幼なじみだから知っている。  
 
 口調も乱暴で、がさつな態度を取ることも少なくない奴だけど。それでもその実内面は  
普通の女の子とは変わらないくらい、いやそれ以上に弱々しい面を持っているってことを。  
 
 立場を変えることの無いまま接するのは、それは同時に紗枝を妹としても扱ってしまう  
という事だったから、出来なかった。一度それを理由に振ってしまったのだから、二度と  
そんな扱いをしてはいけないと思ったのだ。  
 だから恋人として今までの関係を無視して接してみたのだが、いざそれをやってみれば、  
すれ違ってしまうばっかりで。普段なら決してここまで弱気にならないのにそうなってし  
まったのは、負い目があるのと、責め立てたい気持ちがあるのと、相手が幼なじみだから  
ということ。それらが複雑に絡み合って、彼から自信を奪ってしまっていた。  
 
『大事な話…なんだ』  
 
 沈んだ様子を見せる彼女にそう言われた時、悲観的な感情に支配されていた脳と心は、  
勝手に結論を導き出す。それは、予測はしていてもやっぱり受け入れ難いことではあった。  
 
『本当は……会いたくなかったんだろ…?』  
 
 呟く目は、早くも潤み始めていて。自分の行動の迂闊さを、改めて思い知らされる。  
 
 
 思えば、随分と紗枝を傷つけてきた。  
 
 
 何をやったかなんて今更言いたくない。それだけ、彼にとってこの数ヶ月間は後悔の  
連続だった。  
 こんなことされ続けていたら、自分だったら別れを切り出していてもおかしくなかった。  
だから、紗枝もそう考えていてもおかしくない。そう思って、思い込んでいただけに、  
まったく逆の言葉が彼女の口から紡がれた時、なかなか信じることができなかった。  
 
 崇之は、分かってなかった。  
 
『だからあたしは……崇兄の全部がいい』  
 
 そのことを、付き合い始めるずっと前から知ってはいても。  
 
『あたし…あたしには……崇兄だけだもん…っ』  
 
 例えちゃんと言葉にされても、何度も言われても。  
 
 自分が、どれだけ彼女に想われ続けていたのか。  
 
 彼女が、どれだけ自分を想い続けていたのか。  
 
 
 知ってはいても、まるで分かっていなかったのだった―――  
 
 
 
 
「紗枝…」  
「崇…兄……」  
 お姫様抱っこの状態のまま、泣き止んだものの頬に未だ雫の跡を顔に走らせ、とろついた  
瞳で見つめてくる彼女に愛しさを募らせる。らしくもなく、頬と耳が起点となって、カッと  
熱さを増していく。  
 崇之の頭の中には、もう紗枝のことしか考えることが出来なくなっていた。  
 
 互いにゆっくりと近づいていて。  
 
 先に身体と、額。そして次に零になったのはこの場で三度目となる、口と、口。  
 
ちゅっ…  
 
 その触れ合いが今までと違ったのは、濡れた唇によって微かに音が跳ねたこと。彼は覆い  
被さるように、彼女は縋りつくように。繋げるのではなく、食むように赤く濡れた箇所を  
触れ合わせ続ける。  
「……」  
 そして普段なら、そこでこの行為は終わりだった。あとは、身体を離すだけだった。  
 
 
つちゅっ……  
 
 
「……!」  
 自分の身体がひどく強張るのが、その瞬間分かった。  
 笑ってしまいそうになるくらいぎこちなかったけど、距離がまた零ではなくなった直後に、  
紗枝に再び追いかけられ、歯を立てず唇で噛み付かれたのだ。水滴が水面を叩いたような  
跳ねる音が、また少しだけ大きくなる。  
 
「んんっ……」  
 向こうからやっておいて、吐息がくすぐってくる。  
そういえば以前、不意に舌を絡めてしまった時、相当嫌だったのか次の瞬間には身体を  
突き飛ばしてしまった。あれはおそらく、彼だけでなく紗枝にとっても苦い記憶だったの  
だろう。  
 その時の申し訳なさが、逆に彼女を積極的にさせてしまっているのだろうか。  
「ん…んぅ…」  
「…ぅ…っ」  
 その身体を抱き留めているのは自身だったから距離は取れない。それでも驚いてしまった  
あまりに、背筋を伸ばして引いてしまう。すると、また追いかけられて繋げられてしまった。  
本当に彼女は、自分がよく見知った幼なじみの女の子なのかとは思い直してしまうくらいに、  
大胆な行動をとり続けてくる。  
 
 それでも、どういう風にすればいいのか分かんないのだろう。  
 薄目を開けてその様子を伺ってみると、舌先で半開きになった下唇に唾液を舐めつけ、  
それを自分の唇でさらっていくという行稚拙な為を繰り返している。目を瞑ってしまった  
ままからか、時々それが口元に外れてしまったりして、半端に生えたヒゲが濡れて妙な  
くすぐったさを覚える。  
「……っ」  
 
ちゅるっ  
 
「ふぅっ!?」  
 優しくするとは言ったものの、彼女は処女で、自分は経験者で。主導権を握られるのは、  
少しばかり面白くない。それまでされるがままだった行為をやり返す。吐息で撫でかけ、  
唇を口に含み、半開きになったそこに舌をねじ込む。  
 
 突然し返され、頭をかくかくと傾けながらも、彼女は必死にその動きについてきた。  
そうやって無理をしてくれることが、たまらなく嬉しい。  
   
 少しでも身体の緊張を解いてしまえば、頭を巡る意識をすぐにでも手放してしまいそうな  
この感覚は、禁断という言葉の中に閉じ込められていた久しぶりの未知の味だった。  
 
ちゅっ…ずっ……ちゅるっ……ぴちゅん…  
 
「…ふ……っつ」  
「んんっ……むぅぅ…」  
 ねとついた唾液が絡み合い、水音がより一層跳ねていく。相手の吐息を飲み込むたびに  
眩暈がして、酒とは違った酔いを覚える。舌を繋げて微かな塩っ気を味わっていくうちに  
視界が徐々に狭まっていき、抱き締められ続けた腕の力も少しずつ弱めてしまう。こんな  
激しい秘め事は、今までやったこと無かった。それだけ、彼女も欲してくれてたんだと思うと、  
顔がくしゃくしゃになるくらいに満たされる。  
 
「…っ……ぷはっ」  
「…はっ…んぁ……」  
 
 流れた涙の跡を空いた手の指で拭ってやると、口の端から微かに垂れかけていた涎も、  
舌で拭いてやる。そして今度こそ、ようやく顔と顔の距離を挟んだ。  
 
「…びっくりさせやがって」  
「あたしの方が…ドキドキしてるもん……」  
 自分からしてきた割には、紗枝は焦点の合ってない表情を浮かべていた。これだけ激しく  
すれば少しくらい抵抗されるかとも思ってたが、一向に身体を動かす様子も無い。身体の  
ほとんどの感覚を失ってしまったかのように、くたりと身体を預けてくる。   
 理性に逆らって、恥ずかしさを超えてまで精一杯頑張って、それでもう限界になりつつ  
ある彼女とは違って、こちらはまだ若干の余裕がある。主導権を取り返せたことに、安堵と  
満足感を覚えた。  
 と同時に、こんな時にもそんな感情が沸き上がってくる自分の性格に、苦笑が止まらない。  
「鼻息荒くて……やらしかった」  
「…それだけ興奮してるってことだよ」  
 それを笑いかけたのだと勘違いされたのか、不満げに顔を歪めて嫌味を呟かれてしまう。  
だけどそれも、彼女なりの照れ隠しだということは分かっている。そんな意地っ張りな性格が、  
何よりも好きだからだ。  
 
「そいじゃ…」  
「ん…」  
 天井からぶら下がっていた紐を引っ張って、カチリという音の後に部屋を照らしていた  
明かりが落ちる。それでもカーテンの隙間から微かに差し込んでくる月明かりのおかげで、  
間近にある紗枝の表情は充分に読み取れた。  
 
「あ…でっ……でも…少しだけ……心の準備…してもいい…かな……?」  
 
 動かせない身体の代わりに、あちこちに視線を移すその様がどうにも可愛らしい。  
「そうだな……じゃ、俺もちょっと準備するわ」  
 こつんと額を優しくぶつけてから、手を離して紗枝の身体を一旦解放する。へたっと  
布団の上で脱力する彼女をその場に置いて立ち上がると、服を脱いで裸になり、下半身に  
カーゴパンツを履くだけの状態になった。そのまま移動して部屋の隅に置いてある棚から  
紙のパッケージを掴むと、中から一枚薄く四角いものを取り出す。指に引っ掛けて肩から  
掛けていたシャツを放り投げ、その四角いものを布団の傍にテーブルの上に置くと、再び  
彼女の傍に座り込んだ。  
 
「……?」  
 紗枝の方はそれが何なのか分からないようで、制服姿のまま両手を胸に当てたまま、  
おずおずと見つめだす。それでもピンと来ないようで、思案顔が晴れる様子はない。  
「使ったほうがいいんじゃないか」  
 一旦は置いたそれを人差し指と中指でそれを挟んで、彼女の眼前にそれを持っていく。  
まじまじと見つめていたが、やがて言葉に促されたようにはっとなって目を見張らせると、  
ずざっと音が立ってもおかしくないくらいに後ずさった。  
「あ…じゃあそれって……」  
「まだ母親にはなりたくないだろ?」  
「え…うん」  
 教えてやったものの、どうにも紗枝の表情は晴れない。寂しそうに、身体を半身にして  
背けてしまった。  
 
「? どした?」  
「でも…それって……あたしが優しくして欲しいって言ったから?」  
「……」  
「あたしは別に…崇兄が無いほうがいいっていうなら……」  
「紗枝」  
 少し強い口調で、崇之は彼女の名前を口にする。少し咎めるような色も含ませてしまった  
せいか、その身体がびくりと震えてしまった。  
 
「こういうのは優しくとかそういうんじゃなくて、当たり前のことだぞ」  
「……」  
 近づいて、横髪をくしゃりと撫でる。本当は、頭を撫でたかったのだが。  
「それに……せっかく仲直りできたのに、またお前に苦労を背負い込ませたくないんだ」  
 それを手櫛で梳いてやる。耳たぶと手の平が掠めて、彼女はまた小さく身体を震えさせる。  
「だから、気にすることない。優しくするのはこれからだ」  
「……」  
 そう諭すと、紗枝はまたしても顔を少し俯かせる。それは顔を見られたくないとかそういう  
意味じゃなくて、単に頭を下げているように見えた。  
「もう……優しくしてくれてるじゃん…」  
「ははは、そう言うなよ」  
 口を尖らせまるで不満事をぶつけられるようなその仕草に、思わず笑い声を上げてしまう。  
優しくされて意地を張るなんて、いかにも紗枝らしい。  
「ありがと…」  
「どういたしまして」  
 彼女の腕を引っ張り自分自身もそちらに近づくと、また一瞬だけ唇を番わせる。  
 
「んじゃあ、そろそろ準備出来たか?」  
「ひゃっ!」  
 そのままぎゅっと抱きしめて、腕の中で紗枝の体勢を入れ替えると、なんとも女の子らしい  
彼女らしからぬ悲鳴が響く。それを無視して、彼女の身体を回転させて、背中から抱きしめる  
状態になると、そのまま足で囲って、手をお腹の前で繋げてみせる。そして、またしても  
ぎゅっと抱きしめた。  
「ち、ちょっと!? なんだよ!」  
「何って、優しくして欲しいって言われたからそれを続行してるだけだが」  
 付き合い始めた頃はよくしていた行為だった。態度ならともかく、言葉でまで甘えられる  
ことはそうそう無かったから、彼女がして欲しいなんて言ってきた時は思わず頬が緩んだ  
ものである。  
 
「やっ……そんなことされたら…準備なんて出来ないよぉ……」  
 
 座椅子の状態で、自分の胸板を彼女の背中に強く押し付けていると、困ったような声を  
吐き出してくる。確かにそこから感じ取ることの出来る鼓動は、それまで控えめだったのが  
抱きしめると同時に途端に跳ね上がり、伝わってくる音も壊れたままだ。  
 
「大体……なんでこの体勢なの…?」  
「俺がやりたかった。他に理由なんかあるか」  
 後ろから抱きしめてるはずなのに、何故か紗枝の顔は真横にある。要するにそれだけ  
圧し掛かっているということなのだが。肩の上に顎を噛ませるように置くと、それこそ  
彼女の身体を包み込んでいるような錯覚を覚える。  
 
「……じゃあ、もういい」  
「…ん?」  
「どうせ……こんなことされたら落ち着かないもん…」  
 拗ねさせてしまったのかぷいと顔を背けられる。こっちは優しくしていたつもりなのだが、  
生憎機嫌を損ねてしまったらしい。もっとも、「優しくする」という行為にかこつけてこんなこと  
すれば、こうなるだろうとは思っていたが。  
 
「なら…いいか?」  
「……ん…」  
 顎筋に指を添えて顔をこちら向けさせようとしても、彼女は逆らわない。そのまま近い  
距離で視線が結ばれ、敢えて口ではなく頬に唇を落とす。戸惑いながらも顔を強張らせる  
その顔が、くすぐったそうに変化していく。  
「優しくするけど…やめないからな」  
「うん……分かってる」  
 崇之は、彼女のお腹の前で繋いでいた自分の手と腕を手放した。過剰に圧し掛かっていた  
自分の身体を起こして、楽な体勢をとる。隣り合っていた紗枝の顔が遠ざかり、見えるのは  
首筋あたりまで伸びた髪だけになった。当然、表情も伺えなくなる。  
   
 自由を取り戻し宙に舞った己の両手を、迷うことなく柔らかく膨らんだ彼女の胸元に  
着地させる。胸はすっぽりと覆われ、緩やかに指を動かすと、それに沿うように形を変形  
させていく。  
「……」  
 この箇所を触るのも揉むのも、初めてのことじゃない。何度か悪戯で触れたことがあり、  
平均して三回くらい指を動かせば、彼女の拳が飛んでくるのが常だった。だけど今日は、  
当然のことながらそれも無い。  
 そのことを思い起こすと、不意に心臓が大きく稼動した。  
   
「んっ……」  
 
 紗枝は思わず声を漏らす。だけどそれを聞かれるのが恥ずかしいのか、口元をきゅっと  
結んで歯噛みをして耐え忍ぼうとする。  
「少し大きくなったか?」  
「しっ、知らない…っ」  
 胸元をさすりながらの言葉と共に、彼女の頬に一層強みが増していく。それにつられて  
皮膚がザワリザワリと音を立てて蠢き、勝手に熱さを増していく。それは、普段のような  
甘酸っぱさを含んだような感覚とは一味違っていて。  
「声、出していいぞ」  
 耳元で消え入りそうな声で囁いて、今度は波打ち始める。指先でその髪を梳こうとすると、  
紗枝は大きく首を横に振った。振り乱すように、何度も首を横に動かしてそれを否定する。  
恥ずかしさや顔が赤みを帯びていくことで発した熱さを、そうすることで必死に誤魔化そうと  
しているようにも見える。  
「……」  
「やぁ……んんっ」  
 片や無言、片や途切れ途切れの吐息混じり、二極化していく二人の様相。部屋には  
彼女の喘ぎと、制服や布団が衣擦れた音しか響かない。  
 座椅子に成り済ましたまま、崇之は腕だけを忙しなく動かし続ける。お互いの想いを  
確認しあってから五ヵ月。ようやく訪れたこの時を、じっくりと味わっていた。  
 
 片方の手を、服の下へ滑り込ませて直接お腹を擦る。それまで服の下に隠れていた肌は  
十分な暖かさを保っている。その体温を奪い取るようにさすさすと撫でていくうちに、  
彼女の腹部が思っていた以上に引き締まっていることに気付いた。  
 
 そういえば今まで何度か触った時も、決まって彼女の意外なスタイルの良さに驚いたものだ。  
帰宅部でスポーツもやってないし、それなりに食欲も旺盛な奴だし、精神同様にきっと  
幼児体型なんだろうという先入観があったせいか、ついつい驚いてしまう。  
「お前……結構いい身体してんのな」  
 手の動きを休めることなく、思わず抱いた印象を口にしてしまう。  
「だって…だってさ……」  
 思いの他、悔しそうな色が込められた声だった。身体つきを褒めたのに、どうしてそんな声が  
返ってくるのだろう。  
「崇兄と付き合う人は…いつも胸が大きかったんだもん……」  
「……?」  
 
   
「だけどあたしは…胸ちっちゃったから……お腹引っ込めるしかなかったんだもん…っ」  
 
 
「……」  
 その瞬間、顔中身体中の細胞がぶわっと音を立てて増えたような錯覚を覚える。心臓が  
耳の真横に移動したかと思えば、視界がちかちかと明滅してしまう。  
「…あー」  
 声を出して誤魔化そうとするが、どうにも収まらない。口元に浮いた笑みが、どうやっても  
元に戻ってくれない。代わりに、ぎゅっと目を瞑る。  
 
「やっぱ俺、お前のこと大好きだわ」  
 
 どうにも気持ちがこらえられなくなって、溢れそうになる気持ちを言葉で堰き止める。  
彼女の自分に対する想いの強さはついさっき分かったばかりだったが、それをこんなにも  
早く実感できるとは思っていなかった。  
 見えない箇所にまで努力をして自分に好かれようとしたその態度に、尚更に愛しさが募る。  
そしてそれと同じくらいに、今までずっと気付いてこなかった自分を嘲笑ってしまう。  
「けど……ちっちゃいままだよ」  
「俺は『お前が』好きなんだって言ったばっかりだぞ」  
「……ばか」  
「知ってる」  
「…ばかぁぁ」  
「知ってるって」  
 あまりに恥ずかしいのか急に身悶えし始めるものの、そうはさせまいと紗枝の身体を  
収め直す。声が少し潤んでいたのことには、少しだけ驚いたが。  
 
「……じゃ、外すぞ」  
「うぅ…」  
 いつもならこんなことわざわざ言わないが。ボタンを外すことにさえ確認を取ったのは、  
そういった感情が募ったからなのだろうか。全て外してはだけさせると、開かれた向こうからは  
少し陽に焼けた淡い肌色と、薄いペパミントグリーンの生地が姿を表す。  
「勝負モノか?」  
 笑みを零しながらからかってみせる。色が色だけに、その顔色が暗闇の中でも余計に  
映えてしまっていた。  
 紗枝はというと、自分を蹂躙していく腕にしがみつこうとしながら、ただただ首を横に  
振るばかり。そんな初心な動作が、余計に彼の心を燻らせる。小ぶりだけども反発の強い  
二つの感覚も、それを後押しする。  
 
「んん……もぅ…っ」  
 弄りまわす内に、それまで膨らみをしっかりと覆っていた生地がしわくちゃになり、  
徐々にずれ始める。背中を丸めてその胸元を隠すと同時に、また腕の中から逃げ出そうと  
するが、崇之がそれを許すはずも無く、捲れた生地の代わりに、自身の手の平でそこを  
覆い隠した。  
 
 
「やぁ…恥ずかしい……恥ずかしいよぉ…っ」  
「……」  
 限界を今にも超えそうなのだろう、声は完全に涙声だった。背後からこねくっているの  
だから、崇之からその胸元は見えていない。それでも、紗枝にはもう耐えられないのだろう。  
布団の上に投げ出された両脚が、ずりずりと動き回る。  
 
 
「……」  
「あっ!」  
 苛まれる思考から逃げ出すように片方の手を宙に舞わせると、内太ももにしゅるりと  
這わせる。驚いた紗枝が半開きだった脚を急いで閉じるものの、それは逆に崇之の手を、  
自分から挟みこむことになった。  
「あっ…? あっ……」  
「力抜け」  
「…っ…ぅ…」  
 そこを触るために前のめりになってしまって、また顔の距離が近くなる。口の傍に位置  
していた彼女の耳元に一言囁くと、跳ね返るようにビクリと反応を示してくる。  
 
「……」  
 だけど言葉を受け入れてくれたのだろう、徐々に締めつける力が緩んでいく。代わりに  
両手を固く握り、拳を作っている。身体のどこかを力ませていないと、どうにもならない  
のだろう。  
 
「ぁ……」  
 解放された手を太もも沿いに近づけて、プリーツスカートの端に指をかけ、そのまま  
ゆっくりたくし上げていく。下着が見えるギリギリのところでそれを止めると、胸の膨らみの  
先端に指の節を挟みこんだ。  
「ひっ…ぅ…っ……んんっ…!」  
 彼女が喘ぐ隙間に、もう片方の手もスカートから手を離し、生地越しに秘所をまさぐっていく。  
 
「やぁっ…! だめ…だめぇ……!」  
 ふるふると嫌がりながらの台詞だけれど、もう力をこめられ反発されることも無い。  
 手の平全体から指、指から指先。何度も往復させるうちに、弄る箇所を絞っていく。  
それに伴って彼女の甘ったるい声も、少しずつ大きくなっていた。  
 
 
「た、崇兄ぃぃ……」  
「…どした?」  
 すると突然、名前を呼ばれる。いかにも恥ずかしそうに、いかにも緊張した様子で。  
 
「あ、当たってるってばぁ…」  
 
「……」  
 言うまでも言われるまでもなく、崇之のそれはとうに昂ぶっていた。しかも、スカートの中に  
手を差し込む為に前のめりになっているのだから、必然的に紗枝のお尻にそれを押し付けて  
しまう形となっている。  
 
 崇之は既に上半身裸である。素肌で背後から抱きしめられ、硬くなった昂ぶりをお尻に  
感じ取ってしまっているのだから、彼女がどれぐらい緊張しているかは、想像に難くない。  
 それでなくても、紗枝は初めてなのだ。まだ前戯の段階で、それに若干の抵抗感を示しても、  
仕方のないことだと言える。  
 
 
「紗枝…」  
「……?」  
今度は彼の方から呼びかける。少し、切羽詰まった声で。それは演技だけど、演技じゃない。  
隠すまでもない本心でもあるのだ。  
 
「お前が見たい」  
 
背後から抱き留めているから、触れることは出来てもまだその姿を視界に捉えていないのだ。  
今の体勢を嫌がったのは彼女が先だけど、それを自分から変えたがる。それも一つの、  
彼なりの優しさなのだろうか。  
 背中の向こうから、一度だけ心臓が強く働いたのを感じ取る。紗枝は振り向かない。  
かろうじて見える耳たぶは、熟れた林檎のように染まりきっている。  
「……笑わない?」  
「笑わない」  
 胸元を腕で隠しながらの言葉をそのままに、イントネーションだけを組み換え返す。  
自分の身体つきのことを言っているのだろうけど、彼女の健気な努力を知った今、全力で  
それに応えたいと思った彼には、そんな思いを抱くこと自体が思考の埒外にあった。  
 
 絡みつけていた腕を戻して、両肩をそっと掴む。そのまま後ろ襟に手を入れて、ブレザーを  
肩からずざりと剥ぎ取る。  
「あっ…」  
彼女の腕をとって、片方ずつ袖から抜き取っていく。そして完全に脱がし終えると、布団の  
傍に静かに置いた。  
 
「見たい」  
 
 ブレザーを剥いだことで、体温と鼓動と匂いがより一層感じ取れるようになる。そして  
それは、彼女も同じに違いない。  
 
「うぅ…〜〜っ」  
 
ひどく恥ずかしげな声をあげながらも、紗枝は重心を前に前に傾けていく。  
 手を離すとそのままどさりと布団に倒れ込み、横向きの体勢になる。仰向けにならないのは、  
すぐさま見せる勇気を持てなかったのだろう。  
 
 しかし見せないとは言っても、シャツのボタンは既に全部外され、腕で隠しきれていない  
隙間の向こうから薄緑の生地が見え隠れしている。鎖骨あたりからは半端に緩んだ肩紐も  
微かに見えていて、スカートも限界のところまで捲れ上がっている。少しでも顔を傾ければ、  
ついさっきまで指先で弄っていたその奥が、今にも見えてしまいそうだった。  
弱々しく怯え、それでいて縋りついてきそうに潤んだ瞳に見つめられ、崇之はぐっと  
言葉に詰まらされる。驚かされたわけでもないのに、心臓が口から飛び出しかける。  
何より、半端に乱れている着衣に、胸と気持ちが疼いて仕方がない。  
 
つくづく、女は魔性の生き物だと思う。  
 
 幼なじみで、綺麗というよりは可愛い顔立ちで、いまいち色気に乏しくて、そんな彼女でも、  
こんな艶やかな表情を持っているのだ。  
しかも無意識なのだから、余計に性質が悪い。  
 
「……」  
「あっ…」  
片方の手で肩を抑え、お互いに正面で向き合えるよう力を込めて、身体ごとこちらを  
向かせる。その目尻には、やっぱり雫が貯まっていて。  
 
「怖いか?」  
「……わかんない」  
胸元を両腕で隠したまま、表情に変化はない。  
 
 
頭の両隣に手をついて、ちょうど下腹部あたりを跨ぐ。四つん這いの状態で覆い被さった。  
「少し、緊張してきた」  
「……鈍感」  
 うそぶいてみれば、ほんの少しだけ視線と声色が鋭くなる。その様子は、拗ねるという  
よりも悔しそうに見える。  
「嘘だよ」  
腕を折り曲げ、静かに肘をつく。ほとんど、紗枝の身体に圧し掛かっている状態になった。  
 
「お前にしがみつかれた時から、最初にキスされた時からずっと緊張してる」  
 
距離が狭まり、必然的に呼吸し辛くなる。互いの吐息が、口元に届きだす。  
「心臓の音も、聞こえてただろ?」  
「なら……いいけど…」  
さらさらと前髪横髪を手で梳いて、熱を測るように額を撫でる。  
 
「前に…」  
「ん?」  
「前に、今と同じようなこと…あったよね」  
「……あぁ」  
 
言われてふと、思い出す。まだ関係が変わる前、関係が変わるきっかけになったあの日の  
出来事。  
 
「あの時あたし…本当にされるって思ったんだからね」  
「ちょうどいい時に、真由ちゃんが来たんだったかな」  
 
紗枝の友達と一緒に海に出掛ける日、まだ人数が揃ってないタイミングを見計らって、  
崇之は彼女に悪戯を仕掛けた。掃除している最中に背後から忍び寄り車の後部シートの上で、  
今と同じように圧し掛かり、額をあわせ吐息を浴びせ顔を近づけたのだ。  
 
「けど…今日は途中で止めたり……しないぞ…?」  
「うん……分かって…る……」  
 
華奢な身体を覆い隠すように、また深く睦み合う。  
   
 今度は、舌は絡まない。代わりに、紗枝の腕が崇之の髪に絡みつく。控えめに膨らんだ胸も、  
平べったくなるくらいに押し付けられる。  
 そのまま頭の位置を下に下にずらしていく。舌先を口からはみ出させたまま、顎や首筋を  
通り、濡れた道筋を谷間まで作っていく。  
「あぁ…ん…っ……ふぁぁ…っ」  
「…っ」  
 半端に緩んでしまった胸元の紐タイを手で弄りながら、柔らかい膨らみに挟まれたところで  
いったん動きを止める。紗枝のことだから、距離を挟んでまじまじと見つめていたら、顔から  
火を噴出すくらいに恥ずかしがるに違いない。そう考え、密着しながらその場所を楽しんでいく。  
 
「んんっ……ふぅぅ…っ…恥ずかしいよおぉぉ…」  
 
自分の頬に柔らかい丘をぎゅむりと近づけ、手だけでなく肌でも楽しむ。荒い息が風となり、  
唾液と汗が混じりあって、赤く染まった身体を流れていく。  
「ゃぁ……ぁっ」  
「…ふ……ぅ…っ」  
密着しあってなかなかに呼吸が難しいが、それでも二人は離れない。  
 
崇之は谷間に顔を埋めたまま、どれだけ息が乱れようとも動かない。というより動けない。  
 
 離れようと思っても、後頭部に紗枝の両腕が絡みついていて、抱きしめ抱き留められて  
いるのだ。  
「……っ、っは」  
「んっ…ぅぅ…く、くすぐったいってばぁ……」  
 顎を擦って、まばらに生えた短いヒゲでちくついた感触を与えると、いよいよ腕の力が  
強くなる。それこそ、窒息してしまいそうになるくらいに。  
 
 
「紗枝…少し……苦しい」  
「…ぁ……ぅ…ごめん…」  
 流石に、限界が間近に差し迫って、それを伝える。  
 それがあまりに幸せな苦しさだといっても、死にかけてしまっては何にもならない。  
少し情けなかったが、彼女に腕の力を弱めてもらい、一旦起き上がる。  
 
「ふー…っ」  
「あ…」  
 それでも大きく空気を吸い込み、息を整えれば再び同じ位置に飛び込んでいく。今度は、  
胸を弄っていた両手を、紗枝の背中と布団の間に滑りこませて。  
「ここすげー落ち着く」  
「やっ…もう……すぐ…そんなこと、言うんだから…ぁ……っ」  
 首はふるふると横に振られるものの、また腕が頭に纏わりつく。半ば朦朧とした意識の中で、  
自然とこうしてくれているのなら。叫んでしまいそうになるくらい、感情が溢れ出す。  
 
「もぉ…っ…ほんとに、すけべなんだからぁ……あっ!?」  
 その減らず口を待っていたかのように、崇之は薄く染まった丘の先端を口に含んだ。  
舌先でころころと転がすと、彼女の身体が弓のように反りあがる。  
「あぁっ…ふあ…っ…!」  
 途端に反応が大きくなる。彼女の腕が、反射的に頭を引き剥がそうとしてくるものの、  
崇之は背中に回していた腕を抜き出し自由にして、紗枝の腕の自由を奪い取る。手の平同士を  
合わせて指を絡め、布団に押し付ける。  
 
「はぁ…! あぁ……いやぁ…! んぅぅ…っ……」  
 
 どうやらここが紗枝の性感帯らしい。もっと重点的に責めてやろうかとも思ったが、  
生憎「優しくする」という約束を交わしている。今日初めての彼女にここばかりひたすら  
責め続けるのもどうだろうと思い直し、これ以上は次回のお楽しみということにして口を離す。  
涎で出来た糸の橋が、伸びて垂れて音も無く切れた。  
 
「もう…こんな……赤ちゃんみたいな真似…やめてよね…」  
「……」   
 こんなでかい赤ん坊がいてたまるか、思わず言い返そうとして、口の中で押し留める。  
彼女との水掛け論は嫌いじゃないが、結末はいつもケンカ染みているので、今の状況には  
好ましくない。  
「ま、予行演習ということで」  
「なっ…なんのだよぉ……!」  
 だから軽口を叩いてみたのだが、普段はもっと強い調子のそれが、弱々しく消え去っていく。  
ふわついた感覚に、頭がついてこないのだろう。  
 
 繋ぎ合わせていた両手の平をほどいて、更に身体を下にずらす。そのまま彼女の腰元に  
這わせてホックを探し当てると、躊躇うことなく指先で外してスカートの締まりを緩めた。  
 
「やぁぁ!?」  
 
 途端に紗枝が抵抗し始める。ずり下げ取り払おうとしたら、思いの他強い力でそれを  
止められてしまう。  
「やっ…やめてっ……やだぁ…!」  
「……やめないってもう言ったぞ」  
「うぅ…っ!」   
 ふっと溜め息をついて、少しだけ咎めるように声を強める。  
 
「だって、急に…外すなんてひどい…っ!」  
   
「あー…」  
 非難めいた涙目の訴えに、崇之はバツが悪そうに頬を掻く。  
 何も言わずにスカートを脱がそうとしたことにじゃない。実は既に、胸元に顔をうずめて  
背中を掻き抱いていた時に、ブラジャーの紐をさっと外していたのである。  
 もっとも、外す前から本来の位置からずれてたわんでいた上に、今の紗枝はスカートの方に  
気持ちを集中しているのだから、まだ気が付いてないようだが。  
 
「…それもそうか」  
 そのことは顔にも口にも出さず、彼女の言葉に同意を示す。跨いでいた脚を外してまた  
尻餅をつきあぐらをかくと、彼女の上半身をゆっくりと起こした。  
「じゃあ…脱がしていいか?」  
 なんとなしにではなく、じっと目を見つめる。顔全体ではなく、その瞳だけを。  
 
「……今言うなんて、ずるい」  
「そう言うなよ」  
 悔しそうに口元をゆがめて、紗枝は真横に向いて視線を逸らす。身体の後ろに両手をついて、  
斜めに反った身体を支える。  
 至るところに皺が走った真白いシャツは、ボタンを全て外され前は完全にはだけており、  
汗を吸ったのか所々透き通り始めている。首からぶら下がった少し結び目が崩れた深緑色の  
紐タイと、もはや肩に引っかかっているだけのペパミントグリーンのブラが控えめな彼女の  
胸を必死に隠し通そうとし、ホックが外されたスカートは太ももあたりにまでずり落ちて、  
秘所とお尻を覆った薄緑色の生地はほとんど露出してしまっていた。  
 
「お前にどう見えてるかは分からんが……俺だって、そんな余裕があるわけじゃないんだぞ?」  
 
 恋人である彼女のこんなあられもない姿を見せつけられて、平静でいられるはずもないのは、  
当然の話なわけで。  
 
 崇之自身、紗枝にどれだけ想われていたかなかなか気付くことが出来なかった。だけど、  
逆もまた然りなのだ。  
 紗枝だって、崇之がどれだけ彼女のことを大事にしたいと思っているか、まだちゃんと  
分かっていないのだ。  
 
「だから、見たい。全部見たい」  
「……」  
 
 そう口走った瞬間、明らかに鼓動が速くなる。胸に何かが詰まったような息苦しさに、  
一瞬だけ表情をくぐもらせてしまう。  
 
「崇兄が…そんなこと言うの…ずるいよ……」  
 
「……」  
 その台詞を勝手に肯定と受け取って、ずり落ちていたスカートを元の腰の位置にまで  
戻すと、両手を音も立てずその中へ差し込んでいく。下着に親指を引っ掛け、ゆっくりと  
ずらしていく。  
「……っ」  
 紗枝は何も言わない。恥ずかしげに顔を背け身体も微かに震えているのに、何も言っては  
こない。口をきゅっと噤んで耐え忍ぶ姿が、崇之にはたまらなかった。  
 
 両膝あたりまで下げたところで、下着から手を離す。その方がより扇情的な姿に映ると  
いうことを、彼は知っているのだ。というか、単なる個人的嗜好による行為なのだが。  
 
ずちゅ……  
 
「ひぅっ…っ!」  
 右人差し指と中指の先を舐め、その指先をスカートの奥にある秘所にあてがい擦りつけると、  
間髪入れずに怯えた声が跳ね返ってくる。所在なさげだった彼女の両手も、思いきりシーツを  
掴んで皺を幾重にも走らせていく。  
 
「あっ…はぁ…、やっ…やぁ……いやぁぁっ……!」  
 
 お互いの声と衣擦れの音しか響かなかった部屋に、淫猥な水音が立ち上がり始める。   
 強く目を瞑ったまま、紗枝は首を左右に振り乱す。しかし脚をばたつかせようとしても、  
膝に掛かった下着に邪魔されちゃんと動かせていない。  
「ひっ…ぃ…っ…ひうぅっ…やだぁ……やだぁあぁぁっ…!」  
 指の動きを少しずつ速めていく。それに身体が敏感に反応してまうのか、その華奢な身体が  
弓のように反り返った。スカートで見えはしないが、自分の指がびしょびしょに濡れて  
しまっていることだけは分かる。  
 
「んんっ……うううっ…ひうぅ…」  
「……っ」  
 ずっと見知っている彼女の、まるで別人のような激しい媚態を見せつけられ、崇之の理性も  
激しく揺さぶられる。どくんと跳ねた心臓が、彼女の、紗枝の甘く悲痛な声をかき消して  
しまうほどに。  
 
じゅぷっ  
 
「いっ…やぁぁ……やぁぁーっ!」  
「…っ!」  
 一瞬だけだが、理性が消し飛んでしまう。指を無意識のうちに深くつき入れてしまっていて、  
悲鳴にも近い声が耳を貫き我を取り戻す。  
 
 あまりに唐突な感覚に怖くなったのだろう、紗枝は指から逃げるように身体を横向きに  
傾ける。ばたつかせた脚の片方は膝を折り曲げており、下着は足首あたりのところまで  
ずり下がっていた。もっとも、もう片方の脚には未だに膝あたりに掛かっていて、下半身の  
動きを少し拘束されてしまっていることに変わりはないが。  
 
「はぁ…っ…はっ……ぁ…」  
「…ごめんな」  
 息も絶え絶えになりながらくたりと布団に身を預けるその様子を、じっと見つめる。  
散々約束を守れなかったというのに。また破ろうとしてしまったことに、激しい自己嫌悪を  
後悔に襲われる。  
 
「あ…あたしも……」  
「…?」  
「その……ごめん」  
 うっすらと目を開け視線がかち合うと、何故か彼女も謝ってきた。  
崇之は首をかしげる。紗枝が申し訳なさを感じるようなことなんて、何一つ無いはずなのに。  
自分は当然としても、その行動がよく理解できない。  
 
「せっかく崇兄が優しくしてくれてるのに……怖がっちゃったりして…その…」  
 
「……!」  
 身体の内側に火を放たれたように、カッと身体の内側が熱くなる。  
 
「あたしからして欲しいって言ったのに…文句言ったり……すぐ嫌がっちゃったりして…」  
   
 今にも泣き出しそうなその表情が、それを余計に後押ししていく。意地っ張りな奴だから、  
嘘なんてつけない奴だから、今口に出して言っていることも全部本心なのだろう。  
 
「ほんとに…ごめんなさい」  
 
 そんな健気なことを言う彼女に、自分の気持ちを、想いを、注ぎ込みたい。  
 
 視界にバチッと火花が走る。意識と視界が刹那的に途絶え、気が付いた時には、再び紗枝の  
身体を覆いこむように抱きしめていた。   
「崇…兄……?」  
「……」  
 そのままうなだれかかって、短く息を放つ。素肌同士の触れ合いは、彼女の鼓動の変化を  
確かに伝えてくれる。  
 
 
 
 ここまで真っ直ぐに気持ちを向けてくれる彼女を、ずっと勝手に妹扱いし続けていた。  
付き合い始めてからも余所を向いてしまったりと、改めて彼女への態度の酷さを省みる。  
 
「紗枝…」  
 
 今になって気付く。関係がなかなか進展しなかった理由は、自身にも大いにあった。  
優しくゆっくりとなんて聞こえはいいが、単に臆病だっただけだ。  
 
 改めて、思う。  
 
 
「……いいか?」  
 
 
 失わなくて、無くさなくて本当に良かった。  
 
 
「……」  
 あまりの安堵感に視界が微かに揺らぐ。その顔を見られないように、紗枝の頭を肩口に  
埋もれさせた。  
 
 
「……うん」  
 
 
 半ば無理やりの所作だったのに、反発されることもなく頭も動かない。おそらく、彼女も  
今の表情を見られたくないのだろう。  
天井を向いて、今度は深く太く長く息を吐く。自分のとも紗枝のとも分からぬ不規則な  
音階が、ただただ耳を劈き続けた。  
 
 前髪をかき上げ露出したおでこにそっと唇を落とし、空いた手を、テーブルの上にそっと  
伸ばす。  
 
 
 置いてあった四角く小さなビニールに包まれたそれを、がさりと掴むのだった――――  
 
 
 

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