よく考えたらすぐに分かることだった。  
 
 恋愛沙汰に慣れていないアイツに、自分の分と橋本君の分の、二人分の慕情を抱え込む  
だなんて器用な真似が出来るわけがない。だから、彼への答えを出す前に、誤魔化し隠し  
続けていた自分の気持ちにケリをつけようとしたんだろう。  
 あの時の紗枝がとても切羽詰っているようにも見えたのは、そういう理由からだったの  
かもしれない。  
 
 今日のバイトは夜番だ。だから昼まで寝てても全然構わないんだが、早朝の時間帯が  
過ぎた頃には家を出た。人と会う予定があったからだ。  
 家から程近い喫茶店の扉を開ける。扉に当たり跳ね返ったベルの音を聞きながら店内を  
ぐるりと見回すと、窓際の席に待ち合わせた相手が座っている。外を眺めているせいか、  
まだ俺が来たことに気付いていない。  
「よう、繭ちゃん」  
 声をかけて、相手をこっちに振り向かせる。  
「字が違います」   
 文字に書いたわけでもねーのになんで違いが分かんだよ。相変わらず不思議な娘だ。  
「遅かったですね」  
「毎日バイトだからな、多少の寝坊は大目に見てくれ」  
 羽織っていたジャンパーを脱ぎ、席に近づきながらも減らず口を叩く。  
「シフトは自分で入れるものだと思いますけど」  
「あーはいはい悪かったよ」  
 本題に入る前の時点で話が長引きそうだったので、片方の手をプラプラ振りながら自分  
の非を認める。注文をとりに来たウェイトレスにコーヒーを頼むと、背もたれのある椅子  
にどっかりと座り込んだ。  
「で?」  
「で、とは?」  
「……とぼけんなら今すぐ帰ってもいいんだぜ?」  
 ひくついた笑顔を浮かべて、何故かはぐらかそうとする真由ちゃんに釘を刺す。  
 
 まあなんで今日時間を割いてまでこの娘と会うことにしたかというと、ここ最近、毎日  
のように俺の携帯に連絡を入れてきやがるからだ。  
 面倒だし話の内容も簡単に想像できるもんだから、最初はてんで会うつもりは無かった。  
でも、毎日毎日着歴残されたりメール送られてくると、流石にこっちも気が滅入ってくる  
わけで。着信拒否しようものなら色々遠まわしな嫌がらせを受けるだろうと考えた結果、  
久々に暇を作ってこの娘と会うことにしたわけだ。  
「どうなんだよ」  
「……」  
 普段とは違って、苛立ってるように見せかける。まあ、見せかけなくても実際苛立ってん  
だけどな。それが誰に対して、何に対してなのかは俺自身にもよく分からんが。  
「言わなくても分かってることを、わざわざ言う必要ありませんし」  
 目の前にある、既に運ばれてきているレモンティーに彼女は目もくれない。その瞳は、  
じっと俺に向けられている。  
「そもそも私は、そんな人に優しくありませんよ」  
 というか、睨んでいる。口調も淡々としているものの、その言葉の端々からは、明らか  
に俺に対する敵意みたいなもんが込められている。  
「お待たせしました、コーヒー……です…」  
 俺が注文したコーヒーを運んできたウェイトレスが、そのあまりにピリピリした雰囲気  
に耐えかねたのか、トレイを抱え逃げるようにその場を後にしていく。  
「……」  
「……」  
 真由ちゃんの視線をかわすようにコーヒーに視線を落とし、砂糖だけをその中に溶かす。  
その間、当然また沈黙。周りから見たら、別れ話をしようとしているカップルにしか見えない  
んだろうなとか思うと、ちょっと頭を抱えたくなってくる。  
 
 
 
「紗枝に元気がないんです」  
 
 
 
 睨みを利かせても無意味だと悟ったのか、フッとレモンティーに視線を落としたかと思うと、  
彼女はそうボソリと呟いた。  
「兵太に、あいつは今橋本君と付き合ってるって聞いたんだけどさ」  
「……」  
「付き合いは順調だっつってたぜ」  
 机には灰皿が備え付けられていない。そういやこの店は全席禁煙か、まいったな。  
「無理……してるんだと思います」  
「ふーん」  
 なんだかんだでいつも一緒にいたもんなぁ。そのくらいのことは、傍から見てて分かる  
のかもしんねえな。  
 スプーンでコーヒーと砂糖を混ぜ終えると、俺はそれを静かに啜り始める。当然、また  
微妙な雰囲気のままお互いに沈黙を保つことになった。  
 
「……紗枝とはもう、五年くらいの付き合いになるんですかね」  
 
「……?」  
 と、俺がそう思った時だった。真由ちゃんが突然、脈絡のない話を始めだす。ついつい、  
奇異の目で彼女を見てしまう。  
「この前のドタキャンだってそうです。今まで無かったんです、あんなこと」  
 そういえば、この前からこの娘に対しておかしな印象を俺は抱いていたことを思い起こす。  
普段はクールなのが、この娘の一番の特徴なんだが。  
「へえ…」  
 今もあの時もそうだ。感情が顔に出て、何かに焦って心配しているようにも見える。  
と、そこまでいって俺ははたと気付く。  
 この娘がそうなるのは、いつも紗枝絡みの時だってことに。  
 
「あのさ」  
「はい?」  
「なんでそんなに紗枝のことを気にすんだ?」  
 同時に脳裏に浮かんだ疑問を、そのまま言葉にして投げかけてみる。  
 
「……」  
 すると、真由ちゃんの表情に寂しげな陰が落ちた。  
 
「お兄さんは、私はどういう性格していると思います?」  
「……? なんだいきなり?」  
「答えてみてくれませんか」  
 なんかよく分かんねえけど、その顔は随分神妙な面持ちだ。  
「んー……クールで表情もあんま変わんねえけど、口の方は随分達者だよな。特に皮肉とか」  
 思ってることをそのまんま口にしてみる。  
 すると、真由ちゃんは寂しげな表情のまま、口元をフッと緩めた。  
「昔からそんな性格ですから」  
 お、当たってたか。良かった良かった。で、それがどうかした…  
 
 
「小学生の頃は、よくいじめに遭いました」  
   
 
 ……。  
 
「男子からはもちろん、女子からもお高くとまってるとでも思われたんでしょうね」  
 
 そう言いながら彼女は、ようやくレモンティーに口をつける。  
「小学生の時は、授業で発言する時以外はほとんど喋ったりしなかったんですよ?」  
 
「……」  
「何か言えば、相手を怒らせちゃいますから」  
 それまでのイライラした気分は、いつの間にかどこかへ消え去ってしまっていることに  
気付く。代わりに胸に宿るのは、むやみにこの娘の過去をほじくった自分の浅はかさと、  
どうしようもない申し訳なさ。  
「……悪かったね」  
「昔のことです」   
 周りの喧騒が急速に小さくなっていく。この席だけ空間が切り取られたような、妙な感覚を  
俺は覚え始めていた。  
 
「あの娘が初めてだったんです。他人と打ち解けられずにいた私に対しても、何度も話し  
かけてきてくれたのは」  
 
 ああ、そういや一人はぐれた奴なんかを輪に入れたがる奴だったなあいつは。仲間外れ  
とか極端に嫌ってたからな。  
「顔や言葉には出さないけど、いつも感謝してるんです」  
「……なるほどね」  
 要するに真由ちゃんにとって紗枝は、自分の人生自体を大きく変えてくれた恩人なわけだ。  
紗枝の変化に戸惑い、気を揉むこの娘の理由が分かって短く息をつく。  
      
「ですから」  
 
 そこで、また真由ちゃんの口調ががらりと変わった。というか最初の、敵意を剥き出しに  
していた状態に舞い戻る。  
「紗枝の様子がおかしい原因が俺なら、許さないとでも言いたいのか?」  
 睨み付けてくると言っても過言でもないその目を、俺も真正面から受け止め、見下ろす。  
「他に誰がいるんです?」  
「クラスの誰かと喧嘩したんじゃねーの」  
「紗枝がそんな娘じゃないことは、あなたが一番良く分かってると思いますけど」  
「……」  
 適当な逃げ口上を叩き伏せられ、ぐうの音も出なくなった。  
 
「紗枝をあんな風にしてしまったのは、あなたですよね」  
 
 言葉がいちいち、突き刺さってきやがる。  
「見てねえことには、何とも言えねえけどな」  
「……」  
「他人が相手の性格を全て把握することなんて、出来るわけ無いだろ」  
 確かに俺は、紗枝を酷く傷つけた。だけど、あれは仕方なかった。今更後悔なんて出来る  
わけない。それにそれを、他人に言う必要もまるで無い。  
「いくら恩人が心配だからって、過剰に心配すんのはどうかと思うぜ」  
 あの時、嘘をついてたら、紗枝の傷は今真由ちゃんが心配する程度じゃすまなかった筈だ。  
「……」  
 真由ちゃんの目が更に尖る。  
「紗枝の気持ちにまるで気付けなかった人の台詞とは思えませんね」  
 一転、目を逸らすと同時にその色は消え去る。代わりに、口調には俺に対する侮蔑が灯った。  
「……知ってたのか?」  
「本人から聞いてましたから。……まあ、言われる以前からなんとなく気付いてはいましたけど」  
 敬語ではあるものの、明らかに敬意はこもっていなかった。  
 
「応えてあげられなかったのは仕方なくても、もう少し優しく言ってあげられなかった  
んですか?」  
 この前、紗枝に対して思った印象が、そのまま今の真由ちゃんにもあてはまる。  
 時折口調なんかに考えてることが洩れてたりすることはあったが、口調どころか、表情  
まで感情が剥き出しになっているこの娘を見るのは初めてだった。  
「見ても聞いてもないのに随分な言い草だね」  
 まあ、それだけ紗枝のことを心配してるんだろうけど。それを俺に八つ当たりするのは  
お門違いな気がする。そこらへんは年相応だな。  
 
「……」  
「言いたくなる気持ちも分からないわけじゃねえけどさ」  
 ヤニが切れて、そろそろ脳の辺りがジクジクして胸のあたりが落ち着かなくなってくる。  
あーあー、そもそもなんでこんな話に付き合わないといけねーんだめんどくせー。  
 
「じゃあ、どうして気付いてあげられなかったんですか」  
 
「んー?」  
 注意力が散漫になり始めたのを察知したのか、真由ちゃんは外の雑踏を眺めながら話を  
変えた。これに答えたら、悪いけど一旦外でヤニを補給させてもらうか。  
「あの娘、一度だけあなたに対する想いを私に語ってくれたことがあるんです」  
 言葉を切っても、もう冷めてしまったレモンティーを口にしなかった。  
 
「こんな性格になったのも、髪型をずっと変えないのも、あなたの言葉があったからだって、  
そう言ってたんです」  
 
 
……  
 
 
「明るくて元気な娘が好きだから、だから頑張って性格を改善したんだって。初めて誉めて  
もらった髪型だから、ずっとこの髪型にしていようって。似合ってるって言ってもらえた  
のが、本当に嬉しかったんだそうですよ」  
 
…………  
 
「……冗談、だろ」  
「本当のことです」  
「確かに言ったことあるけど、すげえ昔のことだし、一回だけだぜ?」  
 
「私がこの話を紗枝から聞いて、今ここで喋ってることが何よりの証明だと思いますけど」  
 
「……」  
 確かに、そうか。でなきゃ、なんで真由ちゃんがこのことを知ってんだってことになる。  
 
「海でタンキニ着てたのも、お兄さんに目に留めて欲しかったんですよ?」  
「……詳しいね」  
「買い物に付き合いましたから。真剣に選んでましたし」  
 
 俺が紗枝の水着を酷評した時、随分悲しそうな顔したのは、そういう理由だったのか。  
普段の俺なら、相手が普通の女の子なら、絶対気付けたはずなのに。  
 改めて、あいつのことをただの幼なじみとしてみてなかったことを思い知らされる。  
 
 
 それに、そういえばそうだな。あの時、紗枝も言ってたな。  
 
 
『あたしがこんな性格になったのも…ずっと髪形変えてないのも……崇兄が言ってくれたから  
なんだよ……? 明るくて元気な娘が好きだからって……この髪形が凄く似合ってるから  
って……そうあたしに言ってくれたのは、全部…全部崇兄じゃないか……』  
 
 あの時は、紗枝のその先の言葉を言ってほしくない一心だったからな。あの場面で忘れてた、  
数少ない台詞だ。  
 そしてそれがまた、胸の錘になって圧し掛かる。胃に穴が開きそうな勢いだ。  
 
 
「……そうか」  
 そこまでいって俺は、真由ちゃんが言いたかったことを、何となく察知する。  
 どっちも本心を曝け出したのに、傷つくのが片方だけなんて不公平だとこの娘は思った  
んだろうな。だから、俺の知らない面の紗枝の姿や気持ちを語って、俺にもそれを味あわせ  
ようとしてるわけだ。  
「本当に…気付いてなかったんですか」  
「考えもしなかったからな」  
「……」  
「俺はあいつのこと、幼なじみ以上に見てなかったわけだし。あの距離感が一番心地良かったんだ」  
 もちろん、同時に俺の本心を探ろうしているんだろうけどな。兵太を使ったり、随分  
策士的な真似するじゃねーか。  
「…最低ですね」  
「何とでも言えよ」  
 お前に何が分かるんだよ、そう続きを言いかけて喉で止める。落ち着けよ俺、この娘に  
当たり散らして何になるんだよ。  
 
「今村さんは、もっと大人の方だと思ってました」  
 
「……」  
 呼び名が普段の"お兄さん"ではなく、"今村さん"へと変わったことに、軽い違和感を  
覚える。  
「今村さんは、これまで何度か異性と付き合ったことがあるんですよね」  
 
 
 
 
「紗枝の気持ちにも気付けないんだから、さぞ大人の恋愛をなさったんでしょうね」  
 
 
 
   
「……」  
 言葉の棘は留まることなく鋭くなる。段々と、本心を隠すため、平静を取り繕うための  
鉄面を被るのが難しくなってきた。  
「それとも、おままごとの真似事でもしてたんですか」  
 何とか心を静めようと努める俺に、真由ちゃんは決して手を緩めなかった。  
 
「……さあね」  
 とうとう、吐き気まで催す。極めて軽度ではあったけど、それでも気分が悪いことに  
変わりは無かった。随分、辛辣だな。  
 
 だけど、自分の過去まで否定されても。何故か目の前の彼女に対する怒りが、一向に  
沸いてこなかった。代わりに頭や胸、体全体を支配するのは、散々責め立てられたことに  
よる圧倒的な疲労感。それが、絶え間なく俺に襲い掛かる。  
 
 
 
 
「……真由ちゃんはさ」  
 言いたくなる気持ちは分かるけど、ちょっとあんまりなんじゃないか。  
 いくらなんでもそこまで言うことないんじゃないか、この時、そういった気持ちもあった  
のかもしれない。  
 
 
 
 
 
 
「俺がさ……平気で…紗枝を振ったと思ってんの…?」  
 
 
 
 
 
 
「…え」  
 
 
「あ、いや……なんでもない」  
   
 やっべ、何言ってんだ俺は。思わずこぼしちまった。  
 この娘にこんなこと言ってもしょうがないだろうに、勝手に動くな俺の口。  
 
 今の言葉をごまかすようにコーヒーをがぶ飲みすると、逃げ出すように立ち上がる。  
「ちょっとヤニ補給してくるわ」  
「あ……いえ、大丈夫です。もう話は終わりですから」  
 そう言いながら、明細書を俺のほうへ差し出す。  
「……」  
「ごちそうさまです」  
 相変わらずいい度胸してやがる。  
 
「ありがとうございましたー」  
 
 清算を終えて店を後にする。  
「あの」  
「ん?」  
 
「色々失礼なことを言ってしまってすいませんでした」  
 
「……いいよ、別に」  
 あれだけ好き放題言っておきながら何言ってんだ、そう思った。頭を下げる行為すらも、  
しらじらしく見えてしまう。  
 どうせこの娘は、紗枝の味方だ。俺の気持ちなんざ、理解しようとしてくれるはずも無い。  
そう思うと、少しだけ気分が楽になった。  
 
 
「それじゃ失礼します"お兄さん"」  
 
 
「……」  
 何を今更、そうは思わなかった。  
 何で今更、そう思った。  
 
 考えてるうちに、彼女は身を翻し、雑踏の中へ消えていく。  
 
 
カチッ、シュボッ  
 
 
「フーッ……」  
 随分痛いところを付かれまくったな。まあ、そのくらい酷いことをしちまったわけだしな、  
しょうがないか。  
 
 最後の言動がよく分からなかったが、とりあえず真由ちゃんの気が晴れたという解釈を  
するしかなく、早々に今までの出来事を脳の中心から追い出す。  
 
 さあてどうすっか。タバコをふかしながらこれからどうしようか考え始める。  
 家に帰ると二度寝しそうだしなぁ、折角の時間なんだからもっと有効に使いたい。つっても  
パチスロくらいか、ちょうど開店する時間だしな。せめて少しの間くらい、紗枝のことを  
忘れたい、考えたくない、そう思いながら行きつけの店へと足を向けた。  
 
 
 
 
 
 
 
 が、しかし。  
 
 
 
 悪い時には悪いことが重なるとはよく言ったもんだ。  
 
 
 
 駅前を過ぎようとしたところで俺は、今一番考えたくない、今一番会いたくない人物と  
出くわしてしまう。  
 
 
「……!」  
「あ……っ!」  
   
 運まで悪く、気付いたのは向こうも同時。俺の存在を認識したのか、驚きでその目が  
大きく開かれる。この状況じゃもう、お互いに無視することも出来なくなった。  
 
 おそらく、デートの待ち合わせの最中なのだろう。  
 
 
 
 紗枝が、そこに佇んでいた―――――  
 
 

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