17年という時をかけて、ようやく繋がれた互いの想い。  
 
 
 
 長く、大きく、いつまでも切れることのなさそうな強い絆。  
 
 
 
 だけど片想いの時間が長ければ長いほど、そこには全てが積み重なっていく。  
 
 
 
 受け止める立場だけに圧し掛かる、唯一にして絶対の枷。  
 
 
 
 その想いの、重さも増していくわけで――――  
 
 
 
「……ふぅ」  
 紗枝達が浮気騒動で盛り上がっているその頃、バイトで汗水流している真っ最中である  
渦中の人物はというと。仕事に就いてから必ず5分に1回はこうして溜息をついていた。  
もっともその意味合いは、浮気沙汰で心を砕く彼女のものとは、ベクトルが180度近く  
違っているのだろうが。  
「あー……ったく」  
 おそらく本人からすればその行為はまったく無意識なのだろう。それだけに、周りから  
すれば鬱陶しいことこの上ない。  
 
「今村さん、辛気臭くなるからやめてくださいよ」  
 
 客足がピタリと途絶えたタイミングを見計らって、後輩であり学年が上がっても相変わらず  
紗枝達のクラスメイトでもある兵太が、半分くらいくたばっているこの男に注意を促す。  
しかし一瞥もくれることなければ目立った反応を示すことなく、彼はただただ何も無い  
虚空をぼんやりと見つめ続けている。その様は、中身空っぽの抜け殻そのものだ。  
「ンだよ…クソッ」  
 
 
 今村崇之、22歳。職業は相も変わらずフリーター。恋人は一応、付き合いの古い幼なじみ。  
 
 
 悪態までついてしまうのは、欲望に殉じた自分の行動の浅はかさを呪ってのことか、  
それとも言い訳できないような場面を、最愛の相手にバッチリ目撃されてしまったという  
最悪の偶然に対するものなのか、それは崇之本人以外には誰にも分からない。  
「はぁー…」  
 そしてまた盛大に肩を落とす。沈没して海底の砂地に埋もれてそのまま魚達の住処に  
なってしまいそうな勢いで、その表情が沈んでいく。  
「兵太」  
「はい」  
「残りの業務お前に一任して俺帰っていいか」  
「高校生に代理責任者の立場を委ねるのはどうかと思いますよ」  
「冗談だ馬鹿野郎」  
 気晴らしの一環だったのだろうか、軽く後輩を弄りなじる。どうやらただ今の時間、店長が  
他の業務で不在ということで、働いている面子の中で最もキャリアの長い彼が代理責任者の  
任を仰せつかっているようだ。  
 
「そんな後悔するならなんで浮気なんかしたんですか」  
「……」  
「平松、学校でもすげー落ち込んでましたよ?」  
「……うるせーな、色々あんだよ俺にも」  
 どうやら兵太にまで浮気の事実は知れ渡っているようで、普段はおもちゃ扱いする後輩  
にまで溜息交じりに詰問されてしまう始末。流石に自分に非があるという事実はしっかりと  
認めているようで、返す言葉も具体性に欠け歯切れが悪い。  
 
 こんな筈じゃなかった。あの場に紗枝がいるだなんて、思ってもいなかった。そもそも、  
最初から浮気が主な目的だったわけでもない。結果的には浮気になったのだからそこは  
言い訳するつもりは無いが。  
ただ、その娘とはお互いスッパリ気持ちよく別れることが出来たおかげで、今現在でも  
友人として関係が継続中だったわけで。そして日頃溜まった愚痴を聞いたり聞いてもらったりして、  
たまの気分転換をしているところを紗枝にバッチリ見られてしまったのである。  
 もちろん、それから先に他意のある行為に及ぼうと画策してたのも事実なのだが。けれど  
全ての非が自分にあるわけじゃない。こっちにだって言い分はある。  
 
(言えるわけないよなぁ…ダサすぎる)  
 
 そしてそれこそ彼が浮気に走ることになった発端なのだろうけど。相手の気持ちか  
はたまた自分のプライドか。それを口に出すことはどうにも憚られた。  
 
 
 頭の中で今回の事情を説明する自分と、そうしたことでの彼女の反応を想像してみるものの、  
今度はふてくされて枕で殴られるだけでなく、下手したらグーどころか鈍器が飛んでくる  
場面がありありと想像できる。幼なじみで付き合いが古いせいか、ほとんどの行動パターンは  
予測できるのだが、今回に限ってはそれがマイナス方面に向かって一直線に伸びている。  
 
 多分今頃は、仲の良い友人達とファミレスで浮気されたことの相談でもしているのだろう。  
 
「この際全部暴露した方がもう楽になれるんじゃないですか」  
「……お前に言ったところでどうなるもんでもねーだろ」  
「言って今より気分的にキツくはならないと思いますけど」  
「……」  
「? どうしました?」  
「お前…、だんだんものの言い方が真由ちゃんに似てきたな」  
「それは今村さんをやり込めることが出来たという褒め言葉として受け取っておきます」  
「皮肉だボケ」  
 言葉はすぐに返したものの、やりこめられてしまったのは紛れも無い事実。どうやら  
事の詳細を白状するべきかどうか迷っているようだ。ただ、相手が立場的にも年齢的にも  
目下だという現実が、本人のプライド的に許されない事項に当たるのだろう。  
 
 しかもこの後輩は、かつて森本真由という紗枝の親友のスパイとして活動していた前歴  
がある。崇之と紗枝の顛末を詳しく時には色をつけて彼女に話されたせいで、年下二人に  
喫茶店で冷たい目線と重たい台詞を吐かれたあの時の事は、崇之の中では汚点にも等しい  
過去として、今もなお頭の片隅を傾け続けている。  
 まあその二人は、彼が紗枝のことを妹ではなく、一人の異性として捉えて、付き合いだす  
きっかけを与えてくれた人物でもあるのだが。はっきり言ってそんなもん結果論である。  
 
 自分が紗枝と付き合うことが出来るようになったのは、自身の正直な言葉と、気持ちと、  
まだ紗枝の中にも抑えこんだはずの気持ちが、完全に封じられてはいなかったからという  
事実がもたらしてくれたものなのだ。だから付き合い始めて直後には、兵太からは再三に  
渡って「俺に感謝してくれたっていいんじゃないですか」と言われたものの、「うるせぇ」  
の一言と、一発の拳で何度も沈め続けたものだった。  
 この男、プライドが絡むと思考が薄っぺらくなるらしい。  
 
 かといって高校時代の友人達には、紗枝との幼なじみという関係を散々からかわれたと  
いう過去があるせいかあまり詳細を打ち明けたくない。事実、たまの飲み会で彼女と  
付き合い始めたことを酔いに任せて公表した時、その場で骨が折れてしまいそうなくらい  
痛い目に遭っているのだ。  
 
『なんだ、結局やっぱり付き合い始めたのか』  
『充分想定の範囲内です』  
『あんだけあいつは妹だ妹だと声高に主張してた癖にねぇ』  
『つまりこいつは、兄妹同士であっても気持ちがあれば大丈夫と言う重度どころかもう  
元には戻れないところまで来てしまっている、最強最悪のシスコンというわけでOK?』  
『近親相姦…背徳的なシチュエーション……』  
『で? 付き合い始めてからも相手に"お兄ちゃん"とか呼ばせたりしてんの?』  
   
 ただでさえひねくれているこの男が、付き合いの長い友人達に全てを打ち明け、どんな  
反応を示し示されたか。少なくとも、新たなトラウマじみた記憶として脳裏に刻み込まれた  
のはまず間違いない。  
 そういうこともあってか、他にこのことで相談というか愚痴をこぼせる相手を、敢えて  
選ぶのであれば。目の前の後輩以外に存在しえない事態に陥ってしまっていた。  
 
「ちっ」  
    
 どっちにしろ、このまま胸の内に全てを抱え込んだままでは何の打開策にもならない。  
そりゃまあ、本当に潔白だったのに浮気だ浮気だと喚かれて何度も何度も枕でバシバシと  
叩かれ、それがあまりにもうるさくて隣に住んでいる人から苦情を言われてしまったり  
するのはゴメンだが、今回は本当に浮気まがいの行為をおこなってしまっている。  
またそんな目に遭うのが心の底から嫌で彼女から逃げ回っているのは確かだが、それでも、  
そろそろお顔を会わせてちゃんと話をする機会を持たないと、崇之にとって更に御免被る  
事態になりかねない。  
 
「仕方ねーな……」  
 
 とうとう観念して、口を割ることを決意する。どうせ自分から紗枝に直接伝えたところで  
彼女は「浮気」という事実だけを口やかましく責め立ててくるに違いない。ならば、第三者  
からも事実を語ってもらって、いざ実際に会った時に少しでもこちらの事情を知ってもらって  
おいた方が説得もしやすい。   
「……ったく、んじゃ仕事終わったら話してやるよ」  
「楽しみにしています」  
 今まさに入り口の自動扉をくぐろうとしている客の様子を見つめながら、二人は端的な  
言葉を交わす。崇之はその時間を利用して、あの時の詳細を順序良く語る為に頭を回転  
させ始めるのだった―――  
 
 
 
「元カノかぁ……それはちょっとキツいね…」  
「だから別れたほうが良いって言ったでしょ」  
 一方その頃のファミレスでは、"浮気相手は元彼女"という衝撃かつ最悪の事実が発覚し、  
場の雰囲気が急速に変わりつつあった。  
「それが出来るならこうしてここで皆に話したりなんかしないよ……」  
 言葉尻が微かに震える。話していくうちに目撃したその時のことを、強く思い起こして  
しまったようだ。  
「でもさー、それどういう状況で見たわけ? 『二人が歩いてるところを見た』ってのは分かった  
けどさー、まだ詳しく話してもらってないからアレなんだよね」  
 またしても空気と紗枝の気持ちを読めていない茶髪の台詞により、残り3人の背景には  
ピシャーンという擬音と共に雷が落ちる。  
「あんたねぇ……」  
「少しは考えて発言したら?」  
「なんで。二人で歩いてるところ見られただけで浮気扱いされたら、あたしなら溜まった  
もんじゃないけどね」  
「そういうことじゃないでしょ。なんで傷口抉ろうとすんの」  
「いいよ、別に。詳しく話すから」  
 この様子からすると、どうやら浮気だという確たる証拠を彼女は握っているようだ。また  
鋭く変化していく表情に、三人は思わず喉を鳴らして唾を飲み込む。  
 
 紗枝からすれば、自分を振り回すような崇之の行動に、戸惑いを隠せずにいた。特に最近に  
なってからは、付き合いだす以前には決して見られなかった行動反応を目の当たりにし、  
自信を失いつつあった。だから、助けを求めたかった。  
 
 ずっと、ずっと好きだったのだ。その想いは五ヶ月程度付き合ったくらいでは、決して  
満たされるものじゃない。スカートの裾をギュッと握り締めると、表情とは裏腹に彼女は  
淡々と語りだす。  
 
 
 
 それは、今から三日前のこと。  
 
 
 
『はぁ…』  
 この日は土曜日でその時の時間帯は昼下がり。たまの休日を利用してか、駅前は普段よりも  
多くの人ごみに覆われていた。家族連れ、カップル、友人同士。いくつもの喧騒が交錯し、  
注意を促すクラクションの音も、交差点あたりから頻繁に届く。  
『……』  
 そんな中、紗枝は一人とぼとぼと俯きながら歩みを進めていた。半端におめかしされた身なりも  
手伝って、周りからは随分浮いてしまっている。  
 
ギイッ  
 
 鉄柵同士を繋ぐチェーンに腰を下ろし、目の前で過ぎ行く雑踏を、ただボンヤリと見つめ  
始める。その実、何も目に映していないような虚ろな表情は、感情さえも希薄にさせて  
しまっているほどだった。  
『ふぅ』  
 二度目の溜息。無為に携帯を開き、リダイヤル欄を液晶に映す。最新の欄には、つい  
数時間ほど前に連絡を取った、この世で一番大好きな人の名前。  
 
 
『今村 崇之』  
 
 
 脳裏に彼の顔が浮かぶと同時に、苛立たしげに携帯を折りたたんだ。  
   
 
 これでもう一週間も顔を見ていない。やれバイトだの、やれ飲み会だの理由をつけられては  
逢瀬を断られ続けられるのが、ここのところの日常だった。  
 
『今度ちゃんとお前の為に時間を割くから』  
 
 電話の向こうから申し訳なさそうにそう弁解するのが、会えないことを謝る彼の口癖だと  
気付いたのはいつのことだったか。最初は「お前の為に」という言葉に心をときめかせてた  
ものの、今ではうんざりしたような気持ちが増すばかり。好きだけども、好きだから。  
だから余計に腹立たしかった。  
 
 それだけに、週末の今日に賭けていたところもあった。以前謝られた時に、今日はバイトが  
無いということはちゃんと聞き出していたし、他の用事も無いという確認も取った。そして  
満を持して、彼の携帯に電話をかけた。その結果が、これ。  
『悪い、違う地方に行ってた友人が急に地元に帰ってくるらしくてさ』  
   
 
 ショックだった。  
 
 
 やっぱり崇兄にとってあたしは、妹みたいなものなのかな。後ろを向いた考えが頭の中を  
巡りだす。  
 
 
 それに順ずるように沸き上がってくる、疑惑。  
 
 
『……』  
 だけどそれは、考えたくなかった。実は一度、その手の考えに囚われたことがあるからだ。  
バイトがあるからという理由で自分と会うのを断った崇之が、街中で見知らぬ女の子と  
歩いているのを目撃し、その場面を見ただけで早とちりしてしまい、結果揉めに揉めた。  
 ちなみにその時の真相は、バイト先へ向かう途中に偶然出会った同僚と、共に仕事先へ  
向かう途中を紗枝が目撃しただけだったのだが。その事実を知るまで、ずっと事情を説明  
しようとしていた彼の言葉に耳を貸さず、ひたすら泣き喚いて枕で叩き続けていただけに  
余計にバツが悪かった。謝ったら許してくれたけど、自分自身が許せなかった。  
 
 本当に潔白だった一番好きな人を最初から信じられず、クラスメイトの兵太にその女性が  
バイト先の同僚であるということを証言してもらえるまで、信じることが出来なかった。  
彼は女性経験をそれなりに積んでいたのに、自分はそういう経験がゼロに等しかったことによる  
負い目もあったのかもしれない。  
 あの時はそのせいで、互いに傷つけ傷ついた。だから、今回もきっと考えすぎなだけだ。  
   
 
 そう思い込むと、若干気分が楽になる。まだ付き合い始めの頃、まだ少し自分の殻に  
閉じこもっていたと感じたのか、彼は毎日会いに来てくれた。  
 
(そうだよね……あの時、凄く心配してくれたし)  
 
 口では心配してねーよとか暇だったんだよとか言ってたけど、あの頃の彼が、毎日の  
ようにバイトをしていたのを紗枝は知っていた。だから尚更に嬉しかった。そんな感謝の  
思いが心の中に灯っていることもまた事実だった。  
 だから、今度はちゃんと信じよう。そう強く決意する。ここ最近会える機会が減っている  
のも、単に運悪くすれ違ってるだけだ。  
 
 
 崇兄をちゃんと信じよう。一番大事な人なんだから、一番信じるべきなんだ。  
 
 
『なんかさ、昔を思い出すよね。あの頃もこうやって……』  
『あのよ、昔話をするために呼んだのか? お前が今付き合ってるのと上手くいってない  
からっつーから俺は…』  
『お互い様なんじゃないの? この前メールで『子守の気分だよ』とか言ってたの誰よ』  
 そう紗枝が決心したと同時に、彼女の目の前で交わされていく一組の男女の会話。  
 
 
 
 バキリパキリと、音を立てて全身を巡る血が凍っていくようだった。  
 
 
 
 信じようと、固く心に誓った直後だったのが余計に堪える。  
 
 
 
 急速に青白くなっていく顔色をそのままに、彼女は立ち上がりふらついた足取りでその  
男女を追いかける。考えての行動じゃない、勝手に身体が動いた。  
 
 その二人に紗枝は見覚えがあった。男性の方は言うまでもない。17年以上も一緒に育って  
きたのだ。そして女性の方にも彼女は見覚えがあった。忘れられるはずが無い。張り裂け  
そうな気持ちを抱えたまま、祝福した相手なのだから。  
『しょーがねーだろ、あいつはお前と違って身持ちが堅いんだよ』  
『だからって私のところ来る? あーあ、彼女さんかわいそ』  
『呼んだのはお前だろ』  
『来たのはそっちでしょ』  
   
 いくら恋愛事に慣れてないといったって紗枝だって馬鹿じゃない。身持ちが堅いという  
のが誰を表しているのか、今の恋人と上手くいってないという元カノの女性が、どういう  
意図を持って彼と会おうとしたのか、そして何故来なくてもいい呼び出しに、彼は大人しく  
やって来たのか。  
 
 
 視界が、足元が、信頼が、感情が。五ヶ月前の早朝の駅前の交差点での思い出も含めて、  
全てがぐらつき始めていた―――――――  
 
 

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