ボクの仕事場の裏山には、質のいい樹がたくさん生えている。  
香木、霊木、彫り物にはもってこいの樹。  
……いや、少し順番が違うかな。  
たまたま見つけたこの山が、そういう樹の多い場所だったから、仕事場をまとめてここに引っ越したというべきか。  
ボクの名前は景佳。けいか、って読む。  
一応、これでも一人前の彫像職人。  
巫女連にも納品してる、自分で言うのもなんだけどイッパシの職人……の、つもり。  
 
ちょっとした仕事があって、ボクはまた裏山に樹を探しに来ている。  
樹といっても、やっぱりいろんな種類があって。  
たとえば、巫女連に納入する像なんかは香木を使う。  
香木と一口に言っても、実は好まれる香りもいろいろあるんだけど、それは話すと長くなるから今度。  
それとは別に、なにかの儀式の補助に使う像なんかだと、いわゆる霊樹というのを探さなきゃいけない。  
ここの裏山ってのは、ずーっと昔に何かあったらしくて、そのせいか霊樹と呼べるだけの樹が多い。  
ただ、そんな場所だから……たまーに、変な事件とかも起きたりして。  
 
裏山って言っても結構急な山だし、なにやらもやもやした霊気とかもあるから、ボク以外の人はめったに裏山には入ってこない。  
そんなところだから、山の中、それも中腹より上まで登った場所で男の子が倒れてるのを見たときにはびっくりした。  
「大丈夫?」  
ボクはびっくりして、その男の子に近づいた。  
服は僕たちの着ている服と似てる。腰には……刀みたいなのが差してある。  
はじめは、どこかの武人さんなのかなと思った。だって刀なんか持ってるし。  
でも、そこに倒れてたのは、ボクたちとは違う人だった。  
耳も尻尾もなくて、黒い髪の毛をしてる。  
それが、風のうわさで聞いた「ヒト」だと気づくのにちょっと時間がかかった。  
 
「ん……」  
ボクが声をかけたのが聞こえたのか、男の子はうっすらと目をあけた。  
「あ、大丈夫?」  
「…………」  
男の子は、ボクをじっと見ている。  
で。  
「うわあぁぁぁぁぁぁっ!」  
こっちが驚くような大声。  
「よ、妖怪! 化け物、おばけ、もののけ!」  
……よ……妖怪?  
化け物とかお化けとかもののけって……ボクのこと?  
「ち、ちょっ……」  
「く、くるなああっ!」  
おびえた目の男の子は、いきなり腰の刀を抜いた。  
「え……って、わああっ!」  
「くるな、くるな、くるなあっ!」  
刀をむちゃくちゃに振り回してこっちに切り掛かってくる。  
くるなって言いながら向こうから来てるんだけど、目の前で刀を振り回されると、そんなことは考える暇もない。  
「ち、ちょっと、落ちつい……って、ちょっ、危ないよ!」  
背を向けたらそのまま後ろから斬られそうなので、ボクは男の子の方を向いたまま、後ろ向きに走って逃げた。  
……正確には、逃げようとした。  
後ろに数歩走ったとろで……  
ボクは、樹の根っこに躓いて後ろ向きに転んだ。  
「いっ……たたた……」  
立ち上がろうとした時。  
もう目の前に、男の子がいた。  
「この化け物おっ!」  
そう言って、大きく刀を振りかぶる。  
……まさか、こんなところで……なんだかわかんないまま死ぬの?  
さすがに、そう思った。なんだかよくわからないけど、ボクが死ぬんだということだけはわかった。  
怖くて、たまらなくなってボクは目を閉じた。  
 
がっ……わぁあぁっ! ……べたんっ。  
 
変な音が、三回続けて聞こえた。真ん中のは声かもしれない。  
そして、なにやら重たいものが上にのしかかってきた。  
「…………」  
ゆっくりと、ボクは目を開けた。とりあえず、生きてるみたい。  
「……むぎゅぅ……」  
すぐ目の前に、男の子の顔があった。彼も転んだ……みたい。  
とりあえず、逃げなきゃ。  
そう思った。  
ボクは、とりあえず男の子の体をどかして、体を起こそうとした……んだけど。  
 
むに。  
 
男の子を持ち上げようとして動かした手に、妙にやわらかい感覚が伝わってくる。  
……これ……何?  
 
むに。  
むに。  
むにむに。  
 
やわらかくておっきなものに触ってる感じ。手が触れてるのは……男の子……? の、胸のあたり。  
これって……えっと……  
 
そんなときに、男の子? と目が合った。  
「・・・・・・・・・・・・・・」  
気まずい、沈黙。  
「え……えっと……」  
何か言おうとして、声が続かない。  
男の子? の顔が、少し赤くなり、そして怒ったような顔に変わって……  
 
ぱあんっ!  
 
全力の平手打ちが、ボクの頬に飛んできた。  
 
「このケダモノっ! 化け物、怪物、妖怪っ!」  
少し離れたところで、男の子……だとボクが思い込んでた女の子が両手で胸を隠すようにして、こっちをにらみつけて罵詈雑言の限りを浴びせかけてくる。  
「白昼堂々、なんてふしだらなっ!」  
「い、いや、それはその誤解……」  
「下心のある人は誰でも誤解というんです!」  
「い、いや、でも本当に……」  
言い訳を聞いてくれる雰囲気じゃなかった。  
「こんな辱め……あなたを殺して私も死ぬ!」  
 
え、えええええっ?  
 
ボクはあわてて立ち上がり、また逃げようとして……そのときに気づいた。  
女の子の持ってた刀が、どっかに行ってる。  
女の子も、刀がないのに気づいて捜してる。  
 
ボクの視界の片隅に、なにやら細長いものが見えた。  
まさかと思って、頭の上を見あげる。  
僕の頭の上にある大きな木の枝に、刀が深々と食い込んでいた。  
たぶん、勢いよく斬りかかろうとした時に刀が樹に食い込んで、そのまま体だけがバランスを失って倒れたんだろう。  
でも、これはボクにとっては好都合なこと。  
女の子より、ボクの方が刀に近い。先に刀を取っちゃえば、なんとかなるかもしれない。  
ボクは、食い込んだ刀をつかみ、そのまま思いっきりねじって抜こうとした。  
 
ぼきっ。  
 
鈍い音が、聞こえた。  
僕の手に残ってるのは……真ん中から折れた刀の残骸。  
 
「・・・・・・・・・・・・・」  
また。  
なんともいえない、微妙な沈黙が流れる。  
女の子の顔が、呆然となり、そして徐々に怒りが浮かんできた。  
「あ、あああああぁぁぁっ!」  
また、大きな声。  
「ち、父上の……父上の形見がぁ!」  
か……形見?  
「お、おのれ……わたしを押し倒して操を奪っただけでは飽き足らず父上の刀まで!」  
え、いや、その……押し倒されたのはボク……  
なんていえる雰囲気じゃなくて。  
ものすごい勢いでつかみかかってきて、ボクの持っている折れた刀を掴み取ろうとしてくる。  
でも、それを取られたら間違いなく……ボクは 今度こそ死んじゃうわけで。  
ボクも必死になって取られまいとして、くんずほぐれつしてたんだけど。  
 
その、山の中だし。中腹から上は本当に険しいし。まして足元は湿り気のある腐葉土だったりして。  
そんな場所で取っ組み合ってたら……  
 
簡単に足を踏み外して落っこちちゃうわけで。  
 
「わあああぁっ!」  
「うわあああっ!」  
ボクと女の子は、そのまま崖の下まで落ちていった。  
 
どさっ。  
岩にぶつかり、樹に引っかかりながら、ボクと女の子は10メートル近くも崖を転げ落ちた。  
何度か樹とかにぶつかって勢いが止められたのと、下が腐葉土だったのが幸いだった。  
「いたたたた……」  
全身が痛いけど、何とか、立ち上がることはできる。骨折とかもなさそうだ。  
で、女の子は……  
「……」  
気を失ってるみたい。  
 
「このまま……逃げちゃおうかな」  
ふと、そんなことがボクの頭をよぎった。  
「でも……まずいよなぁ」  
夜は結構寒いし、怪我して動けなかったりしたらここだと凍死しちゃう。……いくらなんでも、見殺しにするのはちょっと気が引ける。  
「……仕方ないかなぁ」  
刀さえ渡さなきゃ、殺されることはないだろうと、ちょっとだけ甘い期待をしたり。  
「えっと……骨とか折れてないかな……」  
ひょいと、足を持ち上げる。折れてはないようだけど、足首の腫れを見ると、捻挫しているかもしれない。  
だけど、こうして改めてみると、やっぱり女の子だと思う。華奢だし、色も白いし。  
「……っっ……」  
うめき声が聞こえる。やっぱり、どこか折れてるのかもしれない。  
「立てる?」  
女の子が目をあけたのを見て、そう声をかける。  
「……このお……っっ……」  
女の子は、とっさに上半身を起こそうとしたけど、そのまま崩れるように倒れる。  
右腕が、不自然に腫れてる。  
「右腕……か」  
「こ、この……」  
痛みで朦朧としてるようだけど、目はこっちを見てる。  
「動かないで」  
腰の袋から、紐を取り出す。そして手近な棒切れを見つけてくる。  
折れてるのかどうかわかんないけど、とりあえず添え木をする。  
「……っ……」  
痛みのせいだろう、脂汗を浮かべている。でも暴れようとはしない。  
とりあえず右手と足首に添え木をして縛ると、ボクは女の子を背負った。  
「……な、何を……」  
「話は後。とりあえず山を下りないと治療もできないし」  
「……ち、ちりょうなど……」  
「いいから。文句は後で聞く」  
 ちょっとだけ強い口調で言う。あまりそういうのは得意じゃないんだけど。  
「…………」  
でも、ちょっとは効果があったのか、黙ってくれた。  
 
女の子とはいっても、やっぱり一人背負って山を降りるのは結構大変。山を降りて、仕事場に戻ったときにはもう夕方近くになっていた。  
「…………」  
女の子は半分気を失ってみたいにぐったりとしている。  
ボクはとりあえず、女の子を畳の上に寝かせると、戸棚から鹿の油とか包帯とか、一通りの治療具を引きずり出してきた。  
それから、いくつかの香木。鎮痛や精神安定の効果があるのをいくつか見繕ってきて、囲炉裏に投げ込む。実は、裏山の香木って囲炉裏に入れて焼けばいろんな薬効があったりするんだ。  
 
……なんか一本、変なのが混じってた気もするけど、まあいいや。  
 
「……大丈夫、ボクは怖い人じゃないから」  
いつの間にか薄目を開けてボクを見る女の子に、そう声をかける。  
「……ここは……どこ?」  
「ボクの仕事場。明日、日が昇ったらまた診療所に連れて行くけど、今夜はここで我慢して」  
「……みみ……」  
「ん?」  
「みみ……しっぽ……きつねさん……?」  
「え、ああ、うん……いちおう、狐」  
「こわくない……本当に?」  
「うん、怖くないよ」  
 そう言って、ちょっとだけ笑う。  
「ボクは景佳。木彫師なんだ」  
「……」  
香木のせいか、少しだけ落ち着いてきた気がする。  
「どうして、あんなところにいたの?」  
「……わかんない」  
「わかんない?」  
「わかんない……なんだか、山の中で道に迷って、霧に包まれて……」  
「そっか。それで、僕たちの国に迷い込んできたのか」  
「…………」  
「どうしたの?」  
「……やっぱり……こわい……」  
「怖い? どうして?」  
「……だって……」  
 
それっきり、言葉が途切れる。……不安なのかな、って思った。  
モノノケとか妖怪とか、ずいぶんな言われ方をしたけど、ヒトたちの世界では、ボクたちはそんな風に思われてるのかもしれない。  
「それでも、安心して」  
「……」  
「ボクは、怖い狐じゃないから」  
「…………うん」  
しばらく、じっとボクを見ていたけど、女の子は静かにうなづいてくれた。  
 
「怪我がないか、ちょっと見るから」  
そう言って、帯に手をかける。  
「あ……」  
すこし、抗うようなしぐさを見せる。  
「恥ずかしい?」  
「…………うん」  
「大丈夫。変なことはしないから」  
「……胸……さわった」  
「い、いや、あれはその、本当に偶然……」  
「……ほんとに……?」  
「ほ、本当だって……」  
「いま……どもった」  
「い、いや、だって、その、ほんとに……」  
ボクはあわてて何か言おうとするけど、気持ちだけあせって言葉が出てこない。  
「……くす」  
そんなボクを見て、女の子がちょっとだけ笑った。  
「おかしな狐さん」  
「…………」  
「うん。ゆるしてあげる」  
「そ、そう……よかった」  
なんだか、この子に振り回されっぱなしの気がする。  
「……でも……へんなこと、しないでね……」  
そう言って、女の子は目を閉じた。  
 
帯を解いて、着物をはだける。色白の肌が目に映る。  
「…………」  
 女の子は目を閉じているけど、時々恥ずかしそうに体を隠そうとする。そのたびに、怪我の痛みでぴくんと震える。  
「痛くないようにするから」  
そういいながら、服を脱がせる。  
崖から落ちたときに女の子の服は汚れたり破れたりで、けっこうひどいことになっている。こんなのを着せておいたら、逆に破傷風にかかりそうなくらいに汚れてる。  
袴と上衣を脱がせ……ようとしたけど、手足の怪我がひどいようで、動かそうとすると痛みで呻く。  
仕方がないから、短刀を取り出して上衣と袴を切り裂く。  
服を切り裂くと、少しづつ肌が見えてくる。色白の肌にはうっすらと汗の玉が浮かんでいる。  
とりあえず上衣と袴を切り裂いて脱がせると、そのまま下帯とさらしも解こうとする。  
さらしを解くと、女の子のおおきな二つの胸のふくらみが、ぷるんと揺れた。  
「……っ……」  
恥ずかしそうに、顔を背ける。  
一瞬だけ見とれてたけど、今はそんなことをしてる暇はないから。  
頭を振って煩悩を捨てると、そのまま下帯も解いて、女の子の体を束縛する余分なものを全部はずす。  
「えと……外傷は……」  
全裸の女の子の体を、じっくりと見る。  
もちろん、変な下心なんてないから。これは全部、治療のため。外傷の確認のため。うん。  
大きな怪我は、右手の骨折と足の捻挫だけ。体のほうはそんなに大きな怪我はない。  
鹿の脂を巻いて、その上から包帯をして添え木を当てる。応急処置だけど、明日診療所に向かうまではこれでいいだろう。  
 
「痛い?」  
「……ちょっと……いたい」  
「ごめんね」  
「……いいよ。あやまんなくても」  
「……あんまり、動かさないほうがいいかな」  
「だいじょうぶ……そんなに気にしないで」  
「そういえぱ……」  
「何?」  
「名前……なんていうの?」  
「……かなえ」  
ぽつりと、女の子はそう言った。  
 
ぱちぱちと、囲炉裏の中で香木が燃えている。さっき放り込んだのは、鎮痛と精神安定と……あと何か変なの……  
 
……って……たしかアレ……  
 
たしか……催淫の香木だったような……  
 
ぶんぶんと、頭を振って変な記憶を捨てる。いや、そんなはずはない。それだけはありえない。  
「どうしたの?」  
「あ、いや……なんでもない」  
「ねえ……きつねさん」  
「え?」  
「その……なんだか……」  
「何?」  
「むねが……どきどきしてる。なんだか……からだがあつくて……」  
「…………」  
やな予感って、必ずあたるんだよなぁ……  
「ねえ……きつねさん……」  
「え、え?」  
「なんだか……へんなきもち」  
「そ、そう? ……えっと、そうだ……そろそろ眠ったら? 疲れてるでしょ?」  
「ねむれない」  
かなえが、変に熱っぽい目をこっちに向ける。裸で、そんな潤んだ目を向けられるとボクの方が困るんだけど。  
「ねえ……きつねさん」  
「……」  
「いじわる……しないで」  
 
……こういう時って……ボクはどうしたらいいんだろう……  
 
(後編に続く)  
 

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