<Me and Who Down by the School Yard その二>  
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「佐藤君が好きなの。」  
 
校庭を見下ろす。  
結構大人数が放課後も学校に残っているものだ。  
数え切れないくらいの人数がめいめいにサッカーボールを追いかけたり野球をしていたり幅跳びをしたりしている。  
 
そして私の親友である美沙は私の真横で私の言葉を聞きながら真っ青になっていた。  
話があるのと呼び出した瞬間から美沙はなんか嫌な予感がするとばかりの顔をして、そして口調がぎこちない。  
 
「・・・やっぱりね。茉莉ってばあれのどこがいいのよ。」  
なんでもないような振りをしているが、言葉の震えは抑え切れていない。  
面白いくらいに動揺している美沙を私はなぜだかとても羨ましいと思った。  
そして考える。  
 
--そう、どこがよかったんだろう?  
 
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高校に入って、友達ができて好きな人がいるかと聞かれたとき、いないと答えたのは嘘じゃないと思う。  
淡いあこがれ。うん。それが一番しっくりと来る感情だ。  
匠兄さんだって私の事は近所の年下の女の子、程度の認識だったと思う。  
年下の可愛い女の子だと思っていてくれたのならなんとなく嬉しい。  
 
だから私は匠兄さんが結婚すると聞いたあの時、思ったよりショックを受けている自分にビックリもした。  
淡いあこがれだけではなかったのかもしれない。  
 
思い出といってもたいしたものはない。本当に小さいときは兎も角、小学校以降には殆ど話なんてしていなかったから。  
そう、近所の休日にたまにCDを大きな音で掛けていた匠兄さんとの思い出といったら。  
強いてあげれば私が中学校に入ったばかりの夏休み。町に一つだけあるレンタルCD屋で話をした事くらいだろうか。  
 
 
確か蝉もまだ鳴きだしてはいなかったから、夏休みが始まったばかりの頃だったと思う。  
何か良いCDでもないだろうかとぼんやり新作CDコーナーを歩いていた私の肩をちょんちょん、と叩いてきた人がいたのだ。  
振り返るとその人は匠兄さんで、やあ。なんて明るく声を掛けてきた。  
その時、匠兄さんは高校3年生。東京の有名大学に偏差値35からの大逆転入学という未だに教師が語り草にする伝説を残すちょうど半年前だ。  
 
「こんにちは。」  
「あ、匠兄さんこんにちは。」  
慌てて挨拶を交わす。  
 
「何?CD探しているの?」  
驚きつつも声を返した私にそう声を掛け乍ら私の見ていた棚を覗く。あ、これ新譜がでてるんだなどと呟く。  
 
「はい。暇だったから覗いていただけですけど。何かいいCDないかなって思って探してたんです。あんまり聴いたことがないんだけどロックでも聴いてみようかな。なんて。」  
振り向きながら私の言葉にふーんと頷く匠兄さんを見つめる。  
その時の匠兄さんは髪の毛が所々はねていて、少し寝不足気味の目をしていた。  
私の言葉を聞いた匠兄さんは少し考えた後、うーんと唸りながら手元に抱え込んだこれから借りるのであろうCDを何枚か選り分け始めた。  
棒立ちになった匠兄さんを見上げる。  
 
「勉強、大変ですか?」  
手持ち無沙汰でなんとなく出した私の言葉に、匠兄さんは苦笑いをした。  
 
「サボりすぎてたからね。茉莉ちゃんみたいに真面目にやってればよかったんだけど。」  
「あはは、そんなこと無いです。」  
「そんな事あるよ。覚えなきゃいけない時にやっておけば良かった。」  
 
匠兄さんはポリポリと頬を掻きながらそんな事を言った後、手元に持っていたCDの中から2枚のCDを取り出して私に手渡してきた。  
「うん、ロックのCD探しているって言ったね。じゃあこれ借りてみるといいよ。自分で借りようかと思ってたんだけど。」  
 
首をかしげながら両腕で受け取って表面を見る。  
サイモン&ガーファンクルとカーペンターズのCDだった。  
私はそれを見てちょっとがっかりした。私だってサイモン&ガーファンクルとカーペンターズくらいは知っていたから。  
音楽の時間に合唱で歌ったこともある。  
 
「学校で聞いたことあるでしょ?」  
 
「はい。でも。」  
思わず不満そうな口ぶりになってしまう。  
CDを教えてくれたのは嬉しいけれど、なんだか子供扱いされている気がしたのだ。  
私は「コンドルは飛んでいく」や「イエスタデイ・ワンス・モア」みたいな教科書に乗っているような曲じゃなくて、  
どうせならもっと匠兄さんだけのお気に入りのアルバムなんかを紹介してほしかった。  
んー、と少し不満そうに声を返す私に笑いながら匠兄さんは続けた。  
「最初はそれ聞くと良いよ。それが終わったらビートルズかな。LetItBeとかYesterdayが入っているのを借りると良いと思う。気に入ったら、今度は僕の持ってるのを貸してあげるから。」  
 
「これ、良いCDなんですか?」  
匠兄さんの言葉に半信半疑になりながら私は声を返した。  
 
「?うん。ロックンロールの基本だからね。勉強でも何でも、基本の部分って言うのは何でも良い。」  
きっと気に入ると思うよ。そう言って匠兄さんは私の髪をくしゃっと撫でてくれた。  
私は匠兄さんのその行為に慌ててしまって、その後も色々と話したとは思うんだけれど何を話したかは覚えていない。  
この一連の会話だけ何故だかとてもよく覚えている。  
 
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もうすぐ日が落ちる。  
一人で随分と考え込んでいたみたいだ。  
自分だけ考え込んでしまったと少し慌てたけれど、美沙は美沙でぼうっと校庭を見下ろしている。  
何か考えていたのかもしれない。  
秋の日は釣瓶落としだから、眼下に広がる校庭では運動部はいつの間にか帰り支度を始めている。  
 
「・・・どうして雄が好きなの?」  
私が黙っているから、もう美沙は泣きそうだ。普段の面影は全然無いといっていい。  
いつもは凛とした美沙が壊れそうになっている。  
わたしはなんだかそれがとても胸に染みた。私もこんな顔をしていたのだろうか。  
 
「優しいから。」  
美沙の言葉に答える。  
 
--そうか。  
私は、私自身意識せずに発した言葉がすっと自分の腑に落ちてくるのを感じた。  
そう、きっと私はあの時に少しだけ優しくしてもらったからあの人を好きだと思ったんだ。  
そういえばあの後から私はよく匠兄さんの事を考えるようになった。  
きっとその程度のことだったんだ。  
 
やっとわかった。  
美沙が佐藤君についてなんであんなに昨日は何を食べていただの中間テストで赤点ぎりぎりでけしからんだのと些細な事を良く話すのか。  
 
「そうか。私と一緒なんだ。」  
呟く。  
 
一週間レンタルで家に持ち帰ったCDをテープにとって、私は何度もサイモン&ガーファンクルとカーペンターズの曲を聴いた。  
2つともテープは2度づつダビングされて、今でもよく聴くお気に入りになっている。  
あの時の匠兄さんの言葉はきっと大した事じゃなかった。だれだって気づいてしまえばああ、そうなんだっていうそれだけ。  
でも私にとってはとても大事な一言になった。  
 
皆が楽しんで聞いている音楽と、教科書の中の音楽が一緒だなんて、私は一度も考えたことも無かった。  
だからとても吃驚した。私はそれまで勉強というのは一生懸命頑張る事にのみ意味があって中身に意味があるだなんて考えたことが無かったから。  
難しい四則計算なんて社会に出てから使うとは思えないし、運動が出来なくたって大人になれば関係なんて無い。  
そう思っていたし、よくそう言っていた。  
だからあのときの匠兄さんの言葉と、そして持ち帰って聞いてみたサイモン&ガーファンクルとカーペンターズは天地がひっくり返るくらいに私に衝撃を与えた。  
それくらいサイモン&ガーファンクルとカーペンターズのCDはとても良かったのだ。  
アップテンポの「ボクサー」を聴きながら雨の日には窓の外を眺めたし、涙の乗車券を聴きながらお気に入りの小説を読んだ。  
私はあの日から、「学校の勉強なんて社会に出てから役に立たない」と、言ったことはない。  
 
私達がメロメロになる位に人を好きになる理由は、きっと映画みたいにドラマチックな事だ。  
そう。目の前で青ざめている私の親友の東条美沙も多分、きっとそうなんだろう。  
私と一緒だ。  
傍から見たらてんで大した事が無い事に大騒ぎしているように見えるんだけれど。  
でもそれは人事だからだ。  
私の好きになった理由がきっと人にとって大した事じゃないように、美沙にとっての大事な事は中々人には判らないだけだ。  
 
学校で音楽の時間にぼんやりと聞いたサイモン&ガーファンクルのScarborough Fairやカーペンターズのイエスタデイ・ワンス・モアが  
実は昔のポップスだったということを知った時みたいな一瞬。  
美沙はきっと佐藤君との間にそういう何かがあったんだろう。  
だから好きな人が昨日は何を食べていただの中間テストで赤点ぎりぎりだったりする事がとても気になったり重要だったりするんだろう。  
美沙にとってそれが私のサイモン&ガーファンクルとカーペンターズなのかもしれない。  
もっと他にもあるのかもしれない。  
きっとそれは、美沙にとって映画みたいにドラマチックで、とっても素敵な何かだ。  
 
「佐藤君、格好良いよね。美沙は、どう思う?」  
 
追い討ちのような私の言葉に、校庭を見下ろして青ざめながらぶつぶつと呟いていた美沙の顔が何かを決意している顔に変わっていく。  
私と同じように美沙は美沙で答えを見つけているところなんだろう。  
私の嘘は、私の親友の手伝いが出来ただろうか。  
 
「ごめん、茉莉、私、帰る。」  
ごめんね。そんなに泣きそうな顔させて。  
後で、カルボナーラでも奢るから。  
でもきっと上手くいく。  
一緒にご飯を食べたり、好きな人に好きって言ってもらったりして。  
いいな。羨ましいな。  
 
私は、ちょっと答えを見つけるのが遅かったから、  
美沙は上手くいくといいな。と思う。  
 
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夕方になるとぐんと気温が下がるようになって、息を吐くと白い。  
目の前で肩を寄せ合い、お揃いの手袋を触れ合わせて楽しそうに話しながら歩いている2人を見て私の横を歩く優子が溜息をつく。  
「はあ・・・、まっさかうまくいっちゃうとはね・・・」  
 
「いいなあ・・・」  
同調するようにその横の香苗も溜息をつく。文句ばっかり言っていたくせに美沙と佐藤君がくっついたとたん、この2人はいいなあいいなあと言ってばかりいる。  
 
「彼氏と映画とか行きたいなあ。」  
かばんを振り回しながら優子が言う。  
 
「彼氏と遊園地行きたいなあ。」  
空を見上げながら香苗が言う。  
 
あんまりにも羨ましそうで、優子と香苗の言葉にあはは。と私は笑った。  
 
「ね。茉莉だったらどんなことしたい?」  
「ん?そうね・・・」  
問いかけてきた優子の言葉を胸の中に閉じ込めてみる。  
私はどんなことをしたかったっけ。  
 
しばらく考えてから、私は右手の方に広がる校庭を指差した。  
「校庭?一緒に運動するの?」  
 
「ううん。その先のあそこ。」  
と道から一段低い場所にある校庭に向かってなだらかな斜面になっている芝生の部分を示す。  
陸上部だろうか。所々でぽつんぽつんと座り込んでいるジャージ姿の生徒が見える。  
斜面を登ると街路樹になっていて、桜の木が道なりに沿って植えられている。  
今年も春になれば綺麗な花を咲かせてくれるに違いない。  
 
「私だったらあそこに寝転んで一緒にCDを聞いたりしたいな。」  
私の言葉にわあ、ロマンチック。と香苗が笑う。  
 
一緒に手をつないだり、CDを聞いたりしてみたかったな。  
 
 
私は丘を差した指をそのまま前方にずらした。  
一足先に校庭で一緒に寝転がれる相手を見つけた親友の背中に照準を合わせる。  
 
うらやましい奴め。  
ばーんと引き金を引く。  
 
空は綺麗に晴れ上がっている。  
秋雨が終わって、これからどんどん寒くなって、そして冬が来る。  
紅葉があって、雨の後には氷が張って、私の好きな一年で一番綺麗な時期だ。  
私はゆっくりと腕を下ろす。  
 
そして私は思った。  
 
 
 
そうだ、今度匠兄さんが帰ってきたら、真っ先に結婚おめでとうございますって言いにいこう。  
 
 
 
おわり  
 

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