「ば、ばっかじゃないのっ!?」
三間コオリは最近切り揃えた髪の下で顔を真っ赤にした。
かつては公園と呼ばれていたはずの空き地は廃れて草が生えっぱなしだ。
土が彼女と向かいの男の下で散乱している。
どちらも二十歳を周り三十路に近付く頃合だ。
図体の大きな男は厚い肩を僅かに落としてそれをぼんやりと眺めた。
そして低い息をほうとはいてから、らしくもなく似合わぬ赤面をした。
「…ミコがこう来るたぁ思わなかったわ、俺」
「う、うるさいな二度も言わないで。気の迷い。
ちっちゃいころのね、気の迷いって奴なのよ!
別にそんなだってあたしは硬派だったし、これはそう、あのねっ」
彼女達の下では古いクッキーの缶が泥にまみれている。
開いた蓋の下には色褪せたドロップ缶がふたつきり。
――いわゆるタイムカプセルだ。
太いごつごつとした指の間ではクーピーで書かれた落描き帳の紙が微風に踊っている。
「…『わたしはいつも陽太に冷たいたいどばかりとってしまうのでごめんなさい。
ほんとうはいつかやさしいお嫁さんになりたいとおも』」
「音読するなばかぁあ!!!」
「おっと」
コオリが半泣きで飛び掛り、彼女なりに鍛えた細腕で手紙をひったくる。
ひったくろうとしたというのが正解。
高い位置に持ち上げられた手紙が無情にも背の低い彼女の上でふらふらしている。
「スーツ台無しだぞ。生徒に笑われるんじゃないの」
「ううう」
「それよりこっち、何入れたっけかな。忘れちまった」
じと目で古き恥辱(二十年もの・熟成)を奪い返す機会を狙うのを中断し、コオリがすいとそちらに興を移す。
「えー。陽太のことだから柔道の茶帯とかじゃないの」
「あーどうかな?あの頃はまだ白帯だったはずだがなあ」
比較的体温の伝わる近さで屈む陽太をしばし見つめてから、コオリも同じくドロップ缶に屈む。
ざぐ、と鈍い音がして錆びかけた金属が難なく開く。
夕も暮れ掛けた薄暗さに良く見えず、二人で腕を寄せ合い覗き込む。
先に女の方が丸い肩から身を硬くして真っ赤になった。
「……ようたー。なんなのこれぇ」
「あー。忘れてた、これか」
気まずそうに熊みたいな図体を脱力させて陽太が呻く。
小学生というのは無邪気で怖いもの知らずでなのに無駄に助平なのだ。
「笛ガムとかじゃないわよね…」
「開けてみるか?」
「だーれが屋外でコンドームなど開けるかー!」
すぱーんとチョークを投げる如く素晴らしい手首の返しで高等部に平手が決まる。
コオリの引っ叩くタイミングも力の入り具合も、手先の女っぽさが加わっただけで二十年前と変わりない。
昔は陽太のほうがいつも彼女に振り回されていた。
去りかける手首をなんとなく掴んで陽太が幼馴染を無言で眺める。
コオリはそれで突如として顔をそむけて真っ赤なままわめいた。
小学生を指導する立場にあるものとは思えない表情はかつてここでなんども夕陽を浴びていたものだ。
「ああもうなんなの!?これ埋めたとき小学生だったはずでしょう!
すけべ!エッチ!何でこんなの、へ・ん・た・いー!」
「兄貴に冗談でもらったんだよ。そう怒るなって初めて見るわけでもあるまいし、だいたいつけてくれたこ」
「うるさいうるさいうるさいっ」
本来なら自身が恥ずかしさのあまり自己嫌悪になるところだったはずが、
あまりに相手が取り乱した結果、男の方がどんどん肝が据わってしまった。
コーチとして引退しているとはいえまだ本番になると落ち着きがやってくる体質は去っていない。
いざというときになると途端にパニックになりだす幼馴染とは絵に描いたように正反対で、だからこそずっと一緒にいたわけだけれども。
掴んだ手首をそのまま引き寄せて顔を近づける。
「…言っとくけどな、ミコと結婚したいんだけど何か道具になるものないかって聞いたら兄貴がよこしたんだ」
「う、そ、そんなの、言い訳にならな」
「折角だから使うか?今」
沈黙が夕陽に消えた。
息が弱々しく震える。
コオリが薄い化粧の奥から肌を赤らめ、小さな声で呟いて体を押した。
「…そんな昔の、危ないに決まってるでしょ」
「冗談だ馬鹿」
「あたしに一度も成績でかなわなかったくせに、えらそうに」
そしていつ切り替わったか歳相応の笑みで女性が唇をほころばせ、軽く男の口を塞いで愛しげに吸った。
首に絡めた腕をほどき、柔らかな身体を抱かれるままに自ら寄せる。
「陽太には冗談にする権利なんかないのよ。いつまでだって」
「そう来ると思ってた」
微かに欲情で笑いが震え、男は女性の髪を掻き乱した。
陽が峠に沈んだ。
タイムカプセルの空き缶が、湿度のある匂いと何かの動きに弾かれてころころと転げた。