人間誰しも嫌いなヤツはいる。  
 ひとつの学校、ひとつのクラスをとってみても30人以上が一緒にいるわけで、ソリの合わないやつだって必ずいる。  
 もちろん、それは俺も例外ではなく、クラスでただ一人だけ、嫌いなヤツがいた。  
「みなさん。おはようございます」  
 教室に入ってくるヤツ。  
 クラスのほぼ全員がヤツを見、そして挨拶をする。  
 柊美冬。政財界にも権力を持つ柊家本家の一人娘。  
 成績優秀・眉目秀麗。性格も温和で、あまり運動は得意でないというまさに大和撫子。  
 1年の頃から生徒会に所属。2年になった今では生徒会長に就任していた。  
 俺はその柊を嫌っていた。いや、はっきりと嫌悪している。  
「おはようございます。白河さん」  
「あぁ」  
 柊は俺の隣の席だ。だからこそ、毎日が息詰まる思いで生活だった。  
 ちなみに俺は白河亮。ごくごく平凡な家庭に生まれた平凡な高校2年生。  
 出来れば卒業までそのままですごしたかった。誰も嫌わずにのんびりと。  
 俺が柊を嫌う理由。  
 それは、今のヤツが本性ではないと知っているからだ。  
 一ヶ月ほど前にあるキッカケで柊の本性を知った。  
「あら?白河さん。どうなさいました?わたくしの顔に何かついていますか?」  
「別に」  
「ふふ。おかしな白河さん」  
 口に手をあてて微笑む柊。  
 それもこれもすべてヤツの芝居だ。  
 俺は別に柊がどんな人物だろうとそれはしったこっちゃない。けど、クラスみんなを騙している。それが許せなかった。  
 もっとも、普段はこうだが、柊自身も俺のことを嫌っているのを知っている。  
 嫌っていてみんなの前ではこうなのだ。それがさらに俺の怒りに拍車をかけていた。  
「あ。そうですわ。白河さん。1限目が終わりましたら科学準備室にお付き合い願えませんか?」  
「ん」  
 柊は生徒会長兼クラス委員を務めている。だから、教師から授業の準備なども頼まれる。  
 もっとも、どうせそれは建前。いつものように俺に言いたいことでもあるのだろう。  
 断ればあとで色々言われかねないから素直に従ってはおく。  
「ありがとうございます。白河さんはお優しくて本当に助かりますわ」  
 俺は特に返事もせずに外を見る。  
 一番窓際の席だから、空がよく見えた。今日は本当に雲ひとつ無い晴天だった。  
 
「で、俺は何をすればいい?」  
 科学準備室。1限目終了後に俺は柊と来ていた。  
「これとこれを運んでいただきたいのですが」  
 柊は小さな二つのダンボールを指差す。  
 この程度なら柊でも十分に運べると思うのだが。  
「あと」  
「ん?」  
「……以前から無視はしないでくださいとお話していた思いますが」  
 柊の目が俺を睨みつける。  
 普段の人畜無害な瞳からまるで獲物を狙う獣の瞳へと変わっていた。  
「無視はしてないだろ。返事はしてるし」  
「空返事も同じです。貴方がそういう態度をとると、クラスのみなさんから変な風に見られます」  
 激情家で人の目を気にする猫っかぶりお嬢様。それが柊美冬の本性だった。  
「はいはい。なら、俺に構わなければいいだろ」  
「そうは行きません……一応貴方のお席はわたくしの隣なのですから」  
「あぁ。もう。うざい」  
「な!?なんですって」  
「うざいって言ったんだよ。別にいいだろ。俺は俺、柊は柊。俺にまで芝居を強要するな」  
「芝居……」  
 一瞬、柊の顔が暗くなる。  
「わたくしは。ただ……」  
「どうせみんなに嫌われるのが嫌なんだろ。だから、誰の前でも外面のいいお嬢様でいなきゃいけない」  
「違います!」  
「違わないね。ま、別に俺は柊の本性をクラスのやつらに言うつもりはねぇよ。だから、俺には構うな」  
 俺は荷物を持つと科学準備室を出る。  
 柊は………出てはこない。まぁ、いいか。  
 
 俺が本性を知ってからと言うもの、毎日のように俺に突っかかってくる柊。  
 俺もあいつに合わせてやればいいだけなのかもしれないが、それは性に合わん。  
 特に本性を偽って誰彼構わずに愛想振りまいているようなやつとの言うことを聞くのは特にだ。  
 そういや、今日は柊に何も言われなかったな。あきらめたか?今日はさっさと帰ろう。  
「うへ。雨だ」  
 季節は秋から冬に向かっているそんな時期  
 雨はかなり冷たい。  
「うぅ。傘なんて持ってきてないぞ」  
 かなりの土砂降りだ。まさにバケツをひっくり返したような雨。  
 俺が駅までの道を走っていると、すぐそばに黒塗りのリムジンが止まる。  
 こんな車に乗ってる知り合いは……・・・いるか。  
「白河さん。どうぞ」  
 窓が開き、思ったとおりの人物が顔を現す。  
「いや。俺は」  
「春香」  
「はい」  
 奥のドアが開き、そこから黒いスーツの女性が出てきた。  
 髪は後ろでくくられ、すらっとした顔立ち。かなりの美人だ。  
 美人さんは柊の座席の前のドアを開く。  
「さぁ。どうぞ」  
「だから。俺はべつに走って帰るし」  
「白河さん。白河さんが乗ってくださらないと、春香はずっと雨の中ですよ。それもよろしいのですか?」  
 美人さんは眉ひとつ動かさずドアを開けた姿勢で待っている。  
「わぁったよ。でも、シートぬれるからな」  
「気になさらないでください」  
 俺は開いたままのドアから中に入る。  
 シートに座るとドアが閉まり、先ほどの美人さんが逆のドアから入ってくる。  
 俺の対面には柊が座っていた。何がおかしいのか微笑んでいる。  
「どうした?ぬれた俺がそんなに面白いか?」  
「あ。いえ。こうしてお友達を車に乗せて家に連れて行くのなんて初めてなので」  
 友達だぁ。ったく。学校ではろくに話もしないくせに。  
 どうやら家でも猫かぶりらしいな。  
「て。家!?」  
「はい。わたくしの家で制服をかわしてから帰った方がいいのではないですか?」  
「いや。駅でいいから」  
「そのような格好で電車に乗られたら周りの方が迷惑なさるのでは?」  
 う。まぁ、確かにそうだけど。  
「もう、連絡はしてあるので、着いたら代えの服に着替えていただいて、乾かしている間わたくしのお部屋で宿題でもしましょう」  
 優等生の柊と宿題をやればあっという間だろう。  
 俺の中の天秤は明らかに宿題に傾いていた。  
「ん〜……しゃぁないか。電車で嫌な顔されるのもやだし」  
「では。決まりですわね」  
 
「どうしました?」  
「いや。どうしたといわれても」  
 着替えをすませ、俺が通された一室。  
 てっきり客間かどこかだろうと思ったが、どうも柊の学習部屋らしい。  
 いや、学習部屋がと呼ばれる部屋が別にあるのはいい。いいのだが。  
「広すぎて落ち着かない」  
「そうですか?」  
 30畳以上は軽く見積もってもあるな。  
 しかも、机とテーブル。それに辞書や参考書の入った本棚しか物はない。  
 畳張りの和室で四面は襖で囲まれている。  
「さぁ、宿題をやりましょうか」  
「あ。あぁ」  
 宿題をやりはじめて30分。途中、何度か柊にヒントをもらいながらなんとか終了。  
 一人でやってたらどれだけかかってたかわからないけど。  
「お茶、いれてきますね」  
 柊が部屋を出る。  
 ふぅ。この屋敷の大きさや外観にも驚いたが、家の中も負けじとすごいことになっている。  
 廊下に無造作に飾ってある壷や絵画。素人目にもわかる。あれは高い。  
 はっきり言って俺には程遠い世界だよな。  
「はい。お茶がはいりました」  
「ありがとう」  
 柊からお茶を受け取る。  
 ん。やっぱり葉っぱが違うのだろうか。コンビニで買うのとはわけが違う。  
「うまかった」  
「おそまつさまでした。お代わりはどうします?」  
「あ〜。うん。お願いするよ」  
 柊はポットから急須にお茶を注ぐ。  
 それをゆっくりかき混ぜ、湯飲みへと深緑の茶が注いでいく。  
「はい」  
 お茶を俺に渡す柊。  
 その顔は笑顔だった。  
 今まで学校では見たことの無い、本心の笑顔。  
「なぁ」  
「はい?」  
「今日はずいぶんご機嫌じゃないか?」  
「そうですか?」  
「あぁ、学校にいるときとは違う雰囲気。それは演技か?それとも地なのか?」  
 俺は柊の本心……本性がわからなくなっていた。  
 あの悪態をつきわめき散らすのと、今の優しい笑顔。  
 この笑顔も、作り笑いでも演技でもない。俺にはなんとなくそれがわかった。  
「………わたくしはただ……白河さんと」  
『美冬さま。ご学友のお召し物が乾きましたが』  
 部屋の外から声がする。  
「あ。はい」  
「白河さん。部屋の外の者に聞いて服を着替えてきてください」  
「あぁ」  
 俺が部屋を出ると、一人の女性が立っていた。  
 
「あれ。さっきの」  
「春香と申します。美冬さまの身の回りのお世話をさせていただいていおります」  
 俺は春香さんに案内され、先ほど着替えをした部屋に行く。  
 そこには乾き、綺麗にプレスされた俺の制服が掛かっていた。  
『白河さま』  
 部屋の外から春香さんの声がする。  
『お召し物はいかがでしょうか』  
「…あ、はい。ありがとうございます。クリーニングに出したとき以上の着心地です」  
 そういうと、春香さんが部屋の中に入ってくる。  
 俺の周りを一回りし、細かいゴミなどを取ってくれた。  
「ありがとうございます」  
 もう一度礼を言う。  
「白河さま」  
「はい?」  
 春香さんが後ろでに戸を閉める。  
「ご連絡先を教えていただいてよろしいですか?」  
「へ?」  
 ま、まさか。  
「美冬さまのご学友として、何かあった場合に連絡できるかと思いまして」  
「あ、あぁ。なるほどね」  
 淡い期待を抱いた俺が馬鹿だった。  
 俺は携帯番号を教える。  
「あと。あの……できれば……もう少し砕けた感じでお話できませんか?」  
「え?あ、えぇ。俺は構いませんけど」  
「…ふぅ。よかった。こんな仕事してると息抜きできる友人って少なくて。白河くん。これから美冬さま共々よろしくね」  
「あ。はい。よろしく」  
 俺は春香さんの豹変した態度におどろいた。  
 いや、息抜きといっていたし、これが地なのだろう。確かに、あんな話し方を続けてたら疲れそうだ。  
 そういう意味では柊も……  
「といっても、今日はもう帰るよね。はい、これ。私のプライベートアドレス。電話はいつでもでれるわけじゃないけど、メールは時間かかっても返すからね」  
 黒い名詞を渡される。  
 そこには橘春香と言う名前と電話番号とメールアドレスが。  
「一応恋人募集中。いい人いたら教えてね。出来れば年上がいいかな」  
 あらら。本当に期待を崩してくれる人だなぁ。  
「白河くん」  
「はい?」  
 真剣な表情の春香さん。  
 仕事中に見たあの表情とは違った意味の真剣さ。  
「美冬さまのこと。貴方はどう思っていますか?」  
「柊の………」  
 どう思っている。ただのクラスメート?お嬢様?クラス委員?  
「俺は……好きにはなれません……あいつのことは」  
「それは嫌いということ?」  
「……はい」  
 そう言ったとたん、俺の胸が締め付けられるような苦しさを覚える。  
 なんだろう。この辛さは。  
 確かに嫌いだ……嫌いなはずなのに。  
「そう……貴方なら…………」  
「え?」  
 俺が聞こえなかった最後の部分を聞き返そうとしたとき、誰かが部屋の外にやってくる。  
『春香。終わった?』  
 柊だった。  
「はい。ただいま終わりました………白河くん。本当に、美冬さまをお願いします」  
 最後の言葉は俺に向けて。小さな声だった。  
 
 
 その日は俺が初めて柊の家へ行ったときくらいに土砂降りの雨だった。  
 もっとも、今日はちゃんと傘を持ってきてるから問題は無い。  
「ふぅ」  
 俺が柊の家におじゃましたあの日以来、一度も柊とは口を交わしていない。  
 挨拶程度はするが、それまでだ。  
「ふぅ」  
 本日何度目かわからないため息。  
 ここ数日、柊のことが気になってしょうがない。  
『………わたくしはただ』  
『白河くん。本当に、美冬さまをお願いします』  
 あの日見た、柊の悲しげな表情と春香さんの真剣なまなざし。  
 それが脳裏から離れないのだ。  
「俺は」  
 駅で電車を待ちながら物思いにふけっていると、俺の携帯電話が着信を伝えてきた。  
「春香さん?」  
 ディスプレイには柊の世話役の春香さんの名前が。  
「もしもし」  
『あ、白河くん?美冬さまはそばいる?』  
「え?柊?いや、いないけど」  
『そう……』  
「なにかあったのですか?」  
 春香さんの声は明らかに暗く、そして微かな焦りすら感じられる。  
『実は……車から飛び出してしまって』  
「え!?この雨の中?」  
『はい。美冬さま、白河くんに嫌われたとずっと落ち込んでて。それで』  
「どこでですか」  
『え?』  
「どこでいなくなったんですか!」  
 俺は無意識の内に改札を出ていた。  
『あ、この前白河くんを車に乗せたあたり』  
「わかりました。また連絡します」  
 俺は電話をポケットに入れると雨の中駆け出した。  
 傘は邪魔だから駅のゴミ箱に投げ入れた。  
「あの馬鹿が!」  
 嫌われた。あぁ、俺はずっと嫌ってたさ。  
 本性を知る前から好かないやつだった。けど………  
 無性にあいつの……あの笑顔が見たくなっていた。  
 
「くそ。どこだ!」  
 俺は走り回った。雨が視界をさえぎり先がはっきりと見えない。  
 これほど人探しが困難な日もそうそう無いだろう。  
「こっちか?」  
 俺は柊のいきそうな場所なんて知らない。  
 俺は柊のこと………何も知らないんだよな。  
「あ。いた」  
 場所は大通りから少し入った小さな商店街。  
 柊は雨の中、傘もささずに立っていた。  
「柊」  
「………白河さん」  
 振り向いたその顔。  
「泣いているのか?」  
 大きな黒い瞳には涙が浮かんでいた。  
「雨……です。雨とはこんなにも冷たくて寂しいものなのですね」  
 柊の瞳から涙がこぼれる。  
 それは、すぐに顔を滴る雨と交わり消える。  
 だが、彼女が泣いている。その事実が消えるわけではなかった。  
「ごめんなさい。ごめんなさい」  
 手で顔を覆い、そのまま泣き崩れてしまう。  
 俺はそんな柊がとても小さく壊れてしまうのではないかと、錯覚を起こした。  
 そして、無意識のうちに彼女を抱きしめていた。  
「ぁっ」  
「柊。こんなに冷えて」  
 俺は柊を雨から守るように、そして、暖めるように抱きしめた。  
「白河さん………わたくし、わたくし」  
「いいよ。俺は大丈夫だら」  
 柊の嗚咽が聞こえる。  
 そして、嗚咽に混じり彼女の謝罪の言葉も漏れる。  
「でも……わたくし……しら…かわさんに………ごめんなさい…ほんとうに」  
「もういいよ。さぁ、帰ろう。風邪……ひいちゃうよ」  
 俺は彼女の冷たくなった手をとって歩き出す。  
 ゆっくりとしたペースではあるが、確実に歩み進める。  
 大通りでタクシーを拾う。運転手に彼女の家を伝える。  
「白河さんは」  
「俺は………さすがに行けない。春香さんに連絡しておくから大丈夫だよ」  
「白河さん………わたくし、息が詰まりそうです」  
「柊」  
「わたくし、白河さんのことを……白河さん………わたくしと一緒に」  
「運転手さん………お願いします」  
「あ」  
 タクシーのドアが閉まる。  
 走り出す直後まで彼女は俺のほうをじっと見ていた。  
 あの目は、何を物語っていたのだろう。恨み?憎しみ?それとも悲しみ?  
 俺はタクシーの行ってしまった方向をみながら、携帯電話を操作する。  
「…………あ、春香さん。えぇ……だから、タクシーで家まで………はい。あとはよろしくおねがいします」  
 俺は携帯電話をしまう。  
 春香さんに連絡もとったし、あとは俺の出る幕ではない。  
 ないはずだが………なぜだろう。俺がずっと嫌悪していたのは彼女だったはずだ。けど、今は………  
『白河さん………わたくしと一緒に』  
 あの最後の台詞。それを受け入れられなかった、自分自身が一番嫌いだった。  
 
 その日。俺は寝付けなかった。  
 柊の瞳と声が、俺の脳裏に焼きついて離れない。  
 いつからだろうか。柊のことが気になりだしたのは。  
「やっぱ、あの日か?」  
 あの笑顔を見たとき。  
 いや……違う。  
 もっと前。もっと前から俺は柊を。  
「そうか」  
 あの本性を知った日。あの日から俺の中で柊は特別な存在だったんだ。  
 たとえそれが嫌悪だろうとも。  
 それまでのお嬢様としての特別ではなく、一人の女の子として。  
 そしてそれは俺の中で。  
 突然、携帯電話から着信音が鳴り響く。  
「え?」  
 ディスプレイには昼間と同じ春香さんという文字。  
「もしもし………え?………」  
 俺は携帯電話を落とした。  
「柊が重体?」  
 
「春香さん。柊は!」  
「落ち着いて」  
 俺は黒塗りのリムジンに乗っていた。  
 家に戻った柊は、タクシーから降ろされ、そのまま春香さんに身を任すように気を失ったらしい。  
 そのとき、すでに高熱が彼女の体を蝕んでいたと言うのだ。  
「熱が下がらないのと、肺炎になりかかっていて、呼吸も乱れていて。かなり厳しい状態よ」  
「そんな」  
「くそ。俺がもっと早く見つけていれば」  
「それは私の責任よ。白河くんは悪くは無いわ」  
「……柊、息が詰まりそうだって。それほどに苦しむまでにどうして」  
 春香さんは黙っている。  
「春香さんは知っていたんですか?柊が……演技で本心を押し隠していたことに」  
「知っていたわ」  
 春香さんはポツリとつぶやいた。  
「…私も、旦那様も奥様も。美冬さまが柊家の子供を演じているのを。  
 美冬さまがまだ小学生だった頃。一度だけ旦那様に逆らったことがあったの。でも、その時、旦那様は美冬さまを怒られて。  
 旦那様も奥様もそして、使用人たる私たちも誰も美冬さまと言葉を交わすことを禁じたの」  
「あの広い家で誰も……」  
「丁度夏休みだったこともあって、学校もなく友達が尋ねてくることもない。美冬さまは悲しさと寂しさで毎晩泣いていたわ」  
「当たり前だ!小学生だったんだろ!そんなこと耐えられるわけがないだろ!!」  
「えぇ、だから3日ほどたった日、美冬さまは旦那様と奥様に謝まったの。そして、ずっといい子にしている。そう誓って」  
 柊の過去。  
 柊の家は古くから伝わる由緒正しき家系。厳しい教育を受けているのだろうとは思っていたが。  
 そうだったのか。それで、柊は演技を。  
「……白河くん。貴方は美冬さまにとって唯一心を開いて接することの出来る人よ」  
「え?」  
「学校であった出来事、特に貴方に関することは以前からよく美冬さまに聞かされてたの。それはもうとても嬉しそうに」  
「柊が俺のこと」  
 俺は嫌われているわけではなかったのか。  
 でも。  
「白河くん。貴方は美冬さまをどう思っているの?以前、聞いたように嫌い……なの?」  
「俺は」  
 俺はどうなんだ。  
 嫌いなのか?  
 いや……自問するだけ時間の無駄……だな。俺は。  
「俺は柊のこと」  
 言いかけたところで、車が停まる。  
 外には大きな病院が見える。  
「ふふ。さぁ、ついた………ここの10階、1003病室。個室に美冬さまはいるわ」  
 俺は開いたドアを飛び出した。  
 この病院に柊が。  
 俺はエレベータに乗って10階を押す。  
 エレベータが10階につくと同時に俺は病室を確認する。  
「ここだ」  
 目の前には1003の札と柊美冬のプレート。  
 間違いない。  
 俺は小さく深呼吸し、ドアを開ける。  
 
「ひいら……ぎ?」  
 …………  
 俺はベッドの上の人物と目があった。  
「あ?」  
「は、はやくドアを閉めて外に出なさい!!」  
 俺はその声で我に返る。  
「ご、ごめん」  
 ドアを閉めて廊下に出る。  
 が、俺には今の光景が目に焼きついてはなれない。  
 柊がベッドに腰掛け、上半身裸になり、タオルで体を拭いていた。  
 もちろん、そこには、二つの……あ〜。だめだだめだ。ったく。  
「てか、どういうことだ」  
 俺は春香さんを探して、左右を見渡す。  
 いない。それどころか、ほかのSPの人も誰も居ない。  
 柊も自分で体を拭いていた。  
「そういえば、春香さん……俺が車から降りるときに降りてない?いや、その前に、あの時……笑ってた?」  
「あの」  
「うぉっ。あ、柊。すまん」  
 病室のドアが開いてそこから柊が顔を覗かせていた。  
「あ、いえ。わたくしこそ……怒鳴ってしまって。入ってくださって結構ですよ」  
「あ。じゃあ。おじゃまします」  
 俺はなるべく柊の顔を見ないように部屋へと入る。  
 広い。家の俺の部屋よりもずっと広い病室。  
 柊は「失礼します」といってベッドに入って横になる。  
「あの。どうしたのですか?こんな時間に」  
「はっ。あぁ、そ、そうだ。柊。体は大丈夫なのか?熱が出て肺炎になりかけてるとか」  
「熱?……たしかに、少しありますけど。37度2分くらいですよ」  
「へ?」  
 たしかに。別に咳き込んでるわけでも、苦しそうでもない。顔色だっていたって平常だ。  
「俺、春香さんから柊が重体だって聞いて。あれ、春香さんも間違えたのかな」  
「わたくしがですか?いえ、先だって白河さんにタクシーで送られたあと、すぐに春香がやってきて。父のところに行きましたが?」  
「そのときは?」  
「今と同じ感じです。少し熱があると言ったら、父がここに運んでくれて。そのとき春香も一緒でしたので、私の病状が軽い風邪であるのは知っているはずです」  
 えっと。それはつまり。  
 春香さんが俺に嘘をついた?なんで?  
「どうしました?」  
「あ。いや。そっか。でも、軽い風邪ってきいて安心したよ」  
「心配してくださったのですか?」  
「え?あ。うん。かなりね」  
「………うれしい……あ、ではなくて。心配をおかけして申し訳ありませんでした」  
「いや。それは別にいいんだけど」  
 お互いにうつむく。  
 
「あのさ」  
「はい」  
「………柊のこと聞いていい?」  
「わたくしのことですか?」  
「うん。なんか、ここ数日で一気に柊のこと……俺、間違って見てたんじゃないかって思ってきててさ。だから、ちゃんと知りたいんだ」  
「ぁ………はい」  
「春香さんに聞いたけど、小学生の頃に怒られて誰とも口をきいてもらえなかったときがあったって」  
「はい。その一件で私は」  
「人に無視されるのが嫌になった」  
「え?いえ。人に好かれて生きるのがもっとも楽だと知ったのですが?」  
「へ?」  
「もともと、父も母も忙しくて私と会話なんてしない人でしたし、家に来てくれるような友達もいませんでした。  
 ですから、話をするのは使用人やSPの方々。その方々もお話をしてくれなくなってさすがにあの時は困りました」  
「困っただけ?」  
「はい。でも、みなさんわたくしが真面目に可愛らしくしていると、父に内緒でまたお話してくれるようになったのです」  
「でも、それじゃあばれたら」  
「怒られました。でも、わたくしの周りのみなさんがかばってくださって。父も、これだけ人の心を動かせるなら柊家としても安泰だとゆるしてくれました」  
「…………ちなみに、春香さんはそれは」  
「一番最初に話をしてくれたのが春香でしたが?」  
 また騙された!!  
 あの人。顔に似合わず人を騙すのが得意だな。  
 てか、あの人が一番演技上手なんじゃ。  
「白河さん?」  
「あっ…あぁ。うん?」  
「あの。覚えていますか?私が……その悪口を言ってた……あの」  
「え?あ、もちろん」  
 誰も居ない教室。  
 柊が悪態をつきながらクラス委員のプリントの集計を行っていた。  
 そのときは、柊でもやっぱりあぁいう一面もあるんだとそう思っただけだったのだが。  
「ものすごい悪口だったもんな」  
「あ、あの時はたまたま、機嫌が悪くて。それに」  
 プリントの提出者一人一人の悪口を次から次へと。  
「しかも、俺が見つかって」  
「……うぅ。やっぱり忘れてください」  
 
『……あら。どなたですか?』  
『俺だけど』  
『あらあら。白河さんじゃありませんか。どうなさったんですか?』  
『部活終わって、忘れ物に気づいたから』  
 俺は自分の席へと行く。  
『どうなさったのですか?』  
『いや。柊も悪口とか言うんだなって思って』  
『聞いてたんですか?悪趣味ですね。盗み聞きだなんて、将来いい大人になれませんよ?』  
 普段のおっとりとした話し方からはてんで想像も出来ない言葉。  
『柊?それが本性なのか?』  
『本性?本性ってなんですの?わたくしはわたくし。それ以上でもそれ以下でもありません』  
 柊は早口でまくしたてる。  
 俺もさすがに頭にきて言い返した。  
『普段は猫をかぶってたってわけか。まんまと騙されたよ』  
『騙してなどいません。貴方たちが勝手に私に理想を押し付けて』  
 
 …………あれ?  
「理想を押し付ける?」  
「はい?」  
「いや。あのときのことを思い出してたんだけど。柊、俺に理想を押し付けてって」  
「えぇ。でも、それは白河さんだけに言ったのではなく、父や母もそう。柊家の娘ならとか」  
 あれ?それじゃあ……ひょっとして。  
 なるほど。なんだか、パズルのすべてのピースが埋まったような気がする。  
 初めて。柊美冬と言う人物。それを本当の意味で見つけた気がした。  
「そっかそっか。あれも柊だし、俺の前にいるのも柊」  
「どうしたんですの?」  
「いやいや。なんでもない」  
 俺はどうやらとんでもない思い違いをしていたようだ。  
「なぁ、演技するのって辛いか?」  
「いいえ。大変ですけど、みなさんがそれで笑顔になってくれるのでわたくしはそう思ったことはありません」  
 柊は自分のために柊美冬を演じている。けど、それは同時にみんなのためでもあったのだ。  
 周りが笑顔になる。ただそれだけの理由で。  
 あの日も押し付けられてと辛辣な言葉を発したのも機嫌がわるかったせいなのだろう。  
 証拠に、ここで話をしてくれている本心の柊自身がこんなにも笑顔じゃないか。  
「今までにも私を無視したりする人はいっぱいいました。一応、こんな家柄ですし恨まれたりもしますから」  
「恨まれる!?」  
「えぇ。大体はわたくしには関係ないところでですけど。お金持ちだとかそういう理由で。私は別に万人に好かれようととは思っていません。  
 私を切りたい人は私から切ります。それくらいの心得はちゃんと持っています」  
「そうか………あれ?でも、ならなんで俺にはあんなに?」  
 俺に対しては明らかに敵意のようなものを感じたこともあった。  
 俺もそれに反発してたし。柊にとって俺を切る条件は揃っていたと思うんだが。  
「え?あ。あの………えっと、ですね……お話をもどすのですけど、あの日、わたくしが悪口を言ってた相手は」  
 柊の顔が見るまに赤くなっていく。  
「うん」  
「…………し、白河さんに……クッキーをあげた人………なんです」  
 そういえば、確かにあの日は女子は調理実習があってクッキー作ってて。俺も何人かからもらってたっけ。  
「てか……え?」  
 ちょっとまって。俺にクッキーをくれた子に悪態ついてたって。  
 しかも、ひょっとしてそのせいであの日は機嫌が悪かった?  
 まさか。  
 
「……白河さんには嫌われたくはなかったんですけど。機嫌が悪くなってあたってしまって。逆効果だったみたいですね」  
「逆って?」  
「白河さん。以前お友達とお話になるのが聞こえたんです。『俺が好きなのはありのままの女の子だな』って」  
 確かにそう言った覚えはある。  
 じゃあ、俺に演技ではない素の状態を見せてたのって。  
 この、うつむいてしまってか弱い少女が精一杯、俺に………柊なりの解釈で俺に……  
「柊」  
「は、はい!」  
「気づいてやれなくてごめんな」  
「あの。わ、わたくし」  
「あ。うん。これは俺から言わせて。いまさらって言われるかもしれなけど……」  
 俺は一呼吸おく。  
「柊。俺がここに来たのは柊が心配だったから、柊が重体って聞いて血の気が引くくらいに……そして、遅かったけどそれでわかった。  
 俺は柊美冬が……好きだ」  
 柊は口元を両手で多い、涙を流している。  
 夕方の寂しい瞳ではなく、明るくやさしい瞳から。  
「白河さん」  
「うっと」  
 柊が起き上がり抱きついてきた。  
 女の子ってこんなに軽くて小さくて……甘い香りがする。  
「わたくしも……わたくしも、ずっとお慕いしておりました」  
 柊の涙が俺の胸にしみこむ。  
 あたたく心地よい涙だった。  
「柊」  
 俺は柊の顔に手をあて、自分の方に向ける。  
 目を瞑り、穏やかな顔となったその顔は、今までは決して見ることが出来なかったほど可愛い顔だった。  
 俺はその顔に引き寄せられ。甘く柔らかい唇に触れた。  
 
 あのあと、俺は春香さんに送ってもらって帰った。  
 やっぱり春香さんは全て知っていたのだ。  
 だからこそ、俺を炊きつけ、時には嘘までついた。ホント、主人想いの最高の世話役ですよ。  
 その後、学校にやってきた柊はもちろん周りにはあのままだった。  
 が、少しだけ変わった。  
 調理実習で女の子が俺に何かをあげようとするのを見ると、すぐに止めに来るのだ。  
「白河さんに勝手に食べ物を与えないでくださいませんか?」  
「俺は犬か」  
 おかげで、俺と橘が友達以上の関係であると知れ渡るのに、それほど日数はかからなかった。  
「白河さん。はい。お弁当です。今朝はわたくしが作らせていただきました」  
 

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