曜日に、広尾は今日と同じような質問をしてきた。
答えない僕に見切りをつけたこいつは、それならばと喜多のほうにいったのだ。
最初から、まとわりついてくる広尾をうっとおしそうに見ていた喜多だが、そのうちに我慢の限界がきたのだろう。おもむろに広尾の胸倉を掴むと、頭突きをかまして黙らせた。
広尾はふらつきながらも自分の席に戻ると、一時間目の授業中ぴくりとも動かなかった。
「だったらもうあきらめろよ」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。なんとかして喜多にコネつくっとかねぇとな」
「なんで」
「前も言っただろ。女の子紹介してもらうんだよ」
僕はわざとらしくため息をついた。
「やっぱ普段回りにいないタイプの女の子は新鮮でいいからな」
効果なし。ため息は広尾に効かなかった。
そういえばコイツは皮肉に耐性があったか。
「しゃあねえからな。お前が教えてくれればいいよ」
「なにを?」
「アレ系の女の子の落とし方」
「馬鹿か、お前」
「俺みたいな顔も運動神経も、金だってある完璧超人よりもお前みたいなのを選ぶ理由なんて、お前がなんか特別な手段を使ったとしか思えないだろ。俺に惚れないなんておかしいぜ」
確かに常識の目で見ればコイツはもてるだろう。コイツの人生にタイトルをつけるとしたら『広尾宗利の優雅な生涯』とでもいうものがふさわしい。
顔はイイ。百人いれば九十五人はかっこいいと認めるだろう。残りの五人は特殊な趣味の方だ。
運動神経も抜群で、昔は野球をやっていてエースで四番だった。今はサッカーをやっている。去年は国立に行った。競技が変わっているのはそっちのほうがもてるからという理由だ。
親が明治から続くという会社グループを経営しているので大金持ちだし、家柄もいい。なんでも元華族らしい。しょっちゅう家に元大臣だとかそういう人間がやってきている。
残るは頭だが、これも悪くない。成績は上の中といったところだ。
ただ性格が軽い。軽すぎる。
その上、学校の勉強はできるのだが、いわゆる磯野カツオ的頭の良さがまるでない、能天気な男だ。
それでも大抵の女性は僕と広尾を比べた場合、広尾を選ぶだろう。
「人徳だよ」
僕は言ってやった。
「はぁ?」
「それか運命だ」
広尾が馬鹿にすんなと怒っている。
確かに僕も不思議だった。
なぜ、喜多は僕を好きになったのか?
先週末、彼女と一緒に過ごしたときに、僕もそれを尋ねたのだから。
きっかけは本当に些細なことだった。僕自身が忘れていたようなことだ。