G'HARNE FRAGMENTS  
『虚空にて』  
 
 
 星の世界に近い、数万メートルの高々度。そこを飛ぶエルダーシングの空中空  
母群が、不格好な箱を投下していた。  
 コンテナほどの大きさのそれらが、五本の脚を畳んで速度を増していく。足下  
に広がる海上には、ルルイエを中心とした戦場が見えた。残光を引き飛び交う銃  
弾によって、空と海が爆発で埋め尽くされている。  
 ルルイエが上空に備え始めた頃、箱達の周りに無数の光の渦が現れた。  
 彼ら、実体の無いロイガー達に、重力や空気抵抗などは意味を成さない。銃弾、  
爆発、防壁。あらゆる物を素通りして、ルルイエに襲いかかった。  
 半魚人達の応戦が擦り抜けるのと同じく、光の腕が貫いた敵にも外傷は全く無  
い。だが半魚人は瞳を濁らせ、銃を持つ手から気力が失われていった。  
 雲間に箱が見え始めたが、数を減らした対空砲火では食い止められないようだ。  
 一つ目巨人達は、ロイガーに触れられても平然としていたが。銃器を扱えない  
彼らは、歯を剥き出しにして空を睨むしかない。まとわりつく光の渦へ棍棒を振  
っては、手応えの無さに苛立ちを増していった。  
「やっぱし、でっかい図体だと繊細さが回んないんかね。傷つき易いワタシには、  
ちと羨ましい連中かも。いやでも、あれじゃ戸川文宏を押し潰しちゃうか」  
 はためくショートの髪の下で、むにむにとガタノソアが口元を動かした。  
 箱達に先行した彼女の格好は、その辺りに出掛けるような物だ。服は強い風に  
膨らむが、同じだけの圧力を受けながら、顔は普段と変わらない。その分、悩み  
多き乙女もやれたようだが、近付いた戦場に明るく命じた。  
「イア! ツァール」  
 喚び出された二つの肉塊が、小山ほどの巨体をルルイエ上にめり込ませた。  
 生々しく脈動する、剥き出しの臓器。びっしりと表面に生えた触手が、押し潰  
した巨人を気味の悪い音を立てて咀嚼していた。  
 ツァールへ降り立ったガタノソアにも、触手は伸ばされたのだが。腕の一振り  
で数本を千切り飛ばされ、梟のように吼えながら忌々しそうに距離を取る。その  
怒りも込め、棍棒を振り上げて向かってくる巨人達に、触手が叩き付けられた。  
「いないじゃん」  
 交戦する守備隊に、目当ての者が見当たらないのだろう。ガタノソアが下唇を  
突き出す周囲へ、箱が五本脚で落下の衝撃を吸収しつつ、次々に落ちてきた。  
 中から現れた戦車や兵士が、半魚人達と交戦を始める。見境無しに触手を伸ば  
すツァールを踵で教育しながら、ガタノソアは案じるように空を見上げた。  
「こりゃ、本当に気をつけてね。戸川文宏」  
 
 ガタノソアが起こした混乱の隙を突き、上陸部隊を投入。内部への進入路を制  
圧し、確保する。順調に推移する作戦を、文宏は落下中の箱の中で見ていた。  
 核でルルイエを吹き飛ばしても、戦争は終わらない。むしろ、大クトゥルフを  
失った世界各地の半魚人達は、ますます攻撃を強めるだろう。その頭を攫って停  
戦条約を結ばせる事に、彼らは一発逆転を賭けた。  
『我々の科学力と、私の誘導を信用しなさい』  
「そっちの方が心配だわ」  
 ユリの通信に七瀬は噛み付いたが、嘲笑で迎えられて髪を掻きむしった。  
 箱の内部に固定された自衛隊の装甲車に、笑い声が上がる。ただ、硬い表情で  
押し黙る文宏を見つけ、中年の下士官が肩をどやしつけた。  
「なに、そう心配するな。ドジっても、戦争が長引くだけじゃねえか」  
「それもそうですね」  
 文宏が愛想笑いを返すと、一尉の階級章をつけた中隊長が生真面目に言った。  
「戸川君。『成せば成る、成さねば成らぬ、何事も』という言葉があるだろう。  
あれは、『成さねば成らぬが、成せば成るほど世は甘く無く』と続くんだ」  
 誘拐の実行犯は、最も機動力に優れたショゴス達に任せられた。危険な任務に、  
本来自分達が護るべき少年を送り込む事へ、内心忸怩たる思いがあるのだろう。  
中隊長は命令に逆らわない範囲で、文宏にアドバイスを贈った。  
「失敗して元々だよ。危なそうだと思ったら、すぐ戻って来なさい」  
「はい、ありがとうございます」  
 
 君らもだ、と目を向ける中隊長に七瀬達が頷き返した時、彼らはルルイエに到  
着した。  
 箱に生えた脚が、優秀なショックアブソーバーで、墜落まがいの力を抑え込む。  
すぐに走り出した装甲車の中で、ハンナがヘッドセットの具合を確かめた。  
 タイヤを軋ませながら、ツァールを迂回した装甲車が速度を上げる。その上を  
飛び越えた戦車砲が、半魚人達の固める入り口に襲いかかった。炸裂する砲弾に  
よって碧色の石扉が崩れ、瓦礫の向こうに通路が見え始めた。  
 だが、大股に接近した巨人に、前を塞がれる。文宏はボールペンを握り締めた  
ものの、立ち上がる前に巨人の一つ目がツァールの触手に貫かれた。  
 巨体の倒れる地響きの中を、車体を滑らせながら装甲車が入り口に辿り着く。  
後ろの扉が開かれると、すぐにハンナが飛び出した。  
「無事に帰って来い」  
「皆さんも!」  
 文宏は腹の底から答えたが、隊員達の背中はすでに小さくなっていた。  
 ボールペンを鞭に変え、文宏が前に向き直る。ハンナは両手両足に四人を提げ  
ながらも、曲がりくねった通路を高速で突き進んだ。出会す警備をいなしつつ、  
彼らは一路、奥へと向かっていった。  
 五人で強襲をかけた実績と、ハンナの名前。それだけで賭けに出るほど、軍司  
令部は無謀ではない。  
 今日のルルイエの用兵は堅実だが、懐が浅い。昨日の傷で、ダゴンが指揮を執  
れないと踏んだ司令部の読み通り。奇策への対応は遅く、内部の警備も整え切れ  
ずにいるようだった。  
 迫り来るロケットの軌道を鞭が逸らしたが、まだ追尾する物があった。縦坑を  
下るハンナの後ろで、壁に当たった弾が炎を吹いて誘爆する。吹き荒れる爆風を  
抜けた彼らは、通路の先が明るくなっているのを見た。  
『その先よ!』  
 ユリのナビゲーションの間にも、碧色の空間が近付いてきた。  
 円柱と幅広の階段を持つ、静謐な空気を漂わせる場所。霜と氷が失せ、かつて  
ユリ達が訪れた時のような寒々しさは感じられない。その、悍しくも神聖な領域  
へ、文宏達は荒く猛りながら突入した。  
 衝撃。  
 ハンナが太い触手に殴られ、バランスを失う。咄嗟に仲間達を放り出したもの  
の、反動もあって彼女は円柱に叩きつけられた。  
 床を転がって膝立ちになった七瀬は、嫌な汗を笑みで抑え込んだ。  
「ゾス=オムモグ。そういえば、これがいたわね」  
 見上げるような円錐形が、首周りに生えた四本のヒトデ足で、蜥蜴に似た頭部  
を撫でていた。毛髪の代わりに伸びた太い触手が、目標を定めるように文宏達を  
指し示す。誰の趣味なのか、広間のあちこちに同じ形の像が置いてあった。  
「マスター、早く行って。こいつ相手に、あんまり時間は稼げないわ」  
 七瀬が腕を刃に変え、鞭を構えた文宏へ首を振る。そうしながらも、彼女の目  
は蜥蜴頭から離れなかった。  
 ハンナ達も同意見なのを見て、頷いた文宏が走り出す。広間に巡らされた四階  
分のバルコニーから、半魚人達の銃口が狙いを定め。巨人の棍棒や太い触手と共  
に、無礼な接近を阻もうとした。  
「構わぬ」  
 澄んだ声を聞き、ゾス=オムモグがヒトデ足を伸ばして止まった。他の者達も  
同様に控え、神殿を思わせるそこに静寂が訪れた。  
 一角に修繕跡の見える、碧色の広大な空間。その中央には絨毯の敷かれた階段  
が伸び、頂点の玉座に続いている。怪我の癒えていないダゴンと、僧服のヒュド  
ラを脇に立たせながら。玉座にもたれた少女が、文宏を気怠げに見下ろしていた。  
「人でありながら、儂の前に辿り着くとは大したものじゃ。その武勇を遇し、ち  
と話がしたい。通してやれ」  
「仰せのままに」  
 ヒュドラの命令に従って、配下の者達が文宏に道を空けた。  
 柱に手をついて立つハンナを庇い、バズが辺りを鋭く見据える。同時に仕掛け  
た七瀬とリーブへ、ゾス=オムモグの触手が向かう。始まった戦いの音を背に、  
文宏は前へと足を踏み出した。  
 クトゥルフがヒュドラに何かを尋ね、さらりと長い緑髪が法衣に垂れた。まだ  
幼さの残る顔立ちだけに、ひどく疲れたような様子は違和感を感じさせた。  
「そこで良い。トガワ、だったな」  
 
「悪いが、俺はあんたを攫うつもりなんだ」  
 足を止めない文宏へ、紅い瞳が面白がるように細まった。  
「理由を申してみよ。儂を納得させるものなら、攫われてやらんでも無いぞ」  
「お戯れが過ぎます、猊下」  
 僧服の魚頭が諫めたが、緑髪の少女は煩そうに手で払った。反対側に控えたダ  
ゴンは、立っているのも辛そうながら、剣の柄に手を添えて文宏を監視し続けて  
いた。  
「さて、トガワよ。何故じゃ?」  
「この戦争を止めるには、あんたを使うのが一番だろ」  
「そうか……ならば聞けぬな。そなたらが服従するなら争う必要など無いが、そ  
うもいくまい。一族の行く末の為にも、他に道は無いのじゃ」  
「これ以上、そっちの都合で犠牲者増やされてたまるかよ!」  
 文宏が鞭を振って地を蹴ると、少し残念そうにクトゥルフは息を吐いた。慌て  
て銃を構える半魚人達を、ダゴンが落ち着き払って制止する。大きく引かれた鞭  
を見ながら、クトゥルフが静かに命じた。  
「狂え」  
 不可視の圧力に貫かれたように、文宏の全身が硬直した。  
 両腕がだらりと垂れ、その手から鞭が抜け落ちる。ぼんやりと立ち尽くす彼の  
目は、まるで死んだ魚のようだ。興味を失ったのか、クトゥルフは物憂げに隣へ  
視線を移した。  
「あれだけの意志、無駄に散らせるのは惜しかったがな。ダゴン、そなたに手傷  
を負わせるほどの勇士じゃ。せめて、その手で葬ってやれ」  
「御意」  
 ゆっくりした足取りで、ダゴンが大剣を抜きながら歩き始める。七瀬は文宏の  
名を呼ぼうとして、ゾス=オムモグに胴を切り裂かれた。  
 落ちかかる上半身を、首に巻き付いた触手が吊り上げていく。バズとリーブが  
前後から飛び掛かったが、瞬時に消えた円錐形が背後から叩きのめす。上で隙を  
窺っていたハンナは、文宏の傍に現れた人影に息を飲んだ。  
 さっきまで誰もいなかったはずの場所に、黒いメイド服の少女が立っていた。  
何の前触れもない出現で、どこから来たのかも分からない。  
 文宏の前に立った少女が、彼の頬に手を添えて踵を上げた。  
「大好きだよ、文ちゃん」  
「貴様の企みに、掻き回されるわけにはいかぬ!」  
 唇を離した少女の首が飛んだ事に、一番驚いたのはダゴンだろう。切った自分  
の剣に混乱した視線を向けつつも、床に転がった鞭を遠くへ蹴り飛ばす。距離を  
取って身構える魚頭など無視して、文宏の目は転がる頭を追っていた。  
 藤野梢の頭は、浮かべたままの笑顔を横にして止まった。  
 黒いメイド服を着た体が、噴き出した血を文宏にかけながら倒れる。全身に赤  
い筋を引いた彼の瞳には、何も映ってはいなかった。  
「……なんだ、安心したよ。僕は少しも、ほっとなんかしてないじゃないか。ほ  
ら! こんなに辛さとか、苦しさ、悔しさだけが溢れてくる。すごいね、こんな  
に嬉しいことがあるなんて、今まで考えた事も無かったよ」  
 言い終える前に、文宏は心底楽しそうに笑い始めた。  
 抑えきれずに口をついて出た歓喜が、金切り声を混ぜながら広間中に響き渡る。  
そんな彼へ、痛ましげな表情でダゴンが歩み寄った。  
「人とは脆いものだな」  
 文宏の前へ、翼をもがれたハンナが叩き付けられる。呻きながら背後を見る彼  
女につられたのか、彼の目もそちらを向いた。  
 まだ、七瀬の足は立ったままだった。首を絞める触手にもがく上半身は、切り  
離された部分から血と臓物を垂れ流している。別の触手に縫い止められたバズが、  
離れようと鎌で切り付けており。リーブは左腕を再生させながら、邪魔な巨人の  
頭を潰して蜥蜴頭に向き直った。  
 笑い続ける文宏の髪が、体の震えで揺らめく。止めを刺そうとしたダゴンに、  
彼の腕から何かが伸びるのが見えた。  
「いかん! 逃げるのじゃ、ダゴン」  
 クトゥルフの声が響いたと同時に、幾本もの鞭がダゴンに伸ばされた。  
 身を庇う大剣や鎧に易々と穴を開け、魚じみた体が貫かれる。ダゴンは口から  
血を吐きながら、何が起きたのか理解しようとした。剣と擦れた部分で、鞭は表  
皮の下から金色の地肌を見せていた。  
 
 鞭が引き抜かれ、ダゴンの全身から血が噴き出す。よろめいて距離が離れたの  
で、文宏に銃弾が浴びせられたが。その全てを、鞭が叩き落としていった。  
「文宏君には、アトゥの種を撃ち込んでみたの」  
 背後から聞こえた声へ、クトゥルフが忌々しげな目を向けた。  
 ニャル様が見せびらかすように、でかい銃を振っている。玉座の後ろから顔を  
出した彼女を見て、硬直しながらもヒュドラが文宏の足下を確かめる。いつの間  
にか、そこから黒いメイド服は頭ごと消え去っていた。  
「ディープワン達みたいに、存在概念まで失うとは思って無かったけど。同化ど  
ころか、喰っちゃうとは予想以上だったな」  
 瓦礫の中に、ユリの造った鞭が埋もれる。それは今まで常にそうだったように、  
一筋の線だけを伸ばしていた。  
「貴様、トガワに何をした」  
「狂気を鍛えるのは、鋼と似てるよね。壊して癒し、希望を与えて絶望させる。  
人間の精神は揺れ動くから、限界域も超えて発狂出来るんだ。ほら見て、アトゥ  
の巻き髭まで、文宏君の素晴らしい狂気に感動してるでしょ」  
 鞭は柱といわず壁といわず、触れる物を全て破壊し始めた。引き金を引きっぱ  
なしにした半魚人や、一つ目の巨体も、あっさりと打ち砕かれていく。  
 彼の背後で、踏み止まったダゴンが斬り付けようとする。だが、体を幾筋かの  
錐へと変化させたハンナに突き破られ、腹に大穴を開けながら後ろへ倒れた。錐  
は再び集まってハンナの姿に戻ると、姿勢を低くして七瀬達を救う機会を窺った。  
「では儂も、まんまと貴様に踊らされたわけか」  
「人を強制的に発狂させるのは、クトゥルフ君が一番上手いから。ちょっと手間  
がかかったけど、復活させて正解だったよ。私の見せ場も整えてくれたし」  
「貴様の望みは何じゃ、我らの根絶か?」  
「なにそれ」  
 嗤いながら首を傾げるニャル様に、クトゥルフも自嘲した。ニャル様がその気  
なら、まだるっこしい事をする必要など全く無いだろう。爪の先で、銀河の一つ  
二つは簡単に叩き壊せる存在なのだから。  
「準備は全て終わったからね。後は文宏君がどうするか、見届けるだけだよ」  
 楽しみ、と呟いてニャル様が頬杖をついた。  
 
 吹き荒れる破壊の余波で、ざわざわと文宏の髪が舞い踊る。石片が折り重なり、  
瓦解したバルコニーを塞いでいった。  
 空中を泳ぐように襲う鞭と、ゾス=オムモグの太い触手が打ち合う。互角に見  
えたのは一瞬だけで、鞭は容易く触手を貫き、別の鞭がそれを刎ね飛ばす。解放  
された七瀬が落ちてくるのを、空中でハンナが受け止めた。  
「てけり、り」  
 彼女に応えたリーブが七瀬の下半身を拾い、部屋の隅へと走る。根元で切れて  
だらりとした触手を抜き、バズも彼らのところに向かっていく。  
 巨大な円錐形を刺そうとした鞭は、対象が消え去った為に壁に突き立った。  
「マスター、気を付けて。あいつは自分の像へ、瞬間移動する力があるわ」  
 七瀬が胴を修復しながら、ゾス=オムモグの像に迫る鞭に再度忠告しかけた。  
しかし、簡単に壊れるはずの無いそれらは、あっけなく砕けていった。自分の似  
姿が壊される怒りに表情を歪め、蜥蜴頭が文宏の背後の像から抜け出てきた。  
 跳ね上がった鞭が、現れきる前に像ごと真っ二つに切り裂く。左右へ倒れるゾ  
ス=オムモグの体に鞭が走り、細かな肉片が辺りに飛び散った。  
「下がっておれ」  
 クトゥルフは玉座に深く腰掛けたまま、抗弁しかけるヒュドラに続けた。  
「儂が死んだ後は、そなたしか一族をまとめられる者はおらぬ」  
「猊下こそ、お逃げ下さい。ここは、私が」  
 ヒュドラは、身を盾にして庇おうとしたのだが。階段を上がってくる者を見て、  
足が竦んで動けなくなってしまった。  
 くるりと巻かれた無数の髭を従えて、一歩一歩、文宏が足を進める。  
 いつの間にか、狂熱に浮かれた笑い声は止んでいた。彼の顔にあるのは、爽や  
かな微笑でも無い。正気、憤怒、苦衷、悲哀、歓喜、狂気。ありとあらゆる感情  
が塗り込められ、かえって無機質にも見える。  
 充分に近付いた彼を見据えて、クトゥルフが唇の端を持ち上げた。  
「殺せ」  
 言霊の命令に従い、鞭が猛り狂って彼女へ殺到する。ヒュドラが洩らした悲鳴  
を掻き消し、玉座が貫かれていった。  
 
 だが、クトゥルフの周りに突き立った鞭は、全て彼女の体を避けていた。怪訝  
そうな彼女に、両手で鞭を握って苦痛に呻く文宏が見えた。掌や腕を鞭に貫かれ  
てまで、なんとか抑え込んだらしい。顔を上げた彼の目には、強い意志の光が戻  
っていた。  
「それが、文宏君の選択なんだね」  
 にこにこと笑いながら、ニャル様が顔の脇にある鞭を指で弾いた。  
 文宏が引き戻すと、鞭達は不服そうに地を這いながら、彼の腕に吸い込まれる。  
傷口から血を流しつつ歩み寄る彼を、射殺さんばかりにクトゥルフが睨んでいた。  
「情けなどいらぬ」  
「ざけんな」  
 クトゥルフの前に立った文宏が、よろめいて玉座に手を着く。間近で睨み合う  
二人は、どちらも激しい怒りをぶつけあった。  
「あんたを殺したら、戦争が終わらねえんだよ」  
「そちにとって、儂はラーン=テゴスの仇であろう」  
「目でも悪いのか? 周り見ろよ。俺だって、あんたの部下を何人も殺してる  
じゃねえか。それで悲しむ奴だっているんだろ。辛いんだよ、大事な奴が死んじ  
まうのは! こういうの、もう沢山だとは思わねえのか」  
 ぎりっと歯を噛み締めた文宏から、血と汗が滴り落ちる。頬を伝う血よりも紅  
い目が、鋭さを増したようだが。開いた口からは言葉の代わりに、苦しげな息が  
吐き出された。  
 近くに来て、文宏にも分かったのだが。クトゥルフが玉座に深くもたれている  
のは、面倒だったからでは無いらしい。  
 体調が悪いのか、息をするのも辛そうだった。汗ばんだ肌は上気しており、引  
き結ばれた唇も震えている。動かなかったのではなく、動けなかったようだ。  
「見ての、通りじゃ。儂は抵抗出来ぬ。生き恥を晒す気は無い、早く殺せ」  
「ほっといても死ぬけどね」  
 楽しそうな笑い声に、文宏は嫌そうな顔でニャル様を見た。  
「何かしたのか?」  
「ううん、なーんにもしてないよ。この子の体が、メル君を元にしてるのは知っ  
てるよね。私、彼女は癒して無いから」  
 玉座の後ろから乗り出すニャル様に従って、文宏も改めてクトゥルフを見た。  
「悶え死にさせるなんて、残酷で素敵に悪趣味だよ」  
 ニャル様が褒め称えるように言いながら、法衣に手をかける。クトゥルフは止  
めようとするのだが、力が入らないらしい。めくり上げられた服の下に文宏は息  
を飲み、クトゥルフは赤い顔を逸らした。  
 愛液に濡れきった下着は、隠す役を果たしていなかった。くっきりと陰唇を浮  
き上がらせ、形どころか色まで透けてしまっている。  
 法衣の内側にも、べったりと染み込んでおり。溢れた蜜が、水溜まりのように  
玉座へ広がっていた。  
「ほら、肌が文宏君の血と汗を吸ったせいで、我慢しきれなくなってる。子宮に  
精液が欲しくてたまらないから、こんなに泣いちゃって」  
「やめろ、やめてくれ」  
 クトゥルフは言いながら、自分を見る文宏に目を潤ませた。無意識のうちに脱  
がせ易いよう腰が上がり、ニャル様が下着を取り払った。  
 手はそのまま、愛液にまみれた太股を開かせていく。首を振るクトゥルフの下  
で膣口は涎を流し、文宏に見られる事に喜ぶ。濡れた下着の擦った跡も分からな  
くなるほど、そこは汗と愛液で満たされていた。  
「クトゥルフ君を生かしておく気なら、姦り終わるまで待ってあげるよ」  
「嫌じゃ嫌じゃ」  
 何を待つのか聞こうとした文宏を遮って、クトゥルフが怯えた声を出した。  
「頼む、トガワ。情けがあるなら、せめて殺してくれ。そちに発情する体で交わ  
れば、儂は他の雄を受け入れられない体になってしまう」  
「別にいいじゃない」  
 意地悪く笑うニャル様へ、悔しそうな顔が向けられたが。その一方でクトゥル  
フの手は陰唇を開き、文宏を欲する膣口を指し示した。  
「一族の末路を案じたからこそ、戦さを起こしたのじゃ。範となるべき儂が、そ  
の轍を踏むわけにはゆかぬ。だからトガワ、犯してく……違う」  
 クトゥルフが目を強く瞑り、呼吸を整えようとする。文宏のズボンを脱がせよ  
うとするのは引き留めたが、その手は顔へと持っていかれた。  
 
 匂いを嗅ぐどころか舐めようとする自分に、何度も彼女の頭が振られる。対処  
に困った文宏へ、ニャル様の楽しそうな声が掛けられた。  
「そうだ、良い事を教えてあげるね。ラーン=テゴスは無限で無敵なの。生贄に  
されたぐらいで、滅びるわけが無いじゃない。メル君と君達の子供の魂は、クト  
ゥルフ君の中で眠ってるよ」  
 ニャル様はクトゥルフの腹を撫で回しながら、悪戯っぽく微笑んだ。  
「孕ませたら、出て来られると思うんだけど。会いたく無いかな?」  
「いや、理由がどうだろうと。嫌がってる女を、無理矢理犯す趣味は無えよ」  
 クトゥルフが顔を上げ、しっかりと文宏を見る。思わず見惚れそうなほど毅然  
とした態度で、彼女は彼に命じた。  
「犯せ」  
 文宏の陰茎が、ズボン越しにも分かるほど隆起する。言葉に操られるままに下  
着ごと脱ぎ捨て、クトゥルフの肩に手をかけたが。陰唇に先を触れさせながら、  
文宏は踏み止まっていた。  
 それを見たクトゥルフが、ぼろぼろと大粒の涙を零し始めた。  
 泣き続ける童顔は頼りなく、とても可愛らしい物に見える。頬を文宏の手が拭  
うと、気持ち良さそうに頭を預けてきた。  
「すまぬ、トガワ。儂は、快楽に屈してしもうた。だが、こんな苦しいのは、も  
う嫌じゃ。犯すのが嫌ならば、殺すでも良い。頼むから、早く楽にしてくれ」  
「無理矢理は、趣味じゃねえって言っただろ」  
 クトゥルフは再び謝りかけたが、入ってきた陰茎に安心したように微笑んだ。  
 
 初めてだったのか膣は狭く、陰茎をきつく締め付けた。苦痛混じりの声に、文  
宏が止まろうとするものの。クトゥルフが力の入らない両手両足で引き寄せ、奥  
へ奥へと導いていった。  
 埋まりきった彼の先に、子宮頚部がまとわりつく。処女地を拓かれたクトゥル  
フが、悔恨と満足の両方を込めて呟いた。  
「儂の体が、そちを覚え込んでしもうた。これでもう、他の雄とは交われぬわ」  
「さっきも言ってたよな。戦争の原因だとか」  
「うむ。我が一族に発情期は無く、雄が体液で雌を興奮させるのだが。それが為  
に、存亡の危機に立たされてしまったのじゃ」  
 その効果は母体だけでなく、産まれた子供にまで及んだ。娘は父親以外で、ほ  
とんど快楽を得られず。息子は母親に欲情するものの、母の体は父以外には反応  
しなかった。  
 近親相姦が遺伝の幅を狭くして、病気の流行に弱くなるだけではない。父と娘  
から産まれた子供が、父親としか交われない体である事に問題があった。  
 いずれ父親が死ねば、新たな子供は産まれなくなるのだ。  
 幾つかの種族を無理に繁殖実験に使ったせいで、母星を失う戦争が起きた。地  
球でエルダーシングと争ったのは、繁殖相手を選ばないショゴスの製造技術を欲  
したからだが。ショゴスは不定形な体を半魚人にすると、呪わしい催淫効果まで  
備えてしまう事が分かった。  
 絶望と共にルルイエは封印されたのだが。その間に、半魚人達が繁殖に適した  
相手を見つけ出したのだ。  
「それが、キタミール星人の血を引く者達じゃ。ショゴスと同じく不定形な彼ら  
だが、種の保存に反する遺伝子は本能的に書き換えるらしい。一族の衰退を食い  
止めるには、他に方法は無かった」  
「ちょっと待てよ。催淫効果を中和すれば良いなら、多分、出来るぞ」  
「本当か?」  
「ああ。俺の体液がそんなだった時に、使ってる娘がいたんだ。あの体液は半魚  
人達が元だと言ってたから、同じ薬で効くと思う」  
「分かった、トガワを信じよう。ヒュドラよ」  
「心得ております。ただちに、停戦交渉にかかるとしましょう」  
 恭しく頷いたヒュドラが、広間の外へと歩き出した。去り際に畏怖の眼差しを  
受けたものの、ニャル様は注意すら払わなかった。  
 文宏から気がかりが抜けた事を感じて、クトゥルフは甘えるように身を寄せた。  
「その薬があればな。儂も心おきなく、そちに溺れられたものを」  
「なんか勘違いしてるね」  
 目を上げたクトゥルフに、ニャル様が笑いながら続けた。  
「今の文宏君の体液に、そんな効果は無いよ。メル君を元にした体が求めている  
から、興奮しちゃうだけ。文宏君のせいじゃなくて、クトゥルフ君が淫乱なの」  
 
 クトゥルフが問いかけるように見ると、文宏も頷く。催淫効果はニャル様に治  
されたと言う最中にも、彼女の膣内が動き始めた。  
「だ、ったら、早く注ぎ込んでくれ。子宮が疼いて、あんっ、辛いのじゃ。それ  
とも、儂を孕ませとうは無いか?」  
「てけり、り」  
 腰を突き上げる文宏によって、力の抜けきった手足が投げ出される。半開きに  
なった目が、ぼんやりと彼を見返し。快楽に蕩けた顔は、口元から涎を垂らして  
いた。  
 文宏が法衣の下へ手を伸ばすと、たっぷりした胸が柔らかい感触を返した。  
 尖った乳首が掌で擦れ、その度に膣内が反応する。振り乱される緑色の髪は、  
法衣と同じく、玉座に溢れた愛液に濡れていった。  
 体が覚えた、というのも比喩では無いらしい。  
 陰茎の形に合わさるように、ぴったりと膣内が吸い付き。満たした愛液が無け  
れば、少しも動けなかっただろう。奥の唇は彼を咥え込んで離さず、下りていた  
子宮が大きく揺さぶられる。  
 あどけなくクトゥルフが微笑むと、文宏は彼女の体を抱き締めた。  
 どくんっ、どくどくどくどくっ、どくどくどくっ  
 子宮口に押しつけながら、長い射精を注ぎ込んでいく。胎内に広がる精液を感  
じて、荒かったクトゥルフの呼吸が少し落ち着いてきた。  
「トガワ。儂はもう、そちの精か種が、常に子宮に無くば己を保てぬ。ラーン=  
テゴスを産んで用済みとなったら、殺してくれて良い。だが出来れば、それまで  
は偽りでも構わぬ、愛を囁いてくれまいか?」  
「誰が、メルを産んだら終わりだなんて言ったよ。お前にはこれから、嫌ってぐ  
らいに、俺の子供を産ませ続けるからな」  
「それは無理じゃな。そちの仔を孕んで、儂が嫌がるはずが、ひゃんっ」  
 ようやく放出を終えた文宏が、再び動き始める。クトゥルフは邪魔な法衣を脱  
ぎ捨て、ぴったりと彼に体を預けて応じていった。  
 裸になった為に、玉座を濡らした愛液で体が滑るようだ。予想外の突き上げを  
何度も受けるうち、太股を震わせてクトゥルフがしがみつく。膣内の蠢きに逆ら  
わず、文宏は何度も注ぎ込んだ。  
「今まで幾度、全てを投げうって、ひゃうっ、そちに身を任せとうとしたか。せ  
めて一度などと早まらず、良かっ、あんっ」  
「お前みたいな良い女、俺が帰すわけが無いからな」  
「うつけが、儂が離れられんのじゃ。どこもかしこも、トガワを覚え込んでしま  
ったわ。トガワの種を受け入れて、あふっ、胎が喜びに震えておる。儂はきっと、  
ああっ、そちに抱かれ、そちの仔を産む為だけに存在するのじゃな」  
 クトゥルフの全身からは力が抜けきり、なすがままにされていた。自分からも  
動こうとするようだが、文宏の打ち付ける腰に揺れるだけだった。  
 だというのに文宏が徒労を感じないのは、彼女の表情のせいだろう。  
 蕩けた顔が、膣内を擦られる度に切なそうになる。顔のわりに大きな胸や、肉  
付きの良い太股の柔らかさもあるが。彼の形を覚えきった膣は、根元まで埋める  
とちょうど子宮口に当たるのだ。  
 注がれる度に、本当に嬉しそうに笑う。それが見たくて、文宏は全く堪えずに  
子宮へ精液を浴びせ続けていた。  
「もっと、あんっ、儂を満たしてくれ。今この場で孕みたいのじゃ。処女を与え  
たのじゃから、替わりに仔を孕ませ、ひゃあんっ」  
「でも、勿体ないな。妊娠したら、ふうっ、またしばらく抱けなくなるだろ」  
「案ずるでない。人間とは、ああっ、儂の体は造りが違うでな。同時に孕みはせ  
ぬが、臨月になろうと思う存分、ふあっ、注ぐが良い。儂はどうも、トガワの精  
を呑むのが嬉しくて仕方無いらしい。あんっ、無理にとは言わぬが」  
 残念そうに呟く唇に自分のを重ね、文宏はクトゥルフの体を抱き締めた。力の  
入らない彼女が何度も彼の名を呼ぶ中へ、たっぷり注ぎ込んでいった。  
 どくっ、どくどくどくっ、どくんっ、どくどくどくっ  
 溜まりきった小水のような量を出しても、まだ収まる様子は無い。碧の髪ごと  
引き寄せて、文宏は彼女の奥を突き上げ続けた。  
「もう、いけるわ」  
「無理は止すザマス」  
 七瀬が体を起こすと、腹を押さえた手から滲む血にバズが首を振った。  
 柱の傍に集まった彼らは、ずっと玉座を注視してきた。より正確には、その上  
に座る黒いメイド服の少女を。  
 
「あれに立ち向かおうってのが、どだい無理なのよ」  
「てけり、り」  
「その通りでガンス。あっしらは別に、這い寄る混沌へ手出しする気など無いで  
ヤンス。マスターが面倒に巻き込まれ無いうちに、連れて逃げるだけで」  
 リーブの筋肉質の体を蹴飛ばそうとして、七瀬の体が半分からずれる。両腕で  
抑えて座り込む彼女へ、バズは長身を屈めて告げた。  
「かえって足手まといザンしょう。大人しく、待っているザンス」  
「残念。もう時間なんだな」  
 背後から聞こえた声に、四人が慌てて振り向いた。  
 しかし、そこには誰の姿も無い。確かにニャル様の声だったが、と玉座に向き  
直って、バズが鎌を生む。他の三人も身構え見る先で、ニャル様が銃をくるっと  
回転させた。  
 現れた小箱から石を取り出し、文宏の隣に飛び降りる。行為後の気怠さにあっ  
た彼へ、ニャル様は赤い線の入った石を近づけていった。  
「それじゃ、そろそろ行こうか」  
「というより、俺は何をさせられるんだ?」  
「やるべき事をするだけだよ。この宇宙に生まれる全ての者に与えられた、究極  
的な使命を果たすの」  
 にっこり笑うニャル様の手で石が光り、文宏の体は点滅するように透け始めた。  
 驚いたクトゥルフが掴もうとするが、感触はあるのに擦り抜けてしまう。そこ  
に存在すると同時に、彼はどこにも存在していなかった。  
 賢者の石とは、鉄を金に変えられる物体だ。  
 金ほどの重い元素を生み出すには、銀河二つをぶつけて完全に破壊した熱量が  
必要になる。だから金は、ほとんど宇宙誕生の頃の物しか存在しない。  
 だが、もし鉄が酸化して金になるならば、話は別だろう。人間とアトゥが同化  
するはずが無くても、混ぜてしまえる。賢者の石とはそのように、宇宙を構成す  
るルールそのものを捻じ曲げる代物だった。  
「待て!」  
「たっぷり待ったじゃない」  
 変なの、と笑ったニャル様が、クトゥルフの伸ばした手の先から消える。だが  
実際に遠ざけられたのは彼女の方で、いつの間にか壁に背中をつけていた。  
 鈴鳴りのような音を立て、壁に水の照り返しに似た光の帯が踊る。恐ろしいほ  
どに神々しい気配が、広間に漂い始めた。  
 ニャル様が取り出したエジプト十字で床を突くと、円状に空気が吹き上がった。  
近付こうとした七瀬達が、圧力に身を屈める。抵抗出来ない瓦礫は天井ごと飛ん  
でいき、広がった大空から門のような物が下りてきた。  
「じゃ、行こっか。ロバ・エル・カリイエに」  
 気楽に言うニャル様に、逆らえないのを知って文宏も肩を竦める。光の色が白  
から黒に変わって、広間を闇に満たす。玉虫色に輝く光球の集合体が、彼らの周  
りをぐるっと飛び、  
 二人の存在は、この宇宙から完全に消失した。  
 
 放射状に伸びる光の線が、文宏の下に広がっていた。青や白に赤など、様々な  
色の帯となって後方に流れていく。  
 何か、巨大なうねる物に乗っているらしい。光の線は直線ではなく、折れ曲が  
ったり捻れたりを繰り返している。彼が次第に離れていくと、それは菫色に光る、  
とてつもなく大きな波なのが分かった。  
 周りのあちこちにも、同じような菫色の波が漂っている。  
 他には何も無い、途方もなく広い空間。そこでは時折、接近した波同士が一部  
分をぶつからせて、互いに波紋を広げていった。  
「あれが、ビックバンだよ」  
 横から教えるニャル様に、文宏は首を傾げた。だが、彼女が続けるより先に、  
理解したようだ。  
「物質は波だとか、ビックバンの余波って、まさか」  
「そうそう。菫色の波に広がって消える、波紋があるじゃない」  
「あれが、宇宙」  
「よく出来ました」  
 ニャル様の笑みを受けて、彼は驚き開いた目で辺りの光景を眺めた。  
 
 ビックバンのエネルギーが、物質に見えているだけだとしたら。人も、銀河も、  
時間も、空間も、物質も、素粒子も、光すら。最初の爆発で広がった宇宙が、最  
後のブラックホールを燃え尽きさせて終わる百兆年という時さえも。  
 あらゆる全ては、波同士がぶつかる微かな揺らぎに過ぎない。彼の見る前でも  
再び波紋が広がり、そして無くなっていった。  
「凄いな」  
「流石は文宏君。真実を悟っても、平気みたいだね」  
「いや、感動してるって。宇宙の始まる前に何があったのか、ビックバンのエネ  
ルギーはどこから来たのか。これだったら、納得出来るよ」  
「全ては泡沫の夢に思えて、悲観的になったりしない?」  
「するわけないだろ。どのみち、人間の精神だって、脳を走る電気信号の幻みた  
いなもんなんだ。楽しい夢なら満足だし、何よりスケールが大き過ぎる。寿命が  
百年の俺は、宇宙の終わりを嘆くほど長く生きらんないって」  
 目を輝かせて見入っている文宏に、ニャル様は満足そうに頷いた。  
 彼女を殺せる資格は、たった一つ。宇宙の真実を、あるがままに受け止められ  
る事。その前提があればこそ、彼女に観察される価値も生まれるのだ。  
「でも、待てよ。あの菫色のうねりは、どこから来たんだろう」  
「まさに、それこそが文宏君を呼んだ理由なんだよ」  
 そう言ったニャル様が賢者の石を翳し、辺りの光景が一変した。  
 地平線まで続く、だだっ広い白い床。ぐるっと見回す文宏の足下を、ごろごろ  
と妙な物が転がっていった。形を常に変えるので、蟇だか蛸だか烏賊だかも分か  
らない。  
 フルートのような音を立てる彼らの向こうに、緑色の炎が浮かんでいた。誰か  
の寝ているベッドを、照らし出しているようだ。  
 ニャル様の手招きに従い、ベッドへと文宏が近付いていく。その上に、大の字  
になって眠る、白い少女がいた。  
 ゆったりした服、細い手足、肩にかかった長い髪。全てが白で出来た少女が、  
静かな寝息を立てている。発展途上の胸が上下する様子が、ひどく艶めかしい。  
いきなり沸き起こった興奮に、文宏は軽い眩暈を感じた。  
「アザトース様、起きて下さい。あちこち駆け回って、連れてきましたよ」  
 揺さぶられた彼女が頷いてみせ、寝返りを打つ。再び気持ち良さそうに眠り込  
む顔面へ、ニャル様が肘打ちを入れた。  
 かなり愉快な悲鳴を上げ、白い少女が飛び起きる。唸りながら顔をさすったア  
ザトースが、黒いメイド服に促されて文宏を見た。  
 赤ん坊より純真無垢でありながら、絶頂の最中よりも淫らな眼差し。  
 とてつもない美を見た文宏が、ベッドに歩み寄った。アザトースが困ったよう  
に胸元を押さえて、あたふたと左右へ目をやる。その後頭部を手加減無しに、  
ニャル様がバールのような物で殴りつけた。  
「何やってるんですか。文宏君の方は準備出来たみたいだし、後はアザトース様  
次第でしょうが。気に入らないなら、替えてきましょうか?」  
 ちらっと文宏を見上げて、アザトースが再び視線を落とす。それはとても、妖  
艶で清楚な仕草だった。  
 ごくりと唾を飲んだ文宏が、彼女の肩に手をかける。頬を染めながら待つ彼女  
を見るだけで、陰茎が強く脈打つ。それでも彼は自制してみせた。  
 そんな彼の様子に、アザトースは睫毛を伏せたまま小首を傾げた。  
「文宏君は、嫌がる女を押し倒さないのが信条みたいですから。シたいなら、は  
っきり言わないと伝わりませんよ」  
 うなじまで赤く染めた少女が、口を開きかけて閉じる。その頭頂部に銃をつき  
つけて、ニャル様が劇鉄を起こした。  
「今更、何を恥ずかしがってるんです」  
 唇を尖らせたアザトースの頭を、ぐりぐりとニャル様が銃で押した。  
「男漁りを命じたのは、アザトース様でしょ」  
 少し違うと抗議したので、容赦無く銃弾が放たれた。涙目になって頭をさする  
アザトースが、文宏の熱い呼吸に気付いて顔を上げる。潤んで自分を見つめる瞳  
へ、彼女は可憐かつ淫蕩に頷いた。  
 唇へ吸い付いた文宏は、我慢し続けた呼吸をするように表情を和らげる。その  
髪を撫でるアザトースの手つきは、聖母のようでも娼婦のようでもあった。  
 文宏の手が服の下に入り込むと、処女のように慣れた反応が返る。舌も色狂い  
の女じみて、おずおずと絡んできた。  
「文宏君。アザトース様は、待ちきれないみたいだよ」  
 
 ふるふると首を振る主人を無視して、ニャル様が文宏を目で促す。太股を擦り  
上げた指に、まだ準備の出来ていない濡れきった陰唇が触れた。不安そうな声と  
同じく、そこは指を挟んで早く中へ導こうとしていた。  
「悪い、もう我慢出来そうにねえ」  
 呟く彼に手を重ねたアザトースが、童女のように成熟した顔でキスをする。離  
れた彼女の唇を追いながら、文宏は下着を脱がせて突き入れていった。  
 処女なのか狭い肉が、熟達の娼婦より巧みに絡みつく。淫らに腰を揺り動かし  
ながら、アザトースは痛がってシーツを握り締めた。  
 彼女は万能でありながら、誰よりも無力なのだろう。あらゆる事が可能で、何  
一つ出来ない。根源にして終焉。始まりにして終わり。全てを知る賢者かつ、何  
も知らない白痴だった。  
 繋がったそこは、まさに沸騰する混沌の核だ。  
 あらゆる全てよりも神聖で、他の何よりも淫靡な感触が伝わってきた。広がっ  
た白い髪に、彼女を征服したから征服されのだという、混然とした実感が沸き上  
がる。  
 硬く柔らかい胸を押し潰しながら、文宏は逃げようとしがみつく彼女を抱き締  
めた。押し出されるように引き込まれるまま、奥へと注ぎ込んでいった。  
 どくっ、どくどくどくっ  
 荒く静かに呼吸するアザトースにキスをして、華奢な体にもたれかかる。痛み  
に引きつりつつ誘うように絞る膣内を、ゆっくりと文宏は往復し始めた。  
「一番低い『ラ』の音は、一分間に四百回振動するんだよ」  
「いきなり、何なんだ?」  
 文宏が顔を上げると、ニャル様は打ち合う水音を示して言った。  
「その音は四十万年に一回、振動してるの。つまり、これが宇宙の始まりを告げ  
る音楽、ってとこかな」  
「……ああ、そうか。ようやく、俺にも分かってきた」  
 さっきの菫色の波がぶつかっていたのを人の姿にすれば、今の彼らと同じにな  
るのだろう。宇宙とはつまり、アザトース達の快楽が高まって静まる、その波に  
過ぎないのだ。  
「だったら、俺はさっきの波になってるのか?」  
「一時的に波を大きくしただけだけどね。でも、アザトース様を孕ませる時間は  
あるよ。それが、文宏君を呼んだ理由ってわけ」  
「てけり、り」  
 アザトースは動きを速めた文宏に、怯えたように悦んだ。  
 疲れると眠り込み、起きている間は交わり合う。文宏の感覚で一ヶ月もすると、  
アザトースも痛みを見せなくなり。半年ほどで感じる部分を知り尽くし、一年で  
必ず同時にイけるようになった。  
 十年後には繋がっているのが当たり前に感じられ。百年経つと、内部の構造も  
互いに分かってきた。  
 括約筋をなぞってやるうち、陰茎が振動したのを感じたのだろう。アザトース  
が開いた子宮頚部で、先端を受け止める。文宏は目を閉じても分かる子宮口に、  
先を当てて吐き出していった。  
 どくんっ、どくどくどくっ  
 流し込まれる精液に、気持ち良さそうに彼女が目を細める。千年が過ぎた頃、  
文宏にも常に矛盾する彼女が、理解出来始めた。  
 一千億年後、二人は一つの存在のように馴染んでいた。  
 数百兆年の数万倍が過ぎ去ったと同時に、十の五十乗分の一も時間が経ってい  
ない後。文宏が注ぎ込み、アザトースが受け入れるのは当たり前だった。呼吸を  
するように互いを求め、相手に快楽を与える事で自分も感じる。癖も知り尽くし、  
目すら合わせずとも、互いが何を望んでいるのか察しが付くほどだ。  
 最極の空虚<ロバ・エル・カリイエ>に、時間は存在しない。永くて一瞬の時  
間を、常に繋がり続けた彼らは、それ以前の状態など想像もつかなかった。  
 内壁を擦る文宏を、太股で挟みながらアザトースが迎え入れる。押し潰した胸  
の柔らかさを味わいつつ、華奢な体を引き寄せた。アザトースが抱き締め返した  
だけで、ぴったりと子宮口に先端が合わさった。  
 どくっ、どくどくどくどくっ  
 何千億の何千兆倍、こうして注ぎ込んだのだろうか。果てしない快楽の流れの  
果てに、文宏は初めて彼女の声を聞いた。  
「ありがと」  
 
 幾つもの宇宙を生み、消滅させた末に。文宏は宇宙に存在する者の持つ、究極  
的な使命を果たした。  
 それは、愛して愛され、次の世代を生み出す事。  
 満足感に少しの寂しさを混ぜながら、文宏は最後にもう一度、アザトースを抱  
き締めた。微笑む彼女の唇を感じたのが先か、ニャル様の声が聞こえたのが先か。  
文宏には良く分からなかった。  
「それじゃ、縁があったらまた会おうね」  
 
 吹き飛んだ広間の天井から、青空が見える。  
 辺りを埋めた黒い光が失せていき、辺りの様子が分かり始めた。すぐに駆け出  
した七瀬達が、見当たらない黒いメイド服の少女に戸惑う。周囲を固めて警戒す  
る彼女達へ、文宏は空を見上げ続けたまま苦笑した。  
「心配いらないよ。もう、ニャル様は行ってしまったから」  
 その声は、急に思慮深さを増したように聞こえた。彼の見ている物が知りたく  
て顔を上げた七瀬が、慌てて盾で仲間達を庇った。  
 続いて彼らの周囲に、天井の瓦礫が落ちてくる。しばらくして地響きが止むと、  
安全を確かめてから七瀬は腕を戻した。  
『応答しなさい。大丈夫なの?』  
「てけり、り」  
 ハンナが答えると、通信機からユリのほっとした息が届いた。天井の穴から除  
く空に、ダイアー・ウィリアム教授号が入って来た。距離を取って飛ぶ竜や戦闘  
機達も、攻撃を仕掛けるつもりは無いようだ。  
 大きく手を振るリーブの横で、バズが少し気取りながら手を挙げる。彼らを見  
回した文宏が、近くにいた七瀬とハンナの肩を叩いた。  
「お疲れさん。どうやら、無事に終わったみたいだな」  
「何があったのよ」  
 質問には答えず、やや寂しげな微笑で文宏が歩き始める。バズ達にも声を掛け  
てから、彼は座り込むクトゥルフに手を差し出した。  
「立てるか?」  
「心配かけおって。そちは、儂が見張っておく必要がありそうじゃな」  
「うちに来たいなら、素直にそう言えばいいのに」  
 膨れるクトゥルフを立たせて、文宏が再び空を見上げた。その視界には、この  
宇宙に存在する物しか映らない。彼はその全てを愛おしむように、満面の笑顔を  
浮かべた。  
 差し込んだ太陽の光が、広間を明るく照らし出す。風が海面を吹き抜けて、碧  
色の都市から硝煙の匂いを消そうとしていた。  
 

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