あたしはこの町が好きだ。海と山に囲われたこのちいさな町が。  
この町の外れに小さな硝子細工の店がある。ここって滅多に開いてないんだけど‥‥‥。  
(やった!今日は開いてる!)  
今日は土曜で半ドンだし、このまま帰るのも‥‥と思って来てみたけど正解だった。  
扉を開けて中に入るとヒンヤリとして涼しい。  
「いらっしゃいませ」  
そういって店の奥から出てきたのは、あたしとあまり歳のかわらない優しそうな男の子だった。  
「ゆっくり御覧になって下さい。奥にいますから何かあれば呼んでください」  
店の中を見回すと、グラスや小さな置物なんかがゆったりと置いてあった。  
「何か気に入る物はありましたか?」  
「えっ?」  
気が付くとさっきの店員の男の子がたっていた。  
 
気が付けば結構な時間が経っていたらしい。外を見ると空は茜色に染まりつつある。  
「ご、ごめんなさい!こんな時間までただ見てるだけで‥‥‥」  
「ああ、いや、構わないですよ。あまり店を開けることもないし、開けてもあまりお客さんこないですから」  
「あの、もう閉めちゃうんですか?ていうか、他の店員さんはいないんですか?」  
「えっ?ああ、ここは僕一人でやってるんです。ここ、一応僕の家なんで」  
「そうなんだ。じゃあ、ここがあまり開いてないのって‥‥‥」  
「僕も学校があるから、ゆっくり時間があるときしかあけられないんです。今日みたいに」  
「ふーん‥‥。ねぇ、明日も来ていいですか?気にいっちゃった!だから、今日はこれ、買っていきます」  
あたしはイルカの小さな置物を手に取った。彼は薄く微笑んで、  
「ありがとうございます」  
と、言った。  
「あたし、朝比奈彩夏っていいます。また、明日来ますね!」  
「緋咲凛です。はい、じゃあ明日、朝比奈さんのために店を開けて待ってますね」  
帰り道、あたしは買った硝子細工を子供みたいに夕日に反射させながら家に帰った。  
 
 
「あ、そういえば今日って京子と裕貴君と一緒に映画見に行く約束してたっけ」  
沢渡京子と設楽裕貴、私の幼なじみで親友で大切な二人だ。  
「でも、まだ約束の時間までは結構あるし‥‥」  
それに今日も行くって言っちゃったし。‥‥よし、行こう。あたしのために開けてくれるって言ってたしね。  
一歩外に出て空を見上げればほんのり白く霞んで見える青空と入道雲があった。「もう夏かな‥‥」  
今年初めて聞く蝉の声と空を見てそんなことを思った。  
 
「いらっしゃいませ」  
「こんにちは、緋咲さん。今日も来ちゃいました」  
「あぁ、朝比奈さん。いらっしゃいませ。ごゆっくりどうぞ」  
「はい、いろいろ見させてもらいますね」  
棚に並べてある一つ一つを手にとったりしながらゆっくり見ていく。  
ここにあるものは触っても冷たいだけなのに、じっと眺めるとなんだか心が温かくなってくる、そういう風に感じるものばかりだった。  
 
ボーン、ボーン。  
不意に時を告げる音が鳴る。  
「え?あーっ!?‥‥‥ちゃー」  
どうやらまた見入ってしまっていたみたいだ。  
「どうかされたんですか?」  
「あー、友達と約束してたんだけど‥‥‥」  
「してたんだけど?」  
「その時間が今なんです‥‥」  
「じゃあ早く行かないと」  
「うー、すみません。見るだけ見て結局何も買わないなんて」  
「構いませんよ。来てもらえるだけでもありがたいですから」  
「すみません‥‥」  
(やばいなぁ、とりあえず電話しとかないと!あ‥‥)  
「あの、次はいつ開いてますか?」  
「そうですね、また週末かな。」  
「じゃあ、また来ます!今日はごめんなさい!」  
「はい、いってらっしゃい。」  
見送られながら、あたしは駆け足で店をあとにした。  
 
 
「おっそーい!20分遅刻!」  
「はぁ、はぁ‥‥ゴ、ゴメ‥‥はぁ、はぁ」  
「でもまぁ、頑張ったみたいだし、私と裕貴にジュース一本ずつで許してやろう」  
「はぁ、はぁ‥‥はぁーい」  
「ん?俺はいらないぞ?」  
「何言ってんのよ。わざわざ私たちのデートに割り込んできてまで一緒に行きたいなんて言っといてこれだもん」  
「あぅ、返す言葉もありません」  
 
ここから街までは電車で約30分ぐらい掛かる。  
窓から見えるこの景色があたしは好きだ。海辺を走り、かと思えば山の中を突っ切る。そしてまた海辺を‥‥。  
「で?何で遅れたのよ。遅刻は常習だとしてもいつも2、3分ぐらいじゃない」  
「ああ、そうだな。珍し‥てか初めてじゃないか?待ち合わせにここまで遅れたの」  
「あー、そのー、硝子細工を見ておりましたー」  
「「硝子細工?」」  
二人の声が重なる。  
「硝子細工って‥‥町外れにある、『あの』?」  
「うん、そうだよ」  
「へぇ、またやりはじめたんだ」  
「「また?」」  
今度はあたしと京子の声が重なる。  
「昔は結構評判だったらしいよ。家に置いてあるガラスの置物見ながら父さんたちがそんな話してたのを聞いたことがある」  
「あ、そういえば私の家にも幾つかあったわ。でもなんでやめちゃったのかしら?」  
「なんでも店やってた爺さんが死んじまったかららしい」  
(そっか。だから今は緋咲さんが‥‥。あれ?でも緋咲さんのお父さんがやっててもおかしくないのに、なんで緋咲さんがやってんだろ?ま、今度聞けばいっか)  
「ふーん‥‥。結構詳しく聞いてんのね」  
「いや、俺もああいうのはあんま興味ないんだけど、なーんかあれは見てて飽きないんだよな、不思議とさ」  
「だよね!?だからあたしもつい見入ちゃって‥‥」  
「はいはい、言い訳はいいから。ほら、着くよ」  
そんな話をしながら、あたしたちは昼下がり、活気の満ちた街を歩いていった。  
 
「おもしろかったー!」  
映画を観終わってちょっとお腹も減ってきたし、あたしたちは近くのファーストフード店に入った。  
「まぁまぁだったかな」  
「そか?俺は結構面白かったけどな」  
あたしたちは空いてる席へと着く。  
「ところでさ、昼間の話なんだけど」  
映画の話もそこそこに京子はあたしに話し掛けてきた。  
「アヤがそうやって何かに興味持つのって珍しいね」  
「え?うーん、そうかもしんない」  
そうなのだ。あたしは自分の好きなもの以外にはほとんど興味を示さない。学校でも話し掛けてくる人はいても用がなければあたしから話し掛けることはほとんどない。それでも話し掛けられるのは、この二人のおかげだろう  
端からみればあたしは『明るくて話しやすい人』なのだそうだ。ただ、京子にいわせれば「上っ面」もいいとこらしいけど。そんなことないと思うんだけどなぁ‥‥。  
‥‥そして京子曰く、あたしは「病的なまでに一部を除き無関心」なんだって。‥‥それは否定できないんだけどさ。  
「でもいいことじゃないか、そうやって新しいことに興味を持つのはさ。アヤは興味を持つのが苦手だからな」  
「どういう意味よ、興味を持つのが苦手って‥‥。まぁ、アヤの心をたとえ一時的なものだとしても奪った硝子細工は気になるわね」  
「だな」  
「い、一時的って‥‥。そんなんじゃないもん!」  
「だったらなおさらね。で?いつ開いてんの?」  
「‥‥来週末だそうです」  
「ちょうど部活休みね。‥‥この話はまた今度でもいっか。じゃあ、そろそろ帰ろう?」  
 
「じゃあ、また明日だね」  
「ええ」「おう」  
「お休み。今日はありがと」  
「また、誘いなさいよ。いつもこっちが誘ってばっかりなんだから」  
「まったくだ。ガキの頃からのダチなんだから、遠慮なんかしなくていいからな」  
「うん、今度からはそうするよ」  
「じゃあね」「またな」  
「ばいばい」  
あたしは二人を玄関先で見送った。これからなんとなく、なんとなくだけど楽しくなりそうな、そんな気がする夜だった。  
 
 
ピピピピピッ‥‥。  
「んっ‥‥、朝か‥‥」  
休み明けの週の始まり。トーストを食べながら支度を済ませる。  
外に出るとどんよりとした雲が空を覆っていた。  
(降りそうだなぁ。でも夕方には晴れるって天気予報も言ってたし、今は降ってないしね)  
ここから学校までは10分もかからない。  
(降りだしても走ればいっか)  
「いってきまーす!」  
あたしは傘を持たずに家を出た  
 
「おはよー!」  
「‥おはよう」「‥はよ」  
「二人とも眠そうだねー」  
「いつものことよ。週始めは誰だって眠いし面倒臭いわよ」  
「そうかなー?」  
「普通はそうなの」  
カラーン、カラーン。  
そのとき、始業の鐘が鳴ると同時に担任が教室に入って来る。  
「ホームルーム始めっぞー」  
「じゃ、またあとでね」  
「ええ」  
こうして、今日もいつもと変わらない退屈な一日が始まった。  
 
 
カラーン、カラーン。  
鐘の音とともに今日最後の授業が終わった。  
「今日は特に連絡事項もないからな。このまま解散。気ぃ付けて帰れよ、おまえら」  
‥‥こういうとき、うちの担任は楽でいいな‥‥。  
「じゃあ、私たち部活行くから。またね」  
「あ、うん、また明日」  
あたしは京子たちと別れて昇降口へと向かう。  
 
「‥‥はぁ、いや、わかっちゃいたんだけどさ‥‥」  
などと誰にするでもない言い訳を言ってみる。  
「天気予報の嘘つき。今頃あたしみたいに騙された大勢の人が怒ってるぞ」  
と言ってみたところで事態は好転するはずもなく、あたしはため息をついた。今更ながら傘を持って来なかったことが悔やまれる。  
外は雨。それも土砂降り。  
「はぁ、愚痴っても仕方ないか」  
今が寒い季節じゃなくてよかった。そんなことを思いながら意を決して走りだそうとしたとき、  
「朝比奈さん?」  
後ろからあたしを呼ぶ声がした。  
「はい?あっ‥‥」  
振り向くとそこには、  
「緋咲さん!?」  
「はい、緋咲凛です。あ、でも学校の中‥‥というよりあそこ以外じゃ‥‥」  
「じゃあな、藤野」  
「あ、うん、ばいばい」  
「藤野?」  
「はい、本名は藤野由貴っていいます」  
みんなはユキって呼ぶんですけど。苦笑いをうかべながら彼はあとにそうつけくわえた。  
「えっ、けど、どうしてあそこじゃ名前を?」  
「‥‥‥さっ、そんなことより帰りましょう。傘、持ってきてないんですか?」  
「え、ええ。天気予報じゃ夕方から晴れるって言ってたから‥‥」  
「備えあれば憂い無し、ですよ。朝比奈さん」  
‥‥‥あまり聞かれたくない話、なんだろうな。  
「どうしたんですか?ぼーっとして。帰らないんですか?」  
「え?ああ、だから傘が‥‥‥」  
「ですから、一緒に帰りましょう。けど狭いのは勘弁してくださいね」  
「あ‥‥うん、ありがとう、藤野さん」  
「朝比奈さんの方が先輩なんですから、『さん』なんてつけなくていいですよ」  
「‥藤野君」  
「はい、どういたしまして。それじゃ、帰りましょう」  
あたしたちは帰途についた。  
 
「そういえば‥‥」  
「はい?」  
学校からの帰り道。  
「同じ学校だったんだね」  
「僕も昇降口で朝比奈さんを見たとき驚きました」  
「でもこの時間に帰るってことは‥‥部活とかやってないの?」  
「やってますよ。美術部です。今日は休みなんです」  
「へー、美術部。‥‥なんとなく、そんな感じがするよ」  
「そうですか?よくわかんないですけど」  
「あたしも、なんとなく、だし。よくわかんないや」  
そんなことを話してるうちに別れ道についた。  
「ここまででいいよ。ありがとう、助かったよ」  
「いえ、お役に立てたならよかったです。ここから近いんですか?」  
「うん、もうすぐそこだから。じゃあ、また明日だね」  
「はい。じゃあ、また明日」  
そうしてあたしたちは別れた。ちょっとだけ、気分が高揚していたけれど、その理由はあたしには分からなかった。  
 
 
雨の中を一緒に帰ったあの日から、どちらからというわけでもないけれど、この一週間なんとなく一緒にいることが多かった。  
そしてこの一週間で分かった彼の事。  
まず、名前の事。なんでもあそこにいる間はそう名乗る決まりらしい。詳しくは自分も分からないと言っていた。ただ決まり事だからそうしているらしい。  
何かあるのかと思ったのはあたしの杞憂だったようだ。  
次に美術の事。彼はこの学校では結構有名人だった  
。‥‥あたしは知らなかったけど。  
職員室の横に掛かってる一枚の油絵。  
あたしは素人だから、絵の事なんてよくわかんないけど、あの硝子細工と一緒で、なんだか見てるうちにその世界に引き込まれる、そう錯覚してしまうような絵だった。  
そういうと彼は少し照れながら、微笑って「ありがとうございます」と言った。  
あと、どうして彼があの店を継いでるのかということ。  
彼の親は公私ともにパートナーらしい。それで結局自分が継いだんだって。  
本当はそっちももうちょっと時間があれば、なんて言ってた。  
行き帰りや、休み時間の度ってほどじゃないけど、そんな風に一緒にいて、学校に行くのがちょっぴり楽しみな一週間だった。  
 
 
窓から陽が差し込んでる。  
「‥‥ふぁ、ふぅ」  
朝、起きてそのままリビングへ向かうとそこには、  
「おはよ、あんたもうちょっと早く起きなさいよね。あ、おかわりもらってもいいですか?」  
‥‥‥京子と裕貴君がいた。  
「‥‥何、してんの?」  
「言わなきゃ分からないならあんたの目は相当に腐ってるわね。あ、すみません。ありがとうございます」  
「‥‥朝ご飯、食べてる」  
「なによ、わかってんじゃない」  
「あ、いや、そうじゃなくって‥‥」  
「ほら、今日一緒に行くって言ってただろ?」  
「え?」  
「「硝子細工」」  
二人の声がハモる。  
「‥‥‥あぁーーー!ちょ、今何時!?」  
「そんな焦んなくても大丈夫よ。けどあんまゆっくりもできないわよ」  
「ごめん、急いで用意してくるよ」  
「いいわよ、急がなくて。あんた、急ぐと余計に時間掛かっちゃうから」  
「うん、ごめん」  
あたしは階段を登り部屋へと向かう。  
 
「ごめんなさいね。わざわざ迎えに来てもらっちゃって」  
「いつものことですから」  
 
「ごめん、おまたせ」  
「じゃ、いきましょっか」  
「うん。じゃ、いってきます。そんなに遅くはならないと思うから」  
「ええ、いってらっしゃい」  
あたしたちは外へ出た。外は霞むほどの青空と蝉たちの声が鳴り響いていた。  
 
「あっついねー」  
「とくに暑くもなさそうに言わないでよ‥‥」  
「そんなことないよー」  
あたしたちは川辺をゆっくりと歩いてる。さらさらと流れる水の音が気持ちいい。  
「でもさ、今更だけど私たちもいって大丈夫なの?」  
「え?そんなこと気にすることないよ。そんなの気にする人じゃないよ。藤野くんは」  
「本当かしら?あんたの言うことじゃね〜」  
「ぶう!」  
「まぁまぁ。ほら、あれだろ?」  
「え、あ、うん。あれだよ」  
 
「‥‥開いてる?」  
「‥‥そのはずだけど」  
あたしたちは扉に手をかける。  
ガチャッ  
「ほら、開いてた。こんにちは」  
「あ、いらっしゃいませ、朝比奈さん。‥‥と、えっと‥‥」  
「あ、この二人はあたしの幼馴染みなの。どうしてもってついてきちゃって」  
「全然構いませんよ。えっと、藤野由貴です。ここでは緋咲凛ですけど」  
「うん、聞いてるよ。私は沢渡京子。で、こいつが‥‥」  
「設楽裕貴だ。よろしくな」  
「はい、よろしくお願いします」  
「じゃあ、早速だけど見せてもらうね」  
「はい、ごゆっくりどうぞ」  
 
 

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