「循環世界のロリコン探偵」
この話は循環世界にまつわる話だ。
人々は繰り返し、繰り返し、反芻して生きる。
生まれ、そだち、はぐくみ、老い、死ぬ。
わたしは循環世界に生まれたが
わたしには育つ、というプロセスが存在しなかった。
わたしは成人として生まれ、育つこともなく、はぐくむこともなく、おいもせず、ただ死ぬ。
この話は循環世界にまつわる話だ。
その前提は、循環することにある。
わたしと彼女は循環の外にあった。
彼女は、老婆として生まれた。二十歳の年に初老になり、
四十の時に、はじめて実年齢と肉体の年齢が重なり、また精神と肉体の年齢は離れていった。
そうして彼女は、人生の黄昏を少女の姿で過ごしている。
子供たちは彼女よりも、見かけ上の年をとっている。
子供たちと彼女の並ぶ姿は親子や孫に見えるが、
子供に見える少女が母親であり、母親に見える婦人方が子供だとは誰も気づかない。
それでも彼女は、少女の肉体を持つ老婆なのだ。
彼女はやがて胎児になり、死ぬ。
彼女にとって若返りは、老化と同じ意味を持つ。
わたしと彼女が出会ったのは、雪の降り積もる豪雪の夜だった。
豪雪のせいで電車のダイヤは大幅に狂っていた。おかげでわたしは駅のプラットホームで雪の晴れるのをじっと待っていた。
「すべては胎児の見た夢だった。」
文学者は著書の中でのみ、夢ともうつつともとれる奇妙な幻想を形にしていたが。
コートの肩に雪を積もらせ、ベンチに座り、手袋に息を吹きかけるその少女の、ふと口にしたその言葉にわたしはひどく好奇心をそそられた。
「うつし夜は夢、夜の夢こそまこと」
少女が私のほうに振り返り、笑う。
「そうでしょ?」
彼女はわたしの中にある、同属の匂いを嗅ぎ取ったのかもしれない。
わたしも共感を覚え、少女の知性に惹かれた。
幸福な出会いに震えた。
センテンスのつながりが、二人をつないでいるのだという実感があった。
「ええ。世界はこの深雪にも似ています。世界を覆い隠す雪もやがて汚れ、春の陽気にとかされてしまう」
既に構内には、踏み荒らされて真っ黒になった雪の塊があちこちに点在していた。
この純白の少女も、いずれは。
踏み荒らされ、ただ死を待つだけの泥雪になるのだろうか。
「それならわたしたちはスノーマンですね。ほんの一時だけ喜びを与えられ、朝露とともに消えてしまう」
鉄筋組みの天井から、水滴が滴り落ちて、雪の上に落ちた。
ちょうど白線の上にできた二山の雪は、まるで頭の解けたスノーマンのように見えた。
「少年はスノーマンの思い出を引きずりながら、日常に帰る・・・のだったね」
少女は私の返答に満足したようで、クスクスと笑った。
わたしたちはしばらくベンチに座って、談笑した。
定年退職してから、わたしはこんなに楽しい会話をした記憶がなかった。
ピリリリリ、ピリリリリと。
会話をさえぎるように、運転再開を伝えるアナウンスが入る。
彼女はわたしと反対方向の電車に乗って帰っていった。
わたしたちは、携帯電話の番号も名前さえも、交換しなかった。
まるでお互いをスノーマンに見立てるようにして、わたしたちはまた日常に帰っていったのだ。
もう会うことはないだろうと、少し心残りのあった、その出会いと別れを悔やんだが
世の中には不思議な縁があるものだ。
後日、彼女は依頼人となって現れた。
わたしは定年後、都心部にある2DKの新築アパートを購入した。
今は、入り口近くのダイニングを事務所にして、探偵業にいそしんでいる。
仕事は月に4〜5件あるかないかだが、個人事務所はそれでも十分に持つから不思議だ。
老人には、必要以上の金はいらないせいか、価格もずいぶん安くなっている。
だからあの少女が、事務所にやってきてもさして驚きを感じはしなかった。
少女がアルバイトをすれば、十分手の届く価格設定であったからだ。
「わたしの屋敷で事件が起きたんです。被害者はわたしの家族・・・です」
彼女は説明を始めた。
彼女の話しを要約すればこうなる。
事件は彼女・若咲やすみの屋敷内で起こった。彼女の屋敷には、ある有名レコード会社に勤務している居候が住んでおり、
同じく居候のマネージメントしているミュージシャンが、パパラッチ対策のため、屋敷に身を隠していた。
その日、やすみの部屋で若草瑞穂が血を流して倒れているのが発見された。
彼女は病院に搬送され、手当てを受けた。ひどく意識が白濁していたため、コミュニケーションがとれず
結局、事件として警察が介入することになった。
現場には彼女の残した体液で書かれたメッセージがご丁寧に残されていた。
「HIKYO OK USA」と。
若草やすみは事件の真相を知るために、私に調査を依頼したのだった。
「ぜひ先生に推理していただきたいのです。あの名刑事と呼ばれた先生にお願いしたいのです」
わたしは快く引き受けることにした。
警察を定年で辞し、暇つぶしのために開いていた探偵事務所である。
料金の代わりに、彼女の肉体をむさぼる権利を得たわたしは、出立の準備を始めた。
「お嬢さんは、今年おいくつになられるのですか?」
「今年、83になります」
彼女は逆循環症患者であった。
つまり見た目は子供、中身は老婆。逆コナンだ。
若草やすみは、わたしと同じ死を待つ存在であったのだ。
「では、被害者と言うのは?」
「わたしの孫です」
なんてこった・・・
このままでは黄昏流星群のパクリになってしまう。
窓の外は曇り空だったが、ときおり雲間から刺す陽光が
ブラインドの隙間から、日向の匂いを届けてくれる。
そんな冬の午後のことだった