今日何度目かも分からない溜め息を零す。そんな俺の様子をさっきから黙って眺めている男がいた。  
「どうしたよ。浮かない顔してんな」  
高校時代からの友人である坂本仁志が、キリキリとドライバーで螺子を巻きながら、俺を見てはニヤニヤと笑う。俺は仁志を睨み付けると、ガシャンと派手な音を立てて目の前の照明機材の蓋を閉じた。  
「女にでもフラれたか〜?」  
あかさまにからかいを含む仁志から視線を外し、手にしたドライバーを工具箱へと放り投げる。仁志は螺子を締め終えたコネクターを子細にチェックすると、よっこらせと腰を上げて照明機材をコンテナへと仕舞った。  
 
コウダライティングプロ。  
其処が俺達の職場だ。イベントの照明や、舞台の照明に関する仕事が主で、大学時代に演劇サークルに入っていた仁志に(半ば無理矢理)誘われて入社した。  
普通の会社員に比べれば融通が利くが、その代わり土日や祝日は大概が仕事。  
今日も土曜だと言うのに、俺と仁志、社長の甲田さんの三人は、何処かの大学のサークルの依頼で、明日のイベントに向けて照明機材の最終点検をしているのだ。  
 
「まだフラれてねぇよ」  
俺は憮然とした表情を崩す事なく、工具箱の整理を始める。  
昨夜園村の──いや、まどかの部屋で10年越しの想いを伝えはした物の、結局最後まで返事は聞けず終まいだった。  
キスまでは何とか漕ぎ付けたけれど、シャツに手を伸ばした瞬間、盛大に手の甲を捻られて先に進む事は出来なかったのだ。  
良い歳した大人ともなれば、無理矢理にでもそう言う雰囲気に持って行く術ぐらいは心得てはいるのだが。如何せん、相手は俺の幼馴染み。俺が何か企んでいたとしても、それを見抜く眼力を持っている。  
勿論、それは俺もだが、あの時のまどかは「これ以上ヤったら殴る」と言わんばかりに俺を睨み付けていた。  
赤面しながら、と言うのがせめてもの慰めだ。  
「まだ、と来ましたか。いや〜、久し振りに青春モードじゃねぇの?幸人クン」  
「うるせぇ」  
「お相手は?昨日の合コンの子か?」  
「初対面でホレる程、若くねぇよ」  
「二人とも、終わったらとっとと車に乗せろー。図面持って帰って上がって良いから」  
救いの神。尚も俺に何か訊きたげな仁志の口が開けられる前に、甲田さんが倉庫に顔を出す。俺と仁志はそれ以上会話を続ける事はなく、甲田さんに返事をして、機材の入ったコンテナを持ち上げた。  
 
「で?」  
「何」  
「さっきの続き」  
事務所兼倉庫のテナントビルを出ると、仁志がニヤニヤ笑いながら口を開く。さっきから気になっていたのだろう。事務所の扉を閉めた途端にコレだ。  
俺は呆れて溜め息を零したが、仁志の視線の強さを無視してエレベーターへと向かった。  
「お前、卒業してから全然女っ気ないしさ〜。三年も彼女いないと寂しくなんねぇ?」  
「別に」  
「……そろそろ俺らも年頃だし…真面目にお付き合いする彼女が欲しい、とかさ〜」  
「思わない」  
粗っ気ない俺の返事に仁志は眉間に皺を寄せる。  
「誰よ、マジで」  
「教えない」  
言う訳にはいかない。仁志は俺とまどかが幼馴染みだと言う事を知っている。だから言う訳にはいかない。  
いや、別に構わないっちゃ構わないが、言ったが最後、からかわれるのは目に見えている。  
俺だって10年も真面目に片想いを続けていた自分が(たまにだが)情けなくなる。  
しかも相手が幼馴染みとなっては、下手な漫画のようで笑いを誘うに違いない。  
「まぁ…良いけど」  
良い歳こいて拗ねた子供のようにそっぽを向いた仁志は、カチリと階下へ向かうボタンを押した。  
「昔っから、妙な所で頑固だもんな〜、幸人。意外に一途だし」  
ハイ、その通り。  
くんっと体に圧力が掛り、三階から一階へ。ずっと黙ったままの俺に、詮索した事で気分を害したとでも思ったか、仁志はそれ以上何も訊いては来なかった。  
 
駅へ向かって二人で歩く。明日の仕事の事やなんかの他愛ない話。  
用事があるからと仁志と駅前で別れた俺は、電車に乗って一人帰路に着く。  
途中でまどかの住むマンションの最寄り駅を通り過ぎ、その次の駅が俺の住むマンションの最寄り駅だ。  
たった一駅。  
電車で三分。  
駅前の商店街を通り抜け、近道に当たる児童公園を抜けると、見慣れた俺のマンションの姿が見える。  
台風の過ぎ去った公園は、いつもと違って酷く閑散としている。  
夏休みの子供の姿は今日はない。  
「………何やってんのよ…マジで」  
何と無く物悲しさに襲われて、俺はすぐ其処にある自分の部屋に帰る気にもなれず、青々とした葉っぱにまみれたベンチに腰掛けた。  
 
今の俺の胸中を表すならば「情けない」の一言だ。  
何が情けないのかなんて、数え挙げればキリがない。  
今になって想いを告げた事もそうだし、昨日無理矢理にでもまどかの想いを訊かなかった事もそうだ。言った事に対する後悔もあるし、それ以前に、逢いたくて仕方がなかった堪え性のない自分も情けない。  
肩に掛けたショルダーバッグを傍らに置き、深い溜め息を零す。  
何より、昨夜のまどかの唇の感触が、事ある事に俺の記憶に蘇るって言うのが、俺としては一番情けないと思ってしまう訳で。  
微かに震える柔らかさも、すぐそこにある上擦ったような息遣いも、意外にひんやりとした温度も、一晩経った今になっても酷く明確に思い出せる。  
「……病気かっつの…。…ガキじゃあるまいし…」  
思い出すだけで鼓動が早くなり、頭の芯が妙に熱くなる。  
元々あまり顔には出ない質だとは自負しているが、赤面はしなくても、恐らくかなりぼんやりしていたに違いない。記憶を引き離したのは常に、仁志の「大丈夫か?」の声だったからだ。  
ホント、情けない。  
 
「……あ〜…ったく…」  
ぐしゃぐしゃと髪を掻きむしり、無理矢理思考回路を切り離す。  
いつまでもウダウダと悩んでいても、思い出す物は仕方ないし、解決策だって見付からない。今度会うのは恐らく盆休み。それまでは仕事に集中して、まどかの事は考えないようにしよう。  
そう気持ちを切り替えた俺だったが、その決意は脆くも崩れ去った。  
顔を上げた瞬間に目にした、公園の入り口に居たまどかのせいだった。  
 
目が覚めた時には、明るい日差しが窓から差し込んでいた。昨夜の台風は、寝ている間に通り過ぎてしまったらしい。  
けれど、私の中に渦巻く台風は、一晩経っても通り過ぎた様子はなかった。  
「……夢…な訳ないか…」  
昨夜、幸人と二人で居た証に、キッチンには汚れたお皿が二人分残されている。  
寝起きの頭でもくっきりと思い描く事が出来る程、その記憶は鮮明で、私の胸に残る幸人の眼差しが痛いくらいだ。  
あんなに真剣な表情は、幸人のお母さんが亡くなった時以来じゃないだろうか。  
心配する私を安心させようとしたのか、これから先の自分に言い聞かせようとしたのか、「大丈夫だ」と一言漏らしたあの時以来の、何かを決意するような眼差し。あの眼差しで紡がれた言葉が、何度も頭の中を横切るせいで、私は何もする気力が起きなかった。  
そっと自分の唇に指を這わす。暖かな感触と柔らかさが、記憶の中で蘇る。  
子供の頃、何も知らずに交した口付けよりもはっきりと思い出せるのは、やっぱり幸人の眼差しが忘れられないからに違いない。  
「いきなり言われても……困るよ…ねぇ」  
誰に問掛けるでもなく呟く力無い声は、静かな部屋に広がる事なく消える。  
問掛けた所で、答えが返ってくる筈もない。答えは私の中にしかないのだと、それなりに人生経験を積んで来た(と思う)自分自身が、一番良く分かっていた。  
 
友達でもない。恋人でもない。「幼馴染み」と言う関係は、どうにも不便な物らしい。  
幸人が嫌いかと聞かれれば、答えはノーだ。  
じゃあ逆の質問だとどうなるか。  
「好きだけど、家族みたいな物」  
昔から私はそう答えていた。幸人もそうだと信じていた。  
誰にも言った事はないけれど、私が初めて異性を意識した相手は幸人だった。  
だからこそ、冷やかし混じりの友達の言葉も、冗談めいたご近所さんの言葉も、私は頑なに押し通してきた。  
幼い私には──たとえ冗談と分かっていても──他に上手い誤魔化し方なんて、知らなかったから。  
 
「嫌いじゃないけど……」  
何年も誤魔化しつづけてきたせいで、今や私には、自分の本当の気持ちすら分からない。  
今まで何人かの男性と付き合ってきた事はあるけれど、幸人に対する感情だけは、その誰とも違う。「ときめき」とか「恥じらい」とか、そんな甘い感情は抱いた事がない。  
抱かないようにしていたのか。  
それとも──。  
 
頭の中がぐしゃぐしゃで、息をするのも億劫になる。眉間に皺を刻み重い息を吐き出しながら、私はゴロリと寝返りを打った。  
幸人の言葉が頭の中で何度も何度も繰り返される。  
触れ合った唇の感触を思い出すたび、胸が締め付けられるような錯覚に陥って、私はベッドに寝転がったまま、太陽が移動するのを待っていた。  
 
いつの間にか眠ってしまっていたらしく、私がベッドから起き上がった時には、とうにお昼の時間を過ぎていた。流石に空腹を覚えるけれど、ご飯の用意をするのも面倒臭い。  
いい加減パジャマから着替えた私は、財布と携帯を鞄に入れると、昼食を取ろうと部屋を出た。  
台風が過ぎ去った街並みは、いつもよりも少し眩しい気がする。  
所々、街路樹の葉が地面を覆い、濡れた路面にキラキラと照り返す夏の日差しは痛いくらいで、帽子を被ってこなかったのを後悔するくらいだ。  
土曜と言う事もあってか、いつもよりも街を歩く人は多い。それでも行き着けの喫茶店に入ると、ランチの時間を過ぎたこの時刻、店内に人影はまばらだった。  
軽食でお腹を満たし喫茶店を出る。  
家に帰るつもりで駅前からの道をトロトロと歩いていると、見知った顔が反対側から歩いてくるのが見えた。  
「お、園村〜」  
向こうも私に気付いたようで、私が声を掛けるよりも早く、坂本くんが足早に此方に駆け寄る。  
高校からの付き合いがある彼は、幸人と妙に馬が合うせいか、私も気がねなく付き合える男の子の一人だった。  
「久し振り。仕事?」  
「あぁ、明日市民会館で仕事だから、その準備」  
「そっか…お疲れ。大変だね、照明屋さんも」  
「まぁな」  
重そうなショルダーバッグを担ぎ直しながら、坂本くんはニカリと笑う。  
幸人と同じ職場の坂本くんは、家が近いせいか時々こうして街ですれ違う時がある。幸人とは滅多に会わないのに。  
「あ〜、そう言やさ」  
不意に坂本くんが神妙な顔付きになる。それにつられて私も眉を顰めると、坂本くんは顎に手を遣って言葉を続けた。  
それにつられて私も眉を顰めると、坂本くんは顎に手を遣って言葉を続けた。  
「幸人も今日仕事だったんだけど…園村、最近逢った?」  
幸人の名前に私の胸がざわりと騒く。  
それを必死に隠しながら、私は坂本くんの問いに首を傾げた。  
「……何で?」  
「いや……何かさ〜、アイツ、恋煩いになってるみてぇでさ。昨日まで普通に合コンに行ってたクセに、今日になったら、いきなり溜め息ばっか吐きやがんの」  
「……ふぅん」  
なるべく興味がない風を装いながらも、私の胸の騒きは収まらない。昨日、幸人が合コンに行ってたなんて話、私は全然知らなかったし、その後私の家に来たのだとすれば、妙に落ち着かない気分になるのも無理はない。  
「何聞いても教えてくんねぇし……まぁ、俺もちょっとからかい過ぎたかも知んねぇんだけど」  
大袈裟に肩を竦めた坂本くんは、苦笑混じりに頭を掻く。  
「園村、何か知ってる?」  
「え?……ううん。知らない」  
小さく首を振った私の言葉を素直に受け取ったのか、坂本くんはそれ以上何も聞いてはこなかった。  
携帯で時間を確認した坂本くんと「これからデートだから」と嬉しそうに笑う。軽い挨拶を交して彼と別れると、私は妙な苛立ちを抱えたまま、家に帰る気にもなれずに家とは反対側に向かって歩き出した。  
「合コンって……何考えてんのよ…」  
ブツブツと独り言ちながら坂本くんの話を思い出す。  
何がきっかけで幸人が私にあんな事を言ったのか。私には幸人の気持ちなんて分からない。  
幼馴染みなんて言ったって所詮は他人。しかも私と幸人の間には、大学の四年プラス社会に出て三年の溝がある。  
「人の気も知らないで……」  
ボソリと呟いた自分の言葉に気が付いて、不意に私の足が止まった。  
「…何……?…人の気…って…」  
私は幸人の事が好きじゃない。恋愛感情なんて持っていない。  
なのに。これじゃ嫉妬だ。  
さっきから抱えている苛立ちも、そう説明すれば納得が行く。  
「……あ〜…もぉっ!」  
素直に認めるのも釈に触る。苛々を吐き出すような私の声に道行く人が振り返った。けれど、私はそんな周りの視線にも気付かずに、ズンズンと歩みを進めた。  
その足が止まったのは、幸人の住むアパートが近いと気付いてからだった。  
 
公園の前で立ち尽くしているようなまどかに気付いても、幸人はすぐに声を掛ける事が出来なかった。  
あまりに唐突な事で、掛ける言葉が見付からない。ちょっと其処まで、と言った風のまどかの装いに、自分に逢いに来た訳ではないと瞬時に悟ったせいもある。  
幸いまどかは気付いてはいないようだったが、公園の出入り口は其処一ヶ所で、家に帰ろうと思えばまどかの側を通る他はない。植樹を抜ける、なんて奇妙な真似をすれば、嫌でもまどかの気を引いてしまうであろう事は明白だった。  
幸人は大きく深呼吸すると、バッグを肩に掛け直して立ち上がった。  
何がが動く様子が視界の端に触れたまどかは、何気無く其方へと視線を向ける。  
「っ……」  
ゆっくりと歩みを進める幸人の姿に、まどかは大きく目を見開いた。  
「……何してんの…」  
「…それはコッチの台詞。仕事だったんでしょ?」  
坂本くんと逢った。  
早口で告げたまどかの言葉に、幸人は僅かに眉を寄せた。  
まどかはまどかで、それ以上口を開く事が出来ず、幸人から視線を外す。  
「……」  
「……」  
何とも言えぬ沈黙が二人を包む。ただ蝉の声だけが、狭い公園内に響く。  
仁志の名に、幸人は嫌な予感を抱きながらも、矢張掛ける言葉が見付からない。  
しかし、地面に視線を落としたまどかは未だ胸中に騒く想いを振り払うと、何かを決意したように顔を上げた。  
「昨日……」  
「……うん」  
「…合コン…行ったって?」  
「ぇ……あ〜………うん」  
内心仁志を恨みながら、それでも誤魔化す事など出来ずに、幸人はまどかから視線を外した。  
「……何で?」  
「何でって……」  
己を見据えるまどかの視線の強さに戸惑いを覚え、幸人は掌にじんわりと汗を掻く。  
「……合コン行っといて…私に好きだとか言えるんだ」  
「それは…」  
「……勝手よね、幸人って」  
小さく漏らされた言葉が胸の奥に突き刺さる。  
だが、まどかの言い分も分からない訳ではなく、幸人は地面を睨み付けたまま。  
そんな幸人の姿に益々苛立ちが募り、まどかはフンとそっぽを向いた。  
 
「彼女だって居た癖に、昔から好きだなんて言われたって、そう簡単に信用出来ないよ」  
「っ……お前のせいだろ、それは!」  
バッと顔を上げた幸人の語調の荒さに、まどかは思わず幸人の方を振り返った。  
「お前が彼氏なんて作るから、忘れようとしたんじゃねぇかよ!……お前の方こそ鈍すぎんだ!」  
「なっ……!何よ、ソレ」  
逆ギレと言っても過言ではない。幸人も分かってはいたが、今更あとには引けず、幾分目線の低いまどかを見下ろしたまま睨み付けた。  
「それが勝手だって言うの!言われなきゃ、分かる訳ないじゃない」  
「分かれよ、それくらい!」  
「無茶言わないでよ!だいたい、幸人が合コンなんて行くから、怒ってんでしょ?」  
「俺が何しようと勝手だろうが。何でそこまで言われなきゃなんねぇのよ」  
売り言葉に買い言葉。撫然とした表情の幸人に、八つ当たり同然の言葉を投げ付けていたまどかは、グッと言葉を詰まらせた。  
途端に勢いを無くしたまどかを、幸人は黙って見つめる。  
「………言われるような事…してるからじゃない…」  
幸人の視線に耐えきれず、まどかは僅かに目線を下げた。  
夕方に近い時刻、まどかだけではなく幸人も汗を掻いているようで、シャツの胸元から覗く肌は薄らと汗ばんでいる。  
「……人の気も知らないで…」  
「何だよ……それ…」  
蝉の声が耳につく。  
まどかがゆっくりと顔を上げた。今にも泣き出しそうな顔で幸人を見つめ、まどかは震える唇を幾度も擦り併せる。  
何か言いたげなその様子に、幸人はただ黙って言葉を待った。  
「幸人が……」  
「…………」  
「…幸人が……園村なんて呼ぶから……」  
小さな声。蝉の声に掻き消されそうな程の呟きだったが、幸人の耳にははっきりと届いていた。  
「…そんな風に呼ばれたら……普通…言えない…」  
「……まどか…?」  
「……多分…私の方が先。……幸人の事…好きだって思ったのは…」  
考えながら紡いだ己の言葉に、不思議とまどかは落ち着きを取り戻していた。  
幸人の母親が亡くなってから、幸人はまどかの事を名前で呼ばなくなった。まどかが初めての彼氏を作ったのは、それから暫くしてからの事。  
静かに幸人を見つめるまどかは、胸中に渦巻く風がひっそりと穏やかになるのを感じながら、じっと幸人の様子を伺った。  
 
対する幸人は、まどかの告白に呆けたように目を見開いていた。  
昨夜とは立場が逆転している。  
ぐるぐると脳裏を巡る言葉の断片を捉えようとしながら、頭の片隅でそんな事をぼんやりと考えていた。  
「……好き…って……いつから…」  
何とか言葉を絞り出すと、まどかはふっと表情を和らげた。  
「分かんない。でも…多分、ちっちゃい頃から」  
「………そっか…」  
微笑みを浮かべるまどかを見つめる。  
先程とは違う沈黙が辺りを包む。それは酷く居心地が良くて、西日の強さも蝉の煩さも、二人は気にならなかった。  
穏やかな眼差しに照れ臭さを感じ、幸人はまどかの視線を避けるように目を伏せる。幸人の気持ちが伝わったか、まどかも少しだけ目線を下げたが、一歩だけ幸人の方へと歩み寄った。  
ゆらりと揺れる空気の流れ。  
長いような短いような沈黙の後、徐々に混乱の収まった幸人は、伏せていた視線をまどかに戻す。それに併せてまどかも目線を上げる。  
幸人は困ったように眉を寄せながら、込み上げる想いに素直に従い、まどかの肩へと手を伸ばした。震える手から肩へ緊張感が伝わる。  
トンと引き寄せられたまどかは、全身から感じる幸人の熱に、頬に血が昇るのを自覚した。  
胸元に顔を埋め両手を躊躇いがちに背に回す。ゆっくりと、しかし力強く抱き締められ、幸人もまどかを抱く腕に力を込めた。  
「まどか」  
「…ん?」  
名前を呼ばれたまどかは幸人の腕の中で僅かに顔を上げた。  
ぶつかった視線はどちらも照れを含んでいる。  
「キスしてぇ」  
「……うん…」  
薄らと頬を染めた幸人の手が、まどかの頬に触れる。微かに震えたその手を支えるように、まどかも片手を頬に触れた手に添えながら瞼を閉じる。  
 
触れ合った唇からは、言葉にせずとも分かる想いが溢れていた。  
 

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