身体が上昇していく感覚に、私は目を覚ましました。  
私が入れられているのは、身体より2回りほど大きいだけの水槽です。  
上昇する身体はすぐに水から出て、そのまま身長の3倍ほどの高さにまで到達しました。  
もちろん私に空を飛ぶ力はありません。  
人間と同じ上半身には羽などありませんし、魚と同じ下半身では水の中を自由に移動はできても、空中ではそうはいきません。  
といっても、今の私は水中ですら動くことはできませんが。  
頭の上に挙げた両方の手首と、首と、胸下と、尾びれにはめられた枷。  
それらによって、私は背後にある1枚の板に身体を縛り付けられています。  
その板を運ぶためについている上部の棒が、今度はその板に水平移動を開始させました。  
目的地は部屋の隅にある漏斗のような部品を持つ装置。  
その漏斗の上まで移動すると、板の動きはそこで停止しました。  
滴り落ちた水滴が、漏斗の中央の穴に吸い込まれていきます。  
そして、胸下の枷が動き始めました。  
この胸下のものだけは、他のものとは違って動きを封じる以外の役目を持たされています。  
枷が下半身に向けてスライドしていくと、ぽっこりと膨らんだお腹が圧迫されました。  
その圧迫に追い立てられるように、お腹の中のものが移動していく感覚があります。  
私の、卵たち。  
新しい命を産み出す行為に伴う、本能的な喜びが込み上げてきました。  
この卵たちが孵ることはないと頭ではわかっていても、それでもこの喜びだけは何度この強制産卵を経験してもなくなりません。  
水から出たせいで、だんだん苦しくなってきました。  
頭の中が白くなって、卵が身体の中を通り抜けていく感覚だけが確かなものとして感じられます。  
お腹の枷は繰り返し上下にスライドし、最後の1つまで卵を搾り出していきました。  
そして、強制産卵を終えた私は再び水槽に戻されます。  
 
あの日の私は、初めての産卵を前にして舞い上がっていました。  
大事な身体なのだから大人しくしていなさいという周囲の忠告も無視して、国の外まで出かけていたのです。  
私たちの国は女王様のお力によって守られていて、出入りできるのは私たち人魚だけです。  
だから、国の中にいる限りは安全でした。  
なのに、私は外に出てしまったのです。  
本当に、浮かれていて周囲が見えていない馬鹿な娘でした。  
愚かな行為は、人間の網にかかってしまうという結果に繋がりました。  
むりやり水中から引きずり出されました。  
周囲を囲む3人の人間。  
人間には雄と雌という区別があると聞いたことがありました。  
私たちの上半身は、人間の中でも雌の方にそっくりだというのです。  
確かに私の上半身と、その人間たちの上半身が違うことは、その人間たちが身体に巻きつけた布の上からでもわかりました。  
つまりは彼らは雄に分類される人間なのでしょう。  
私には彼らの言葉はわかりませんでしたが、顔の部品は同じなため、その表情からある程度感情を読み取ることはできました。  
肌は浅黒く、がっしりとした体格の彼らは、私を見て驚き、何事かを相談しはじめました。  
人間は愚かで野蛮な生き物だと聞いたことがありました。  
なんでも、人間の中では私たちの肉を食べると老いることがなくなると言われているそうです。  
馬鹿な話です。  
確かに人間は私たちよりはるかに短い年月しか生きられないそうです。  
だからといって、寿命の長いものの肉を食べたら自分の寿命も伸びるなんて、短絡的にも程があるというものです。  
しかし、向こうの言葉がわからないのと同様、私の言葉も彼らにはわからないでしょう。  
その噂が間違いだと、説明することはできません。  
 
そうこうしている内に、水から出たせいで苦しくなってきました。  
加えて、これから人間に殺され食べられるという恐怖が私を苛みます。  
そんな肉体的、精神的な負荷に、私の身体に異変が起こりました。  
本来ならまだ少し先のはずだった産卵が、突然始まってしまったのです。  
死の予感が、子を残そうとする本能に働きかけたのかもしれません。  
初めて卵が産卵管を通り抜けていく感覚に、私は網の中でビチビチと跳ね回りました。  
それを見て私が逃げようとしていると思ったのか、人間たちが3人がかりで押さえ付けに来ます。  
屈強な人間たちを撥ね退ける勢いで尾びれを振り回しながら、最初の1つが身体の外へと出ていくのを感じました。  
人間たちは驚いたように目を見開いて、私のそこを見つめます。  
その視線を感じながら、私は次々に卵を産んでいきました。  
母になる喜びと、それを野蛮な人間たちに見られているという恥ずかしさで、頭がどうにかなりそうです。  
ようやく全ての卵を出し終えた時には、私はもう指一本動かせないほど消耗していました。  
そんな私の目の前で、人間の内の1人が信じられない行動を起こしました。  
卵の1つを摘み、あろうことか口に入れたのです。  
彼の顎が動き、プチッという音がしたのが、私の耳にはっきりと聞こえてきました。  
そしてその中身を飲み下した後、彼が浮かべたのは紛れもなく笑顔でした。  
すぐに2つ目に手を伸ばし、口に放り込みます。  
それを見ていた他の2人も、彼の真似を始めました。  
私の初めての卵たちが、全て彼らの胃に収まるまでにそれほどの時間は必要ではありませんでした。  
そんなものを見せ付けられるくらいなら、自分の肉を生きながら削ぎ取られて食べられる方がマシだったかもしれません。  
肉体的にも限界が近づき、そこを絶望に追い討ちをかけられ、私の意識は遠くなっていきました。  
もう目を覚ますことはない眠りだと、そう思いながら私は瞼を下ろしたのです。  
 
結局、私のその予想は現実のものとはなりませんでした。  
次に目を覚ますと、海とは比べることすら失礼なほど狭い生け簀に入れられていました。  
こうして、私は人間に飼われることになったのです。  
色々なことをされました。  
それこそ肉を削ぎ取られる痛みも経験しましたが、どうやら肉の方は人間の口には合わないようでした。  
それでも不老長寿のために我慢して食べているようでしたが、しばらくして、通常通り老いていくことに気付いてからは肉を取られなくなりました。  
けれど、不老長寿の夢はなくなっても、人間たちは私を解放してくれませんでした。  
私の卵は、それほどまで人間を虜にしていたのです。  
しかし私の卵は1年に1度しかできません。  
それが不満だったのか、少しでもその周期を短くしようと身体の色々なところを調べられたり、得体の知れない薬も使われました。  
それらが功を奏したのか、いつからか1度産卵を終えてから次の卵が成長を始めるまでの感覚が短くなりました。  
産卵周期という、命の根源的な部分を歪められていくのです。  
自分の身体が人間の都合のいいように作り変えられていくことに、私は絶望しました。  
 
数を増やそうとしたのか、卵の一部を食べずに残しておくこともありましたが、その試みは失敗に終わりました。  
それは私にしてみれば当然の結果です。  
私たちの卵が孵るためには、産んだ後に女王様の祝福を頂かなくてはならないからです。  
この仕組みは私にとっては幸いでした。  
卵を食べられるのは苦痛ですが、子どもたちに同じ苦しみを味あわせることを想像すれば、まだ我慢ができたからです。  
そういった仕組みや、私たちの国がある場所を聞き出す目的で、人間の言葉を覚えさせられもしました。  
言葉を覚えた私は、知っている範囲のことを教えてあげました。  
どうせ私は、その祝福の際に具体的に何が行われているのかや、  
国を守っている壁がどんな仕組みで人魚とそれ以外を区別しているかなど知らなかったからです。  
それらは代々女王様だけが知っていることとされていました。  
もしかすると側近の方々くらいは知っているかもしれませんが、一般人の私がそれらを知る由はありません。  
それでも、産んでから女王様に預ければちゃんと卵は孵りますし、私たち人魚は理屈を知らなくても自由に出入りできるのですから生活に問題はなかったのです。  
 
しかし、それを説明しても人間は信じてくれませんでした。  
私がそれらを知っていながら隠しているのではないかと、様々な方法で聞き出そうとしてきます。  
それでも最初の内は、私がたった1人しかいない貴重な存在ということで、万が一にも殺してしまわないよう加減がされていました。  
もちろん、それが加減されていた行為だったということに気付いたのは、その後のもっと酷い行為の中ででしたから  
実際それをされている最中は、人間がどうしてここまで残酷な行為を思いつくことができるのかわかりませんでした。  
けれど、何度も繰り返し行われた拷問によって、私の生命力は少々のことでは尽きないとわかると、あっという間にその内容がエスカレートしていきました。  
捕まって間もない頃与えられた肉を削ぎ取られる痛みなんて、この頃に与えられた肉体的苦痛に比べれば大した事がないものだと知りました。  
そんな日々が続き、私に会いに来る人間の顔ぶれも随分変わっていきました。  
その移り変わりの早さを見ていると、人間がことさら長生に執着するのもしかたないのかもしれないとすら思えてきたある日、  
私はずっと過ごしてきた生け簀から別の場所に移されました。  
 
それが今、私がいるこの水槽です。  
屋外にあった生け簀と違い、コンクリートと呼ばれるものでできた壁に囲まれた、この部屋にある水槽が私の新しい家でした。  
ひどく狭いこの水槽では泳ぐどころか身体の向きを変えることすら困難で、入れられた直後は困惑しました。  
けれどそれはいらない心配でした。  
すぐに枷付きの板に拘束され、動けなくされたのですから。  
ここに来てからは、人間には1度も会っていません。  
昼も夜もないこの部屋の中で、動くことすらできないままに睡眠と覚醒を繰り返し、卵がある程度成長すると部屋の隅の機械に向けての産卵を強制される。  
それが私の全てでした。  
食事は口からではなく、針のついたチューブで一方的に栄養を流し込まれることで代用されます。  
耳が捉えるのは、水を循環させるためのポンプの音だけ。  
全てが自動化されたこの部屋の中で、私は完全に卵製造装置の一部として、これからも長い長い時間を生きていくのでしょう。  
やはり、私は人間が長生を望む気持ちがわかりません。  
長く生きるということは、それだけ長く苦しみが続くということなのに。  
 

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