日本政府開発の家庭用アンドロイドは、この種のロボットとしては珍しいことに、「味覚」がある。食事をし、「おいしい」、「まずい」と感じられるようにできていた。
もちろん、食べたものは後で体内に埋め込まれた生ゴミ処理機で分解し、取り出すのだが、この機能があるからこそ、0276のアンドロイド少女も自分の正体に気づかなかったのだろう。
病院の外来が休みである今日は、水内が提案して、少女と二人で料理をしてみることにした。大学の学部と大学院で計6年、就職してから2年、自炊生活に慣れている水内は、外見の印象に反して、以外と手際が良かった。
それに対して、少女のほうは不器用なのか、なかなかうまく手が動かない。
「いいよ、無理しなくても、ね。僕がやっといてあげるから、そこで休んでいなよ」
水内が言うと、少女は悲しそうな顔をした。
(しまった、かえって良くなかったかな。こういうときは、役割を与えたほうが良かったかな)
水内は後悔したが、もう料理はできつつあった。
できあがった料理を食べながら、少女は、
「水内さん・・・私のこと、変な娘だって思ってる?変なロボットだって思ってる?」
と、寂しそうな目をして問いかけた。
「そんなこと・・・ないさ」
一瞬だけ言葉につまりながら、水内が答える。
「本当に・・・本当に幸せだったんだよ。いろいろあって大変ではあったけど・・・あのときまでは」
「あの・・・とき?」
少女の目はまた涙にうるんでいるようだ。人差し指で拭うと、
「あのね・・・先生には、もう話したんだけど・・・」
と、「あのとき」の話をはじめた。
拘束。監禁。強姦行為。破壊。・・・少女が断片的に明かした話は、水内をして驚愕させた。フィクションの世界でなら、その種の話は嫌いでない水内だったが、さすがに目の前の少女が、ときに涙しながら語る被害談は、水内の心を冷え冷えとさせた。
「うん、うん・・・そうだったんだ・・・」
水内は、黙って相づちを打つしかない。
「そうだよな・・・そうだよ・・・つらいよ、そりゃあ・・・」
いつのまに杉本医師と同じ口調でオウム返ししている自分には気づいていない。水内はポケットから汚れてまるまったハンカチを取り出し、少女の瞳をそっとぬぐった。
「ひどいよ・・・ひどすぎる・・・俺も本当に許せないよ、そいつらは」
水内は少女の不幸に心から同情しつつ、少女の表情がしゃべっているうちにだんだんとやわらいできたように思えた。水内はそっと少女の手を握った。
12月15日
今日、優がはじめて笑った。
かすかに、ではあるが。
外来の帰り、俺に向かって、今日はカレーが食べたい、と言って。
12月17日
優がはじめて、自分の趣味を話を一生懸命に語った。
優は馬がだいすきで、中学のときから、近くの競馬馬の厩舎に通っていたのだという。
「かわいいんだよ、本当に」
と言いながら、自分がつけたという馬の名を俺に教えたときの優は、本当にはじめて見せる子どもらしい笑顔だった。
公式の観察日誌とは別に自分の私的日記をつけながら、水内は、思った。
優−0276のアンドロイド少女−の心の傷の回復・・・開発部のいう「実験」は、たぶん成功ということになるのだろう。
今後のアンドロイドの「心」の開発設計の参考となるデータがとれれば、水内にとっても仕事は終わることになる。
優は、おそらく里親のもとに帰されるはずだ。
(あいつ、喜ぶだろうな・・・)
そう思いながらも、なぜか優が帰れるということに心弾まないでいる自分に水内は気づいた。
「水内さん、それでね、ジョンコがもうケガしてレースに出られなくなったらね、太郎さん、何て言ったと思う?」
優は、元気になると、高崎の厩舎の話ばかりをした。
サイゴウジョンコ、村上厩舎、村上先生、太郎さん、西郷さん・・・いい加減、水内のほうが飽きてくるぐらいに楽しそうに厩舎の話を繰り返す。
水内は、もちろん、笑顔で聞いてやるしかない。
優は、とくに先輩厩務員の「太郎さん」がいかに頼りになる師匠であるかと熱を入れて話した。
「太郎さん、本当にすごいんだよ。私が何を考えてジョンコと接しているか、すぐに見抜いちゃうんだもん」
「そっか・・・でも、その太郎さんって人は、別に大学も出てないし、所詮、専門職の肉体労働者なんだろ」
「は?」
優が眉を曲げて、微妙な表情をした。水内が何を言いたいのかわからない、という顔だ。
「いや、何でもない。そっか、そっか。いい人なんだな、その人。良かったな、優ちゃん。いい師匠と出会えて」
水内は慌てて作り笑顔をしながら、何で変なことを言ったのかな、俺、と反省した。
優は、近頃、「太郎さん」の話ばかりする。そいつが何者かはわからないが、水内の中にあった感情が「嫉妬」であることは、水内自身にも否定できなかった。
「水内さん!いいお天気だよ!そろそろ行こうよ!」
優は明るい声で水内を呼んだ。たしかに春間近の東京の空は澄んでいた。
「病院、今日で最後・・・だよな」
「うん!」
優は嬉しそうに答えて、車に乗った。
車中で、水内が、
「優ちゃんは、家に帰ったら、まずどうするんだい?」
ときくと、優は
「うん、まずは・・・お母さんと会って・・・会って・・・」
「うんと甘える?かい?」
水内が笑うと、優は、恥ずかしそうにうなずいて、えへへ、と舌を出した。
カウンセリング室の前の廊下で優を待ちながら、この病院に通うのも、今日で最後か、と水内は感慨にふけった。
ドアが開いた。優が笑顔で出てきた。後ろには杉本医師がやはり笑顔。
「水内さん!見て!」
と言って、優がまるめた紙を水内の目の前で広げてみせた。
「はいっ!卒業証書っ!」
「卒業・・・証書?」
なるほど、見てみると、たしかに、今日の年月日と優の名前が縦書きで書かれ、
「右の者、全課程を修了したことを証します」
と記され、杉本医師の署名が入っていた。なかなかドクターも芸が細かい。
「そうかぁ、よかったなぁ〜、優ちゃん!」
水内が祝福すると、優は、腰に手をあて、エヘンといばったポーズでおどけてみせた。
「優ちゃん、きっとあなたなら大丈夫よ。これからも、あなたらしく、ね」
と杉本医師が言うと、
「はい!先生!ありがとうございます!」
優はハキハキとした調子で答え、
「ときどき、遊びに来てもいいですか?」
と、医師にきいた。
「ええ、もちろんよ。いつでも遊びに来てね」
杉本医師は満足そうに笑って答えた。
(がんばってよ、じゃなくて、あなたらしく・・・か・・・)
思えば、ここ数ヶ月間、優と一緒にこの病院に通って、俺自身もいろいろと勉強させてもらった。その日々を振り返ると、優に対して自分が何をしてやれたか、心もとない気もする。
たしかに、アンドロイドの「心を開いて」みたいと思った。かわいそうなアンドロイドのために「癒して」やりたいと思った。が、こうして今、ここ数ヶ月の優との日々を思うと、
(心を開かせてもらったのも癒されたのも、俺のほうかもしれないな)
と、水内は思った。
「水内、開発室長が呼んでたよ」
と、同僚に言われ、水内は室長の部屋をノックした。
「失礼します」
と、水内が入室すると、室長は、
「いやぁ、よかったなあ、水内君」
と笑いながら言った。
「はい?」
水内が何のことかわからずにいると、
「前に公募した、アメリカの公費研究の件ね、君の論文が評価されて、君はメンバーに選抜されたよ。やったな!」
と言って、水内に握手を求めてきた。
「1年間、向こうで思う存分に研究してくるといい。まあ、相当に忙しくて、帰ってくるヒマもないぐらいだろうが、戻ってきたときのポストはいいぞ〜。選ばれて良かったな!私がちゃんと君を推薦しといたからな!」
最後は恩着せがましく告げた。
「はい。ありがとうございます」
もちろん嬉しくないはずはない。前から希望していたことだ。帰国後のポストが、という条件もいいが、何より自分の提出した論文が評価されたことは喜ばしいことだ。
(しかし・・・優はどうなる?)
自分がアメリカに一年間行く、と決まったとき、頭をよぎったのは、自分の両親や友人のことではなく、優のことだった。
(あいつは・・・もうすぐ群馬に帰ることになってる。それまでに・・・それまでに、言うことは言わなくっちゃな)
言うことは言う?何を?どうやって言う?
女性との交際経験なしに25年余り、相手が人間であれアンドロイドであれ、「告白」などという芸当は挑んだことすらない。
(まあ、とりあえず、今週末、じっくりと作戦を練るか)
既に、だいぶ元気を取り戻した優には、もう泊まり込みの「添い寝」は必要ない。
ここしばらくは、いつも水内は夜には帰宅していた。
(ああ、そうだ。ちょっと実家に帰って、アメリカ行きのことも言っておくか)
結局、その週末、水内は名古屋の実家に帰省した。
週明けの月曜、水内がいつものように研究所に出勤すると、優の姿はなかった。
「河野さん、優は・・・じゃなくって、HMX−12の0276はどうしたんですか?」
「ああ、帰ったよ」
と、同僚が答える。
「か、帰った!?」
水内が血相を変えて言うと、同僚は、
「ああ、今週の金曜にモニターが引き取りに来るってことだったんだが、先方のご家庭の都合で、昨日じゃなきゃ東京に来られなかったらしいんだ。それで」
「な、何で、俺に連絡してくれなかったんですかっ!」
「いや・・・だって、君は名古屋に帰ってただろ。それに、本当に急だったから」
水内は悄然とした。
「あいつ・・・何か、俺のこと言ってませんでしたか」
「ああ。水内さんは?って言うから、今いないって言ったら、残念がってたぞ」
「残念がってた・・・って、それだけですか?」
水内が詰問調で言うと、相手は怪訝そうな顔をして、
「それだけって・・・他に何かあるのか?」
と言った。
「いえ、別に・・・」
水内は肩を落とした。
「あいつ・・・喜んでたでしょうね。やっと家に帰れるっていうんで」
「そりゃあそうだろうな」
同僚は興味なさそうに答えて、ガムを吐き出した。
「す・・・すいません。ちょっとトイレに行ってきます」
慌てて席を立って走った水内を、同僚は、
「何だ、あいつ」
という顔で見送って、またパソコンに向き直った。
一年ぶりに踏む日本の土は懐かしかった。
まずは公費の研修という性格上、研究所に行って、報告の儀式をしなければならない。それから、HM開発室のメンバーが慰労と歓迎をかねて、一席もうけてくれた。
「いやぁ、水内君、ご苦労だったな」
開発室長は上機嫌だった。
「まずは、明日からしばらくはゆっくりと疲れをとるといい」
「はい、ありがとうございます」
隣に座った同僚が、
「名古屋にでも帰って、のんびりしてきて、来週また改めて報告してくれればいいから」
と言うと、
「そうですね・・・でも、その前にちょっと行くところがあるんです」
と水内は言った。
「へえ。どこだい。まさか彼女のところ?おまえに限って、そんなことはないだろうなあ」
同僚は笑ったが、水内はどこに行くとは答えなかった。
優ちゃん、本当に久しぶり。
元気でしたか。
僕が会えない間に君が帰ってしまって、僕は本当に残念でした。
うん、まずはこんな書き出しかな、と水内は自分のヘタな便箋の文字を眺めた。どうも手書きの文字というのは慣れないだけに、なかなかうまく書けないし、文も浮かんでこない。
僕は、仕事でアメリカに行ってました。
忙しくて、ろくに連絡もできず、ごめんね。
向こうに行って研究している間も、思うのは君のことばかりでした。
君が元気にやっているか。またつらい目にあっていないか。
いつも心配ばかりしていました。
研修から帰ったら、研修明けの非番がしばらく続くから、優のところに真っ先に行こう!それはアメリカにいたときからずっと決めていた予定だった。
そして、優に会ったら、自分の気持ちを正直に告げよう。そう決めたものの、いかなる相手にも愛の告白など経験のない水内にとって、意中の少女に直接、自分の思いを告げるということは、アンドロイドの研究開発などよりはるかに困難な事業だった。
悩んだ挙げ句、手紙ならば、と思い、手紙を書くことにした。
いつか、君が、たとえまたバラバラに壊れてしまっても、
きっと僕が修理してあげる。
一生、君のいちばん近くでメンテナンスさせてください。
僕を君専属の整備マンにしてください。
君のおなかの中は、本当にきれいです。
・・・変か、これじゃ。
水内は何度も便箋を破り、悪戦苦闘した。
結局、できあがった手紙は、やけに婉曲な、読む人によっては、「愛の告白」とは受け取れなさそうな当たり障りない代物に仕上がった。
しかし、それでも、水内にとって、精一杯の「勇気」だった。
(よし、これを花束と一緒に優に渡そう。その場で読んでもらおう)
段取りは決めたが、やはり優のリアクションが心配だった。 こうきたらああいう、ああきたらこういう・・・深夜のシミュレーションが続いた。
水内は群馬県に足を踏み入れたのははじめてだった。
東京から新幹線で約1時間、高崎からバスで十数分。あらかじめメモしてきた通りの所在地に、木戸バネ製作所は当然のごとくあった。
(意外と小さい工場なんだな)
と、水内は思った。
(落ちついて。何もやましいことはない。俺は研究所の人間なんだから。卑屈になることは何もない)
自分に言い聞かせて、工場の扉を開けた。
「ごめんくださ〜い」
中では何人もの工員が黙々と作業をしている。
「はい、何でしょうか」
と言って出てきたのは、事務員らしき女性である。
「え〜と・・・木戸・・・優さんのご両親様はお見えでしょうか」
「はあ、私が母ですが」
「あっ、お母さまでしたか。失礼しましたっ!」
「あの・・・どちら様ですか?」
「はいっ。私、東京の先端科学研究所本部の、水内と申します」
水内が緊張しながら自分の名を告げると、
「まあ、水内さんですか」
と、ようやく笑顔のリアクションがあった。
「私、優の母親の、木戸亜沙子です」
「はじめまして」
水内は深々と頭を下げた。
「優は、こっちに戻ってきたとき、よく水内さんのことを言ってたんですよ。いい人だ、いい人だって」
亜沙子の言葉は嘘とも思えない響きだったので、水内はすっかり気を良くした。こっちに戻ってきたとき、ということは、最近は水内のことは言っていないのではないか、とは思わなかった。
「えーと。優さんはお見えですか」
「はい。今、アルバイトで厩舎のほうに行ってるんですよ」
厩舎・・・いつも優が話していた厩舎か。
「ここから、近いんですよ」
と言って、亜沙子が道順を教えてくれた。
人工約25万の都市と言っても、住宅街から数分歩けば、豊かな自然が広がっていた。水内の実家は行けども行けども建物ばかりの都会だったので、新鮮な光景である。
厩舎は、今は馬が少ないのか、どことなく人気(ひとけ)のない雰囲気だった。
昨晩、半徹夜して書いた手紙を入れた花束を抱え、水内は緊張して厩務員室の建物をノックした。が、中からは何の返事もない。
(おかしいなあ。今日は休みかなあ。でも、お母さんは、たしかに厩舎に行ったって言ってたもんなあ)
と思ってドアノブを回すと、ドアはあっさり開いた。しかし、やはり中には誰もいなかった。
(どういうことだろう)
と思って、花束を持ったまま、建物を出た。
(表にいるのかな)
水内が建物を出ると、裏手にコースがあるようだった。競走馬の育成所だから、馬小屋だけでなく、練習場があるということだろう。
(あ・・・)
優がいた。
が、しかし、優は一人ではなかった。
白いつなぎの作業服を着た優の傍らには、やはり作業着を着た若い男がいる。もちろん、優がよく言っていた「太郎さん」に違いない。いかにも動物と接する仕事の人間らしく、無造作ながらも、さわやかそうな「イケメン」と映る。
水内は、メガネを持ち上げて、遠目から二人を見た。
優は、本当に幸せそうだった。安心しきった笑顔である。あの独房のような部屋で最初に水内が会ったときとは、まるで別人、いや、別ロボのように見える。
優と「太郎さん」が何を話しているかはわからない。
しかし、現実に二人は「じゃれあって」いる。
「太郎さん」が、「こいつぅ」といった風に優の額を軽くこづくと、優は、首を外してふくれっ面をして見せた。そして、二人で笑いあっていた。
水内は、二人に気づかれないようにそっと厩舎の建物に戻り、手紙だけ抜き取って、テーブルに花束を置き、そのまま厩舎をあとにした。
「ああ、どうも。どうでしたか。優には会えましたか」
亜沙子が事務作業の手を休め、水内に言った。
「娘さん、お元気そうで何よりですね。それに、素敵な彼氏もいらっしゃるようで、本当によかった」
と、引きつった顔で言う水内の声は、さっきより2オクターブほど不自然に高い。亜沙子は、その声がかすれているようにも聞こえた。
「あなた、もしかして、優のこと・・・」
亜沙子が言いかけると、水内は、急にわざとらしく背筋をのばし、
「いえ。私はただのエンジニアです。私の担当した機種が無事に故障せずに稼働しているのを確認して、安心しました。では、失礼します」
と言って、きびすを返した。
亜沙子が水内と会ったのは、それが最後だった。