優は大学に合格した。相変わらず中学生のように見える優だったが、それでもいまや大学生である。
もちろん、大学を合格しても馬から離れた生活などは考えられず、大学に通いながら、鬼塚ライディングクラブでのアルバイトは続けている。
あの優が中学のときから通いつめていた、そして高校生活の後半の情熱をアルバイトに注いだ村上厩舎は既に閉鎖され、優の片思いのひと、太郎は別の仕事に就いた。最近は、太郎と連絡をとる口実もなくなってしまった。
優が二十歳になった日のことだった。
久しぶりの休日に、家でレポートでもやろうかと思っていた優の部屋に亜沙子が入ってきた。
「優、ちょっといい?」
「え?いいけど・・・どうしたの?」
「大事な話なの、ちょっと来て」
「うん、わかった」
今日は啓太と檀(だん)は出かけているらしい。階下に降りてゆくと、亜沙子しかいなかった。
「優。今日は、あなたの誕生日よね。おめでとう、優。今日であなたは二十歳。もう大人よね」
亜沙子が優に祝福の言葉を言った。
「うん。ありがとう」
と言いながら、優は、そんな話なら、別に呼び出さなくてもいいのに、と思った。
「あのね、優。今日であなたが二十歳ということになるでしょ。だから、この機会に、今まで言わなかった大事な話を、今日こそちゃんと伝えておこうと思って」
亜沙子は、どこから話したらいいのか、多少は戸惑いながらも、かねてより啓太と打ち合わせていた通りの順番で優に真実を告げた。
すなわち、優が啓太と亜沙子の実の娘ではないこと、さる政府系機関から預かったロボットであること、しかし、親子であるという意識に何の変わりもないということ。・・・
亜沙子がそれを告げると、意外なことに優はあまり動じている様子はない。
「優・・・?」
かえって亜沙子のほうが拍子抜けするほど、優は落ちついた様子である。
「うん・・・何となくわかってた。もしかしたら、そうなのかなって」
「そうだったの・・・」
「でもね、前に四万(しま)温泉に住んでたとき、一回だけ私からお母さんにきいたことがあったでしょ。私、ロボットなの?って」
それは、亜沙子にとっても決して忘れられない「事件」であった。
「あのとき、お母さんが言ってくれたじゃない。『たとえあなたがロボットだったとしても、あなたは私と啓太さんの大事な子どもだ』って」
「ええ・・・そうよ」
「何て言ったらいいんだろ、やっぱり、その言葉が嬉しかったのかなぁ。だからね、それからもずっと私って何だろうって引っかかってたけど、あえて私からはお母さんに聞かないことにしてたんだ。だって、私にとっても、お母さんはやっぱりお母さんだもん」
「そうだったの・・・」
「でも、これでかえってスッキリしたなあ」
優は、まるで悟ったように静謐な表情である。
亜沙子が
「優・・・今まで黙っていてごめんね。でも、私は本当にあなたを・・・」
本当の子どもだと思っている、と言いかけると、優は、言わなくてもわかっている、とでも言うかのように手で制して、
「わかってるよ、お母さん。ありがとう。本当にありがとう。今まで育ててくれて」
と言って、亜沙子の両手を握った。
亜沙子は、
「まだよ、まだ早いわ。あなたが大学を卒業するまでは、ちゃんとお父さんもお母さんも、がんばってあなたのためにできること、何でもするからね」
と、笑った。
「うん、そうだね。これからもよろしくね、お母さん」
それから二人は、いつも通り、今夜の夕飯の話や今夜のテレビ番組の話を交わした。
そして、優が大学を卒業する頃、あの懐かしいサイゴウジョンコが再び高崎に帰ってくることになった。
競走馬としての使命を終えたジョンコは、北海道で繁殖牝馬としての第二の人生ならぬ第二の馬生を送っていたが、このたび、繁殖能力をも失ったため、今度こそ処分されそうになっていた。
しかし、そこを元の馬主である西郷やかつての厩主・村上の尽力で、また高崎に引き取ることになったのだった。
「名づけてジョンコ牧場!」
自分と一緒に育ってきたジョンコと、乗馬もできるみんなの牧場を経営する!これこそ、まさに優の夢そのものだった。
しばらく馬から離れていた太郎が戻り、かつての村上厩舎のように、再び優と太郎とで、ジョンコを含めた馬たちの世話をすることになった。
かつて勇気を出して太郎に告白したときには、はっきりした返事はもらえなかった。
あれから何年も経つけど、今の太郎さんは、私のこと、どう思っているのかな?
気にならなくはない優だったが、ともかく、以前のように太郎と一緒に馬の仕事ができて、牧場の運営も順調で、幸せそのものの気分だった。
優も高校を卒業して、ひとまわり成長した。成長した、という表現は適切ではないが、成長した。独立行政法人・先端科学研究所が交換してくれた新しいボディーでは、ほんの少し以前より胸が大きくなっており、それが優には嬉しかった。
だからというわけではないのだろうが、太郎が優を見る目が以前よりずっとやさしく、かけがえのない特別なひとを見るような目になっている気がする。
何もあせることはない。太郎さんが私を愛してくれるなら、それは嬉しい。いつか告白してくれそうな気がする。でも、そうでなくても、今が幸せ。・・・
「優・・・おまえ、大学を出たら、将来はどうするんだ」
太郎がある日、真顔で優に話しかけてきた。
「え?もちろん、ずっとここで働くつもりだけど・・・」
優が応えると、太郎は
「そうか・・・いや、それならいいんだ。それで安心した。いや、その、だからってわけじゃないんだけど・・・おまえ・・・」
いつも明るく歯切れよくしゃべる太郎が、今日はシドロモドロになっている。優は何だか可笑しかった。とともに、太郎が何を言わんとしているかがピンときて、嬉しかった。数年来の片思いが両思いになる瞬間とは、こんなふうにくるものなのだろうか。
「うん、うん」
優が笑いながら、太郎の次のセリフを促すと、太郎は、
「俺と・・・つきあって・・・場合によっちゃ・・・つまり・・・その・・・結婚して・・・ずっと二人で牧場をやっていこう、な。な!」
もちろん、優の返事はイエスである。
「太郎さん、ありがとう!嬉しい!」
満面の笑顔で答えてから、優は、
「でもね・・・つきあう前に、どうしても太郎さんに断っておかないといけないことがあるの」
と、急に何かにおびえたような表情になって、つけ加えた。
(きたな)
今度は太郎が笑う番だった。
「うん・・・言わなくてもいいんだ。わかっているよ、それを承知でおまえとずっとパートナーになりたいんだから」
「えっ?」
優は意外そうな顔をした。自分がロボットであることは、家族以外には誰も知らないはずなのに。
「実はな・・・ずいぶん前のことになるけど、俺、見ちゃったんだよ。ごめんな、黙ってて」
「そうだったの・・・」
いつ見たの?とは、今さら聞くつもりもなかった。聞いたところでどうなるものでもない。
「太郎さん・・・でも、本当にいいの?私で」
と言いながら優は、ポケットからコントローラーを出し、何かのパスワードを入れた。
「私、こんななんだよ?」
と言って、優は自分の首に両手をあて、そのまま両頬の下を抱えるようにして、持ち上げた。ちょうど花瓶をかかげ持つように。
ガチャリ、という音とともに、優の首が外れた。優のボディから首へは数本のコードでつながっている。
優は、そのまま自分の首を両手で支えたまま、テーブルの上に置いた。テーブルの上の顔がもう一度言う。
「本当に、こんな私でもいいの?」
「あ・・・ああ!当たり前じゃねえか!機械だろうがロボットだろうが、なあ!おまえはおまえじゃないか!」
と言いながら、見慣れぬ光景に戸惑っているのか、太郎の声はどことなく、引きつっているように聞こえた。優は、しかし、悲しいとは思わなかった。というより、太郎の狼狽が昔のままで、可笑しかった。
テーブルの上の優の首が笑った。
「太郎さん、一緒に幸せになろうね!」
よかった・・・優は心の底から安堵した。さすがに、ロボットだということを告白したら、怖がられてしまうのでは、とか、道具として、奴隷として見られるようになってしまうのでは、と危惧していただけに、狼狽しながらもいつもと変わらない太郎の態度が嬉しかった。
「優・・・愛してるぜ!」
太郎は立ち上がると、優の頭部を両てのひらで抱えて自分の目線まで持ち上げ、そのままキスをした。ずっと。ずっと。−