『……』  
『……』  
 物言わぬまま、二人は対峙する。彼は、疲れきった表情のまま。彼女は、随分と居心地の  
悪そうな表情のまま。  
 
『あ、あの…ごめんね?』  
   
『……』  
 おずおずと頭を下げると同時に、彼はそこから視線を逸らす。煙草を再び吸わなくなって  
から口に寂しさを覚えることが多くなったのか、代わりに飴玉を口の中で転がし続ける。  
『…た、崇兄』  
『いいよ、もう』  
 溜息交じりの言葉に、彼女の顔に失意の色が浮かび上がった。そんなつもりで言ったわけ  
じゃないのに、相手を誤解させてしまって。顰めた面のまま額を掻くと、腰を上げ、膝を  
立てて彼女に近づく。  
 
『怒ってないから』  
 
 悪いことをしてしまって、罪の意識を覚えた子供をあやす様に。顔を間近に近づけて、  
できる限り優しい声が出せるように気を付けながら、ゆっくりと囁く。  
『……』  
『誤解するのも仕方ねえさ。俺がそういう奴だっていうのは間違ってないしな』  
 ポンポンと軽く肩を叩きながら、あらぬ誤解から激しく自分を責め立てた彼女を慰める。  
本当は頭を撫でたかったのだけど、出来なかった。それが彼と彼女の間でどういう意味を  
表すかを考えた時、出来るはずもなかった。  
『でも…』  
 話が進まない。さっきからこの繰り返しだった。気にしてないと何度言って聞かせようと  
しても、彼女は全く耳を貸してくれない。  
『紗枝』  
『……っ』  
 そんな苛立ちが、名前を呼ぶ時に僅かにこもってしまう。幼なじみだったから、そんな  
微かな気持ちの変化にも気付かれて、彼女の身体はビクリと震えてしまう。  
 
ぎゅっ  
 
 埒が明かなくなって、慰める意味合いも込めて、腕を巻きつけ彼女の頭を胸元に抱え込む。  
手の位置をずらして背中を優しく叩いて、紗枝が落ち着くようにゆっくりと撫でまわす。そうしたことで  
深く吐き出された息が、微かに首筋を撫でた。  
『それでも悪いと思ってるなら、せめて謝るのはやめてくれ』  
『……』  
 だけど普段、こういう時は絶対に寄り掛かってくる身体が、この時は頑なにそれを拒み  
続ける。不自然な体勢のまま、それは宙に浮き続ける。  
 
『ごめんなさい、ごめんなさい……』  
 
 やっぱり、彼女は謝るのを止めない。それまでの自身の行動言動が、あまりにも酷いもの  
だったという自覚が、あったのだろう。  
『……』  
 気付かれないように、浅く短く息をつく。  
 
 
 バレている。  
 
 
 怒ってるわけじゃなかったけど、辛かった。同僚と歩いてるところを目撃されただけで  
しこたま殴られひたすら罵倒されてしまったのは、悲しかった。  
 
 
 しかも誤解を解いたのは自分の言葉ではなく、バイト先の後輩であり彼女のクラスメイト  
でもある人物の証言であり、結局自身の言動行動は何ら影響を及ぼすことはなかった。  
その事実が、あまりに虚しくて。  
 
 俺は、そこまで信頼されてなかったのか。  
 
 俺のこと、そんなに疑ってかかってたのか。  
 
 揺れる回る、そんな言葉。混じる乱れる、複雑な感情。  
 だけど、相手が彼女なら、幼なじみの彼女なら。意地っ張りですぐ怒鳴るくせに、そんなに  
気持ちが強くない彼女が相手なら、不平不満を言い出す気持ちにはなれなかった。付き合いだす  
以前のことも思い出せば、それは仕方なかった。  
 
(落ち着かせるまで……待つしかないか)  
 
 舌で飴玉を弄びながら一人ごちる。鬱屈した気分が胸の奥から延々と湧き上がってくるのを、  
いつまで経っても止めることが出来ないでいた―――  
 
 
 
 
「まぁ、…そーいうわけだな」  
 バイトを終えて、横に並びながら歩道を練り歩く男が二人。無精ヒゲを蓄えうなだれている方の男が、  
もう一人の背の小さな男に話しかけている。言うまでもなく崇之と兵太だ。  
 
「長々と説明してもらってありがたいんですけど、俺そこら辺の事情を知ってるんですけど」  
「? なんでだよ」  
「や、だって。今村さんの話の中にも出てきたじゃないですか。俺の名前が」  
「あぁ…そういやそうだな」  
 誰だって分かる話でさえ把握できていないと言うことは、余程ダメージが大きいらしい。  
「……重症っすね」  
「怪我した覚えはねぇ」  
「そういう意味じゃなくてですね」  
「うるせーな、分かってんよ」  
 心に余裕を持てないと、人はこうまで言動が変わってしまうものなのか。眉間に皴を  
寄せたこの気難しい顔が彼にとっていつもの表情になってしまったのは、一度目の浮気騒動が  
起こってからのことだ。  
 
 
『嫌いだ……、崇兄なんか……大っ嫌いだ……っ』  
 
 
「……」  
 ふと思い出す、かの意地っ張りな言葉。言葉とは真逆の意味がこもった告白の返事は、  
いかにも彼女らしくて、いじらしかったのを覚えている。  
 
 だけどあれからもう五ヶ月。なのに関係は思っていた以上に進展していない。それが今回、  
この男が不埒な考えを彼女以外の女性に抱いた原因だった。  
   
 確かに最初は、恋愛に慣れてない彼女に合わせてあげようと腐心した。煙草の煙を嫌う  
相手の為に、また常習性がつき始めていたそれを再び禁止することにした。向こうから  
甘えてきたがるなら全て受け入れたし、自分から無理やり何かを求めるようなことは、  
なるべくしないように心がけた。冗談交じりではあったが、座椅子になって欲しいなんて  
言われた時は顔の緩みが止まらなかった。  
 
 
 だけど甘やかせば甘やかすほど、彼女はその状態に満足するばかりだった。デートを  
重ねても、手を繋ぐことにさえ一向に慣れてくれる様子が無かった。口付けした回数も、  
両手で数えることが出来る程度だった。  
 理由は分かっていた。数ヶ月ぶりに、いつも通り話すことの出来る環境に舞い戻れただけ  
で嬉しかったんだろうと、理解はしていた。だけど、納得するのがどうにも難しかった。  
態度は以前と何も変わっていなくて。それは昔から親に言われ続けたような「兄妹」の  
ような関係そのままで。気付いた時の失望感は、相当なものだった。  
 
 だから、まあ、なんと言うか。そういった機会が久々にあった時に、らしくもなく暴走して、  
舌を絡めてしまったわけで。  
 
 紗枝の嫌悪感は想像を超えていた。驚かれるかもしれない、そのくらいに考えていた  
だけに、彼女に口を抑えられ突き飛ばされたのはショックだった。やっぱりまだ、「恋人」  
よりも「兄妹」に近い対象として捉えられていることも合わせて。  
   
 違う異性の味を知っている崇之には、それは浮気の理由としては充分すぎた。  
 
 彼女がようやく見せてくれた恋人としての表情が、無実の罪を事情も聞こうともせず  
先入観だけで責め立て泣きじゃくる姿だったのも、あまりにもあんまりな現実だった。  
 
 
『嫌いだ……、崇兄なんか……大っ嫌いだ……っ』  
 
 
 詰問の時に最後に吐かれた台詞は、いつぞやのものと同じもの。一度目は嬉しかった言葉に、  
二度目はこれ以上ないくらいに落胆させられた。  
 
 大事にしたかった。だけど、大事にしすぎた。俺とあいつと、どっちが発端だったんだろう。  
 
 いつまで経っても、答えは出ない。  
 妹として扱ってきた幼なじみと、恋人として付き合うことがここまで難しいとは思わなかった。  
 
 
 
「まぁ、なんとなく事情は分かりましたけど。それでも今村さんに落ち度が無いわけじゃ  
ないと思いますけどね」  
「それに関しては……気の迷いって奴だな」  
 直接言葉は出てこないものの、それが何を言っているのかは明らかだった。こちら側にも  
擁護されるべき点は多々あるものの、だからといって犯してしまった行為を正当化する為の  
ものにはならない。  
「平松……すっかり落ち込んでますよ」  
「……」  
「見てらんないですよ、ほんと」  
「……だろうなぁ」  
   
以前なら、後輩に今のような歯に衣着せぬ言い方をされれば、すぐさま手を飛ばすか、  
威嚇し返すのが常だった。  
 
「はぁー……やべーよな」  
 
 なのに今では、そんな気分はなかなか沸いてこず、逆に自分を責めるばっかりなのが、  
どうにもらしくない。  
 
 
「最近会ってないしなぁ。どうすっか」  
「? なんで会わないんすか? 早く言い訳しとかないと余計こじれると思うんですけど」  
「そうなんだけどな……気が乗らなくてなー」  
「ンな理由で連絡とらなかったら、取り返しのつかない事態になると思いますよ」  
「……」  
 意地っ張りな奴だから、いくら好きでいてくれたって態度に腹を立ててしまって衝動的な  
行動に出るかもしれない。実際、それが原因で別の人と付き合ってた時期もある。  
 
「……ちっ」  
 
 あんな思いはもう二度としたくない。もう半年近く前のことではあるが、あの時の最悪な  
気分は今でもはっきり思い出せる。  
   
「よぉし電話かける!」  
 
 気持ちの切り替えが早いのが、崇之の一つの特徴でもある。  
 そんな思いに後押しされて、ポケットからシャキーンという擬音と共に携帯を取り出す。  
素早くボタンをカコカコ押して紗枝の番号を液晶に映して、決意を込めた叫びを上げた。  
何事かと傍を歩いていた通行人に振り返られるが、そんなこと気にしない。  
 
「……」  
「……」  
「……電話、かけるぞ」  
「どうぞ」  
「……」  
「……」  
「……本当に、かけるぞ」  
「……だからどうぞ」  
「……」  
「……」  
「……止めるなら、今のうちだぞ」  
「かける勇気無いんなら無いって言えばいいじゃないですか」  
 
「ぐっ……!」  
 
   
げしっ!  
 
 
「痛って!」  
 やっぱり勢いだけの行動には、限界があるようで。  
 不躾な言葉ばかり浴びせかけてくる後輩に強烈なローキックを浴びせ、容赦ない攻撃を  
加える。久方ぶりの制裁も、その理不尽ぶりは相変わらず健在のようである。  
「何すんですか!」  
「お前こそ、随分偉そうな口叩くじゃねーか」  
 口元は笑っていながらも目はまるで笑ってない不自然すぎる表情で、不躾な態度を取る  
後輩を脅しにかかる。  
 
「あいつのことで頭抱える俺がそんなにおかしいか? あ?」  
 
「え、あ、いや……お、おかしくないと思いまっす!」  
 襟元をぐっと掴み上げて更に威嚇すると、兵太は直立不動になって声を変なところで  
裏返らせながら言葉を返してくる。  
 
「けっ」  
 戒めの意味を込め開いた方の手で生意気な口を叩いていた後輩の頭をバシッと叩くと、  
押し飛ばすように手を放す。その後輩の方はというと、忘れかけていた恐怖感がぶり返して  
きたのか、そのまま近づくことなくどんどんと距離をとっていく。  
 
「おい、どこ行くんだよ」  
「あ、じゃあ、俺、このまま、失礼、したいと、思い、ます、ええ」  
「あー? お前の家こっちだろ」  
「いえ、あの、ちょっと、所用を、思い、出しまして、はい」  
 あまりの恐怖感にあてられたのか、まばたきの回数が段違いに増え、口調までカタカタ  
と途切れがちになる始末。誰がどう見ても変な人にしか見えない。  
 
「そ、それじゃあ失礼しまっす! 何とか頑張ってくださいっす!」  
「おーい」  
 
 すたこらさっさと逃げ出していく後輩に声をかけるも、振り返ることも無く逃げ去っていく。  
やりすぎた気がしないでもないが、まあこれで奴の舐めた発言を今後封殺できるのだとしたら、  
然るべき処置だったと考えるべきだ。  
「……」  
 さて。  
「……」  
 さてさて。あんなどうでもいいのは置いといて、問題は本題である。  
 
 改めて液晶画面を見つめなおす。そこにある名前は、さっきと変わらず一番見知った、  
一番大事なはずの存在の名前が表記されたままだ。  
「……んー」  
 立ち止まり、携帯電話の角をカツカツと額にぶつけながら、考え込む。こんなことなら、  
さっきあんなやる気のないメール返さなければ良かった。  
 
 話しかけるのはいいとして、問題はどうやって彼女と円滑に会話をするかだ。電話なら  
お互い黙り込むわけにもいかないが、かといって直接会いに行く勇気は今のこの男には  
無いわけで。他の女の子ならともかく物心つく頃からの知り合いであり、妹のように大事に  
してきた娘が相手なのだから、それだけ慎重にならざるを得なかった。だったら理由が  
あったにせよ浮気するなよという話になるのだが、今更そんなこと言っても仕方ない。  
 
「……ちっ」  
 素直に謝ったとしても、それをすんなり受け入れてくれるだろうか。疑惑だけであそこ  
まで怒り悲しんだ彼女である。  
 
(まぁ……あそこまで怒ったってことは、それだけ俺のことを好きだってことだよな)  
 
 謝るだけでダメなら、せめて喜ばせてあげないといけない。ここ最近、彼女とは距離を  
とっていたから、そのことで寂しさを感じていたのかもしれない。あの時、無言で横っ面を  
叩かれたのも、そこらへんに一つの理由があるのだろう。  
(……誘うか)  
 併せてデートに誘えば、頑なな気持ちも少しは溶かすことが出来るのではなかろうか。  
本来なら一緒にすべきものではないが、他の娘ならともかく、相手は紗枝なのだ。恋人と  
しての面が薄く、未だに兄妹やら幼なじみとしての面が強いのなら、むしろその方がいい  
かもしれない。謝るだけだと事態が好転しないのは、逆の立場ではあったものの既に立証  
されている。色々と皮肉な話であるが。  
 
 場所はどこでもいいが、時期は早い方がいい。謝るのはその時だ。幸い明日はバイトが  
昼過ぎには終わる。もし断られたら、次の約束を取り付けられるまで粘る。もし向こうが  
指定してきた日時にバイトがあっても兵太と交代すればいい。奴が断ったら殺せばいい。  
「……」  
 
ピッ  
 
 そこまで考えた時、親指が勝手に動いた。今の今まで尻込みしていたわりには、思ってる  
以上に気持ちが逸っていたらしい。やっぱり、なんだかんだ言いながらも彼女の存在は  
たくさんの意味で特別なのだ。  
 
プルルルルルルッ、プルルルルルルッ  
 
 コール音が鳴り始めてから一つ胸を撫で下ろす。着信拒否にされてなくて良かった。まあ、  
向こうから何度か連絡もあったから元々その可能性は低かったろうけど、それでも安心  
出来たことに変わりはない。  
 
ピッ  
 
『……も、もしもし』  
 向こうが電話に出た途端、ホッと一息ついていた心臓が、軽く跳ね出す。声を聞く限り、  
相手も若干身構えているようだ。早まる鼓動に連動するように、脳から信号を送ったわけ  
でもないのに、脚が勝手に前へ前へと動き出した。  
 
「あぁぁぁ、も、もしもし?」  
『……何その声』  
 
 せめて冷静な振りだけでもするつもりだったのに、裏返った第一声で余裕が無いのが  
あっさりバレてしまった。らしくない、とことんらしくない。頭をガリガリと掻いて気分を  
改めながら、咳払いをして声色も改める。  
「あーー、元気か?」  
『……誰かさんのおかげで元気じゃない』  
「そっ…か。まぁ……そうだよな」  
少し疲れたような声が、電話の向こうから聞こえてくる。やっぱり、随分と気持ちを  
傾けてしまっていたようだ。  
『何か用?』  
「…いやな、明日バイトが昼上がりなんでな。その後にどこか出かけないかと思ってだな」  
 やばい、焦りっぷりがいつまで経ってもどこまでいっても止まらない。一聞かれただけ  
なのに二も三も答えてしまって、向こうが若干引き気味なのが見なくても分かる。  
『……』  
 その証拠に、デートのお誘いをしてみても反応が一向に返ってこない。いつもなら、  
何かしらすぐに言ってくるのに。まあ、事態がいつもじゃないからこういう状況なのだが。  
「おーい、聞こえてるかー?」  
 不安に駆られて、問いかけ直してみる。  
『そんな大声出さなくても聞こえてるよ…』  
「……そうか。…で、どうだ?」  
 もう体裁を保つのがもうどうでもよくなって、逸る気持ちを押しとどめるのを諦める。  
というか、こっちも必死な様子を表した方が、向こうの気持ちもより揺り動かされるかも  
しれない。まあ、そんな打算を考える以前に本当に必死なわけで。  
『…この前、あたしが誘った時は断っただろ』  
「まぁ…その罪滅ぼしも含めて、な。他にも色々話しないといけないこともあるだろ?」  
『それは……そうだけどさ』  
 拗ねだす紗枝を相手に、必死に食い下がる。  
 
 一時の紗枝の所業反応に、少しばかり鬱陶しさを感じだして浮気に走ってしまったものの、  
やっぱり一番好きなのが今電話で話してる相手だっていうのは変わってなくて。それを  
再確認させられてしまう自分の行動に、苦笑が漏れ後悔が募る。  
 
「……ダメか?」  
 
 だけどその感情を、はっきり口にするのは嫌なわけで。自分から一歩引いて、向こうの  
反応を窺う。  
 
 
『……………………………………………………わかった』  
 
 
「そうか」  
 長い沈黙の後の承諾の言葉に、崇之は携帯電話を握っていない方の手を、一瞬だけ強く  
ぐっと握り締めた。  
 
「どっか行きたいところとかあるか?」  
『別にどこでもいいよ』  
「分かった。んじゃ昼の一時に駅前で待っててくれ」  
『うん』  
 
 湧き上がる感情を右手右腕心臓だけに押しとどめ、他の箇所は平静を保ち続ける。明日  
どこへ連れて行ってやろう。とにかく、機嫌を直しつつ楽しませてやらないといけない。  
非常に難題ではあるが、何とかなるだろう。相手の性格は、ちゃんと把握しているわけだから。  
「それじゃ、明日な」  
 とりあえず帰って算段を立てないといけない。今まで紗枝とのデートで特に肩肘張らず  
自然体で楽しんでたのが幸いした。普段との格差を見せ付ければ、それだけ機嫌を直せる  
可能性も高くなる。  
 アドレナリンが分泌され、急速的にテンションが高くなっていく。  
『あ…崇兄』  
「ん?」  
 と、電話を切ろうとした寸前、向こうから呼び止められた。  
 
 
『……遅れてもいいから、ちゃんと来てよね』  
 
 
 一抹の寂しさと、ほんのちょっとの苛立たしさが入り混じったような声色が、そんな台詞を  
電波に乗せて耳に届いてくる。  
   
 
 速足になりかけていた両脚が、再び速度を落としていく。少し俯いて、痒くもないのに  
頭をぼりぼりと掻き乱す。  
 
「……ああ、分かってる」  
『……うん』  
「それじゃな」  
『…うん』  
 
ピッ  
 
「……っ」  
 再び携帯電話の角で、自分の額をカツカツと軽く殴りだす。  
   
 随分、寂しそうだった。会って浮気のことを問い詰めようだとか、会ったら思いっきり  
殴り飛ばしてやろうだとか、そんな感情よりも、ただ本当に寂しそうな声が印象に残った。  
 
(あ゛〜〜〜〜〜っ!)  
 
 自分の浅はかな行動に反吐が出る。寂しがり屋な奴だってことも、分かってたはずなのに。  
彼女に対する想いや印象が、多々抜け落ちてしまっていて戸惑いを隠せない。  
 
 まあ起きてしまった、過ぎてしまったことはこの際しょうがない。とりあえず、考える  
べきことは、明日のことだ。とりあえず、本屋に寄って洒落た飯屋を紹介している本でも  
探すことから始めよう。いつもはファミレスばっかりだったわけだし。  
 
 ポケットに残っていた飴玉を袋から取り出し口に含むと、舌先で転がす。伝わる微かな  
甘みが、ほんの少しだけ疲れた頭を癒してくれる。そこでようやく、ほんの少しだけ余裕を  
取り戻すことが出来たのだった。  
 
   
 しかししかし、晴れ間が垣間見れた彼の心とは裏腹に。広い空は今日もまた、いつもの  
ように白く黒く濁り続けるのだった――――  
 
 

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