幼い頃から共に過ごした、二人の終わりと始まりは。
時間は早朝、天気は曇り、場所は駅前のスクランブル交差点。
車のクラクションに、靴底がアスファルトを叩く音。
信号が変わったことを伝えるカッコウの鳴き声が、辺りから彼らの耳へと届いていく。
そんないつもと同じような、日常が流れる片隅で。
知り合って久しい幼なじみと、初めて交わした刹那の秘め事。
幼い頃から共に過ごした、二人の終わりと始まりの思い出は。
これまでも、これからも、二人の中に残り続ける。
それはつまり、二人がこれから幼なじみではなく。
恋人としての関係を深めていく何よりの証――――
「浮気されたぁ!?」
…………の筈なのだが。
そんな台詞が発せられたのは、学校も終わり下校途中にファミレスに寄って、自由という
時間を気ままに過ごす女子高生の団体から。4人の女の子が、テーブル席を占領している。
一人表情が沈み眉は八の字に垂れ、肩を悲しそうに沈めながらため息をつくその女の子を、
取り囲む友人達は各々驚きながら見つめている。
「えぇー……、また?」
「付き合い始めて五ヶ月で二回目か、結構ペース早くない?」
「前回ので味を占めたのかもね、この娘結局許しちゃったし」
しかもこのような事態はどうやら今回が初めてではない様子。友人達の配慮に欠けまくった
率直すぎる感想に、彼女の心はぐさぐさと貫かれていく。
「そんな大きな声で言わないでよ……」
「あ…ごめん」
衝撃の展開に色めきたとうとしていたその友人達も、今にも鳴きそうな顔で呟く彼女の
様子に、空気を抜かれたように消沈してしまった。
「でもさ、まだそうだって決まったわけじゃないんでしょ? その一回目も結局は二人で
会ってただけなのを勘違いしてただけみたいだし。今回だって……」
「甘い甘い、あんたの彼氏は絶対浮気しないタイプだろうから分かんないだろうけど、
彼女の預かり知らないところでこっそり二人で会ってんだよ。下心アリアリに決まってんじゃん」
その内の一人の、後ろ髪を三つ編みに束ねた女の子がへこむ彼女を少しでも元気付けて
あげようと楽観論を主張してみるものの、その正面に座っていた髪を茶に染め、所々に
アクセサリーを纏った女の子が現実論で打ち砕く。
「それに前回だって、たまたまこの娘がその場を見たから止めたのかもしれないしさ。
ぬるい考えしてると痛い目遭うのは自分だよ」
「痛い目遭うのはあんた」
びしっ
「痛っ! 何す……」
自分の経験からなのだろう意見をどんどんと口にしていく茶髪の娘だったが、隣に座って
いた後ろ髪が跳ねた女の子にいきなりデコピンをかまされる。文句を言おうとしたものの、
みんなの視線がとある一点に集中していることに気付き、その先を見て口を噤んでしまった。
その視線の先にいたのは、がっくりとした様子で机に突っ伏す当事者の姿。
「ううう〜……」
今の言葉が止めを刺してしまったのか、とうとう唸り始めた。普段の明るく元気な表情は
どこへやら、すっかりしょげてしまっている。
「真由ー、あたしどうしたらいいのかなぁ……」
突っ伏したまま、後ろ髪が跳ねた女の子に答えを求める。
「別れればいいんじゃない」
注文した梅昆布茶を啜りながら、落ち込む彼女に目もくれず真正面を向きながら答えを
返す。頼りにされたのに突き放したと言った方が正しいのかもしれない。
「また元の幼なじみに戻ればいいと思うわ」
「それだけは絶対にヤダ」
あまりに冷たい親友のものの言い方に流石に怒りが募ったのだろう、顔を動かしてその
親友の顔をじろりと睨む。にも拘らず、その親友は意に介さないまま茶を啜り続けている。
「じゃあ『別れない』で結論出てるじゃない、何を悩んでるのかしら」
「それは、その」
「紗枝」
湯飲みをテーブルに置き、真由と呼ばれた親友は彼女の名前を口にする。
「…なに?」
「あなたとお兄さんは幼なじみの方がきっと上手くいくと思うわ」
「……大きなお世話」
うんざりしたように身体の中の空気を全て吐き出しながら、紗枝と呼ばれた少女は再び
机に突っ伏した。
平松紗枝、17歳。この春、三年生に進級。健康状態は極めて健康。友人関係も至って良好。
曇り空の広がる早朝に、駅前のスクランブル交差点で二人が初めて想いを通わせたのは、
もう5ヶ月も前のこと。泣き顔と笑顔が交錯し、特別な意味をこめて触れ合った手の平の
温もりは、今でも彼女の手にはしっかりと残っている。
一度は潰えた気持ちと、17年分の思い出を。しっかりと抱きしめて、これからは一緒に
生きていこうと約束しあったあの日の出来事。それが今の彼女の根幹を支えている。
なのに、なのになのに。彼、いや奴ときたら。最初の二ヶ月こそいつでも会ってくれたり
会いに来てくれたり、甘やかしてくれたりなんでも言うことを聞いてくれたのに。今では
たまにしか会えないどころか、預かり知らないところで違う女の子とデートをする始末。
そりゃまあ彼女も鬼ではない。自分以外の女の子と話をしたりしても、そこは仕方ない。
とはいうものの、初めてそれを知った一度目の時は、その後に浮気だ浮気だとがなりたて
涙を浮かべ、枕で何度もぶっ叩いたせいで随分と相手をげんなりとさせてしまったのは、
恋愛経験の拙さと、好きだという気持ちを裏切られたからという気持ちと、表立って嫉妬
できるようになった立場が複雑にこんがらがったからに他ならないのだが。
だけどその時、彼は約束してくれた。「もう二度と黙って他の女と二人きりで会わないから」と。
何度も何度も念を押した。そして彼は間違いなく首を縦に振った。なのに、なのになのに。
「あ、そろそろヤバそう」
「また爆発するの? あんたも飽きないわねぇ」
「いいんじゃないの、それだけ本気になってるってことだろうし」
どんどん不機嫌になり涙目になっていく紗枝の表情を横目に、もはや友人達は慣れたもの。
そそくさと自分達が注文したメニューを彼女から遠ざけていく。どうやら浮気以外のこと
でも、彼のことで色々と心を砕いているようだ。
「あ゛〜〜っ、もう!!」
どこかの弁護士が異議を申し立てる時のような勢いでテーブルをバンと叩くと、いよいよ
その瞳には怒りの炎が灯った。
「なんでこんな思いしなきゃいけないの!?」
とはいうものの涙目で口はへの字なのだからどことなくかわいらしい。
しかしそう言いたくなるのも仕方のないことである。ようやく幼なじみという関係から
先に進むことが出来たというのに、そこからたった数ヶ月で停滞するどころか今は後退
しそうな勢いなのだ。
「まあまあ、メールで謝ってくれてるんだしいいじゃんいいじゃん」
「なんにもよくない! 会えないならせめて電話で言ってくれたっていいのに……」
4月末日、時間帯は放課後。彼女が日頃時間を共有することが多い仲の良い友人達と、
目前に迫ったゴールデンウィークをどう過ごすかという話で盛り上がっている時に届いた
一通のメールが、話の展開を劇的に変化させる発端となった。
端的に言ってしまえばそれは、浮気現場(かどうか定かではないが)を目撃し、理由を
問いつめる紗枝の詰問に対する彼の答えなわけで。
ところがどっこい肝心要の、そのメールの内容はというと。
『悪い、これからバイトなんだよ。今度ちゃんとじっくり話すから』
わずかにこれだけ。謝罪の言葉も、紗枝が欲しがっている類の謝罪とはまったく別のもの
だったわけだ。これで紗枝が頭にこないわけがない。
再び携帯を取り出し、その液晶画面をまじまじと見つめてみるものの、当然その内容が
変化するはずも無く。魂が抜き出て行きそうな勢いでまたため息をついてしまう。
「前はあんなに優しかったのに……」
ジュースに刺さっていたストローを取り出すと、先に溜まった水滴で寂しく相合傘を描く。
その不気味な行動が周りの不安を煽り、彼女の気持ちがいよいよ限界に近いということを
感じ取る。
「ね、真由」
「何?」
「真由は知ってるんでしょ? この娘の彼氏がどんな人なのか」
「まあね」
本人には聞こえないところで耳打ちによる会話が始まる。茶髪の娘は半ば楽しんでいる節が
あるようだが、同じく彼氏持ちの三つ編みの娘だけは本当に心配なようで、事情を詳しく
知っている第三者に説明を求める。
「どんな人なの?」
「言わなくても分かるでしょ? 最っ低な人よ」
「……」
「……」
ズズズズズズズッ
「いや、そりゃそーだけどさ。私が聞きたいのはそんなことじゃなくてさ」
「……ふぅ」
「いや、『ふぅ』じゃなくて」
確かにこの多少変わったところのある紗枝の親友は、二人の事情を詳しく知っているし、
二人の馴れ初めもよく知っている。当初は応援さえしていたほどである。しかし、その親友が
一時期引きこもる原因を作り、その後もしばらく我関せずの態度を取った直前の彼の行動
言動が彼女には相当腹立たしかったようで。5ヶ月経った今でもその怒りは解けていないようだ。
なんにせよあの一件で、彼女の中で彼の評価がガタ落ちしたのは確かなようである。
「で、どうすんの紗枝」
「バイト終わったら問い詰める。返答次第によっては殺す」
「別れないんじゃなかったの?」
「別れないけど殺す」
「「「……」」」
発言に破綻をきたしてきたということは、それほどまでに腹に据えかねているのだろうか。
それとも、他にまだ何か理由があるのだろうか。
「ねえ紗枝、他にも理由があるんじゃないの?」
たまりかねて、髪を茶に染めた娘が聞いてみる。
ぎしぃっ
「ひっ…!」
邪気眼も真っ青の脅威の眼光で睨まれ、友人は言葉を喉に詰まらせる。今までは面白
おかしく弄ったとしても、こんなに恐ろしい形相を見せることは無かった。ということは、
他にもまだ理由があるのだ。しかも、これまでのことよりも大きな理由が。
「実はさ…」
一睨み利かせて気が済んだのか、どうして今日に限ってここまで機嫌を損ねているのか、
その理由を寂しげに打ち明ける。
「こないだ崇兄がこっそり会ってたの、崇兄の元カノだったんだ…」
「え」
「は?」
「ちょ…」
「「「えええええぇぇぇーーーーーーーーー!!!」」」
またしても、ファミレス全体を揺るがすような大きな声が、その場に響いたのだった―――