――翌日、俺たちは結婚式場である神社に向かった。  
……式の主役であるはずの、俺と佳乃が普段着に近い格好で、  
お袋や絹代たちが着飾っているのは、何だか間抜けな光景な気もするが、まあ仕方ないか。  
 
「ふうむ……」  
「ど、どうしたんですか? 琢磨さん?」  
「あ……い、いや、なんでもない。参るといたそう」  
が、神社に入ろうかというときに、琢磨氏と薫さんがピタリと立ち止まり、鳥居を見上げながらつぶやく。  
気になった俺は、振り向きながら問いかけたが、軽く首を振りながら、何事も無かったように歩き出した。  
……琢磨氏たちって天狗だし、もしかしたら、宗派の違いとかあるのかな?  
いや、でもそうすると、佳乃や絹代だって同じリアクションを取るはずだ。  
見たところ、二人にそういう気配は微塵も感じられない。だとすると……?  
「?? ど、どうしましたか? 信幸様?」  
「え……あ、ああ。なんでもないよ……」  
と、あまり見つめすぎていたせいか、佳乃が怪訝そうな顔で俺を見つめ、問いかけてくる。  
俺は思わず、さっきの琢磨氏と同じように、軽く首を振りながら、そう答えていた。  
 
「えっと……」  
「あ、昨日のご夫婦さんですねえ。どうぞ、こちらですう」  
長い石段を上り、境内にたどり着くと、昨日と同じ巫女さんが歩いていたので、  
声を掛けようとしたが、こちらを振り向いた彼女も、どうやら俺たちを覚えていたようで、  
にぱっと微笑みを浮かべたかと思うと、俺たちを案内してくれた。  
 
 
「美由樹さ〜ん! お見えになりましたよ〜!」  
「ん。夕那ちゃん、ご苦労さま」  
昨日打ち合わせをした、社の奥にある社務所の入り口で、巫女さんが中に向かって元気よく叫んだ。  
すると、ひとつの襖がすーっと開き、別の巫女さんがひょっこり顔を出しながら、返事をする。  
……が、美由樹さんと呼ばれた、その巫女さんの格好を見て、俺は固まってしまった。  
 
服装は、いわゆる普通の巫女服である、真っ白い羽織と真っ赤な袴なのだが、  
地なのか、はたまた日焼けサロンにでも通っているのか、この季節には似つかわしくない、  
健康的な小麦色の肌で、さらに腰まで伸びた髪の毛は、鮮やかな緑色をしていたのだ。  
薫さんのように、見事に真っ黒い髪の毛なら、光の加減によって濃い緑色に見えることもあるが、  
彼女の場合はそういう緑色では無く、文字通りの緑色だったりするのだ。  
……いったい、どこの国の出身なんだ? いや、顔かたちは日本人だし……って、  
よく見たら昨日の打ち合わせで、式の説明をしてくれた巫女さんじゃないか。  
昨日は、肌も髪も普通の色だったのに、何を考えてるんだ?  
それとも、こんな格好をするのが、ここのしきたりなのか?  
 
「どうも皆様、お待ちしておりました。さ、おあがりになってください」  
「あ。は、はいどうも……」  
美由樹さんから声を掛けられて、現実に戻ってきた俺は、生返事をしながら靴を脱ぎ始めた。  
 
「それでは、花婿さんはこちらで着替えをどうぞ。花嫁さんはこちらで。  
皆様はお二人が着替え終わるまで、こちらの部屋でお待ちになっててください」  
「あ……私も、佳乃の着付けのお手伝いをしたいのですが、構わないですか?」  
「え? ええ、構いませんですよ。どうぞどうぞ」  
俺たちに、それぞれの部屋を案内しようとする美由樹さんに、薫さんが声を掛ける。  
美由樹さんは、にっこり微笑みながら、薫さんの申し出を受け入れていた。  
 
部屋に入って上着を脱ごうとした俺だが、そのとき懐から一通の封筒が舞い落ちる。  
何だこりゃ? などと思いつつ、封筒の中身を見た俺は、どんどん血の気が引いていった。  
それは、前の日に宮司の若生さんから渡された、式のときに新郎が読むという誓詞だった。  
――どうせ、紙に書いてあるのを読めばいいだけなんだから、簡単だろう――  
などと思って放っておいたのだが、改めて目にしてみると、達筆で字が読みづらい上に、  
普段は口にしないような言葉が、ずらずらと並んでいる。  
……こんなことなら昨日のうちに、少しでもいいから、練習しておくんだった……。  
 
 
「あ……信幸様も、お仕度は終わられたのですね。佳乃も今、終わったところですよ」  
「そ、そうですか」  
大慌てで着替えを終え、必死に誓詞を読み上げていたが、何とかなるだろうと、  
半ば開き直りながら部屋を出たところで、佳乃が着替えていた部屋から出てきた、薫さんと目が合った。  
……佳乃の白無垢姿、か。結局、昨日は見れなかったんだよな。  
「ふふっ。気になりますか?」  
「え? え………ええ…」  
俺の心を読んだのかのように、薫さんは口元に手を添えながら、にっこりと微笑む。  
「無理もありませんね。昨日はご覧になれなかったようですし。ささ、どうぞこちらに……」  
「あ……は、はい……」  
薫さんは、軽く身を引きながら、佳乃のいる部屋を指し示す。  
俺はまるで、何かに導かれるかのように、ゆっくりと襖を開けた――  
 
「あ……信幸様………」  
「よ、佳乃………………」  
襖を開けると、部屋の真ん中で椅子に腰掛けていた、  
白無垢姿の佳乃がゆっくりと顔をあげ、俺に向かって優しい笑みを浮かべてきた。  
だが俺は、名を呼ぶのが精一杯で、しばしの間、その場に固まってしまった。  
「?? ど、どうされたのですか? 信幸様?」  
「い、いや。すっかり見惚れてた」  
怪訝そうな表情で、俺を見返す佳乃。俺は軽くおどけながら返事をしたが、その言葉に嘘は無かった。  
 
初めて出会ったときに見た、山伏風の旅装束とも村にいたときの着物姿とも、  
一緒に暮らすようになってから着るようになった洋服姿とも違う、白一色の和装姿に、  
薄っすらと白粉を施し、くちびるに軽く紅を差したその顔に、完全に心を奪われていたのだ。  
 
「ま、まあ信幸様ったら………あら? お着物が乱れてますよ?」  
「え? ……あ」  
ほんのりと頬を染めたかと思うと、俺の服装を見て軽く眉をしかめる佳乃。  
……う。誓詞のことで頭がいっぱいで、確かに着替えはおざなりだったかもしれない。  
「……まったく。緊張なさるのは分かりますが、しっかりなさってくださいまし………っ……」  
しずしずと俺の元に歩み寄った佳乃は、困ったような笑みを浮かべながら、  
俺の着物の乱れを直したかと思うと、そのまま軽く背伸びをして、そっとくちびるを塞いできた。  
不意を突かれた俺はたちまち、頭の中が真っ白になってしまった。  
――それこそ誓詞の中身も、すべて忘れてしまうくらいに真っ白に。  
「佳乃……」  
「さあ、参りましょうか。……あなた」  
俺のくちびるに付いた紅を、佳乃は自らの人差し指で軽く拭い取りながら、優しく微笑む。  
……って待てよ? 今、なんて言った?  
「……どうしましたか? 急がないと、皆がお待ちになってますよ?」  
「え? あ、ああ……そ、そだね……」  
我が耳を疑いながらも、俺は佳乃の呼びかけに答えていた――  
 
 
式に関しては、どうにか滞りなく終わった、気がする。  
普段は入ることが出来ないはずの、拝殿の中に入るというのは得がたい体験だった、気がする。  
……気がする、ばかりなのは実を言うと、件の誓詞を無事に読み上げることばかりが、  
えんえんと頭の中を駆け巡り、式の雰囲気を味わったりする余裕など、ほとんどなかったのだ。  
おかげで、どんなことをしていたのかすら、あまり覚えてはいなかった。  
ただ式の途中、指輪を交換するときに、佳乃がひとすじの涙を流したのが、深く心に残っていた。  
 
 
「あ。じゃあ皆さあん。記念に一枚撮りますんで、並んでくださあい」  
式が終わって社を出ると、カメラを首からぶら下げた巫女さんが、  
こぼれんばかりの笑顔を見せながら、こちらに向かって手を振っている。  
「あ、はいはい」  
「ん? 並んでどうしようと言うのだね?」  
巫女さんの言葉に答え、並ぼうとしたところで、琢磨氏が怪訝そうな声をあげる。  
……そりゃそうだよな。しかし、なんと説明したらいいのか……。  
 
「ええっと………まあ、ひとことで言ってしまえば、私たちの今の姿を絵にしてしまうんですよ」  
「ふうむ、そうなのか。……でもそうすると、何時間もじっと辛抱せねばならぬということか?」  
などと思っていると、不意に薫さんが琢磨氏に説明し始めたが、今度はそれを聞いていた絹代が、  
うんざりとした表情を見せたかと思うと、不満げな口調でつぶやく。  
「いえいえ。巫女さんが、小さな物を手にされていますでしょう?  
あれは、今の姿を一瞬にして、絵にすることが出来る道具なのですよ」  
「ほほう。信幸殿が、母上殿に連絡していた時の道具といい、こちらは便利なものがたくさんあるのだな」  
が、薫さんが巫女さんの手にしているカメラを指差しながら説明すると、絹代はあっさりと頷く。  
……というか、何で薫さんが、そんなことを知っているんだ?  
 
そんなことを考えているうちに、佳乃が幸乃を抱いた俺に寄り添い、  
俺たちを中心にしてお袋や琢磨氏たち、それに若生さんと美由樹さんが一緒に並んだ。  
「はい、それでは皆さん、いいですか〜? いきますよ〜、いちたすいちは〜!?」  
立ち位置を確認した巫女さんは、カメラを構えながらこちらに向かって声を掛けてくる。  
「にいっ!」  
巫女さんの掛け声とともに、俺たちはカメラに笑顔を向けた――  
 
 
「かんぱ〜い」  
家に戻ってからは、軽く宴会を始めることになった。……まあ、たまには昼から飲むのも悪くない、か。  
「……うむ、これは美味な。御母堂殿、こちらの銘柄は?」  
「はい。えっと………どうやら、天狗踊というみたいですね」  
「なに? 天狗踊とな?」  
ひと息にコップの中身を飲み干した琢磨氏は、上機嫌でお袋に酒の銘柄を尋ねたが、  
銘柄を耳にした途端、顔色が変わった。……まあ、確かに無理はないかもな。  
「ええ。これを呑むと、さしもの天狗様でも酔って踊りだしてしまう、  
と言うのが由来だそうで、『酔う』と『踊』を掛けているみたいですよ」  
「そ、それは聞き捨てならぬ。如何程のものか、確かめてみねばの」  
「はいはい、どうぞどうぞ……」  
ラベルの説明文を読み上げるお袋と、挑戦的な顔をして、顎鬚をさすりだす琢磨氏。  
お袋は、琢磨氏の仕草をお代わりの催促と解釈したらしく、  
にっこりと笑みを浮かべながら、琢磨氏のコップにお酌をしていた。  
 
「あ、そうだ。薫さんもどうぞ」  
「え? あ、あの……私は…」  
お袋と琢磨氏のやりとりから目を離し、俺も何か食べようかと思いながらテーブルに目を向けると、  
薫さんが例の笑顔のままで、ウーロン茶を片手に寿司をパクパク食べていた。  
そんな薫さんに、俺は酒を飲むように勧めた。が、薫さんは手を止め、困ったような表情を浮かべる。  
……薫さんの笑顔以外の表情を見るの、これが初めてかも。  
「まあ、たまにはいいじゃないの。ね?」  
「ほ、本当に少しだけ、ですよ?」  
いつもと違う表情を浮かべる薫さんを見て、図に乗ってきた俺は、さらに薫さんに酒を勧めた。  
するとようやく、薫さんは戸惑い気味な表情を浮かべ、おずおずとコップを差し出してきた。  
「そんな、少しだけだなんて、勿体無いこと言わないで――」  
俺がお酌しながら、薫さんに笑いかけたそのとき――  
「! あ……あなた!」  
「ん? どしたの、佳乃?」  
「あ………。い……いえ…な…なんでも………」  
突然、幸乃をあやしていた佳乃が、こちらを見ながら悲鳴交じりの声をあげる。  
不思議に思った俺は、佳乃に問いかけてみたのだが、  
佳乃は複雑な表情を浮かべ、歯切れ悪そうにつぶやきながら、ゆっくりと首を振る。  
……まったく、いったい何があったと言うんだ?  
というか、やっぱりどう聞いても、佳乃って俺のことを「あなた」って呼んでいる、よなあ?  
 
――数分後――  
 
「ですからあ、信幸様! 聞いてりゃっしゃいますかあっ!?」  
「は、はい……」  
俺は正座をして、薫さんの説教を聞いていた。いや、聞かされていた、というべきか。  
おかげで薫さんの、別の表情を見れた……などと考える余裕は……はっきり言って無い。  
……さっき、佳乃が顔色を変えた理由が、分かった気がする。  
もっとも、分かったときには遅すぎたわけだが。まさに後悔先に立たず。後の祭り。  
で、その佳乃と言えば、われ関せずという感じで、こちらに背を向けたまま、お袋と話し込んでいた。  
ふと仰ぎ見ると、絹代と琢磨氏まで幸乃を構っていて、こちらを見ないようにしている。  
……どうやら俺は、触れてはいけないものに、触れてしまった、のか……。  
 
「まったく、来るのが遅いのですよ! ふたたび信幸様が来るまで、お腹を大きくさせた佳乃が、  
いったいどんな気持ちでいたか、考えたことがおありですか!?」  
「あ……その……」  
その言葉に、思わず俺ははっとしてしまった。  
確かに、ふたたび出会ったときには、すでに佳乃のお腹の中に幸乃がいた。  
俺はそのことを深く考えてはいなかった。  
どうせ一緒に暮らすことになるのだから、子どもがいてもいなくても一緒だろうと思って。  
だが、佳乃の身になってみれば、そうも言ってられなかったのかもしれない。  
佳乃は……佳乃は、そのことに関して何も言わないけれど、本当はどう思っていたのだろう?  
 
――数十分後――  
 
「琢磨ちゃん! ん!」  
「う、うむ。ささ、どうぞ」  
空になったコップを琢磨氏に向かって突き出す薫さんと、慌ててお酌をする琢磨氏。  
……ううむ、これもこれで滅多に見れない光景……って薫さん、琢磨氏を『琢磨ちゃん』呼ばわり……。  
「ま〜ったく、これだから男って生き物は………んぐ…っ……」  
などと思っているうちに、薫さんはぼやきながら、なみなみと注がれた酒を一気に飲み干した。  
「………でも、ま。佳乃と幸乃ちゃんが、幸せにしてるようだから、  
とりあえずは許して…あげ……る……」  
薫さんはコップをテーブルに置き、ぷは〜と息を突きながら、例の笑顔に戻ったかと思うと、  
体をゆらゆら揺らせながら、呂律の回らない声でつぶやきながら、そのままゆっくりと後ろに倒れこんだ。  
 
「あ……か、薫さん?」  
「すまないの、信幸殿。明日になったら、綺麗さっぱり忘れてるから」  
「下手に起こそうとしたりすると、さらに酷い目に遭いますよ」  
心配して声を掛けようとする俺を見て、申し訳なさそうにつぶやく絹代。  
と、佳乃は薫さんに毛布を被せながら、俺に向かって苦笑いを浮かべた。  
だから俺一人を生け贄にしたのか。  
……と言っても、そもそも薫さんに酒を勧めたのは、紛れも無く俺なのだから、自業自得だよなあ。  
 
「それより信幸、薫さんの言っていたことは本当なの?」  
「え? あ……ああ…」  
と、そんなことを考えていた俺に、今度はお袋がやや強い口調で話しかけてきた。  
……確かに知らなかったとは言え、何ヶ月も会いに行かなかったのは事実だし……。  
「ま、まあまあお義母さま。われが幸乃を授かっていたと知ってからは、あんなに遠い距離を、  
毎週のようにおいでになっていただいたのですから、そんなに目くじらを立てられなくとも」  
「ん。……まあ、佳乃さんがそう言うのなら……。でも信幸、二度とそんなことしちゃ、だめですよ」  
しどろもどろになっている俺に、助け舟を出してきたのは、当の佳乃だった。  
佳乃の言葉にお袋は、不承不承ながらも頷き、俺に声を掛けてくる。  
「ああ……分かってるよ」  
「ふむ……。それでは信幸殿。あらためて佳乃のこと、よろしく頼みましたぞ」  
言わずもがなのことに生返事をする俺に、琢磨氏が酒を勧めながらペコリと頭を下げてきた。  
「は、はい」  
「うむ。では、ひとおもいにぐいっと」  
思わず反射的に正座をして、琢磨氏のお酌を受けながら、返事をする。  
琢磨氏は上機嫌で、俺に一気に飲み干すように促してきた。  
「あ。は、はい。…………んぐ…っ……っ……」  
「ほほう、結構な飲みっぷり。これは今宵は楽しめそうだのう」  
思い切って、俺はコップの中身をひといきに飲み干した。途端に喉の奥が、かあっと熱くなる。  
空になった俺のコップに、嬉々として次の一杯を注ぐ琢磨氏。  
……どうやら明日は、正月から二日酔い決定だな……。  
 
 

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