「ねぇ〜、崇兄お願いだからぁ」  
「めんどいからパスだつってんだろ」  
 これで何度目になるか分からない紗枝の願いを、バッサリと切り捨てる。  
甘えてくるような口調が逆に気持ち悪い。  
「崇兄しか頼れる人いないんだよ。だからお願いっ!!」  
 拝むように両手を合わせて、なおも俺に頼んでくる。  
「だからなんでお前のために俺の貴重な休日を潰さにゃならんのだ」  
「えーでも、この前聞いたら"夏休みは暇になる"って言ってたじゃん」  
「それとこれとは話が別だ」   
「うぅ……崇兄の意地悪」   
 ガックリと肩を落とす紗枝。ようやく諦めたか。   
 またバイトのない今朝もコイツが突然訪れたんだが、開口一番なんて言ったと思うよ。  
 
 
『海に行くことになったから車運転して!!』  
 
 
 ときたもんだ。  
 せめて挨拶くらいしろ。お前この間来た時に「親しき仲にも礼儀あり」とか言ってたじゃ  
ねえかよ。その気持ちも分からんわけでもないけどよ。  
 
 俺達が住んでいる町は山場に近い。そのため、海方面へ向かうバスや電車はかなり数が  
少ないわけだ。加えて町の中心部をあちこちと迂回するルートなので、スムーズに乗れた  
としても相当な時間乗り物に揺られなければならない。ここら辺はどっちかっつーと地方  
都市なもんだから、電車よりも車の方が主な交通機関だしな。つまり車を運転できる人に  
頼み込んで、最短経路で行ったほうが数倍早く着ける。  
 そこで白羽の矢が立ったのが、車の運転免許を持った俺というわけだ。いつか役に立つ  
時が来るだろうと、暇を見つけて親を説得し、取得しておいたのである。  
それがこんな形で余計なお願いをされる羽目になるとは……まったくもって嫌になる。  
 
「そのくらい我慢しろ。毎日働いてる俺と比べたら贅沢な悩みじゃねえか」  
 肩を落とす紗枝にとどめを刺そうと嫌味を言ってやる。  
 といっても、予想外に出来の良い仕事熱心な新人のおかげでここのところバイトの時間は  
減っているんだが、それは勿論口に出さない。  
「だからだよ!」  
 待ってましたとばかりに、再び紗枝が目を輝かせて身を乗り出してくる。  
しまった、逆に反撃の糸口を与えてしまったか。  
「いつも働いてるんだから、崇兄もあたし達と一緒に海に行けばいいんじゃん」  
「高校生に混じってはしゃぐ若さはもう持ち合わせてねえよ」  
「まだ21でしょ!」  
「残念なことに肉体年齢はもう50代らしい」  
 テレビで『これであなたの肉体年齢が分かる!』みたいな特集を組んでた番組を見た時  
に、その番組にならって色んな体操やらをやったことではじき出された結果だから、ある  
程度信憑性のあるデータだろう。  
贅肉はあまり付いてないが筋肉もあまり付いてないからな、俺の身体は。  
「この間、夏休みは一緒に遊んでくれるって言ったのにー」  
 語尾を強めて不満を露わにする紗枝。断られた途端にブーブー文句を言ってきやがる。  
「んなこと言ったっけか?」  
「言った! この前あたしが来た時に、"夏休み中にもし暇が出来たなら、お前の気が済む  
まで心ゆくまで遊んでやる"ってちゃんと言ったよ!」  
 ……そこまでは確実に言ってはいないと思うんだが。  
うーん、不幸なことに当日もその次の日もバイトは無いしなぁ。  
「ハーレムってのも悪かないんだが……」  
 メンバーはクラスで紗枝と仲の良い連中ばかりだって言ってたから、きっと女子ばかり  
だろう。んー……こいつは悩みどころだ。ついさっき一緒にはしゃぐ元気は無いと言った  
ばかりだが、『げんえきじょしこおせえ』という甘美な響きにも惹かれる……。  
 
「? ハーレム?」  
「なんでもねえ」  
 ちっ、また口に出しちまったか。俺の悪い癖だな。  
「女だけで行っても、ナンパの標的にされて大して楽しめないと思うぞ」  
 今の台詞を突っ込まれたりしたらまたうるさくて敵わんからな。話をすり替えよう。  
「あれ? あたし言ってなかったっけ?」  
「何をだ」  
 
「クラスの男子とも一緒に行くんだよ? 三対三で。崇兄も数に入れると男子が一人多く  
なっちゃうけど」  
 
…………  
……………………  
……………………………………  
 
「は?」  
 何だろう、俺は耳まで年を取ってるんだろうか。  
それとも空耳か? そうか空耳だな?   
 
「だ・か・ら! クラスの男子とも行くんだってば」  
「へぇー……」  
 そうか男子も一緒に行くのか。それなら確かにナンパされる心配もないな。  
もっとも、紗枝みたいな子供をターゲットにするような奴もいないと思うが。  
いや世界は広い。もしかしたら、こんな乳臭えガキがもろタイプだって言う奴がいるかも  
しれんし……って。  
 
「何ィ!?」  
 
「なんでそんな驚いてんの?」  
「い、いや…………ちょっとな…」  
 どうやら俺の耳は正常に働いていたようだ。  
いやいや、しかしだってありえねえ。  
あの紗枝が。今まで男っ気がまるで無かった、中学生になってもズボン穿いていたらまず  
間違いなく男の子に間違えられて、否定しようにも口調も乱暴だったから余計に男の子に  
間違えられていたあの紗枝が、男と一緒に海に行くだと?  
 にわかには信じ難い。というか、信じられん。  
「あー分かった! あたしが男子と海に行くっていうのがショックなんだろー」  
 嬉々とした様子で口を開く紗枝。俺の心を見透かせたのがそんなに嬉しいか。  
 
「ああ……ショックだよ」  
 それでも一応、コイツの言ってることは間違いではない。  
予想の範疇を超えた展開に、俺の脳は浮かんだ言葉をそのまま口に伝達させる。  
「へ…?」  
「お前をちゃんと"女"と見なせる男がこの世の中にいたとは……お兄ちゃんビックリだ」  
「……」  
 
 
ギュッ、グイイッ!  
 
 
「ひでででででで!!」  
 いきなり鼻を掴まれ、思いっきり捻られた。  
紗枝は無言のまま、何か言いたそうな顔でじっと見つめてきやがる。  
ねじれるだけねじられると、グイッと最後にもう一捻り加えられた。  
うおお……鼻がもげそうだ……血が出てきてもおかしくないぞ。  
 
「俺が一体何をしたってんだ……」  
 鼻を押さえてついつい愚痴をこぼす。  
まあ、理由なんぞ聞かなくても分かっているわけだが。言わずにはいられない。  
 その言葉に紗枝はニッコリと笑顔で返してくる。不気味だ、背筋に悪寒が走ったぞ。  
たじろいでいると今度は、ギュッと両頬を思い切り引っ張られた。  
また地味に痛いな、オイ。  
「そんなこと言うのはこの口かな〜?」  
「ひあいほ、はなえほあ(痛いぞ、離せホラ)」  
 なんでコイツと90年代初頭のラブコメみたいな真似をせにゃならんのだ。  
「離して欲しかったら、車運転してね♪」  
「ほえはふるはほっへへーほ(俺は車持ってねーぞ)」  
「お父さんが、ウチのにあるボロのワンボックスを使っていいって。廃車寸前だし新しい  
車もあるし、運転するのが崇兄ならってことで許してもらえたんだ」  
 ……いくら知り合い歴が長いとはいえ、俺も信用されたもんだな。  
というか、何で俺がちゃんと喋れていないこの状態で会話が成立してんだ。  
幼なじみだからって理由は通用しないだろ。  
「返事は?」  
 口調も表情も明るいのに、なんだか有無を言わせない空気を感じるのは気のせいなんだ  
ろうか。人の笑顔を怖いと思うのは初めてだ。  
 俺の両頬は相変わらず断続的な痛覚に襲われ続けている。徐々に力強めてんだろお前。  
この力の強さ、やっぱりコイツは男なのかもしれない。  
「返事は?」  
 録音テープを再生したかのように、さっきと声の抑揚が同じなのがまた怖い。  
ヤバイ。今日の紗枝はどうしてか分からんが、とても凶暴だ。ここで断れば何をされるか  
分かったもんじゃない。  
「むぃ」  
 己の保身を最優先に考え、首を縦に大きく振る俺。  
 
「よく出来ました♪」  
 朗らかな声でそう言うと、おまけのつもりなのだろう、最後に思い切り引っ張ってから  
手を離しやがってくれる。  
「んぎぃっ!」  
 我ながら不細工な悲鳴だ。  
おおお……くどいようだがやっぱり痛え……この齢で頬が垂れたらどうしよう…。  
 
「あー良かった。皆には崇兄が運転してくれるって言ってあったから、引き受けてくれる  
かどうか不安だったんだ」  
「……最後はお願いじゃなくて脅迫だったけどな」  
「もう一回引っ張ろうか?」  
「ゴメンナサイ」  
 おー、怖い怖い。  
 なんかいつもの紗枝と様子が違うな。そんなに海に行きたいんだろうか。  
友達に俺が運転するって口約束していたとしても、普通ここまで必死になるかね。  
俺が承諾しなかったとしても、後で「ゴメン、やっぱ無理だった」とか言って謝れば済む  
と思うんだが。  
「紗枝、お前さ」  
「ん? 何?」  
 肩の荷が下りたのか、随分上機嫌に聞き返してくる。  
ちなみに表情に変化は無い。それがやっぱりちょっと怖い。  
 
「一緒に行くメンバーの中に好きな奴でもいんのか?」  
 手に持っていたパイプで紗枝を指しながら尋ねてみる。  
 やたらと海に行きたがることといい、俺が承諾した途端に随分と嬉しそうなことといい、  
そう考えるのが一番自然だ。こいつも年頃だしな。楽しい思い出とか作りたいだろうし。  
 
「えっ……なっ、なんで?」  
 くくく、当たりか。自分の気持ちを隠しきれていないな、バレバレだぞ。  
 しどろもどろな様子に、弄るネタを見つけた俺の顔は思わずにやける。紗枝からすれば、  
実に底意地の悪そうな笑顔に見えただろう。  
「ほーそうかそうか、紗枝には好きな人がいたのか」  
「ちっ、違うよ! そんなんじゃないってば!」  
「いやいや照れる必要は無いぞ。お前も年頃なんだからむしろ当たり前だ。あー、こりゃ  
当日が楽しみだな。誰が紗枝の好きな奴なのか見極めないとなぁ」  
「だからそんなんじゃないって! ただ友達と海に行きたいだけだよ!」  
 否定しながらも顔が真っ赤だ、説得力がまるで無い。  
相変わらず誤魔化しが下手な奴だな。これだからコイツをいじるのが止められないんだ。  
 
「もう、勝手に決め付けないでよ……」  
 ふてくされてしまった。柄にもなくちょっと涙ぐんでいるようにも見える。  
余り触れられたくない話だったようだ。  
 本来ならここで許してやったり手を緩めてやったりするんだが、さっきまで脅されてた  
からな。ここで仕返しをしておこう。紗枝、恨むなら自分の行いを恨むんだな。  
 
「ふーん」  
 ニヤニヤしながら相槌を打つ俺。  
無論、紗枝が何と言い返してくるのを見越した上で、だ。  
「な、何だよ」  
「いやあ……」  
 くくく、本当に笑いが止まらん。   
自分の思い通りの行動を他人がとると、実に気持ちが良いな。  
「その割には"好きな人がいる"ということに関しては否定しない、と思ってな」  
「……っ!!」  
 おー、耳まで赤くなってやんの。やっぱコイツはからかってる時の反応を見るのが一番  
楽しいな。  
 
「いるんだろ? 相談に乗ってやるぞ」  
 無論そんな面倒な問題を背負い込むつもりなど毛頭無いが、ここはその場の話にあわせ  
ておく。  
 
「ぇ……ぅ……」  
 固まったまま言葉もしどろもどろな紗枝。  
俯き気味に首を傾け、指先をモジモジさせている。  
うーん、いくらそういった経験が無いとはいえ、ここまで初心な反応を見せるとは。  
心のどこかで今のコイツをちょっとかわいいと思ってしまった俺がいる。  
「相手がクラスメイトなら俺に言ったって構わんだろ。相談できる相手がいるっていうの  
は楽だぞ」  
 我ながら無責任な言葉だとは思うが、どうせ紗枝はそれどころじゃない。  
さあ、次はどうからかってやろうかな。  
「…………よ」  
「あ? 何だって?」  
 なんだぁ? 声が小さすぎてよく聞こえなかったな。もっとでかい声で喋れ。  
 
 
「構うよ!!」  
 
   
 って、うるさっ! でかい声でとは言ったがちょっとは限度ってものを……  
 
「構うんだってば!」  
「わ、分かったからお前もうちょっと小さな声で……」   
 なんかパニック起こしてやがる。ここは宥めておかないとまずいかもしれん。  
 
 
「崇兄のばかっ!」  
 
 
 そんな俺の気持ちを無視して、紗枝は立て続けに喚いてくる。  
 傍にあった枕をこの前の時と同じように俺に思い切り投げつけると、ありえない速さで  
玄関へ逃げていく。でもって靴を履き、体を半分に外に出しキッと俺を睨みつけると。  
 
 
バタンッ!  
 
 
 思いっきり力を込めて閉めていきやがった。  
ったく、何もそこまで怒らんでも良いだろうが。心の狭い奴だ。  
 それにそんなに思い切り締めたら扉が蝶番から外れるだろ。壊したりでもしたら本当に  
弁償してもらうぞ。  
 
   
 まあいい、当日に大きな楽しみが出来たんだ。  
 あの紗枝に好きな男がいるっていうんだからな、これは中々面白いことになりそうだ。  
約束通り運転手役もこなしてやるとしよう。  
 
 
 
 
 
 
ガリッ  
 
 
 
 
 
 
 んあ?   
 
 なんだぁ今の音は? ……っと、また無意識のうちにパイプ噛みしめてたのか。  
ちょっと歯型ついちまったな。まあ、既に幾つもついてるから、んなことどうでもいいが。  
 
 
…………  
 
 
ふーっ。  
 
 
 紗枝にいるのか、好きな奴が。  
 改めて考えてみるとアレかな、胸だけじゃなくてあいつ自身もちゃんと成長してるって  
ことなのかな。昔は俺の後をちょこちょこついて来るばっかりだったあいつがなー。  
 
 
 なーんか実感、沸かねえなぁ―――  
   
 
 

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