1.  
1480年、五月。  
モンテヴェルデ公マッシミリアーノが病に倒れて一ヶ月が経った。  
それは、モンテヴェルデにとって多くの重大な決定が下された一ヶ月だった。  
大公が倒れたその日、緊急に招集された大評議会はヒルデガルトを摂政に選出。  
さらに、トルコ軍が占領したトレミティ諸島への軍の派遣を決定する。  
四月下旬、国中から兵士と輸送船がかき集められ、五月、密かに港を発った。  
 
――トレミティ諸島で最も大きなサン・ドミノ島。  
島の北にある小さな入り江に、モンテヴェルデ軍はトルコ側に察知されることなく上陸していた。  
すでに小船を繋げその上に板を渡した仮の桟橋が、工兵の手によって完成している。  
沖合いには六隻のカラック(帆船)があり、桟橋との間を小さな船がせわしなく往復し、人と荷物を運んでいた。  
波打ち際では荷駄馬を陸に引っ張りあげる従卒や、船から飛び降りる兵士の姿が見える。  
小札鎧を鳴らし、背丈の三倍もある槍を背負った長槍兵がいる。  
皿型の兜と革鎧姿の石弓手もいる。  
頭巾を被っただけの弓兵や、盾と矛を背負ったサージャント歩兵もいた。  
そんな歩兵たちを蹴散らかすように、色とりどりの上衣と軍旗をはためかせ、重騎兵の列が通る。  
緑地に白い岩山の旗印は大公の兵士たち。橙色はジャンカルロの兵士。さらに桃色、空色、灰色……  
まるでモンテヴェルデ貴族の旗印が一同に集まったかのような光景だった。  
そういった一団が、入江から内陸に少し入った野営地にぞくぞくと集まっていく。  
野営地に選ばれた草原は、柔らかな春草に覆われていた。  
貴族の鷹狩や、貴婦人の散策こそふさわしい場所だ。  
そこを、軍馬の蹄と鋼鉄に覆われた兵の足が踏みにじっていく。  
 
騎兵九十、歩兵三百からなるモンテヴェルデ遠征軍。ジャンカルロはその総大将代理だった。  
遠征軍の名目上の大将は、もちろん摂政たるヒルデガルトである。  
しかし、女性が戦場に出ることは国法と教会法によって禁じられている。  
そこでジャンカルロがその代理となった。  
彼はあくまでヒルダの名代と合議の上で動くことになっている。  
だが、名代に選ばれた騎士は身分が低く、ジャンカルロに逆らうことは難しい。  
他の貴族の大半はジャンカルロを支持していた。  
それゆえ、ジャンカルロは事実上、自由に軍を指揮することが出来る。  
鮮やかな橙色の上衣を身につけ、スペイン鋼の鎧を輝かせる姿は名実ともに総大将の物だった。  
 
――大公の座も、見えたな。  
そんな思いに自然と顔が緩む。  
どのような理屈を並べようと、貴族の優劣は領地の広さと率いる兵士の数による。  
『剣を持たぬ者、貴族にあらず』  
教会は、民草を羊に、自らを羊飼いに、そして貴族をその番犬に例える。  
貴族とは戦うために存在し、戦士であるがゆえに特権を持つ。  
病床の大公が目を覚まさない限り、モンテヴェルデ軍はジャンカルロの意のままだ。  
それはつまり、事実上公国の支配権を握ったことを意味した。  
 
上陸を終えたモンテヴェルデ軍は、夜を前に野営地の建設に忙しい。  
兵士たちは天幕を組み立て、周囲に塹壕を掘っている。物見櫓や馬止めの柵も作られていた。  
既に何回か斥候が放たれたが、トルコ軍に察知された気配はない。  
全てが順調だった。  
「さて、現在の状況だが」  
笑みを隠し、ジャンカルロは野外に置かれた机に視線を戻した。  
その上には精緻な筆使いで描かれたサン・ドミノの地図があり、周りを数人の騎士が囲んでいた。  
「難民の話によると、サン・ドミノにいるトルコ軍は弓兵と槍兵が各四百、それに騎兵……ほぼ我が方の倍だな。  
サン・ニコラとカプラーラ島にいる守備隊はこの際無視して構わぬ数だ。この島に全軍が集結していると言っていい」  
トルコに占領された島からは、多くの難民が本土へと逃げて来ていた。  
ジャンカルロは寄る辺無き彼らに住居を与え、食事や金を与えた。  
将来大公になる布石と、トルコ軍についての情報を得るためだ。  
伯爵の寛大さに感動した流民たちは喜んで協力し、一部は武器を取って軍に加わっていた。  
 
「地図で見る限り、港に出るのに使えそうな道は二つですな」  
そう言って騎士の一人は地図を指でなぞった。  
サン・ドミノ島は洋梨のような島だ。北部が最も細く、南にしたがって膨らんだ形になっている。  
島全体が岩だらけの痩せた土地で、山がちである。平地は島の沿岸を僅かに縁取っているにすぎない。  
南には島で唯一の港があり、島と同じ「サン・ドミノ」の名で呼ばれている。  
トルコ軍主力もそこにいる。  
騎士が示したのは、海岸沿いの道だった。東回りでも西回りでも、ほぼ二日の行軍で町に着く。  
「決戦を挑むべきでしょう。町に籠もられると厄介だ」  
別の騎士が言い添える。  
「どこか、道が細くなっているところはないか?」  
その騎士はすぐそばに控えていた粗末な身なりの男に振り返った。  
彼は島から逃れた流民の一人で、羊飼いだった。島の地形には誰より通じている。  
羊飼いはおずおずと机に近づくと、海岸のすぐそばまで山肌が迫る一帯を指し示した。  
「……ここが、大変狭くなっておりやす。何しろ荷車がようやくすれ違うぐらいで……」  
 
「ふぅむ。確かに狭い。長さも百カンナ(約二百六十メートル)はある。  
どうでしょう閣下。ここで戦闘をしかければ、トルコ軍は一度に全軍を投じることは出来ないでしょう。  
敵が小勢で攻めてくるのを叩いていけば、たとえ我らの倍の兵力と言えど……」  
そう言って地図を指で叩く。それに合せて、鎖帷子がじゃらじゃらと音を立てた。  
「いや、それはまずい」  
ジャンカルロはその言葉を遮る。  
「地形の有利、不利はどちらにも同じだ。いや、攻めなければならない分、我々が不利だろう。  
向こうは町を守っていればいいわけだからな。それに、敵には我々に無い武器がある……船だよ。  
例えば軍の半数で我らの攻撃を防ぎ、残り半数を船で我らの背後に送り込む――」  
ジャンカルロは幾つかの個所を指で押さえる。  
上陸に適した海岸は、海岸道に沿って無数にあった。  
モンテヴェルデ軍がどこに布陣しようと、その背後に兵を上陸させるのは容易に見えた。  
「――そうなれば、前後から挟み撃ちだ。左右は山と海で逃れようが無いからな」  
そう言って彼は、羽虫を叩き潰すように両手を打ち合わせた。  
 
騎士たちは黙り込んだ。  
いくら武勇を誇るモンテヴェルデ騎士といえども、数で勝る敵に正面から戦おうと考えない。  
数の優位を覆すには、何らかの奇策に頼らねばならない。  
だがそれ以上に、彼らの頭を占めているのは兵糧のことだ。  
輸送船の数が足らなかったために、十分な食料を運ぶことが出来なかったのだ。  
島の北部はほとんど無人で集落すらない。山がちな島は畑が少なく現地調達も難しい。  
時間の余裕は無く、不利は承知で攻めるしかなかった。  
(ヒルダめ、今ごろほくそえんでいるだろうな)  
苦悩している部下の前で、ジャンカルロは皮肉っぽく口の端を歪めた。  
本当ならば、あと数十騎の騎士と、百人の兵士は動員できたはずなのだ。  
遠征軍の兵力をぎりぎりまで削らせたのは、ヒルダだった。  
ジャンカルロに大軍を与えれば、反旗を翻すかもしれない。  
その恐怖に勝てなかったのだ。  
だから彼女は、モンテヴェルデの防衛のためと称して最良の騎士五十人を手元に残していた。  
 
それでも、ヒルダは難しい立場にあった。  
ジャンカルロがトルコに敗北すれば、彼は貴族としての名声を失い、その野望も潰える。  
だがトルコを押し留めるものはなくなってしまう。  
一方、ジャンカルロが勝利すれば、彼の権勢はいよいよ高まり、大公とヒルダを脅かす……。  
(まあ、見ていろ)  
小娘風情が少々あがいたところで何ほどのことがあろう。  
自分が凱旋将軍としてモンテヴェルデに帰れば、大公に推戴される準備は整う。  
そんな状況で、マッシミリアーノが「不可解な」死を遂げたとして誰が気にするものか。  
ヒルデガルトは和平の証として、スルタンへの贈り物にでもしてしまえばいい。  
(……その前に、あの娘の味を試してみるのも悪くはないか)  
美しいヒルダの姿を思い、ジャンカルロは鼻を鳴らした。  
 
「トルコ船は、いつも港にいるのか?」  
配下の騎士が、羊飼いに尋ねる。  
「あっしがまだ町にいた頃は、全部で十隻いて、そのうち五隻がずっと港に泊まってました。  
残りはいっつもどこかに出かけて……だいたい一週間ごとに港に帰ってきましただ」  
「ほほう、一週間ごと」  
ジャンカルロは片方の眉をきゅっと吊り上げた。  
他の騎士たちは、その表情の変化が何を意味するのか分からず、顔を見合わせている。  
「増援を送り込んでいるのかね?」  
「……いや、トルコ人は増えてねえです。もちろん減りもしてねえですが」  
男の答えを聞くと、伯爵は黙って島の地図を片付け、その代わりにアドリア海の海図を広げた。  
手には小さな木製のコンパスを握っている。  
「ここがサン・ドミノ島で……トルコ海軍の本拠地ヴァローナまでは……片道二日半。  
……荷の積み下ろしを入れれば、往復一週間、か」  
夢中で海図を検討するジャンカルロを、騎士たちは黙って見守る。  
やがて何事か閃いたのか、ジャンカルロは勢いよくコンパスを畳んだ。  
「行こう。神は我らとともにあり、だ」  
ジャンカルロは大声で言い放った。  
 
 
2.  
柔らかな風が海峡を吹き抜けて行く。  
イタリア半島の「つま先」、レッジョ・カラブリアは夕暮れ時を迎えていた。  
アルフレドは独り、自宅の屋上で酒杯を傾ける。  
麻布を張った長椅子に横たわり、眼前に広がる海を見つめていた。  
ナポリ皇太子アルフォンソの治めるレッジョ・カラブリアは対岸にシチリア島を望む港町だ。  
シチリア島の向こうに日が沈み、対岸の町メッシーナの家々にぽつりぽつりと明かりが灯っていく。  
地元の特産、リモンチェッロ(レモンのリキュール)を舐めながら過ごす時間を、アルは愛していた。  
 
レッジョ・カラブリアに来て一ヶ月が経とうとしていた。  
アルと『狂暴騎士団』はトスカーナから陸路ピサの港へ向かい、船で首都ナポリを目指した。  
ナポリは人口五万を超える、ローマを凌ぐ大都会である。  
無数の市民、延々と続く町の城壁。王の居城「カステル・ヌオーヴォ(新城)」。  
数十隻の船が一度に停泊できる「大突堤」、石造のサン・ヴィンチェンツォ灯台……。  
全てがアルの度肝を抜いた。  
さらに『騎士団』を王国の常備軍に編合する儀式として、国王フェッランテに謁見する栄誉も得た。  
今は皇太子アルフォンソの下で働いている。  
 
アルフレドに与えられた肩書きは“Ispettore architettonico del regno(王国建築検査官)”。  
ナポリ各所に建設中の要塞や塔が契約通りか、建築現場に不正がないか確かめる仕事である。  
給料はこれまでの二倍。さらに傭兵としての給料と、住居として下町の一軒屋が与えられていた。  
破格とはいえないが、恵まれていることには違いない。  
アルの羽振りのよさに惹かれたのか、今まで彼を毛嫌いしていた傭兵や従卒たちの見る目も変わった。  
無数の男が盾持ちに、あるいは従卒になりたいと売り込みに来たのは、アルも苦笑するしかなかったが。  
結局雇ったのは馬方一人だけだったが、それは彼が倹約家だからではない。  
ラコニカを雇うためだった。  
理由は、彼女を少しでも楽にしてあげたかったから。  
下心があると誤解されようと、そんなことはどうでもよかった。  
『もし君さえよければ』――その話をしたとき、ラコニカは少しはにかみ、黙ってうなづいた。  
こうして、二人は同じ屋根の下で暮らし始めた。  
 
カラブリアの町にいるときも、そうでないときも、二人は一緒だった。  
例えばアルが各地の要塞を検分に向かうときも、ラコニカは当然のように彼に従った。  
そんな様子を見て、ニーナは『いつ二世が出来るんだい?』とからかったが、アルはラコニカの手も触れていない。  
それどころか、そんなことを忘れるようにアルは自分の仕事に打ち込んでいた。  
 
アルフォンソは城の図書館を開放してくれたので、アルは暇さえあればそこで勉強した。  
さらに、宮廷に招かれた賢人たちと議論を交えたり、アルフォンソの相談役を務めることもあった。  
こうして彼は本職の学者にも負けない知識を蓄えていった。  
何よりウルビーノ公フェデリーコがアルの個人教授を引き受けたことが大きかった。  
彼は今後のナポリ=ウルビーノ間の協力について話し合うため、カラブリア城に滞在している。  
そのかたわら、可能な限りアルフレドの勉強を助けてくれたのだ。  
「こうやってわしは、若い学者たちを一流の宮廷人に仕立てたのだよ」  
そう笑いながら、フェデリーコは古文書の講義を行い、アルのギリシャ語の間違いを丁寧に正していった。  
フェデリーコの容貌は怪異である。  
片目はつぶれ、頭は禿げ上がり、さらに鼻の付け根が落ち窪んでいる。  
これは、隻眼になった不利を減らそうとフェデリーコ自身がノミで削ったからと言われていた。  
アルは最初、その逸話と風貌からフェデリーコを恐れた。  
だが次第に彼の強さと優しさ、学識にあこがれを抱くようになり……  
今では四十も歳の離れたこの公爵に、祖父のような親しみを感じるようになっていた。  
 
 
「……あの、お食事できました」  
背後から声がして、アルフレドは振り返る。階段の所から、ラコニカが姿を現していた。  
長い髪を結い上げ白い頭巾でまとめた姿は、どう見ても新妻そのものだった。  
「今日は何?」  
「市場で新鮮なタコとエビを手に入れたんで、白ぶどう酒で煮込んでみました」  
得意そうに告げるラコニカの様子に、アルは笑う。  
海を見たことすらなかった彼女は、ほんの一ヶ月前までタコやイカに悲鳴を上げていたのだ。  
「――こっちにおいでよ。ラコニカも一杯どう?」  
たたずむラコニカに、素焼きの杯を持ち上げて見せる。  
ラコニカは黙ってアルフレドの横に腰を下ろした。そして杯を受け取る。  
「うわっ……甘いですね」  
ラコニカは顔をしかめる。トスカーナでは余り飲まれない種類の酒なのだ。  
「ワインとは違うからね」  
それきり二人の会話は途絶えた。  
アルは目の前に広がるメッシーナ海峡とシチリア島に視線を戻し、ラコニカもそれに倣う。  
 
不意に、アルの目から涙がこぼれた。  
潮の香りが、遠く離れた故郷を思い出させたせい――あるいは酔いのせいかもしれなかった。  
背後には白亜の城、城壁に囲まれた家々、そして海。  
全てモンテヴェルデにあったもので、全てが故郷とは少し異なっていた。  
例えば、アドリア海には夕日は沈まない。ここの海から朝日は昇らない。  
町並みも違う。カラブリアの家は屋根に傾きがなく、壁は白い漆喰で綺麗に塗られている。  
壁が白いのは夏の強い日差しを避けるためだと聞かされたが、アルにはやはり違和感があった。  
まるでその一つ一つが大理石から削り出されたように見えるのだ。  
でも、やはりここにはアドリア海と同じ風が吹いていた。  
「時々、そういう目をするんですね」  
「『そういう目』……?」  
アルは目の前の光景から、傍らの少女に視線を移した。  
少し潤んだ瞳で、ラコニカはアルの顔を見つめている。  
「懐かしそうな、でもすごく悲しそうな……そんな目です」  
「そうかなあ……もしそうだとすると、この町が僕の生まれた町に似ているから、かな」  
ラコニカは黙ってアルへと身を乗り出す。  
 
「アルフレドさんは、いつか故郷の町に帰るんですよね」  
だが、アルは黙って頭を振った。  
「まさか。帰らないさ……いや、帰れないよ」  
問わず語りに、アルは自分の生い立ちを話して聞かせた。  
自分が大公の血を引いていること。だが母は最も身分の低い下女であったこと。  
母を知らず、父に疎まれ、貴族からは「卑しい血を引きながら大公位の継承権を持つ者」として憎まれたこと。  
唯一かばってくれたヒルデガルトという従姉のこと。彼女を守る騎士になると誓ったこと。  
そして、騎士の位を求めた結果、国を追われる罪を犯したこと――。  
それは今まで誰にも――コンスタンティノやニーナにも、決して話すまいと心に決めていたことだった。  
だがラコニカの前では、アルは自然と饒舌になった。  
 
「だから、僕は帰れない。帰ったところで、何が出来るだろう?」  
自嘲気味の笑みを浮かべながら、アルは長椅子に体を預けた。  
今のアルには、力も金も、何もない。  
ヒルダのそばにいてあげることすら出来ない。  
そんな男の居場所は、モンテヴェルデにはないのだ。  
「それに、ヒルダも僕を見限っただろう。愚かな、罪人だって――」  
「――そんなことありません!」  
突然そう叫んだラコニカを、アルは驚いて見つめ返す。  
ラコニカはいつもの柔和な笑みではなかった。  
「きっと……きっと、ヒルダさんは待ってます……絶対、アルフレドさんが帰ってきてくれるって……」  
「ラコニカ……」  
アルを遮るようにして、ラコニカは言葉を続けた。  
「帰ってきてくれるって、信じてます。  
ヒルダさんは、アルフレドさんのことが好きなんです。だから、絶対信じてます……だって……だって……」  
何かを拒絶するように、ラコニカは首を振り、涙を流し、叫んだ。  
「もし私だったら嫌いになんかならない。ずっと、アルフレドさんのこと好きでいます……!」  
「……えっ」  
「あ……」  
はっとラコニカが口を抑えた。思わず自分が口走ってしまった言葉にとまどい、目をそらす。  
 
「ごめんなさい」  
やがて呟いた言葉とは裏腹に、ラコニカの体は動いた。  
横たわるアルへ手を伸ばし、頬を撫でる。  
その顔の横に手をつくと、またがるようにアルの上に自分の身を横たえた。  
「だ、駄目だよ……」  
「ご……ごめんなさい……」  
瞳を潤ませながら、ラコニカはアルの体にしがみつく。  
頬と頬が触れ合い、ラコニカの指はアルの髪を掻き分けた。  
顔の左側に広がる、耳を切り落とされた痕が露になった。  
「……ヒルダさんの代わりはできないけれど、私……私は――」  
そう呟きながら、そっとアルの傷を唇で触れる。  
体全体で感じるラコニカの温もりと重み。そして、くすぐったいような唇の感触。  
アルは動けなかった。  
「――アルフレドさんを少しでも慰めてあげたい」  
 
「だ、駄目だ。そんなことのために、僕は君を……」  
アルは言い終えることが出来なかった。  
ラコニカは無言で唇を重ねていた。  
軽く触れられただけで、アルは魔法にかかったように、全ての言葉を失っていた。  
「この傷は私を助けてくれた証……だから、私が治します」  
そう言うと、ラコニカは醜く引き攣れた痕を、丹念に舐め始めた。  
舌でくすぐり、ちゅっちゅっと音を立てながら、唇で啄んでいく。  
まるで文字を書くように、痕から頬へ、そしてアルの唇へとラコニカの唇はさまよう。  
「……駄目……だよ、ラコ、ニカ……こんな……」  
「私に任せてください…………これでも、男の人のこと、分かってますから……」  
そう言いながら、ラコニカは片手でくすぐるようにアルの額を撫で、もう片方の手を二人の体の間に滑り込ませた。  
蛇のようにくねりながら、ラコニカの手はアルの下腹部へと伸びる。  
やがてその熱い強張りに達すると、ラコニカは指でそれを扱き始めた。  
「あっ……あ、だっ、や……止め、止めろ……ラコニカっ」  
しかしそんな言葉にも関わらず、アルフレドのそれはますます硬く、大きくなっていく。  
ラコニカは指先で優しく硬さを確かめた。とたんにアルの体が快楽に震える。  
そんなうぶな様子に、ラコニカは思わず微笑む。  
「……最初は、手がいいですか? それとも、口? それとも……」  
無邪気な顔で尋ねるラコニカに、アルは言葉が出ない。  
「好きなところでしてあげますよ……前と後ろ、アルフレドさんはどっちが好きですか?」  
「ぼ、僕は……」  
アルが戸惑い、口ごもるのを、ラコニカは遠慮と受け取ったようだった。  
もう一度微笑み、アルと口づけを交わす。  
そして、胸の二つのふくらみを、アルの顔にぎゅっと押しつけた。  
 
「……アルフレドさん、分かりますか」  
ラコニカはそう言いながら片手でスカートを器用に捲り上げ、自分の下腹をアルのそれに擦り付けた。  
下着越しに、ラコニカの柔肉がアルと触れ合う。  
――熱い。  
「ほら、胸も……」  
そう言って、子に乳をやる母親のように、ラコニカは胸の頂きをアルの口に持っていく。  
荒い麻の服の向こうに、硬く張った乳首がはっきりと感じられた。  
そこでアルの理性は消え失せた。  
知らず知らずのうちに口を開け、硬い乳首を舌で包む。  
「……くぅ……んっ――ん……!」  
ラコニカの口から、子猫の鳴き声のような響きがもれた。  
目をつぶり、身悶えながらもアルの顔を胸に抱きしめる。  
「……んぅ……よかった……ニーナさんが言ったとおり……」  
「ニーナ……?」  
自分の胸の谷間から、不思議そうに見上げるアルに、ラコニカはうなづく。  
「好きな人と――する――のは、仕事とは全然違うって――全部――全部忘れちゃうぐらい――」  
そこで、ラコニカは感に堪えたような声を出し、アルを抱く腕に力を込めた。  
「――まるで、天国みたいだって、嬉しくて、気持ちよくて、すごく――ほんとだったんだ――」  
ラコニカの瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれた。  
慌てて両手で顔を隠しても、さらにその隙間から涙は止めどなく溢れる。  
驚き、呆然と見つめていたが、やがてアルは彼女の手をそっと退けた。  
「ラコニカ」  
目を真っ赤に泣きはらしたラコニカは、首を傾げている。  
アルは初めて自分から動いた。  
彼女の桃色の唇を、自らの唇で触れたのだった。  
 
 
「あらあら、お熱いことで」  
三人目の声に、二人は慌てて体を離した。  
アルが椅子から飛び起きると、ニーナがにやにやと笑いながら立っていた。  
「若い子は大胆だねぇ。周りの家から丸見えだよ、こんなところでじゃれ合っちゃ」  
はっと我に帰り、二人は顔を見合わせる。  
二人の髪は乱れ、胸元はだらしなく開かれている。ラコニカなど、太ももまでむき出しだった。  
「ま、見せ付けるぐらいが丁度いいかもねぇ。何しろあんたたちはじれったいほど奥手だからさ」  
「な、なな何の用だよ!」  
「あら、邪魔されたからってそんなに怒ることないだろ?」  
そう言い返されると、アルは真っ赤になってうつむく。  
同じくらい真っ赤な顔のラコニカは、そんなアルの背中にそっと隠れた。  
そんな二人の初々しい距離に、ニーナは優しげな眼差しを向けている。  
「安心しな。ちょっとした伝言があってきただけさ。用が終わったらすぐ帰るから、続きはゆっくりと……」  
「よ、余計なお世話だって! それより伝言って何さ!」  
苛立ち紛れにアルは怒鳴った。だがニーナは平然としたものだった。  
 
「ああ。コンスタンティノが言うには、移動だってさ。三日後に皇太子さまとターラントに向かうって話だよ。  
私たちは皇太子さまの護衛を務めた後、そこに留まる。当然、あんたたちも一緒だ」  
突然の話にアルの顔は曇った。  
ターラントはイタリアでも最も古い港町の一つで、ナポリの重要な軍港でもある。だが……  
「急に移動だなんて、何かあったの? しかも『騎士団』の終結も待たずに?」  
現在、『狂暴騎士団』はナポリ王国常備軍として、カラブリア各地に分散配置されていた。  
コンスタンティノと共にこの町に残っているのは、総勢の半数に満たない。  
全部隊を集結させずに移動とは、ただごととは思えなかった。  
「アドリア海にトルコ軍が攻め込んだらしい。それで念のためにアドリア海側に軍を集結させるんだとさ」  
「……トルコ軍が? 一体どこに?」  
アルフレドの背に悪寒が走った。  
嫌な予感というものは、当たって欲しくないときに限ってよく当たる。  
「確かトレミティ、とかいう島だと聞いたけど――どうしたんだい、アル?」  
よろめくアルに、ニーナが尋ねる。  
だがもはやその耳には何の言葉も届いてはいなかった。  
 
 
3.  
五指城、大公の寝室。今、この部屋には彼とヒルデガルトの他は誰もいない。  
窓から差し込む日差しが、部屋を程よく暖めている。ヒルダには暑いほどだった。  
先ほどまで苦しそうに息をしていたマッシミリアーノは、ようやく穏やかな顔で眠っていた。  
薬師が飲ませた煎じ薬のおかげだった。  
「ううむ……」  
大公が息苦しそうな仕草を見せたので、ヒルダは寝巻きの胸元を開けてやった。  
 
大公の容態は、ずっと安定しなかった。  
何時間かはっきりと目を覚ます日があるかと思えば、何日も眠ったままのこともあった。  
医師たちは「毒を盛られた形跡はない」と請け負ったけれど、ヒルダはそれを信じて良いのか分からない。  
ただ、彼が目を覚ましたところですぐ政務に戻れるわけではない、ということは直感的に悟っていた。  
「あなたの苦労が、少しは分かったような気がします。伯父さま」  
誰もいないこの場では、「陛下」と呼ぶ気がねはいらない。だが「父上」と呼ぶのもためらわれた。  
依怙地になっているのは自分だけなのかも知れないと、ヒルダは苦笑する。  
この男が、自らを父と呼べと強要したことはまだ無かった。  
 
摂政になってからの一ヶ月は、ヒルダを消耗しつくすのには十分だった。  
ステラが心配するほど顔色が悪くなった。食欲はなくなり、夜眠れないことも多い。  
それでも決済すべき案件は彼女を待ってはくれない。  
外交、軍事、内政……全てが初めての経験である。  
摂政は臣下の機嫌を損ねぬよう、しかし逆らわせぬよう公国の舵を取らねばならない。  
トルコに対する防衛体制を整えることも大事だが、その他の国との関係にも気を配る必要があった。  
トレミティからの難民対策に、先の海戦で家族を失った領民への補償、その予算の捻出。  
その上モンテヴェルデ市民が持ち込む訴訟の判断までヒルダの仕事なのだ。  
さらに、先鋭化する「鞭打ち教団」も頭が痛い問題だった。  
指導者フェラーラのジロラモが唱えた、  
『海の向こうから黙示録の獣が来る!』  
という言葉は、今回のトルコ海軍の襲来を予言したものとして受け止められていた。  
そのため多くの領民、とくにトレミティ諸島からの難民が彼らの信徒になった。  
鞭打ち教団の姿を見ない日は無く、彼らは市中に不穏な空気を撒き散らしていた。  
 
「ダモクレスの剣、とはよくいったものですわね、伯父さま」  
王座の上に糸一本で吊るされた剣。支配者とは如何に危うい立場であるかを説いた格言だ。  
事実、ヒルダの頭上には剣がある。比喩ではなく、本物の剣が。  
今も城内にはジャンカルロの意を受けた間諜や刺客がうごめいているはずだ。  
隙さえ見せれば、ヒルダや大公は亡き者にされてしまうだろう。  
常に首筋に白刃を感じながら座る摂政の座は冷たく、固い。  
さらにトレミティに派遣した遠征軍。  
騎兵九十騎に歩兵三百は、モンテヴェルデの全兵力の三分の一に匹敵する。  
もし彼らがヒルダに反旗を翻せば、各地の諸侯軍もこぞってジャンカルロの下に馳せ参じるはずだ。  
一方ヒルダが率いる兵力は僅かに騎兵五十騎ほど。到底、勝ち目はない。  
それは、もう一本の「ダモクレスの剣」だった。  
 
「ベルトランドがいてくれたら……か」  
伝説の騎士が、祖国の危難に兵を率いて帰ってくる。  
ステラが語った夢物語を、ついヒルダも信じたくなる。  
「伯父様はどう思われます? アルフレドは――私たちのベルトランドでしょうか」  
傍らで眠る大公の額をなでながら、思わず呟く。  
自分ひとりに忠誠を誓った騎士。今どこにいるかも定かではない従弟。  
いつの頃からか、ヒルダはアルフレドと伝説のベルトランドを錯覚するようになっていた。  
なぜか、彼が今日にも戻ってきてくれる。そんな気がしてならないのだ。  
だがそれは――  
「それは間違いだよ。ヒルデガルト」  
不意に声がして、ヒルダは思わず椅子から立ち上がった。  
「お、伯父様っ! い、いえ……陛下、いつから?」  
いつの間にかマッシミリアーノが目を覚ましていた。  
うっすらと瞼を開け、目だけをヒルダの方に向けている。  
「アルは我々のベルトランドか、と聞いたときからだ……お前も、やはり女だな」  
うろたえるヒルダから視線を外し、大公はまた目をつぶった。  
「弱き者、汝の名は女ー―か」  
一つ息を吐いて、大公は諭すように話し始めた。  
「いいかヒルダ。領主たる者は何かにすがってはならぬ。信じるのは自らの力量のみなのだ。  
貴族たちも、平民どもも、同盟国も……信じてはならん。ましてや伝説など……。  
いいか、アルはベルトランドではない――いや、そもそもベルトランドなど、この世にはいない。  
見返りを求めぬ援軍などないからだ……その背後には必ず何か企みがある。  
たとえアルフレドが伝説の騎士のように兵を率いて帰国したとしても……それはもうアルフレドではない。  
――お前の敵だ――」  
 
長くしゃべりすぎたのか、大公はそこで息を整えた。  
突然目を見開くと、じっと耳を傾けているヒルダに、ぎらついた眼差しを投げる。  
その目は、まるで魔物のように光っていた。  
「あいつが帰ってくると思うか……?」  
こくり。後ずさりながらも、ヒルダはうなづく。  
ふ、と大公がまた一つ息を吐いた。それは軽蔑のようにも、あるいは諦念のようでもあった。  
「――愛しているのだな、アルフレドを」  
答えは無かった。  
 
 
4.  
アルはただ一騎、北を目指して街道を走っていた。  
――モンテヴェルデに帰る。  
いまや彼の脳裏にあるのはそれだけだった。  
 
ニーナが尋ねてきたその晩、彼はすぐにコンスタンティノを訪ねた。  
そこでモンテヴェルデがトルコに挑戦状を送ったこと。  
大公が倒れ、ヒルデガルトが摂政となったこと。  
ジャンカルロが大軍を率いてトレミティ諸島に渡ったことを知った。  
(ヒルダが、危ない)  
アルはすぐに悟った。  
ジャンカルロは容赦しない。何の後ろ盾もないヒルダが、軍を掌握した彼を止められるわけがない。  
その瞬間、アルは出奔しようと決意していた。  
もちろん、ためらいはあった。  
命を救ってくれたコンスタンティノを裏切ること。  
カラブリア公アルフォンソや、ウルビーノ公フェデリーコの信頼を裏切ること。  
そして、ラコニカを捨てること――  
そこまでして、帰る意味があるのか?  
そもそも帰国したところで、自分に何が出来るというのか?  
そんな迷いを胸に秘め、アルは眠れぬ一夜を過ごした。  
だが次の日、目が覚めた彼が見たものは、ラコニカがまとめてくれた旅支度だった。  
『行ってください』  
泣きもせず笑いもせず、ラコニカはただそれだけ言って、姿を消した。  
 
(帰って何になる? ラコニカすら守れない男が、国を救おうというのか?)  
今も頭の中の悪魔か天使がそう囁く。カラブリアに戻れ、と。  
だが、アルは馬を止めることはしなかった。  
太陽は中天にかかり、ぎらぎらとした陽射しを投げかけている。  
甲冑姿のアルを、南国の日差しは容赦なく痛めつける。  
だが、それでも彼は馬を駆り続けた。  
 
 
――やがて、小さな小川に出た。  
粗末な橋があり、渡ったすぐそばに水車小屋が建っている。  
愛馬マローネが一声上げ、立ち止まった。  
慌てて手綱に掴まる。  
鞍の上に踏みとどまり、「どうした」と声をかけようとしたとき、気づいた。  
橋の向こうに、一人の騎士の姿があることに。  
「コンスタンティノ、なぜ……」  
「脱走は認めない。お前にはまだ貸しがあるからな」  
軽い服に外套を羽織り、腰に剣を下げた姿で、コンスタンティノはアルを待っていた。  
「金のことなら、この場で全ての持ち物を返してもいい。だから……行かせてくれませんか」  
馬を降りると、静かにコンスタンティノに歩み寄る。  
だが、彼は黙って首を左右に振った。  
「残念ながら、お前はアルフォンソやフェデリーコに目をかけられている。  
俺たち『騎士団』が仕事にありついているのはそのおかげ……お前がいなくなると、俺たちは馘首だ。  
六百人の部下のためにも、お前は行かせられないな」  
そう言って、何故か彼は面白そうに笑った。  
まるでこの後起こることを予想しているかのように。  
「では……」  
足早にコンスタンティノに近づきながら、アルは外套を解く。そして、その手は腰の長剣へと伸びた。  
「……力づくでも通る!」  
 
叫ぶと同時に、アルはコンスタンティノ目がけ剣を振るった。  
横なぎの一撃を軽い足取りでかわしながら、コンスタンティノも剣を抜く。  
アルは反撃を避けるため、さっと体を引きながら真っ向に剣を構え直す。  
モンテヴェルデの騎士として、体に叩き込まれた構え。  
コンスタンティノは顔に笑みを浮かべたまま、ゆるゆると腕を持ち上げた。  
剣を両手で握り、まっすぐ敵に切っ先を向ける。アルフレドと同じ構えだった。  
「ふむ、ようやく剣に殺気が籠もるようになったな。出会った頃は子供だったが」  
まるで弟子の成長を喜ぶ剣士のような台詞を吐き、コンスタンティノはじわりと間合いを詰めた。  
「だが、今度は耳ひとつでは済まんぞ」  
それが、きっかけになった。  
 
右、左。  
まるで羽根のようにコンスタンティノの剣が踊る。  
アルフレドは必死でそれを防ぎ、打ち返す。  
だがコンスタンティノはその打ち込みを予想しているかのように捌き、打ち返してきた。  
二人は今まで剣を交えたことはない。肩を並べて戦ったことはあっても、互いの技を知る機会はなかった。  
だが、コンスタンティノは一方的にアルの技の全てを見切っていた。  
――この人も、騎士だ。  
いまやアルにははっきり分かった。コンスタンティノの体にも、アルと同じ剣技が染み付いている!  
「どうした、鎧が重いか? 脱ぐまで待ってやってもいいぞ」  
「うるさい!」  
叫び、さらに剣を振る。  
コンスタンティノは軽やかに下がり、アルの剣を弾く。  
手に伝わる激しい衝撃に堪えながら、アルは剣を握り直し、また構える。  
 
すでに、数十合打ち合っていたが、まだ決着はつかなかった。  
それでも、鎖帷子を身につけたアルの方が疲労は激しい。  
コンスタンティノはまだ息も上がっていない。  
(次の一撃で決めなきゃ――)  
時間が無い。このままでは、アルはじきに動けなくなる。  
今は、自分の装甲を信じるしかない。  
覚悟を決めると、アルは絶叫とともに突っ込んでいく。  
「やァっ!」  
まっすぐ振り上げた剣を、コンスタンティノの足元目がけて斜めに振り下ろす。  
だが、その一撃もまた何の効果も無かった。  
金属の打ち合う音とともに、剣が弾き飛ばされる。そして、コンスタンティノの剣がアルを襲った。  
だが、アルはそれでも足を止めなかった。  
振り下ろされる剣を籠手で受け止めながら、突進する。  
懐に飛び込み、両手でコンスタンティノの肩を掴む。  
次の瞬間、アルは自分の頭を彼の顔面に思い切り叩きつけた。  
 
「……行かせて貰いますよ」  
コンスタンティノに馬乗りになりながら、アルは言う。  
二人の剣はすでに遠くに飛んでいる。  
剣を受け止めたアルの腕と、折れたコンスタンティノの鼻から真っ赤な血が流れていた。  
コンスタンティノは答えない。だが、アルは沈黙を肯定と受け取った。  
そっと体を離し、立ち上がる。  
もはや勝負はついた――アルはそう思った。  
だから、コンスタンティノが立ち上がる気配を感じても、振り向きもしなかった。  
痛む腕を押さえながら鞍に手をかけたとき、後ろから声がかかった。  
「アル……これを見ろ」  
振り向いたアルは、言葉を失った。  
ラコニカが、いた。  
 
「すまんが、正々堂々と戦うだけが傭兵のやりかたじゃない」  
コンスタンティノが、ラコニカの首に短刀を当てて立っていた。  
猿轡を咬まされ、手を縛られた姿で、彼女はもがいている。  
自由を奪われてもなお、アルに何かを叫ぼうとするその姿は、あまりに痛ましかった。  
「どうして、ここに……」  
驚きのあまり、アルは言葉が出ない。コンスタンティノは悲しげに首を振った。  
「お前が脱走したんで、行き先を聞き出したんだ。随分てこずらされたよ……そのついでに、な。  
それに、切り札としては最適だろう?」  
「……ラコニカを、どうする気ですか」  
「『殺されたくなければ云々』なんて、面倒な交渉はしないさ。ただ、こうするだけだ」  
短刀が閃き、ラコニカは倒れた。  
 
慌てて駆け寄るアルフレドを横目に、コンスタンティノは言った。  
「足を斬った。いまから急いで町に連れて戻れば、助かるかもしれん。  
もちろん、お前にはラコニカを捨てていく自由もある。ただしこの娘はここで死ぬか、野獣の腹に収まるか……」  
淡々と説明する口ぶりは、確信に満ちていた。  
「何にしろ急いだ方がいい。この辺りは狼が多い。血の臭いをかぎつけて、すぐ寄ってくるぞ」  
そう言うと、コンスタンティノは自分の馬に跨った。  
睨み返すアルに冷たい笑顔で応え、カラブリアの方へと去っていく。  
「ラコニカ……!」  
アルが抱き上げると、ラコニカは苦痛に顔をゆがめた。  
アルの甲冑を、彼女の鮮血が染めていく。腕には力がない。  
猿轡を解くと、ラコニカの口が動くのが見えた。  
必死に抱き寄せ、口元に耳を近づける。  
苦しそうな息の下で繰り返す言葉を、アルはたった一言だけ聞き取ることが出来た。  
――行ってください――  
そう言うと、全てを納得したようにラコニカは目を閉じた。  
震える手で、ラコニカを抱きしめ、その顔に触れる。  
「ごめん」  
ラコニカをもう一度強く抱き、アルフレドは立ち上がった。  
 
(続く)  
 

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