Baby Doll Mai  
 
   1  
 
「じゃあ今日はお母さん、帰るからね」  
 時計を気にしながら、母は荷物を抱きかかえた。彼女が多忙だということはよく理解していたし、  
多忙だからという理由で娘のことをおろそかにする人間でもないこともわかっていた。現に、  
「熱が下がらない」と訴えた舞衣を医者に連れて行き、予想外の病名を告げられたあげく、半日という  
時間を予定外につぶされても舞衣に嫌な顔を見せることはなかった。だから、まだ面会時間には余裕  
があっても、帰るという彼女を引き止められるはずはない。その細腕で、家族を養っていかなくては  
いけないことは舞衣が誰よりもよく知っている。  
 でも――と舞衣は思う。いつものアパートから母は「いってきます」といっているわけではない。ここは  
初めての、見知らぬ部屋だ。清潔ではあるが、無機質な部屋だ。一人で残ることに不安がつのる。  
徐々に大人の仲間入りをしつつあるとはいえ、まだまだ多感な少女でしかないのだから。  
「明日は……ううん、次いつ来られるかわからないけど、なるべく顔を出すようにするから。一人で  
大丈夫ね? 舞衣。お医者さんや看護師さんのいうことをよく聞いてね」  
 娘の不安を知ってか知らずか、また時計を気にしながら母は告げた。  
「うん……大丈夫だから。お母さんこそ慌てて事故を起こしちゃダメだよ」  
 心細いといったところで母が困るだけだ。そもそも、舞衣の歳にもなれば、親に「心細いからいっしょに  
いてくれ」などとは恥ずかしくてとてもいえない。大丈夫だから、と自分にいい聞かせ、母に別れを告げた。  
「じゃあね、また」  
 
 一人になって、ベッドに腰掛けて、あらためてゆっくり周りを見渡す。二階にあるこの部屋は、個室と  
いうことを除けば、ほぼ想像どおりの『病室』だ。ベッドがあって、見舞い客用の折りたたみ椅子が  
隅に立てかけられていて――あとは小さ目の冷蔵庫と棚くらいか。部屋は広めで、それらの家具を  
収納してもまだ余裕がある。  
 自分には不相応の待遇なのではなかろうか。  
 
 アパートの部屋は家族で暮らしているが、この部屋よりも狭い。さらにかなりの広さの――おそらくは  
避難通路もかねているのだろう、隣の部屋とずっとつながっているが――ベランダがある。病室というと  
せいぜい小さな窓がある程度だと想像していたが、この部屋は自由にベランダに出られるらしい。階下  
には庭が広がり、日当たりがよい。  
 驚くことに、この待遇でもお金はかからないというのだから、いったいどうなっているのだろう。  
 
「この病気は少し特殊なものでして、完治までには二、三週間から何ヶ月かの入院治療が必要と  
なります。あ、心配はないです、後遺症もなくまず確実に治りますから。ただ弱いといっても感染性も  
ありますし、病気の時期によっては心配になることもあるので、しっかり管理された治療が必要に  
なります。だからある程度の入院はしかたないと……」  
 治る病気だから何の心配もない、といわれたあとに母が考えたのはごく自然なことだったろう。  
長期間の入院治療……いったいどれほどのお金がかかるだろうか。保険がどうとか、扶助制度が  
どうとか、なじみの医者はいっていたが、どんな制度があろうともか弱い家庭の圧迫となることだけは  
間違いない。  
 とにかく紹介するからすぐにいけ、と街の大きな病院の名前をあげられた。あまり心配するような  
病気でもないが、抵抗力の弱いものには危険なこともある、誰かに感染させるようなことは避けて  
もらいたいから、――トイレには行かせるな、と。  
 今はまだ大丈夫だとは思うが、この病気は症状が進むとうんちとかおしっこにバイ菌がいっぱい  
入るんだよ、と教えてくれた。してしまったものは仕方ないが、これからは気をつけてくれ、ということ  
らしい。  
 幸いにして、かどうか、出発前どうしても我慢できず、すでに家で済ませてしまってきたこともあって、  
舞衣はトイレにいきたくなるようなことはなく、街の病院に行くことができた。街の病院では同じような  
説明を受けたあと、「すぐに入院してもらうのが望ましいのですが」という医者と費用について母は  
話しこんでいた。  
 そんな母に、  
「どうしてもご負担になるようでしたら……」  
 と医者はある制度について説明してくれた。  
 
 この病気は症例が少なく、まだ研究が進んでいない。症状と治療の過程を記録し、研究と教育に  
利用させてもらえるなら、費用はすべて病院側で持つ――という内容の話だ。  
「同じ病気で苦しむ、世界中の人たちの役に立てるんだよ」  
 と、そういった話は本当のところあまり関心がなかったのだが、「いやだったら別にいいのよ。  
入院代くらい、どうにでもなるのだから」という母を見て、舞衣は決心した。  
 そしてすぐさま(といってもいったん自宅に戻り最低限の仕度を整えて)、開発に取り残された郊外の、  
森の中に建てられたというこの療養所兼研究施設に連れて来られたのだった。学校もしばらく休めねば  
ならないが、入院生活にしてもそれなりの時間は取れるだろうということで、勉強道具一式は持ち込んで  
ある。それに成績はかなりよいほうだったので、自学自習でもなんとかなるだろうと心配はしていなかった。  
 コンコンコンという、控えめなノックの音で、舞衣は我に返った。  
「入りますよ」  
 現れたのは看護師さんだった。若い女性で、胸元に『河村』とある。  
「三沢舞衣ちゃんね。急だったものだからちょっと遅れたけど、ここの案内と、最初の検査について説明  
するわ。あ、気分は悪くない? 少し緊張してるのかな」  
「大丈夫です、気分悪くないです」  
 正確にはここしばらく微熱が続いているのだが、行動に問題が出るレベルのものでもない。  
「そう、じゃあ続けるわね。渡しておいた問診表は書いておいてくれた? それそれ。……まずこの部屋  
だけど、ベッドは見てのとおりね。冷蔵庫は今は何も入っていないけど、入れるものができたら自由に  
使ってちょうだい。ここの台には荷物を、スリッパがあるから靴を替えて。そっちはベランダね。見たら  
わかると思うけど、どの部屋もつながっているわ。どっちに進んでも中庭に下りる階段があるから、  
火事とか、いざというときはここから逃げるのよ。まあ心配いらないけどね」  
 舞衣は、説明されるたびにいちいち確認して「はい、わかりました」と応えた。  
「じゃ、ついてきてくれる? 部屋の外を案内するわ」  
 この部屋に来るときも当然通ったのだが、そのときは説明がなかったこともあって、あまり憶えて  
いない。舞衣は慣れないスリッパが脱げないように気をつけながら、彼女に続いた。  
 
 廊下に出ると、順に河村看護師は指差した。  
「このフロアの患者さんは子供たちばかりよ。舞衣ちゃんよりも小さい子でずっと入院している子も  
いるから、あったら仲良くしてあげてね」  
 給湯室、洗濯室、ナースセンター。トイレ、浴場といったところで、河村看護師は気になることをいった。  
「ここらへんは舞衣ちゃんにはしばらく関係ないかな」  
「……どういうことですか?」  
「ん。舞衣ちゃんの病気だとね、うつるといけないからよくなるまでみんなと同じところは使えないん  
だよね。あとでも説明するから、ちゃんと憶えておいてね」  
 疑問が解消されたわけではないが、あとでもいうらしいから、そのときにあらためて訊けばいいだろう。  
舞衣はそれで質問を続けることはなかった。  
 
「ここが第一処置室。簡単な検査をするからいらっしゃい」  
 病室からだいぶ離れた、いかにもな部屋に通されて、河村看護師は手招いておいでおいでをしている。  
壁には動物だとか、アニメのキャラクターの絵だとかが貼られ、メルヘンチックな雰囲気を出していた。  
他にもおもちゃだとかぬいぐるみだとかが積んであり、幼い子の気分を紛らわせるのだろう。舞衣自身  
はそれほど幼くないが、なんとなく気分を紛らわせるには悪くないものだと思った。  
「身長と体重はかるからね、服を脱いでこのかごに入れて」  
 勉強道具はともかく、その他入院生活に必要なものはすべて病院側で用意するからということで、  
舞衣はほとんど着の身着のまま(他にたいした私物があるわけでもないが)この施設に来ている。  
 二人のほかには今は誰もいないので、特に抵抗もないまま、舞衣は服を脱ぎだした。ブラウスを脱ぎ、  
下着に手をかけながら、おずおずと訊ねる。  
「あの、どこまで……」  
「上は全部、スカートと靴下も取ってね。つまりパンツ一枚だけになってちょうだい」  
 体重計を引っ張り出しながら、河村看護師は簡潔に指示した。仕方なく膨らみかけた胸に頼りなさ気  
に引っかかるブラジャーをはずすと、靴下も取り、指示された格好になった。両腕は胸のあたりで  
あわせたが、肌寒さに身震いした。  
「ここに乗ってね。そう、足をあわせて。本当はこれ身長と体重いっぺんにはかれるんだけど、今、  
体重計の調子がおかしくてね。気をつけして。……148.5センチ、と」  
 
 続いてもう一つの体重計に乗る。  
「42キロちょうど。腕を上げて。胸囲もはかるからね。……72、と」  
 どれも舞衣自身が知っている数字と大差ない。  
 記録をつけている河村看護師を待っていたが、舞衣は仕切り板の向こうにこちらに歩いてくる男性が  
いるのを見つけて、慌てて脱いだばかりのブラジャーを両手とともに胸元に引き寄せた。  
「やだ……」  
 そのつぶやきが聞こえたのか、河村看護師もそちらに振り向く。  
「先生」  
「ああ、河村さん。こちらが三沢舞衣さん? はじめまして、僕が担当になる村松といいます。いろいろ  
不安もあると思いますが、ちゃんと治療すれば治る病気ですから、怖がることはありません。がんばって  
治しましょう」  
「は、はい……」  
 三〇前後だろうか、正確な歳はわからないが、幼い舞衣にも丁寧な挨拶をする男だった。歩いてくる  
のを見たときはとっつきにくそうな人のように見えたが、河村看護師に呼びかけられたあとは表情を  
緩め、穏やかな印象となっている。それほどいやな感じはしない。  
 挨拶をしてから村松医師は舞衣が半裸になっているのに気づいたようで、河村看護師に向き直った。  
「消毒と抗菌処置は? まだかな」  
「まだです」  
「先に簡易検査だけでもしておきたいから、脱がしてくれるかな」  
 二人の会話を聞くうちに、なんともいえぬ不安感が増大してくる。  
「舞衣ちゃん? ちょっとそのままこっちのベッドに横になってね。おしっこするところと、うんちする  
ところに、悪い菌がついていないか調べるからね」  
(え……それって)  
 河村看護師は、思考がまとまらないままの舞衣の手から、ブラジャーを取ってかごに入れ、腕を  
引っ張って白いシーツが広げてあるだけのベッドに舞衣を倒した。腕をとられたときにわかったが、  
河村看護師はいつのまにか薄い手袋をしていた。  
「体を楽にして力を抜いてね。腕は体の横に。おしりを上げて。どうしたの? ほら」  
 やむを得ず、いわれたとおりにすると、浮かせた腰に、枕が入れられた。おしりが浮いて前方に  
突き出した形になる。  
「じゃあパンツも取るからね。足を真っ直ぐにして」  
(やあ……やだ)  
 河村看護師は舞衣のパンツのクロッチ部分が足に触れないように、慎重に取り去った。  
 
 舞衣は生まれたままの姿にされ、下半身にひんやりとした風を感じた。  
「足を開いてね」  
 膝を押し広げられ、いわゆるM字開脚の形にされる。  
(恥ずかしいよお)  
 相手が医者と看護師とはいえ、今日のこの日まで他人に見せたことはない部分だ。温泉や着替え  
など厳密にいえばなかったわけではないだろうが、このように足を左右に思いっきり広げられ、秘め  
られた唇をまじまじと見つめられたことはない。しかもそのうち一人は男性である。  
「痛いことは何もしないから、そう肩を張らずに」  
 村松医師はそういうが、頭に血が上って顔が真っ赤になっているのが自分でもわかった。耐えられず  
に目を閉じる。  
(早く終わって……)  
「ひゃあ」  
 未知の感触に思わず声をあげた。顔を上げてなんとか見ると、フィルム状の物体が股間に押し当て  
られているところだった。へその下、生えかけた薄い恥毛と陰唇を覆うように、肛門まで帯状に貼り付け  
られている感触がわかった。貼り付けられたフィルムの上から村松医師が指を押し当てて上下に  
こすりつけてくる。  
「ん。んん」  
 声が出そうになるが、何とか抑えた。確かに痛くはないが、指が移動するたびにところどころ敏感な  
部分に触れる。声こそ出なくても、はぁはぁと息が弾み、体が熱っぽくなるのが抑えられない。我ながら  
よく耐えていると思う。  
「んあ、あぁ、いやあ」  
 性器を執拗に刺激され、どうしても声が漏れてしまう。目を閉じただけではたまらず、両手を使って顔を  
隠した。  
 最後に、肛門の周りを押し広げられ、穴に五ミリほどフィルムを押し入れられて、ゆっくりとフィルムは  
はがされた。  
「ああ、はぁ……」  
「はい。これでバイ菌がいるかどうかわかるからね。今から消毒するけど、消毒したあとも手で触ったり  
しちゃいけないよ。河村さん、僕はこっちのほうを検査してくるからあとのほうは頼めるかな」  
「はい。消毒して特殊抗菌パンツですね」  
「ああ。あと皮膚の状態も記録しておいて」  
 また聞きなれぬ単語が出たが、村松医師はいくつか指示を出すと今のフィルムを持って奥に行って  
しまった。  
 
 河村看護師は押さえていた舞衣の膝から手を放し、消毒用アルコールを含ませたらしい脱脂綿を  
ピンセットに持ち、舞衣の正面に移動した。膝の間に顔を入れ、舞衣の未熟な性器を妖しげな目つきで  
見つめる。すっと、脱脂綿をそこに差し入れた。  
 冷たい感触が性器を駆け巡るが、十分覚悟していたこともあって、驚きはそれほどでもない。村松  
医師よりも乱雑な手口で、時折脱脂綿を取り替えつつ舞衣の秘唇を蹂躙していく。上から下へ、また  
上へ、外から始まり内側へと、尿道口の周囲を特に丹念に拭き清められた。最後はやはり肛門へと  
移動して、脱脂綿を半ば押し入れられたようにされて、ようやく終わった。  
「ああん……はぁ」  
 その作業を進めながら河村看護師は思いついたことがあったようで、舞衣に訊ねた。  
「あ、そうだ舞衣ちゃん。おしっこしたくない? パンツはいてからだと二度手間になるもんね」  
 そういわれると、今日は昼食後、出掛けに一度したきりで、ずっと我慢してきた。服を脱ぎ、おなかが  
冷やされ、今脱脂綿に尿道口を刺激されたからか、急に尿意が切迫してきた。  
「はい、ちょっと……したいです」  
「そう。知ってるかもしれないけど、舞衣ちゃんの病気はね、おしっことかうんちにバイ菌が混ざることが  
あるんだよね。注意していないとそこからうつっちゃうわけ。健康な人にはどうってことないんだけど、  
お年寄りとか子供とか、体力が弱っている人だととても危ないんだよね。ここは病院だし、そういう人が  
いっぱいいるの。それに、舞衣ちゃんのおしっことかうんちを調べると、病気のことがいろいろわかる  
のね。だから、トイレに流すんじゃなくて、いちいち取っておかなくちゃいけないの。わかってくれる?」  
「ええっと、はい、だいたいわかりました」  
 そんなようなことは自宅の近くの医者にも聞いている。この病原菌は、排泄物の中では、もちろん他の  
条件にもよるが、とても長く生き残って増殖するそうだ。流せば問題ないではないか?とも思うが、そう  
簡単な問題でもないらしい。  
 一応納得した舞衣を見て、河村看護師は横に用意してあったものを取り出した。  
「だからね、今はおしっこはこの尿瓶にしてね」  
 河村看護師はガラス製の尿瓶を持って、舞衣に見せつける。  
「……は、はい。わかりました。あの、じゃあ……」  
 
 いいながら舞衣は尿瓶を受け取ろうとしたが、河村看護師はさっとその手をよけた。  
「これを持ってどうするの?」  
「え? どうするって、それにおしっこして……」  
「舞衣ちゃんが持たなくてもいいわ。私が支えてあげるから。ほら、ベッドの上でいいからしゃがんで、  
膝を開いて」  
「あ、あの、それくらいなら一人でできますから……トイレでさせてください」  
 他人におしっこをするところを見られるのは恥ずかしいものだ。すでに全裸にされて性器をいじくり  
まわされているとはいえ、自分から何かしたわけではなく、いわば完全に受身の状態だった。じっと目を  
つぶって耐えていれば終わることで、自分から何かする場合とは恥ずかしさが違う。  
 舞衣は必死に一人でできると抗弁したが、河村看護師はあっさりと却下した。  
「ダメよ。トイレの中で不注意があってはいけないもの。それにまた消毒しなくちゃね」  
「じゃ、じゃあ、ここでしますから、あのお願いですから一人で……」  
「ダメだっていってるでしょ。転んじゃったりしたらどうするの。すぐ終わるんだから。しゃがんでしゃがんで」  
 何をいっても無駄なようで、舞衣はあきらめてベッドの上にしゃがみこんだ。ベッドのふちに足を  
かけるようにして、ちょうど崖下に放尿するような具合となる。  
「ほら、私の肩につかまって。いい? 検尿したことあったらわかると思うけど、一度止めて、最初と  
最後以外のおしっこは別の容器で取ります。できる? ……そう、いい子ね。……はい当てたわ。  
おしっこしていいよ」  
 真正面から両足の付け根を覗き込まれ、再び顔が赤くなるのを感じたが、力を入れると、我慢して  
いた透明に近い水が、勢いよく噴き出した。  
 ジョジョジョロロと、水がガラス瓶の底に当たる音で、羞恥心が掻き立てられる。さらに独特の臭気が  
たちこめて、舞衣の神経を逆なでにした。  
「うう……見ないでください……」  
「はい、止めて」  
 河村看護師の指示に従い、なんとか噴出を止めると、とたんに強烈な排尿感が襲ってくる。河村  
看護師は、手早くもう一つの尿瓶に入れ替えた。  
「はい、出して」  
「……はい」  
 言葉に素直に従い、おしっこを出したり止めたりする舞衣を見て、河村看護師は楽しそうにしていた。  
 
もう一度同じ作業を繰り返して、元の尿瓶に替えられたあと、ようやくたまっていたものをすべて出して、  
舞衣は一息ついた。  
「あ、そのまま。ちょっと消毒するから」  
 河村看護師は出終わったばかりの尿道口を手早く拭いた。今度は心の準備をしていなかったため、  
冷たいアルコールに触れて、「ひゃん」と声を出してしまった。  
「いい? 今から皮膚の記録をとるので、そちらの壁に立って気をつけをしてください」  
「裸のままですか?」  
「服を着たら皮膚が見えないでしょ。大事な検査の一つなのよ」  
 指示された壁は基本的に白い壁なのだが、一〇センチ間隔だろうか、格子目にマスが入っている。  
その前に立つと大きさがわかりいいようになっているようだ。  
 記録をとる、といわれても実のところ舞衣は何をするかわかっていなかったのだが、河村看護師が  
持ってきた物体を見て即座に理解した。河村看護師の手にある黒い物体。それはカメラだった。  
「しゃ、写真をとるんですか?」  
「そうよ。体を隠さないで気をつけして。どうしたの? ほら、早く」  
「あの……どうしてもとらなくちゃいけないんですか?」  
 さすがにカメラまで持ち出されて、舞衣の動揺は大きくなった。不安と恐怖感で、目には涙が浮かんで  
いる。その涙を見て、河村看護師も慌てていった。  
「舞衣ちゃん? どうしたの? あなたは、ちゃんと話を聞いてここに来たんじゃなかったの? いや  
だっていうなら……本当にいやだっていうなら先生にいって上げるよ。お金はかかるけど、普通の  
患者さんに戻してあげるよ?」  
(お金……)  
 どうにもならない理由があったことを思い出して、舞衣は沈黙した。  
「いえ……」  
「え?」  
「大丈夫です。大丈夫ですから、続けてください。気をつけをすればいいんですか?」  
「そう? 気分が悪いならあとにするけど……できるのね?」  
「はい」  
「じゃあ、続けるわ。まず気をつけをして。……そうよ。次は手の甲の部分を前にして。……両手を  
前に。……横に真っ直ぐ。十字架の形で。……真っ直ぐ上に伸ばして。……足を肩幅まで開いて。  
……今度は思いっきり開いて」  
 いわれるがままのポーズをとると、そのつど河村看護師の持っているカメラのフラッシュが光った。  
 
一枚だけではなく、フラッシュをたかない写真もとっているようだった。  
「後ろを向いて。髪の毛を上げて首筋を見せてくれる?」  
 ようやく撮影が終わって、舞衣はベッドに腰掛けた。  
「じゃあもう一回横になってね。舞衣ちゃんの患部を清潔に保つためにも、ちょっと変わったパンツを  
してもらわなくちゃいけません。今から着けてあげるね」  
 それが先ほどの聞き慣れない単語の答えだろうか。舞衣はすばやく頭を回転させたが、どうやら  
間違いなさそうだ。  
 河村看護師が持つそれは、外見上オムツのように見えた。  
「それ……オムツですか?」  
 どうせ逆らえないのだとわかっていても、一応質問は続ける。  
「ううん。似ているけどちょっと違うの。そのまましても少しなら大丈夫なんだけどね。でも、これはただ、  
清潔にするだけの、それだけのものよ」  
 いいながらてきぱきと舞衣の股間に装着する。  
「いい? 簡単だから手順はわかるわね? やってみて。自分でも取り外しできるようにしてもらわないと」  
「はい」  
 いわれたとおり、外してから、もう一度着る。特に難しいものではなかった。しかし、いくら別物と  
いっても、オムツに酷似したそのパンツは、舞衣の心を乱さずにはいられなかった。  
「注意しないといけないのはね、これを着けるとき、女の子に触れちゃダメよ。せっかくきれいにして  
いるんだからね。もし触っちゃったときはすぐに私たちにいうのよ」  
 バイ菌がついた手であちこち触っちゃ大変だからねと付け加えた。舞衣はおしりまわりを動かして  
みたが、特に不快感はなく、見た目よりも体型にフィットするものであることがわかった。  
「じゃあ部屋に戻ろうね。ひとまず休憩にするから。お腹すいたんじゃない?」  
「え!? あ、あの服は」  
 現在の舞衣は外見上、裸にオムツをつけただけの姿である。入院患者だから、といっても十代の  
少女がとるには恥ずかしすぎる格好だ。脱いだあとかごに入れた服はそのまま置いてあるが……  
よく思い出せば一つ足りない。  
「あの、パンツはどこに置いてくれたんですか?」  
 河村看護師に脱がされた最も気になる下着だけが見当たらない。  
「あれは検査のために持っていったわ。その代わりじゃない。その特殊抗菌パンツは。ごめんなさいね。  
服はこれ。患者着は用意してあるの」  
 
 そういって河村看護師は隣のかごから水色の布を広げた。どんなものが出てくるのかと一瞬緊張  
したが、広げられたものは緩やかなスタイルのごく標準的なパジャマだった。  
「ズボンはこれ。ゴムを調整するからはいてみて」  
 こちらもゆったりしている。そのおかげで、ズボンをはけば、このオムツもどきも外見はわからなく  
なるようで、ほっとした。上着も着てしまえば一般的な入院患者の姿といえるだろう。  
「こっちの服は消毒して洗濯するからね。乾いたら持っていってあげる」  
 そういって、河村看護師は舞衣が脱いだ服のかごを奥にやった。  
 
 河村看護師とともに部屋に戻ると、先ほどはなかった見慣れぬ物体が置いてある。家具調の椅子の、  
ミニチュア版――というより、手すりと背もたれが極端に低いその独特の形状に舞衣の脳裏にひらめく  
ものがあった。  
(ポータブルトイレ?)  
 近づいて、座板を引き上げると、はたして中には便座があった。  
「さっきもいったとおり、舞衣ちゃんは普通のトイレは使えないの。だけど本物のオムツをつけてって  
いうのもいやでしょう。検査がないときとか、特に指示がないときはそのトイレを使ってください。検査に  
使う尿や便はそのつど採取しますから。あ、場所は適当に移動してね。動かせる重さだと思うから」  
「……わかりました」  
「ちょっと待っててね」  
 河村看護師はそういうと、部屋から出て行ってしまった。手持ち無沙汰で、ポータブルトイレをいじって  
いたが、なるほどよくできている。しかしベランダに面した場所に置いてあるのも落ち着かないので、  
引きずって移動させることにした。いくら外には庭と木々しか広がっていないといっても、ベランダに  
人が出てくることも考えられるし、窓際で用を足すのは勘弁させてもらいたい。といってもドアの横に  
置くわけにもいかず、窓側から見えないようにベッドの横に配置することにした。そうしていると、ドアが  
開いた。  
「お待たせ」  
 河村看護師だった。ドアを開放状態にすると、配膳台を押して入ってきた。つまり、少し早いが、  
これが舞衣の夕食ということだろう。  
「病院の夕食は早いのよ」  
 そういって河村看護師は微笑んだ。  
 
 
(続く)  
 

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