/4.  
 
お稽古事が終わっても外出は許されなかった。  
書斎での読書にも倦んでしまって、為すべきこともない。  
父は兄をどこかへ連れ出して数日の間は帰ってこないし、  
合わせて多くの使用人が出払っている。  
放っておく言い訳のように宛がわれたのは、新しく永源家に仕えることになった女の子。  
「兄様……」  
兄は来月には海外への留学が決まっている。  
意地悪ばかりだが朱夏が声をかければ必ず応えてくれたし、  
よそよそしい人たちの中で何の打算もなく接してくれていたのは兄だけだった。  
それなのにもうすぐ妹を置いて遠くに行ってしまう。  
きっと自分は半ば幽閉されたまま、嘘に塗れた繕い笑顔に囲まれて暮らすのだろう。  
朱夏は人形だった。初めて会ったときにはちやほやされるけれど、  
そのうち曰くを知ると腫れ物に触るかのように扱われる。  
その落差はただ無碍にされるよりも痛い。  
優しくしてくれた者にいつの間にか避けられるようになるというのは怖ろしいことだ。  
母を早くに亡くしてから朱夏は孤立無援で  
兄だけを頼りに他の時間を感情のない置物として過ごしていた。  
永源家を憎んでいるわけではないが、少女にとって寂しさはどうしようもない。  
それを表現したくても内に秘めたままでは誰にも気づいてもらえない。  
 
「…退屈ね」  
椅子に腰掛けてティーカップを口へ運び、独り言のように呟く。  
隣に侍る未有はこの家に来て日も浅く、畏まったまま何をしていいか解らずにいた。  
独りでいらっしゃる朱夏さまを励まして差し上げるように、  
と思ってはいるのだが緊張して言葉が出てこない。  
近くで見る朱夏があまりに佳麗なので自分など相手にされないのではないかと躊躇して。  
「あ、あのっ、朱夏さま」  
大人たちに合わせて使用人のお仕着せを着ているものの  
小柄すぎる未有は、無理をして飾り立てられた子供のように見える。  
それでも拾われて早早と教育係に叩き込まれたのか、既に佇まいは立派に使用人らしい。  
ガーターの代わりに白いタイツを穿いているのは可愛らしくてよい選択だと朱夏は微笑んだ。  
「すみません…何か、お話ししなければいけないのに、私っ……」  
退屈を紛らせるような気の利いた話など、咄嗟にできる素養もない。  
利発そうではあるけれど齢相応の無邪気さは見受けられず、  
そういう風にならざるを得なかった過去を思うと未有に同情する。  
「気にすることはないわ。あなたも好きでここにいるわけではないのでしょう?」  
他人に云えないような事情があるから幼くして父に引き取られたのだろう。  
その父に命令されたから仕方なく付き添っている。そんなことは朱夏だって知っている。  
いっそ完全に放っておいてくれれば朽ちるまで待っているだけでいいのに。  
 
「みんなそうよ。お父様の仰有ることを聞いて、仕方なく私の相手をしているだけ」  
初めから味方がいないのだったら孤独など感じない。  
自分を想ってくれる人がいるかもしれないなんて、  
今度こそ裏切らないでいてくれるなんて、期待せずに済んだ筈なのだ。  
だから兄以外に心を許すことはなく、しかし今やその兄さえもいない。  
それに、兄はいずれ当主になって手の届かない存在になる日が来る。  
そのとき朱夏は、どこにもいないのではないか。  
「そんなこと、ありません…」  
「気休めもいらないの」  
「そんなっ…」  
「…監視していなくても言い付けを破ったりはしないわ」  
塞ぎ込んでいるのか、自棄的な口振りで未有に当たる。  
朱夏の憂鬱は深く、兄にしか癒せないものだと思っている。  
「無理をして機嫌を取るのは大変でしょう?」  
「ちがっ…違います! 私は、朱夏さまとっ…!」  
急な大声に数回瞬きして使用人を見た。  
先程までの自信のない表情と違って判然した意思を伴っている、  
黒眼がちな未有の瞳が濡れていく。  
「私っ…お庭から、朱夏さまをお見かけして、それで…  
綺麗な、人って……お話し、させていただきたいって…思……」  
途中からは嗚咽で聞き取れなくなった。  
 
「藤村…?」  
「っく……うっ……」  
「泣かないで。あなたを傷つけたいのではないの」  
椅子に座ったまま未有を胸に抱きこむ。そのまま泣き止むまで待っていた。  
「ごめんなさい…」  
「…傍にいてくれるだけでも嬉しいわ。ありがとう」  
支離滅裂で要領を得ない言葉だったが気持ちだけは伝わった。  
自ら朱夏の話し相手をしたくて申し出たのだろう。  
会話も得意でないのに、禁を破るような我が儘まで言って。  
この女の子は敵ではないのだ。知らずに悪いことをしてしまった。  
味方ではないとしても、進んで突き放すことはない。  
「けれど、幻想は持たないことね」  
それでも遠回しに未有の感情を否定した。  
後で嫌われるくらいなら最初から好かれないほうがいいと朱夏は思う。  
慕われれば慕われるほど、この少女に冷たい眼で見られたときの心痛は大きくなる。  
「私は、他人に疎ましがられる何かを持っているらしいの」  
「…どうしてですか……?」  
「……」  
そのことを本人は知らされていない。  
外出を殆ど禁じられているのも、身の安全より重大な理由が隠されているような気がする。  
使用人たちが向ける視線も、単純に嫌っているとかそんな類のものではない。  
朱夏の存在自体を避けたがっているかのような。  
「お父様の本当の子ではないのかもしれないわね」  
 
自分の出生についても調べたことはあるが限られた情報では何も掴めなかった。  
確証はない。しかしそう考えればある程度は納得がいく。  
「永源の娘なんて似せ物だから、外に見せないようにしているのよ」  
「でも……朱夏さまは、お綺麗です。…本当のお嬢様です」  
紅茶を飲むにしても一分たりとも気を抜かない様子は高貴な家の令嬢以外の何者でもなく、  
それはたとえば未有などに真似のできることではない。  
「あなたも真相を知れば、きっと離れていく。ここに来た人は皆、そうだったもの」  
「…わ、私は、そんなことありません」  
「何も知らないからそう云えるのではなくて?」  
根拠のない断言に少し苛立って、音を立ててカップを置く。  
朱夏だって理由を知りたいのに、教えてもらえないまま避けられるようになっていくのだ。  
それなのに昨日今日に来たような使用人に慰められたくはない。  
「ですがっ…」  
「お話ししたいなんて二度と思わなくなるわ」  
「なりません! 私はっ…朱夏さまが許してくださる限り、ここにいます!」  
再び涙ぐむ未有。  
「あ、っ……ごめんなさい…また大声、出してしまって…」  
「……」  
何度も信じては掌を返されてきたけれど、それでも朱夏は信じたいと思ってしまう。  
その言葉が真実であれば、座敷牢のような永源家でも辛くはない。  
 
椅子から立って向かい合うと未有の頬を拭う。額に唇が当たる程の小ささ。  
昔の兄と自分もこれ位の差があった。今は成長してもっと差が広がった筈だが、  
同じ性別の未有となら歳月を経ても変わることはないのだろうか。  
「ピアノは弾けるかしら?」  
「えっ…? …弾けません……」  
「少し、教えてあげるわ」  
返事を待たずに腕を引く。学校の音楽室並みの規模がある部屋へ。  
買い与えられた楽器は全て朱夏の物だった。  
家から殆ど出られず発表する機会もないので手慰みにしかならないが、  
わざわざ権威と呼ばれる先生までつけられて  
朱夏の学習が速かったこともあって、それなりの腕を持っている。  
「有名だから知っていると思うけれど」  
と、慣らすために二三の得意な曲を弾いて聴かせる。  
どれも未有は聴いたことがなかった。  
「すごいです…」  
魔法を見ているかのような驚きの表情。その侵し難い気品に  
やはり朱夏さまは生まれからして違うのだと思わされる。  
「あなたにも、すぐにできるようになるわ。よく見ているのよ」  
 
音階をひとつひとつ覚えるのではなく和音で覚えるように。  
まず自分が手本になって、そのまま未有に真似をさせる。  
「では…失礼します」  
朱夏が座っていた椅子には体温が残っていなかった。  
恐る恐る鍵盤に指を置く未有。  
お仕着せは礼装でもあるため構えは様になっている。  
「上手ね」  
まともな楽器に初めて触れる未有でも簡単な楽譜は弾けるようになった。  
素質があると褒める。二人で笑う。  
しかし先へ進めていくとなかなかできるものではない。  
「藤村、大切なのは左手よ」  
そう云われても利かない手は器用に動かないものだ。  
急拵えで両手を運ぶのはとても無理がある。  
「…それなら、あなたは右手のほうだけ弾きなさいな」  
違和感なく割り込んで一方を朱夏が担当すると、それなりに音曲らしくなった。  
間違えてもリズムを止めない。  
眼を合わせて、呼吸を合わせる。それからまた笑う。  
その程度の遣り取りしかなく未有はすぐに別の仕事に戻っていったが  
独りになった朱夏の時間が再び動き出すには充分だった。  
未有は与えられた玩具ではない。白白しい大人でもない。  
かといって友人でさえ、ないのだと朱夏は思った。  
ただ、それは厭なものではなかった。  
 
そうして兄が家を出てしまって朱夏の拠り所がなくなる。  
相変わらず父は娘の相手をすることもない。  
未有は研修のようなものを終えると他の者と同様に家の管理と維持に忙しくなって、  
朱夏だけが虚しい時間を過ごしていた。  
二人で何気ない話をすることに、ようやく馴染んできたというのに。  
兄は世継ぎになることから逃げたのだと誰かに聞いた。  
そのことで館は多少騒然としている。  
本人から教えられた留学の件は父を含め誰も知らないらしかった。  
嘘だ、と朱夏は全力で否定する。  
苦悩していたことは知っている。思いつめていた顔も思い出せる。  
けれど兄は逃げたりしない。それは悲痛ながらも確信だった。  
待っていろと頭を撫でてくれたから、とにかく待っているしかない。  
「兄様……」  
呪文のように繰り返すが使用人たちの噂話はどこにいても聞こえた。  
それが、置いて行かれて悲歎に沈んでいた朱夏に追い討ちをかける。  
見捨てられたのかもしれない。距離が遠い所為か信頼は些細なことで揺らぐ。  
自室に籠って外の空気を遮断しても誰かの声が小さな躰を責め立てている。  
「兄様っ…」  
助けてほしい。そう思ったときに浮かんだのは幼い使用人の顔だった。  
許される限り傍にいると云うのなら、縋ってもいいのだろうか。  
それとも、もう朱夏の秘密について聞いて、軽蔑の眼で見るようになっているだろうか。  
信じることに臆病になってはいけないと解っていても、怖いものは怖い。  
 
「……」  
これ以上ないところまで我を殺し続けて、  
張り詰めた糸が切れる直前で朱夏は廊下に飛び出した。  
人前では落ち着いて品よく振る舞うこと。溢れそうな負の感情を抑えて風雅な人形に戻る。  
はっと注目する女たちに微笑みかけて広間の手前の階段を下りると年老いた男がいた。  
紳士らしい身形には全く隙がなく、立っているだけで上品さが伝わってくる。  
「これはこれは朱夏お嬢様、如何なさいましたか?」  
朱夏が生まれる前から仕えている執事だ。よく見知った顔に表情が崩れそうになった。  
「藤村は、どこかしら?」  
音程の覚束ない声を振り絞る。泣き叫ぶ兆しを持った浅い呼吸でどうにか耐えている。  
「応接間を掃除しているかと」  
「そう」  
多忙なので話を切り上げて去ろうとする執事の腕を掴んだまま離さない。  
腕力も体重もない少女なのに、その場から動けなくさせるほどの強い思念。  
「お嬢様?」  
「…片桐。藤村を、私の専属にしていただけるよう、お父様にかけあって」  
必死に言葉を繋いだ。  
 
朱夏は普段から決して我が儘を言わない、従順な娘だった。  
大人の言いつけを必ず守り、兄の前でしか自分の意見を出さない。  
それが今、自らの意図をもって行動を起こしている。  
「……」  
執事は何かあったのかと朱夏の眼を覗くと、すぐに見抜いた。  
日頃から気にかけてさえいれば誰にも解ることだった。お嬢様は孤独なのだ。  
当主が怠けがちなため案の決断しかせず、他の多くのことは執事に任されていた。  
だからといって朱夏を蔑ろにしていい筈がない。気配りの不足を悔やむ。  
「お願いよ…」  
仕事ではなく家のことで当主に意見することは極力控えられるべきだが、  
自分ならば耳を傾けてもらえるだろう。  
執事は朱夏の寂しさに気づかなかったことへの罪滅ぼしにと深く頷いた。  
生まれたときから知っているのだから娘のようなものだ。  
当主が立場上娘を放っておかざるを得ないのであれば、誰が代わりを務めるのか。  
「…畏まりました。私めにお任せ下さい」  
「ありがとう」  
朱夏は少しだけあどけなく穏和な含羞みを見せた。  
 
「朱夏さま! おはようございますっ」  
未有の朱夏を見る眼は変わっていなかった。  
そのことに朱夏は何も云わないが、信じていいのだと安心する。  
これで兄が帰ってくれば外に出られなくてももう寂しさを感じることはない。  
「ええ、おはよう」  
手近な椅子に座って未有の掃除を見物する。  
不慣れかと思っていたが手際がいい。  
未有は見られているのが気になるようで小さな背中がそわそわしている。  
「今日はあまり天気が良くないのね」  
「はい、夜からは雨になるそうですよ」  
「振り向かなくても、掃除をしながらでいいわ。雨は好き?」  
「…朱夏さまのお好きなものであれば、私も好きです」  
そう言うように仕向けられているのではなく  
心からの答えだったが、朱夏にはずるいと思える。  
「あなたの意見を訊いているのよ」  
「わ、私は…」  
正直なところ雨は好きではない。けれど、自分の考えなどどうでもいい。  
朱夏さまが喜んでくれるならそれで全て充たされるのだから。  
「特に嫌いということは、ありません」  
「…それも、藤村らしいと云えるかしら」  
 
朱夏が音もなく立ち上がると空気の流れが変わったのを察して  
未有はそちらへ眼を遣った。  
「何か、ございましたか…?」  
問いかけを無視して歩み寄っていく。  
足を踏まれる手前まで近づかれるが、下がれば失礼になると思って未有は動かない。  
幽かに感じる、お嬢様の身に纏う上品な香水の匂い。  
憧れが強すぎてそれだけで心音が速くなってしまう。  
「あ、あのっ」  
襟元から髪を伝ってカチューシャを整えられた。  
「あなたには黒のワンピースのほうが似合うわね」  
渡されたものをそのまま着ているのかスカートの裾が足首まで達するほど長い。  
他の家女中は膝下から脹脛までのエプロンドレスだが、  
未有はちょうど露出を嫌う朱夏と似た恰好になっている。  
「旦那さまがこれを着ろとおっしゃったので…」  
自分の娘にではなく、面識の浅い使用人にプレゼントを贈ったのか。  
しかし朱夏は複雑な感情を顔に出さず、捲られた袖を引いて遠目に全身を眺める。  
「お人形のようね」  
褒めたのでも貶したのでも、同情したのでもない。  
 
手を握ると、水仕事をしている割に荒れていなかった。  
「お仕事は楽しい?」  
「あ…はい、自分が少しでもお役に立てているような気がして、嬉しいです」  
「そう…それでは、可哀想なことをしてしまったかしら…」  
「…?」  
朱夏は未有が自分と同じ気持ちでないことに気を落とす。  
現状に不満はないし、わがままを言ってはいけないけれど  
一緒にいられないのは寂しい、くらいに言ってほしかったのだ。  
「藤村」  
「はい」  
「あなたを、私専属の使用人にしていただけるようお願いしたの」  
「…本当ですかっ?」  
握られている指先に力が入る。  
初めて会ったときから未有はそれを夢見ていた。  
「きっと迷惑だったわね…」  
「迷惑だなんて! 嬉しいです…ありがとうございます!」  
「嬉しい…?」  
「はいっ!」  
「…そう…ふふっ」  
 
秋から冬にかけてだったか、二人は常の通り朱夏の部屋で他愛ない会話を交わしていた。  
未有の仕事は週三日に減り、代わりに学校から帰ってくればこうして朱夏と一緒にいる。  
昼に兄の婚約者が訪ねてきて大騒ぎになっていたらしいというところから結婚の話に及んだ。  
「朱夏さまにも、そのような方がいらっしゃるのですか?」  
「聞いたことはないわ。年齢からすると、もうお話が来るかもしれないわね。  
パーティにも出席していないから私のことは外に知られていないでしょうけれど」  
それでも父に命じられれば、見たこともない相手でも受け容れなければならないのだろう。  
いつそうなるかは分からないが、この家の娘である以上は覚悟していなければならない。  
本当にこの家の娘なのかも判らないけれど、と朱夏は軽く自嘲を添える。  
とはいえ、兄に婚約者がいたというのも今日初めて知った。  
失踪でなく留学だという言葉が本当なら、なぜ兄は許婚がいると教えてくれなかったのか。  
朱夏に決められた許婚がいないのは、やはり理由があってのことなのか。  
自分の将来についても含めて、朱夏は未来のことを考えるのが厭だった。  
意思のない人形になっている現実だけが永遠で、  
残りのものは大抵、なくなってしまう。閉塞感と虚脱感。  
永続するかのような退屈は未有を傍らに置いても拭い去れないほど重症だった。  
なぜなら未有もまた、いつか離れていくのだから。  
ずっとここにいると本人が断言したところで、これからのことは約束できない。  
 
「未有はそういったことを考えているの?」  
「いえ、考えません…私なんかをお嫁さんにしたいなんて、誰も思わないと思います」  
努めて明るく言う。親戚夫婦の仲が悪くなければ未有は棄てられたりしなかったのだ。  
自分のような者を増やしたくないから男に添うことはないし、考えない。  
そんな思いを隠すように関係のないことを答える。  
「あなたは器量がいいから、きっと素敵な方が見つかるわ」  
「わ、私のことは、いいです。使用人のお仕事も、ようやく慣れてきましたし…」  
「結婚は厭?」  
「私は…使用人でいるほうがいいです」  
「…ずっとここにいることになっても?」  
「そうであれば、倖せです」  
他に行くところのない未有にとって所属する場所があるだけで感謝すべきだと云える。  
それがお嬢様の許であるのなら願ってもない恩恵だ。  
「……。婚約指環は知っていて?」  
朱夏は自分の右手から指環を外す。記憶の中に母らしき女性の笑顔を思い出していた。  
愛の証であるはずなのに、どうして自分に預けたのだろう。  
疾くに亡くなっているから訊くこともできない。  
そういえば父は指環をしていなかったような気がする。  
そんなどうでもいいことが眼の前に甦ってきて、払拭したい感情に駆られる。  
「あれは、お互いに枷を嵌めて相手を支配しあうという意味で交換するのだそうよ」  
「……」  
 
「どうかしら?」  
「私には、よくわかりません…」  
結婚のこと、詰まるところ両親や親戚のことは殆ど憶えていない。  
無意識のうちに忘れようとしているのかもしれなかった。  
だから未有には解らない。  
「私たちも試してみましょう?」  
「えっ…? 私と、朱夏さま、ですか…?」  
「ええ、私たちの婚礼。けれど一つしかないから――」  
視線を交わす。  
「この指環は、あなただけがつけるの」  
「あ…あの…」  
「私が一方的に未有を支配する、ということね」  
ずっとここにいるのが倖せだと、朱夏の傍にいたいと云うのなら、  
それを約束したい。  
朱夏は言葉通り、未有を試そうとしていた。  
「い、いけません! このような、立派なものを…」  
貧しい暮らしをしてきた未有は物の値打ちを知らないが、大凡のことは見れば解る。  
宝石などの無駄な装飾はないがきっと自分に買えるような物ではないし、  
一介の使用人に似つかわしいものでもないだろう。  
「勘違いしないのよ。これはあなたにあげるのではないわ」  
芝居がかった微笑を浮かべて未有の頬に手を添える。  
「未有が、私のものになるという契約なのだから」  
 
有無を言わせない、この洋館の姫君の視線。  
ともすれば凄惨なまでに深い美を湛えた朱夏に気を呑まれる。  
「あ…は、はい……」  
「ごっこ遊びのようなものよ。ただの座興」  
これは役であって真似事であって、本当の婚姻ではない。  
「ふふっ…逃げるなら今の内かもしれないけれど」  
「……」  
朱夏が立ち上がると、年齢はさほど離れていないものの身長差はかなりあるような気がした。  
その威圧感の大きさに未有は矮小な自分を自覚する。  
夕陽が射して陰影がはっきりしていく。それは逆に輪郭を曖昧にもしていた。  
外界に触れない、外に対して無知であるというのはそれだけで貴いものだ。  
未有は得体の知れない宗教的な何かに、それと解らないまま虜になっていた。  
「お座りなさい」  
背向くことなど一瞬の考えにも過ぎらず、未有は云われたとおりに跪き左手を差し出す。  
遊びといっても少しも巫山戯ることはない。二人とも真剣な表情で。  
「これで、あなたを支配するわ」  
「はい」  
「身も心も、永遠に」  
「はい。…私は、朱夏さまのものです」  
 
小さな胸が不規則に高鳴っていた。結婚よりも、どこか残酷な儀式。  
トイレに行きたくなるくらい怖いような、  
その恐怖に魅入られて動けなくなってしまったような。  
「未有。この誓いは片時も忘れては駄目」  
「はい、朱夏さま…」  
指環が嵌められた。  
なぜか、悪いことをしたのだと思う。  
秘密めいた雰囲気の所為でそう感じるのだろうか。  
未有は自分が何をしているのかも知っていながら、  
何も考えられなくなっていた。  
それでもこの呪縛は不幸なものではないと信じられる。  
「ふふ、間に合わせの芝居ではあまり実感のないものね」  
「あ…」  
朱夏の嬌笑で我に返って、なんだか喉が渇いていることに気づく。  
夢ではないと示すように指環があった。  
朱夏の手にも合わないのだから当然未有にも大きい。  
「大切なものよ。失くさないようにね」  
炎に当てられたように頬が熱い。  
「はい、朱夏さま」  
未有にとって、朱夏は絶対の存在となったのだ。  
 
白昼夢にも似た取り留めのない物思いに耽っていた。  
数年を経て現在も朱夏への忠誠は変わっていない。  
それどころか先日の騒動から一層強くなっている。  
使用人を辞めさせられそうになった未有をお嬢様が助けてくれた一件。  
ずっと永源家にいてもいいと言ってくれた。  
未有は離れていても常に主人を第一に考えていて、  
それはたとえば学校にいるときでも同じことだ。  
出しっ放しだったノートを机に入れると窓から外を見た。  
午前最後の授業は自習になって、風鈴を鳴らす緩い風のような時間が流れる。  
教室は緊張感をなくして男子などは授業中だろうと購買に昼食を求め走っていく。  
個人的には、学校になど行かなくてもいいと思っていた。  
朱夏の傍らで給仕している時だけが世界の全てなのだから他のことは余分に過ぎない。  
だからお仕着せでなくセーラー服に身を包んでいる間は、不自然でないように  
自動的にそつなく振る舞うだけの人形のようだった。  
実際のところ、未有は年齢の割に聡明なほうで義務教育を受ける必要も特にないのだが  
ただ主人である朱夏の希望もあって中学か高校までは卒業するようにと登校している。  
クラスで目立つことも疎外されることもない、至って平均的な生徒を演じて。  
その奥床しい性格と愛らしい外見のせいで、  
深窓の令嬢のように誤解されてしまうことも、たまにあったりはする。  
 
律儀にもチャイムが鳴るまで待ってから学内食堂へ。  
掃除用具を持たずに廊下や屋内を歩くのがどうしても落ち着かなくて  
足早に友人の待つテーブルに寄っていく。  
「未有ー、こっちだよ」  
「お待たせしました」  
「セットで良かったんだよね?」  
「あ…わざわざすみません。お手数をおかけしてしまって…」  
「あはは、いいって。こいつ、劇部の友達。知ってるでしょ?」  
友人の隣にもう一人女の子がいた。未有に手を振って笑う。  
知っているはずだけど名前が出てこない。  
人と関係することを煩わしいとまでは思わないが、  
どこか冷めていて記憶も稀薄になっている。  
「ええと、ご一緒させていただきます」  
「藤村さん、やっぱ近くで見ると可愛いー」  
「…っ、あ…いえ……」  
「人見知りするほうだから、あまりいじっちゃダメだよー」  
かなり高名な私立校といっても本当に身分のある者は少なく、内情は外と大差ない。  
それでも未有にしてみれば凡そ恵まれている人ばかりなのだから  
何となく親しくされても未有は自然と一歩退いた付き合いにしたがる。  
 
「藤村さんってさ、どっかのお嬢様なの? いつも敬語だし」  
「そういう、わけでは…」  
「知らないの? この子、永源のお屋敷に住んでるんだよ」  
「…!? それ、どうしてっ……」  
教師にしか伝えていないことを何故か友人が知っていた。  
「えー!! じゃあお嬢様じゃん!!」  
明るい女子の唐突な大声に、恐怖症じみて身を竦める未有。  
「ってことは、風呂はあれ? ライオンの像とかあってさぁ――」  
「さすがにないでしょ。でもありそう」  
「いっぱい召使いがいて、「今夜は君にしようかな」とか言って。きゃー」  
「はは、未有が困ってるから止めなよー」  
この辺りでも永源家を知らない人はないのか疑問もなく話が通る。  
お嬢様でも何でもない未有は、槍玉に上げられたようで居た堪れない。  
自分は、本来ならここにいられる分際ではないのだ。  
一般生徒の中でさえ毛色の違いを気にしているところで、  
よりによってお嬢様などと間違われる。  
打ちのめされたような気になって未有も昔の朱夏と同じ、人形になった。  
外は曇り空で、すぐにでも雨が降ってきそうな様子。憂鬱だ。  
朱夏の傍にいるときは考えずに笑っていられるのに。  
そこには主と従しかなくて、二人が何者であっても揺るがない或る種の共有がある。  
こういう場面に出会す度に未有は俗世との関係を断って朱夏の許へ帰りたくなってしまう。  
逃避だと解っていても、主人に受け容れてもらえるなら、或いは…。  
 
放課後、委員の仕事を済ませて教室に戻ると少年が一人でぼんやりしていた。  
部活動が終わって帰るところなのだろう。  
親が金持ちで甘やかされて育ったらしく、腕白な言動で周りを困らせてばかりいる男。  
未有は大人しくて受動的ということもあり、やはり格好の標的になってしまって  
頻繁に絡まれているため、幼稚で自己中心的な彼を苦手としている。  
荷物を置いたままにするわけにもいかず、級友として挨拶しないわけにもいかず  
未有は教室の前で逡巡して、それから意を決して入った。  
館にはお嬢様と旦那さまが待っている。早く帰らなくては。  
「おう、藤村。いま帰りか?」  
「…はい」  
余計なことは言わずに自分の机から鞄を取ってそのまま踵を返す。  
なるべく下を向いて眼を合わせない。  
昼間のこともあって、あまり気分が良くなかった。  
「では、お先に失礼します」  
「…おまえ、彼氏いたっけ?」  
ああ、掴まってしまった…と未有は表情に出さず歎く。  
その引き止められた言葉の内容に驚いた。どこからそんな話が出てくるのか。  
「えっ?」  
「指環してんだろ。違うのか?」  
目ざとくそれを見つけ、問い質す。はっと気づいて手を引っ込めても遅い。  
隠そうとすれば尚更に糾明されるものだ。  
未有は他人を騙すことにそれほど慣れていなかった。  
 
「見せてみろよ」  
腕を強く掴まれて痛みに顔を歪める。力で敵う相手ではない。  
ごつごつした男の指がセーラー服に食い込んでいく。  
同じ男性でも白秋のような労わりはなかった。  
知っている。これは、父親と似たタイプの指だ。  
悲鳴を上げそうになって必死で抑えた。  
「いえ、これはっ…」  
「見るだけだって言ってるだろ」  
「っ…離して……」  
少年は未有を好いているのだ。その相手が指環をしていれば驚くのも無理はない。  
そのことに未有も感づいているから、あまり邪慳にできずにいる。  
「昨日も一昨日もしてたよな。ずっと着けてるのか? 誰にもらったんだ?」  
「ある人に、借りている物です。他意はありません…」  
「男か!? 借りてるって何だ? 恋人にもらったんだろ?」  
「ち、違います…それより、手を離して…」  
彼氏とか、そんなものはいない。無実だから赦してほしい。  
だが少年の思いは単純ではなく、いや、寧ろそれ以上に単純で、  
理由を話してもすぐには帰してくれそうになかった。  
「じゃあ何だよ。特別なものなんだろ。わざわざ左手の薬指に着けてたしな!」  
「…お世話になっている方に……それに、どこに着けていても…」  
「だから、誰なんだよ!」  
「っ! お、大きな声、出さないでください…怖、ぃ……」  
朱夏に従属するという誓いの証であるが、本当のことを云える筈もなく  
その曖昧な態度が余計に彼を苛立たせる。  
ごっこ遊びで借りた指環を肌身離さず持っているのは、きっと普通ではない。  
自分が変に思われるだけならば気にするまでもなかっただろう。  
朱夏に迷惑をかけるのを危惧して大切なことは黙っている。  
 
「ふん、地味で安っぽい指環だな。俺がもっといいもの買ってやるよ」  
「…そんなこと……」  
「特別じゃないんだったら、こんなもの捨ててもいいだろ。代わりに俺が」  
「だっ…だめです! それは私のものではないんです。どうかお返しください――!」  
捨てるということは未有の生きている意味にも関わる。  
それほどお嬢様は未有の中で大切な人なのだ。  
「やっぱり男にもらったのか…!」  
「ですから、あなたが、勘違いしている、だけで…」  
怯えて上手に声が出ない。  
「うるせえ! なんだ、こんなもの!」  
「あっ!?」  
振りかぶるとベランダから外に向かって手を投げ出す。  
未有からは見えなかったが指環を放り棄てただろうことは明白だった。  
「ひどい…!」  
絶望感と、初めて感じる怒り。脚が膝から萎えていく。  
しかし、少年を責めることはできない。悪いのは興味を惹いてしまった自分だ。  
うまく受け答えできなかったのも彼を怒らせたのも自分が悪い。  
幼い頃から未有はそう考えるように仕向けられていた。  
他人に非はない。虐げられるのはこちらに不正な点があるからだ、と。  
思い出したくない苛酷な記憶が去来して頭痛を引き起こす。  
「っ!!」  
教室を飛び出して校庭に回り、少年が投げた辺りに見当をつけて駈けていく。  
もし失くしてしまったらお嬢様に合わせる顔がない。  
それどころか、いまここに存在していることさえ自分で許せそうにない。  
 
雨が降りだして数刻、日は厚い雲で見えないが疾うに暮れている時間だった。  
洋館の廊下は最小限の薄明かりで幽玄な雰囲気を醸している。  
「片桐、未有が見当たらないのだけれど」  
朱夏は何度目か執事に声をかけた。  
この老翁は形式的には未有の上司であって、当然部下の動向を把握しているはずだ。  
「はっ、朱夏お嬢様。藤村は帰っておりません」  
「まだ学校にいるのかしら」  
未有一人がいなくても、もう女中を必要としていないのだから  
兄の仕事や家の維持に差し支えはないが、  
家族の一人と考えればここにいないのは不自然である。  
「ずっと待っているのにいないのよ。黙って帰ってくるとは思えないし、  
外はこの天気でしょう? 捜そうにも、私は一人では外に行けないもの…」  
「先程あちらに連絡したところ教室に鞄はなかったとのことです。  
念の為これから向かうつもりですが――」  
「学校を出たのに、帰っていない…?」  
いつもならもっと早くに帰っているはずの未有が帰ってこない。ありえないことだ。  
今まで無駄な寄り道をした例もなければ、遅れるときには必ず連絡を入れていた。  
何かあったに違いない。少なくとも、帰ることも連絡することもできない状況だろう。  
窓を叩く轟音は刻刻と強くなっていく。悪い状況なら幾らでも予想しうる。  
電車やバスは止まっているだろうか。道は帰宅する人たちで混み合っている筈。  
川は激流で、落ちたらまず助からない。貧血か何かで倒れているということも…。  
「まさか事故にでも……。片桐、車を出して頂戴」  
「いえ、私めが捜して参りますので、お嬢様はご心配なさらずに」  
 
「私も行きます。未有に何かあったら大変だわ」  
「使用人風情をお気にかける必要はございません。どうか――」  
執事も譲らない。使用人がどうなろうとお嬢様の安全のほうが優先である。  
当主が変わる前から、朱夏の外出が制限されていることについて  
この老紳士だけは「お嬢様を外界の危険から守る」という名目を本気で通していた。  
そうでなければ前当主の理不尽な軟禁紛いの処置を認めたりしなかった。  
「この大雨に晒されて凍えているかもしれないのよ? 早く未有を…」  
焦りが強くなる。今すぐにでも駈けだしたいのに自分ではどうにもできない。  
「ですから、すぐに私めが…」  
「私も行くと言っていますでしょう!?」  
「いけません。そのようなことでは永源家の」  
「っ、…私の言うことが聞けませんの?」  
毅然と言い放つ。相手を完膚なきまでに黙らせる台詞だった。  
朱夏はあまりそういった言葉遣いをしないのだが、  
いざというときは権威を最大限に利用する。  
もともと兄以外に対しては強かな言動を取れるくらいには怜悧なのだ。  
「……」  
執事は自分の四半にも満たない年齢の娘に気迫で負けていた。  
絶対者に睨まれたように凍りつく。  
永源家を陰で支える執事をも屈服させる、意思のない人形であることを脱した朱夏の本領。  
「未有の学校へ連れていきなさい」  
「…畏まりました」  
 
視界が悪く道中で見つけられずに学校まで着いてしまった。  
執事を残して車を降りると朱夏は自分で傘を差して校庭に入る。  
泥水で靴を汚すのは初めてのことだ。  
国道と隣家からの証明しかなく足下も見えないが怖がっていられない。  
山に面した側へ廻って校舎に近づいて、花壇の横で地面に蹲っている影を発見した。  
宿直室に電気は点いているが、辛うじて人であることくらいしか判らない。  
それでも朱夏は未有であると直感した。  
「何をしているの」  
雨曝しのまま反応しない。顔を覆って泣きじゃくっている。  
「未有」  
「…ああっ……お嬢様…」  
「泣いていては解らないわ」  
傘を持っていないほうの手で腕を強く引いて振り向かせた。  
乾いていれば控えめに波のかかった髪も、  
無理矢理まっすぐにされたように愛嬌を失くしている。  
棄てられた小動物のようで痛痛しい。  
「私、指環をっ……!」  
「指環…?」  
触れ慣れた未有の指には何もない。怪我もないが、忠誠の証もない。  
冷え切った指先から絶えず雫が落ちる。  
 
「そう…」  
事情を呑み込むと溜め息を吐いた。  
残念そうな声色ではなかった。ただ安堵しただけで。  
馬鹿げているとさえ思うけれど、おそらく未有には深刻な事態だったのだろう。  
しかしそれは、朱夏には大した問題ではない。  
「気にすることはないわ。帰りましょう」  
酷薄なほど、それ以外に何とも云わず未有の濡れた頬を撫でる。  
「見つけるまでは、帰れません……」  
この天気の中で見つかるとは思えなかった。  
「あなたがそう云うのなら私もここにいるけれど?」  
「……」  
「風邪を引いてしまうから、早く立ちなさいな」  
セーラー服の中までびしょ濡れになっているようだった。  
立たせると衣服が肌にぴったりと着いて、一緒の傘に入っても脹脛から足首に水が流れる。  
「馬鹿ね」  
未有は雨を嫌っている。特に嫌いではないと聞かされたものの  
そのくらい察することができないようでは主人とはいえない。  
それを、こんなになるまで外にいたなんて、と胸を痛める。  
「すみません…私は……ああああっ…!」  
使用人を憐れな姿にしたのは自分の責任でもあるのだ。  
朱夏は服が濡れることも厭わず未有を抱いた。  
 
「居りましたか」  
「ええ、何ともないわ」  
執事は未有ではなく朱夏に気を遣って事情を訊かない。  
帰りの車内、後部座席で朱夏はずっと未有の手を握っていた。  
そこに足りないものがあるということを周りから隠すかのように掌で覆う。  
「私がお嬢様の大切なものを学校に持っていったから…」  
「…そうね。あんなもの、あげるのではなかったわ」  
「っ……」  
「その程度のことで未有が自分を責めるのなら、最初から無いほうがいいものね」  
朱夏にとっても大切なものだったが、  
未有とならば較べるべくもない些細なことだ。  
「すぐにお風呂へお入りなさい。兄様には私からお伝えしておくから」  
玄関前で立ち止まった未有をバスタオルでもみくちゃにして背中を押す。  
館に入れないなどと云わせるつもりはない。  
未有は頭からタオルを被ったまま自室のほうへ歩いていった。  
「朱夏お嬢様、お洋服が濡れております。すぐにお召し替えを」  
「…片桐、このことで未有を叱らないで」  
「仰せの通りに」  
注意しておかなければ未有は後で手酷い罰を受けていただろう。  
執事は自分を含め使用人に対して怖ろしいまでに厳しい。  
「お嬢様、私めは決して藤村を蔑ろにしているわけでは御座いません、ただ」  
「解っています。仕事ですものね…。いつも有難う」  
「はっ、藤村が無事で何よりかと」  
「無理を言ってごめんなさい。取り乱したことも怒鳴ったことも謝りますわ」  
「…いえ、私めも数年ぶりにお嬢様の強い気迫をお受けして嬉しくもあります」  
「…? …ふふっ、嫌ね」  
 
夕食と入浴の後にもすぐには眠れそうになかった。  
雨は今や小降りになって窓を叩くことはない。  
静けさに満ちた朱夏の部屋。数年前は牢獄のように感じていたが、  
無機質なぬいぐるみも豪奢なベッドも視点を変えれば  
可愛げがあったり上品だったりして、そう悪いものではない。  
眠くなるまで読書をしているつもりだった朱夏は  
やはり未有のことが気になって、部屋まで呼ぶ。  
「まだ落ち込んでいるの?」  
未有はドア横に立ったまま何もしない。  
「心配したわ。あなたが事故にでも遭ったものと…」  
事故に遭って消えてしまったほうがどれほど楽か。  
死ねと命じられるなら喜んで死ぬ、未有の忠誠は魂からの信仰に近い。  
しかし、もしそれをお嬢様が許可しないとすれば  
何があっても生きていなければならない。  
「私には、心配していただく価値もないです…」  
「指環を失くしたことは赦すと言った筈よ」  
気にすることはないと言われても、いちばん大切なものが欠けているのだ。  
永遠の従属の誓い。それがなければ、主人と使用人の絆も確かめられない。  
「ですが、到底済まされることではありません」  
頑として自分を責め続けるつもりらしかった。律儀なことだ。朱夏は溜め息を吐く。  
わかりやすく叱らなかったから未有も赦されていないと思ったのだろう。  
 
「いいわ。それなら、罰を与えてお仕舞いにしましょう。覚悟なさい」  
「罰、ですか?」  
「お仕置きをするのよ。兄様や片桐に迷惑をかけたこと、それと…私を心配させたこと」  
「はい。どのようなものでも、お受けいたします」  
「それを終えたら罪はなくなる。解るわね?」  
「はい」  
朱夏が責めてやらなければ解決しない。  
償えないのならそうして帳消しにする外にない。  
「そうね。電気あんま、なんてどうかしら」  
「…?」  
「以前にしたでしょう? あなたも、私も」  
「えっ……」  
あらゆる苦痛も覚悟していた未有は拍子抜けする。  
冷静に考えれば、お嬢様がそんなに非道いことをするわけはないのだ。  
とはいえ、電気あんま。あまりの優しい処遇に絶句した。  
「その程度のことでは――」  
「あなたに選ぶ権利があって?」  
どのようなものでも受けると云ったのだから、当然全ての決定権は朱夏にある。  
お嬢様は奥の寝室へ歩いていき未有を呼んだ。  
 
「腰を冷やしてはいけないわね。この上でしましょう」  
「そんな! それではお嬢様のベッドを、汚してしまいます…」  
「あら、汚してしまうの?」  
「…お、お嬢様はどうぞお座りください。ですが、私は床で」  
はぁ、と再び呆れる。  
「言うとおりになさい」  
命令して逆らえなくしてしまえば手っ取り早い。  
主は絶対だ。問われれば答え、命じられれば肯く。  
「はい、失礼致します」  
上履きを脱ぐと裾を少し持ち上げてベッドに膝を乗せた。  
お嬢様が夜を過ごす神聖な場所。  
未有が仕事としてベッドメイキングしているからといって、  
軽軽しく侵入していいところではない。  
ベッドの上に待つ未有の横に手をついて朱夏も乗ってくる。  
ふかふかの蒲団が軽く沈んで未有の躰は心と一緒に弾んだ。  
「こんなこと、兄様や片桐に知れたらきっと叱られてしまうわね」  
「私、誰にも告げたりしません…」  
「ええ、秘密」  
悪戯な笑みで朱夏は未有の腰のリボンを解く。  
スカートがいつでも脱ぎ着できるように広がった。  
「あっ…?」  
裸にするわけではなく、中に脚を入れるときに遮られないように。  
それはつまり、白秋が朱夏にしたように下着だけを間に挟んでの接触をするということだ。  
 
「あなたが可愛い声を上げなければ気づかれないのよ」  
「それは……」  
「私は、あなたの声が好きだけれど」  
命令されなくてもお嬢様に向けて両足を開いていた。  
二人きりで、余計な音がない。衣擦れと息遣いと鼓動が聴覚を侵す。  
行儀が悪いと咎める者もいない。  
お嬢様も使用人も人前では淑やかにしていなければいけないのに  
お互い恥じらいながらも明け透けな姿勢を取っている。  
朱夏は近づきやすいように自分の脚の間に未有の左足を持ってくると  
未有に腰を少し前にずらすよう命じた。  
この距離だと相手の匂いが判る。トリートメントの仄甘い芳香。  
それが媚香のようにも思えて未有の思考を溶かしていく。  
お嬢様の躰に触れそうになって膝を曲げた。スカートが捲れる。  
「あ……」  
未有とお嬢様は交互に脚を置いているのだから、  
未有と同じだけお嬢様も開いてしまっていることになる。  
膝を動かすときに、お嬢様のスカートの奥が白であるとどうしても眼が追っていた。  
見てはいけないという自制心と、見てしまったという何ともいえない気持ちが混ざる。  
同性だからといって興味がないということはない。  
寧ろ、憧れのお嬢様の秘された部分であれば、そこだけが本当に知りたいところなのだ。  
「どうかして?」  
「い、いえっ」  
顔が灼けるように熱い。  
想像の中でもお嬢様を穢すなど絶対に赦されないことなのに、  
好奇心は歯止めが利かなかった。  
スカート越しとはいえ、未有はそこに触れたことがある。  
あの感触と体温は忘れろといわれても忘れられない。  
 
「お、お嬢様…お嬢様のスカートが、捲れてしまっています…」  
ようやく使用人として主人に指摘をする。  
「っ…。見たのかしら?」  
決まり悪そうにさっと裾を引いて服を整えた。  
「ごめんなさい……」  
「……謝る必要はないわ。あなたも私に見せているのだもの」  
「えっ、あ…」  
手をかけたが隠すなと視線で命令されたような気がして、そのままにする。  
「白なのね。似合っていてよ」  
白いタイツから透けて見えるその中身も白い。  
初めて二人で外出したときに上下揃いで買った物だ。  
素肌の上に直接お仕着せを着ていた未有のために、  
朱夏が無理を言って買い物に出かけたのだった。  
旦那さまは寛容だが、よく執事が許可したものだと思う。  
「あの…お嬢様、も…」  
余計なことを言ったかもしれない。と思っても口を突いて出てしまったものは取り消せない。  
「な、何でもありません……」  
「……。べつに、いいわ。あなたなら」  
肯定しながらも紅くなって眼を逸らす。  
「ふふっ。それよりも、始めましょうか」  
「…はい、罰をお与えください」  
遠慮なく朱夏の足がそこにつく。  
もう未有の下着は中央から湿っていたが  
二枚の生地の厚みもあって気づかれるほどではなかった。  
 
「こうかしら、未有?」  
「あ、は、はい…」  
「痛くはない?」  
「だいじょうぶです……」  
苦痛でないと罰にならないのに、と未有は思う。  
お嬢様の優しさに胸がきゅうっと締めつけられる。  
たとえ苦痛であってもお嬢様の手によるものであれば罰にならないのかもしれない。  
「…んっ」  
兄にされたことをなぞって朱夏は未有が強く反応する角度を探っていった。  
全体を足の裏で覆って核を揺らすように膝を下から振動させる。  
初めてとは思えないほど巧みな足遣いだった。  
朱夏は幼少の頃から天才肌で何事にかけても呑み込みが早く、  
それは楽器の演奏も今の遊びも変わらない。  
「このような感じね」  
奥を開かれて、じわっと淵から融けていく。  
心のほうが先に高まっていた所為で性的な刺戟にしか受け取れなかった。  
「どうなの? 上手にできていると思うのだけれど」  
「あっ、あっ…」  
「答えなさいな」  
「そんなっ…お許しください、お嬢様……」  
「…私の言うことが聞けないと云うのね」  
もしかしてお嬢様は旦那さまより意地悪なのではないだろうか。  
未有はこっそり失礼なことを思った。  
「き、気持ちいいです…変になっちゃう、くらいに…」  
言葉にすることで余計に自覚する。  
「あん…ん、やぁっ…!」  
 
「これではお仕置きにならないわ。未有は喜んでいるのだもの」  
「はっ、ああ……だって、お嬢様っ…はあん……」  
「少しは耐えるということをしたらどうなの?」  
やはり朱夏の生来は責める側なのか、兄譲りというより  
こちらのほうが追いつめることにかけては得意らしい。  
自分の本性を垣間見て朱夏は驚きながら妖艶に微笑む。  
「それとも、二つ隣の部屋にいらっしゃる兄様までお聞かせしたいのかしら?」  
「はうっ…んんっ! ごめ…なさい…、あっ…お嬢様ぁ…」  
大好きな人にこんなことをされて声を抑えるのは無理だ。  
未有はおそらくお嬢様にそこを振動されなくても  
足をつけられているだけで気が高まってしまうだろう。  
「…やっ、はあっ……」  
「そんなに息を荒げて、みっともないわね」  
自分もそうであることには気づいていた。未有を見て興奮している。  
好きなのは云うまでもないし、可愛いとも思っているけれど、  
そういう意味で、なのだろうか。兄に対してと同じ意味で。  
「ごめんなさいっ……でも、止められません…」  
「ふふ…いいのよ、未有。ただの言葉遊びだから」  
朱夏は罰を与えるつもりなど最初からない。  
落ち込んでいた未有を元気付けたいだけだったし、  
いちど電気あんまをする側というものを試してみたかっただけだ。  
そう思っていたが、自分の足で感じている未有を見ると  
想像よりずっと面白いものだった。  
「もっとあなたの声を聴かせて」  
 
そして、実のところ電気あんまでさえなかったと云える。形を借りただけの愛撫。  
未有には耐えることを強いられているものだという意識が少しでもあったが、  
朱夏は未有の洩らす喘ぎを聴きたいとしか考えていない。  
「っ…やっ…あぁっ! ふあ、んんっ!」  
本来なら男性を受け容れるための躰の反応が、  
同じ女性であるお嬢様を相手にしながら変わらず動いている。  
性感の核心が被覆を外して鋭敏になると  
下着に擦られるだけで腰砕けになるほどの波が襲った。  
「はわぁぁっ!」  
引っ切り無しに溢れてくる液体が朱夏のベッドに吸われていく。  
十数分が過ぎただろうか。未有の腰から下は完全に弛緩していた。  
麻酔をしたときのように力が入らなくなって、快感だけが中心から広がっている。  
必死に躰を支えている両手が汗に濡れる。  
「あ…未有っ…」  
「ん、んっ…お嬢様…!」  
もはや、これがお仕置きであることを二人とも忘れてしまっていた。  
性的な遊びに酔うように、その淫靡な行為に没頭していた。  
足が疲れても朱夏は止めようとしない。  
「ああんっ、お嬢様ぁ…やあっ、ダメですっ…!」  
ただ眼の前の小さな使用人が、可愛くて仕方がない。  
未有も私にしていたとき同じように感じていたのかしら、と朱夏は微笑む。  
自分が泣き叫ぶ未有を見て躰を熱くしているのと同じように――。  
「…あくっ…んぅ…うっ、うっ…!」  
「あ、ん……」  
 
未有はトイレに行きたくなっていた。  
重く圧しかかるように内側から下腹部に何かが迫っている。  
「お嬢様っ…! あ、待っ…んあっ!」  
しかし言い出せるわけがない。  
お嬢様に止めるよう進言することは使用人として許されておらず  
これがお仕置きであれば反逆になるし、朱夏との交歓であれば酷い裏切りになる。  
「苦しそうね?」  
お嬢様のベッドの上で失禁してしまうなど、使用人として最悪の不届きだ。  
だから終えるまで我慢するしかなかったのだが耐えられるものではなく、  
どちらにせよ叱られるのだからと打ち明けてしまうことにする。  
「す、すみませんっ、お嬢様…あのっ、お手洗いに……」  
「…? まあ…」  
朱夏は足を一旦止めた。未有に触れている部分が熱くなっている。  
荒い呼吸音が重なっていることにも気づき、ぞくっと衝動に身を打たれた。  
「こんなことを申し出せる立場でないのは解っています。ですが、このままでは……」  
「我慢できないの?」  
「は、はい…」  
だらしないと非難されているように思えて俯く未有。  
やはりお嬢様の気分を害してしまった。  
要領が悪いからいつも選択を誤って場の雰囲気を壊す。  
 
「ここでしてしまっても構わないわ」  
「え…?」  
この頽廃的で甘美な一時を妨げられるよりは、そのほうがいい。  
正しい判断をする気はなかった。ただ浅ましい行為に耽っていたい。  
朱夏は心に火を点けた状態で、自分でも止める術を知らない。  
「そんな! それだけは、絶対にできません」  
「だったら我慢なさい。私は、あなたとの戯れを止めたくはないの」  
「ですがっ…!」  
「このまま、続けていたいのよ」  
「…お嬢様……」  
泣きそうな声に聴こえて言葉を失った。  
止めたくない、続けていたい、それは未有も感じていた。  
少女二人の濃密な匂いの中で、不必要な飾りを捨てたまま朱夏と重なっていたい。  
それを願っているけれど、いずれすぐに台無しになってしまうこともまた解っている。  
「私も、あなたの前で…してしまったでしょう?  
私にだけみっともない思いをさせるのかしら?」  
「あっ…」  
使用人なら主人を庇うものだ。だから同じようにせよ、と主人が云う。  
未有は反射で思わず肯いてしまいそうになった。  
「明日は休日なのだから、洗濯はあなたの仕事。汚しても大丈夫よ」  
「それは……」  
「私が代わりに眠る部屋なんて幾らでもあるわ」  
「……」  
そういう問題でもないだろうが、一理あるといえばそうかもしれない。  
答えられない未有を置いて朱夏は再開した。  
 
「ふあっ、あっ! 待って、お嬢様…」  
必死に脚を閉じてみたところで効果はない。  
股間に当たる部分が固定されただけで却って刺戟を強める結果になった。  
「や、ん! でちゃう…出ちゃいますっ…!」  
朱夏は未有の足首を引き寄せて更に脚を押し出す。  
割れ目に閉じ込められた尿道口が直接圧迫されたように強引に痙攣させられて  
差し迫った水位の放流を助ける。  
「だめです、お嬢様っ…! もうっ…」  
「ええ、見ていてあげる」  
じわっと厚い下着の底の部分が大きく濡れた。  
耐えているつもりなのにお嬢様が足で突く度に未有の躰は勝手に水を噴き出す。  
「んっ…あっ!?」  
もう押さえられないと悟ってきゅっと眼を瞑ると、はしたない水音が響いていた。  
二人の掠れた息をかき消す、あえかな排泄の音。  
留まることのない勢いで心地好く朱夏の足の裏をくすぐる。  
早くから我慢していたのか、なかなか止みそうもない。  
「あ…ん……」  
躰のほうが放尿の開放感を快楽と勘違いしてしまって、未有は視線を蕩けさせる。  
羞恥に泣きたいと思うより、ふわふわした気分に包まれていた。  
お嬢様のベッドの上で粗相をしているのに忘れているくらいに。  
朱夏が足を離しても放尿は止まらない。  
音が聴こえなくなるまでどちらも動くことは出来なかった。  
 
「あ、はぁ…う…」  
「未有…スカートを、たくし上げられる?」  
朱夏は何を考えたわけでもなく思いつきで辛辣な提案をした。  
「そんなっ…」  
「命令よ」  
「…はい……」  
命令は絶対である。拒否できないことを朱夏も未有も知っている。  
「あ、あぁ……」  
裾を胸の高さまで持ってきて水音の中心を曝け出すと  
未有はお嬢様に、自分の全ての領域を侵すことを許した。  
「お嬢様、こんな…。恥ずかしくて、おかしくなってしまいます……」  
「未有…」  
びしょ濡れになったタイツと下着はその中まで透けて見える。  
まだ子供だというのに、そこは男を誘惑するように女性的な様相を持っていた。  
黒いワンピースは水を吸っても目立たないが、白いタイツはそうはいかない。  
半透明になってしまって、内側の薄い肌色を映す。  
そこだけ布が膨らんでいるから小さな突起の位置まで判る。  
「私も、おかしくなってしまいそう……」  
既におかしくなっていると自覚していた。  
男ではないのに誘惑されて朱夏はお嬢様の立場をどこかへ捨てそうになる。  
同じ女性の躰でも、自分と何が違うのか判らないが  
色色なことを初めて知ったような気がする。  
未有の零した薄い匂いと濃い空気が思考に霞をかけて子宮を疼かせた。  
「ん、はぁっ…」  
 
「もう少し…続けてもいいかしら?」  
「……はい」  
訊くまでもなかった。もう止まらない。  
朱夏は未有の眼を見て、未有も朱夏の眼を見た。  
照れてしまうくらいの冷静さを残しているけれど、お互いの感情が熱い。  
「やああっ! あ、ん、んーっ!」  
「…ん……あっ…」  
「…お嬢様、そんなっ…強すぎますっ…! さっき……したばかり、なのにっ…」  
「未有、少し痛くしてしまうかも知れないけれど…我慢なさいね」  
「はっ、はいっ!」  
お嬢様に云われればどうあろうと必ず返事をする。  
感じているのは未有だけだが、二人は確かに睦み合っていた。  
朱夏は触れられてもいないのに時折弱弱しく喘ぐ。  
「は、あぁ…! ん、ふ……っあ!!」  
「未有っ…」  
「…あ、はい、お嬢様っ」  
「っ…はぁ……」  
意識や存在を確認し合う。  
ちゃんと解っているし、感じている。  
「やっ…はあん! あ、またっ、お嬢様…っ…!!」  
ふしだらなことをしていながら、傍目には下品に見えない。  
仲が良いだけと言われればそれで納得してしまうくらい、純粋だった。  
乱れた衣服を直そうともせずに淫蕩な行為を続ける。  
それは外に見るものがいないからと女同士で禁じられた遊びをして、  
二人で秘密を作っているかのようだった。  
 
「ああん! あっ…んくっ……ふあっ…!」  
いつしかお嬢様の手によって未有のお仕着せは上半身をはだけられていた。  
背中のボタンを外され、そのままワンピースが腰まで引き下ろされている。  
いつの間にこうなったのか未有は憶えていない。  
未発達なその躰は朱夏と較べてさえ貧相といえる程度だったが  
それでも膨らみかけの胸は慥かに少女のもので、幼いながら幽かな魅力を具えている。  
朱夏に選んでもらった初めてのブラは背中のホックを外して上にずらされていた。  
下に合わせた白で、控えめな装飾。  
「あああっ! んっ、んっ! あ、だめっ…」  
「未有……」  
もっと躰を触れ合わせたくてもどかしく思う。  
名目的にはお仕置きなのだから、ただの電気あんまであって、足でしか触れていない。  
朱夏はそれ以上の方法を知らないのだ。  
それに、知っていたとしてもあまりに露骨な交わりはお嬢様として出来るものではない。  
「あんっ! お嬢様…! も、もうダメですっ……」  
けれど、どちらも想いは一緒だった。  
朱夏の脚によって送られてくる快感は幼い未有の許容量を疾くに超えている。  
「…んっ……兄様に、お教えいただいたでしょう?」  
「は、はい…私っ……ああっ…お嬢様っ!」  
未有は真っ赤な顔で頷いて、自分の中の限界を確かめながら余裕のないことを伝える。  
ごく小さな声で「いきます」と答えるとお嬢様は褒めてくれるときの笑みで受けた。  
「良い子ね」  
間違えてもリズムを止めない。  
眼を合わせて呼吸を合わせて、最後まで。  
 
「お嬢様ぁっ…!」  
快楽に絆されて愛しい人を呼び続ける。すぐ眼の前にいるのに届かない人。  
遠く離れた身分は安心感も与えるけれど、それは諦めに近い。  
傍にいたいのに。  
「ええ、未有。ここにいるわ」  
「っ、お嬢様!」  
旦那さまにされたときより、遙かに大きな感情が押し寄せる。  
ずっと好きだと云いたかったのだが、生粋の使用人である未有は  
たとえ良きものであろうとも主人を評価する言葉を持たない。  
気持ちを伝えることができなくて、ただお嬢様に向かって手を伸ばすだけ。  
それを見て気を利かせたのか、或いは想いが映ったのか、朱夏はその手に触れる。  
装飾の、指環のない未有の小さな手。  
「好きよ。あなたも、ずっとここにいなさい」  
欲しかった台詞がそこにあった。だから未有は全てを朱夏に捧げる。  
「あっ…! んんっ、あああーーーーーーーーっ!!!」  
ひどく躰を引き攣らせて絶頂した。  
朱夏は足を離すと、身を捩って震えている未有に這い寄って覆い被さる。  
抱きしめたいだけだったが、未有に乗って襲っているようにも見えてしまう。  
お嬢様らしさを欠いた行動を見ている者はいない。  
「はぁっ…んっ……」  
「未有…」  
未有が叫んだとき、朱夏も浅く達していた。一度も触れていないそこが小さく収縮する。  
 
「は、あっ……」  
眼を開けるとお嬢様の髪が未有の頬に流れていた。  
上半身を裸になって、下着とスカートをぐっしょりと濡らしている自分。  
その上に跨って未有を抱きしめているお嬢様。  
誰がどう見たって赦されないほど汚らわしくて疚しいはずの状況なのに  
お互いにそのことは何も云わない。ここには従者と主人しかいないのだ。  
朱夏の脚の間に入ったまま絡められた指を握り返した。  
敏感になっている未有の乳首にお嬢様の手の甲が当たって  
同時に「あっ」と声を洩らす。事が済んだ雰囲気を壊してしまって微笑み合った。  
「…これで、指環を失くしたことは不問にするわ」  
「はい……」  
二人は楓蜜よりも甘い乳白色の中で溶け合うように肌を重ねた。  
遠慮させる隙を与えない距離で朱夏は未有に囁く。  
「あのような昔の思い出に頼らなくても、あなたは私のものよ」  
「はい、お嬢様」  
「本当は、指環のことなんてどうでもいいのよ…。あなたがいれば、それでいいの」  
あのときは未有の心を試したかっただけだし、信じたかっただけ。  
もう要らないものだ。  
「お嬢様っ…」  
朱夏に抱かれたまま、未有は誓いを反芻する。  
形式的な束縛がなくても、洋館の姫君は自分の中で絶対の存在なのだから。  
「未有、お願いがあるの」  
「はい」  
「今度はあなたから、私の頬に口接けをして」  
「…失礼します」  
傷つけないように優しく。未有は今だけ使用人の分を僅かに越える。  
 

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