仕事から帰ると、リビングに七夕飾りが立てかけてあった。  
青笹に、色とりどりの短冊や吹き流し、いろ紙の細工を飾り立てた、昔ながらの七夕飾りだった。  
おたまを片手に、炉ボコがキッチンから顔を出した。  
 
「これ、めっちゃ綺麗やろ? うちが作ってん」  
 
ここ最近はすっかりご無沙汰だったけど、僕もこういうのは大好きだ。  
 
「僕もあとで、短冊を吊させてもらうよ」  
 
そう言うと、炉ボコはとても嬉しそうに、賑やかな笑い声を上げながら今夜のご飯の支度に戻っていった。  
 
食事が終わり、炉ボコのキッチンの後片づけが済んだ頃を見計らって、僕は七夕飾りを持ってベランダに出た。  
折角だから、やっぱり部屋の外に飾らなきゃね。湿気と、夏の香りをはらんだ柔らかい夜風が、心地よ 
く僕の全身を撫でていった。  
 
「炉ボコ、荷造り紐もっておいで。それから、僕がここに縛って固定するから、笹を支えててくれないか?」  
 
彼女に笹を支えさせておいて、僕はバルコニーのグリルに、紐を六本使ってくくりつけた。  
ちょっと揺らしてみたが、根本はびくともしなかった。多少強い風が吹いても、これなら大丈夫だろう。  
 
「こんなもんだろうな。じゃあ、僕も短冊に願い事書かなきゃね」  
 
「なぁなぁマスター、一緒にお空、みいひん?」  
 
そう言うと、炉ボコはクロークの辺りに行って何かごそごそやりだした、と思ったら、反射式の天体望 
遠鏡一式を出してきて、ベランダまで担いできた。  
 
「今月のおこづかい、まさかそれ買うのに使っちゃったとか?」  
 
バージョンアップや修理費、衣食費等、メイドロボに係る諸々の経費は契約ユーザーが支出する事にな 
っている。いつも仕事用のお仕着せかパジャマの恰好しか見ないと思ったら、こんなものを買い込んで 
いたとは。  
 
「ええやん。だってこんなん、めっちゃ欲しかってんもん」  
 
別に咎め立てしたつもりはなかったんだけど、炉ボコはちょっぴり拗ねた口調で、開き直りめいた言い訳をした。  
 
「いや、全然構わないんだけどね。炉ボコが好きに使えるように渡してるおこづかいなんだし」  
 
「そうなん? かわいー服とどっちしよか思ってんけど、やっぱこっちにしたわ」  
 
「僕が昔、仲よかった奴もそんな感じだったな。 
女の子なのに、おしゃれの事よかアウトドアグッズのほうが好きって子でね」  
 
「ふぅん。なぁ、もしかしてマスターの恋人やったん? その子」  
 
「そんなんじゃないよ」  
 
僕は思わず、苦笑してしまった。  
 
七月上旬といえば、かつては梅雨の季節だったんだけど、3,000M級の超々高層建造物が大都市に人工の 
山脈を作り、列島の大気流に影響を及ぼすようになってからは、この辺りは集中豪雨型の気候になっていた。  
この時期にあっても雲がかからない時は全くかからない。  
 
それに加えて、七月七日は主立った建築物でライトダウンが実施されていて、普段は殆どの星を隠して 
しまう、膨大な地上の光も柔らいでいた。  
明るい星だったら肉眼でも見える程度には暗い、今夜はそんな、晴れた夜空だった。  
 
炉ボコはファインダーを覗き込んで、東南の空に望遠鏡の照準を合わせていた。  
声を掛けるのも申し訳ないくらい没頭している彼女の様子に、僕は強い既視感を覚えた。  
 
また、子供の頃の事を思い出していた。  
毎年、里佳の家のベランダで、やっぱりこんな風にして七夕飾りの飾り付けをやったっけ。  
そこにも彼女の115mm口径反射望遠鏡が、こんな感じに、でん、と据えられていて。  
里佳ときたら、平凡やらつまんないやら、僕が書いた短冊に散々にけちをつけておいて、それでもやっ 
ぱり僕らしい、とか何とかフォローを入れるんだ。  
そして、精一杯背伸びをして、青笹の高いとこにくくりつけて、嬉しそうに笑う―─――─  
 
「こと座、発見!!」  
 
どうやら目標をファインダー内に納めたらしい。  
 
「なんか凄く懐かしいね。うちのベランダでふたりして、こんな風にヴェガに照準合わせたっけ」  
 
「毎年おんなじ時間、おんなじ星に照準あわせるから、里佳はファインダーなしでやってたっけ」  
 
「まぁねぇん。そんでもって雲ってたりすると、もーがっくりくるんだよねー。一年待ってたのにぃ、 
って感じで。で、へこむわたしを真くんがフォロー」  
 
「空を晴らすよかは、里佳のご機嫌とる方が簡単だったからね」  
 
「あんまり驚かないね。真くん」  
 
「そりゃあ、ふた月も一緒に暮らしてれば、なんとなく、ね。これでも里佳に関して知らない事なんて 
なかったつもりだったから」  
 
炉ボコの人格モデル、そのイメージ提供者が里佳だって事、僕はいつの間にか、当たり前の事のように 
確信してたっけ。  
 
「炉ボコがね、お仕着せの下、ときどきパンツ穿かないで仕事してる事があってさ。そうしてわざわざ 
僕の目の前で深々と屈んでみせたり、椅子の上に立ったりするんだ」  
 
あちゃぁ、という感じで下を向いた里佳を無視して、僕は言葉を続けた。  
 
「里佳もおんなじ事やってたからなぁ。カブト虫を採りに行った時、木登りするってのにわざわざミニ 
スカートにして、しかもパンツ穿かないでさ」  
 
あの時、先行していた里佳自身を迂闊にも見てしまった僕は、余りの衝撃に木の幹から滑り落ちて、肘 
と膝に惨い擦り傷を作っていた。  
 
「う〜〜…だって真くん、ああでもしなきゃわたしの事、男の子だと思ってたじゃない!  
それに…あ…あれ…ほんとは死ぬ程は…は、恥ずかしかったんだからね!?」  
 
「うーん…無理してまでする事かなぁ。まあいかにも里佳らしい大胆な発想ではあるけどさ」  
 
「わたしじゃないよ、お父さんのアイディアだったし。女の子ってとこ見せるにはこれが最強、 
使える装備のなかで最良のものを効果的なタイミングで投入しろって……」  
 
あ…天宮の小父さん…あなたは最低です……。  
 
「お父さんとはそれきり、一ヶ月口きいてあげなかったもん。それでも真くんはわたしの事、 
その後もしっかり男の子扱いだったけどさー。まぁったく非道いよね」  
 
そう言われても、ね。僕にとって里佳は里佳だった、としか。  
とりあえず僕は、例によって苦笑いで誤魔化すことにした。  
 
なんか、凄く不思議な事になっちゃったな……と、まるで他人事の様に、僕は考えた。  
 
そもそも、イメージ提供者の記憶が、AIの人格モデルに残留したり混入したりするなんて事は、その技 
術の性質上、あり得ない。  
人格モデルはもともと、大脳皮質のフォログラフィックイメージから、性格や性向といった限定された 
要素だけを抽出する研究から派生した技術であり、これに、いま炉ボコに起きている事の原因を求める 
のであれば、エントロピーの破綻を意味する事になる。  
 
イメージのフルコピーに至っては、連邦政府の、特に軍の要請から厳重な管理と制限が敷かれていて、 
間違っても民生用であるH.I.H.A.R.に施されたりする筈がない。  
 
何処かに保存されていた里佳のフルコピーイメージが、ネットを媒介して炉ボコのAIに侵入した可能 
性は……? たぶん、もうひとつの仮説と大差ない様な、極めて無限小に近い確率になってしまうだろう。  
 
即ちだ、いま僕の目の前で、あの頃のままに、にかにか、って感じの笑みを浮かべている里佳は…… 
理屈とは異なる何かで、僕は直感していた。  
 
数瞬の沈黙があり、それでもまだ逡巡しながら、僕は聞いてみる決心をした。  
 
「もう、あの里佳に会う事は出来なくなっちゃった、そういう事?」  
 
「ごめんね真くん。わたしが十六歳のときだから、地球の時間だと八年前かな」  
 
里佳が浮かべる苦笑は、僕も数える程しか見た記憶がなかった。  
 
「τケチ恒星系第五惑星、R.ニーヴン基地で起きたシャトル爆破テロ、あとで検索してみて。 
わたしとお父さんの名前、行方不明者のリストに載ってる筈だよ」  
 
「炉ボコは……きみの事知ってるの?」  
 
「知らないよ。あの子はあの子で真くんの…ううん、何でもない。あんた、ほんとに変わらないよね」  
 
そう言ってくすくす笑ってみせてから、炉ボコ=里佳は、僕をからかうように言葉を続けた。  
「わたしの名前をこの子にあげるのは禁止ねー。しっかり素敵な名前考えてあげてね。  
まあ、炉ボコって名前を凄く気にいってるみたいだから、半端なのだと、顔じゃ嬉しそうにしてみせても、 
心のなかでヘコみまくるだろうなぁ」  
 
きみも一回愛着を覚えると、ずっと執着し続けるたちだったね。  
けど、炉ボコに今以上に気に入って貰える名前なんて、僕には思い付ける自信ないよ……。  
 
「なんで里佳の名前じゃ駄目なのさ」  
 
「なぁんかくやしいからっ」  
 
そう言って彼女は舌を出してみせた。  
 
「また、星祭りの夜にでも、ね。それじゃね。真くん」  
 
そう告げて、彼女は望遠鏡の接眼レンズを覗き込んだ。  
 
「なぁなぁマスターマスター、これやこれ! このお星さんがヴェガやで。織女星さんや。見てみぃな」  
 
僕は屈んで、今、彼女が見た光景を覗き込む。  
接眼レンズの中では、周囲に沢山の星を散りばめて、こと座のヴェガが瞬いていた。  
あの頃見たヴェガと、おんなじだ。  
こと座ヴェガと地球の距離は27光年。  
彼女とお父さんがいたというくじら座τケチは、確か13光年。  
八年前って言ってたから―─――──里佳は光速の倍近い速度で帰ってきたのか。  
 
レンズの汚れや、大気の乱れとは別の理由で、ヴェガが滲んでみえた。  
 
僕は炉ボコが用意してくれた短冊に、また里佳にからかわれそうな言葉を刻んだ。  
 
”またね”  
 
「はぁ〜やったらそっけないなぁ。けどなんかマスターらしゅてお茶目やけど」  
 
炉ボコは精一杯背伸びをして、僕の書いた短冊をくくりつけて嬉しそうに笑った。  
 
きみも、あの頃とちっとも変わってないよ、里佳。  
 

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