瞼が物凄く重い。意識が覚醒しているのに目を開けることができない。  
それというのも、頭の下にある枕の冷たさと柔らかさが心地よすぎるせいだった。  
心地よい布団と枕は人間の睡眠欲を呼び覚まし、人間の身体を眠らせるものなのだ。  
「……ん…………」  
何とか睡魔の追撃を振り切り、瞼をこじ開ける。正面には心配そうに俺を見ているラウラの顔が見えた。  
俺を吸い殺したら約束を破ったことになってしまうので、俺が死ぬことによって嘘つきになってしまうのが心配だったのに違いない。  
その中に、純粋な意味での心配が混じっているように思えるのは、そうであって欲しいと願う俺の妄想だろうか。  
「……おはよう」  
寝惚け眼を擦りながら、一応は礼儀として殺人未遂犯に対して挨拶をする。  
正面のラウラの顔が天井を背景に見えているということは、俺は仰向けに寝かされているのだろう。  
ひんやりと冷たく柔らかい枕は恐らくアイスノンか何かで、ベッドになっているのはソファだろう。  
背筋や首筋が湿っている気がするのは、きっと寝汗をかいたせいだろう。  
壁にかけてある時計を見れば、もうすぐ日付の変わる時間だ。だいたい、五時間ちょっと寝た計算になる。  
「……あ…………目覚めたのか……」  
俺の挨拶を聞いたラウラは一瞬だけ目を見開き、溜息を漏らした。  
安堵によるものなのか呆れによるものなのかということに関しては、思考と視界に睡魔による靄がかかっている俺にはわからない。  
ただ、それが俺の無事を喜んでいるせいで出た溜息だと嬉しい、というくらいのことは思う。  
「ああ、うん、起きたけど……」  
相手が俺の顔を覗き込むように身を屈めていることにいつまでも甘えているわけにはいかないので、  
相変わらず重い瞼を擦りながら身を起こそうとし、予想以上に力が入らないことに気づく。  
起き上がりかけて失敗するとラウラに余計な心配をかけるかもしれないので、誤魔化すように動かした手に  
引っ掛かったソファの背もたれらしき柔らかいものに手をかけ、一息に身を引き起こそうとした。  
「わっ……!」  
背もたれに手をかけた瞬間、ラウラが悲鳴を上げて身じろぎした。俺が急に動いたので驚いているのだろう。  
なぜか頭の下の枕も一緒に動いているが、俺は特に気にすることもなく力を込めた。  
「え……?」  
その瞬間、驚愕と恐怖の入り混じった表情を浮かべたラウラが俺に向かって近づいてきた。  
それと同時に動き出した枕から頭が滑り落ち、重力が一瞬にして消失したのを感じた。  
どうやら、背もたれを掴み損ねたせいでソファから転げ落ちかけているようだ。ラウラが俺に焦ったような顔で  
俺に近づいてきているのは、きっと俺を助けようとしてくれているのだ。  
枕から滑り落ちてからソファからの転落までの間に、俺はこれだけのことを理解し、推測した。  
我ながら、危険が迫ると頭脳が鋭敏になるものだとつくづく思う。  
「なぁっ、何をする……!?」  
好意を無にしてはいけないと思って全力でラウラに抱きついたら、なぜか彼女は上擦った悲鳴を上げて硬直し、  
そのまま俺と一緒に落下した。  
最初、俺は咄嗟に身体を捻って受身を取ろうとした。しかし、普通に両肘をついて受身を取ったのでは、  
胸に抱き込んでいるラウラを床に叩きつけた挙句に押し潰すことになってしまう。だからといって、今から身体を捻り直すのも  
時間的に無理な話だ。考えあぐねた挙句、俺はラウラの後頭部と背中に腕を回してクッション代わりにし、  
両脚で彼女の下半身を抱え込んで手と同じく彼女のためのクッションとなることを選んだ。  
「ぐぅっ……」  
華奢なラウラといえども一人には違いなく、受身を取ることすらできなかった俺は二人分の体重を負ったまま  
床に叩きつけられた衝撃が両手足に集中したことにより、目の前が真っ白になるほどの激痛に襲われた。  
だが、不幸中の幸いとはまさにこのことで、俺の目論見通り、ラウラには一切の衝撃が及んでいない。  
 
「ラ、ラウラ、だ、大丈夫……?」  
全面的に俺が原因となって引き起こされかけた事態とはいえ、腕の中にすっぽりと収まってしまうほど華奢なラウラが  
床に叩きつけられるという事態を回避できたことに安堵した俺は柔らかくていい匂いのする身体に未練があったものの上体を起こし、  
呆然とした表情で見上げてくるラウラの手触りがいい髪を撫でる。  
「……ラ、ラウラ?」  
反応がない。  
もしかして脳震盪でも起こしたのだろうかと戸惑いながら、今は顔の両脇についている手を頬に当てて軽く揺する。  
テーブルとは大分距離もあるし俺の腕でしっかりと衝撃を吸収したはずなので頭をぶつけたなどということはないはずだが、  
状況が状況だけに心配にもなる。なかなか反応しないラウラの様子に深刻なものを感じて背筋が寒くなったが、  
僅かに顔を動かしたラウラと目が合ったことによって、その悪寒も呆気なく消え去った。  
「………な、何だ、意識があるんじゃないか。心配させないでくれよ……」  
ほっと一安心して安堵の溜息を漏らしたのだが、どうにもラウラの様子がおかしかった。  
ラウラは黙ったまま、じっと俺の顔を見つめ続けている。もともとが非人間的なほど整った顔立ちだけに、  
無表情のままじっと見つめられると何とも形容しがたい威圧感がある。  
彼女はその表情を維持したまま無言でずりずりと俺の下から這い出し、まだ這い蹲ったままの俺の首近くに顔を寄せてきた。  
「………幸助」  
ぼそりとラウラが呟く。ラウラの意図を勘違いして危険な目に遭わせてしまったことを責めているのだろう。  
この近距離で怒鳴られるとまた耳が痛くなりそうなので、先に謝っておくことにする。  
「あ、これは、その……ごめ」  
「この、この……この大馬鹿者が!」  
遅かった。ラウラの怒声は俺の謝罪を遮って俺の鼓膜を直撃した。耳鳴りがする。  
「大馬鹿者! 色魔! 変態! けだもの! いきなり何をするのだ!?」  
ラウラは俺の耳元で怒鳴り続ける。綺麗な瞳に涙が浮かんでいることが、彼女の怒りと悲しみを雄弁に物語っている。  
「信じて……信じていたのに……! お前が、お前が、いきなりこのようなことをする男だったとは……!」  
大粒の涙をぼろぼろと零しながら、ラウラは泣きじゃくる子供がするように俺の身体のあちこちを小さな拳で何度も叩いた。  
「もっと、もっと時間をかけて……互いを知って……親しくなって……互いの想いを育んで……それから……!」  
吸血鬼の貴族だということが想像もつかないほど弱々しい拳で、ラウラは何度も俺のことを叩いた。  
「ラウラ……」  
おぼろげながらも、俺はラウラがなぜ怒り、なぜ悲しんでいるのかを今頃になって理解した。  
ラウラはほんの一日前に知り合ったばかりの男の言葉を信じてその家にまでついていった結果、一切の承諾もなしに  
突然押し倒されるという最悪の形で裏切られたのだった。普通の女性でも貞操の危機を覚える状況なのだから、  
お嬢様として大切に育てられてきたらしいラウラならば、なおさら恐怖と怒り、そして嫌悪感を覚えるだろう。  
我を忘れて俺を罵倒するほど怒るのも無理はないし、涙を「目にゴミが入った」と誤魔化しそうなほど  
プライドの高い彼女が俺の前で涙を流して悲しむのも全くおかしな話ではない。  
俺は全く意図することなく寝惚け眼で行動した結果、ラウラが示してくれた信頼を全て裏切ってしまったのだった。  
落下の衝撃で完璧に目が覚めた今になって、全てが理解できた。  
 
俺に心地よい眠りを与えてくれていたひんやりとして柔らかい枕というのは俺が意識を失ってからずっと付き添って  
くれていたのだろうラウラの膝枕で、俺が起き上がろうとして掴んだソファの背もたれというのはラウラの肩か何かだったのだろう。  
ラウラにしてみれば、責任を感じて看病していた相手が目覚めたと思った途端、突然に引き倒された挙句に  
がっちりと全身を拘束されて組み敷かれたのだ。相当な恐怖と精神的苦痛を彼女は感じたことだろう。  
全く、弁解のしようがない。  
「……人間などを信じた、私が愚かだったのだ」  
先ほどまでとは打って変わって静かに呟くラウラの目に、怒りの色はもうない。あるのは、悲しみだけだった。  
ラウラの様子はあまりにも儚げで、あまりにも危うげで、とても声などかけられはしなかった。  
「……………お前のような男、八つ裂きにする価値もない」  
人間が無力で愚かな蟻を見るような表情で俺を見たラウラの身体から靄が立ち上り、徐々に輪郭を失っていく。  
吸血鬼は霧となって消え去る能力を持つというから、きっとそれなのだろう。ラウラは、俺の前から姿を消すつもりなのだ。  
「待っ」  
そうと気づいた瞬間、俺は無意味だと半ば知りつつもラウラを引きとめようと手を伸ばしたが、その手が届くことはなかった。  
「……触るな、下種……!」  
汚いものを見てしまった時のような嫌悪感と不快感に満ちたラウラの表情を見た途端、俺の手は行き場を失った。  
そうだ。傷つけてしまった相手が俺の近くから去ろうとしているのを止めるのは、単なる身勝手だ。  
身体のほとんどを霧と化したラウラは、最後に一滴の涙を零して俺の前から消え去った。  
「……俺は馬鹿だ…どうしようもない馬鹿だ……」  
俺はそのままふらふらと床にへたり込んだ。こういう事件が起こった場合、ドラマではすぐに主人公が恋人を  
追いかけることになっているが、ドラマの主人公でもなければ彼女の恋人でもない俺に追いかける資格があるはずもない。  
俺とラウラは偶然に出会って偶然に別れるという、ただの行きずりの縁しか持っていなかったのだ。  
第一、あれほどまでに傷つけてしまった以上、俺の顔を見て、俺の声を聞くだけでも苦痛に違いない。  
なおさら、追いかけることなどできようはずもない。  
「……俺は、本当に馬鹿だ」  
理屈で理解していてもそう簡単に諦めきれるものではない。つまりは、理屈のわからない馬鹿だ。  
行動するのに相応しいと思える理屈がなければ行動に移すことができない。つまりは頭でっかちの馬鹿だ。  
何か諦めるきっかけがあれば、何か追いかけるのに相応しい理由があれば、俺は選ぶことができる。  
「………いきなりだったもんな……どうしようも…………ん?」  
自分を納得させるために言った言葉が呼び水となって、行動するに足るある理由が脳裏に浮かんだ。  
考えてみれば簡単なことだった。どうしてこのことに真っ先に気づかなかったのか。  
俺には追いかける資格など端から存在しない。あるのは、追いかける義務だけだった。  
「いきなりで、何も言えなかった。謝ることも、できなかった……俺は謝らなきゃいけない!」  
三段論法めいた順序で理論武装した俺は、吸血の影響によってか精神的衝撃によってかで弱った身体に  
鞭打って立ち上がり、玄関へと向かった。  
ラウラは吸血鬼で、夜は吸血鬼の時間だ。  
高い運動能力と併せて霧と化して移動する能力を持つ彼女にただの人間である俺が追いつける道理もないが、  
それでも両脚が動く間は彼女を追いかけなければならない。  
いや、脚が使えなくなれば手を使って這えばいい。手が駄目になったら転がればいい。  
俺の身体に動かせる部分がある限り、俺にはラウラを探す義務があった。  
 
「あ、あの、すみません……! 十四歳くらいの外国人の女の子を見かけませんでしたか!?」  
深夜の町を何の当てもなしに走り回り、見ず知らずの通行人達にラウラのことを尋ねる。  
「何だね、君はぁ! そんなこと、私達が知っとるわけないだろぉ!」  
酔っ払ったサラリーマンの集団に尋ねたら、いかにも迷惑だという素振りで追い払われた。  
「ぷっ、何それナンパ? あんたみたいなぱっとしない奴なんてどうでもいいからあっち行って」  
俺よりも確実に一学年は下の女子高生に声をかけたら、ナンパと間違われて相手にもされなかった。  
「何ぃ、外国人の女の子? おい、君、何かの犯罪に関わっているんじゃないだろうな。  
だいたい、未成年だろう。こんな時間に出歩いていいと思って……あ、おい、こら、待て!」  
思い切って街を巡回中の警官に話しかけてみたら、雲行きが怪しくなってきたので走って逃げた。  
「はぁ!? そんなガキなんて知るかよ。今時のガキは進んでるしよ、どっかでウリでもやってんじゃねえのぉ?」  
殴られるかもしれない恐怖を押して同年代のチンピラ風の少年に訊いてみたら、嘲笑された。  
「外国人の娘? ああ、それならうちの店にいるよ! ほら、試しに楽しんでってよ!」  
風俗店の客引きに呼び止められたので駄目元で訊いてみたらやはり駄目で、強引に店に連れ込まれそうになった。  
結局、誰も俺のことなど助けてくれなかった。  
いつからこの街の人間はこんなにも不人情になったのだろう。  
いつから俺は他の人間が力を貸してくれるのを当然と思うようになっていたのだろう。  
誰の力も借りることができないまま当てもなく街を走り回りながら、俺は泣きたくなってきた。  
真剣に頼み込んでいるのに聞き入れてくれないばかりか嘲笑すらしてくる街の住人達に。  
そして、頼めば力を貸してくれて当然だと思うようになっていた傲慢な自分に対して。  
「く、糞、脚が……」  
闇雲に走り回ったせいで、両脚が疲労のあまり棒のようになってしまった。堪らず、手近な電柱に寄りかかってへたり込む。  
こんな所で立ち止まるわけにはいかないというのに、俺の両脚はなかなか再び動こうとはしてくれない。  
焦りと苛立ちが心を支配しかけたその時、座り込んだ俺を見下ろす人影が現れた。  
「君かね? 外国人の女の子を探しているという少年は」  
その人は長身で痩せ型、そして顔色が悪いということを除けば至って平凡な中年のサラリーマンだった。  
だが、その平凡なサラリーマンが俺にとっての救いの神になるかもしれない。俺は勢い込んで立ち上がった。  
「は、はい、そうです! 何か、ご存知なんですか!?」  
「ああ」  
俺の勢いに苦笑しながら、サラリーマンは真っ直ぐに俺がこれから向かおうとしていた先の道を指差した。  
「君が探している娘かどうかは知らんがね、向こうの角を曲がった辺りで見かけたよ。今なら、まだいるかもしれんね」  
どうやら、俺は人間を嫌いにならなくて済みそうだった。世の中にはいい人もいるのだ。  
「あ、ありがとうございます!」  
俺は礼を言うのもそこそこに、彼が指し示してくれた方へと全速力で駆け出した。  
ラウラに会えるかもしれないというだけで、俺の脚は再び動き出したのだった。  
 
「こ、ここは……まさか……」  
サラリーマンの指示に従って向かったその先に広がっていたのは、俺達一家が全員揃っていた最後の場所だった。  
先ほどの道からこの場所には出られないはずだったが、そんなことは俺にとって些細な問題に過ぎない。  
「あ、ああ……嫌だ……何で、何で、こんな所に……」  
流石に俺達の車の残骸は撤去されてはいたが、無残に破壊されたガードレールに、割れ砕けた窓ガラスの破片、  
未だにアスファルトにこびりついている血痕などの細かな、しかし確かに存在する事故の痕跡は完全には片付けられておらず、  
見る者が見れば一目でそれとわかる事故現場がそこにはあった。  
俺はそれを見た瞬間に猛烈な吐き気を感じ、口と腹を押さえて蹲った。  
あの日の記憶が、それを拒絶する俺の意思とは無関係に蘇っていく。  
事故が起きたあの夜は、仕事仕事と家にいないことが多かった親父が珍しく休暇を取り、家族揃って  
近場の海に出かけて思う存分楽しんできた帰りだった。  
「久しぶりの家族サービスだ」と笑っていた親父の顔と「幸助ももうすぐ大人ね」と嬉しさと寂しさが  
ない交ぜになっていた母さんの顔が自然と思い出される。  
事故が起きたあの瞬間のことは、よく憶えている。  
あの時、親父はハンドルを握りながら  
「お前もあと二年もしたら二十歳か。そうなったら、俺とビールでも飲もう」  
と心の底から楽しみにしているのがわかるほどに顔を綻ばせていた。  
あの時、母さんはそんな親父の言葉に  
「もう、貴方ったら。幸助にお酒の味なんて教えないでくださいな」  
と冗談めかして笑いながら応じていた。  
俺にはあの時の会話の一言一句が正確な記憶として脳裏に焼きついている。  
二人の最期の瞬間も、断片的にではあるが覚えている。  
親父が叫び声を上げながらハンドルを切ったのが始まりだった。  
見かけに似合わず優しい親父のことだから、野良猫でも避けようとしたのだろう。  
その急激な方向転換によって車体は激しくスピンしながらガードレールに突撃し、出来の悪い冗談のようなことが起こった。  
運転席と助手席を結ぶ直線にガードレールの延長線が重なった瞬間、一直線にガードレールが車体を貫通したのだった。  
その時、回転する車内であちらこちらに身体をぶつけて薄れゆく意識の中で、俺は見た。  
ドアを突き破ったガードレールが親父の身体を真横から貫通し、そのまま母さんの身体も引き裂いていくのを。  
真っ白なガードレールが一瞬で真っ赤になるのを。恐怖に引き攣っていた二人の顔から表情が消えるのを。  
唯一の救いだったのが、二人とも苦痛を感じるだけの間もなく楽に死ねたことだろうか。  
「う……うげぇぇ……ぇっ、ぇっ……!」  
吐き気を堪えきれず、俺は血痕が染み付いたアスファルトの上に胃の中身を残らずぶちまけた。  
一旦吐き始めると、もう止まらない。息が続く限り嘔吐が続き、息切れして息を吸い込んだ直後にまた再開される。  
中身がなくなっても、胃液が喉を駆け上ってくる。喉の痛みと口内に残る味と情けなさに、俺は嘔吐しながら嗚咽した。  
どれほどの時間、胃の中身をぶちまけ続けただろうか。ふと、誰かが背中をさすってくれていることに気づいた。  
小さくて冷たい、優しい手だった。事故現場での記憶が途切れる寸前にも、この手の感触があった。  
脊椎反射で誰の手だかわかった。  
「ラ……ウ、ラ……」  
口の端から胃液を垂らしながら振り向き、俺は背後に佇む少女の名前を呼んだ。  
 
「お前、このような所で何をしている?」  
厳しい表情を浮かべて、ラウラは俺を見下ろしている。  
「そ、の……言い、たいこと、が、あって……」  
まだはっきりと喋れる状態ではないので上手く喋ることができないのがもどかしい。  
「……奇遇だな。私も同じだ。私もお前に言いたいことがある。だが、まずはお前からだ」  
どこまでも厳しい視線に促され、俺は喉から込み上げる胃液の臭いに噎せ返りながら口を開いた。  
「お、俺、は……き、君に、あ、謝り、たいと思って……ここ、まで、来たんだ……」  
ラウラは唇を真一文字に引き結んだまま、俺の話を聞いている。  
「いきなり、あんなことをして、ごめん………俺には、そ、れ、しか言え、ない……」  
遂に言うことができた。遂に言い終えてしまった。  
「……言うことは、それだけか?」  
黙って頷く。俺にはもうラウラと一緒にいる理由と資格がなくなった。  
これ以上一緒にいて、彼女に不愉快な思いをさせるわけにはいかない。  
俺は全身全霊を込めて立ち上がり、歩き出そうとした。  
「どこへ行く」  
「言いたい、ことを……言わなきゃ、なら、な、いことを、言えた、から、俺は、帰る……」  
「……私の話を聞かずに帰るつもりか?」  
驚くべきことにラウラは俺の前に回り込み、凛とした目で真っ直ぐに俺を見上げてきた。  
「私はあれから、考えた。本当に、お前がけだもののような男なのか。  
本当に、お前が、その、淫らなことを考えて、あのようなことをしたのか……」  
一言一言の意味を自分で確かめるような調子で、ラウラは訥々と語り出した。  
「……答えは、否だった。あの時は怒りと動揺に決め付けて飛び出したが、落ち着いた今ならば  
わかる。お前は、あの時、私が怪我をしないように、庇ってくれただけなのだろう?」  
ラウラは厳しい視線を和らげ、確認するような表情を俺に向けてくる。  
俺は真っ直ぐな視線に耐えられず、顔を逸らした。  
「……確かに、そうだ。その、つもり、だった。でも……」  
「……でも?」  
訝しげな表情を浮かべるラウラに促され、俺はあの時に思ったことを包み隠さず語った。  
俺を信じてくれたラウラを再び裏切ることになるが、言わないわけにはいかなかった。  
「……俺は、あの時、エロいことを考えなかった、わけ、じゃな、いんだ……抱き締めた、時、  
少しだけ、エロいこと、考えてた……」  
まるで懺悔だった。いや、懺悔よりも酷い。懺悔は許されることが前提だが、これはその逆だ。  
心が重く沈みこんでいくのを自覚しながら、俺は俺の言葉を聞いて何かを考え込んでいるらしいラウラが、  
口を開いて何かを言ってくれるのを待つ。  
ラウラは口の端に僅かな笑みすら浮かべ、言った。  
「……ふん、だからどうしたというのだ」  
俺は耳を疑った。潔癖そうなラウラなら、ここは笑う所ではなく怒る所だろう。  
ラウラは顔を僅かに赤くして俺から目を逸らしながら、一息に言い放った。  
「血を吸ってわかったが、お前は実に健康な男だ。健康な男が私のような美しい女に触れて、  
全く、その、何も感じないなどということがあるはずもなかろう! ゆえに、特別に不問に処す! 異存はないな!?」  
ラウラは俺から目を逸らしつつ、しかし傲然と胸を張って俺に向かって手を差し出してくる。  
いきなりなので意味を理解できずにおろおろしていたら、顔を赤くしたラウラに一喝された。  
「馬鹿者、何をしている! 女が手を出しているのだ。男がそれを取らなくてどうする!? さっさと私を家まで連れ帰れ!」  
恐る恐るその手を取ってみる。ラウラはそれでいいのだという風に満足げな顔で頷いた。  
自然と涙交じりの笑みが浮かんでくる。俺はラウラに許して貰えたらしかった。  
「じゃ、じゃあ、その、一緒に帰ろうか」  
「……うむ。お前と一緒に帰ってやる」  
おずおずと手を引いて歩き出した俺に、ラウラは静かに微笑みかけてくれた。  
 

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