「司はいくつになったんだ?」  
親戚が集まったらかならず聞かれるこの文句。司は愛想良く笑っている。  
「17です」  
「もうけ。早ぇーなぁ。ついこないだまでこんなちっちゃかったのによぉ」  
よっぱらった叔父の台詞に、笑ってみせる。幼いころからの自分を知っているこの親戚達は、いい人ばかりだ。  
加えて無理なく自分でいられるこの空間は、とても心地よい。  
父方の祖母の家に来ている司は、いつになくのびのびとしている。  
「どうなんだ、高校は?男としてやってるって聞いたけど」  
聞いてくるのは今年大学生になった従兄弟の春樹だ。ここにいる親族は、司が女で、ここ二年は男として生活していることを知っている。  
もう眠いと言って早々に部屋にひっこんだ祖母と、その弟である学園理事を引っ張り出しての大騒動があったのが二年前。  
強情な司の説得に両親が折れて、三年間だけという約束で男として生活することを許されたのだ。  
「ん、楽しくやってるよ」  
「そーかそーか。でもアレだな、悪い虫が付かなくて叔父さんは安心でしょ」  
内心ギクリとした司の横で父が苦笑し、親族の話題はもうすぐ結婚する別の従兄弟の話になる。  
そろそろ酒の入っていない司には入り込めないテンションになってきている。  
司には兄がいるが、兄は遠方の大学に通っていて今日は来ていない。母に耳打ちして、宴会の輪から抜ける。  
今日来ている従兄弟はあまり顔をあわせたことのない中学生が二人と春樹だけで、仲の良い高校生の従兄弟はいない。  
明日には帰らなければならないので少し残念だが、かといって叔父叔母の話は何年もループしているので飽きている。  
風呂から出て縁側に腰掛けると、蝉の声と鈴虫の音が風に乗ってくる。農家を営んでいる家は広く、宴会の笑い声も遠くに聞こえる。  
田んぼを渡ってくる涼しい風を頬に受けて、静かに虫の音に聞き入る。  
「おい」  
ふとかけられた声に振り向くと、春樹が手に缶ビールを持っている。  
「春にいちゃん。どしたの?」  
「いや、俺も流石にあの手の話にはついていけなくてさ。ほい、一本くらいいけるだろ?」  
横に腰掛けた春樹は、どこか隆也に似ている。ずっと昔の話だが、司は春樹に憧れていたのだ。  
年上の、面倒見の良いかっこいいお兄ちゃん。それは今でもかわらない。  
「ん。いただきます」  
プシュ、と缶ビールを開けて口をつける。この苦味は苦手だが、せっかくだから空けておこう。  
「はー…しっかしお前が男として生活するなんてな…昔っから男勝りだったけどよ」  
 
「はは、まぁ性別間違えて生まれてきた、ってとこまでいってないからいいじゃん?あと一年ちょっとしたら女に戻るしさ…」  
つい最近までは、その日が来ることが嫌でしょうがなかった。けれど今は、少し楽しみになっている。  
女として生きていくのもそんなに悪いことではないかもしれないと、やっと思えるようになったのだ。  
隆也の顔が浮かぶ。緩みそうになる口元を隠すように、ビールを飲み下す。  
「そっか…まぁ…そうだな。しっかし男前だよなぁ、お前。女の子に告白されたりしないか?」  
「まぁ…あるようなないような?春にいちゃんは?大学で彼女できた?」  
春樹は顔立ちが整っていて、いかにもモテそうなのだが。  
「…うるせーよ。さ、お子様はもー寝た寝た」  
空いた缶をとりあげて立ち上がった春樹の表情は、影になっていて良く見えない。  
「なんだよ自分も未成年のくせに……じゃあね、おやすみ」  
「ん、おやすみ」  
笑う春樹に手を振って、司の家族に宛がわれた部屋に戻る。両親はあと二時間は話しこむのだろう。  
畳の上にのべられた布団にごろりと寝転ぶ。少し酔いが回っていて、気持ちいい。  
いつもならこの心地よさのままに眠れるのだが、今日は少しわけが違っていた。ノスタルジックな思い出がぐるぐると頭を回る。  
カブトムシを採りにいったとき、足を怪我した司を背負ってくれたのは、祖父ではなく春樹だった。  
この家の近所の悪ガキと喧嘩して、親に叱られたときに司をかばってくれたのも春樹だった。  
他の従兄弟より、春樹は面倒見が良かった。特に問題を起こしがちな勝気な司には、気をかけてくれていたように思う。  
だからずっと、ずっと好きだった。大好きなお兄ちゃんだった。その憧れは、だいぶ大人になった今も変らない。  
どこかでその憧れは、隆也にも通じているのかなと思う。人にいわせれば、全く似ていないだろうが、司にとっては似ているのだ。  
「……せんせ……」  
呟いて、枕を抱く。数日前につけられたキスマークは消えてしまった。  
けれどいつも頭を撫でて、抱きしめて、可愛がってくれる手の感触は消えない。ぞく、と下半身がうずいた。  
「……大丈夫…だよね……」  
隣の部屋はいつも最後まで飲んでいる叔父たちが寝る予定で、空いている。多少の物音は誰にも聞かれない。  
「………」  
そっと、服の上から胸を触る。隆也の手つきを思い出して、ゆっくりと揉んで、乳首をこねる。  
「……ん……は……」  
自分でするのは、されるのほど気持ちよくない。というか、多分、興奮が違うのだろう。服の中に手をしのばせ、もう一度揉みしだく。  
性感帯は自覚しているから、後は妄想だ。耳元で囁いて、うなじを舐める隆也を想像して心拍数をあげる。  
「…っふ……は……」  
下腹部をなでる。下着の中に手を忍ばせて、恥丘をくすぐり、秘裂に触れる。びらびらを指の間に挟んで揉んで、押し開く。  
「は……ん…せん、せ…」  
わずかににじんだ愛液を隔てて秘裂を擦る。まだほぐれきっていない膣内に指を差し入れて、ゆっくりと膣壁をなぞる。  
じわじわと溢れてくる愛液をすくって、陰核を撫でる。撫でるだけでは足りない。押しつぶして、こねて、挟んで、擦る。  
 
「んっ、は…あ……せんせぇっ……」  
ぞくぞくと走る快感に体を震わせて、陰核を擦りながら指を抜き差しする。隆也は何を囁くだろう…  
「…何やってんだ、こんなとこで」  
心臓が跳ねた。体が硬直する。そっと手を服から抜いて…顔を上げられない。顔が熱い。そのくせ背筋には冷たいものが走る。  
いつの間にか開けられていた障子のこちら側に、足を踏み入れる気配がする。  
「……司。こっち向け」  
大好きな。  
大好きな春樹の声が、こんなに冷たく聞こえる日が来るとは思っていなかった。  
隆也の忠告が頭の中をぐるぐると回る。唐突に泣き出したくなった。けれど、今は泣いたところでどうにもならない。  
ゆっくりと、ぎこちなく首を動かす。暗闇の中、月明かりでシルエットだけが浮かんでいる。ぱき、と膝を折る音がする。  
「…まぁ、この歳ならオナニーの一つもするだろうけどよ…ちょっと放っておけないよな……」  
春樹の手が伸びる。司は固まったまま動けない。動けないまま、愛液に汚れた手を取られた。  
「……お前、先生、って言ってたよな。なんだ?学校の先生オカズにしてやってたのか?」  
「………」  
答えられない司の表情を見て、春樹は何を思ったのだろう。声にはいらだちがみてとれる。  
「答えられないってことは図星か。…やめとけよ、そういう思い込みだけで突っ走るような片思いは…」  
手首をつかむ腕に力が込められる。その痛みを、司は受け入れるしかない。  
「お前が辛いだけだろ?どうあがいたって叶わないのはわかってるじゃないか。そんなの…」  
ふと、手を離された。司はその意図をさぐろうとするが、春樹は黙り込み、その表情は相変わらず影になっていて良く見えない。  
司は恐る恐る体を起こして、じっと春樹の言葉を待つ。絞り出すような声が、ひどく胸に痛い。  
「…そんなの……見てられるかよ……」  
「春にいちゃん……」  
本当のことを言わなければ、と言う自分がいる。もう一方で、事実はさらに春樹を傷つけると言う自分がいる。  
きっと今は、何を言っても春樹を傷つけることになる。どうしようもない切なさが胸を満たして、言葉を紡ぐことができない。  
ただじっと、静かな虫の音を遠くに聞いている。  
「司」  
反応する前に、抱きしめられた。  
春樹の腕は細かったが、その力強さはしっかりとしたものだった。耳元で呟かれる言葉は、すべてが胸にささる。  
「俺はお前が大事なんだ。兄弟みたいに…それ以上に。だからこんな……」  
ぴく、と司の手が動く。この手を背に回したい。そして、自分もだ、と告げたい。ずっと好きだった。今でも好きだ。けれど。  
「……春にいちゃん……ごめん……」  
他に言葉が見つからなくて、結局そう呟く他ない。春樹の体から立ち上る体臭は、わずかにアルコールの香りを帯びている。  
春樹の体が離れる。その瞬間に感じた切なさを、必死で飲み込む。  
「…いや…俺も悪かった。こんなこと言われても、どうしようもないよな……」  
 
初めて聞く、どうしようもなく弱気な春樹の声に、思わず声をかける。  
「ううん……俺もずっと、春にいちゃんのこと好きだったし、今も好きだから……でも……」  
けれどそれ以上を続けることができない。つぐんだ口を開けずに、ただぎゅっと手を握り締める。  
求愛のための虫の音が、やけに寂しい。  
「…恋、したことがないんだよ、俺。」  
苦笑したらしい春樹が、司を戸惑わせるようなことを言う。  
「ちゃんと好きだって意識したのは、司くらいだよ」  
どうしろというのだろう、そんなことを聞かせて。  
「…あぁ、困るよな、また……だからな、俺にとっては司はすごく特別な存在だったんだよ…司が男として高校生活送るって聞いて  
 心のどっかでほっとしてたしな…」  
それもまた、反応に困る話だ。司はただぼんやりと話を聞くほかない。春樹の心情を探ろうとも思ったのだが、探りきれそうもない。  
「多分だけどな、勝手に司のこと自分のものだと思ってたんだよ、ガキのころ。だから従兄弟連中の中でも一番可愛かったし、司も……」  
「……うん。春にいちゃんにはなんか憧れてて、くっついてまわってた……」  
「そう、だから…司を誰かにとられるのが嫌だったんだな……いや、今でも嫌だ。できることなら司を幸せにしてやりたいと思う」  
飛躍しすぎだ。ぶっちゃけ退く。  
「というか、司を泣かせるような男にひっかかってほしくない……親に近い心境かもしれないな」  
「…そ、そっか…」  
ようやくなんとか落ち着いて、さてどうしようかと再び思案を巡らす。  
真実を伝えることで春樹が傷つくと言うか、怒るのは目に見えている。  
だが、隆也との関係をまるで悪事のように押し隠さなければならないのが、辛い。  
ただお互いを愛しく思って一緒にいることが、どうして世間に責められなければならないのかと、若い司は憤りを感じてしまう。  
「…だから司。余計なお世話だろうけど、その…先生、ってのは諦めた方が良い。遅かれ早かれ辛い思いをするのは司…」  
「春にいちゃん」  
聞いていられない。叶わぬ恋だという全否定も、それを口にしている春樹の辛さも、司の胸をざわつかせる。  
「俺……先生と付き合ってるんだ。ちゃんと愛し合ってる」  
突発的に口にしてしまったが、じっと春樹を見つめる目に迷いはなく、どんな反応をされても動じはしないという意思が見て取れる。  
春樹は息を飲み、静かに声を絞り出した。  
「…司、それ本気で言ってるのか?」  
少し声が震えていたような気がする。それはそうだろう。しかし今は春樹への気遣いよりも、自分の持つ真実と心情を伝えたい。  
「うん。本気で言ってる。もちろん親にはまだ言ってないけど…」  
唐突に、春樹の体が司を組み敷いた。  
「春にいちゃ…」  
口を塞がれ、下着の中に手を入れられる。自分を守ってくれた春樹の手だ。なのに、怖い。  
「声出すな。気付かれるぞ」  
 
息を飲んだ瞬間、春樹の指が秘裂をなぞり膣口を探り当てる。  
「…っ…」  
怖い。心臓が早鐘を打つ。体全体が緊張して、春樹を拒絶している。  
わずかに湿ったそこに、無理矢理指が埋め込まれる。節くれ立った指が中で曲げられて、丁寧に膣壁をなぞり何かを確認している。  
「…処女じゃ、ないな」  
ざくりと、心臓を貫かれたようだった。たったそれだけのために、自分は強引に秘部を弄られねばならないのだろうか。  
処女ではないということは、こんなに冷たい声で指摘されなければならないほど悪いことなのだろうか。  
春樹の声は冷たく、どうしようもなく遠く感じる。  
「そうか……やったらそれで愛が確認できると思ってんのか……司がそんなに馬鹿だとは思わなかったな…」  
一瞬で、恐怖が吹き飛んだ。  
「春にいちゃん。俺と先生は本気だよ。馬鹿じゃない。思い込みでもない。俺は先生が好きなんだ」  
強く胸を押し返して、口と膣口を塞いでいた手をのけさせ、はっきりと言う。  
これだけは譲れないと、決意を込めて。  
春樹はどんな顔をしているのだろう。ずっと暗闇でしか見ていない。きっと司が見たことがないような顔をしているのだろう。  
「……司」  
その声は、どこか悲しくて、勢いに身を任せていた司の表情も歪む。  
「……ごめん」  
その意味を問うより早く、唇が重ねられる。  
押し返そうとする手を押さえられ、ゆっくりと唇を舐められ、唇に挟まれ、丁寧にキスを続ける。優しいキスはとても気持ちがいい。  
けれどこれは、司の望むキスではない。奥歯を噛む。  
「…んは……ごめん、司……どうしても……俺は」  
春樹の体が離れる。春樹の本気が、嫌が応にも伝わってくる。ただ、それにどう答えれば良いのかがわからない。  
「ごめん……この気持ちはどうしようもないんだ……どうしようもなく、司を自分の物にしたいんだ」  
「……春にいちゃん……」  
こんなに激しく、誰かに求められたことが今まであっただろうか。  
隆也とはお互いが望んで寄り添うようになったから、こんなに激しい感情をぶつけられたことはない。  
おびえた目をしていたのだろう、司の表情を見た春樹はため息をついて、体を起こす。  
「だけど、司は本当にその先生のことが好きなんだな。良くわかった……」  
春樹は立ち上がって、ゆっくりと部屋を後にする。敷居をまたいだ春樹の横顔は、笑っていた。  
「幸せになれよ。その先生に泣かされるようなことになったら、俺に連絡してこい。一発ブン殴ってやる」  
春樹は春樹だ。その事実に、熱いものがこみ上げてきて、声が震える。  
「春にいちゃん……ありがとう……」  
ふい、と春樹は顔をそらす。  
「…よせよ。俺が泣かしてどーすんだ」  
 
「……うん」  
そうだ。春樹はいつも、司が泣かないように守ってくれたのだ。喧嘩っ早くておてんばで、強情で、そのくせすぐに泣くから。  
無理矢理、笑顔を作る。  
「……おやすみ。司」  
「おやすみ、春にいちゃん……」  
 
翌日早朝、司は春樹にたたき起こされ、童心に返ってカブトムシ採りを楽しんだ。  
あの頃に戻ったような二人の姿に、親戚一同の微笑が向けられる。それを快く受け取って、二人は笑って別れた。  
次に会うのは年始だろう。そのときには凧揚げでもしようと、約束をして。  
 

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