「な! ぐ、ぐはあっ!」  
「どうした? 威勢がいいのは口だけなのか?」  
「……くっ」  
錫杖で腹を突かれてうずくまる男に、琢磨が余裕の表情で話しかける。  
肩膝をつき、琢磨を見上げる男には、すでに紳士ぶる余裕は消え去っていた。  
 
男と琢磨の戦いは、ほぼ一方的だった。  
琢磨は男の攻撃を、まるで読んでいるかのように、あっさりとかわし、  
男が攻撃から防御へと転じる、ほんのわずかな隙を突いて、的確に攻撃を当てていた。  
 
「もう終わりか? ならば、こちらから参るぞ」  
「え? な、ぐ、ぐがあっ!」  
終始受けに回っていた琢磨が、錫杖を放り投げるとともに、初めて攻めに回った。  
男が顔をあげた次の瞬間、琢磨の膝蹴りが男の顔面に炸裂していた。  
「くっ……こ、このっ! ぐうっ!」  
男は仰け反りながらも、琢磨に向かって鎌を横殴りに払う。  
だが琢磨は男の稚拙な攻撃を、まるでお辞儀をするように、  
上半身を折り曲げてかわしながら、その勢いで男の顔面に蹴りを見舞っていた。  
 
「ぐぶ……っ、!………」  
今度は琢磨の肘が男の鳩尾へと突き刺さり、思わず男はうずくまる。  
うずくまって下がった顎に、琢磨の下から突き上げる拳が見事に直撃し、  
男はたまらず、地面へ大の字に倒れこんでしまった。  
「……うっ! ……ぐ、ぐえ……っ…」  
「……く、っ……………。い、今は貸しにしておきます! 覚えていなさい!」  
と、琢磨が不意に、苦しそうに口元を押さえながら、その場にうずくまった。  
その隙に、男はふらつきながらも琢磨から離れ、捨て台詞を言い残し、  
背中の羽を頼りなく羽ばたかせて、この場から逃げ出していた。  
 
 
「ぐ……ぐげえ……っ。………ふう……不覚だったわ。まさか、ここまで効くとはな」  
境内で盛大に嘔吐した琢磨は、軽く口元を拭いながら、夜空を見上げてつぶやいた。  
昼間は佳乃の夫である、信幸の母に勧められた酒を、まさに浴びるほど呑んでいたのだ。  
夜になり、ぱっちりと目が覚めたことで、酔いも醒めたと思っていたのだが、  
男相手にひと暴れしたことで、ふたたび酔いが回ってしまったのだ。  
「それよりも……今は佳乃、だ……」  
男をみすみす、逃がしてしまったことも気がかりではあるのだが、  
それ以上に今は、身動きひとつしていなかった、佳乃の身が心配だった。  
琢磨は錫杖に寄りかかりながら、佳乃が運び込まれた社務所へと歩き始めた。  
 
「ん、これで……とりあえずは、血は止まりました。……あとは、ちゃんと病院へ行って……」  
額の汗を拭いながら、疲れきった表情の美由樹がつぶやく。  
佳乃の破れかけた心臓と傷口を、裁縫用の針と糸で無理矢理、縫い合わせたのだ。  
ひとつ間違えると、逆に傷口を広げかねない、まさに文字通り、神経をすり減らすような作業だった。  
「佳乃……」  
心配そうに、佳乃の手を握り締める絹代。  
だが佳乃は、主人の声にも何ひとつ反応しようとはしなかった。  
「……ど、どうじゃ、佳乃の容態は?」  
「ち、父上! ……父上こそ、ふらついているようだが大丈夫なのか? あ、あ奴はどうしたのだ?」  
と、そこに琢磨が姿を現した。  
絹代は足取りもおぼつかない様子の琢磨を目にして、不安げな表情で琢磨に問いかける。  
「う、うむ……儂は大丈夫だ……。彼奴には隙を突かれて、うまく逃げられおった」  
心配する我が娘に、まさか『昼の酒が原因でふらついていて、挙句に逃げられた』などとは言えず、  
さりとて嘘を言うわけにもいかず、肝心な理由を隠して、曖昧に返事をする琢磨。  
「そ、そう……ですか。逃げられ……ましたか」  
その言葉に、佳乃がここに運び込まれてからは、ひとことも発しようとしなかった女が、  
つぶやきとともに、落胆のため息を漏らす。  
「う……す、すまなかった。彼奴を逃がしたのは、完全に儂の不覚だったわ」  
「い、いえ。あなたを責めているわけではありません。ただ……」  
女の落胆振りが、あまりにも大きかったので、思わず琢磨は深々と頭を下げていた。  
そんな琢磨に、女は慌てて首を振りながら、顔をあげるように声をかけ、遠い目を見せる。  
「そ、そうか……。しかし、いったい何がどうなっておるのだ? 彼奴は何者だったのだ?」  
「それは、その……」  
女の言葉に顔をあげた琢磨は、顎鬚をさすりながら、誰に言うとも無くつぶやいた。  
美由樹は簡単に、今夜起こったことを琢磨に説明し始めた――  
 
 
「く……っ」  
月明かりの下、弱々しい足取りで歩く男。鳩尾にズキリと痛みが走り、思わず立ち止まった。  
 
――何者だったのだ、あの男は? あと少しで、由奈の魂が手に入ったというのに、  
まさかあんな邪魔が入るとは………。まあ、親に殺された子どもの魂なんて、幾らでも手に入る。  
そのうちのひとつに過ぎない由奈の魂に、そこまでこだわることもあるまい――  
 
気を取り直した男は痛みをこらえ、ふたたび歩き始めた。  
「ん?」  
「…………………」  
だが、その歩みがほんの2,3歩で止まってしまう。前方に、無言で立ち尽くす人影が見えたからだ。  
 
――やれやれ、どうやら……さっきの連中のお仲間、だろうな。服装からしても――  
 
人影は――琢磨たちと同じように、山伏の格好をした女だった。  
軽くうつむき加減な上に、まるで漆黒の闇を切り取ったような、  
黒くて長い髪が顔の半分を覆っているために、その表情を窺い知ることはできない。  
男は心の中で軽くため息をつき、ゆっくりと首を振りながら、冷静に女を観察し始めた。  
 
――しかし、男の出鱈目な強さに比べ、この女はそうでもなさそう、か。  
せいぜい、あの男の娘と同じようなものだろう。ならば、慌てることもない。  
それにさっきの場所は、妙な力に邪魔をされて、すべての力を引き出すことが出来なかった。  
だが、ここなら大丈夫だ。負ける要素など、微塵もあるはずがない――  
 
「どうされたのですか? こんな時間に、女性の一人歩きは危険ですよ?」  
「…………………」  
目の前の女性を、琢磨よりも格下と判断した男は、気を取り直して慇懃な口調で話しかけた。  
だが、女からの返事は無く、相変わらず表情を読むことも出来ない。  
 
――ううむ……まったく返事がないとは意外な反応、というべきか……。  
よく見ると、腰に刀のようなものを差しているようだが……それが彼女の余裕の理由、か。  
まあ、これだけの距離があれば、彼女が何かしてきたとしても、簡単にかわせるだろう。  
……っと、あまりもたもたしていると、さっきの男が追いかけてくるかもしれないな。  
やはりここは、さっさとこの女を始末して、この場から立ち去るのが正解か……――  
 
「まったく……。人の忠告は聞くべき、ですよ? φσν&οχ ιμθθμ!」  
皮肉な笑みを浮かべながら、男は地面に向かって手を突き、何事か唱えた。  
男の目論見どおりならば、これで女は異次元に引きずり込まれる――はずだった。  
「な、何っ!?」  
「遅いですよ、あなた……。まあ人間よりは、素早さそうですけどね」  
だが次の瞬間、男は何者かの気配を背後に感じとり、思わず振り返った。  
いつの間に移動したのか、そこにはたった今まで前方にいたはずの女が立っている。  
かと思った直後、女の腕が腰から肩へと動き、つられて銀色の糸が走った――ように男の目に映った。  
同時に、男の背中に生えていた翼が、ボトリと音を立てて地面に落ちた。  
 
女は、あっという間に男の背後まで移動したかと思うと、手にしていた刀で背後から切りつけたのだ。  
「ぐ、ぐぎゃあああっ!! あ…ああ……あ……」  
遅れて背中を激痛が襲い、男は思わず叫び声をあげてしまう。  
女の太刀筋は、寸分たがわず男の背を斬り裂いていたのだが、何故か斬られた場所からは、  
血が一滴も溢れることなく、代わりに何やら黒い霧のようなものがあふれ出し、  
月明かりを受けてキラキラ輝きながら、宙を舞っていた。  
 
「随分あっけないものですね。これくらいで……ん?」  
もがき続ける男を、女は拍子抜けした表情で見下ろしていたが、その目が前方へと注がれる。  
さっきまで、自分が立っていた場所から、真っ赤な腕のような、触手のようなものが何本も現れ、  
物凄い速さで、こちらに向かってきていたのだ。  
「くは…あ、あっ……し、しまっ! う、うわあああっっ!!」  
触手の一本が、地面を転がる男に絡みついたかと思うと、次々と男へと絡みついていった。  
「た、助け……な、あがっ!?」  
「フン、人を巻き込もうとしておいて、調子が良すぎるんですよ」  
男はよろめきながらも上半身を起こし、必死に目の前の女へと救いの手を求めた。  
だが女はその手を払いのけ、容赦なく男の顎に蹴りを見舞ったかと思うと、  
わが身にも迫り来る触手から逃れるように、軽やかに宙へと舞い上がった。  
 
舞い上がって――そのまま、地面に降りては来なかった。  
女の背中から、やはり髪の毛と同じく、漆黒の闇を思わせる、  
見事に真っ黒い鳥の翼が生え、バタバタと羽ばたいていたのだ。  
「た、たす、たすけ……い、いや……いやだあああっっ!」  
男は仰向けになり、何本もの触手に巻き込まれながら、必死に宙を舞う女に向かって叫び続ける。  
だが女は、男が触手に巻き込まれ、そのまま地面に引きずり込まれていても、  
眉ひとつ動かすことなく、ただじっと男を見つめていた。  
 
「さて、と……」  
やがて、触手と男が地面へと沈み込み、完全に姿が見えなくなったとき、女は地面に降り立った。  
「ふむ……」  
肩ひざをつき、男と触手が消えた辺りを手で探りながら、鼻を鳴らす。  
 
――私が目を覚ましたとき、部屋には琢磨ちゃんも絹代ちゃんも、佳乃もいなかった。  
おそらくは、こいつの気配を感じ取って、こちらに向かったのだろう。  
……と、思うのだが、だとすると琢磨ちゃんたちと、こいつの間に何があったのだろうか。  
絹代ちゃんや佳乃はともかくとして、琢磨ちゃんならこんな程度の相手に遅れをとるはずが無い――  
 
「まあ、行ってみればわかること……か」  
女はゆっくりと立ち上がり、男が歩いてきた方向を見やったかと思うと、  
背中の羽根を羽ばたかせ、ふたたび宙へと舞い上がった――  
 
 
社務所では、未だに意識が戻らない佳乃を皆で囲んでいた。  
お互い、言葉が言葉にならず、微妙な沈黙が場を支配している。  
 
バンッ  
 
が、そんな沈黙を打ち破るかのように、襖が勢いよく開かれた。  
そこには、琢磨や絹代たちと同じく、山伏の服装をした薫が立っている。  
「あ、か、薫!」  
「よ……佳乃っ!? ど、どうしたというのですか!? 佳乃!」  
薫は、驚きの声をあげる絹代には目もくれず、布団に横になっている佳乃の枕元へと駆け寄った。  
「す、すみません………わ、私をかばったばかりに……」  
「佳乃っ、目を覚ましなさい! あなたにもしものことがあったら、  
残された信幸様や幸乃ちゃんは、どうなると思ってるの!?」  
女がうつむきながら、ぼそぼそつぶやくが、薫は女の声にも耳を貸さず、  
今度は佳乃の肩を激しく揺さぶって、目を覚まさせようとする。  
「か、薫! お、落ち着け!」  
「琢磨ちゃんっ! あなたがついていながら!」  
さすがに慌てた様子で、絹代が薫を背後から羽交い絞めにして、押さえ込もうとする。  
だが薫は、背中に絹代をぶら下げたまま、今度は琢磨のほうに振り返り、食って掛かった。  
「す、すまぬ……不覚であった……」  
薫の言葉に目を伏せ、ただポツリとつぶやく琢磨。  
 
実際のところ、琢磨が駆けつけたときには、既に佳乃は深手を負っていたのだが、  
それを口にしたところで、自分を「ちゃん」呼ばわりする状態の薫が、  
素直に納得するとは思えなかったので、あえて何も言わなかった。  
 
「………まったく。で、佳乃はやはり、黒ずくめの男にやられたのですか?」  
「く、黒ずくめの男? あ、あなた、彼に遭ったのですか?」  
黙り込む琢磨を見て、佳乃に向き直った薫は、そっと佳乃の頬を撫でながら、ため息をつく。  
薫の言葉を聞きとがめた、佳乃にかばってもらった女がはっと顔をあげ、思わず薫に聞きなおす。  
「ええ。何だか、自分で仕掛けた罠に、勝手に嵌まってたみたいですけれど」  
女をちらりと横目で見ながら、薫は吐き捨てるように答える。  
「え? わ……罠? ………も、もしかして、突然足元の地面から、手が生えてくる……?」  
「ええ。よくご存知ですね」  
「あ、あなた……あ、あれをかわされた、のですか?」  
「そんなことはどうでもいいです。それよりも今は佳乃です。佳乃は大丈夫なのですか?」  
いかにも興味が無い、という風に答える薫に、女は尚も問いかけてくる。  
さすがに機嫌が悪くなってきたのか、薫は半ば強引に女との会話を打ち切り、美由樹に問いかけた。  
「は、はい……。一応、血止めはしましたが……わたしたちでは、これ以上は……」  
だが美由樹は、顔をうつむかせたまま、ゆっくりと首を振るしかなかった。  
 
 
「ふ〜う、ただいま〜。……随分賑やかみたいですが、どうしたのですか〜?」  
と、突然のんびりとした声とともに、琵琶を抱えた和服姿の女性が、ひょっこりと廊下から顔を出した。  
多少、酒が入っているのか、その頬はほんのりと赤く染まっている。  
そんな彼女の姿を見て、その場にいた夕那以外の全員が、それぞれに叫び声をあげる。  
 
「さ、沙羅様っ!」  
美由樹は、社の主が戻ってきたという安堵感からか、泣き出しそうな表情で。  
「え!? べ、弁天様っ!?」  
女は一年前に、夕那の魂を奪おうとしたときに邪魔をされた弁天と、  
思わぬところで再会したことで、複雑そうな表情で。  
「弁天様!?」  
絹代は女の叫び声を耳にして、目の前の女性が弁天であるという事実に、心底驚いた表情で。  
「な……なんと……」  
「ま、まさか……」  
琢磨と薫は、この神社に漂っている、どことなく安心できる気配の源を目の当たりにして、  
どこか納得したような、その一方で神である弁天が実在することが、信じられないという表情で。  
 
「あ。夕那ちゃん、あれから彼氏と、仲良く元気にしてますか〜?」  
「え? あ、は、はい……」  
ただ一人、ひと言も発せずにぽかんと口を開ける夕那に、沙羅は小首を傾げながら話しかけた。  
が、夕那はなんと言っていいのかわからず、しどろもどろに返事をするのがやっとだった。  
 
「うふふっ、それは何よりです……あら? あなた方は、確かお昼に……」  
「さ、沙羅様! その花嫁さんがっ……!」  
夕那の返事に、にっこりと微笑んだ沙羅は、フラフラした足取りで部屋に入り込もうとして、  
琢磨や絹代たちがいることに、ようやく気がつき、軽く会釈をする。  
美由樹は、今にも泣き出しそうな表情で、横になっている佳乃を指差しながら叫んでいた――  
 
「まあ、そういうことだったのですか……わかりました。彼女はわたくしが、なんとかいたしましょう」  
「沙羅様……」  
美由樹から事情を聞いた沙羅は、自らの胸に手を当てながら、にっこりと微笑む。  
「お、お願いいたします、弁天様……」  
「お願いなんて、とんでもない。せっかくここで、結婚式を挙げた方なのですから。  
その翌日に、花嫁さんにもしものことがあったとなったら、わたくしの沽券に関わりましてよ」  
深々と土下座する薫に、沙羅は鷹揚に答えたかと思うと、軽くおどけながらウィンクしてみせた。  
 
 
「さて……と。まあ、綺麗な肌……」  
部屋から全員を追い出し、佳乃と二人きりになった沙羅は、そっと佳乃の服をはだけた。  
糸で縫われた傷跡が痛々しいものの、透き通るような白い肌が露わになる。  
「……ん。ちゅっ……」  
佳乃の傷口に、沙羅は軽くくちづけをする。だがそれでも、佳乃はピクリとも反応しない。  
「んふ……っ、ん……んっ……」  
さらに舌を伸ばし、傷口に沿ってゆっくりと這わせ始める沙羅。  
興奮しているのか、沙羅の息遣いが少しずつ荒くなっていく。  
「……っ、れろ……っ、ん、ごくっ……」  
傷口を塞いでいた糸に手を伸ばし、思い切り引っ張った。  
張力が限界に達した糸が、プチリと音を立てて千切れたかと思うと、傷口から再び血が流れ始める。  
沙羅は迷うことなく、傷口に舌を這わせて血を舐めすくい、そのまま咽喉を鳴らして飲み下していった。  
 
「うん……んふ、っ……んんっ…」  
しばしの間、沙羅は佳乃の傷口に舌を這わせ続けていたが、不思議なことが起こり始めていた。  
傷口から、絶え間なく溢れ出ていた血液の量が、少しずつ減っているのだ。  
それどころか傷口の境目も、段々目立たなくなっている。  
「……っ。……んふ、んっ」  
やがて、血液が流れなくなったと同時に、佳乃の肌からは傷口すらも無くなっていた。  
「……っと。少し、やりすぎましたかしら?」  
佳乃の胸の頂を見つめながら、沙羅は困ったような顔を見せ、ポツリとつぶやく。  
本人が意識を失っているのにも関わらず、そこだけはピンと天を向いてその存在を主張していたのだ。  
「でも、ま……少しだけ、なら……っ、んっ……」  
悪戯心が芽生えた沙羅は、軽く舌なめずりをしたかと思うと、そっと佳乃の胸に吸いついた。  
吸いついたまま、舌先を胸の頂に絡ませて、口の中で動かしてみると、  
コロコロとした心地よい感触が、沙羅の舌に届く。  
「っ、……っ、んっ、んふ…っ…ん……っ、んんっ……」  
さらにくちびるをすぼませ、軽く吸い上げてみた。すると沙羅の口の中に、ほのかな甘みが走る。  
最初は軽い悪戯のつもりだったのだが、咽喉を潤す液体のあまりの美味しさに、  
思わず沙羅はすべてを忘れ、しばしの間、佳乃の胸に夢中になっていた――  
 
「……っ。ん、っ……」  
突然、すべてを思い出したかのように、沙羅はぱっと顔をあげ、佳乃の胸から離れた。  
 
―-いけない、いけない。このままじゃ――  
 
心の中で舌打ちをした沙羅は、気を取り直して自らの着物をはだけた。  
同時に沙羅の豊かな胸が、まるで縛めを解かれたかのように、プルプル震えながら姿を現した。  
「あは……あ、ああっ……」  
沙羅がゆっくりとした仕草で、佳乃の上に圧し掛かると、お互いの胸が押しつけ合わされ、  
その圧力に耐え切れずに、二人の胸が潰れ、左右に押し広げられる。  
思わぬ刺激だったのか、沙羅が上半身をピクリと震わせ、口から艶めかしい吐息を漏らす。  
「……はあ、あっ、あんっ……んっ、ん……っ、っ……」  
再び理性が飛びかけた沙羅だったが、両手を佳乃の頬にやさしく沿えながら、  
そのままくちびるを奪ったかと思うと、まるで人工呼吸をするかのように、呼気を佳乃の中へと送り込む。  
「っ、んふ……っ、んん…っ…ん、んっ……」  
呼気を送り続けたまま、沙羅がゆっくりと前後に体を動かし始めた。  
お互いの胸の頂が擦りあわされ、感じる刺激に沙羅の呼気が乱れそうになる。  
 
「…っ、んふっ。……ん、んんっ、んんんっ……」  
沙羅は佳乃の太ももを、自らの両足で挟み込むようにして、体の動きを早めた。  
下腹部から伝わる刺激に、目の前でチカチカと火花を散らされたような錯覚を覚えてしまう。  
すでに沙羅の下腹部は、しとどに濡れそぼっているようで、沙羅の腰が往復されるたびに、  
佳乃の太ももが少しずつぬめりを増し、にちゃにちゃと妖しい音を立てる。  
 
「んっ! んんっ! んっ、んーっ!」  
沙羅が右手をそっと、自らの下腹部へと添える。  
たったそれだけのことなのに、沙羅は全身を突っ張らせながら、激しく悶える。  
さらに左手で佳乃の下着を脱がし、下腹部へと手を添えようとして――その手がピタリと止まった。  
 
――そ、そうでした。こ、この方は、すでに操を捧げたお相手が、いらっしゃったのでした――  
 
「……で、でも……は、あ、ああっ、あああっ!」  
一瞬、未練がましい表情を見せた沙羅は、佳乃からそっとくちびるを離し、  
艶めかしく喘ぎ声を漏らしながら、自らの秘部へと指を潜り込ませ、激しく抽送し始めた。  
「んっ、ああっ、イク、イッちゃう、イッちゃううーっ!」  
やがて沙羅は全身を仰け反らせ、絶頂へと達したかと思うと、そのまま佳乃の胸へと顔を埋めていった。  
 
「……はあ、はあ、はあ、はあ……」  
肩で大きく息をさせながら、沙羅はゆっくりと体を起こし、佳乃をそっと見下ろす。  
 
――ふう、少しばかり……調子に乗りすぎて、しまいましたですわね……――  
 
佳乃は、意識こそ回復してはいなかったが、あんなに大きかった傷跡はすっかり消え失せ、  
今はただ、静かに眠っているように見える。  
 
「ごめんなさい……。きっとこれは、お酒のせい……いいえ、それはただの言い訳……」  
沙羅は侘びの言葉を述べながら、佳乃の髪を軽くたくしあげる。  
確かに正月ということで、七福神仲間から勧められた、酒を多少は口にしていた。  
だからと言って、それをすべての原因にするわけにはいかない。  
「そう……久々に体が疼いたのは、本当のことですからね……」  
はだけた佳乃の服を直しながら、沙羅はポツリとつぶやく。  
胸元を閉じ合わせようとして、ピタリと手を止め、佳乃の胸をじっと見つめた。  
ふたたび、胸の鼓動が早くなるのがわかる。  
 
「……っと。これ以上こんなことをしていたら、あなたにも、  
あなたの旦那様にも、娘さんにもお母様にも、怒られてしまいますわね……」  
ペロリと舌を出しながら、沙羅はそっと佳乃の胸元を閉じ合わせた。  
 
 
「あっ、さ、沙羅様っ!」  
「ふ〜う。お、お待たせしました。あとは一日安静にしていれば、大丈夫でしょう……」  
襖が開き、隣の部屋で佳乃を癒していた沙羅が、深呼吸をしながら入ってきた。  
美由樹が顔を上げ、不安そうに声をあげる。  
そんな美由樹をやさしく見つめた沙羅は、自らの額の汗を拭い、  
大きく息を吐きながら、つぶやくように言った。  
「べ………弁天様…な、何とお礼を申せばいいのか……」  
「そ、そんな……。礼を言わねばならないのは、むしろこちらのほうです。  
美由樹さんと夕那ちゃんの危機に、わざわざ駆けつけてくださったのですから」  
沙羅の言葉に感極まったのか、薫が大粒の涙をぽろぽろ流しながら、ふたたび土下座をしてきた。  
多少慌てた様子で、沙羅は手をパタパタ振りながら、薫に向かって頭を下げる。  
「い、いやいや。弁天様に頭を下げていただくなどとは……」  
今度は琢磨が、すっかり恐縮した様子で深々と頭を下げてきた。  
「あ、あのう……頭を下げあうのはいいのだが、佳乃の場所に行っても構わないかのう……」  
「え? あ、そ、そうですね。それがいいと思います、ええ」  
頭を下げあっている沙羅や琢磨に、絹代がおずおずと声をかける。  
沙羅がぱっと顔をあげ、ぎこちない笑みを浮かべながら、しどろもどろに答えていた。  
 
「本当によろしいのですか? もう少し、横になられていたほうが……」  
「大丈夫ですよ。佳乃だって、そうやわな体ではないですから。  
……それに、目が覚めて母親がいないと、幸乃ちゃんが心配しますでしょう?」  
「ああ、それもそうですね……。では、お気をつけて……」  
夜明け前、家に帰るという琢磨たちに、沙羅が心配そうに小首を傾げながら、声をかけた。  
だが、薫は背におぶった佳乃をちらりと見て、沙羅に向かって問いかけるように答える。  
それで何かを納得したように、沙羅はにっこりと微笑みながら、軽く頭をさげた。  
「ほ、本当に、ありがとうございました!」  
「なあに、行きがかり上のことだ。気にするでない。  
それに……まだまだわらわも、修行が足りないとわかったしな」  
「そ、そうなんですかあ。山伏の修行、頑張ってくださいねえ」  
夕那が絹代に向かって深々と礼をするが、絹代はけろりとした顔で返事をしたかと思うと、  
軽く顔をしかめ、拳を握り締める。そんな絹代に夕那は一瞬、目を丸くさせたが、  
すぐににぱっと微笑み、絹代の拳を両手で握り締め、ブンブンと手を振った。  
「ん、ま、まあな。……おぬしも元気で、な」  
「はあい。夕那は、いつでも元気ですよお」  
あまりにも、あっけらかんとした夕那の態度に、今度は絹代が目を丸くさせる。  
夕那は絹代から手を離し、ピシリと敬礼をしながら、満面の笑みで絹代に返事をしていた――  
 
「さて、と。お次は美由樹さんの番、ですね」  
「え? わ、私はよろしいです! 沙羅様の御手を煩わせるなんて……!」  
琢磨たちと別れ、部屋に戻った沙羅は、美由樹のほうを見ながら、ゆっくりと声をかける。  
その言葉に、美由樹は慌てふためき、思わず後づさってしまう。  
「何を言っているのですか。顔は女の命なんですから、いつも綺麗にしておかないと、ね?」  
だが沙羅は、包帯に覆われた美由樹の頬に手を添え、慈愛に満ちた表情でささやく。  
「さ、沙羅様……」  
「大丈夫ですよ。今日は怪我を治すだけ、ですから」  
それでも、どこか不安げな表情を見せる美由樹に、沙羅はウィンクしながら微笑みを浮かべた。  
「……そんなわけで、すぐに戻りますから、お二人さんはお茶でも飲んで、ゆっくりしていてくださいな」  
「え、あ……」  
「は…はい……」  
微笑みを浮かべたまま、夕那と女のほうを振り向く沙羅。  
沙羅に話しかけられた二人は、揃ってあっけにとられた表情で、口をパクパクさせながら、  
部屋から立ち去る沙羅と美由樹の後ろ姿を見送っていた。  
「えっと。………お茶、飲みます?」  
「い、いや、遠慮しとくわ……」  
残された夕那は、本当に女に茶を勧めようとしたが、女はゆっくりと首を横に振っていた。  
 
「ふ〜うっ。さすがに少し、疲れました。申し訳ないですが、これで休ませていただきますね」  
待つことしばし、美由樹とともに戻ってきた沙羅は、  
さすがに疲労困憊しきった表情で、首を左右に揺らしながら言った。  
「は、はい。ごゆっくり、お休みくださいませ。さ、夕那ちゃん。急がないと、夜が明けちゃいますよ」  
「あ、はあい」  
先ほどの佳乃のように、傷跡がすっかり癒えている美由樹は、  
沙羅にぺこりと頭を下げたかと思うと、腕まくりをしながら夕那に声をかけた。  
夕那もまた、美由樹と同じように腕まくりをしながら返事をする。  
「それじゃ、私はこれで」  
「ちょ、ちょっと待った。あなた、これからどこへ行くと言うのですか?」  
二人のやりとりを、穏やかな表情で見ていた女は、ゆっくりと立ち上がり、  
部屋を後にしようとするが、沙羅が小首を傾げながら問いかけた。  
「私は……死ぬことも生きることも出来ない、半端な存在ですから……」  
「ううん。じゃあ、ここで暮らせばいいんじゃないですか?」  
「え? そ、それ、は……」  
 
顔をうつむかせ、ぽそぽそとつぶやく女に、沙羅はあっさりと答える。  
沙羅の言葉に、女は思わずぱっと顔をあげ、戸惑い気味に返事をしていた。  
「大丈夫ですよ。貞晴……おっと、ここの宮司には、ちゃんと言い聞かせときますから」  
小首を傾げたまま、おどけて口元に人差し指を添えながら、沙羅はウィンクをする。  
「お、お忘れですか? 私は去年……」  
「ああ、すっかり忘れちゃいました」  
女は顔をあげ、泣き出しそうな顔で沙羅に向かって声をかけようとするが、  
沙羅は女の言葉を遮るように、あっさりと言った。  
「過去がどうこう、なんて気にしてはいけません。大事なのはこれから、なのですから、ね?」  
「で、でも……」  
「大丈夫ですよお。夕那も巫女初心者ですし、初心者同士、頑張りましょうねえ」  
優しく諭すように、女へと語り掛ける沙羅だが、それでも女はちらちらと、夕那を横目で見ながら口ごもる。  
だが夕那は、女に向かってにぱっと微笑みを浮かべ、女に向かって右手を差し出していた。  
「あ、あ……ありが…と……」  
女は夕那が差し出した右手に、すがりつくようにしがみつきながら、声を詰まらせていた――  
 
 
「ん? こ、ここ……は?」  
「あ、よ、佳乃……大丈夫か?」  
目を覚ました佳乃は、今の状況が飲み込めずに、怪訝そうな声を漏らす。  
と、そんな佳乃に、絹代が心配そうに声をかけてきた。  
「はい、われは大丈夫で……か、薫姉っ!?」  
主人の呼びかけに答えながら、辺りを見渡した佳乃は、  
自分が薫に背負われていることに、ようやく気がつき、驚きの声をあげる。  
「ん、元気そうだね。よかった……」  
薫は佳乃のほうを振り向き、優しく声をかけた。  
その顔は、佳乃が今まで目にしたことがないくらい、優しく穏やかな表情だった。  
「お、降ります! 薫姉!」  
「ま、たまにはいいじゃないの。懐かしいよ、まるで昔に戻ったみたいで」  
佳乃は慌てて、薫の背から降りようとするが、薫は穏やかな笑みのまま肩をすくめ、遠い目をする。  
「薫姉……」  
佳乃もまた、薫の背に負われていたことを思い出したのか、遠い目でつぶやく。  
「でも、大きくなったものだね。やっぱり、赤ん坊の頃とは勝手が違うか」  
「当たり前だろう薫。佳乃はもう、れっきとした母親なのだぞ」  
よいしょ、とおぶっていた佳乃を背負いなおしながら、薫は苦笑いを浮かべた。  
そんな薫に、呆れかえったように、絹代が声をかける。  
 
「そうですね……。素敵な殿方と巡り会って恋をして、子どもができて母親になって……。  
背中におぶっていた頃には、思いも寄らなかったのに、ね……」  
「か、薫姉……」  
絹代の言葉に薫は頷き、明るくなりかけている空を見上げてつぶやく。  
薫のつぶやきに、佳乃の胸の鼓動が高まり、目頭がじわりと熱くなっていた。  
「そ、それにしてもだ、佳乃よ」  
「は、はい」  
と、今までひと言も発しなかった琢磨が、遠慮がちに声をかけてくる。  
佳乃は琢磨の問いかけに、涙交じりの声で返事をした。  
「仲がいいのは結構なこと、なのだがな……その、何というか……。  
来客中くらいは、慎んだほうがいいと思うのだが……」  
「き……聞こえていた、のですか?」  
琢磨の言葉に、佳乃の胸の鼓動がふたたび高まり、全身がかあっと熱くなる。  
「ええ。襖一枚でしたから、筒抜けでしたよ。まったく、お熱いことで……。  
この分だと、幸乃に弟か妹が出来るのもすぐ、なのかな?」  
「幸乃に弟? どういうことなのだ、薫?」  
顔を背ける琢磨に代わって、薫が悪戯っぽい笑みを浮かべ、佳乃のほうへと振り返った。  
薫の言葉を聞きとがめた絹代が、怪訝そうな顔をしながら、薫へと問いかける。  
 
「あ、その……お、降ります! 薫姉っ!」  
「ふふっ……。それにしても、あの子守唄、ちゃんと覚えていたんだね」  
佳乃は慌てて、さっきとは違う勢いで、薫の背から降りようとする。  
だが薫は、佳乃を下ろそうという気はまったく無く、嬉しそうに佳乃に向かって話しかける。  
「え……あ、こ、子守唄……」  
「う、うむ。儂も薫も、あの歌声に誘われて、ぐっすり眠ってしまったぞ、うむ」  
薫の言葉に、佳乃の動きが一瞬、ピタリと止まった。琢磨が視線を逸らしたまま、相槌をうつ。  
そう、佳乃の子守唄で眠りについていたのは、幸乃だけでは無かったのだ。  
「で、あれから本当に、ひと晩寝ずに頑張ったの? お若いね、お二人さん」  
だが薫は、そんな佳乃に追い討ちをかけるように、ふたたび悪戯っぽく微笑む。  
「い……あ、その……」  
――あの日は信幸様も眠ってしまったから、続きは出来ませんでした!――  
と叫ぼうとしたが、さすがに墓穴を掘ることになるので、咽喉まで出かかった言葉を飲み込む佳乃。  
「なあ佳乃。幸乃に弟とは、どういう意味なのだ?」  
「その、えっと……か、薫姉っ!」  
薫から返事が無い絹代は、業を煮やして佳乃へ直接問いかけた。  
佳乃はしどろもどろになりながら、薫に向かって叫びながら思った。  
 
――もしかしたら、お義母さまにも、いつも聞こえてらしたのかしら……?――  
 

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