「それじゃ、お疲れ様でしたー」  
 今日のシフト分を働き終え、足早にバイト先を後にする。吐いた息が途端に白く濁り、  
空気に混じれて消えていく。視界の端々には、ちょうど一週間後に迫ったクリスマスを  
盛大に祝う、色とりどりのイルミネーションがいたるところに飾られている。  
「はぁー……」  
 また煙のような息を吐いて、家路に沿って歩き始める。カップルが目立つ周りの雑音は、  
聞こえてるはずなのに、耳にはまるで届いてこなかった。  
 
 今日バイトへ行く前に、またあの娘と、また同じ店で話をしてきた。  
 
 これがまた随分と頭が痛くなる話なわけで。しかも今回は真由ちゃんだけじゃなく、  
兵太も一緒にいたもんだから随分と居心地が悪かった。  
 
『……』  
『……』  
『……』  
 
 一人が睨んで、一人がハラハラしたように落ち着き無く目線を動かし、一人が素知らぬ  
顔でコーヒーを飲む。周りからはどんな風に見えたんだろうな。  
 
『どうして……なんですか』  
 
 紗枝が橋本君と別れたことも、紗枝が学校に来なくなったことも、どうやら悪い冗談でも  
なんでもなく紛れもない事実だったようで。疲れきった真由ちゃんの表情と、それを心配  
する兵太の表情が、やたらと印象的だった。  
 
『だからさ、俺に聞くなよ』  
『……!』  
『ちょっ、ちょっと、二人ともやめましょうよ』  
 
 肌どころか身体の中までピリピリするような雰囲気の中、話は進んだ。  
 もちろん、怒り心頭の真由ちゃんが俺に対してわざわざ事情を説明してくれる筈もなく。詳しい顛末は、全部兵太の口から聞くことになった。  
 
(何やってんだ……俺も…紗枝も……)  
 頭の中で毒づきながら、その時のことを思い返しながらゆっくりと歩を進める。事前に  
そんなことがあったせいか、今日のバイトはいつも以上に疲れた。  
 
 
 兵太から聞いた詳細はこうだ。  
 11月も半ばを過ぎ、下旬を迎えるようになった頃。ある日を境に、二人の雰囲気が急に  
よそよそしくなったのがクラスの誰から見ても分かったらしい。それまではいつも一緒に  
いたのに、急に話をするどころか、顔も合わさなくなったそうだ。  
 そんな居心地の悪そうな空気はやがて、一部の生徒の陰口を発生する要因となったようで。  
 
 二人とも性格がよく、友人が多く、人気もある。だけどそんな人物に、一度人聞きの  
悪い事実が浮かび上がれば、周りの評判はどうなるか。   
 橋本君は、何事もないように振舞ったらしい。素直に別れたことを認め、二言目には  
『俺が悪いんだ』とオウムのように繰り返していたそうだ。  
 
   
 だけど、紗枝がそんな器用ことが出来る性格じゃないってことは、俺もよく知っている。  
 
 
 黙りこみ、顔を逸らし、暗い表情のままその場から逃げ出す。対照的な二人の対応。  
周りからして見れば、印象が悪くなるのはどっちか。印象がよく映ったのはどっちか。  
言うまでもないことだった。  
 
 
 周りはまだ未成熟な高校生。そんな彼らの元に投げ入れられた、クラスメイトの破局。  
そんな格好なネタが、食いつかれ、色々と想像されないはずが無かった。  
 
 
 
 悪い噂が立った。  
 
 
 
 対象は二人じゃなかった。周りからの印象が悪くなった方にだけ、集中したらしい。  
橋本君は本当に自分が悪いと思ったから、紗枝に迷惑かけたくないからそう言ったんだろう  
けど、それは逆効果になってしまったわけで。紗枝が皆を避けるような態度をとったのも、  
事を悪い方へ加速させる一因になったみたいだった。  
 
 根拠のない悪質な想像が、やがて彼らの中で事実と錯覚されるのに時間は掛からなかった。  
 
 紗枝はどんどん居場所を失っていく。周りの陰口も、やがては本人にわざと聞こえる  
ように近場で行われ続けたらしい。真由ちゃんや兵太だけではどうにもならず、橋本君が  
全てを否定しても、歯止めはかからなかった。  
 
 
 そして、とうとう紗枝の心は折れてしまう。  
 
 
 あいつの席は、いつしか誰も座らない空白の場所となった。  
 
   
 最初はまたすぐ登校してくるだろうとたかを括っていたクラスメイト達も、何日経っても  
冷たいままの席を目にするたびに、自分達のしたことがいかにいけないことだったか自覚  
し始めたようで。  
現在は暗黙の中、教室の雰囲気は悪化の一途を辿っているとのことだった。  
 
 
『あなたの……あなたのせいです』  
 
 
 事情を説明する兵太の台詞に、その時の痛々しい紗枝の様子を思い出してしまったのか、  
真由ちゃんは涙目になって俺を責め立てた。  
 
『平気で紗枝を振ったわけじゃないって…そう言ってたじゃないですか』  
 
 大切な友人を守れなかった自分の非力さも、そこには混じっているようだった。普段から  
は想像できないこの娘の様子に、兵太は相変わらず落ち着きを失ったままだった。  
 
『そんなに紗枝のことが心配なら、自分で会いに行けばいいんじゃないか』  
『……』  
『おばさんに…会わせてもらえなかったんです』  
『おばさんが?』  
『本人が…誰にも会いたくないって言ってたみたいで、それで…』  
『…へぇ』  
 
 真由ちゃんに問いかけたことを兵太が答えるあたり、どうやら二人で紗枝の家へ赴いて  
はいたものの、その行動は空振りに終わったようだった。それで、何をどうしたらいいか  
分からなくなったんだろう、溜まりに溜まった恨みつらみを、また俺にぶつけにきたんだな。  
 
 その後も真由ちゃんは俺を責め立てていたけど、その時何を言っていたのか、もうよく  
覚えていない。覚えているのは、こっちからはもう何も言い返さなかったこと。それだけだ。  
 
   
 バイトの時間が差し迫り、中座させてもらうことになった時、真由ちゃんには一言だけ  
「ごめんな」と謝った。それ以外何を言えばいいか分からなかったから、それだけしか  
言えなかった。  
 が、それまでずっとフォローにまわっていた兵太が、店を出る直前に初めて俺に向かって  
一言呟いた言葉に、頭と胸を強く穿たれる。  
 
 
 
『今村さん……格好悪いですよ』  
 
 
 
『……!』  
 自分が悩み迷い続けていることを全てを見透かされたようで、その時は聞こえてない  
振りをして、立ち去ることしか出来なかった。  
 
「……」  
 格好悪い…か。んなこと、言われなくても俺自身が一番よーく分かってんだけどな。  
いつまでも同じことでウジウジ悩んでるなんて、俺らしくない。気持ちの切り替えが出来ず  
にいることが、こんなにもキツいなんてな。  
 
 お前は俺に、どうしてほしい。俺は一体どうしたらいい。  
 ずっとそんな風に考えていた。この二ヶ月間、ずっと脳裏から離れなかった言葉がある。  
 
 
『ばかやろ……』  
 
 
 擦れ違い様に、確かにあいつが口にした、気持ちがこもった一言だけの台詞。今でも  
あれは空耳じゃなかったって言う確信がある。  
 あの時は、目を背けていた事実を認識して、身体に宿った気持ちを、どうにか抑え込む  
ことで精一杯だった。手前勝手な解釈をしたまま、ずっと放ったらかしにしていた。  
 
 けどもし紗枝が、あの時点で橋本君とは上手くやっていけないということを予感してた  
のなら。あの言葉が素直になれないあいつの、精一杯の本音だとしたら。  
 
 
「……ふぅ」  
 
 
 …………  
 
 
 ダメだな。  
 
 
 やっぱり、頭を理解させることは出来ても、心までは無理だったようだ。たとえ俺が、  
あいつを好きになってなかったとしても、大事な幼なじみなんだしな。  
   
 紗枝が俺にとって特別だっていう理由は、あまりにも多すぎる。  
 
 もちろん、あいつの近況を知って心配しなかったって言えば嘘になる。けど、それ以上に  
 
 一度は諦めて封じ込めたはずの感情を、強く激しく煽られた気がした。  
 それを頑なに拒むのは、建前を掲げる頭だけ。心も、身体も、感情も。紗枝と会い、  
言葉を交わすことを強く求めた。  
 
 
 今までも何度か機会はあったと思う。でも、もうこれが、最後のチャンスなんだろうな  
っていうのが何となく分かってしまっていた。  
 
 
 そうだな…このまま、ずっとこんな気持ちで生きていくだなんて……俺は御免だ。  
 
 
 お前だって……そうじゃないのか。  
 
 
 そう思ったから、二の足は踏まなかった。決断することに、迷いなんて無かった。  
 確かに怖くないと言えば、嘘になるけど。会えばまた、痛烈な言葉を叩きつけられる  
だろうけど。紗枝への想いがそれをかき消す。  
 
 バイトを終え、街中をとうに過ぎ、俺はゆっくりと歩き続ける。  
 
 帰路についてるわけじゃない。今、歩いているのは河川敷沿いの道だからだ。  
 
 ボロアパートの一室にある自宅は、回想している間に通り過ぎていた。  
 
 歩みを止めないまま、道の上から川沿いに広がる原っぱを眺めてみるが、深夜に近いせいで  
ほとんど何も見えない。風にさらされ揺れて擦れる草木の匂いと、涼しげな音が聞こえて  
くるだけだ。  
 
 
 あの二人に背中を押されたっていうわけじゃないんだが。  
 
 
 兵太からメールを貰った時、会いに行きたいと思わなかったわけじゃなかった。むしろ、  
会いに行きたかった。  
 だけど、会って何を話したらいいか分からなかった。紗枝のために、どうしてやったら  
いいか分からなかった。それが怖くて、会いに行けなかった。あいつのためを思うなら、  
今俺が会いに行ったら、余計に向こうが辛くなるだけなんじゃないか。もしそれがとどめを  
刺すような行為かもしれないと考えてしまった時、とても行動を起こす気にはなれなかった。  
 
 
 でも、それでいいわけないだろってことも心のどこかで分かってたんだ。  
 
   
 詳細を聞いて、疲れきった真由ちゃんの顔を見て、兵太に初めて軽蔑されて。ようやく  
気付いた。俺が何もしてこなかった結果が、今のこの状況を生み出してるってことに。  
 ずっとこの気持ちを抱えたまま、日々を送ることが罪を償う方法だなんて、らしくもない  
殊勝な考えも浮かんだけど、あんなもん今考えたらただの自己満足だ。  
 散々他人を不幸にしたくせに、あの時は、不幸な目に遭う自分に酔ってただけなんだよ。  
 
 
 だからこれからの行動は、紗枝のためじゃない。  
 
 
 それもあるけど、それ以上に俺のために、俺はあいつに会いに行く。  
 
 
 帰路についてるわけじゃない。  
 
 
 この道を通り過ぎた先にある家に、これから用があるんだからな。  
 
 
 あの日を迎えてから四ヶ月。初めて、自分の心に素直に従った気がした。  
 
 
「……」  
 家の前に到着する。一階の電気は点いていた。どうやら、おばさんかおじさんかが、まだ  
起きているらしい。  
 深夜近い時間だったから一瞬躊躇ったけど、押し寄せる感情に背中を押されるように、  
俺はインターホンを押していた。  
 
「俺です」  
 
 応答される前に、こちらから言葉を発する。  
 流石に深夜の訪問には驚かれたけど。相手が俺だったもんだから、事情を説明すると、  
特別に許してもらえた。  
 
「久しぶりだね崇之君」  
 
 そう笑顔で対応するおばさんの顔には、随分疲れが溜まっているようだった。無理も  
ないか、自分の娘がいきなり部屋に閉じこもっちまってるんだからな。  
 居間に通されソファに腰を下ろし、おじさんも合わせて三人で静かに話を始める。  
 
「なんで…こんなことになったんだろうね……」  
   
 沈痛な面持ちで、そう静かにおばさんは喋り始める。様子から察するに二人とも、紗枝の  
俺に対する想いについては知らなかったようだ。  
 
「学校で、何があったのか話してくれなくてね。尋ねても、『誰にも会いたくない』と繰り  
返すばっかりで……学校側に聞いても、理由を把握してなくて、ね……親としてこれほど  
情けないと思ったことはないよ」  
 
 今度はおじさんが淡々と口を動かす。メガネが蛍光灯に反射して、その表情を窺い知る  
ことは出来なかった。  
「紗枝は……部屋ですか」  
「ああ…トイレの時くらいしか、部屋に出てこないんでね。食事を用意しても、ほとんど  
手をつけないんだ」  
「そうですか……」  
 
 自分の行動の代償を、紗枝が払ってるような気がして、自責の念が今までより一層大きく  
なる。だからこそ、より一層あいつに会いたいという気持ちが強くなった。  
 
 
「会わせて……もらえませんか」  
 
 
「……」  
「なんでこんな遅い時間に来たんだとか、なんで俺が事情を知ってるんだとか、そういう  
理由はあとでちゃんと話します。だから、お願いします。あいつに…会わせてください」  
 
 ソファに座ったまま頭を下げる。  
 
 二人とも困惑し、困ったように顔を見合わせる。俺がここに来た時点で、その目的に関して  
想像はついてただろうけど、いざ頼み込まれると、動揺を隠せなかったみたいだ。  
   
 しばらくの間、どうしようか決めあぐねていたようだったけど。やがて決心したように  
二人とも俺のほうへと向き直った。  
「分かった……君が相手なら、紗枝も何か打ち明けてくれるかもしれん」  
 おじさんにそう言われ、胸の辺りにザクリとした痛みを覚える。  
 その他ならぬ俺が、一番あいつを傷つけているっていうことを知ったら、二人ともどういう  
顔をするんだろう。  
 だけど、今重要なのはあいつのこと、二人には悪いけど、この場は黙っておくことにした。  
「……助けてあげてね」  
 おばさんの心配げな声に、黙って頷いてみせる。力強く首を縦に振ったのは、二人を安心  
させたかったってのもある。けどそれ以上に、自分自身の気持ちと決意を、揺らぐことの  
ないようにするためでもあった。  
「あいつの部屋は、二階に上がってすぐの部屋でいいんだっけ」  
「そうだよ。……よく覚えてたね。前にウチに上がったのなんて、随分前なのに」  
 
「……そりゃあね」  
 
 おばさんに返すはずの言葉は、途中で消え入る。そこから先は、敢えて続けなかった。  
続けたい言葉が、あまりにも多すぎたから。  
 
 最後にもう一言二人に声をかけ、俺はゆっくりと立ち上がり廊下に出る。階段の側まで行き、  
そこから二階を見上げる。電気は消されていて暗闇に包まれ、異質な雰囲気を纏って  
いるようだった。  
 
「……」  
 ゆっくりと登り終えると、すぐ側に一枚の扉が姿を現す。  
 
 この向こうに、紗枝がいる。  
 
 そう思うと、頭が加速し熱くなる。それを必死に抑えるために、音を立てないように  
息を吸い、また音を立てないように息を吐く。落ち着け、今まで何度も何度も、話とか  
してきただろ、今更焦る必要なんて無い。  
 
 何度も深呼吸を繰り返す。  
 
(よし……)  
 
 そしてまた、意を決する。  
 
 
 乾いた音が二回、その場に木霊した―――  
 

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