何がきっかけだったのか、どこに強く惹かれたのか、それが自分でもよく分からなくて。  
だけど物心ついた時から、彼女にとって彼は「いちばん好きな人」だった。兄妹みたいだね、  
そう言われるのがいつも不満で、それを耳にすると決まって口を尖らせていた。それだと  
どれだけ仲が良くても、誰より一番傍にいることが出来ないと思えたからだった。  
 彼女の心の中で、最初から彼はその場所に立ち続け、そして動かなかった。例え彼自身が  
彼女と兄妹のような関係を望み、また彼女自身も表面上はそれに付き合っていても、そこから  
一歩も動くことは無かった。  
 
 だからなのか。  
 
 妹じゃ、やだ。  
 
 兄妹じゃ、やだ。  
 
 
 もう彼に、異性として意識されないのは、いやだ。  
 
 
 長すぎた一方通行な想いは、やがてそんな状況に反発し始める。泣きたいくらいに積み  
重なり続けた、気持ち感情想い出は。心という名の器には、もう一杯に溜まってしまって、  
溢れ出すしかなかった。  
 
 結果的には、一度関係が潰えた後に、夢の中でも見ることの出来なかった夢の先を、  
今こうして手にすることが出来たけれど。今度は、彼の我侭に付き合っていただけだった、  
兄妹のような関係を長く続けすぎたせいか。それともそれが、あまりに心地良すぎたせいか。  
昔からの触れ合い方が邪魔をして、上手く自分の気持ちを彼に注ぐことが出来なくなって  
しまっていた。  
 
 だけど、それでも好きっていう気持ちだけは、変わらないままで。  
 
 なかなか会ってくれなくっても。例え浮気をされたとしても。それだけは、いつまでも  
決して変わることは無いのだった――――   
 
 
 
 
「うぅ…」  
 ベッドの上でへたり込みながら、微かにこもるうめき声一つ。そのまま両膝を抱え込んで、  
紗枝はその体勢のままごろんと横になる。  
 顔だけふいと動かして、枕元の壁に打ち付けられたコルクボードをじっと見つめる。  
右半分には、これまでもそこに貼り続けていた、崇兄との懐かしくて大切な兄妹のような  
思い出写真が。そして残り左半分には、この五ヶ月で新たに作り出した、「いちばん好きな人」  
である崇兄と、恋人同士としての軌跡を残したたくさんのプリクラが貼り付けられている。  
 
 今でも、夢じゃないかと思ってしまう時がある。  
 
 一度眠ってしまったら、波に攫(さら)われる砂の城のように、脆く儚く跡形も無く  
この関係が崩れ去ってしまうんじゃないか、そんな危機感が常に隣に居座り続けていた。  
やっぱり今がどれだけ幸せであっても、一度全ての終わりを告げられてしまった黄昏時の  
河川敷での出来事が、今でも忘れられないでいた。  
 
 
(……)  
 だから、どうしても彼の行動に敏感に反応を示してしまう。自分と彼の性格を熟知している  
だけに、この気持ちに自信は持てても、今の関係には持てないままだった。実際、彼には  
浮気をされてしまったし、以前からも以降も避けられてばかりでもあったし。  
 
「はぁ……」  
 
 そんなことをされるってことは、もう飽きられちゃったってことなのかな。でもそれなら、  
今更デートに誘ってくれるわけないし。でもずっと逃げてたのに、どうして今なんだろう。  
もしかして、何か特別なことがあるとか?  
   
 答えの分かるはずも出るはずもない問答を、頭の中で延々と続けてしまう。  
 
コンコン  
 
「ご飯だって言ってんでしょ。何やってんだい」  
「うわあっ!」  
 うずくまってそんな後ろ向きの思考に囚われていると、突然の母親の来襲に素っ頓狂な  
声をあげてしまう。夕食の呼びかけにもまるで気付かなかったということは、よっぽど  
深く考えこんでしまっていたようだ。  
「ちょっとお母さん! 勝手に部屋に入ってこないでよ!」  
「ドア全開にしといて何言ってんだろうねこの子は」  
 部屋の扉は、開いているどころか90度以上完全に開ききっている。それなのにノックを  
してくれたのは、一応の礼儀だったのだろう。  
「しかもなんだいその格好は。そんなんで寝てると風邪引くよ」  
「うるさいなぁ、分かってるよ」  
 母親の指摘に文句を言いながら、身体をシーツで隠す。何故なのかというと、紗枝は今、  
下着しか身につけていないのだ。普段の彼女ならば、自分の部屋にいても服装はちゃんと  
しているのだが、なんというか間抜けな姿である。  
「分かってるんだったら、なんで下着姿で寝てたんだい」  
「考え事してたんだってば。もういいじゃんー」  
 素直に親の小言に耳を傾けられなくて、自分だけの時間と空間を邪魔されて、ついつい  
へそを曲げてしまう。  
 
「考え事ねぇ……」  
 
 言い返すと、呆れ混じりの溜息を吐かれてしまう。そんな母親の態度が、強く気に障って  
しまって、いささかむっとしてしまう。  
「……なに?」  
 ぶすくれだって、何か言いたそうにしている母親に問いかける。  
 
「ま、崇之君にデートに誘われたのが嬉しいっていうのは分かるけどね」  
 
「なっ」  
 なんで分かるの、と、その一言に込めて反発してしまう。すると、また大仰に溜息を  
つかれて、なんだか哀れんだような目で見下ろされてしまう。  
「……こんなに部屋散らかしといてよく言うね」  
 
「う゛っ…」  
 
 言われて恐る恐る部屋中をぐるりと見回してみると、確かにヒドい有様だった。机の上や  
床一面のありとあらゆる場所に、衣類がところ狭しと散乱してしまっている。春服だけに  
限らず、コートまでそのへんに脱ぎ捨てられているのだから、普段家中の掃除を一手に  
引き受けている母親の気持ちを考えれば、溜息をつきたくなるのも仕方ない。  
 
 まあ、鏡の前で明日のデートの服を選んでたら、崇兄とのことを考えてる過程で思考が  
脇道に逸れていき、段々と不安な物思いに耽りだしてしまったのが実情なのだが。無意識に  
ここまで部屋を散らかしてしまうということは、やっぱり色々と不満を溜め込みながらも  
久々の彼からのお誘いが嬉しくて、それが今から楽しみで楽しみで仕方ないのである。  
 だけど彼女の性格が、それを口に出させない。そもそも崇兄とのことは、この母親には  
言いたくない。  
 
「別にお母さんには関係ないでしょ。片付けなら自分でやるし服着たらすぐに行くから、  
下で待っててよ」  
「普段は色気があるんだか無いんだかよく分かんないスポーツブラとかいうのばっかり  
なのに、なーんだか随分と可愛いの着けちゃってまー」  
 この場面を見られてしまったことが恥ずかしくて情けなくて、とにかくとりあえずこの  
部屋から出て行ってもらおうとするものの。すぐにシーツで隠したのに、モノは試しと  
普段は着けないようなペパミントグリーンの色した可愛らしい柄の下着を身につけていた  
ところをしっかりと目に留められていて、それをからかわれてしまう。油断していたとは  
いえ、完全に赤っ恥である。  
 
 こういう問答が始まると、この母親は実は自分じゃなくて崇兄の産みの親なんじゃない  
だろうか、そう思ってしまうのはもはやいつものこと。  
 
「こりゃ孫の顔が見れるのもそう遠くないかもねぇ」  
「おかーさん!」  
「ほほほ、早く降りてきなさいよ」  
 母親の言葉に非難の声をぶつけて、更に追い討ちをかけようと傍にあった枕を掴んで  
投げ飛ばすが、当たる寸前のところでそれをかわされ廊下に姿を消されてしまう。  
「もー!」  
 真剣に悩んでいたことが、すっかり頭の中から消え去ってしまっていて。それだけでも  
十分腹立たしいのに、これからあの母親と一緒に食卓を囲まなくてはいけないのかと思うと、  
肩まで怒ってしまう。  
 
 紗枝が母親に崇兄とのことを言いたくない理由はこれなのだ。親同士の仲が良く、また  
母親自身も彼のことをいたく気に入ってるせいか、何かあればすぐに弄ってくるのである。  
余談になるが、付き合い始めたことを報告した時、夕食には赤飯が出され、正月でもない  
のに食卓に鯛のお頭や数の子が並んだとかなんとか。  
 
 嫌々ながら手早く服を着て、わざとドタドタ大きな音を立てて一階に降りダイニングに  
向かう。するとそこには母親だけでなく、父親も椅子に座って待ち構えていた。どうやら、  
深く考え事をしている間に仕事から帰ってきていたらしい。  
「呼ばれたらすぐに来なさい」  
「……ごめんなさい」  
 謝りながらも、この状況に紗枝の気分はより一層盛り下がってしまう。  
 
 普段は物静かで穏やかな表情を携えているのだが、この父親も崇兄と紗枝のことに話が  
及ぶと、途端におかしなことを口走り始めるのである。しかもその顔に変化があるわけでも  
なく、普段通り真面目な雰囲気のまま、相好や口調を崩すことも無いのだから、ある意味  
母親より性質が悪い。  
 
「それじゃ、いただきます」  
「いただきます」  
「…………いただきます」  
 一家団欒の夕食が始まるが、紗枝の緊張は一向に解けない。食卓に並んだ今日のおかずは  
彼女の大好物であるブリ大根であるというのに、蕩けそうなくらいにほぐれたブリの身や、  
だし汁をたっぷりと吸った大根の味が、そんな気分のせいか全くと言っていいほど舌の上に  
溶け出してこない。  
 
「母さん、今日の献立は旨いな。実に沁みる」  
「あらそうかい。我ながら良くできたと思ってたから良かったよ」  
 戦々恐々とする彼女を尻目に、二人はごく自然に取り留めの無い会話を始める。だけど  
彼女にはそれが、これから始まる論争の幕開けの合図にしか思えなかった。  
「ふむ…」  
 今度は違う器に盛られたたくわんを箸で掴みポリポリとかじりながら、父親は幸せそうに  
顔を綻ばせる。今度はたくわんの感想でも言うのだろうか。  
 
「『でぇと』か…。母さん、私達の頃はどんなことをしていたんだったかな」  
「そうねぇ、映画とかよく見に行ってたわね」  
 
「っ!?」  
 分かっちゃいたものの、あまりに脈絡の無さ過ぎる話の取っ掛かり方に、噛み締めていた  
白米を、思わず正面に座っていた父親の顔に噴出しぶちまけそうになる。  
「あぁそうだったな、懐かしい話だ。もう二十年以上も昔になるんだなぁ」  
「見たい映画がいつもバラバラで、どっちかが折れるまで苦労したわねぇ」  
 
(も…もう喋ってたんだな)  
 
 母親が降りてから自分が降りるまで、二分と掛からなかったはずなのに。なんでこういう  
ことはすぐ話すんだろう。  
 なんとか落ち着いてから母親にじろりと一瞥をくれるものの、にやりと笑われ返され、  
更なる愉快な気持ちをプレゼントしてしまう。その表情がまた腹立たしくてカウンターを  
食らってしまう有様で、ちょっと泣きたくなってくる。  
 
「しかし母さん、親子揃ってもたったの三人というのは、やはり少し寂しいな」  
 
 
ちら  
 
 
「そうだねぇ、せめてもう一人くらいいると違うんだろうけどねぇ」  
 
 
ちらっ  
 
 
 そうこうしているうちに、紗枝に襲い掛かる次なる攻撃。もとい口撃。  
「……」  
 暗に崇兄を連れて来いとでも言いたいのか、それともさっさと孫でも作って顔を見せて  
欲しいとでも言いたいのか。どっちか分かんないけれど、どっちにしてもいい迷惑である。  
というか、現役女子高生の自分にこれ以上何を期待しろというのか。  
 
 崇兄が浮気をして、その場面をしっかり自分が抑えてしまって、そのせいで実はここの  
ところ彼と上手くいってないという今の状況を、包み隠さず事実そのままありのままに  
伝えたら、このろくでもない両親はどんな顔をするのだろう。  
 
 だけどそれを言えば、更に迷惑な自体になりかねないので言いたくなるのを喉元でぐっと  
堪える。何より、もう両親に余計な迷惑をかけたくないという気持ちもあった。  
 
「……別に。あたしは弟でも妹でもどっちでもいいよ」  
 
 だからわざと曲解して、二人の意図するところとは見当違いな答えを返してご飯をかき込む。  
ちなみに本来は大好きなはずのブリ大根は、諸々の理由により、相変わらず未だに味が  
さっぱり分からないままである。  
 
「まー、食事中になんてこと言うんだいこの子は」  
「時と場所を考えなさい」  
 
「〜〜〜〜〜〜〜っ!」  
 家の外じゃ崇兄に、家の中じゃ両親に弄られ続けているというのに、こういうことに  
まるで耐性が出来ない自分に嫌気が差してくる。好きな人といい親といい友人といい、  
どうして自分の周りにはこういう人種ばっかり集まるのだろう。  
 
「あたしが崇兄とどうしようとあたし達の勝手でしょ。お父さんもお母さんも余計なこと  
言わないでよ」  
 
 半ばヤケ気味になりながら、思いっきり拗ねた表情で減らず口を叩き返す。そもそも、  
こういうのは当人同士でどうにかしていくものなんだから、いちいち余計な茶々を入れないで  
欲しい。  
「ん? 誰がいつ崇之君の話をしたんだ?」  
「お父さん、この子も一応年頃なんですからそのへんを詮索するのは野暮ってもんですよ」  
 父親の白々しいにも程がある言葉に、母親もいかにも「あらやだ」と言った感じで手を  
こまねきながら、やんわりと注意を促す。なんなのだろう、さっきから目の前で繰り広げ  
られるこの三文芝居は。  
「ふむ、それもそうか」  
「そうですよ。この子にもプライベートというものがあるんですから」  
 よくもそんな台詞言えたもんである。ドアを開きっぱなしだったとはいえ、ついさっきまで  
部屋で色々と勘繰ってきたのはどこの誰だったか、忘れたとは言わせない。  
   
 崇兄のことであれこれ弄られるのはいつものことだが、今日はいつにも増してそれが酷い。  
もしかしたら自分は、どこかの橋の下から拾われてきた捨て子なんじゃないだろうか。  
でないと、この性格の違いと遺伝のされなさが説明できない。  
 
(もうやだぁ……)  
 おもちゃにされて平静は保てないわ、大好きなブリ大根の味は全く分からないわ、ほんと  
悲しくなる。これが違うおかずだったら、舌が味を感知してくれるのを待たずに、とっくの  
昔に箸を置いてるのに。  
 
 と、そんな感情任せの考えが浮かんだ直後に、それにピンときてしまう。   
   
 
 まさか。  
 
 
 この場に留まらせる為に、あたしの大好きな食べ物を食卓に並べたんじゃないだろうか。  
 
 
 いやでも、いくらなんでもこんなことする為だけに食べ物で釣るとか、あまりにも行動が  
幼稚すぎる。  
 今目の前にいるのが崇兄だったらピンときた時点で箸を置いてるけど、相手が自分の両親  
だからこそ、微かな一縷の希望というやつを持ってしまう。  
「おやどうしたんだい。せっかくあんたの好物作ったんだから、もっと食べなよ」  
「今日の出来は格別だぞ、食べないのか」  
「……」  
 しかしながら、そんな紗枝の考えをばっちり見透かされていたかのように、二人に同時に  
声をかけられてしまう。  
 
 結論。  
 
 
 希望なんて持つんじゃなかった。  
 
 
 
ばしっ!  
 
「ごちそうさまっ!」  
 
「あらもういいのかい。あんたがたくさん食べると思って、たくさん作ったのに」  
「もっとちゃんと食べなさい。お母さんにも悪いだろう?」  
「明日食べる! 今日はもういい!」  
 怒り狂いながら食器を洗い場まで持っていっていくと、来た時と同じようにドカドカと  
音を立てながらダイニングを後にして階段を上っていく。  
 
どさっ  
 
「もうっ!」  
 床にぶちまけられた自分の服を踏まないようにベッドに近き、身体をドッと投げ出して  
寝っ転がる。天井にしたり顔の両親が浮かび上がり、避けるようにごろんと横向きになる。  
「もう……」  
 悩んだって仕方ないことは分かってるし、事態が好転したことなんて一度も無いけれど。  
ここのところ、彼と会って出来た楽しい思い出なんて全く無いけれど。だけど自分が幸せに  
なるには彼の存在が必要なのだ。  
「……」   
 とりあえず明日だ。明日になれば意図も気持ちも本心も、きっと全部話してくれるはずだ。  
 
 ふと、考える。今の自分と昔の自分と、どっちが幸せなのだろう。ずっと片想いしてて、  
兄妹を演じて崇兄と一番上手くいっていた頃と。付き合い始めて、どうしてか分からない  
けどすれ違うことが多くなってしまった今と。  
 
 崇兄がそういう人だってことは、付き合う前から分かってた。  
 元カノと上手く行かなくなった理由は、いつも彼の浮気が理由だった。まあ本人曰く、  
「向こうに問題があったから、俺も他所を見ざるを得なかった」とか言い訳していたけど。  
別れたと聞く度に心のどこかでそれを喜んでる自分がいて、だけどそんな醜いことを考えて  
しまう自分が物凄く嫌だった。  
 
『バレなきゃ問題無いだろ。それに俺が今ここにいんのは向こうに問題があるからだしな』  
 
 思い出したくないのに思い出してしまう、一番見たくなかったあの時の情景。  
 ということは、友人達が言うように何か自分の態度に問題があったんだろうか。態度を  
何一つ変えなかったことが、本人には気に入らなかったのだろうか。  
「……」  
 そういえば、付き合いだしてから崇兄は少しだけ変わった。いや、変わったというより、  
昔の崇兄に戻ってしまったようだった。  
 どれだけ長く知り合ってても、恋人に見せる面ってのは違うもんなんだと、彼がいつか  
語っていたのを思い出す。だけど自分の表情は、もう全部見せてきたつもりだった。何一つ  
隠さず曝け出すのが、彼女なりの愛情表現だった。  
 
「……」  
 
 それなら、明日それを違う形で見せつければいい。そう考えると、いくら悩んでいても  
まるで決めらなかった服装を、あっさりと決めることができた。服の波を分け入って、  
コートの下に敷かれてあったそれを探り出す。手で埃を払い、部屋の明かりに透かしてみる。  
(似合わないかもしれないけど……笑われないよね)  
 それをぎゅっと握り締めまじまじと見つめると、紗枝はそれをベッドの上にそっと置く。  
 
「笑ったら……怒るからね」  
 
 そして、コルクボードに打ち付けられた崇兄の写真を見て、静かに呟いた。  
 
 服装選びを終え部屋の掃除を始める為に、床を占領している衣類を全て回収し始める。  
部屋を元の状態に戻す頃には、時計は日をまたごうとしていた―――  
 
 
 
 
 翌日。  
 
「いってきまーす」  
 
 正午を過ぎてから、彼女はその言葉と共に家を出た。ご飯は、少しだけ食べた。昨日の  
残り物だったブリ大根は、今度はしっかりと味わうことが出来た。  
 あまりファッションには興味が無いから、服装を決めるのは本当に難儀だった。けれど  
自分のことに聡い崇兄なら、普段は着ることのないこの衣装を着ている意味を、きっと  
分かってくれるはずだ。そんな、淡い淡い期待を抱き続ける。  
 
 紗枝の性格を簡単に表すなら『明るく』て、『元気』で、『意地っ張り』。そんな彼女だから、  
普段から活発に動けるような衣装を好んだ。動き辛くなるようなものはあまり身につける  
ことがなくて、ズボンを穿くことが多かった。  
 多分、制服以外でこれを着たのは、正確に言えば穿くのは五年ぶりくらいになるんじゃ  
ないだろうか。ひらひらしててすーすーしてて、そういう感覚が恥ずかしくて丈は長めのに  
したから随分と動きにくい。けど、自分の気持ちの変化を気付いて欲しかったからこれに  
決めた。  
 
 
 スカートをはためかせ、傘を差して紗枝は待ち合わせ場所へと歩き出す。  
 
 
 天気は生憎の雨だった。激しいというほどではないが、それでも傘を差さないといけない  
くらいに雨脚は傍を歩いていた。空を見るに見事に灰色一色だったけれど、雲の流れは  
速いから、時間が経てば止んでくれるだろう。  
 期待と不安が激しく入り混じった感情が、ほんのちょっとだけ重たくて。だけどそれを  
振り切るように、紗枝は歩の進めを速めるのだった。  
 
 雨は、降る。  
 
 湿気の多さが纏わりついて、それがまた少しだけ不快だった。  
 
 遠くで聞こえるサイレンの音が、街からの喧騒を際立たせる。  
   
 待ち合わせの時間まで、まだ少し余裕があった。  
 
 
 期待よりも不安が自分の胸の中で大きくなりつつあることに、紗枝は気付かなかった―――――  
 
 

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