彼女の名はシュナ。 
 学園に通う女子生徒で、品行方正な優等生。 
 丁寧な口調とおしとやかな雰囲気は多くの生徒から慕われている。 
 彼の名はフユキ。 
 シュナの通う学園で教壇に立つ、一介の英語教師。 
 真面目だが融通が効かないわけでもなく、彼の授業は悪くないと評価されている。 
 そんなどこにでもいるような「教師と生徒」の二人。 
 人間とヒトとが公平に通う、この奇特な学園においては珍しくもない組み合わせ。 
 
 しかしあるとき、彼女たちは関係を変える。 
 
 彼女の名はシュナ。 
 手練手管を用いて買い取ったその強みから、 
 その「奴隷」を好き勝手に、我がままに、肉食獣の傲慢さで振り回す。 
 彼の名はフユキ。 
 莫大な借金を肩代わりされてしまった負い目から、 
 その「主人」に逆らうこともできずに、牙にかかった獲物の従順さで耐え忍ぶ。 
 そんなどこにでもいるわけではない「主人と奴隷」の二人。 
 
 二人きりか、二人きりではないかが、その関係を変えるとき。 
 オンとオフとをループする愚直なプログラムのように、 
 くるくる、くるくる、繰り返す。 
 
 ――これは、そんな少女と青年のお話の、ほんの一綴り。 
 
   §   §   § 
 
 粉雪が、ちらちらと。 
 今日だけは天からの祝福に思えてしまうそれらは、一向に止む気配を見せない。 
 アスファルトに降り立てば儚くも消え去り、代りにじわりと冷気だけを残す。 
 無数の冷たい足跡は徐々にではあるが足並みを揃え、 
 この世界を季節に相応しい舞台へと、堅実に作り変えていく。 
 零下に限りなく近づいた無機質な人工の大地は、白い衣を一枚、また一枚と、 
 幾重にも羽織り続け、あたかも自然の偉大さに平伏すようだ。 
 
 しかし、大地の支配者たちが生んだ技術はそれでも誇りを失わない。 
 都市のネオンは各色さまざまの光を放ち、白い雪を彩り返す。 
 等間隔に立ち並ぶ街灯はひっそりと佇み、粉雪が舞い散る様を浮かび上がらせる。 
 分厚い防寒具に身を包み、下を向いて歩く人間たちもこの時ばかりは、 
 自分たちの代りに自然と対等に張り合ってみせる物言わぬ息子たちを、 
 感慨深げに見上げてしまうだろう。 
 
 そして、今。 
 人間たちの見上げる目を最も数多く惹きつけているのは、この一月だけの風物詩。 
 クリスマスツリーだ。 
 雄々しく生い繁る針葉樹は、あくまで超然と天をまっすぐに突き上げ、 
 自然の尖った一面をこれでもかと掲げている。 
 枝葉に積った白雪もあって、極寒の地の厳しさをひしひしと伝えてくる。 
 
 一方、その鋭角なイメージをやわらげているのが、人工の産物たちだ。 
 蔦のようにぐるぐると、枝の一本一本までくまなく巻きついた電線。 
 その配線には一定の間隔で、電球という名の小さな実が細かく点滅して瞬いている。 
 雪とともに、厚い雪雲の上から星まで降ってきてしまったと表現しても、 
 大げさではない。 
 さらには、おもちゃ箱から一斉に飛び出してきたような、きらきらと光る飾りたち。 
 誰もが童心に返り、無邪気に遊びほうけていた頃を思い出し、 
 微笑まずにはいられないだろう。 
 
 ――思うことには。 
 きっと、皆、この季節は寂しい。 
 寒くて、指先まで凍えて、心細い。 
 それでも何とかしたくて、人間は冬の寂しさをいっそう印象付けてしまう雪積る木を、 
 にぎやかに飾り立てることにしたのだ。 
 自然の厳しさに抗うのではなく、受け入れようとする。 
 何にでも価値を付け加えて、思い込みでもより良く日々を暮らすために。 
 
 ――しかし、こうも思う。 
 わざわざ難しいことをしなくても、誰かと身を寄せ合う方がより良いに決まっている。 
 あたたかさまで一緒についてくるのだから、 
 理由はどうあれ、もし隣に誰かがいてくれるのならばそうしない手はない、と。 
 
   § 
 
「早くこちらに、フユキ」 
 たしなめるようなその声に、フユキは空想を打ち切った。 
 学園からシュナのマンションへと帰宅して早々に点けたテレビに、 
 思わず見入ってしまっていた。 
 街の広場に堂々と立つ、そのクリスマスツリーの中継から目を外し、 
 脱いだばかりのシュナの制服をハンガーにかける。 
 彼の手つきは淀みなく、相当に手馴れている。 
「早く。足を温めなさい、早く」 
 しかし、そのわずかな動作のための時間ですらもどかしいと言うように、 
 再びシュナの声がフユキの背後から浴びせられる。 
 降り始めの雪にわずかに濡れてしまっていた制服を、 
 乾きやすい位置にぶら下げてから彼は振り返った。 
 点けたばかりの炬燵に深々と手足を突っ込んでいるシュナが、力なく目を伏せていた。 
 学園でのおしとやかな、それでいてしっかりとした佇まいからは想像できないほど、 
 背中を丸めて微かにふるふると震えている。 
「しかし、まだ私の……はい、シュナ様」 
 フユキは、自分のスーツ姿を遠慮しかけたが、 
 テーブルの下で突き出されたシュナの両足がばたばたと炬燵布団を内から叩き、 
 最後には苦笑しながらも炬燵へ入り込んだ。 
 
 向かい合った少女からテーブルの下を通して突き出されているどちらかの踵を、 
 すぐに見つけ出し、恭しく持ち直して抱え込む。 
 両手の平で擦るようにして、自身の体温を分け与える。 
 滑らかな手触りの冬用タイツを通してでも、彼女の爪先は本当に氷のように冷たい。 
「今日は冷えますからね」 
 だから、フユキはただ単に思いついたことを言っただけ。 
 しかし、さも当然と言うように年上の彼に足を温めさせていた少女の反応は、 
 朱い髪がぶわりと浮き上がるかと思うほどに激しかった。 
「何を分かりきったことを。雪です。雪が降っているのですから当然です。 
ああ、もう! これより一切、寒さを思い起こさせるような言動は禁じます!」 
 通常であればその噛み付くような口調には、 
 きっと睨み付ける視線もセットになっているはずなのだが、 
 今のシュナにはどうも、そうするだけの気力もないらしい。 
 カチカチと噛み合わない牙を堪えるのに全力を注いでいる。 
 怒りのオーラを見せかけた朱い髪も雪でしっとりと濡れているせいか、 
 彼女お気に入りの肩掛けにぴったり寄り添ってしまって、いつもの迫力がない。 
 突き放すような早口だったのも、震える唇を我慢しながらだったからだろう。 
 
 そう思えば、何を言われたところで気にならない、と。 
 むしろ、南国出身の彼女にはこの寒さは辛いだろう、とフユキは同情するばかりだ。 
 実際、銀杏の葉が落ちて残り少なくなった頃から日を追うごとに、 
 シュナは冬の圧力に耐えかねておとなしくなってしまっている。 
 炬燵と朱いピューマはすでに季節限定のセット感覚だ。 
 ……かと言って奴隷根性で心配しようにも、 
 元からして気性の激しいピューマの少女主人は、下手に手をつけられない。 
 温めるように命じられた時以外に近づきでもしたら最後、 
 眠れる猛獣を不機嫌に起こした挙句に、熱い生血を求められてもおかしくはない。 
 もしくは。 
 春になって活発に動き出すようになったとたん「よくもやってくれた」とばかりに、 
 数倍増しで八つ当たり気味の反撃をされてもおかしくはない。 
 
 そうぼんやりと、フユキは「シュナのプライドを尊重するのは大変だ」と思いつつ、 
 動作ものんびりと、再びクリスマスツリーを映したテレビ画面に目を向けた。 
「こうして見るだけなら、きれいだとお思いになりませんか?」 
 ライトアップされた雪はあまり冷たさを感じさせないように見えて、 
 彼なりに主人の憂鬱を紛らわせようとしたのだが、 
 彼女は朱い耳をそちらに向けるだけだった。 
 しかもふいっとすぐに、まっすぐに向き直ってしまう。 
「それより、フユキ。何か……温かさを感じさせる映像にしなさい。早く。 
早く、手も動かして」 
 この時期だけの、うっとりと眺めても良さそうなツリーもまるで形無しだった。 
 密林に覆われた彼女の生まれの国には、もみの木もなく、雪が降ることもない。 
 物珍しさにはしゃいでも良さそうなものだが、やはり「寒さ」が大敵なのだろう。 
 フユキは思わず、「早く」を連呼するシュナに向けて笑みを洩らす。 
 
 
 
「……あとで、覚えていなさい」 
 生意気に笑顔を見せているフユキが疎ましくて、シュナは上目遣いににらみつけた。 
 どうも気温が急に落ちてからというもの、彼にのびのびとふるまわせてしまっている。 
 ここ最近何度も彼を躾直す必要性を感じているが、この寒さではままならない。 
 もどかしくて、居心地が悪い。 
 しかし逆に、フユキは平気な様子だ。 
 周囲の寒々しい景色を楽しむ余裕すら見せるだけでなく、 
 さらにはじっと低温に耐えるシュナへあれこれと余計な心配をしてくる。 
 奴隷として主人を気づかうのは当然の行為だが、 
 その所作には奴隷の分を越えた「年上の余裕」とやらが混じっている。 
 まったくもって腹立たしい、と、シュナは濡れて重い髪を不満そうに揺らした。 
 ついでにほつれているに違いない前髪を打ち振って、 
 どうにか整えようとするシュナに、ぽつりと呟くフユキの声が届いた。 
「さあ……そうですね。春まで覚えていますでしょうか」 
 ぴくりと、シュナは朱い耳を反応させる。 
 一向にまとまらない前髪といっしょに聞き流すには、ずい分と不遜な響き。 
 彼の顔を見なくても口調だけで彼女には分かった。 
 うまいことを言ったつもりの、少し得意げなそれ。 
 いつも逆らえないでいる鬱憤を晴らしたのだろうが、それは浅慮というものだ、 
 とシュナは彼には見えないところで柳眉を跳ね上げた。 
 満足に動けないからと言って、 
 冬の間中ずっと我慢していると思ったら大間違いということを教えなければいけない。 
 シュナは足を突き出しているのをいいことに、 
 ひとつ足蹴でも彼の腹部に贈り込んでやろうと、むっとした表情で顔を上げた。 
「え……っと……」 
 すると、フユキはテレビのリモコンを操作して、 
 言われたとおりに何かあたたかな映像がないかと探している途中だった。 
 主人をからかった直後だというのに、 
 ぼけっとして平和そうに次々に移り変わる画面に見入っていている、その横顔。 
 (まったく、フユキのお莫迦さを咎めるわたくしの方が、莫迦らしい) 
 突き上げかけていた足先の力をつい抜いてしまった。 
 
 そのままシュナは、彼といっしょに騒々しいテレビへ目を向けることにした。 
 またさらにいくつかチャンネルが切り替わったあと、 
 食卓を囲む家族の団欒といった映像へとたどりついた。 
 家族ひとりひとり共通の笑顔。 
 そのあたたかな笑みをさらに引き立てるように、湯気をたてる食事。 
「シュナ様。今晩はおでんにしましょうか」 
 唐突にフユキがそう言った。 
 確かに、今映っている食卓の中心にあるのはおでんのようだが、何にしても突然だ。 
 そして知らないうちにシュナはきょとんとした表情で見返していた。 
「フユキ」 
「はい」 
「先ほど、貴方はクリスマスツリーに惹きつけられていました。 
それらしい、クリスマスに似合う食事をこそ取りたいのではありませんか」 
 もし、彼が必要以上に何かを察して提案したというのならば、それもまた大間違いだ。 
 主人の機嫌を常に窺うような盲目的な随身を彼女は嫌っている。 
 食べたい物があっても実際に口に出して望むことを禁じる、というような関係を、 
 強要してきたのではない。 
 彼も主人に仕えてきた期間の中でそう理解しているはずだった。 
 だから、シュナは腑に落ちなかったのだ。 
 フユキならば、シュナにとってどうでもいいクリスマスとやらを、 
 楽しく演出するだけの何かを密かにたくらんでいて不思議はない、と。 
 
 しかし、 
「いいえ。特には」 
 彼は言葉少なに、呆気ないほどの反応を見せた。 
 あっさりと「いらない」と言われて、シュナは戸惑う。 
「理由を言いなさい。わたくしにとってはあまり興味がないとしか言えませんが、 
貴方にとってはそうではないはずです」 
 すっきりしない気分で問いながら、シュナはすっかり温まった左足を引っ込め、 
 新たに右足の方を彼へと挑むように押しやる。 
 再び主人の足を挟みこむ彼の手つきは、今までのそれと特には変わらない。 
 じわりと体温を染み込ませるように、ゆっくりと動く。 
「簡単ですよ。おでんの方が身体が温まる料理だからです。 
シュナ様に体温を吸い取られてますから、実のところ私もそちらの方が食べたいかと。 
……あ、それともシュナ様。偶にはああいった物を食べたい、とでも?」 
「わたくしの方こそ、特に食べたいというほどのものではありません」 
 シュナはそう言いつつ、何となく残念な気持ちになっていた。 
 最近盛んに、クラスメイトからクリスマスの予定について聞かれ、 
 それでも「予定がある」と言って断ってきたのだ。 
 そう何度も答えるうちに、本当に何かフユキによって催しが開かれるような、 
 そんな気分になってしまっていた。 
 知らずに楽しみにしている自分がいた。 
 だから、彼に予定をすっぽかされたときのようにいらいらする。立たない腹も立つ。 
 もちろんそんな自身の理不尽さも、理解してはいる。 
 してはいるのだが……本調子にさせてくれないこの寒さがいけない。 
 全部、彼のせいにしたくなる。 
「それでは、今晩はおでんにしましょう」 
 シュナはとっさにそう告げていた。 
 そうしなければ、いつ彼に直接不満をぶつけてしまうか知れたものではなかった。 
 一人でクリスマスに期待してしまっていたことを、 
 もしかしたら気づかれてしまう。 
 彼はいつもは鈍いくせに変わったところで鋭い。 
 本当に、どうでもいい時に限って―― 
 
「ありがとうございます。決まりですね。ですが、その前に」 
 視線が、追った。 
 向かいの彼が、動いた。 
 ビジネスバッグへと、手を伸ばした。 
「お渡ししなけれなならない物が」 
 ひょっとして、と思った。 
 開いたファスナーから出てくるのは、クリスマスらしく、彼が何か意を凝らした物―― 
 
「今日は一日早くお給料日でした。 
このあたり、あの学園はいいところありますよね。イブに軍資金をくれるんですから。 
……ということで、一日早いですが今月の借金返済分です」 
 
 何の面白みのない、茶色い安物の封筒だった。 
 
 
 
 確かに。 
 確かに、シュナは言った。 
 フユキという自分の奴隷に英語教師という職を残してやった経緯から、 
 彼の口座に振込まれる給料を、いったん現金にしてから返済に充てるように、と。 
「シュナ様。それと、もうひとつ……」 
「黙りなさい、フユキ」 
 そう叩き返してから、シュナはぐらぐらと煮立つ心をどうにか冷却しようとする。 
 しかし、冷め切ってはくれない液面からは気泡がぱちんと弾け、 
 無数の不満を撒き散らす。 
「いいえ。文とはきちんとピリオドで終わって文になるわけでして……」 
「貴方は今、英語教師ではないのですよ? 今は、わたくしの奴隷です。 
考え事をしているのですから、妨げないで」 
 彼の鞄の中からプレゼントが出てくると期待するのは、 
 完全な間違いなのだ。 
 そもそも彼の給与の中に、 
 彼自身が好きにして良い金銭は一セパタとして入っていない。 
 
 シュナは彼の懐から足を引くと立ち上がった。 
 ずんずんと近寄り、させまいとする手を払いのけてその封筒を奪い取る。 
 彼の顔を、シュナはとてもではないが見る気にはなれない。 
 代わりに封筒の中から紙幣の束を引き出して確かめると、またすぐに戻す。 
 
 格好の行事にも関わらず、彼は何の動きも起こそうとしなかった。 
 
 主人に借金の返済期限を少し伸ばすよう頼み込んだとしても良いはず。 
 そして倹約を旨とする主人も「クリスマスですから」と言われれば、 
 納得する準備はできていた。 
 それなのに。 
 強く「どうしても」と思うほど、彼は主人に何の感謝もしていない。 
 悔しさがこみ上げる。 
 よくよく、奴隷根性が染み付いてしまったようだ。 
 ただ漫然と控えているだけで充分だと思い込んでしまっているのだ。 
 ならば、奴隷らしく扱ってやろう。 
 この主人は気紛れで、気分屋で、奴隷の全てを奪わないと気が済まないということを、 
 思い知らせてやる―― 
 
 シュナは無造作に封筒を放り投げると、落下した時の音を聞くまでもなく、 
 座ったままのフユキへと向き直る。 
 視線が合わない。 
 彼はシュナが投げ捨てた物体の方を目で追っていた。 
 すう、とシュナの中で何かが冷え切って行った。 
「フユキはそれほどまでに、わたくしへ借金を返すことが大事ですか。 
このわたくしよりも……ええ、そうでしょう、そうでしょう。 
わたくしは貴方を奴隷に貶めている、その張本人なのですから」 
 足音すら忍ばせて、投げ捨てた茶封筒へと近寄る。 
 腰を屈めて、彼の意識を奪ってやまない紙束を摘み上げる。 
 何もかもをぶちまけたい気分だった。 
 この「醜い」紙幣を撒き散らしたい、と自嘲的にカッときた。 
(何をわたくしは浮かれていたのです。親から譲られただけの財を浅ましくも利用して、 
彼の全てを奪ってやりたいと思った、このわたくしこそが最も「醜い」!) 
 封筒の口を広げ、指を差し入れ……そこでカツンと、爪が何か硬いものに当たった。 
 
 一瞬、それは硬貨かと思った。 
 慌ててフユキの英語教諭としての給与額を確かめる。 
 枚数は足りていた。月々の返済額ぴったりだった。 
 それなら、と、シュナは片手を受け皿のように構え、封筒を逆さまにした。 
 キン、と涼しい音がその手の平で鳴った。 
 そこには、 
 双月を思わせるような、二つの異なる色の細い金属輪を組み合わせたブレスレット。 
 
 
 
「すみません。驚かせようとしてしまったばかりに、混乱させてしまいました」 
 シュナはその声にはっと顔を向けた。 
 フユキが炬燵から立ち上がり、気まずそうな笑顔を向けていた。 
「フユキ。これは……どうやって手に入れたのです」 
「社会人には、ボーナスというものがありまして」 
 思わず、シュナは「あっ」と声を上げていた。 
 年に二度ある、正規給与以外の賞与金といった物があることを、 
 企業令嬢の資産家だとは言え、まだ学園の生徒でしかない彼女はすっかり忘れていた。 
 債権者であるシュナが独自に作成した返済プランにも、 
 それは迂闊にも含まれていなかった。 
 このブレスレットを生んだのは、まさに、シュナの見せたほんの少しの隙。 
「あ、それと、ご心配なく。 
これはシュナ様のお家の企業グループ内から求めた物ですので、 
結果的には、私の得た金銭はシュナ様のお手からは洩れないかと」 
 そう説明しながら、とうとうフユキはシュナの隣に立った。 
 茫然と、手元を凝視するシュナに、つい彼は笑みを朗らかなものに変えた。 
 そして茶封筒をもう一つ、シュナへ見せ付けた。 
「ボーナスからそのプレゼント代金を引いた、余剰金になります。 
これはシュナ様にお任せするとして……それと、私の趣味で選んでしまったので、 
お気に召さないかもしれません。その際は、どうぞ返品なさってください。 
この中に領収証も入っておりますので」 
 しかし、シュナは朱い耳も動かさずに、フユキの言うことを聞いていない。 
 かと言って、彼が不満を持つわけも無い。 
 浮き上がってゆらゆら揺れる朱い尻尾は、さまざまな感情を混ぜ込んでいるものの、 
 素直に喜んでくれているからだ。 
 何はともあれ、主人のプライドを掠めて何かを為そうとするのは大変だ、と、 
 フユキはしみじみと思った。 
 それと、主人の心を汲みたいと願う「奴隷根性」がすっかりと染み付いた、とも。 
「……貴方は」 
 ようやく、フユキの主人である、朱いピューマの少女が口を開いた。 
「わたくしがこれを、突き返すとでも?」 
「ははっ。私にセンスが無いと言ったのはシュナ様です」 
「それは……そうですが。今わたくしが言いたいのはそのようなことではありません。 
貴方が苦労して、知恵を巡らせて求めたこの至宝に値する贈り物を、 
無碍にするようなひどい主人であると、貴方が疑っていることが情けないのです」 
「疑っているわけではありません。少し、ずるい求め方だと思いましたので。 
それと本当に返品しても構いませんよ。それが例え別の品になったとして、 
もしくは返済用の資金になったとしても、私の気持ちは残ります……」 
 フユキはそっと指を伸ばし、 
 これからの持ち主となるだろう彼女の手首へとぎごちなく、しかししっかりと嵌めた。 
 
 ――と、その時。 
 離れかけたフユキの手を、シュナのそれが追った。 
 追いついて、縋った。 
「フユキ。貴方がここまでするのは、一体何故ですか?」 
 鳶色の瞳も、続いて彼を見上げた。 
 いつもは綺麗に並んでいる前髪が、暖房で急に温まったのと、急に動いたのとで、 
 すっかりほつれている。 
「シュナ様の思っている通り……ではダメでしょうか」 
 フユキはもう片方の手の指先を伸ばし、彼女の前髪のあたりで一度止める。 
 同じように一度、彼の指に焦点を合わせたシュナは何も咎めず、 
 フユキはそれを了承と取って、ばらついた朱い前髪を整えて行く。 
 その何気ない動作でも、何か伝わればいいと思いながら。 
「許しません。言いなさい」 
 しかし、彼の主人はわがままだった。 
 「分不相応かもしれない」と、さんざんに悩んだフユキの心の葛藤の行く末を、 
 明らかにしろと告げてくる。 
 そして、フユキの困ったような顔を何と勘違いしたのか、 
「いいえ。今の言は撤回します。わたくし、貴方にお返しを何も用意していません。 
これではただの、傲慢なだけの主人で……思いやりの欠片もない女です」 
 シュナは絡めていた、温かい指を解いてしまった。 
 今度はフユキの番だった。 
 追って、追いついて、縋った。 
「私は、これを頂ければ充分です。……失礼します」 
 さらに、五本の指全てを絡めた。 
 もう片方の手はほっそりとした二の腕へと添える 
 そうして腰を屈めて、顔を傾けた。 
 彼女の唇が一度だけ、わなないた。 
 
 シュナの望んだ言葉も、フユキが口にしたかった言葉も、おそらく同じ。 
 しかし口に出した瞬間、それは価値を失ってしまう。 
 零度で無ければ維持できない雪の結晶のように。 
 
 教師としても、彼女は生徒に過ぎない。 
 奴隷としても、彼女は主人に過ぎない。 
 それにもう一つ関係を作ってしまうには、到底いかない。 
 ままごとのような愛撫を日常としていても、だ。 
 学園を彼女が卒業するまで。 
 借金を完全に返済するまで。 
 余計なループをせずに、ひとつところに常駐できるようになるには、 
 それだけの条件をクリアする必要がある。 
 
 ――朱い少女の唇のやわらかさを恭しく感受しながら、フユキはそう思った。 
 
   § 
 
 ひどく情熱的に何度も啄ばむようなキスを受けながら、 
 フユキはそろそろと腰を下ろした。 
 両腕を首にかけてぶら下がるようにしていたシュナも、同じようにぺたんと座り込む。 
 即座にズボンのベルトへと手がかかり、 
 フユキも負けじと、スカートの中へと手を差し入れた。 
 二人同時に互いの最も熱を持った部位に触れる。 
 もう、準備はできていた。 
 そして、ぴりりと走った快感に細まった目を見合わせたのも二人同時なら、 
 誘われたように感じて、また唇をぶつけ合わせたのも同時。 
 
 部屋に蛍光灯の光はすでにないが 
 スイッチを切られた室内には、雪明りというにはずい分と黄色く淡い光があった。 
 キャンドルの光だった。 
 シュナは「気が利く」と珍しそうに、そのゆらゆらと神秘的に揺れる灯に見入ったが、 
 フユキが「プレゼントを購入したときについて来た」と白状し、 
 灯火に照らされた瞳をきらきらとさせながら、シュナは「さすが」と大笑いしていた。 
 
 それはともかく、身を寄せ合う彼女らにふざけてじゃれるような気配はもうない。 
 ただひたすらに貪り、一直線に達そうと躍起になっている。 
 そして最短距離を目指す意欲が二人とも強すぎたばかりに、 
 ただの手先の愛撫だけに、我慢できなくなった。 
 
 シュナは後ろに倒れこんで、 
 その方角にあるローションの入ったプラスチックのボトルに手を伸ばし、 
 フユキは前に倒れこんで、 
 彼女の背中側にまわるようにして後ろから彼女を抱え込んだ。 
 
 フユキはシュナの脇が空いているのをいいことに、服の隙間から片手を差し入れた。 
 なめらかなお腹を滑り、ふにっとした麓にたどり着くと、 
 そのまま一気に頂上へと駆け上がる。 
 固くしこった乳首を上下にしごき、 
 必死に手を伸ばす少女の口から高い声を上げさせようとする。 
 
 しかし、後手に回ったシュナもただされるままではなかった。 
 指先でどうにかローションのボトルを引っ掛ける。 
 そしてキャップを緩め始めると、ぐい、と身体全体が持ち上げられた。 
 仰向けの彼の上に、また仰向けに寝る体勢を取らされた。 
 首筋に吐息がかかり、ぞくぞくと頤がせり上がった。 
 その隙に彼の両手が上着をも完全にたくし上げ、ぎゅっと胸をわしづかみにされた。 
 とっさに身を固くして耐えようとするが、 
 それからはとてもフユキらしくも、五指をばらばらに優しく揉み込む。 
 
 天井に向けて甘い鼻声を上げる彼女の、とても安心してしまう重さを感じながら、 
 フユキは自重でわずかにたわむ双丘を弄ぶ。 
 左右に揺らすようにしてみたり、尖った頂をつまんで捻り気味にしてみたりと、 
 独特の反動を楽しむ。 
 その時、上に乗っていたシュナが振り向いた。 
 わずかにツンと唇を突き出し、フユキも頭を持ち上げて応えた。 
 舌先を突き出し、そこだけでくるくると舐め合う。 
 
 しかし、彼がそちらに気を取られているうちに、 
 シュナは手に取ったボトルのキャップを開けていた。 
 ボトルを持っていないほうの手を自身の股間へと、そしてさらに奥へと指を伸ばす。 
 そこにはフユキが隆々とそそり立っていた。 
 
 舌のキスを突然やめて悪戯っぽく微笑んだシュナを不思議に思った直後、 
 フユキは下半身にひんやりと、そしてぬるりと粘った感触を持った。 
 即座にローションだと直感したが、もう遅かった。 
 彼女のぬるぬるになったタイツでそこが包まれていた。 
 その布地を通して、すぐ下にある太腿のみずみずしい弾力と、 
 ショーツを通して押し付けられている彼女自身のふにふにとした熱とが、 
 どこまでも彼に力を与えていく。 
 
 シュナは続いてボトルを自身のむき出しの腹部へも盛大に垂らした。 
 二つの乳房に触れ続けているフユキの手を、そのローションの水溜りへと導く。 
 すると彼も理解したらしく、両手の指に粘り気のある液体を纏わせると、 
 再びシュナのバストへと戻る。 
 胸全体へとまぶされ、ひんやりとしていたのは短い時間だった。 
 すぐにその液体は二人の体温と同じくなる。 
 ただ、強く掴んでも滑る、触れられる刺激を増加させる、という、 
 愛撫の手を烈しくさせるためだけの道具。 
 シュナは強く乳首を挟まれ、 
 さらにそこがぬるりと、彼の指先から抜け出したときの強烈な悦楽に、高く啼いた。 
 
 フユキは自分自身を、シュナの太腿の間で擦り立てられてはいたが、 
 彼女の乳房と乳首とに快感を加えれば加えるほど減る自分への快感に、 
 少し物足りなくなっていた。 
 仰向けの体勢から、横にごろりと倒れる。 
 啼き声を上げ続けていた彼女が、その時だけピクンと違う様子で震えた。 
 ちょうど、側位でシュナに後ろから「素股」をしているような姿勢。 
 何枚かの布越しに、二人が最も熱いところを強く押し付け合う。 
 
 彼の吐息がさらに荒くなった。 
 シュナは、彼の抽送でタイツが擦り切れないかとぼんやりと感じながら、 
 下の方になっている手を自身の股間へとあてがう。 
 彼女も物足りなくなってきていた。 
 フユキは一心不乱に腰を叩きつけているが、 
 シュナにその勢いが完全に伝わってきていない。 
 固い屹立がランダムに行き来するせいで、 
 同じように、シュナの秘裂や陰核への刺激も一定しなかった。 
 そこで指をあてがって、 
 フユキを自分にとって最も気持ち良いところへあたるように誘導する。 
 
 フユキは思わず低く呻いていた。 
 ペニスを動きやすいように調整してくれるシュナの指が、 
 時折タイミングを合わせて亀頭を一瞬だけつまむように刺激してくる。 
 ローションで塗れていてさえ強いその接触は、 
 フユキの腰を数倍増しに引かせるのに充分で、さらに速度が増して行く気がする。 
 どくどくと鼓動が限界に近づいてきている。気が逸る。 
 何か、手当たり次第にしがみつきたくなる。 
 こんなにも自分は求めているのだ、と。 
 
 シュナは思わずびくんと魚のように跳ねていた。 
 充血して敏感な尖りを熱心にいじくるフユキの指が、 
 ぎゅうと抓るようにしごきたてて刺激してくる。 
 粘りついた液体のおかげで痛みを感じるほどではないが、どちらにしろ刺激が強い。 
 彼の気を逸らしたいが、強く抱き締められているせいでそうもいかない。 
 ただ、フユキを受け止めるしかない。 
 太腿を引き締め、より強く彼が射精できるように、と。 
 
 
 
 ――そうして絡み合い、最終体勢に入った雌雄は、いつしか最高潮を迎えた。 
 
 キャンドルに照らされて大きく映る影がひときわ大きく揺れたと見るや、 
 それ以降、灯火自体が揺れ動いたときに僅かにぶれるのみ。 
 いや、その揺れ動きさえ、二人の荒い吐息によるものだろうか。 
 しかし、その答えはついに得られそうもなかった。 
 元から短かったそのキャンドルは見事その役目を終え、 
 ジ、ジと音を立ててから安らかに息絶えた。 
 
 
   §   §   § 
 
 
 頬を紅く染めて、上機嫌そのもののシュナが、軽快にフユキへ振り向いた。 
 満腹に近くなった彼も、残りのビールを流し込みながら彼女へと優しげな目を向ける。 
「おでんを考案したのは誰だか知っていますか、フユキ」 
「いいえ……ははっ。学園でおでんを初めて食したときの感動を、 
その考案者にお伝えにでもなるのですか」 
「あまりわたくしを見損なっては困ります。 
あの絶妙な出汁と、それを充分に吸いきった具たちとの素晴らしい連携具合……。 
極めて歴史ある料理なことは間違いありません。その程度分からない訳がないでしょう。 
……フユキはわたくしが過去を遡って、おでん考案者に礼を述べられるとでも?」 
「いいえ。好奇心というものは人を幼く見せるものだと思いまして。 
つい、埒もないことを考えました。申し訳ありません」 
「……わたくしはそこまで目を輝かせた記憶はありません。ですが、フユキ」 
「はい、シュナ様」 
「好奇心に対する物言い。至言です……良いでしょう。興が乗りました。 
今日のお皿洗いは貴方がなさい」 
「はい……寒さゆえにキッチンへ行きたくないシュナ様の代わりは、 
立派に果たしてみせます」 
 言われて、ぐっと言葉に詰まってしまったシュナにフユキは一瞬だけ、 
 また一言多かったかとひやりとしたが、 
「……」 
 彼女はツンと顔を背け、フユキに預けていた足を自身の方に引き寄せた。 
 それを「余計な事を言わずに早く仕事をしろ」という無言の命令と取り、 
 腰を浮かしかける。 
 
「フユキ」 
 しかし、呼び止められた。 
 無意識のうちに主人をやりこめてしまった奴隷に対する叱責かとフユキは身構えた。 
「背中が、温かくなりすぎて痒いのです」 
 主人のそのむっとしたような口調と、背けたままの横顔。 
 彼はすぐに身構えを解いて、微笑んだ。 
 歳相応の可愛さを彼女が見せるとき、フユキはいつもそうする。 
「何が可笑しいのです」 
 横顔のままだったが、別に見ていなくても、 
 シュナはその敏感な朱い耳でフユキの含み笑いを聞き取っていたらしい。 
 フユキは炬燵を回り込むようにして移動しながら、 
「一度に二つの命を下すとは、シュナ様らしくないと」 
「黙りなさい」 
「はい」 
 それからただ黙って、学園での毅然とした様子からは信じられないほど、 
 朱い尻尾をくつろがせたシュナの背後に座り込んだ。 
 そのまま前ににじり寄り、炬燵の中へ手と足を差し入れるとすっぽりと彼女を抱える。 
 そしてシュナも居心地を確かめるようにもぞもぞと動き、きゅっと肩をすくめた。 
「フユキ、お蜜柑も剥きなさい」 
「……」 
「寒さゆえに手が出せないと言ったのも、貴方です」 
「……」 
「……何もそのようなところで言われたままに黙らずとも。貴方のお莫迦さも、 
度を越えるとただの阿呆です。融通が利かないのは月々の返済額だけで結構。 
分かっていますか、わたくしの奴隷さん」 
「はい、シュナ様。みかんの白いのも、全部取りますね」 
「良きに」 
「一房ずつ、食べやすく……」 
「わたくしは、良きに、と言いました」 
「My pleasure, my master. (御意のままに。シュナ様)」 
 
 テレビからは、明日も雪だと天気予報のキャスターが小さく、小さく告げていた。 
 
 

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