「何だ、二人とも知らなかったのかい。まあ、それなら仕方ないか。  
由奈くん……随分探したんだよ。さあ、こちらへ来たまえ……」  
「……ゆ、夕那……は…」  
ぽかんと口を開けたままの絹代と佳乃を見て、男は呆れたようにつぶやきながら、  
夕那に向かって手を差し伸べる。その夕那は虚ろな目で、口元をパクパク動かしていた。  
「ふ、ふざけないで。夕那ちゃんは……」  
「幽霊だろう? そして君は、それを承知で由奈くんをこの世に留めていた、と。  
……やれやれ、罪深いことだね。神に仕える巫女が、摂理に逆らう手助けとは、ね」  
そのとき、夕那を支えていた美由樹が、キッと男を見据えながら抗議の声をあげたが、  
男は平然とした顔で受け流し、軽く顔を横に向けて、ため息を漏らす。  
「か、勝手なこと……い、痛っ!」  
そんな男に向かって、美由樹は再び叫び声をあげるが傷口に響いたのか、  
こめかみに手を当てながら、顔をうつむかせた。  
「まったく………由奈くん。君はいつまでも、こんな場所にいるべきじゃないんだ。さあ……」  
「いる……べき、場所……」  
男は美由樹を一瞥したかと思うと、ふたたび夕那に向かって、悠然と語りかける。  
反射的に顔をあげ、つぶやき声をあげる夕那。その目は依然として虚ろなままだ。  
「そう、わたしが連れて行ってあげるよ。君が本当に、いるべき場所へ……」  
「ゆ、夕那ちゃん!?」  
夕那の独り言ともつぶやきとも言える言葉に、男は笑みを浮かべ、一歩足を踏み出した。  
男の言葉に操られるかのように、夕那が美由樹から離れ、フラフラと足を歩き始めたそのとき――  
 
「……ま、待て……」  
「え、ええっ!?」  
不意に、地面に倒れていた若い女が、蚊の鳴くような声とともに、夕那の足首を掴んだ。  
その光景を見て、心臓が飛び上がらんばかりに驚いたのは、佳乃だった。  
――な…なぜ彼女が!? た、確かに死んでいたはずなのに……!?――  
「おや? まだ意識が残っていたのかい? まったく、丈夫なことだね」  
「ああ、おかげさまで、ね。……ゆ、由奈、奴の言うことに、耳を貸すことなど、ないよ……。  
あんたは……いや、あんたたちは、お互いを必要としている相手がいるん……だろ?」  
「お互いを……必要?」  
佳乃の驚きをよそに、男は呆れたように肩をすくめ、女に向かって声をかける。  
女は男のほうを見もせずに軽く返事をし、夕那に向かって語りかけていた。  
夕那の足がピタリと止まり、足首を掴んでいる女を、虚ろな目で見つめながらつぶやく。  
「あ、ああ……。そ、それに……奴の本当の目的は、救われない魂の救済、なんかじゃあない。  
魂を我が身に取り込むことによって、自分の力としているだけなのさ……そうだろう?」  
 
「まあ、半分は合っているかな」  
夕那が自分のほうを見ているのに気づいた女は、軽く笑みを浮かべたかと思うと、  
視線を男に向けて、言葉を続けた。男は女の視線を軽く受け流し、悪びれる様子もなく、あっさりと頷く。  
「私と一体になり、永遠の存在となる。それこそが魂の救済なのだよ。間違ってはいないだろう?」  
「ほ……ほざけ。罪も無い連中の魂を取り込み続けて、生き続ける化け物、が……」  
大きく両手を広げ、訥々と語る男に向かって、女は吐き捨てるようにつぶやき、唾を吐いた。  
「化け物……か。その化け物の力によって、かろうじてこの世にとどまっているに過ぎない君が、  
由奈くんを連れてきて欲しいという、わたしの頼みごとを果たせなかった上に、そんな口を利くとはね。  
さすがに、そんな態度をとられて鷹揚に笑ってられるほど、わたしは寛大ではないのだよ?」  
距離が離れていたため、実際に女の唾が男に掛かることはなかった。  
男は口元にこそ笑みを浮かべていたが、段々低くなる声が、彼の今の不機嫌さを醸し出している。  
そして、男が喋り終わるとほぼ同時に、男が現れてから微動だにしていなかった少女が動き出した。  
いつの間にか手にしていた巨大な鎌を、地面に倒れている女へと振り下ろそうとして――  
 
「ぐ、ぐああっ!」  
ザクリという、肉が裂ける音とともに悲鳴が響き渡った。悲鳴の主は――佳乃だった。  
 
美由樹は、呆然と立ち尽くす夕那を、じっと見つめていた。  
絹代は、油断無く男を見据え、構えていた。  
佳乃は、死んでいると思っていた女が口を開いたことに驚き、混乱しながらも女を見ていた。  
ゆえに佳乃だけが、女を襲おうとしていた少女の姿が見えていた。  
そして、佳乃は女を庇おうと、少女と女の間に割り込んだのだ。  
 
「よ、佳乃っ!?」  
「佳乃さんっ!?」  
一瞬遅れて、悲鳴がしたほうを振り向いた絹代と美由樹は、  
その場にゆっくりと崩れ落ちる佳乃を目にして、思わず叫び声をあげていた。  
「佳乃さん!? しっかり、しっかりして!」  
「き、貴様っ! よ、よくも佳乃をっ!」  
「ん? 何を勘違いしているのだね? わたしは彼女を狙ったのだぞ?  
君のお仲間が勝手にその前に、立ちはだかってきたのではないのかな?」  
美由樹が佳乃を揺り動かし、懸命に声を掛けるが、佳乃はピクリとも動かない。  
絹代はふたたび男のほうに向き直り、男をキッと睨みつけた。  
だが男は、絹代の怒りのこもった視線を、肩をすくめながらあっさりと受け流し、ため息をつく。  
「ふ……ふざけるなあっ!」  
その言葉を耳にしたとき、絹代は文字通り、顔を真っ赤にさせながら、男に向かって飛びかかっていた。  
絹代の拳が、男の顔面を捉えようとした次の瞬間――  
 
「ぐ……っ、くう…は、離せえ……っ」  
「ふうむ……。遅い、遅いよ、君……。まあ人間にしては、素早いかなと思うけれどね」  
男はあっさりと、絹代の手首を捻り上げていた。  
痛みに顔をしかめる絹代に、くちづけするほどに顔を近づけながら男はささやいた。  
「わ……わらわは人間などではないわっ! …は、離さぬ、かっ!」  
「ほほう、そうなのかい? それは……興味深いかもしれないね……」  
男の手から逃れようともがきながら、絹代は男に向かって叫んだ。  
絹代の言葉に、男は多少驚いた表情を見せ、空いている手をゆっくりと絹代の胸元へと潜り込ませた。  
「なっ!? な…なに、を!?」  
「何だ……人間じゃないとは言っても、こちらは見た目相応な大きさ、だねえ」  
胸元をまさぐられる感触に、思わず声を上ずらせ、身悶えさせてしまう絹代。  
男は手のひらで、絹代の胸全体を撫で回しながら、大げさにため息をつく。  
「よ、余計な、お世、話じゃ……っ、あ……っ」  
絹代はぱっと顔をあげながら男を睨みつけるが、声が途中で上ずってしまう。  
男が人差し指を立てて、胸の頂を軽く擦りあげたのだ。  
「うく……っ、…く…」  
「さて。君ともっとお楽しみ、と行きたいところだが生憎と、  
先ほども言ったとおり、わたしは由奈くんに用があるのでね」  
絹代は、男がもたらす微妙な刺激に必死に耐えていたが、不意に男が絹代から手を離し、  
さも残念そうな表情を見せながら、夕那のほうへと顔を向けた。  
「ゆ、夕那ちゃん……」  
「由奈……」  
出血が止まらず意識を失ったままの、佳乃の傷口を必死に押さえつけながら、  
膝枕をしていた美由樹と、地面に倒れ伏したままの女が、不安げな表情で夕那に声をかける。  
「彼女たちに惑わされてはいけないよ、由奈くん。さあ……」  
男は美由樹と女には目もくれずに、夕那に優しく声をかけた。  
「………夕那は……夕那は…敏則さんと、離れたくない、です……」  
だが夕那はゆっくりと顔をあげ、じっと男を見据えながら、はっきりとした口調で男の誘いを拒んだ。  
いつの間にか、その目には生気が戻り、大粒の涙がポロポロと零れ落ちている。  
 
「ふう……仕方がない、か」  
「ん、そういうことですね。さっさと諦めて、ここから……」  
自分を拒む夕那を見て、男はゆっくりと首を振り、ため息をついた。  
そんな男に、美由樹は声を掛けようとしたが、その言葉が途中で止まった。  
男から感じられる気配が、急に悪寒と殺意を感じるものに変わったからだ。  
「それでは力ずくでも、一緒に来てもらうとしようか」  
男の言葉とともに少女の体が、まるで熱したロウのように溶け出して、地を這うひとつの塊となった。  
塊は物凄い速さで、男に向かって動き始めたかと思うと、いきなり巨大な手の形へと変化した。  
立ち尽くす夕那を背後から、そのまま握り込もうとしているかのように――  
「夕那ちゃんっ!」  
――だめだ、今から動いても間に合わない!――  
間に合わないとは知りつつも、美由樹は叫ばずにはいられなかった。  
 
次の瞬間、塊はふたたび地面を伝う形に戻ったかと思うと、あっという間に男の体にまとわりつき、  
背中に蝙蝠のような翼の生えた、タキシードのような服へと変化していった。  
「夕那……ちゃん…っ……」  
さっきまで夕那が立っていた場所には、誰もいなかった。  
信じられない事実に、がっくりとうなだれる美由樹。  
「…………何の真似かな、これは?」  
「……え?」  
だが男は、感情のこもってない声で、とある一点を見つめながら、首を傾げている。  
美由樹は男が見つめているほうへと、視線を向けた。  
「ふん、残念だったな。そうそう、お前の思い通りにさせてなるものか」  
視線の先には、夕那を抱きしめたまま、男に向かって憎まれ口を叩く、絹代の姿があった。  
 
「……ふう。まったく……そこまでわたしを怒らせるとは……。………覚悟したまえ」  
「なっ!? ぐ……ぐう…うっ……」  
男は右手をかざした姿勢で、呆れたようにゆっくりと首を振ったかと思うと、  
ぱっと顔をあげ、殺意のこもった声を絹代に叩きつけた。  
それとほぼ同時に、かざしていた男の右腕が触手のようにしなり、絹代の咽喉元へと絡みついた。  
不意に首を絞められ、息苦しさにくぐもった悲鳴を漏らす絹代。  
「散々わたしをコケにしてくれた礼だ。たっぷりと苦しみたまえ」  
「く……かは…あ…っ……」  
男は絹代の首を絞めたまま、ゆっくりと絹代を宙へと持ち上げた。  
絹代は男の手を掴み、ばたばたと足を動かして必死に抵抗するが、男の手はびくともしなかった。  
「や、やめて! もう離して! 夕那は、夕那はもう、どうなってもいいですからっ!」  
「だ……だめ、だ………そ、そん…な……ぐっ! ぐはっ! がはあっ!」  
そのとき夕那が泣きながら、男に向かって懇願し始めた。  
夕那の考えを押しとどめようと、絹代が口を開いたが、途中で悲鳴へと変わってしまう。  
男が絹代の首を絞める力を増し、さらにそのまま地面へと叩きつけたのだ。  
「君は黙っていたまえ。何度も言うが、わたしは由奈くんに用があるのだから…………ん?」  
そう絹代に向かって吐き捨てた男だったが、背後に何者かの気配を感じ取り、ゆっくりと振り返る。  
男の目に、鳥居からこちらに向かって、ゆっくりと歩いてくる人影が映っていた――  
 
月明かりに映し出された人影の正体は――絹代の父である、琢磨だった。  
「儂の娘をいたぶるのは、そこまでにしていただこうか」  
「ほおう、彼女は君の娘さんですか? ちょうど、親の顔が見たいと思っていたところなのですよ。  
まったく、かなりのお転婆に育てられたようですね……」  
琢磨は歩きながら、男に向かってゆっくりと声をかける。  
絹代から手を離し、触手を元の腕に戻しながら、男は呆れ顔で琢磨に話しかけた。  
「げ…げほ、げほっ……ち、父上! 佳乃が…佳乃が……」  
ようやく解放された絹代が咳き込みながら、琢磨に向かって佳乃を指差した。  
佳乃は依然として美由樹に膝枕をされたまま、微動だにしていない。  
「うむ……薫がこの場におれば、薬を持っているのだが……」  
「な、か、薫は? 薫は来ていないのか!?」  
琢磨のつぶやきに、絹代は目を真ん丸に見開いて叫んでいた。  
てっきり薫も、この場に駆けつけたものだと思っていたからだ。  
「う、うむ……。絹代もわかっておろう、酒が入った薫を無理に起こすと、どういうことになるか……」  
「そ…それは……そうだが……」  
絹代の抗議の声に、琢磨は顔を歪め、歯切れ悪そうに答える。  
『どういうことになるか』は絹代自身もよくわかっていたため、不承不承ながらも頷いていた。  
 
「君たち……今の状況を忘れていませんか? こうして平静に話しているように見えますが、  
わたしは今、君たちに邪魔をされていることで、実はかなり気が立っているのですよ?」  
絹代と琢磨のやりとりが終わったところで、男がゆっくりと口を開いた。  
腕組みをして、片足を何度も足踏みさせている仕草は、確かにいかにも不機嫌そうだ。  
「気が立っている………?」  
「な、なんですか?」  
だが、見る見るうちに顔が真っ赤に染まっていく琢磨に、  
じろりと睨みつけられると、男は思わず声を上ずらせてしまった。  
さらに、琢磨から感じるあまりの迫力の前に、足踏みさえも止まっている。  
「それは儂の台詞だ。我が村の者を傷つけてくれたのだ。この礼は、存分にさせてもらうぞ」  
「ほほう。……少しは、やりそうですね。………礼をさせていただくのは、こちらのほうですよ」  
ボキボキと右手を鳴らしながら、琢磨は男に向かって言い放ち、錫杖を構える。  
気を取り直した男もまた、背中から巨大な鎌を取り出し、油断無く身構えていた。  
「絹代、この者は儂が相手をする。佳乃たちの介抱は任せたぞ」  
「は、はっ。父上もお気をつけて」  
背を向けたまま、琢磨は絹代に声をかける。  
まるで、さっきのわらわと佳乃みたいだなと思いつつ、絹代は琢磨の言葉に頷いていた――  
 
「佳乃! しっかりしろ、佳乃!」  
社務所の布団に寝かせた佳乃に、絹代が懸命に声をかける。  
だが、佳乃は目を覚ますどころか、ピクリとも動かない。  
「お、落ち着いてください。……えっと……」  
「わらわの名は絹代じゃ! これが落ち着いていられるかっ!」  
思わず夕那が絹代に声を掛けるが、絹代は夕那に食って掛かっていった。  
「き、絹代さん。お気持ちはよくわかるのですが、今は傷の手当てをしなければ……」  
「あ……う、うむ……すまなかった」  
そんな絹代をたしなめるように、美由樹がそっと絹代の肩を叩きながら諭す。  
絹代は一瞬目を剥いて、抗議しようと口を尖らせかけたが、  
美由樹の言うことがもっともなので、おとなしく頷き、夕那に向かって非礼を詫びた。  
「では……よい…しょ。……う、うわ…っ」  
「うっ……」  
佳乃の傍らに座った美由樹はおもむろに、真っ赤に染まった佳乃の服をはだけさせた。  
肩口から臍の辺りまで、袈裟懸けに斬られた傷は思いのほか深く、豊かな乳房は真っ二つに裂け、  
心臓にまで達しているのか、傷口からは脈動とともに、血がドクドクと噴き出していた。  
美由樹の背中越しに、傷口を目にした夕那はあまりの痛々しさに、うめき声とともに顔を背けてしまう。  
「ん………仕方ない……ですね。夕那ちゃん、針と糸を持ってきて!」  
「は、はいっ」  
傷口に手を突っ込み、手探りで心臓が破れかけているのを確認した美由樹は、  
顔をしかめながら、顔を真っ青にさせている夕那に向かって、叫んでいた――  
 

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