「………………ふうぅ〜〜〜」  
 長ーい沈黙の後、長ーい溜息をつく寂しい人物が一人、禁煙パイプを咥えている。勿論、  
言うまでもなく俺だ。目の前では俺が車に乗せて連れて来た連中が、人ごみに紛れて海と  
戯れている。それこそ俺の存在を忘れているかのように……つーか忘れてるんだろうが。  
まあ、なんで一人着替えずにひっそりと座り込んでいるかっつーと、俺が水着を忘れた  
からなんだが。くそ……寝ぼけながら準備したから、一番肝心なものを忘れてしまった。  
折角忙しい合間を縫って水着を買ってきたってーのに……はぁ。なんてこった。  
 
 ちなみにここに来るまでの道中、紗枝達に素晴らしい時間を提供してあげたことは言う  
までもない。  
「ジェットコースターに乗ってる気分だった」「曲がる時に片輪が浮いてた」「死んだじい  
ちゃんが見えた」など賞賛の言葉も多数頂いている。  
 サービス精神旺盛な自分自身に惚れそうだ。  
 
 しかし、ずーっと奴らが泳いで遊んでいるところを眺めるのもつまらん。仕方ないな、  
これを使って暇を潰すか。  
 
 
パパラパッパパ〜〜♪ オペラグラス〜〜〜〜♪  
 
 
 よし、これで女の肢体を観さ……いやいや、日々、観光客の身の安全の為に心血注いで  
くれているガードの人達のせめてもの労いとして、俺も監視業務を手伝うこととしよう。  
じゃあ日差しが強いからキャップから麦わら帽子に被り変えてと。これで準備万端だな。  
 さてさて、ちらほら見かける地球外生命体はとりあえずスルーして……お、早速発見。  
紗枝と同じくらいの年齢に見えるくらいだから高校生かな。ビキニなのは結構だが、もう  
ちょっと膨らますところは膨らませて、引っ込ますところは引っ込ましてから着て欲しい  
もんだ、70点。  
   
 次はどうだ……ぬう、あれはデカい。確実にFはあると見た。水着の露出が少ないから  
体型が分かりにくくてそこが若干マイナスだがまあいい、顔立ちも充分及第点だな。85点  
ってとこか。  
 …って、うお! おいおい海で競泳水着かよ。しかしイイネイイネ、お兄さんはそんな  
無謀な挑戦をする若い娘さんが大好きだ。体も引き締まってるし、スカイブルーのテカり  
具合もそそる。後ろで纏め上げた髪もしっかり似合ってるしどれもこれも俺のストライク  
だね溜まんねーなひあっほう! おっと失礼取り乱した。とりあえず彼女には95点という  
高得点をあげちゃおう。  
 んじゃ次は……  
「何やってんの?」  
「うおっ!? さ、紗枝か」  
「さっきからニヤニヤしてて気持ち悪いんだけど」  
「……驚かすなよ」  
 くそー紗枝の奴、背後からいきなり声掛けてきやがって。監視に集中してたもんだから  
口から心臓が飛び出るかと思ったぞ。  
「やることなくて暇だから海の監視業務手伝ってんだよ。だから邪魔すんな。俺のことは  
いいから友達と遊んで来い」  
「ふーん」  
 口を尖らせて唸りながらジト目で俺を睨んできやがる。  
「んだよ、何か言いたいことでもあんのか?」  
 
「女の人しか眺めてないのにそれって監視なんだ」  
 
 げっ、しっかりバレてやがる。そういやコイツ意外と人の行動には目ざといんだったな。  
「何を言う紗枝、女性は男性よりも体力的にも身体的にも劣っている人が多いだろう?   
まして海は波があり足がつかない分、プールや川よりも溺れてしまう可能性が非常に高い。  
つまり俺が女性を優先的に、お前には女性しか見てないようにしか見えなかったかもしれ  
んがそれは別になんらおかしくはないわけで「じゃあお年寄りの人は?」」  
 
 
「……え゛?」  
 
 
「小さな子供とかもっと危ないよ? 見なくていいの?」  
「……」  
 しまった、用意していた言い訳が通用しない。  
「そもそも監視員でもない崇兄が何で監視する必要があるわけ? おかしいよそれ」  
 かぁー、まったく小うるさい。人のささやかかつ男にとっちゃ当然でありしかも今の俺  
にとって唯一と言っていい楽しみを奪おうとするとは。鬼かコイツは。  
「泳ぐことも出来ねえし、お前らがいるからナンパも不可。ただ海を眺めるだけで時間を  
潰せっつーのか」  
「泳げないのは水着忘れた崇兄が悪いんだろ。そんなに暇なら、砂浜で遊んでりゃいいと  
思うけど」  
 他人事だと思っていい加減なこと言いやがって。この歳になってお子様に混じって砂の  
お城なんざ作れるかボケ。  
「じゃあ泥ダンゴとかでも「やかましいわ」」  
 コイツの相手をすることはいつものことだが、こういう絡み方されるとやっぱり鬱陶しい。  
せっかく久々に会ったクラスメイト達と遊んでりゃいいのに何でわざわざ俺に話しかけて  
くんだよ。  
「そりゃあ見てて不憫になったからに決まってんじゃん」  
「……うるせえな」  
 何か子守をしてる気分になってきた。思わず頭を抱える。  
「それに水着美女なら目の前にもいるだろー」  
「は? どこにいんだよ?」  
「ここに」  
 にっこり笑って自分を指差す紗枝。ああ……可哀相なことにこのお嬢ちゃんは夏の暑さ  
で頭をやられてしまったらしい。不憫だね。  
 
「寝言は寝て言え」  
「ちゃんと起きてるってば」  
 一言くらいは何か言われると思っていたのだろう。悪態をついても全くへこたれない。  
 
「ねえ、崇兄の採点だとあたしは何点くらいなのかな?」  
 
 しかも無謀なことに、自分の点数を聞いてきやがる。さっきの冗談が本当になりそうな  
勢いだ。強情な奴だから俺が拒んでもしつこく聞いてくるだろうし、ここは紗枝の水着姿  
を一瞥してとっとと答えることにした。  
「そうだなー……減点方式で30点ってとこかな」  
「なっ!」  
 紗枝の頭の辺りで、ガンッという高い位置からトンカチを床に落としたような音がした  
のは、果たして気のせいだったのかそうでないのか。もしかしなくてもショックを受けた  
みたいだ。くくく、いい気味いい気味。  
「なっ、なんでそんなに点数が低いんだよ!」  
 納得がいかないようで、採点の内訳が知りたいらしい。  
「余計に傷つくだけだぞ」  
「……いい」  
「後悔すんぞ」  
「……早く言ってよ」  
 相変わらず強情な奴。  
「そんなに知りたいんなら、包み隠さずしっかりはっきりゆっくりじっくり教えてやろう。  
まず色気が無い、これでマイナス10点。胸も無い、マイナス10点。水着が似合ってない、  
マイナス10点」  
「……この水着、一生懸命選んだんだよ?」  
 一つ一つ減点対象を聞いてくうちに紗枝の表情がどんどん硬くなっていってたが、どう  
やらここはスルー出来なかったようで口を挟んでくる。  
「ビキニを着るならもう少し身体に凹凸が出来てからにしろ。でないと俺は認めん」  
 
「タンキニなんだけど」  
「大して変わらん」  
「……」  
 あーあー拗ねちまった。  
「どうすんだ。やめるかー?」  
「…………聞く」  
 なんか意固地になってやがんな。まあ向こうから聞きたいって言ってきたんだから俺に  
非は無い。つーわけで続行。  
「そんじゃ続き言うぞ。自分自身を"水着美女"という虚偽の報告をし、審査員の心証を  
著しく悪化させた。これがマイナス20点」  
「何それ! 言いがかりじゃんかー」  
「あほう、まだ二十歳にもなってないお前が"美女"を騙るな。"美女"とは最低でも20  
を過ぎ、大人の魅力溢れるお姉さま属性を持つ女性にのみ許される輝かしい称号なんだぞ」  
 身の程知らずなお子様に世間の一般的解釈を教えてやる俺。紗枝の方はというと、また  
言い返してくるのかと思ってたら今度は口を噤んでしまった。どうやら自身に大人の魅力  
が欠けてるということは、ちゃんと理解しているようだ。  
「……ううぅ、確かにそうかも」  
 お、珍しくしおらしい。まあ、これに懲りて少しは謙虚にふるまえ。  
「じゃあ"水着美少女"に訂正するね」  
「……更にマイナス10点な」  
 紗枝がまたブーブー言ってきやがるが、さっきからこめかみ辺りでビキビキと音がして  
いてそれどころじゃない。触れてみると、若干血管が浮き上がってきている。お前、絶対  
わざと言ってるだろ。いい加減制裁加えるぞ。  
「フンだ、今更点数引かれたってもう関係ないもん。それより、あと20点マイナスされた  
理由をまだ聞いてないよ」  
 かー! ここまでぼろカスに言われてまだ聞きたいのかよ。紗枝はもしかしたら筋金入り  
のMなのかもしれない。ああ……昔の可愛い紗枝は一体どこへいってしまったのか……。  
 
「ほら、早く言ってよ」  
「言ってもいいが更に傷つくぞ」  
「とっくに傷ついてるよ! もう何言われても大丈夫だから遠慮なくさあどうぞ!!」  
 急かしたり怒鳴ったり、こりゃ相当カリカリしてんな。さっさと理由を言ってとっとと  
解放させてもらうか。  
「そこまで知りたいんだったら教えてやるよ。あと20点マイナスした理由はな、審査対象  
がお前だからだ」  
「……へ?」  
「俺たちは付き合いが長い。それこそ半分家族みたいなもんだ。そんなお前を今更公正に  
審査することはやっぱ難しいって」  
「ちょ、ちょっと待ってよ! だからって何でそんな点数引かれなきゃいけないわけ!?」  
「それはお前が紗枝だからだ」  
 中間管理職で苦しむ現場叩き上げの艦長が駄目NTに己の分をわきまえさせるかの如く、  
びしっと紗枝を指差しながら声を渋くして決める俺。んー、我ながら実にダンディ。  
 
 
べしゃっ!!  
 
 
 次の瞬間、後頭部踏まれて俺の顔面が思い切り砂浜に埋まってしまったことに関しては  
突っ込まないでくれ。  
「お前いくら本当のこと言われたからって頭踏みつけるこたぁ無いだろ!」  
「何が本当のことだよ! そんなふざけた意見なんか参考になるもんか!」  
「んだとー!!」  
「なんだよ!!」  
   
「おーい平松ー、せっかく海まで来たってのに遊ばねえのかー?」  
 
 
 いつまで経っても俺と口論し続ける紗枝を見て、橋本君が大きな声を張り上げ呼びかけ  
てくる。まあそりゃそうだよな、こんな所に来てまでいつもの如く口喧嘩を繰り返すのは  
まさしく愚の骨頂と言える。  
「ホラ、久々に会った友達もああ言ってんだしさっさと行け。目障りだ」  
「崇兄こそ、本当の監視員の人たちに不審者に見間違われないでよ。最近海で盗撮事件が  
多いみたいだしね」  
「俺が盗撮とかするわけねーだろ」  
「どーだか。さっきまで女の人ばっかり見てた癖に」  
 そう吐き捨てると、俺に向かって舌を出し皆がいるほうへと駆けていこうとする。  
 
「紗枝ー、お前も一応女なんだから自分こそ気をつけろよー」  
「大きなお世話ー!」  
 まあ、さっきまで好き勝手言わせて貰ったが、アイツに何かあったらおじさんおばさん  
に会わす顔が無いからな。一応注意を促してみたが最後まで減らず口だったか。からかい  
過ぎたな。  
 
 向こうに合流すると、真由ちゃんに茶々を入れられたらしくまた顔を赤くしている。何を  
突っ込まれてるかは知らんが、どうせ顔が赤いのは日焼けだ、とか言い訳してんだろうな。  
改めて遠くから紗枝を眺めてみる。意外と水着が似合っていたことにちょっぴり驚く。  
そうか水着も少しばかり子供っぽいんだ、一人で納得。  
 
「くあ……」  
 一息ついて、朝起きるのが早かったせいかあくびが出る。いよいよやること無くなっち  
まったし、パラソルの下で寝ようかね。  
「暇そうっスね今村さん」  
「…兵太か」  
 紗枝がようやく向こうに行ったかと思ったら今度はコイツか。海で男を隣に喋るなんて  
寂しいことこの上ないな。  
 
「お前は遊んでなくていいのか」  
「昨日、深夜近くまで別口と遊んでたもんで。皆に合わせて遊んでたら途中で疲れきって  
持たないッスよ」  
「あー、そういやお前今日寝坊してきたもんなぁ。もし今日がバイトだったら教育的指導  
じゃすまなかったよな」  
「で、罪滅ぼしに買ってきたんですけど。食いますか」  
 見ると、肉厚で美味そうなイカ焼きを手にしている。そういや朝飯食ってなかったな。  
「ちっ、貰ってやるよ」  
 今日初めて見た食べ物が目に映ると同時に空腹感を覚えたので、迷うことなくそいつに  
手を伸ばす。兵太から受け取ると、頭の部分にガブリと噛み付く。タレが染みててこれが  
結構美味い。  
 
「それにしても、今村さんと平松が知り合いだったとは思いませんでしたよ」  
「教えてないから当然だろ」  
 続けて話しかけてくる。言葉を返すのも億劫だったが、イカ焼きを貰ったばかりなので  
一応相槌は返す。しかし美味いねこれ、もぐもぐ。  
「いやでも、平松に兄的存在の幼なじみがいるっていうのは知ってたんですけど、それが  
まさか今村さんだったなんて……」  
「オイちょっと待て」  
 今コイツはなんつった。知ってた? 俺の存在を? どういうことだ?  
「いやー平松と話してると時々出てくるんですよ。"幼なじみのお兄さん"っていうワードがね」  
 俺の表情でその言葉の先を察したのか、ニヤニヤしながら兵太が言葉を続ける。ちっ、  
あの馬鹿マジでガキだな。高校生にもなってそんな事言い触らすか普通。  
「まあ、正確に言うと平松を茶化す時に森本が好んで使うんですけどね、今の単語」  
「……」  
 兵太の笑みが更に濃くなった。  
 
 
 グイ、ガキキッ  
 
 
「痛たたたたたたた! ギブギブギブギブギブ!」  
 教育的指導として、イカ焼きを口にくわえてから奴の腕を引っ張りアームロックをかけ  
てやる。てめぇ俺をからかうなんざいい度胸してんじゃねーか。  
「ちょすいませんってマジで折れる折れる折れるんぎゃああああああ!!」  
 余りの絶叫ぶりに、周りの人たちがこっちに振り向く。流石に視線が痛ーな。まだまだ  
やりたりねえがここらへんで解放してやるか。  
「あー、いててて……」  
「次似たような口きいたらマジでへし折るぞ」  
「……森本の話では口は悪いけど優しい人だって聞いてたんだけどな…」  
「なんか言ったか」  
「イイエナンニモ」  
 睨みを利かすと、兵太はカタカタと口を動かして直立不動になる。上辺だけの言葉という  
気がしなくも無いが、ここはやらないでおいてやるか。  
「で、ちょっと聞きたいんですけど」  
 相変わらず話の切り替えのタイミングが唐突な奴だな。意を決したかのように唾を飲み  
込むと、ずずいっと顔を近づけながら口を開いた。  
「平松とはどんな関係なんですか?」  
「んー?」  
「いや、もうちょっとこう普段はどんな関係なのか具体的に知りたいなーなんて思ってた  
り思ってなかったり……」  
 あーあーこの手の質問か。昔から紗枝との関係はよく訊かれたからな。ちょっとばかり  
うんざりするもんがある。  
「普段の関係もクソも、さっき言ったとおり幼なじみは幼なじみだよ。知り合ってからの  
時間が長かっただけで別にアイツが特別ってわけじゃねえさ」  
 
「そんなもんなんですか?」  
「そんなもんなんだよ」  
 何を期待していたのかは知らんが、ここはビシッと言っておく。  
「へー……」  
 俺の答えが満足するものじゃなかったのか、急に気の抜けた相槌を返してきやがる。  
「で?」  
「で、とは?」  
「なんでンな事聞くんだ?」  
「え! いや! それは! あの、えっとですねそのー……ちょっと興味が湧いたっつーか、  
いわゆる一つのですね」  
「長○監督かてめーわ。まあ別にいいけど、あまり良い趣味してねえな」  
 と、そこまで言ってからはたと思い出す。  
 
『紗枝、お前さ』  
『ん? 何?』  
『一緒に行くメンバーの中に好きな奴でもいんのか?』  
『えっ……なっ、なんで?』  
『ほーそうかそうか、紗枝には好きな人がいたのか』  
『ちっ、違うよ! そんなんじゃないってば!』  
『いやいや照れる必要は無いぞ。お前も年頃なんだからむしろ当たり前だ。あー、こりゃ  
当日が楽しみだな。誰が紗枝の好きな奴なのか見極めないとなぁ』  
『だからそんなんじゃないって! ただ友達と海に行きたいだけだよ!』  
 
 くくくくくく……すーっかり忘れてたな。  
「ど、どうしたんですか今村さん、急にニヤニヤして」  
「いやー、一つ楽しみがあったのを思い出してねー」  
 紗枝の方はというと、相変わらず砂浜でビーチボールやったりして遊んでいる。ビキニ  
だからあまりはしゃぎすぎるとちと危ないかもしれんが、まあ大丈夫だろう。貧乳だし。  
 
 傍には真由ちゃんやら橋本君やら……えーと後二人の名前なんだっけ。  
「小関と戸部です」  
 そうその二人。要するに俺ら二人を除いた五人で固まって遊んでる。  
 
「ごっそさん、イカ焼き美味かったよ」  
 残り僅かになったイカの身を一気に頬張り串をゴミ箱へと投げ捨てる。しかし中途半端  
な時間に食ったもんだから逆に小腹が空いちまったな。どうするか。  
「いえいえ。で、さっきの続きなんですけど」  
 兵太の方はまだ俺の方に質問があるようだな。どれ、ここは俺の食欲を満たす為に働い  
てもらうとしよう。  
「おおっと、なんか中途半端に食ったから余計に腹減ったな。俺の胃袋は、イカ焼き一つ  
じゃどうも足らないと見える」  
 腹をさすりながら一回り大きな声でわざとらしく口に出してみる。  
「……」  
「いかんなぁ、これは早急に更なる食物を補給せねばならんようだ。でないと頭に栄養が  
回らなくなって普段覚えていることまで忘れてしまうかもしれん。こんな物忘れの激しい  
俺に、食べ物を恵んでくれる優しい優しいバイトの後輩はいないものかなぁ」  
「……分かりましたよ、次は何が食べたいんですか」  
「それは済まないね、では焼きそばを一つを頼むよ」  
 持つべきものは優しい後輩だね、ふはははは。  
 兵太は大仰に溜息をつくと、ぶつくさ言いながら売店へと近づいていく。いやぁ後輩の  
『善意』に私の心は洗われるようだよ明智君。後輩に奢らせるなんて、俺って最低だね!  
 
「はいどーぞッ」  
 最初の時より渡し方や口調に棘があったような気もするが気にしない。箸と一緒に焼き  
そばを受け取る。  
「おうご苦労、大儀であった」  
 蓋を開けると、胃袋にズドンという衝撃を与える香ばしいソースの匂いが襲い掛かる。  
空腹時に嗅ぐこの香りは、人類最強兵器と表現してもいいのかもしれない。匂いで死ねるな。  
 
ズズーーーーッ  
 
「おおぉ……美味え…!」  
 思わず実感。つい自分の腿をビタンビタンと叩いてしまった。普段コンビニに頼ってる  
と、こういう手作りの食べ物のありがたみがよく分かる。  
「で、さっきの話…」  
「時に兵太君、飲み物はどこかね。喉が渇いて仕方ないのだが」  
「……」  
「んー、こりゃいかん。水分を補給しないと思考能力が低下してしまって思い出せる話も  
思い出せなくなってしまいそうだ。気の付く後輩が買ってきてくれるといいんだが」  
「分かりましたよ買ってきますよ!!」  
「ご苦労。君の将来はバラ色だ」  
 怒り肩になりながら自販機に向かう兵太の背中にせめてもの労いをかけてやる。買って  
きてもらったウーロン茶のペットボトルを受け取ると、一口ぐいっと煽る。やっぱり人間、  
飲み食いしてる時が一番幸せだよね。  
 
「で!」  
「ん?」  
「いい加減質問しても宜しいですか!」  
「質問? なんかあったっけ?」  
「……」  
 すぐ隣からギリギリという歯軋りと不気味なうなり声が上がり始める。冗談の通じない  
奴だな。そんなんだから高校生になっても七夕の願い事に『背が大きくなりますように』  
とか書いちまうんだよ、中学一年の時までサンタクロースの存在を信じていたという斉藤兵太君。  
「関係ないじゃないですか!」  
「うるせーな冗談だよ。ホラ、さっさと質問して来い」  
 とは言ったが、怒りながらも兵太本人が否定してないところから事実かどうか推察して  
くれ。  
 
「…………じゃ聞きたいんスけど」  
 流石にご立腹な様子。ここは真面目に答えてやるか。  
「平松とは本当に"ただの"幼なじみなんですか?」  
「んー?」  
 真面目に焼きソバを頬張りながら適当に相槌を返す。兵太が何か言いたそうな表情に  
なるが、それには気付かない振りをした。面倒な事態は御免だからな。  
「……他の娘とはちょっと違った感情持ってるとかそういうのは」  
 さっきの質問と大して内容が変わってない気がするんだが。まあ焼きそばと茶を買って  
きてくれたんだし、ちゃんと答えてやるか。というか焼きそばと茶を奢ってまで、どうして  
こんなこと聞きたがるんだか。  
「まぁ持ってることは持ってるが、それでも妹みたいな感じかな。お前が思ってたような  
感じじゃないことは確かだよ」  
「はぁー……そうなんですか」  
 期待外れなような、安心したような何ともいえない反応を返してくる兵太。とりあえず  
ショックを受けたっていう感じでは無さそうだな。かといって、別段物凄く嬉しそうにも  
見えないが。喜びと悲しみの表情を足して二で割ったような、なんとも微妙な表情だ。  
「兵太」  
「何ですか?」  
「俺からも質問していいか?」  
「お断りします。俺にも焼きソバとお茶奢ってくれるなら別ですけど」  
「けっ」  
 真っ当な答えを返された。  
 
 うーん、しかし気になる。こいつが紗枝のことを好きだとするなら、俺の答えにもっと  
喜ぶと思うんだが。さっきの表情は何なんだろうな。考えてることが顔に出る奴だから、  
気持ちを隠したとは思えんし。  
 
 と、なんとなしに紗枝達に視線を向けると、全員がこっちに近づいてくる。なんだもう  
遊ぶのに飽きたのか? 兵太を呼びたいんだったらさっきみたいに向こうから声かけりゃ  
いい筈だし。  
 
「おーい、もう疲れたのか」  
「そうじゃないよ。たださ」  
「?」  
「時間も時間だし、お腹空きませんか」  
 紗枝の言葉の続きを代弁した真由ちゃんの言葉に反応して、時計を見てみる。十二時半  
を過ぎている。海に着いたのが十時半過ぎだったから、もう二時間も経ったのか。意外と  
早いもんだな。中途半端な時間だと思ってたが、そうでもなかったな。  
「崇兄は腹減らないの?」  
「ああ、俺は…」  
 
ゲップ  
 
「……失礼」  
 口元を拳で抑える。しまった……もうすぐ昼時ならもうちょっと我慢すればよかった。  
皆の目を見ると、案の定一様に白い。  
「兵太、てめぇがイカ焼きなんか持ってくるからだぞ」  
「俺は食いますか、と事前に聞いたはずですよ」  
 いい度胸だ。貴様は後で殺す。  
「悪いね皆、そういうわけで俺はもう昼飯終わっちゃったから行ってきていいよ」  
 ペットボトルに残っていたお茶を飲み干しながら、手をプラプラさせて答えてみせる。  
同時に紗枝が口を尖らせ不満そうな表情になったように見えたが、俺と目が合うとフイと  
目を逸らす。そして、えーっと、その、誰だっけ?  
「小関です」  
 そう、その小関君の陰に隠れてその表情を伺えなくなった。小声でナイスアシスト兵太。  
でもお前は後で殺す。  
 
「いやでも、それもどうかと思うんですよ」  
「ん?」  
「今村さん全然楽めてないみたいですし。せめて飯くらい一緒に食いましょうよ」  
 
 誰かと思えば橋本君だ。そういや紗枝と話してる時も兵太と話してる時も、時々こっち  
をちらちら見てたな。あれは俺の様子を伺ってたってことなのかね。  
「でも俺腹いっぱいだしさ」  
「カキ氷とかありましたよ」  
 今度は兵太が向こうにフォローを入れる。明日からお前のあだ名はコウモリ君だ。次の  
バイトを楽しみにしとけ。全員に広めといてやる。  
「迷惑じゃね?」  
「そんなことないですよ、"紗枝のお兄さん"なんだし」  
 橋本君がそう口にすると同時に、紗枝と真由ちゃんを除いた四人の顔がにやりと笑う。  
噂を流した真由ちゃんは我関せずと主張したいのか、知らん顔して視線を逸らし、紗枝の  
方はというと、散々そのことで弄られてたのだろう、頬に空気を溜めムクれっ面になった。  
「そっかー。そこまで言ってくれるなら、一緒に行かせて貰いますよ」  
 ここで俺が過剰反応したら面倒なことになるので適当に受け流す。昔紗枝と一緒にいる  
ところを友人に見られたら必ず弄られたからな。いつの間にか耐性がついちまった。紗枝  
の方は一向に慣れないみたいだが。つーか紗枝の奴も弄られるのが嫌なら、何で俺にこんな  
こと頼んだんだろうな。よく分からん。  
 海の家に視線を移すと時間的なものもあって既に混み入り始めている。こりゃ、早めに  
行かないとマズいかもな。俺が腰を上げるのにつられて、兵太も立ち上がる。熱された砂  
をサンダルで踏みしめながら、皆揃って海の家へと向かっていった―――  
 

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