「う……うむ。だが、だがまさか…………?」  
自分の両手を見つめたかと思うと、首を傾げる佳乃。いや、これは白菊と言うべきか……。  
「な、なあ。佳乃は…佳乃はもしかして、この中に……?」  
「………………ううむ………」  
「何が…どうなっているっていうんだよ………!?」  
俺の言葉を無視し、首をひねり続ける白菊の態度に業を煮やし、俺は白菊の両肩を掴みあげ、叫んだ。  
「ええっと……何から話せばいいのか……」  
「最初から! お前とこの刀の関係は!? 佳乃はどうしたら、元に戻るんだよ!?」  
「……う、うむ。分かった。心はわらわ、身体はその刀という、一心同体の存在が、”白菊”なのだ」  
俺の態度に驚いたのか、白菊はポツポツと喋りだした。なるほど…って、ちょっと待てよ。  
「心はお前って、さっきまで俺たちはお前の身体に触れてただろ? あれは何なんだ?」  
「あれは、わらわの……仮初めの姿。あの姿を捨てたとき、術は完成して真の身体、  
すなわち信幸様が手にしている、刀の姿に戻り、わらわは刀を依り代とした存在となる……」  
仮初めの姿? だとすると、俺たちは刀を抱いたりしていたのか……?  
「……はずなのだが、わらわの心は姉君様の身体に入り込んでしまった………」  
いや、そんなことは今はどうでもいい。今は佳乃の心がどうなるか、が先だ。  
「で? ど、どうすれば、お前の心は佳乃の身体から出て行って、佳乃の心は元に戻るんだよ!?」  
「そ、それは…………。申し訳ございませぬ、わらわにも、その方法は分かりかねまする……」  
肩を落とし、うな垂れる白菊。俺も身体から力が抜け、その場にへたりこんでしまった。  
 
「の、信幸様………」  
「何?」  
どれだけそうしていたか、不意に白菊が声を掛けてきた。思わず反射的に返事をしたが、  
思いも寄らない白菊の次の言葉に、俺は目を丸くさせるしかなかった。  
「い、いつまでもこうしていても、埒があきませぬ。とりあえず、お戻りになられては如何でしょう?」  
「……………へ?」  
「信幸様がここへ来られたのは、わらわを……刀の白菊を、我が手にするためでありましょう?  
であれば、目的は遂げられたも一緒なのではありませぬか?」  
「し、しかし、このままでは佳乃が………」  
何を言っているんだ。こんな状態で戻ったら、訳が分からんことになるだろうが。  
そう思った俺は、答えに窮していた。が、白菊が毅然とした表情で俺の言葉をふさぐ。  
「確かに仰るとおりですが、ここにいても方法が思いつかないのです。  
貴方様が、わらわの伝説を耳にした場所であれば、何か解決の糸口が見つかるかもしれませぬ」  
確かに、ここにいてもどうにもならないという、白菊の言葉は一理ある。  
だが、他の方法……と言っても、佳乃の村にも”白菊”の伝説はほとんど残ってないはずだがな……。  
 
「………信幸様?」  
「ん!? う、うわっ!?」  
しばらくの間、そんなことを考えていた俺の目の前に、いきなり白菊の――身体は佳乃だが――  
顔があったので、不意を突かれた俺は、驚きの声をあげながら飛び退ってしまう。  
……って、さっきもこんなことがあったような……。  
「どうされたのですか? 信幸様?」  
「あ、ああ………。白菊の言うとおり、とりあえずは、戻ることにしようか………」  
小首を傾げ、まじまじと見つめる白菊から目を逸らし、誤魔化すように俺はそう答えていた。  
 
「ふう……ふう……。やっと、やっと着いた………」  
既に日もとっぷりと暮れ、辺りが闇に包まれた頃、俺たちは天狗の里に辿り着いた。  
行きと違って、途中で休んでのんびりと次の日の朝、などと考える余裕は、今の俺には無かった。  
しかし……こんな夜中じゃ、さすがに絹代たちも、寝静まっているだろうな………。  
まあ仕方ない……無理やりにでも、たたき起こすか………あ、あれ?  
「灯りが……点いている?」  
そう。絹代の屋敷だけ、わずかだが灯りが点いていたのだ。  
まさか俺たちを待っていた、というわけではないだろうが、丁度いい。  
約束どおり、白菊を手に入れたことだし、お邪魔するとするか……。  
 
「えっと……お邪魔します………」  
「あ! の、信幸殿! 佳乃も! ……ぶ、無事にお帰りなされたか! わ、わらわは何と……」  
屋敷に入ると、絹代が俺たちを迎えに来た。だが、何か様子がおかしい。  
「た、ただいま。………ど、どうしたんだ?」  
「じ…実は、父上が……父上が………」  
「は? 琢磨氏が? いったいどうしたというんだ?」  
うつむく絹代の肩を抱きながら、俺は問いかけた。絹代はゆっくりと、奥の部屋に顔を向ける。  
そこには、真っ青な顔で布団に横たわる琢磨氏と、心配そうに見守る薫さんの姿があった。  
昨日の朝、俺たちを見送った姿からは想像もつかない。……一昨日は真っ赤な顔だったが。  
「………………」  
「な、なな……」  
「信幸殿を見送ってすぐのことじゃ。父上は突然倒れたかと思うと、ずっとこのまま………」  
唖然としている俺たちに、絹代が説明するようにつぶやく。……さすがに、病気は専門外だぞ。  
「何とまあ………どうしたものか」  
「そ、それはそうと信幸殿。お戻りになられたということは、まさか、まさか白菊を……?」  
思わず、絹代のほうを仰ぎ見る俺を見て、絹代は戸惑い気味に声を掛けてきた。  
ああ、そっか。半分以上忘れてた。こんなインパクトある出来事が次々と起これば、なあ……。  
 
「ああ……。これが、白菊だ……」  
「何と! …………本当に、本当に何と言っていいのか……信幸殿………っ!」  
背中に背負っていた、刀の白菊を手に取り、絹代の目の前にかざす。  
絹代は、口をパクパクさせながら、おずおずと刀の白菊に触れようとしていた。  
まあ、実際の中身は佳乃だと知ったら、どんな顔をするやら……。って、中身の白菊はどこへ行った?  
「ん、どうした? 白ぎ…よ、佳乃」  
あ。いつの間にやら枕元で、琢磨氏の顔を覗き込んでいる。  
思わず声を掛けようとしたが、ついうっかり白菊と言いかけてしまい、慌てて言い直す。  
「……信幸様……。わ、わらわには、琢磨殿の伏せっている原因に、心当たりが……」  
「心当たりがあるって!? ど、どういうことだ!?」  
俺の耳元で、小声でつぶやく白菊の言葉の、思いもよらない内容に、思わず叫び声をあげそうなったが、  
白菊の声にあわせ、声のトーンを落とす。まさか、白菊に心当たりがあるなんて……。  
「うむ……。これは、契約に関わる呪いのひとつ。多分わらわにも、同じことが出来ます……」  
「契約に関わる呪い? 何なんだ、それは?」  
「言ったとおりです。彼はかつて、わらわと同じような存在と、契約を結んだはず。  
だが、それを粗雑に扱った、もしくは契約にあるまじき扱い方をした………あ」  
あくまでボソボソと小声で会話する、俺と白菊。  
ふと顔をあげると、絹代が怪訝そうな顔で、こちらをじっと見ていた。  
と、白菊の視線が、床の間に釘付けになったかと思うと、すっくと立ち上がった。  
「え?」  
「よ、佳乃? ど、どうしたのだ? 突然?」  
あっと思う間もなく、白菊は床の間に掛けてある、刀に手を伸ばす。  
突然のことに呆気に取られる俺と、慌てふためいた様子で白菊に話しかける絹代。  
まあ確かに、見た目は佳乃だから、当たり前と言えば当たり前か。  
 
「…………これ……まさか……そんな…………き、絹代様!  
この刀……この刀の由来、御存知ですか!?」  
「?? 由来だと? 確か、わらわのひい爺さんだかが、どこだかに祀られていたのを、手にしたとか」  
「どこ! どこなんですか! いったい、どこに祀られていたのですか!?」  
「お、落ち着け佳乃。あれは……えっと………」  
などと思っていたら、白菊は琢磨氏の刀を手にしたまま、絹代に詰め寄る。  
そのあまりの勢いに、思わずたじろぐ絹代。……あ、あれ? でも、待てよ? 確か………。  
「絹代様、宗宏の由来の書なら、納戸の中にあるはずですが?」  
「うむ、そうであった。……なあ佳乃、父上がこんな状態だと言うのに、突然どうしたのだ?  
それともまさか、父上がこうなったのに、宗宏が関係しているとでも申すのか?」  
薫さんが、絹代へ助け舟を出す。が、やっと我に返ったのか、絹代が白菊に話しかけた。  
うん、確かにそれは、俺も知りたいところだ。……佳乃に何か、関係があるのかもしれないし、な。  
「そ……そのまさか、の可能性が高いわけで………」  
「………………ふむ。このままこうしていても、どうにもならぬ。  
可能性のあるものは、すべて調べてみるとするか。しばし待たれよ、今探してくる」  
顔を背け、声を絞り出す白菊を見て、首をかしげながら、部屋を後にしようとする絹代。  
………釈然としない表情だが、それも無理はないだろうな。  
「あ! わ……われ、も………」  
「よい。二人とも夜道を歩いてきたのだ。さぞ疲れているであろう。  
わらわが戻るまで、しばらく休んでおれ………薫、すまぬが二人を頼む」  
「はい、分かりました、絹代様。……ささ、お二方。隣の部屋へどうぞ。今、お茶をお煎れしますので……」  
「ど、どうも……」  
絹代は付いてこようとする白菊を制し、顔だけをこちらに向け、薫さんに向かって声を掛けた。  
薫さんは、絹代の声を受けて、俺たちに向かって、ねぎらいの声とともに微笑む。  
俺は、薫さんに促されるままに、隣の部屋に入って、壁にもたれた。  
かと思う間もなく、疲れと睡魔が一斉に俺に襲い掛かってきた。  
既に、彼らに抵抗する気も無かった俺は、壁にもたれた姿勢のまま、意識を失っていた――  
 
「……ん? えっと……あ、あれっ!?」  
「あ、信幸殿、お目覚めになられたか」  
目が覚めたとき、俺は壁にもたれたままの姿勢で、布団が被せられていた。  
ああそうか、昨日はあのまま眠ってしまったんだっけか。って、もう朝か……。  
と、俺の声を耳にしたのか、絹代が襖を開けながら、俺に声を掛ける。  
そう声を掛ける、絹代の頬はこけ、目にクマができている………一晩中、琢磨氏を見ていたのか。  
普段はあんなこと言ってても、娘は娘なんだな。ちゃんと父親を心配している……。  
「う、うん……あれ? し……佳乃は?」  
「佳乃か? あれなら書物に目を通してから、家に戻ったぞ。さすがに、疲れていただろうからな。  
多分、昼前にはここに来ると思うが」  
あくびを噛み殺しながら、俺は絹代に問いかけた。  
そうか、ずっと俺と一緒にいたんだし、疲れてるのは俺と一緒……ちょ、ちょっと待てよ?  
「な、なあ。佳乃は、ひとりで帰ったの?」  
「ああ。さて、それはそうと、薫が朝餉の支度をしておる。先に、顔を洗ってきては如何か?」  
「ん。そうさせてもらうか……」  
俺の質問にさらりと答え、絹代は俺ににっこりと微笑みかけてきた。  
そんな絹代に生返事をしながら、俺は心の中で、ある疑問が確信に変わっていた――  
 

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