『ねぇねぇ、たかにぃ』  
『ん? どーした紗枝』  
『えっと、た……たかにぃはどんなコがタイプなの?』  
『? なんでそんなこと聞くんだ?』  
『それは…その……い、いいからこたえて!』  
『そ、そーだな……明るくて元気な娘かな』  
『あかるくて……げんき……』  
『それがどうかしたのか?』  
『ううん、なんでもない―――――――』  
 
 
 
ジリリリリリリリッ  
 
…………………―――――――ん?  
 
 ふああぁぁぁ。  
 
 ……眠い。  
相変わらずうるせぇ時計だ。セットしたのは俺だが。  
 
『い、いいからこたえて!』  
 
 ……夢、か。随分昔の夢だったなー。  
まだ俺が10歳ぐらいの頃のだから、紗枝は6、7歳ってとこか。  
あの頃の紗枝は確か、素直なだけじゃなくて大人しかったんだよな。だから珍しくデカい  
声出したんで驚いたもんだ。まぁ、今じゃすっかり真逆な性格になってるんだけど。  
   
 
 で? 何で俺はたまの休日にも関わらずこんな早い時間に起きてんだ?  
えーっと、うーん……あ、そうそう、紗枝達を海に乗せて行ってやらにゃならんのだった。  
やっぱめんどくせーな、寝坊したことにしてバッくれようかな。今日は確か、行きつけの  
パチンコ店が新台入荷なんだよな。  
 
 
ピリリリリリリッ、ピリリリリリリッ  
 
 
 …………何なんだこのジャストなタイミングわ。  
 
 
ピリリリリリリッ、ピリリリリリリッ  
 
 
 見るまでもないとは思ったが、携帯を開いて一応相手を確認してみる。  
願わくば違う人でありますように……よし、祈り終えたし相手の名前を確認だ。  
 
『平松紗枝』  
    
……  
…………  
……………………  
 
 ……はーっ。  
自分の携帯の通話ボタンを押すのに、こんなにためらう事なんて今まであったかな。  
ぶっちゃけ今すぐ電話を切りたいんだが、ちゃんと出ておかないと今度は半殺しにされ  
かねない。  
 
ピッ  
 
「もしもーし」  
「……こんな朝っぱらから電話掛けてくんな」  
「モーニングコールだよ。それに崇兄のことだから、時間通り起きたとしても面倒がって  
二度寝するかもしれないだろ」  
 はい、その通りです。  
ここまで行動パターンを見抜かれているってことは、俺も根は単純なのかもしれん。付き  
合いが長いだけじゃここまで読まれないと思うんだが。  
「皆を待たせるわけにはいかないから、崇兄には早めに来ておいて欲しいんだけど」  
「あー分かった分かった。今から行ってやるよ」  
 紗枝の家に行くのは随分と久しぶりだな。とりあえず一人暮らしを始めてからは一度も  
無い。俺が行かなくても向こうから勝手に来るしな。  
ここからあそこまでちょっと遠いんだよなー。実にかったるい。  
「それじゃ待ってるから。早く来てね」  
 
ピッ  
 
 ったく、誰のためにこんな朝早くに起きてると思ってんだ。  
少しは感謝の気持ちを表したっていいだろ。寝癖のまま行ってやろうか。  
 
 あー……よくよく考えりゃ、俺ってなんて人が善いんだろう。  
折角の休日を潰して、恋人でも兄妹でもない、ただの知り合いでしかない女の言うことを  
聞いてやるんだからなぁ。うう、余りの献身ぶりに涙が出そうだ。  
 さあ、アイツへの文句は会った時に直接言ってやるとして、そろそろ準備するか。  
顔洗って着替えて、寝癖もちゃんと直して……と。必要最低限のものは持ったし、行くか。ぼろアパートでピッキングされると一発で開くだろうが、一応鍵も掛けておいて、と。  
よし出発。  
 
   
 ふぁー、しかしあちぃ。泳ぐには絶好の天気かもしれんがアスファルトの上を歩くには  
きつ過ぎる。肉体年齢50代だし。帽子被っといてよかった。無精ヒゲ剃ってなかったこと  
に今更気付いてしまったがもういいや。まだすぐそこだけど、家まで帰るのめんどいし。  
やがて河川敷に出て、坂の上の歩道をゆっくり練り歩く。ここを真っ直ぐ歩いてしばらく  
行ってから一つ角を曲がったら紗枝の家だ。そういやこの河川敷も懐かしいな。ここら辺  
には公園が無かったから、昔はよくここで遊んでたんだったな。野球少年団が試合やって  
るのを見て、俺達もすぐ近くでやってたら、グラウンド内に何度もゴムボール打ち込んで  
えらく怒られたこともあったっけなぁ。あの時の俺は若かった。今も若いけど。この場合  
はもしかしたら幼かったって言った方が適格か。  
 
 
ミーンミンミンミンミンミンミーン  
 
ジージージージージー  
 
 
 歩道から見て河川敷から逆側に植えられた木々からは、今日もセミの鳴き声が木霊する。  
頭の上の空は青一色が広がり、中心街の方の地平線の向こうからは入道雲が広がっている。  
ここまで夏日和って感じなのも珍しいな。この河川敷で遊んでいた頃は、夏休みの天気は  
毎日こんな感じだったような気もするが。  
将来に不安を感じることなんてことは無かった。年を重ねれば重ねるほど、大きくなれば  
なるほど、毎日が楽しくなっていくもんだとばかり思ってた。まだ幼稚園児だった紗枝も、  
俺の後ろをちょこちょこついて来るばっかりで。置いていくとすぐ泣きだすんだよなぁ。  
当時は少々鬱陶しかったが、今の紗枝を見てるとあの頃の面影を少しくらい残しておいても  
良かったのかもしれんな―――  
 
 
「ふー」  
 ……着いた。やーっと着いた。紗枝の家ってこんなに遠かったかな。思ったよりも時間  
かかっちまった。久しぶりに夏の炎天下の中を歩いたから、頭が茹りそうだぜまったく。  
さて、紗枝はどこにいるのか……っていた。車庫に収容されたワンボックスカーの後部  
座席で四つんばいになってシートの上を雑巾で拭いている。車の中を掃除しているみたい  
だな。扉を開けたままホットパンツ穿いて尻をこっちに向けているもんから、結構エロい  
アングルだ。  
「……」  
 うーん、普段なら何とも感じないんだがこの間胸を触ってやったしなぁ。見ているだけ  
というのも面白くない。ここは上だけじゃなくちゃんと釣り合いを取っておくとしよう。  
忍び足で近付いて……っと。  
 
わしっ  
 
「ひゃうっ!?」  
 
 紗枝の尻を思いっきり掴むと、紗枝の体がビクンと跳ね上がった。何とも可愛い悲鳴が  
返ってくる。これは面白い。どれ、もう一回さわさわと……  
「な、ちょ……、ちょっと崇兄!?」  
「あぁ、構わず掃除続けてていいぞ」  
 もう片方の手もホットパンツの上に這わせて指をわにわにと動かす。  
んー、中々な手触りだ。グラインドも悪くない。胸といいひょっとしてコイツ、結構良い  
体しているんじゃなかろうか。  
 
「や、やめろってば!!」  
 
バキッ!  
 
「うぐぁっ!?」  
 紗枝が突然曲げていた足を跳ね上げるようにピンと伸ばし、その踵が俺の鼻にクリーン  
ヒットしてしまう。思いっきり顔面を蹴られ、地面に大の字になって倒れこんでしまった。  
「痛ってぇー!!」  
 思わず抑えた手に赤い液体がくっついている。鼻血が出てしまったようだ。  
おのれ紗枝……何てことしやがる!  
 
「い、い、い、いきなり何するんだよ!?」  
 逃げるように車の外に出ると、両手で尻を押さえて俺を睨みつけてくる。というよりは、  
突然のことに平常心を保てなくなっている。顔の色は最早言うまでもないだろ。  
「何って……スキンシップだっ」  
 ポケットに偶然入っていたティッシュを丸めて鼻に突っ込んでから、拳をグッと握って  
自信満々に答える俺。  
「こんなスキンシップの取り方があるわけないだろ!」  
「ははは、何言ってんだ紗枝。現に今ここに存在しているじゃないか」  
「本気で怒るよ!!」  
 顔が赤い理由は、恥ずかしいだけが理由じゃなかったらしい。  
どうでもいいが、朝っぱらから元気な奴だ。  
「ちょっと! ちゃんと聞いてる!?」  
「うるせーな、そんくらい別にいいだろうが」  
「なっ……!」  
 紗枝の言い分はもっともだが、だからといって折れてやるつもりなど無い。  
今俺がこの場にいるのは、他ならぬコイツの為だ。詭弁? ナンデスカソノ言葉ハ。  
「お前が海に行きたいからって理由で、休日に朝早くから叩き起こされたんだぞ。それも  
滅多に無い休日を削ってだ。なのにお前はお礼を言うどころか感謝もしてきやがらねえ。  
それどころか、俺がこうして来てるのも当然だと思ってんじゃないのか。なんなら今すぐ  
帰っても良いんだぞ、俺はちぃーっとも困らんからな」  
   
 この前は紗枝の雰囲気が怖くて言い出せなかったが、今日はガツンと言ってやる。  
甘い顔するとすぐつけあがりやがって。本当に困った奴だ。  
「うぅ……」  
 紗枝は言い返せない。当たり前だ、俺の言ったことは紛れもない事実なんだからな。  
見る人が見れば、もしかしたら理不尽なのかもしれんがそこは気付かない振りで。  
「でも、だからってこんな……」  
 まぁーだ口答えすんのか。こうなったらもっと過激に攻めてやろう。  
 
ガシッ、ドサリ  
 
「え…」  
 紗枝の両肩を荒々しく掴んでやると、扉が開いたままだった車の後部座席のシートに体  
を押し倒す。でもって顔の両横に手を付いてやる。丁度紗枝の体の上に覆いかぶさる感じ  
になった。  
 
「なんなら……」  
 
 少ーしずつ、少ーしずつ顔を近づける。もちろん俺は脅かしでやっているんだが、こう  
いう経験が無い紗枝はきっと気付かないだろう。  
 
「ぁ……あ……」  
「本気で襲ってもいいんだぜ?」  
 
 付いていた手を折り曲げ、今度は肘をつく。  
紗枝の吐息が届くくらいに近い。歯を磨いて間もないのか、微かに歯磨き粉の匂いがした。  
朝っぱらから一体何やってんだ俺は、という至極もっともな考えが頭に浮かんだが、もう  
ちょっと悪戯したら紗枝がどう反応するか見たかったので、構わず続行することにする。  
「た、崇兄……」  
 
 少しばかりとろついた目でたどたどしく俺の名前を呼ぶ紗枝。おいおいおいおい、中々  
に良い雰囲気ぢゃねーか。冗談のつもりだったが据え膳喰わぬは何とかという言葉もある  
ことだし、もうちょっと行動をエスカレートさせてみることにした。空いた両手で紗枝の  
前髪をかきあげ額をコツンとくっつける。吐息がくすぐったいがそんなことは勿論顔には  
出さない。そして……  
 
 
 
 
 
「何やってるんですか?」  
 背後から投げかけられた、なんとも冷静な女の子の声が耳に届いた。  
「んー?」  
「ま、真由!」  
 俺と紗枝の声が同時に響いた。  
振り向くと紗枝と同じくらいの娘が佇み、じいー、っとこっちの様子を窺っている。  
 
森本真由――――紗枝の一番の親友であり、コイツの友人の中で唯一俺とも知り合いの  
女の子だ。後ろ髪がピンと跳ねているから一見活発そうに見えるんだが、取り乱したりす  
ることが無く、結構クールな面を持っている。本当に紗枝と同い年なのか疑わしく思って  
しまうこともよくある。だから知り合って間もない頃は俺もよく騙されたもんだ。この前、  
紗枝に電話を掛けてきた女の子って言えば分かってくれるかな。ちなみに顔立ちは狐っぽい。  
 
「おー、舞ちゃん久しぶり」  
「真由です」  
 ちなみにこの娘と会ったとき、俺は彼女の名前をわざと間違える。そして彼女はそれを  
笑顔で返す。これが挨拶代わりであり、最早暗黙の了解である。  
「ちょっ、真由! 見てないで助けてよ!」  
 
 一瞬だけ完全に忘れ去られた紗枝が、ひどく焦った様子で喚く。  
 体を起こして振り向いたせいで紗枝はある程度体を動かせるようにはなったみたいだが、  
俺が抜け出せないように圧し掛かっている為、脱出することは出来ないようだ。ひたすら  
ジタバタともがいている。  
「で、何をしてるんですか?」  
 その言葉を無視してまた聞いてくる。お前、紗枝の親友じゃないのか。  
 真由ちゃんにとって、親友を助けることよりも俺が紗枝に覆いかぶさっているこの状況  
を知ることの方が優先事項なようだ。ここまで冷静だと流石にちょっと怖いぞ。  
しかしいつまでもこのままでいるわけにはいかない。至極分かりやすい答えを返すことにした。  
「うん、見ての通りカーセック……」  
 
 
ドコォッ!!  
 
 
「ぐおっ!!?」  
 っがー! 痛ってぇぇー! つーかマジ死ねる…!!  
 油断していたところに、零距離からのボディブローが鳩尾に食らっちまったようだ。  
殴られた痛みと、呼吸が出来なかった苦しさが同時に襲ってくる。こいつはキツい……!  
「げほっ、げほっげほっ!」  
「このスケベ! 変態! 一回死ね!!」  
 俺の体を突き飛ばすと、紗枝は逆側の扉から素早く車の外へと逃げ出してしまう。  
ちっ、真由ちゃんが来なければもっと面白い事態になってたかもしれんのに。  
 
「相変わらず仲がいいよね、紗枝とお兄さん」  
「どこがっ!」  
 一部始終を堂々と拝見していたというのに、しれっとした表情で紗枝に話しかける真由ちゃん。  
うーん、こうして見るとなんでこの二人が親友同士になれたのかよく分からんな。  
 
 紗枝をからかって反応を楽しんでいるところを見ると、もしかしたら彼女も俺と同類  
なのかもしれん。  
「こ、今度やったら筵(むしろ)でぐるぐる巻きにして川に叩き落すからね!」  
 顔どころか耳までトマトみたいに真っ赤にしながら、紗枝が怒鳴ってくる。  
「分かった。じゃあ今度は腰や太ももあたりをチェックすることにしよう」  
 また殴られたり蹴られたりするのは嫌だから、とりあえず妥協案を提出してみる。  
「同じことだろっ」  
 悲しいことに速攻で棄却されてしまった。もう少し考えてくれたっていいだろ。つまらんなぁ。  
 
「ところで他の皆はまだなの?」  
「ああ、真由が最初だよ」  
 今日海に行くのは、俺を除いて六人だったな。ってことはあと来るのは四人か。果たして  
どんな面子なのやら。  
 
「おはよーっす」  
 っと、言ってるうちに誰か来たみたいだな。  
反応して振り向くと、俺と同じくらいの背格好で顔中日焼けした、これまた紗枝と同年代  
の男子が一人立っている。俺と同じくらいってことは身長170半ばってとこか。  
「ハッシー、おはよう」  
 その男子に向かって紗枝が挨拶を返す。  
短髪なところといい締まった体といい、見た目からして何かスポーツやってるっぽい。  
俺ほどじゃないが中々良い面してやがる。  
「平松、森本、ちゃんと遅れずに来れただろ?」  
「うん、ちょっと不安だったけどちゃんと来てくれて良かったよ」  
「橋本君が私の次に来たって言うのも意外だけどね」  
「おいおい、二人とも言ってくれるな」  
 輪を囲んで談笑を始める三人。なんでもないことから会話がどんどん膨らんでいく。  
ああいうのを見ると、高校生の時にもっと楽しんでおきゃ良かったなって羨ましくなる。  
俺も昔の友人達と関係が切れたわけではないが、あまり会うことはない。  
まあ、話をするためだけにわざわざ会おうとは思わないが。だってやっぱり面倒臭いし。  
 
「で、だ」  
 盛り上がりかけた話を突然断ち切ると、その橋本君がこちらにグルリと向き直った。  
「えーっと、平松…さんのお兄さんですか?」  
 それまでの自然体な感じから一転、恐る恐るといった感じで俺に話しかけてくる。  
どうやら、俺が紗枝の実の兄だと勘違いしているようだな。  
 
「ああどうも、紗枝がいつもお世話になってます」  
 面白そうなのでなりきることにした。  
「ちょ……」  
 訂正しようとした紗枝の口を、真由ちゃんが背後から手で塞ぐ。  
アイコンタクト無しでここまで意志が疎通できるとは。俺達って凄いね。   
「やっぱり。でもあんまり似てないっすね」  
「兄妹が似てちゃまずいと思わんかね。絵的に」  
「はっはっは、確かに」  
 別段面白いことを言ったつもりは無いのだが、何かやたらとウケている。  
俺にそんな人を笑わせられる才能があるとは思えんが。  
「あ、俺は橋本って言います。今日はお願いしますね」  
「どーも」  
 おもむろに差し出された手を握り返す。  
「普段からうるさい奴だから。迷惑かけて悪いね」  
「いやいや、おかげで毎日楽しませてもらってますよ」  
「あれでも昔は可愛かったんだよ。素直で大人しくてな」  
「素直で大人しいですか。ということは今とは真逆だなー、想像がつかねえ」  
「だろ?」  
 おお、話が噛みあう噛みあう。こいつとは相性が良いのかもしれんな。  
 
「もがーっ!」  
   
 俺と橋本君の会話を遮断するかのように、変なうめき声が聞こえてきた。  
 
「真由ちゃん、そこの珍獣もうちょっと静かに出来ないか?」  
「これ以上は無理です」  
 獣は常に凶暴なようで。何をそんなにいきり立っているんだろう。  
いや、もちろんやっぱり理由は分かっているんだけどね。  
「いい加減なこと言うなっ!」  
 と、ようやく口を開放され早速噛み付いてくる。  
まったく、さっきから怒鳴ったり怒ったりうるさい奴だな。  
「いい加減なことなど俺は何一つ言ってないぞ、紗枝」  
「じゃあ崇兄とあたしがいつ兄妹になったんだよっ」  
「ら? 兄妹じゃないの?」  
「この人は紗枝の昔からの知り合いなの。幼なじみなのよ」  
 困惑しかけた橋本君に、真由ちゃんがナイスフォローをいれてくれる。  
同時に、彼の眉間に浮かんだ皺がスッと消え去る。俺と紗枝が『兄妹のような関係』だと  
いうことを理解してくれたようだ。頭の回転も速いね。見た目といい、こいつ結構モテる  
んじゃないかな。  
「はぁ〜、ややこしいな」  
「ややこしくしたのはこの人だけどね」  
 そう言うと、真由ちゃんは俺に鋭い視線を浴びせてきた。  
早速掌を返しやがったかこの娘っ子は。狐に似てるだけあって、いい性格してやがる。  
 
「でもよ、"嘘"はついてないぜ?」  
 とりあえず言い訳しておく。そう、嘘はついていない。俺がさっき口にしたことは全て  
真実だ。橋本君の最初の質問にも、イエスノーで答えたわけじゃないからな。  
「言い訳になるかっ」  
 まぁーだ怒ってやがる。尻触ったことといい、こりゃ相当腹立ててんな。  
「だったらお前も俺のこと"崇兄"なんて呼び方すんな。ややこしいだろうが」  
「し、しょうがないじゃだろ。物心ついたときにはそう呼んでたんだから」  
 それこそ言い訳にならんだろう。そう呼び始めたのはあくまでコイツだ。そもそもお前  
が俺の紹介を事前にしときゃ、こんなことにならなかったんだろうが。  
 
 
「「おはようございまーす」」  
 今度は複数の声が届いた。声からして男と女だな。  
振り向くと、一組の男女が随分寄り添いあって立っている。  
「おはよう。二人とも、一緒に来たんだ」  
 それまでの赤い顔はどこへやら、いつもの様子に戻った紗枝が挨拶を返す。  
顔色はコロコロ変わる癖に、気持ちを切り替えるのはやたらと上手いな。  
俺が会うたびにコイツをからかってるから、そういうのに慣れたのかもしれない。  
「うん。途中で偶然出くわしたから、一緒に来ちゃった」  
「こいつったらよ、ここに来る途中で迷った挙句にパニくってんだぜ。傍から見てて随分  
面白かったよ」  
「それは言わないでって言ったじゃない! 第一自分だって途中で財布忘れたとか言って  
喚いてたでしょう。しかもお尻のポケットに入ってたし」  
「う、うるせえっ!」  
 来たと同時に二人して口喧嘩し始める。なんなんだこいつらは。なんかどこかのテンプレ  
みたいな会話をしているような気がするのは果たして俺の気のせいなのか。  
「おいおい、喧嘩も良いけど今日お世話になる人が目の前にいるんだから、ちゃんと挨拶  
しろよ。車を運転してくれるためにわざわざ来てくれたんだぜ」  
 睨み合い唸りあう二人に向かって橋本君が、呆れ交じりに声をかけながら俺を紹介する。  
そこで初めて俺がいることに気付いたのか二人はハッとした表情になって俺の方へと向き直った。  
「あ、ど、どうもスイマセン。俺は小関って言います」  
「と、戸部です。今日はありがとうございます」  
「ほいほい。今日運転させてもらう今村って者ですよ」  
 いきなり醜態見せてしまったバツの悪さからか、二人とも歯切れ悪い。俺は俺で、毎回  
社交辞令を口にするのも面倒になってきたから、名乗るだけにしてその場から少し離れる。  
しかし名前が小関に戸部か。あんま話に絡まないっつーか、忘れ去られそうな名前だな。  
こんなこと言ってしまって全国の小関さん戸部さんごめんなさい。  
 
 
 全員揃うまで、おじさんとおばさんに挨拶でもしてくるか。紗枝やその友達にも余計な  
気を使ってもらいたくないし。車出してくれるんだし、一言何か言っておかなきゃならん  
だろうからな。  
 
 
ガチャリ  
 
 
「どもー、おはようッス」  
 玄関の扉を開けて声を張り上げると、トタトタと音を立てながら奥から二人の人物が姿を  
現す。言うまでも無く紗枝の両親だ。  
「あらー、崇之君久しぶりだね。ちゃんと毎日ご飯食べてんのかい?」  
「死なない程度には食ってるよ。おばさんも相変わらずなようで」  
「そうかい? これでもちょっと白髪が増えてきてるんだけどね」  
 明るく笑い飛ばしながら、おばさんは髪の毛を弄ってみせる。言われてみれば、赤茶色  
に染め抜かれた髪の毛が少々目に付いた。でも久々に会ったけど、豪快なモノの言い方と  
サバサバした性格はまるで変化がない。  
「崇之君」  
 遅れておじさんも口を開く。こちらはおばちゃんと違って、物静かで温和な雰囲気を  
漂わせている。そういや今日は日曜だったか。だからこの時間になっても家にいるんだな。  
「おじさんも久しぶり。車を貸してくれてどうも」  
「いやいや、君も紗枝のワガママに付き合ってくれて申し訳ないね。折角の休日だったん  
だろう?」  
 顔の皺は随分と増えてしまってて、髪の毛も全体的に若干薄くなったようだけど、眼鏡  
の奥の穏やかな表情はこれまたまったく変化が無い。紗枝もこの親父さんの血を少しでも  
濃く受け継いでいたら、俺にあそこまで玩具にされることは無かっただろうに。  
「はっは、いつものことだって」  
「それなら尚更だ。今度、紗枝にはちゃんと言っておくよ」  
「大丈夫だよ。あれでも色々役に立ってんだから」  
「そうか? 済まないね」  
「いえいえ、お構いなく」  
 まあ、あいつが家に来ないと何の味気もない実につまらん生活になっちまうからな。  
そういう意味では助けてもらっていると言えるかもしれん。  
「なら甘えついでに崇之君、お願いがあるんだけどさ」  
 そしたらまたおばさんが口を開く。  
「俺に?」  
「そう、君に」  
 今まで洗いものをしていたであろう濡れた手をエプロンで拭きながら、気兼ねする様子  
など全く見せずに話しかけてくる。  
 
 
「いい加減あの娘を貰ってやってくれないかい?」  
 
 
 何を言ってくるのかと思えば、程よく心臓に負担が掛かりそうな御言葉だ。  
「ははは、中々面白い冗談で」  
 思わず噴出しそうになったが、そこは流石というかやはり俺。外面を取り澄まして至極  
全うな言葉を返す。  
「あたしは本気だよ? 今更どこの馬の骨とも知らないようなのを連れて来られるより、  
よく見知った子の方があたし達も安心出来るってもんさ」  
「……確かにそれは言える」  
 普段は真面目なおじさんまでこんなふざけた申し出に同調している。  
二人で『おも○っきりテレビ』の嫁婿問題で悩む視聴者の電話相談でも見たんだろうか。  
なんつーか、なんだな。  
「それに崇之君も、半分位はもうあたし達の息子みたいなもんだからね」  
「……確かにそれも言える」  
 をーい、ちょっと待ってくれー。  
 
「初孫は男の子で何人か産んでもらいたいねえ。ウチは紗枝一人、女の子だけだったから」  
「そうだな、ついでに崇之君の血が濃い方が良いんだが」  
 勝手に話を進めないでいただきたいものだ。  
なんで子供の話にまで発展してんだ。いくらなんでも話が飛躍し過ぎだろうが。  
「俺もいい加減だぜ。20になる前には煙草は吸ってたし、付き合う女はとっかえひっかえ  
だったし」  
 久しく会っていなかったせいか、お二方とも俺がどういった人物であるか忘れかかって  
いるらしい。これ以上夢物語を膨らませないためにも、ここはしっかり訂正しておこう。  
心なしか、自分を卑下しているような気もするが。  
 
「何言ってんだい。あんたが自分の言うとおりの根っからの駄目人間なら、紗枝があそこ  
まで懐くわけないだろう」  
 果たしてあれは懐かれていると言っていいのだろうか。体よく利用されているような気  
もするんだが。まあ、その代わり俺も散々アイツをからかいまくってるけどな。  
「さっきぼろっカスに言ってた割には随分評価してんだね」  
「まあね。人を見る目はある娘だから」  
 そうなのか。いくら俺でも紗枝の一から十を知っているわけじゃないから、今の言葉は  
結構新鮮だったな。  
 
「ごめん、遅れたー!」  
 
 
 弾んだ息を混じらせながらのでっかい声が、玄関外に響き渡る。  
お、最後の奴も来たみたいだな。じゃあ俺も準備するか。  
「じゃあおじさんおばさん、そろそろ行くわ」  
「行ってらっしゃい」  
「鍵はこれだ」  
「あ、どうも」   
 おじさんから差し出された鍵を受け取り玄関の扉を開ける。  
 
「一応車のメンテナンスはしておいたよ。寿命は近いが、海まで往復するくらいなら充分  
持つだろう」  
「およ、わざわざすんません」  
礼を述べる為に一度振り返り、そして二人に向かって会釈を返す。  
「廃車寸前だから、好きに乗ってくれても構わんよ」  
「うっす」  
「出来れば暗くなる前に帰ってきてね」  
「あー、善処してみるよ」  
 
パタンッ  
 
 相変わらずだったなぁ。やっぱ少しばかり老けていたのは寂しかったけど。  
まあ、俺が今年で22になるんだし仕方ねえか。時間の流れってのは残酷なもんだな。  
外に出て紗枝達がたむろってる方へと視線を向けると、さっきはいなかった、一番最後  
に来た奴が他の五人にひたすら謝っている。髪の毛がドエラいことになってるから、寝坊  
でもしたんだろうな……って、ん?  
 
「オイ、お前兵太か?」  
   
 その顔が見知った顔によく似ていたので、ついつい声をかけてしまう。するとそれまで  
皆に頭を下げていたそいつが、こちらの方へ視線を向き直った。で、俺の顔を認識すると  
同時に、ギクリとした表情を浮かべる。  
「げっ! い、今村さん何でここに!?」  
 
 ………………  
 
「お前"げっ"って何だ"げっ"って」  
 やっぱり俺の知り合いだったようだ。  
つーかてめぇ、普段俺のことをどう思ってやがったんだ。  
 
「あー! スイマセンごめんなさい!!」  
「今更遅えよ」  
 逃げる兵太の襟首を掴もうと腕を伸ばす。が、寸前のところでかわされてしまった。  
相変わらずすばしっこい奴だ。  
「崇兄、兵太のこと知ってるの?」  
「知ってるも何も、バイトの後輩だよ」  
 そう、夏休みになると同時に、俺のバイト先に新人として配属されてきたのが目の前に  
いる斉藤兵太君だ。ちなみに教育係は他でもない、俺である。  
更に言っておくと、先に言っていた予想外に出来の良い仕事熱心な新人というのもこいつ  
のことである。まあ、これもひとえに教育係である俺のおかげであるわけだが。  
「ちょ、ちょっと今村さん! バイトしていることは内緒にしてくれって言ったじゃない  
ですか!」  
「うん、まるで憶えてない」  
 答えるのが億劫だったので、ポケットの中の、いつも愛用しているパイプを取り出して  
歯噛みする。それにだって本当に憶えてねーし。  
「そんな……口封じのお礼に飯まで奢ったのに……」  
 文字通りがっくりと肩を落としやがった。一挙手一投足が大げさな奴だ。  
 
ガシリッ  
 
 その隙を突いて、奴の頭を鷲掴みにする。ったく、男のくせして細けーことでグチグチ  
言いやがって。そんなんだから背も小っちぇえんだよ。  
「何か文句あんのか? んん?」  
「あ……いや、何でも…ない……デス」  
「  だ  っ  た  ら  話  は  終  わ  り  だ  。異議は?」  
「イエ、アリマセン」  
「よし」  
 以上再教育完了。俺の言うことはよく聞く奴だから、手なずけるのは簡単である。いや、  
俺って本当、後輩思いな先輩だよね。  
 
 
「崇兄は準備出来てる?」  
「ああ、俺の方は問題ねえよ」  
 兵太への教育が終わると同時に、紗枝が問いかけてきたので鍵を見せながら答える。  
「じゃ、全員揃ったしさっさと行くか」  
「「「「「はーい」」」」」」  
 橋本君の言葉を皮切りに、全員ゾロゾロと車の方に向かっていく。どうやらリーダーは  
彼みたいだな。年長者だからって俺がしゃしゃり出てきたら面白くないだろうし、空気も  
悪くなるだろうから今日は日陰に位置取ることにしよう。  
   
 じゃあ乗り込むか。ワンボックスタイプは運転したことないが、ATだから多分大丈夫  
だろう。この前運転した時(つっても半年くらい前なわけだが)は、中央分離帯を乗り越えて  
対向車とぶつかりそうになったがそれは言わないでおこう。皆に余計な心配をさせる必要  
は無いよな、うん。俺ってマジ優しい。  
「崇兄ー、早くー!」  
「分かった分かった。ちょっとくらい待てんのかお前は」  
 逸りたてる紗枝の言葉をいなして、鍵を片手で遊ばせる。  
そしてゆっくりと運転席に近付いていった――――  
 
 
 

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