「ったく。本当に先輩は能天気だな。てか、馬鹿だよ馬鹿」  
 牧村仁がアパートの階段を上る。  
 早くに母が他界。父は海外赴任。去年まで祖父母と暮らしていた仁は、高校入学と同時に独り暮らしを始めたのだ。  
「ただいまっと」  
 鍵を開けて部屋に入る。  
 誰もいないはずの部屋でも挨拶をするのは祖父母の教育のせいだ。  
 1Kの部屋。  
 最初は寂しくも感じたが、半年も過ぎた今では、その環境にも慣れた。  
「ん〜。お帰り」  
 誰もいないはずの部屋から声がする。  
「またか」  
 もりあがったベッドがもぞもぞと動き、中から女性が姿をあらわした。  
「だって独りじゃ寂しいし」  
 仁の部屋の隣に住む女子大生。  
 種田ちとせ。  
 彼女もこの春から短大生となり、独り暮らしを始めたのだ。  
「はいはい」  
 暇になるとこうやってベランダから忍び込む隣人に、仁ももう諦め顔だ。  
 実際、仁にとっても、この隣人のおかげで寂しさがまぎれたという事実もあるわけで。  
 仁は学生服を脱いで部屋着に着替える。  
「にはぁ。やっぱ仁っていい体してるよ」  
「誰かさんと違ってちゃんと運動してますからね」  
「む。私もちゃんと出てるところは出てるし、引っ込むところは引っ込んでるんだから。知ってるくせに」  
 ちとせがベットから出て冷蔵庫を開ける。  
 高校生独り暮らしの冷蔵庫と思えないほど、野菜や魚や肉が綺麗に入っており、これまた高校生には似つかわしくないビールが大量に並んでいた。  
「飲んでいい?」  
「最初っから飲む気なんだろうが。どうぞ」  
 ビールの缶を開け、中の金色の液体を流し込む。  
「んぐんぐんぐんぐ………ぷっはぁぁ」  
「オヤジくさ」  
「いいのいいの。これが美味しい飲み方なんだから。チビチビ飲むのなんて性にあわないし」  
 
 立ち代わり、仁が冷蔵庫を覗き込む。  
 中から肉と野菜を取り出しガスコンロの前に立つ。  
「飯。今日も食ってく?」  
「うん」  
 ちとせはベッドに腰掛けテレビを見ながらビールをあおる。  
 仁は得意の肉野菜炒めを作る。  
 いつのまにかこの風景はあたりまえのものになりつつあった。  
 寂しい者同士、寄り添って助け合っていく生活。  
「どうぞ」  
 大き目の皿に山盛りの肉野菜炒め。  
「いっただっきま〜す」  
 テーブルの上にはその他にもスーパーで売ってる出来合の惣菜が並んでいた。  
「そういや、彼氏は?」  
「別れた。てかふった。なんてかなぁ、私の体だけ目当て?みたいな感じだったし」  
「そうなんだ」  
 仁もビールを片手におかずを食べる。  
「私が来なかった間、寂しかった?」  
「んなわけないだろ。食費とビール代が浮いて助かった」  
「もう。素直じゃないなぁ」  
 ケラケラと笑いながらベッドに倒れこむちとせ。  
 その後もたわいない日常の話を二人で楽しんだ。  
「よし。それじゃあ、種田ちとせ。寝ます」  
「あぁ。そか。んじゃ、おやすみ」  
「風邪ひかないようにね。おやすみ」  
 ちとせが部屋から出て行く。  
 仁は食器を洗い空き缶を袋に詰める。  
「ちとせに感謝かな」  
 部活で先輩と言い争いを始め、無駄に体力をつかわされた今日。  
 帰ってくるまでは気分は最悪だったはずなのに、今はなんてことはない、普通の気分だ。  
「さて。俺も寝るか」  
 ベッドへと入ると、先ほどまで寝ていたちとせの温もりが仁の体を包み込んだ。  
 
 
 トントン……トントン……  
 聞きなれない音に、仁の目が覚める。  
 時計を見ると朝の7時半。  
 部活の無い日曜の朝。普段なら惰眠を貪っている時間だ。  
 トントン……トントン……  
 音の方を見る。  
 誰かが外からベランダの窓を叩いているようだ。  
 仁が起き上がりカーテンを開ける。  
「やっと起きた」  
 そこにはちとせが立っていた。  
「やっと起きたじゃないだろ」  
 鍵を開けるとちとせが部屋の中へと入ってる。  
「どうした?」  
「ん〜。携帯ならしたけど起きないから直接来た」  
「じゃなくて。なんか約束してたっけ?」  
「ううん。してない」  
 ちとせは冷蔵庫からミネラルウォーターを一本取り出し飲み干す。  
「ふぅ」  
「普通にドアから来ればいいだろ」  
「鉢合わせしたら嫌だったし」  
「??」  
「これ。見てよ」  
 ちとせが携帯電話を開いて画面を見せる。  
 そこには『今から行く。話がしたい』と簡潔なメールの文章が書かれていた。  
「なにこれ?」  
「元彼。ほら、この前ふったって言ったヤツ。しつこいのなんのって。来るって言うから避難してきた」  
「家は避難所じゃないぞ」  
「似たようなもんだし」  
 
 ビーーー  
 隣の部屋の呼び鈴の音がする。ちとせの部屋の方だ。  
「来た」  
 ビーーーーーー  
 しつこく何度も何度も鳴らす。  
「あぁもう。しつこいなぁ………あ………うぁ。はぁ」  
 ちとせの携帯電話が震える。どうやらメールのようだ。  
『居ないなら居ないってメール返せ。また来る』  
 ちとせの小さな溜息が仁の耳にも届く。  
「ストーカーじゃん」  
「ホント。最悪。ねぇ、外で待ってないかどうか見てきてくれない?」  
「わぁった。どうせコンビニに行くしいいよ」  
 仁はトレーナーにジーンズの姿に着替え部屋を出る。  
 出てすぐのところにある駐車場のところに一人の男が立っていた。  
 コンビニで買い物をすませ戻ってきてもまだ先ほどの男は立っている。  
 時間にして10分。しかも、ずっとちとせの部屋のドアを凝視しているのだ。  
「あの。どうしたんですか?」  
「え。いや。なんでも」  
 仁が声をかけると男は立ち去った。  
 しかし、何度も振りかえっているところを見ると、また戻ってきそうな雰囲気だ。  
「ただいま」  
「おかえり。どうだった?」  
「茶髪ロン毛の男?」  
「そう」  
「なら駐車場に居た。声かけたら歩いていったけど、戻ってくるんじゃないか?」  
「うわぁ。マジで……ねぇ、しばらくここに居ていい?」  
「珍しく殊勝な態度。いつもなら断りもなく来て寝てるのに」  
「状況が状況だから。ちゃんと頼んだ方がいいかなって」  
「ま、いいけど。どうせ俺も暇だし」  
「よかった。ありがとう」  
 仁は買ってきたパンをテーブルに広げる。  
 初めから二人分以上買ってきているところが彼らしい。  
「じゃあ、これいっただき」  
「それは俺のだ!」  
「ダメぇ。私もこれ好きだもん。あぁ、美味しい。仁がモノほしそうにしてるの見てるともっと美味しい」  
「はぁ。俺の周りはどうしてこうアホが多いんだか」  
「ん?」  
「なんでもないって。さ、今日は何をしようか」  
 

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