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                    〜 7++ 〜  
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 ──カッ、カカッ、カカッ  
 
 俺には分からないどこかに向けて、朱奈はリャマを進ませている。  
 
 二人とも皇館を出てから終始無言だった。  
 朱奈が見せた激情の名残がそうさせたのかもしれないし、  
 ただ単にお互いがお互いを盗み見合っているだけなのかもしれないが。  
 
 来た時と同じように、道の両脇には等間隔で蛍光柱が並び、  
 幾らか強さの増した黄緑色の光がぼんやりと地面を照らす。  
 
 
 
「なあ、朱奈…」  
「……」  
 朱奈からの返答はない。  
 それでもなんとなく、だらだらと話したい気分だった。  
 
「朱奈を拾ったときのこと、言っておいてもいいかと思うことがある。  
 ……俺は決して助けようと思って家へ連れ帰ったわけじゃない」  
 俺はかなり周りくどいと、よく周囲から言われる。  
 言いたいことはさっさと言え、と。  
 
「ひどい魔が差したというか、  
 あ、いや、この言い方だと悪いことをしたような感じがするな……。  
 あー……衝動買い…、のようにね。  
 なんだか分からないけど、持って帰ってしまったんだ」  
 しかし、色々と話すことで見えてくることもあると、俺は思う。  
 
「そこからは朱奈も知っているだろうけど、一応介抱らしいことはした。  
 しかし、俺はそれまで犬や猫など飼ったこともなかったから、  
 本当に、適当にやっただけなんだ」  
 まっさらの自分を見て欲しいというのは、ひどい傲慢だが、  
 少しだけでいいから、知って欲しいと思うのはそうではないはずだ。  
 
「もし、あのままぐったりとしたままだったら獣医を呼んできただろうし、  
 もし、飼主を探そうなんて気になったらそうしていただろうし、  
 もし、野生に返そうなんて思い立ったら、父に頼っていただろうし」  
 俺にとって朱奈はすでにそういう存在だった。  
 人間とピューマだった頃から、『ヒト』と『人間』になった今でも。  
 俺は朱奈のことが知りたいし。  
 朱奈に俺のことを知って欲しい。  
 
「ただ、あの時の状況が朱奈にいいように運んでいただけで、  
 朱奈からすれば都合の悪いことになったかもしれない」  
「……」  
「もちろん、それは俺の身勝手な思いであって、  
 おそらくそうなった時には、朱奈にとっていいことをしている気になっているはずだ」  
「……」  
「だから…その…俺に遠慮なんてすること、無いんだ」  
「……」  
「自分の立場を傷つけるようなことを、して欲しくない、朱奈。  
 せっかくの母娘の関係を崩すようなことを、して欲しくない」  
 
 
 
「朱奈が俺のことを大事にしてくれているのは、  
 分かりきってる──うぬぼれ、かな」  
「そんなこと、ありませんよ……うぬぼれてもらって、かまいませんよ?」  
 ようやくにして、軽やかな声が呟いた。  
 それでもその声音は深い何かを含んでいるように感じた。  
 
 しかし、今の俺では彼女の心の内を探ることはできない。  
 とりあえず、会話のきっかけを生めたことを喜ぼう。  
 
「……この世界は、朱奈の世界なんだから、  
 自分を一番大事にしたって誰も文句は言わないはずだ」  
「まあ……それでは、フユキは一体何番目に大事にいたしましょうか」  
「え…ぅ…隅っこの方で、いいよ」  
「フユキは謙虚ですね」  
「というか、その質問は反則だろう、朱奈。  
 変数が式に対して多すぎる。  
 だいたい、解を導き出すとしたら『傲慢』と『謙虚』しか出てこないだろ」  
「ふふふ……『自惚れ』てもらって構いませんよ?」  
「む」  
 
 
 
 ──カッ、カカッ、カカッ  
 
 己に乗せられた鞍の上で、何かと何かがやや大きめに左右へ傾ぐ。  
 硬くなめした皮製のそれに体毛が巻き込まれて、  
 彼はひどく機嫌を損ねた。  
 鼻息一つ、わざとらしく伝えると、  
 主人は口先だけの謝罪を繰り返し、また楽しげに笑い出す。  
 
 なんだかむしゃくしゃして、胸のむかつきごと下品に一つ、げっぷを吐き出した。  
 しかし、それすら主人とその連れには面白いらしく、  
 彼はもう、心底どうでもよくなった。  
 早くかさかさに心地よい干草の寝床に体を横たえたい。  
 
 そこで彼は気づいた。  
 太陽が沈むまで丹念に整えた寝床も今頃古びた女房に占領されているだろう、と。  
 この疲れた体を労わってくれるのが、どろどろに汚れた干草と女房の糞であるならば。  
 ……。  
 どうしてやろう、こうしてやろう、ああしてやろう。  
 決して実行できるはずのない作戦を練るのが彼の精一杯で、彼の日常でもあった。  
 
 
 
 
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〜 8- 〜  
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 幼子の館【エルクェ・ワシ】。  
 
 国営のその保育施設は、夜時に訪れると不思議な威容を伴う。  
 昼時の好ましい騒がしさを自然と思い返して、  
 その差異に「何かいるはずのないモノ」を漠然と感じるからかもしれない。  
 平屋が多いこのキンサンティンスーユで、  
 階層が多いというのはそれだけその国にとって重要である事を示す。  
 
 一階部分はいくつもの教室で占められ、各々は漆喰の壁できっちりと隔てられる。  
 学習用の器材だけでなく遊具や寝具をも備え、さながら幼子たちの砦のようだ。  
 
 二階部分は逆に保母たちの準備室。  
 自分たちの受け持った教室の真上にあるらしいが、詳しくは明かされていない。  
 防犯上の理由とも、貴人たちにしか分からぬ呪術的な理由からとも言われている。  
 後者は割りと眉唾であるが。  
 
 ここまでは『あちら』の一般的なそれとかけ離れてはいるまい。  
 しかし大きく様子を違えるのは、その大きさと形。  
 
 『あちら』にある『スタジアム』という建物をご存知だろうか。  
 エルクェ・ワシはその特大スタジアムの如き、二階層の建築物と思って欲しい。  
 『グラウンド』部分は子供たちの遊び場たる中庭で、  
 『観客席』は一つ一つ区切られた教室となる。  
 上空から観察すれば、ちょうど視力検査のときに見られる、  
 ひとかじりした黒いドーナツを思い出すことだろう。  
 
 これは勿論だが、エルクェ・ワシは他にいくつかあることも記しておこう。  
 
 そして──説明が長くなった。  
 
 最後の舞台はその幼子の館からさらに広がった同心円上に数珠のように並ぶ、  
 保母たちの宿舎のうちの一つ。  
 朱奈にあてがわれている、一軒の平屋へと──  
 
 
 
 
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〜 8 〜  
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 また、ふわり、と。  
 一陣の風が部屋を通り抜けた。  
 
 どちらかと言えば暑い気候のせいだろう。  
 朱奈の家は風通しがかなり良く、すっきりと。  
 また、柱や廊下などがどことなく和風な木造家屋を彷彿とさせる。  
 一方日本なら大きな襖やら障子やらが思い浮かぶが、ここでは部屋を蒸し暑くするだけだろう。  
 その代わり、目が粗い簾のような垂れ布が部屋を隔てている。  
 
 プライバシーやら色々気になるヒトもいるだろう。  
 しかし、これは治安の良い証拠であるし、隣の家の明りは見えもしない。  
 なにも問題はなさそうだ。  
 
 今、泳いだ視線の先で垂れ布がふわりと舞うのが見えた。  
 
 彼女の心尽くしをちびりとあおる。  
 そして、ほどよい酒気もあってか、料理を口に運ぶ手も止まらない。  
 しかし黙々と食べ続けているのはそのせいだけではない──間がもたないのだ。  
 
 いつの間にか、正面にいたはずの朱奈は俺の左隣に座っている。  
 ……これもまた俺の部屋にあったものを参考にして、造ってもらったらしいが、  
   こちらでは今俺が座っているソファのようなものを【フォチクィ】と呼んでいた。  
 そのフォチクィに身を沈め、朱奈は俺の左腕を抱え込む。  
 さらに左肩には頭がことりと預けられている。時々、ピューマの耳が掠めたりした。  
 自分以外の体温が、それも女の子の体温が密着していて、  
 しかもそこに女の子だけの胸のふくらみが接しているともなれば──  
 
 
 
 やや時間を遡る──  
 
「う、わ……」  
 賛辞の言葉すら忘れて俺は見入っていた。  
「簡単なもので申し訳ありません」  
 朱奈も最後の陶器皿を置くと、向かいに腰を落ち着けた。  
 「はい」と取り皿を渡されて、俺はのそのそと受け取る。  
「これ……すごいな……」  
「フユキのお口に合えば何よりです」  
 実に素晴らしい。  
 何をそんなに感動しているかというと。  
 
「クイとユンカのトマトソース和え……ワイコのそら豆ワッティア……  
 イサーニョの甘辛煮……各種セビチエ……になります」  
 少しだけ照れたような顔で説明してくれた。  
 
「これ……『あちら』の料理にそっくり、だ」  
「えっと……見様見真似ですから、味のほうはあまり自信がありませんが」  
 液体の入った瓶を差し出され、とっとっ、と注がれた。  
「その上、あまり節操のない組み合わせで」  
 
 一品目……肉類とコーンのトマトソース和え。  
 二品目……サツマイモのそら豆スープ。色が緑だが香りは味噌汁。  
 三品目……ジャガイモの甘辛煮。見た目は芋の煮っ転がし。  
 四品目……串に通してあるが、どう見ても魚の切り身。お刺身だ。  
 
「食べられそうなものだけ、おつまみにして下さい、ね」  
 なみなみと注がれたぐい飲みのような器からは、濃厚な酒精の香りがする。  
 チチャ酒というこちらでは一般的なアルコールらしい。  
 
 手元と、食卓と、朱奈の顔とをうろうろと見比べる俺を、朱奈は穏やかに見つめていた。  
 おそらくこの料理たちは、『あちら』に浮幽した時に、  
 俺が食べていた物を覚えてきて朱奈が『こちら』風にアレンジしたものだ。  
 
 そう気付くと、体にカッと燃料が入ったように熱をもった。  
 
「いらっしゃいませ、フユキ」  
 
   ── 「『こちら』の世界に、いらっしゃいませ、フユキ」  
 
「ありがと、朱、奈」  
 声が詰まるのを全力で阻止する。  
「これからも……よろしく」  
 引っ張られるように頭が下がった。  
 
 
 
……そして今に至る。  
 知らぬ間に、俺が呆けていただけか、朱奈が隣にいるこの状態。  
 それなのに朱奈は特別何でもないという顔をしているし、  
 俺だけが騒ぎ立てても、意識し過ぎなようで踏み込めない。  
 
 
 
「朱奈」  
「何ですか? フユキ」  
「……うまいな、これ」  
 我ながら芸のない台詞だ。  
「ありがとうございます。ちなみにそう言うのはもう三度目になりますよ」  
 からかいが入ってるのが分かる。  
「そうか」  
 そしてまた、さぁっとそよ風が通り過ぎた。  
 
「朱奈!」  
「はい、フユキ」  
「朱奈も飲んだらどう?」  
 飲んで朱奈が眠くなってでもくれれば──  
「あまり頂きすぎると、ニヤトコに障りますので」  
「あ、うん。そうだったな。朱奈にはお役目があった」  
 
 はい却下。頼りない液体に腹いせと、一口でチチャを飲み干した。  
 これまた即、酒を注ぎに朱奈の手が伸びるが、器をちょっと右に置いたせいで届かない。  
 おお。無意識だけどエライ、俺。  
 これで朱奈は酒を注ぎに俺の腕を離して──  
「うぅっ」  
 ──はくれず、さらに胸を押し付けるようにして注がれてしまった。  
 
「どうしました?」  
「……少し、腕が痺れて」  
 まさか、やわらかなふくらみがどうとか言わない。言えない。  
「まあ、お疲れのようですね」  
「うん。今日は色々ありすぎたから、かも」  
 
 本当に今日は長い一日だった。ほんのひと時、数々の驚きを振り返った。  
 だから──  
 
 隣で朱奈が何か考え込むように目を伏せ、物悲しく微笑んだとは、俺は夢にも思わなかった。  
 
 
 
「フユキ」  
「うん、何?」  
「わたくしは小さい頃、前皇陛下の御所にたびたび遊びに行きました」  
 
「……」  
 いきなり話が飛んで面食らう。  
「前皇陛下ということは、朱奈のおばあさん?」  
 肩越しにしゅっと、頭が服にこすれて縦に振られたのが分かる。  
 三角形の耳も同時に微風を送る。  
「毎回お菓子を頂いてしまってそれはもうおいしくて、嬉しくて。  
 何かお返しがしたいと思い、お背中を揉んで差し上げたところ大変喜んで頂けました」  
 再確認。この娘は本当にいい娘だ。  
「ですから、わたくしは手揉みには自信があるのです。お疲れのフユキにも是非とも」  
「え、そんな。朱奈だって疲れてるだろ」  
「してあげたいのです」  
 またぎゅうっと腕を抱え込まれた。  
 勢いに釣られて咄嗟に朱奈をほんの間近で振り返り、  
 視界の隅でたわんだ眩しい双丘とその谷間を垣間見てしまい、  
 これまで意識しないようにしていたところにナニカが集中する感覚。  
「わ、分かったっ! それじゃ頼もうかなっ」  
 この手を離してくれるなら何でもいい。反射的に答えていた。  
 
 
「それでは、行きます」  
 俺はゆったりとしたフォチクィにうつ伏せになっていた。  
 背後で布地がきしっと沈み込む気配、次いで肩の辺りに朱奈の両手が添えられた。  
 中腰になっているのだろう。ぐっと力が加えられ、その体重ののった負荷はけっこう重い。  
 そして背骨を重点的に圧したり、リズムよく左右交互に沈んだりして相当気持ちいい。  
「う、あ……いいよ、朱奈」  
 自然と目は閉じ、口からはため息が漏れる。  
「んっ……んぁ、それは、なによりっ、です…んんっ」  
 そのこめた力のせいか、朱奈の口からはヘンな声が出ている。  
「フユキのせなか。意外と……たくましい……」  
 心地よい圧力は次第に腰へと下りてくる。その分肺は楽になった。  
 さらに深い安堵を吐き出した。  
「本棚の、整理、好きだから、あぁ……かな。分厚いほ…んっ、たくさんあるし。  
 朱奈も知ってる、だろ」  
「ふふ。はい、フユキ。んっ……」  
 あの地震と火事では到底無事ではありえないだろうが、俺の部屋の隣は丸々一室本だらけ。  
 ピューマの朱奈をそこで遊ばせていたことがあるわけで。  
 
 やがて、  
「……」  
 やや不穏な空気を感じる。少し様子がおかしい。  
 朱奈ではなくて、俺の。  
 肩から背中、腰に至るまで大変きもちいいのだが、ひねるような円運動のせいで──  
「んくっ、んっ、んっ。気持ちい……ですか?」  
 朱奈のこの上擦ったような甘やかな声音で──  
 不覚にも一箇所、ヨコシマな血が流れ込んでいた。  
 一度朱奈の声から「女の子が感じている時の声」を連想してしまうと、もう止まらなかった。  
 背中にまたがる彼女からは分からない、そう分かっていつつも、  
 鼓動からしてみるみる速まってしまう。  
 
 
 
 そして、  
「次は前の、方も……」  
 
 耳を大きく疑う。ぎくりとする間もなく朱奈の手が両脇からすすっと腹側にまわっていく。  
「いや、まずいってっ!」  
 ようやく焦って手のひらをつき、上体を起こすが、転瞬。  
「ぅあ?」  
 ぐるっと体を返されて景色もひっくり返る。  
 やわらかいフォチクィのおかげで体は何事もない。  
 しかし、仰向けになって拓けた目に飛び込んできたのは、とんでもない、大事だった。  
 
 
 
「あっ。フユキの…こんなに……ぁ、もっ…と…?」  
 幾分ゆっくりとした朱奈の声はつい先ほどまで背中で聞いていた声と変わらない。  
 けれども、彼女のその有様は俺の不粋な妄想そのもの、いや、それ以上だ。  
 
 いつの間にか上衣も下衣も、袖裾丈全てが極端に短く。  
 桃色の蕾と、朱色の陰りが透き通るようで、『あちら』で言えば極薄のキャミとショーツだ。  
 そして鳶色の視線といえば俺の股間にまじまじと注がれ、  
 紅く照る唇はぺろりと一度だけ上側を舐めた。  
 
「朱奈っ!何て──」  
 煽情的すぎる様相にばっと目を逸らした。  
「驚かせてごめんなさい、フユキ。気持よく……できてました?」  
「……!」  
 息が詰まってどっちをどう答えたらいいのか分からない。  
 それに、いきなりの成り行きを謝っても、己の服装その他に頓着していない──  
 そんな朱奈の不可解さにも当然、俺は気づけない。  
「すっ、すぐ退くっ」  
 下半身でテントを張り上げて、晒してしまったことがただひたすらに恥ずかしい。  
 身を捻って文字通り朱奈の下から逃れようとするが、  
 
「お厭…?」  
 両肘をがっちりとつかまれて動けない。  
 見かけとは裏腹にこもる力はかなり強く、  
 それでいて離そうと力を入れてもさらに強く握られるだけだろう。  
 そう直感するだけの余力が朱奈にはあった。  
「気持ち…よかったの、ですよね?」  
「……まあ、うん」  
 
 ……昔ある生物の講義を受けたことがある。  
 犬に電気ショックを与えたとすると、もちろんその犬は刺激から逃れようと抵抗する。  
 しかし全身をがっちりと固定し、あらゆる反抗を封じ込む状況に追い込むと、  
 その犬は全身を電気による痛覚に苛まれているはずなのに、一切の抵抗をしなくなる。  
 全てを諦めたような行動を取ると言う。  
 
 今の俺はちょうどその状態に近いと言えるのではないだろうか。  
 ゆるゆると顔を正面に戻し、逆光に近い朱奈を仰ぎ見る。  
「うれしい」  
 鋭い目元をさらに細めて無邪気な表情。  
 なのに、それはひどく、不均衡。  
 
「わたくしも……いい、ですよっ…んぅ」  
 すっと朱奈の腰が跳ねるように動き、その光景にはっと息を飲む。  
 下腹をわずかに覆うだけの小さな白い逆三角形には、蛇のように朱色の尻尾が這っていた。  
 見た目にそれと分かるほど先端付近はてらてらと濡れ、  
 頂点を擦ったり弾いたりするごとに妖しく体がくねる。  
「フユ、キがっ……っ…見っ」  
 いつから行われていたのか分からないが、俺の妄想はまったくの外れではなかったと悟る。  
 湿ったような水音と、小さくて熱い吐息とに魅入られて、艶かしさをごくりと飲み込んだ。  
 
「それでは……っ」  
 ぎしっ。  
 朱奈の重心が移動し、蛍光を遮った。  
 その影に、俺はようやく朱奈のそこを凝視していたことに気づいた。  
「あー。えっと、その」  
 しかし意味不明なほど頭が働いてこない。  
 辺りが暑い感覚を覚え、それが自分の顔から出る熱だと気づいた時には、  
 何故かだんだんと上から近づいてくる鳶色の瞳に吸い込まれてしまっていた。  
 
 そして、腰から下では水に濡れたブラシのような感触がずりずりと、  
 アワスカを器用に脱がせていくのを呆然と感じるばかり。  
 
 朱奈の唇が動き出す。  
「サヤ・クサ様。ご照覧あれ」  
 "ぴちゃ"  
 まったく経験なんてないけれど、そこが朱奈と俺が一緒に気持ちよくなれる場所だと感じられる。  
 そして自分以外に触れて初めて分かる。  
 それが射精間近のようにぎちぎちと膨れ上がっていること。  
「ニヤトコの儀」  
 さらに、唇を触れ合わせるように。息はもう、触れ合っている。  
 "ぐちっ"  
 さらに、沈み込んだ。  
「これより」  
 刹那。  
 俺と朱奈は二つの唇へと互いに押し入った。  
 
 
 
 
 
「ん────!」  
「ん────!」  
 体中が隅々まで沸き立つ。  
 朱奈の膣内は熱くて、ぬるついていて、狂おしいくらいに気持ちいい。  
 二人の腰は強く接合してしまって動くに動けない。  
 それでも動きたい。気持ち良く、もっと。  
 自由な肘から下を跳ね上げると、触れた朱奈の滑らかな肘を握り締め、  
 押さえつける彼女の肢体を突き上げた。  
「んんっ!」  
 狭道を、それこそ1cmも擦れていないだろうに、それだけで快感が倍加する。  
 
 一方朱奈も太腿を締め上げ、ただでさえ狭い膣内をさらに捻りこんだ。  
 さらに攻めは止まらない。  
 逆に俺の口内に押し挿っていた朱奈の舌が這い回り始めた。  
 歯茎をでたらめに突き、俺の舌を誘う。  
 二つの舌はようやく出会えた恋人たちのように絡む。  
「んむっ!」  
 今度は俺が悲鳴を上げる番だった。  
 自分で触れてもくすぐったい敏感な上顎の裏をざらざらと舐められる。  
 我慢できなくて向った俺の舌は、彼女のそれに己の主人と同じように押さえつけられる。  
 そしてなお、無駄な努力と嘲笑うかのように上顎をくすぐられた。  
 
「ぷはっ」  
「ふふっ……」  
 もう降参だ、と朱奈の肘をぺちぺちと叩き、  
 睦み合っていたお互いの唇は銀糸を引きながら離れた。  
 息苦しさから急に解放されて、がっつくように空気を取り入れる。  
 
「はっ…はっ…はっ…」  
「フユキ。口を深く吸い合う時は、鼻で息をしませんと、ね?」  
 さも可笑しそうに彼女は笑う。  
 もう何度も見た、ふわりとからかうような笑顔なのにぞくりとする。  
 ただ唇が濡れている、それだけで。  
「こんなに、零して」  
 頬にちゅっと音を立てて唇付けられる。気づけば口の端から唾液が零れていた。  
 つまり、口内にたまっているのは朱奈と俺の──  
 なんだかひどく恥ずかしくて、そっと飲み込んでみた。  
 味なんて変わらない、けれども。  
「朱奈の……味」  
「……はい」  
 恥ずかしさが伝わったのか、朱奈もはにかむように。  
「わたくしも、フユキの、味」  
「ああ」  
 今度は両者が同じくそうしたいと願い、その願いは当然の如く叶った。  
 
 二回目もまったく容赦がない。  
 唇も使って朱奈の中に吸い込まれ、思うがままに翻弄される。  
 逆に上顎におずおずと這い寄ってみれば、これもまた敏感な舌裏をくすぐられ、  
 たまらず口付けを離して撤退すれば、一回目のように頭を押し付けられて侵攻された。  
「ぁん」  
 苦し紛れに動いた手が、張り詰めた小粒に触れた。  
 朱奈は思わずといった感じで背をくんと反らせ、その反応に俺は少しだけ気を良くする。  
 乳首を刺激されるのは朱奈の意ではないらしく肘で邪魔してくるが、  
 俺の肘を掴んだままではうまくいかない。  
 続けてその蕾を薄い下着越しに弾いてあげると、  
「はあ、フユキっ。んっんっんっ」  
 眉間に少しだけ皺が寄って、それがすごく可愛い。  
 加えてその高く上擦った声が、胸の奥を燃え立たせる。  
 もっと、もっと聞きたい。もっと気持ちいいって、教えて。  
 
「やぁっ。いけま、せん……いけませんっ……」  
「だめだっ。 止まらないっ……て!」  
 一旦止まっていた突き上げも再開する。  
 相変わらずぎゅうぎゅうと膣に握りこまれていて抽送はわずかだが、  
 ふと俺は思い出していた。  
 女の子が最も感じるところが、お互いのぶつかり合う付近にある、と。  
「『あちら』で、はっ。クリトリスって……言うぞ、ここっ」  
「あ、あ、ぁ、あっ! だっ、めぇっ!」  
 朱奈のそこは傾いだ上体に阻まれて見えないが、知識しか頼れる手段がない。  
 必死に腰を動かしてぐりぐりと抉る。  
 その時にはもしかしたら彼女は痛いかもしれない、などと心配する余裕など欠片もなく。  
 
 
 しかしそんな拙ない律動も、そのうちどうでもよくなっていた。  
 熱い朱奈を行き来するほどに、自分の快感だけがクリアに澄み渡る。  
 最奥に眠る最高に気持ちいい爆発を、朱奈の最高に素敵な旋律とともに味わいたい。  
 ぐうんと反り返るような悦楽に手を伸ばして──  
 
 
 
「んがっ!」  
 おおよそ、男女が絡まりあう時に相応しくない奇声が自分の喉から飛び出した。  
 それも当然だ。  
 ケツの穴に何かを突っ込まれる経験なんてないのだから。  
「は、ふ。おいたは……それまでになさい、ませ、フユキ」  
 はい、犯人はこの人らしいです。  
 
 俺は強制的に律動を止められ、朱奈は息を整えながらも落ち着きを取り戻していた。  
 しかし突っ込まれた本人はそれどころではない。  
 衝撃にぱくぱくとあえぐだけ。  
「シュナサン。コレ、イタイ」  
 朱奈は悪戯っぽく喉でくくっと笑う。  
「わたくしの尻尾です。危ないところでしたから」  
 これの方がよっぽど危険物だと思うんだ。立派に。  
「フユキはまったく油断がありませんね。放っておくと何をするか分かりません」  
 
 そこで彼女は一旦ふいっと視線を泳がせた後、  
「ですが。先ほどのフユキは……すごおく熱っぽくて、激しくて、……ふふっ」  
 片手で頬をついっと撫でられた。  
 朱奈にとっては何気ない動作だろうが、快感を貪った自分の衝動を揶揄されているようで、  
 かあっと血が昇るのがありありと感じられる。  
 
「でも」  
 するすると胸元をはだけられ、  
「これよりはわたくしにお任せを」  
 そんなことを呟いた朱奈に再び腕を拘束され、ゆっくりと半裸の肢体が動き出す。  
 ぬるま湯のような気持ちよさが、じわじわと広がって行く。  
 しかしそれは比較の問題。  
 過敏に過ぎる肉全体を膣襞がぐじゅぐじゅと蠢いて止まらない。  
 思考が霞む。瞼を落として意識を痺れに埋めた。  
 本能に従って腰が持ち上がり、自分にとって一番いい体勢を取ろうと動く。  
「イきたい、ですか?」  
 頼りない浮遊感の中、俺は首肯した。  
 
 
 
「ならば誓いなさい、フユキ」  
 その声は何処までも優しく慈しむが如く。けれども。  
「あなたは、このサヤ・ピスカ・ピュマーラの『奴隷』である、と」  
 霞んだ朱奈の表情は冷徹ささえ感じられた。  
 
 ── 『奴隷』。  
 
 その音の意味を理解した途端、全身の産毛を悪寒がちりちりと苛立たせた。  
 この感覚はそう、二度目だ。  
 獣頭の男に何やら含められ、その後朱奈の手で触れられた時だ。  
 
 (── 挿れて欲しいってー匂いがぷんぷんしてるだろうが。  
     皇族ったって何も変わらねぇ。ヒトと見りゃそーゆーことさせる気満々だ──)  
 
 あの男の不愉快な物言いを思い出した。  
 しかし、今覚えた不愉快な悪寒はそれだけではない。  
 
「さあ、フユキ。誓うのです。其は何ぞ?」  
 目の前で妖艶に身体を揺らす朱奈の口から、  
 ……あの男が俺をそう、呼んだように、  
 ……「『奴隷』的な扱いこそ受けませんが」と言ったくせに、  
 奴隷になれと零れるのが疑いようもないからだ。  
 
── 思えば、俺は何をやっている。  
   俺と朱奈はどうして、こんなことになっている。  
 
 こちらで目覚め、とてもよくしてくれた朱奈。  
 こちらの世界を何一つ知らない俺に万事を噛み砕き、心配いらないと言ってくれた朱奈。  
 『落とした』ことを詫び、俺はそれを許した。そのとき流れた、涙は一体。  
 
「黙するだけでは答えになりません。諾か否か。発するのです、フユキ」  
 ふつふつと沸いてくる感情。  
 それは果たして悔しさなのか、怒りなのか、それとも悲しみなのか。  
 俺に対してなのか、彼女に対してなのか。  
「いい加減に──」  
 無理やりに眦を吊り上げ、  
 
 突如。  
 ずんという衝撃が俺の機能一切をせき止めた。  
「かはっ……」  
 内腑からの雷光が肺を直撃し、喉を全開にして喘ぐ。  
 菊門に潜り込んでいたその物体をすっかり忘れていた。  
 息を殺した捕食者が、好機を捉えて飛び掛ったように。  
 それが腸内を抉った痛みだった。  
 思考が吹っ飛び、ひたすらに耐える。  
「許しません。諾か否か、それのみ発しなさい」  
 朱奈の尻尾は何かを探るように蠢き、違和感から逃げるように俺はのたうった。  
 
「仮に、諾ならば」  
「あああっ!」  
 恥も外聞もなく声を高く荒げた。  
 これまで経験したどんな快感より巨大な質感が脳を埋め尽くす。  
 寄せては返……さない。白い波が次々と襲い掛かる。  
 全身がぶるぶると震え、肛門から……否、前立腺を物理的に愛撫される未知の刺激に狂った。  
 
「わたくしの四肢はフユキの物。悦楽を望む、ままに」  
「……っ! ……っ!」  
 ともすればだらしなく広がる歯を食いしばり、朱奈の顔に視線を投げつける。  
 慈愛に満ちたようなその声音とは裏腹な、冷たいまでの無表情も、依然としてそこにあった。  
「朱奈ぁっ!」  
 そう叫んだところで、何を続けるつもりであったのか。俺自身にも分からない。  
 しかし猛々しく水位を増す射精感に溺れたくはなかった。  
 浮き輪代わりに手当たり次第、感情を呼び覚ました。  
 
 ──「おはようございます、フユキ」楽しげに白い歯がこぼれた。  
   「…頬の味も」呟いてはにかんだ。  
   「笑うとは何事です!」顔をその髪に劣らず真っ赤にして怒った。  
 
(それなら、今の朱奈は?  
 朱奈であって、朱奈で、ない気がする。  
 でも、それでも俺は──)  
 
 ──「わたくしの大切な、方です」一筋だけの透明な雫が辿った。  
   「『こちら』を嫌わないで、下さいまし……」顔を曇らせて、ありもしない罪を悔いた。  
   「辛かったっ、…ですっ!」俺の肩にすがりつきながら、許しを請うた。  
 
(何だろう、このもどかしさ。  
 俺は何を想う。手が届きそうで届かない。  
 もう少しで理解できる。俺は朱奈を──)  
 
「っはあああっ!」  
 焦点の定まらないぼやけた視界が戻ってくる。  
(このっ! もう少し、だったってのにっ)  
 しかし、何かをつかみかけたところで意識を奪われた怒りはすぐさま霧散した。  
 桁を違えた快感が怒りを弾き飛ばす。  
 なかなか出てこない返答に業を煮やしたのか、包まれた屹立が、奔流の如く噛り付かれた。  
 快感の中枢を裏から表から、隙間ない挟撃はみるみるうちに激しさを増す。  
 真夏に晒された氷のように俺の正気を溶かし、  
 核たる雄をさらけ出し、  
 剥き出された雄は出口を求めて、尿道を駆け上り──  
 
「あ……」  
 盛んだった情動はいきなり止まる。  
 口からは情けないことに、何とも頼りない吐息が漏れる。  
 慌てて口を噤んだ。  
「誰の膣に精を出せるとお思いですか?」  
 水位を下げる射精感を逃すまいと、  
 小突き、煽り、突き放す。  
「うっあぁ!」  
「我を忘れて、おしまいなさい。イきたいのでしょう?」  
 射精できそうで、できない。  
 残滓は次第にその量を増し、鬱屈したむかつきが頭を揺らす。  
 信じられないが朱奈はそのポイントを明確に見抜き、恐るべき膣で俺の未熟な雄を嘲笑う。  
 その都度、意識は端から削り取られて、足場はもう、ない。  
 
「だ……」  
「だ?」  
「出したい……」  
 息も絶え絶えだ。  
 救いを求めて見上げても、「どうしたらいいのか、お分かりでしょう?」と、  
 鳶色の瞳は無言の圧力で何の輝きも映さない。  
 
 (もう限界だ──言えば──言ってしまえば──気持ちよく──言って──イって──)  
 
「朱奈、の……」  
 
「……奴隷で、いい」  
 
 認めた。  
 ぐきっと、痛みが胸に刺す。  
 ほんの一瞬の吐露であったが、この胸の楔がはますます深く潜り込む予感というか直感というか。  
 これから俺はことあるごとに思い出すだろう。  
 状況なんて関係ない。  
 お前は奴隷だという焼鏝に、己から身を差し出した、その事実。  
 
 変わらない、何も。  
 (お前は本当に、辛い現実から逃げるのだけは天才だ)  
 もう一人の自分が語りかけるようだ。  
 俺という人の根底にある卑怯さは、醜く肥え太ることはあれど消えることはない。  
 
 
 
「……っく」  
 ふと腕の戒めが解かれた。  
 菊座を埋めていた栓も独特の違和感を残して去った。  
 激しかった朱奈の肢体も、もう動かない。  
「フユキ」  
 朱奈の上体が傾き、俺の脇に肘をつき、支える。  
 息が触れ合うほど密着した朱奈の顔は硬いまま。  
 次いでぬかるみの中から引き抜かれて、ひやりと俺の欲望が空気に触れた。  
「どうぞ……イきたいので、しょう?」  
 半分胡乱な頭に呪いのように響き、浸透する。  
 
 
 
 ──飢えに飢えた一匹の雄が、呼応するように首をもたげた。  
 
 (ハァ……ハァ……)  
 からからの口内を粘っこい唾液で湿しながら、恐る恐る朱奈の太腿に手を伸ばした。  
 朱奈からの反応はない。逆に頤を少しだけ引いて頷いた。  
 初めは伺うように、そして徐々に強く、弾力のある肌に指を食い込ませる。  
 
 (ハァッ…ハァッ…ハァッ…ハァッ!)  
 耳元で大鐘を突かれたように痛いほどの鼓動を感じる。  
 身じろぎする振りをして、飢えたその器官を少しだけ突き上げると、  
「んっ」  
 かすかな、本当にかすかな雌の嬌声。  
 
 (……ドグンッ!!)  
「うああぁ……うああああっ!!」  
 それは縛縄を食い千切るには充分すぎる合図。  
 今度こそがっちりと、弾性に富んだ太腿に爪を突き立て、力の限り雌の膣を食い破った。  
 
「ひゃん! い、たっ……」  
 めちゃくちゃに朱奈の膣内を攻めたてる。  
 朱奈の額に逆光でもはっきりと分かる歪みが、痛覚によるものだろうと関係ない。  
 血管が薄く浮き出る喉首が鮮やかに翻る。  
 この俺にも牙があるならば、間違いなく突き立てていたことだろう。  
 両脇でぎりりと皮膚が擦れる音がした。  
 脇目をやれば、朱奈の拳が白くなるまで握り締められている。  
 我慢……できるならやってみればいい。  
 
「あっ、あっ…ああぁはっ、も、ちょっ」  
 今更謝られたって許すものか。  
 焦らして焦らして、俺を苦しめた罰だ。  
 奴隷じゃないか? ああ奴隷だ。性奴隷が奉仕して何か?  
 こんなにもいやらしい体を好きにできるなら何も構わない。  
 朱奈は、朱奈は、俺だけの物だ。  
 
「フユキっ! フユキぃっ!」  
 もっと声を上げろ、朱奈。  
 高く高く、俺の欲望を満足させろ。  
 朱奈が啼けば啼くほど際限なく俺は高まれる。  
 いっそのこと壊れるまで、抱きとおしてやる。  
 子宮の奥の奥まで、いや、足りない。俺の精子で血管の果てまで埋め尽くしてやる。  
 
    ── 自分でも少し異常だとはうっすら思う。  
       確かにいろいろ揺さぶられて、体も、心も。  
       凶暴な野性の虜になってしまったのは仕様のないことかもしれない、けれど。  
 
 鋭敏に過ぎた感覚が朱色の縄を捕らえた。  
 逃がす、ものかよ。  
「きゃっ! 何、をっ!」  
 別の生物のようにのたうつのは、濡れた朱奈の尾。  
 線虫のようなその形は気色悪い。  
 それに、こいつは俺を苦しめた。……復讐、だ。  
「ぃたっ……えっ…っ!!」  
 右手でそいつごと雌を持ち上げ、浮いた体に次々と杭を打ち込む。  
 受けられるか、受け止められるか。  
 
 首をそんなに振ったって駄目だよ。  
 まだイくには早い。  
「ぐ、ぅぐ。壊れ、こ、われ……」  
 まさか、そんなことないだろ。  
 
 ……こんなに!  
 
「いやあっ!」  
 
 ……締め付けて、来るじゃないか!  
 
「……うぅっ!……う……ぅ……」  
 
 
 
「ぁ……」  
 朱奈の首が力を失ってがくりと垂れ、鎖骨から胸にかけて朱い髪がばさりと広がる。  
 己の腹の上で伏した雌を悠然と眺めながら、  
 俺はここ数分で体得した嗜虐心を大いに満足させた。  
 
    ── だが、果たしてそれだけ、か。  
       拷問にかけた捕虜を逃がす拷問吏が、一体どこの世界にいる。  
 
「…め……き……ぉ…ぁ」  
 惹かれて、魅入られた切れ長の瞳は目いっぱい広がりながらも、焦点を結べず無様に移ろう。  
 切り揃えられた朱い髪は今やほつれ、うねった姿を醜く顔にこびり付かせる。  
 締まりなく開いた紅い唇からは唾液が何筋も流れ、その言葉は意味なき苦しみ。  
「ぅ、ぃ……っ」  
 …にも関わらず、朱奈は呟くのを決して止めない。  
 いらいらする。  
 意識なんてもうないだろうに、何が朱奈を駆り立てる。  
 これしきでここまで呆けるなんて、もう正気じゃないなんてふざけすぎだ。  
 いらいらするが……余興だ。  
 壊れる前に何が言いたいのか聞いてやろう。  
 
 
 
「ぇ……ふっ……」  
 
  「……」  
 
「フユキ…… ───き……ぁ、ぅ」  
 
  「……」 今この雌は何を言った。「  き」?  
 
「おし…た、い……お慕い…し…ぃ」  
 
  「……」 お慕い。慕う。好き?、誰を?  
 
「フユっ、キ。好き……の……」  
 
  「……」 フユキ。芙雪。俺の名前。好き。…訳が、分からない。  
       好き? ──誰を? そんなまさか。  
 
 
「痛っ」  
 肩口へ鈍い痛みが走る。  
 眼球を動かすとそこには、朱奈。  
 瞳は虚ろなまま痛みに耐えて、俺の肩に弱々しく噛み付いていた。  
 瀕死の獣のように。そして──  
 
 流れる、一筋の滴。  
 
 
  ── わたくしの大切な方、です ──  
 
 
 記憶の起動は閃き。  
 それでも、灼けるような脳内には冷ややかな清水が湧き出した。  
 それは蒸し暑いばかりの蒸気を吹き上げて火照りを駆逐し、理性の泉を作り出す。  
 
 失せろ、理性。  
 俺はこの身体にありったけ奉仕する義務がある。  
 
  ── わたくしの  
 
 朱奈自身だってそう言った。  
 
  ── 大切な  
 
 一度沸騰した欲望を抑えられた試しがないくせに、しゃしゃり出て、くるな!  
 
  ── 方、です  
 
 
 
「フユキ……?」  
 朱奈の声が耳をくすぐった。  
 俺としたことが、一瞬だけ呆けていたようだ。  
 それにしても、どうしてそんな冷静なんだ。  
 そうか、足りないか。もっと動いてやるから。  
「泣いて、いるのですか?」  
 啼いているのは朱奈だろう。  
 俺が涙を流すはずなんて──  
「あ……」  
 目尻に温かくざりっとした舌の感触。  
「泣くほど、何が悲しいの、ですか?」  
「悲しくなんか」  
「嘘」  
「嘘じゃない」  
「ではどうして、わたくしの身体を責めないのです。弄ぶのではなかったのですか?」  
「……え」  
 言われて気付く。  
「……おかしいな。朱奈、また何かしたんだろ」  
 それは戯言。力を入れてもぴくりともその欲望は動かない。指一本すら動かせない。  
「何も、していませんよ」  
「嘘だ」  
「嘘ではありません」  
「だって──」  
「だって?」  
 
「朱奈がおかしなこと、言うから」  
 奴隷になんてしませんて言ったくせに。  
 俺のことを奴隷になれとか強要しておいて。  
「──俺のこと、言うから」  
 変なこと言うから俺はおかしく、なった。  
「あべこべ過ぎておかしいんだ。何で俺が、子供みたいに泣いて……っ!」  
 止まれ。泣き止めよ。  
「タダでヤれる女を前に……怖がるみたいにっ!!」  
 
    ── わたくしの、大切な、方、です ──  
 
「朱奈の、朱奈が、俺を狂わせて」  
 
    思えばそのとき、俺は小さなとくんという心音を聞いたのではなかったのか  
    その一筋の涙を見て、俺は何を想ったのか  
 
「……き、とか言うから」  
「フユキ?」  
「何を、朱奈の何を──」  
 
    ── わたくしの、大切な、方、です ──  
 
「悔しいんだ! 俺だけこんなに、苦しんで……でも、勝手で」  
「……」  
「あふれ、て……あふれてっ」  
 
    綺麗だった  
    きらきら、輝いてた  
 
 
「朱奈が、好き、なんだ」  
 

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