「んぎゃあ、んぎゃあ……」  
「……ん、幸乃ちゃん……」  
――夜、幸乃の泣き声を耳にして、佳乃は目を覚ました。  
泣きじゃくる幸乃の顔を見下ろしたかと思うと、優しく笑みを浮かべながら、そっと幸乃を抱き寄せる。  
「ん……っ……ぐずっ……っ……」  
「ん〜、幸乃ちゃ〜ん。どうしましたか〜?」  
幸乃は、母親の腕に抱かれて安心したのかピタリと泣き止み、じっと母親である佳乃の顔を見ていた。  
佳乃もまた、穏やかな笑みのままで、じっと幸乃を見つめ返す。  
「よ、佳乃……」  
「あ……き、絹代様。お目覚めになってしまいましたか」  
と、不意に自分を呼ぶ声が聞こえた佳乃は、はっと顔をあげ、恐縮そうに声の主に話しかけた。  
そこにはうつぶせで布団を被り、顔だけをこちらに向けた、寝ぼけ眼の絹代の姿があった。  
「いや、そんなことは構わん。それより、幸乃はどうしたのだ? 何があったのだ?」  
「え? べつに……いつもの夜泣きですよ」  
「い、いつも? ということは佳乃もいつも、こんな時間に起きているのか?」  
佳乃の答えに驚いたのか、絹代の寝ぼけ眼がぱっちりと開かれる。  
 
「そう…ですね。赤子は泣くのが仕事ですから。それに、一緒にお昼寝もしていますし」  
「だ、だからと言っても、ものには限度というものがあるだろう。毎日こうでは、体がもたぬぞ」  
「でもないですよ。絹代様に、炊事洗濯を覚えていただくほうが、よほど骨が折れましたが?」  
「あ……い、いや、そ、それは置いといて、だ……」  
絹代の言葉に、にっこりと笑みを浮かべながら返事をする佳乃。  
その途端、絹代はしどろもどろになりながら、視線をそらしはじめた。  
「ふふっ。それにですね……この子のことで、手間が掛かれば掛かるほど、  
ああ、われはこの子を育てているんだな、と実感することができるのですよ」  
そんな絹代の仕草がおかしかったのか、佳乃はくすくす笑い声をあげたかと思うと、  
腕の中の幸乃をじっと見つめながら言葉を続けた。  
「ふうむ、そんなものなのかのう……」  
「ええ。いつか絹代様も、子をなせば分かること、ですよ」  
「子!? わらわがか!? まったく、何を言って……」  
佳乃は顔をあげ、布団の中で頬杖をついてつぶやく絹代に向かって、微笑みを浮かべながら言った。  
その言葉によほど驚いたのか、絹代は思わず布団から飛び起き、苦笑いを浮かべる。  
「そう思われるのも、無理はありませんですね。でも間違いなく、その日はやってくるものですよ」  
「そ、そうはいうが……」  
「それに琢磨様の、幸乃ちゃんへの可愛がりようを、ご覧になられたでしょう?  
われの子でさえ、あんなに可愛がっていただけるのです。  
実の孫ができたときは、どんなにお喜びになられることでしょうか……」  
「う、ううむ……」  
苦笑いを浮かべる絹代に、佳乃はあくまで優しく語り掛けていた。  
 
「さ、幸乃ちゃん。おねんねしましょうね〜」  
やがて、腕の中の幸乃が、すうすうと寝息を立て始めたのを確認した佳乃は、  
幸乃の耳元で優しくささやきながら、ゆっくりと布団に寝かせた。  
「ふわ〜あ。……幸乃だけでなく、わらわたちも寝るとするか……」  
布団の中ですやすや寝息を立てる幸乃を見て、絹代は大きなあくびをしながら佳乃に声を掛ける。  
「そうですね、そうしま……!? ………こ、これ、は……絹代様……」  
絹代の言葉に、佳乃も横になろうとして布団に手を掛けた次の瞬間、  
佳乃は突然ビクンと体をすくませ、絹代に向かって不安げに声を掛ける。  
「うむ……何だか、嫌な感じがする……。しかも、この感じは………」  
いっぽうの絹代は、佳乃に声を掛けられる前に、すでに顔をしかめながら布団から抜け出していた。  
「ええ、それにしても何故………き、絹代様?」  
”嫌な感じ”がするほうから、ふたたび絹代のほうに向き直った佳乃は怪訝そうな声をあげた。  
視線の先にいた絹代は、パジャマを脱ぎ捨てながら、山伏の服装に着替え始めていたのだ。  
「こんな気分では、落ち着いて寝ることも出来ぬ。ちと見てくるわ」  
「そうですか……では、われも」  
凛とした表情で答える絹代を見て、佳乃もゆっくりと立ち上がり、寝巻きを脱ぎ始める。  
 
「な、何を言う? 佳乃まで来なくとも、わらわひとりで大丈夫だぞ?」  
今度は絹代が、思わず着替える手を止めながら、怪訝そうな表情と声を出していた。  
「何をおっしゃるのですか。いくら信幸様と一緒になり、絹代様の元を離れたとは言え、  
われが絹代様のお目付け役であることまでも、変わってしまったわけではありませぬ」  
「………そうか、わかった。では急いで支度をするぞ」  
じっと自分を見据えながら語る佳乃を見て、その顔と言葉に確固たる意志を感じ取った絹代は、  
ふう、と軽くため息をつきながら、答えた。  
「はっ。しかし、お二人は……」  
「ほうっておけ。……というか、起きやしないだろう」  
着替えに手を伸ばしながら、佳乃は返事をしていたが、ちらりと薫と琢磨に視線を送る。  
その二人はと言えば、完全に酔いつぶれ、それぞれの布団の中で大鼾をかいていた。  
絹代の言葉どおり、ちょっとやそっとで起きるような気配はまったくない。  
「そ、そうですね。そっとしておきましょうか……」  
――下手に酒が残っている薫を、無理に起こそうとしたりすると、世にも恐ろしい目に遭う――  
かつて、身をもって体験したことがある佳乃は、顔を引きつらせながらそう答えていた。  
 
 
「さってと。美由樹さ〜ん、この荷物、どこに置けばいいですかあ?」  
「ん、そこに置いといてもらっていい? で、次はこっちの支度を手伝って欲しいんだけど」  
美由樹に言われ、奥の倉庫からダンボール箱を抱えてきた夕那は、元気よく美由樹に声を掛ける。  
破魔矢に赤いお守りを結び付けていた美由樹は、笑みを浮かべながら夕那に次の指示を出す。  
「はあい、わっかりましたあ。……でも美由樹さん、何で今頃こんなことするんですかあ?  
もっと前から支度していれば、徹夜することもないと思うんですけれどお」  
指示を受けた夕那は、美由樹の隣にペタリと座り込み、破魔矢を手に取りながらつぶやく。  
「ん……。他のことなら、去年のうちから準備していてもいいけれど、これだけは……ね」  
「ああっ、そういえばそうですねえ。今日で年が変わったんですものねえ。よく分かりましたですう」  
夕那の質問に、美由樹は気を悪くさせるでもなく、手を止めてお守りをじっと見つめながら答える。  
その答えに納得したのか、夕那は何度もうんうんと大きく頷き、手を動かし始めた。  
 
「は〜あ。それにしても昼間の花嫁さん、すっごい綺麗だったですねえ」  
しばらくの間、二人で黙々と作業を続けていたが、不意に夕那が手を止め、天井を見上げてつぶやく。  
「ん、そうだね。でも夕那ちゃんだって、いつかは……」  
「そ、そんな……夕那、結婚なんて……」  
美由樹の言葉に、たちまち顔を赤らめる夕那。だがその顔は、心なしか微笑んでいる。  
「ん? 去年の正月に、彼氏と一緒に初詣に来ていたじゃない。ね?」  
「え……あ……み、見ていた、のですか?」  
追い討ちを掛けるように、美由樹は夕那の顔を覗き込むようにして、言葉を続ける。  
それだけで、夕那の顔はゆでだこのように真っ赤になっていた。  
「ん〜? まあ、そんなとこかな? ………ところで夕那ちゃん、私ちょっと席外すけど、続きお願いね」  
「はあ〜い、わっかりましたあ」  
美由樹は、夕那の質問に曖昧に返事をしたかと思うと、おもむろに立ちあがり、部屋をあとにした。  
 
「……さて。どうやら参拝客、ってわけでもなさそうですけれど、何かご用かしらね?」  
社務所を出た美由樹は、やや眉をしかめながら言った。美由樹の厳しい視線の先には人影がある。  
表情は――闇に紛れて見えない。だが美由樹は、自分が話しかけている相手は人間では無い、  
ということをその気配から、感じ取っていた。  
「…………………」  
人影は無言のまま、美由樹のほうへと足を一歩踏み出した。  
月明かりに映し出されたその姿に、思わず美由樹は息を飲み込んでしまった。  
映し出された影は――見た目、夕那と同じくらいの年恰好の少女だった。  
だがその顔には、生気というものがまるで感じられなかった。  
それくらいでは、別に驚くことではない。そういう”モノ”を見るのは昔から慣れていた。  
美由樹が驚いたのは、少女がその左手に何者かの襟首を掴み、引きずっていたことだった。  
「! ………γνχναευτγι!」  
ただならぬ気配を感じ取った美由樹は、顔色を変えながら、後ろに一歩跳び退ったかと思うと、  
指先を目まぐるしく動かしながら、何事か唱えはじめた。  
その途端、少女の背後の木の枝がざわざわとうごめき、少女の体へと絡みついていく。  
木の枝がまるで意志を持ってわが身に絡みつくという、常識では考えられない展開にも関わらず、  
少女は相変わらず無表情のまま抵抗する様子も見せずに、ただ絡みつく枝を見つめていた。  
「……ふう。悪いけど、沙羅様が戻られるまで、そうしていてもらいます。おとなしくしててください」  
やがて木の枝によって、がんじがらめになった少女を見つめ、美由樹はつぶやいた。  
――葬るだけなら簡単なんだけれど、それじゃあ私が沙羅様に怒られてしまうし、ね……。  
「で、あなた。大丈夫ですか?」  
「…………………」  
そう思いながら、美由樹は少女が掴んでいた人影を助け起こそうと歩み寄った。  
倒れている人影――こちらは見た目、自分と同じくらいの年恰好の若い女性だった――は、  
美由樹の呼びかけにも、返事をするどころかピクリとも動こうとしない。  
「……まったく。仕方ない、ですね」  
軽くため息をついた美由樹は女に肩を貸し、社務所へ戻ろうとした。  
と、その時――  
 
「! なっ!?」  
不意に背筋に悪寒を感じた美由樹は、思わず背後を振り返った。  
目の前に、木の枝に絡めとったはずの少女が、右腕を振り上げているのが見えた。  
 
ガツッ  
 
「ぐあっ!?」  
かと思った次の瞬間、鈍い音ともに頭に激痛が走り、思わず口から悲鳴がこぼれた。  
少女が右手に石を握り締め、殴りかかってきたのだ。美由樹は頭を押さえ、その場に蹲った。  
蹲った美由樹の顔面に、少女の足蹴りが届き、たまらず美由樹は地面に倒れこんだ。  
「…………………」  
「ぐっ! ぐは……が………あっ…」  
少女は倒れこんだ美由樹の上に馬乗りになったかと思うと、左手で美由樹の首を絞めながら、  
石を握り締めた右腕を何度も振り下ろした――美由樹の顔面目掛けて。  
美由樹は息苦しさのあまり、必死に自分の首を絞めている、少女の左手を掴みあげるが、  
顔面を殴られ続けているため、まったく力がこもっていない。  
それどころか、美由樹が抵抗するのが気に入らないのか、少女の左手にさらに力が加わった。  
「くえ……っ……」  
 
――何故、私の呪縛を振り解いた?  
―――何故、振り解かれたことに、気がつかなかった?  
――――いったい、この娘は何者なのだ?  
 
まるで、絞められるニワトリのような悲鳴を漏らしながら、様々な疑問が美由樹の頭をよぎる。  
だがそんな疑問も、薄れる意識とともに、頭の中から消え去っていった――  
 
「…………………」  
やがて美由樹は少女から手を離し、そのままぐったりと動かなくなった。  
殴られ続けた顔の左半分は無残に潰れ、傷口から真っ赤な血が止めどもなくあふれ続けている。  
苦しそうに開いた口からは舌が伸び、息をしているかどうかすらも疑わしかった。  
少女は、美由樹が抵抗しなくなったのを確認すると、  
とどめとばかりに右腕をひと際大きく振り上げ、顔面めがけて振り下ろした。  
 
――が、美由樹の顔面に石が当たるか当たらないかというところで、その手がピタリと止まった。  
 
わずかの間、石を振り下ろした姿勢で固まっていた少女はおもむろに、  
べっとりと血で真っ赤に染まった石を放り出し、美由樹の袴をめくりあげた。  
下着は着けてはいないようで、ヘアを剃り落とした跡が青々とした恥丘が姿を現した。  
 
膝立ちになりながら、自らのスカートをたくしあげる少女。薄いレースのパンティの隙間からは、  
女性には付いていないはずの部分が顔を覗かせていた。――それも二本も。  
ひとつひとつが、成人男性のサイズよりもひと回り大きなそれらは、  
先端から透明な汁をしとどに溢れさせ、地面に向かって糸を引いている。  
 
「…………………」  
少女は美由樹の両足を広げさせながら、その間へと潜り込んだ。  
そのまま、自らのいきり立ったペニスを、美由樹の割れ目と菊門にあてがう。  
意識を取り戻したのか、一瞬、美由樹がピクリと体を震わせた。  
「あぐ! あ……あ、あ、ああ……っ……!」  
かと思った次の瞬間、少女はひと息に美由樹の中へと二本のペニスを沈み込ませた。  
悲鳴とともに、美由樹の上半身が弓なりに仰け反った。  
 
「…………………」  
「ぎ……い、痛……い……い、い……っ……」  
少女は相変わらず無言のまま、腰をゆっくりと前後に動かし始めた。  
腰の動きとともにペニスが出入りするたびに、美由樹の口からは息を詰まらせたような声が漏れる。  
「…………………」  
美由樹の声に委細かまうことなく、少女は美由樹の羽織に手をかけ、胸元を広げた。  
やはり下着は着けていなかったが、代わりにさらしが幾重にも巻かれている。  
 
ビッ ビリッ ビリッ  
 
少女はさらしに手をかけ、力任せに引きちぎった。  
同時に戒めを解かれた、美由樹のやや小ぶりだが形のいい胸が姿を現す。  
「あ! あっ……い……い……」  
少女が腰を美由樹に叩きつけたまま、力いっぱい美由樹の胸を揉みしだく。  
荒々しい少女の責めに、美由樹はただ、くぐもった悲鳴を漏らすのみだった。  
 
 
「痛! い、いた! ………っ! や…や……め…」  
美由樹が上半身を仰け反らしながら悲鳴をあげた。少女が突然、美由樹の乳首に爪を立てたのだ。  
震える手で、少女の手首を必死に掴みあげるが、少女は意に介さずに美由樹の胸を責め続ける。  
「! ぐううっ! がっ! はっ!」  
少女は腰の動きをさらに早めた。愛撫もされず、いきなりペニスを突き立てられた、  
美由樹の秘所と菊門からは、鮮血が滲み出ている。  
が、皮肉なことに、その血が潤滑液となって、少女の腰の動きをスムーズなものにさせていた。  
「いっ! っ! あっ!」  
深夜の神社において、ただぐちゅぐちゅという湿った音と、美由樹の悲鳴だけが響いていた。  
 
 
「美由樹さ〜ん、終わりましたけど、次は……み、美由樹さんっ!?」  
そのとき、社務所の出入り口からひょっこり顔を出した夕那が、明るく声をかけてきた。  
が、ただならぬ状況を目の当たりにして、その声を張り上げた。  
「…………………見つけた…………………」  
夕那の声を耳にした少女は、ピタリと動きを止めたかと思うとゆっくりと顔をあげ、口を開く。  
「え? ……な、な………」  
呆然と立ち尽くす夕那をよそに、少女は組み伏せていた美由樹から離れ、ゆっくりと立ち上がった。  
ギクシャクと、機械仕掛けの人形のように、ぎこちない足取りで夕那の元へと歩き出す。  
その手が夕那の肩に掛かりそうになった瞬間――  
 
ドカッ  
 
そんな音が響いたと同時に、少女は吹き飛んでいた。その代わり、少女が立っていた場所には――  
「ふうむ。どうやら来てみて正解、だったようだのう」  
山伏姿の少女――絹代が首を傾けながら立ち尽くしていた。  
「だ、大丈夫ですか?」  
「あ、は、はい……。え? あ、あなたは昼間の……?」  
同時に、夕那の肩を抱き、心配そうに声を掛けてくる人影がいた。  
夕那は声の主を見て、戸惑い気味に声をあげる。  
人影の正体は――昼間、この神社で結婚式を挙げた花嫁である、佳乃だった。  
「佳乃」  
「は、はい」  
絹代が、夕那たちに背を向けたまま、佳乃に声を掛ける。  
「こやつはわらわが何とかする。その間に、彼女たちを介抱してやれ」  
「え? で、でも……」  
「佳乃」  
「あ……は、はい。くれぐれもお気をつけて」  
「うむ、分かっておる」  
絹代の指示に戸惑っていた佳乃だが、今度は向き直って名前を呼ばれ、畏まりながら答えていた。  
 
佳乃は、絹代のほうをちらちらと見ながら、美由樹と女を助け起こそうとする。が、  
「え? …………こ、これって……」  
女の肌に触れた佳乃は、顔を真っ青にさせた。女の体は、完全に冷え切っていたのだ。  
この季節、地面に横たわっていたら、体温が下がるのは止むを得ないことだろう。  
だがそういう事情を考慮したとしても、女の体は冷たすぎたのだ。  
佳乃は念のため、と女の脈をとってみたが予想通り、脈は動いていなかった。  
――死んでしまっているのか。可哀想だけど、仕方ないですね――  
ため息とともに、軽く首を振った佳乃は気を取り直して、美由樹を助け起こすため、抱き起こした。  
「さ、あなたも肩を貸して」  
「あ。はい。………? こ、この人………?」  
突然の展開についていけず、ぼうっと立ち尽くす夕那だが、佳乃に声を掛けられ、はっと我に返った。  
が、美由樹の隣で倒れている、女の顔を見て戸惑い気味に声をあげた。  
女の顔に、見覚えがあったのだ――去年の正月に、彼女たちの前に現れた死神に。  
「ど、どうしたのですか?」  
「あ、い、いえ。な、なんでもありません……」  
美由樹に肩を貸しながら、佳乃が怪訝そうな顔で夕那に問いかける。  
――信じてもらえるはずがない――そう思った夕那は、軽く首を振りながら、美由樹に肩を貸した。  
「おっと。おぬしをこの先、通すわけにはいかぬ」  
社務所へ向かおうとする、佳乃たちに顔を向ける少女に向かって、絹代は不適に笑いかけた――  
 
 
「すみません、水と綺麗なタオルを何枚か持ってきていただけますか? あと、薬箱はどこに?」  
「あ、は、はい。確か、そこの戸棚の一番上の引き戸の中に。ゆ……私は、水を汲んできます」  
社務所の中の部屋に入った佳乃は、そっと美由樹を畳に寝かせながら、夕那に問いかけた。  
夕那は部屋の隅の戸棚を指差し、部屋から飛び出していった。  
「お願いします。………しょ、っと」  
佳乃は、駆け出した夕那に向かって、軽くお辞儀をしてから押入れを開け、布団を取り出した。  
 
「お、お待たせしましたっ! お水ですう」  
「あ、ありがとう。それで彼女の両肩を、押さえててもらえますか?」  
佳乃が布団を敷き終え、美由樹を横に寝かせてから、戸棚の中の薬箱を取り出したとき、  
タオルと洗面器を抱えた夕那が戻ってきた。  
夕那からタオルを受け取った佳乃は、洗面器にタオルを浸しながら、夕那に言った。  
「え? お、押さえる……?」  
「はい、こうやって……しっかりと、押さえててくださいね」  
佳乃は美由樹の上に馬乗りになりながら、小首を傾げる夕那の手をとり、美由樹の肩へと添えた。  
「い……痛っ!」  
「う……うわっ……」  
佳乃は洗面器に浸したタオルを取り出し、軽く絞ったかと思うと、迷うことなく美由樹の顔へと押し当てた。  
途端に叫び声をあげながら身悶えする美由樹と、顔を背けてうめき声をあげる夕那。  
「す、すみません。でも我慢していただけないと、傷口が化膿してしまいますので」  
苦渋に顔を歪めながら、佳乃はタオルで美由樹の顔を拭い続けた――  
 
「………ふう。これで、とりあえずの処置は終わりました。あとはすぐに病院へ行かれたほうが……」  
「あ……い、いえ。それには及びません。わざわざ、ありがとうございました。  
……でも、どうしてこちらに?」  
「え? あ……な、何となく悪い予感がしたので……」  
美由樹の顔に包帯を巻き終え、安堵のため息をつく佳乃に、美由樹が礼を言いながら問いかけてきた。  
実は自分は天狗である――こんなことが言えるはずがないと判断した佳乃は、曖昧に答える。  
「予感、ですかあ。二人とも山伏さんみたいな格好してますけど、そんな力、持ってるんですかあ?」  
「えっと、そ、それは……まあ、その……。と、ところで、あなた方を襲った彼女は何者なのですか?」  
その曖昧な答えに、さらに突っ込みを入れる夕那。  
佳乃はしどろもどろになりながら、話を逸らそうと、必死に話題を切り替えた。  
「……心当たり、ですか……それは……何ともいえないですね……」  
「……あ、あの人、夕那を見て『見つけた』って言ってました。  
言ってましたけど……あの人が誰なのか、全然心当たりがないです……」  
佳乃の質問に、揃って首を振る美由樹と夕那。  
「そうですか……。で、これは非常に申し上げにくいのですが……あなたと一緒に倒れていた方は、  
すでに冷たくなっていましたので、あの場に置き去りに……」  
二人の答えに軽く頷いた佳乃は、歯切れ悪そうに口を開いた。  
「えっ!?」  
その言葉に、真っ先に反応したのは夕那だった。  
「……どうしましたか? 先ほども彼女の顔を見て、何か思うところがおありだったようですが、  
もしかして彼女とお知り合いだったりしたのですか?」  
「……い、いえ……な、なんでもないです……。し、知ってる人に似てたから、つい……」  
夕那の声に佳乃が顔色を変えたが、夕那は視線を落とし再び首を横に振った。  
「なるほど……。お二人は、しばらく安静になさっててください。  
われは、絹代さ……残してきた連れが心配ですので」  
「い、いえ……だ、大丈夫です……。わ、私たちもご一緒に……」  
佳乃はすっくと立ち上がり、二人にそう言い残しながら部屋を後にしようとしたが、  
美由樹は夕那の肩を借りながら、ゆっくりと立ち上がり、歩き始めた――  
 
「き、絹代様!」  
「おお、佳乃か。彼女たちは、無事――だったようだな」  
社務所から飛び出した佳乃は、こちらに背を向けて立ち尽くす絹代に声を掛けた。  
佳乃の声にゆっくりと振り返り、佳乃の後ろにいる美由樹と夕那の姿を見て、返事をする絹代。  
「は、はい……。でも、もう一人の方はすでに……き、絹代様っ!? う、後ろっ!」  
絹代の問いに佳乃は答えようとするが、絹代の後ろで地面に大の字になっていた少女が、  
ムクリと起き上がったのを目にして、警告の声をあげる。  
「うむ……見てのとおりだ。この娘、倒しても倒してもこのとおり、起き上がってくるからキリがないのだ」  
だが絹代は後ろも見ずに、歩き出してきた少女の顎に後ろ蹴りを見舞いながら、  
うんざりしたように肩をすくめる。  
「……ただ、自分の意思があるようには見えませんですし、いったい何者なのでしょうか?」  
「ふうむ。さっぱり分からぬが、いつまでもこうして――!?」  
それでも佳乃は、油断無く身構えた姿勢で少女を見据えながら、誰に言うとも無くつぶやいた。  
両手を広げて首を傾げる絹代だが、不意に目の前の少女が発していた気配とは、  
比べ物にならないほどの気配を感じとり、ビクリと全身をこわばらせたかと思うと、  
顔色を変えて気配の感じたほう――すなわち鳥居のほうに顔を向けた。  
「おや? まだ終わっていないと思ったら……」  
鳥居から、こちらに向かって悠然と歩いてくる、若い男の姿が見える。  
その男は、自らの頭を軽くかきあげながら、さも意外そうな声をあげた。  
「な、何者だ!?」  
絹代が男に声を掛ける。その声は完全にかすれていた。  
悠然とした仕草とは裏腹に、男から感じ取れる気配の大きさに呑まれているのだ。  
 
「ああ、なるほど。君たちが邪魔をしていたのか……」  
「邪魔だと? す、するとあの娘は、お前が操っていたと申すのか!?」  
腕組みしたまま軽く絹代を一瞥し、ため息をつく男。  
絹代は思わず、地面に倒れている少女を指差しながら、問いかけていた。  
「まあ、そういうことになるのかな?」  
「こ、こんな娘を操ってまで……お前の目的は、いったい何なのだ?」  
首を軽く左右に揺らしながら、悪びれる様子もなく答える男に、絹代は再度問いかけた。  
「……知って、どうするというのかね? 素直に言うことを聞いてくれるのかな?」  
「いいから答えてもらいましょうか。返答しだいによっては……」  
男は苦笑いを浮かべ、両手を大きく広げながら、やや小ばかにした口調で絹代に返事をした。  
絹代からの返事は無く、代わりに佳乃がずい、と一歩前に踏み出し、男を睨みつける。  
「よ、佳乃!」  
思わぬ佳乃の行動に、絹代は佳乃の腕を取りながら叫んだ。  
――この男の気配は尋常ではない。今こそ悠然と構えてはいるが、男がその気になれば、  
自分と佳乃の二人では、とても敵わないだろう。それが分からぬ佳乃ではなかろうに……――  
絹代は緊張しきった表情で、佳乃と男の顔を見比べていた。  
「う〜ん。まったく、勇ましいことだね。……まあいいか。君たちは、死後の世界を信じるかい?」  
「は?」  
「な、何を……」  
男からの返事は唐突な言葉だった。唐突すぎて、思わず佳乃と絹代の目が丸くなる。  
だがその言葉に、二人の背後にいた夕那がビクリと身をすくめていた。  
しかし、男のほうに目を向けていた二人は、夕那のそんな様子には気がつかない。  
「まあ、どちらでもいいか。実は死後の世界、いわゆるあの世、という場所は本当にあるのだよ」  
「…………」  
ふたたび腕を組み、ゆっくりと腰を下ろす男。と、その腰が空中でピタリと止まり、足を組んだ。  
その格好はまるで、見えない椅子に腰掛けているようだった。  
絹代と佳乃はお互いの顔を見合わせ、油断無く身構えながら、男の話に耳を傾けていた。  
 
「人間に限らず、動物の類は死んでしまうと肉体を離れて精神だけの存在、  
霊魂というものになって、あの世に行くことになるのだけれども、何事にも例外はある。  
――親よりも先に死んでしまった霊魂というのは、あの世には行けないのだよ」  
そこで一旦言葉を切り、軽くため息をつく男。その視線が一瞬だけ夕那のほうへと向かった。  
男と目が合った途端、夕那はまるで、心臓を鷲掴みにされたような感覚を覚え、  
自分でも意識していないのに、足がガクガク震えだした。  
「そこは賽の河原といって、この世とあの世との境目にある、とても寒くて暗いところで、  
しかも意地の悪い連中が、様々な嫌がらせをしてくるんだ。  
……死んだ親が、同じ霊魂になって迎えに来てくれるまで、ね」  
軽く足を組みなおし、大げさに両手を広げ、ゆっくりと首を振った。  
口調こそは嘆いているように見えるが、どこか芝居じみたその仕草に、絹代たちは眉をしかめる。  
「だがしかし、子どもの命を奪った相手が、他ならぬ親だった場合はどうなると思うかな?  
答えは……子どもの魂は、賽の河原から出ることが出来ないのさ。……永遠にね」  
「で? それと彼女を傷つけたのには、何の関係があるというのですか?」  
右手を自らの顔の前にかざし、握りこぶしを固める男に対し、佳乃が話は終わったとばかりに、  
男を睨みつけたまま、背後の美由樹を指し示しながら問いかけた。  
「………君たち、ここまで言っても、まだ分からないのかい?  
わたしは、そんな救われない霊魂たちを、救おうとしているだよ。  
――そう、母親に殺され幽霊となってしまった、哀れな星崎由奈くんの霊魂も、ね」  
「え……? か、彼女が……」  
「「幽霊?」」  
男は絹代たちを見据えながら、見えない椅子から立ち上がるように、ゆっくりと腰をあげた。  
思いもよらなかった男の言葉に、思わず絹代と佳乃は振り返った。  
そこには真っ青な顔で、全身をガクガク震わせながら美由樹に支えられ、  
かろうじて立っているだけの夕那がいた――  
 

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