朝。  
 妙な息苦しさを感じて、俺は目を覚ました。  
「秀司、起きるのであるー!朝であるぞー!」  
 胸の辺りに感じる圧迫感。すぐ近くから聞こえてくる声。  
 俺は、やれやれ、と目を開いた。  
 そこには、少女の顔。  
 金色の瞳に、漆黒の髪。そこから飛び出した黒いネコ耳。  
 あきらかにまともじゃない、俺の同居人だ。  
 名前は――――長かったので良く覚えていないが、確かミシェル・ブラウン・ホーエンハイムとか言っていたような気  
がする。長かったので、俺はミィと呼んでいるが。  
 ちなみに俺は瀬野秀司。20歳の大学生だ。  
「分かった。起きる。……重いから、降りてくれないか?」  
 起きようと思い、ミィにそう声を掛けた途端――  
「な、ななな何をっ!! わわわ、吾輩を愚弄するのであるかっ!?」  
 顔を真っ赤にして、俺の首を絞めてくるミィ。  
 11、2歳の外見に似合わない、強い力だ。  
「いや、そう言う意味じゃなくて、だ…………死にそうだから、手を離してくれないか」  
 その言葉に、は、と気付いたようにミィは俺の首から手を離す。  
 しかし、その眼光は鋭く、俺の顔を睨んでいる。少し赤い顔で。  
「黙るのである、痴れ者がっ!! そこに直れ! 吾輩の爪で叩き切るのである!」  
 す、といつの間にか持っていたステッキ――仕込みステッキからサーベルを抜き放ち、俺に向けている。  
 これが、ミィの爪と言う奴だ。  
 鋭いサーベルは、きっと俺の首くらいなら簡単に切り落とせるだろう。  
 と言うか、そんな物騒な物を家の中で抜き放たないで欲しいものだ。  
「……悪かった。重たい、とか言って」  
「分かれば良いのである。次からは言葉に気をつけるのである」  
 そう言って、ミィはぽん、と俺の上から飛び降りて、ぱんぱんと服を払った。  
 黒い燕尾服。この少女の、130cmほどの身長では似合わないはずなのに、何故か奇妙に似合って見える。  
 同じマンションの住人に奇異の目で見られるからと、折角服を買ってきたと言うのに、着てもらえていないらしい。  
 ふぅ、と溜息を吐き、コメカミを軽く揉む。  
 ふと、いい匂いを、鼻が感じ取った。  
 朝食に食べるには、もったいないくらいの豪勢な料理の匂い。  
 からりと揚げられた至上の美味、唐揚げの匂い。  
 
 ミィは、俺をおいてするりと隣の部屋に移っている。  
 ふむ。  
 となると矢張り、俺も隣の部屋に行かなければならないだろう。  
 ……と、言うか。時刻は既に九時半。俺が取っている授業まであんまり時間が無い。  
 取りあえず、俺は布団を畳み、隣の部屋へと移る。  
 隣の部屋、リビングに向かうと、そこにはここ暫く食べたことの無いような豪勢な料理が並んでいた。  
 ごしごし。  
 目をこする。  
 ごしごし。  
「……ミィ、料理出来たんだ。すごいな」  
「当然である。吾輩はホーエンハイム伯爵令嬢であるゆえに、この程度の料理出来て当然である」  
 関係あるのだろうか。  
 ……と言うか、伯爵令嬢、とか言う割には並べてある料理がほとんど和風なのはどういうことだろうか。  
 ふと見れば、どことなくミィは頬を染めてそっぽを向いている。  
 褒められて嬉しいのだろうか。俺は、そんなミィの頭をくしゃくしゃと撫でた。  
「ありがとうな」  
 その言葉に、顔を真っ赤にしたミィは、手を振り払った。  
「ち、違うのである! 別に秀司のために作ったのではないのである! 秀司の料理では吾輩の栄養が偏るから仕方なく  
作ったのである!断じて、貧相な物しか食べていない秀司に美味しい物を、とかなんて思っていないのである!」  
 ぶんぶんと、子どものように――いや、実際その外見は子どもだけど――首を振りながら、一息でそう言った。  
 ……怒られた。  
 暫く肩で息をし、少し落ち着いたのだろうか。  
 少し俯き加減になりながら、ミィは呟いた。  
「……ど、どうしてもと言うのであれば……その、少しは分けないことも無いのであるが……」  
「いや、いいよ。唐揚げ一つもらえれば、それで十分。作ったのはミィだし、食費もミィのだし。後は何か買って食べる  
よ」  
 俺の言葉に、ミィは少し困惑したように目を彷徨わせた。  
「……う…………あ…………」  
「どうした、ミィ?」  
 しゃがんで、目線をミィに合わせて言う。  
 まぁ、居候とは言え大切な同居人だ。  
 俺が目線を合わせると、ミィはまた目をそらして顔を赤くして呟いた。  
「……あ、あの……えと……そ、そうである! 吾輩一人では食べきれないので、半分食べて欲しいのである!」  
「あぁ、なるほど。それじゃあ、ご相伴に預かろうか」  
 そうか、なるほど。  
 きっと、料理を作ったは良いが、作りすぎて、それを笑われるのが恥ずかしかったんだろう。  
 何というか、可愛らしいところのある奴だ。  
 と、言うことで、俺はミィの手料理を食べて家を出た。  
 しきりに「美味しいであるか?」と聞いてくるので「美味しい」と答えると、とても嬉しそうにしていた。子どもらし  
くていいことだ。  
 ついでに言っておくと、ミィの料理は実際、とんでもなく美味しかった。  
 
 あぁ、そうそう。これを言っていなかった。  
 ミィは、妖精――ケット・シーと言うやつなのだ。  
 
 
 午後八時。  
 授業のあと、教授に誘われて映写会(教授推薦の特撮を見続ける会)に行き、気付けばこんな時間になっていた。  
 今日の様子を見ると、多分ミィは自分で食事くらい作れるだろう。昨日までも、何か買ってきていたのだと思っていたけれど、実際は作っていたんだろう。  
 明日から研究発表の準備として、友人の家に泊まり込みになることが決まったし、まぁ、少し心配だがおそらく大丈夫なはずだ。  
 何しろ本人曰く伯爵令嬢なのだから。  
 あんまり関係無い気もするけれど。  
「ただいまー……と」  
 がちゃ、と玄関を開けて、中に入る。  
 返事は、無い。  
 おかしい。  
 いつものミィなら――と言っても、ここ一週間のミィしか俺は知らないのだが――遅いのである、と食ってかかってくると思うのだが。  
 それとも、あまりの遅さに返事もしないほどに怒っているのか。  
 考えても仕方ないので、取りあえず前に進むことにする。  
 物音一つしない。これはもしかすると――誘拐だろうか。  
 いや、ミィを誘拐しても、身代金を取るのは難しいんじゃないだろうか。むしろ、ミィに反撃されて誘拐犯の方が致命的なダメージを受けそうだ。  
 ひょい、と覗き込んだキッチンには、居ない。ま、それはそうか。  
 そのまま、リビングに入ると――居た居た。  
 椅子に腰掛けたまま、机にもたれ掛かって眠りの淵に沈んでいる。  
 起こすのも可哀想だし、このままここで寝かせるのも、その燕尾服がしわになりそうでどうかと思う。  
 と言うか、こいつ寝る時は何を着ていたのだろうか? 何だか燕尾服のイメージが強すぎてよく覚えていない。  
「取りあえず布団のところに移動させといてやるか……」  
 いつもならソファで眠っているのだが、服を着替えさせるとしたらソファよりも布団の上の方が簡単だろうし。  
 寝室の戸を開け、起きたときに畳んだままになっている布団を敷き直す。  
 そしてミィのところに戻り、その身体を抱きかかえる。  
「よ……っと」  
 ひょい、と抱きかかえて、俺の方を向くようにすると、ミィは俺の身体に手を回し、しっかりとつかまってきた。  
 ……親と離れてこんなところに居て、やっぱり寂しいのだろうか、こいつも。  
 そのまま、寝室へと向かう。  
 抱きついてくれているお陰か、ミィを重い、とは感じなかった。  
「……よし、と」  
 布団の上にミィを横たえる。  
 ……こうやって静かにしている間は、何というか、気品とか可愛げとかが溢れているような気がするんだが。  
 とにかく、ミィの上に覆い被さるようにしながら、燕尾服の前のボタンを外していく。  
 一つ、二つ、三つ。  
 人のボタンを外すのは結構面倒なものだが、順調に手が動く。  
 
 …………待てよ。  
 これって、傍目から見ればすごく危ないシーンに見えるんじゃないだろうか。  
 外見小学生くらいのネコ耳少女に覆い被さって服を脱がせている男(ボタンを途中まで外して停止)……。  
 駄目だ、変態だ。変態にしか見えない。  
 いや、しかしまぁ、誰が見ているわけでもないし早く終わらせよう。それに限る。  
 気を取り直して、残りのボタンを外す。  
 気を取り直したつもりだが、もしかするとまだ慌てていたのか、手は遅々として進まない。  
 駄目だ……落ち着け…………こんな時は素数を数えるんだ…………。  
 1……2……3……5……7……。  
 ……1は素数じゃないな、うん。  
 取りあえず、今度こそ気を取り直してボタンを外す。  
 すんなりと、手に従ってはずれるボタン。  
「……よし」  
 何がよし、なのか分からないが。  
 黒い燕尾服がはぎ取られて、白いシャツが姿を現す。  
 ……ここまでにしておくべきか、それともこれも脱がせるべきか。  
 どうせここまで脱がせたんだ。シャツも脱がせておくべきだろう。  
 ゆっくりと、シャツのボタンに手を掛ける。  
 ぷつん、ぷつんと小さなボタンを外していく。  
 白いシャツの下の、なめらかな肌。  
 それがゆっくりと、俺の目に入ってくる。  
 …………いや、子どもだ。相手は子どもだ。気にすることじゃない。  
 取りあえず、シャツまで脱がせる。  
 この暑い季節に、よくこれだけ着ていたものだ……。  
 まぁ、流石にこれ以上は着れなかったのか、その下は何も身につけていないが。  
 ……と言うことはつまり、直にその、まだささやかな胸が見えるわけで。  
「…………っ…………大丈夫、大丈夫……」  
 ゆっくりと服から腕を抜きとらせ、そのまま横に置く。  
「……ん……ぁ……」  
 ミィの、声。  
 違う、寝言だ。  
 これは、寝言なんだ。断じて、誘ってるような声じゃない。  
 だと言うのに――心の何処かが白熱していくのを止められない。  
「……んー……」  
 ごろり、と。軽く寝返りを打つ。  
 当然、その胸は押さえられるような形になり……何というのだろうか、強調されている。  
 白磁の肌に、桜色の乳首が映える。すぐにでも折れてしまいそうな、華奢な腕も、ミィの身体を引き立てているようで。  
 半開きになった口と、そこから覗くピンク色の舌が、喩えようも無く……淫らに見える。  
「……ッ…!!」  
 駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ。  
 これ以上ここに居るのは駄目だ。これ以上こいつの裸を見るのは駄目だ。  
 
 慌てて、何か着るものを――とっさに、俺のYシャツを取り出し、ミィに着せる。  
 ぐいぐいと、無理矢理に、力尽くで。  
 腕を通らせ、その胸を、身体を隠させる。  
 これはこれで何かマニアックな格好になってしまったような気もするが、良かった、これで――――  
 
「何をしているのである」  
 
 何故、俺の首筋にサーベルが突きつけられているのだろうか。  
 確かに、目が覚めれば自分の服が脱がされていた、と言うのは怒るに値するだろう。  
 だが、自分の今の服装を考えたら、着替えさせてくれたんだ、と思ってくれてもよさそうなのに……。  
「い、いや、これは違うぞ?」  
 とっさの弁解。  
 ……少し、変な気分になっていたからか、後ろめたい気持ちが拭えない。  
「……何が、である?」  
 鋭い、冷たい視線で俺を睨むミィ。  
 俺に突きつけられたサーベルは微動だにしない。  
「ミィが寝てたから着替えをだな……やましい気持ちなんて、これっぽっちも!」  
 ぶんぶんと腕を振りながら、必死に否定する。  
 ……この反応がそのまま、怪しさに直結しそうな気もするが……。  
「……吾輩に、何もしてないのであるか?」  
 じと、と俺を睨んでくる。  
 目の辺りに影が掛かっているように見えて、怖くて怖くて仕方がない。  
「あ、あぁ! 誓って何もしてない!」  
 自分の狼狽ぶりに、呆れてしまう。これじゃあ、何かやったと言わんばかりじゃないか。  
 しかし、ミィはそれで納得してくれたのか、カチンと音を立てながらサーベルを鞘に納めた。  
 そして、俺から顔を背け、ふん、と呟く。  
「……変態」  
 ……これ以上、今の俺の心を抉る言葉はない。  
「……まぁ、許すのである。吾輩は寛容であるゆえ」  
 視線と口調が全然許しているように感じないのは、俺の気のせいだろうか。  
「……分かった」  
「うむ。紅茶のたった一杯で許すのである」  
 紅茶か。その程度で何とか許してくれるのなら、安いものだ。この後も同じことで何度か虐められそうな気がしてならないが。  
 分かった、と言うと、ミィをそこに残してリビングに行く。  
 茶葉は、ある。この間ミィが言うので買ったものだ。  
 紅茶のいれ方なんて分からないから、取りあえず適当にやってしまう。  
 こぽ……こぽこぽこぽ…  
 ……少し時間をおくと、頭が冷静になってきた。  
 ミィが怒るのも、無理はない。眠っていたところに服を脱がされて、あまつさえ欲情されていたなんて知ったら、許す許さないどころの話じゃなくて、多分次の瞬間には俺はバラバラにされているだろう。  
 
 本当に、危なかった。  
「ミィ、お待たせ……」  
 マグカップに注いだ紅茶を、ミィのところに持っていく。  
 ミィは、リビングのソファに座って待っていた。  
「……遅いのである」  
「いや……ごめん」   
 カップを手渡し、その隣に座る。  
 そして、座った途端に思い出した。明日は泊まってくる、と言うことを。  
 これは……言いづらいが言わなければならないだろう。  
「……あのさ、ミィ。悪いんだけど、明日ちょっと大学の研究発表のことでさ、友達の家に泊まってくるから」  
 その言葉に、ミィはぴくりと耳を動かした。  
 少し、不機嫌なようだ。  
「……友人、であるか?」  
「うん、友達。……一人で寂しいかもしれないけどさ」  
「……明後日には帰ってくるであるか?」  
「あ、大丈夫。明後日の夕方には帰ってくるから」  
 少し沈んだ顔のまま、ミィが口を開いた。  
「別にたいしたことではないのであるが……男であるか? それとも女であるか?」  
「ん、あぁ。女友達。木戸さん、って言うんだけど…………」  
 そこまで言うと、ばん、と俺の足を蹴り、ソファに置いていたタオルケットを頭から被った。  
「好きにすれば良いのである! 泊まりたければ泊まってくればいいのである!」  
「え……」  
 呆気にとられる。  
 どうしようもない。  
 ……俺は、とぼとぼと寝室に引っ込んだ。  
 

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