駅へと続く長く急な坂道。ここを自転車でタンデムして走る。それはぼくの日課。
後ろに乗っているのはぼくの幼馴染の少女だ。
「もっと急いでよ! この電車乗り遅れたら次は30分後なんだから、遅刻しちゃうわよ!」
ぼくは応えない。というか応えられない。
高校に入学してからほぼ毎日、こうやって君を自転車の後ろに乗せて駅までの道のりを
タンデムしているけど、二年以上が経った今でもこの朝一の全力疾走はつらいんだよ。
しかも今は七月、太陽の光が無情にもぼくの体力と水分を奪い取っていく。
息切れしてしゃべることなんて到底無理だ。
「ほらもう少し。あっ! 電車来た! 急げ〜!」
ぼくたちの後ろから電車が迫ってきているらしい。普段ならその迫りくる音が聞こえるのだが、
今は全力疾走中だ。聞こえるのはぼくの荒々しい息遣いと脈拍、君の澄んだ声、
そしてさびついた自転車の車輪が出す悲鳴のような音。
駅の駐輪場に着き、見事なターンを決めて駐輪。素早く鍵を引き抜き、チェーンロックを後輪に掛けて走り出す。
全く無駄の無い動作、さすがに二年も同じことを繰り返しているだけはある。
「さあ、ラストスパート!」
駅の構内に入り、制服のポケットから定期を取り出す。すでにベルが鳴っている。
自動改札が導入されていない我が最寄駅に感謝。市内高校の最寄り駅を利用するときに思うのだが、
自動改札は定期を持っている人にとっては無用の産物である。
もちろんこの地方都市の駅たちはスイカやイコカといったしゃれたものとは無縁だ。
ぼくたちが電車に乗り込むと同時にドアが閉まる。それほど利用者の多い路線ではないが朝の通学、
通勤時間なのでそれなりに人はいる。ほかの乗客からの視線が痛い。
「ギリギリだったね」
君はそう言いながらぼくに微笑みかけてくる。
人事みたいに言うなよ。
誰のせいでギリギリになったと思ってるんだ。
最近太ったんじゃないの?
言いたいことはたくさんあったが、今は息を整えるので必死で声なんて出せない。
ひざに手を置き下を向いて肩で息をする。
「ひょっとして怒ってる?」
多少はね。
「ごめん、ごめん。昨日夜遅くまで友達と電話してて朝起きれなかったんだ」
君の寝坊に付き合わされるされるこっちの身にもなってくれよ。
君は昔っからぼくを振り回してばかりだ。
「あれ? けっこうマジ怒りですかぁ?」
けっこうマジ怒りですよ。
「もう! だからごめんって言ってるでしょ。ゆるしてよ、ねっ?」
君は体を傾けながら、下を向いて息を整えているぼくをのぞきこんでくる。
その表情は今朝の太陽よりまぶしい笑顔。ここで負けてしまってはいけない。
顔を上げて、もう怒ってないよなどと言ったら、君をますます調子に乗せるだけだからね。
そのことは君との長い付き合いでよく知ってるよ。
「しょうがないな。じゃあ……」
君の顔が近づいてくる。
君の吐息を頬に感じる。
そして君の唇がぼくの頬に触れた。
やわらかくて、少しひんやりとしている湿った感触。
だめだ。負けてしまった。
「これでゆるしてくれる?」
反則だよ。そんなことをされてぼくが首を横に振れるはずが無いだろ。
ぼくは顔を上げて君を見る。君はさっきの笑顔のままぼくを見つめている。
ぼくは君の頭に手をのせて髪をなでる。そしてこれ以上ない笑顔で君に応える。
ほかの乗客からの視線を感じるがそれはもう痛くなかった。