――食屍鬼はつまるところ食屍鬼にすぎず、  
  人間にとっては不快な連れでしかない――  
 
   H.P.ラヴクラフト  
    『未知なるカダスを夢に求めて』より  
 
 
6.『LAST DANCER』  
 
 
 不吉な真紅の月が見下ろす中、獰猛なジャングルの奥地の呪われた祭壇の上で、  
恐るべき邪神が復活しようとしていた。  
 ――吸血神“チャウグナー・フォーン”――  
 それは、巨大な石造りの四足獣に見えた。  
 石造りの長い鼻。  
 石造りの大きな耳。  
 石造りの巨大な胴体。  
 石造りの太い脚。  
 石造りの鋭い牙。  
 石造りのつぶらな瞳。  
 そう、それはまさに石造りの巨大な象そのものだった……って、象かよ!?  
 あの、動物園でパオーンと鳴く子供達のアイドルだ。  
 あれが……目覚めれば世界を破滅させるという、『旧支配者』の一柱なのか?  
「ちがうよぉ、そのうえよくみてぇ」  
 ――確かに、その石造りの象の上に、何か人影らしきものが倒れているのが見える。  
その人影は、やがて長い睡眠から覚めたように、目をこすりながら上半身を起こして見せた。  
「――ッッッ!!!」  
 心臓をドライアイスの剣で串刺しにされたような戦慄――  
その瞬間、あたしは動かなくなったS君の事も、くそったれなドミノの事も、  
自分の胸に錫杖が突き刺さっている事も忘れて、ただ呆然と“それ”に見惚れていた。  
 俗にサリーと呼ばれるインド系の民族衣装を身に纏い、  
全身に宝石を散りばめた褐色肌の美少女――  
掛け値無しで、あたしはこれほど美しい少女を見た事はなかった。  
彼女に比べれば、あたしもドミノもS君ですら、子供の落書き同然だ。  
これが邪神としての『格』の違いか……  
 “チャウグナー・フォーン”は、しばらく呆とした表情であたし達の事を見ていたが、  
「…………」  
 やがて、ゆっくりと目を閉じると、そのまま動かなくなってしまった。  
「かみさま? かみさまぁ!?……まだ、ちのいけにえがたりないというのですか!?」  
 本物の邪神の美貌に魂を抜かれていたあたしを正気に戻したのは、  
皮肉にもドミノの悲痛とも言える叫びだった。  
たちまち先刻の暴虐と、今の状況を思い出して、頭の中が煮えくり返る。  
「てめぇ!! ドミノぉぉぉ!!!」  
 だけど、触手に拘束されているあたしにできる事は、こうして吠えるだけだ。ちくしょう……  
 
 ぐりっ  
「うぐぅ!!」  
 ドミノの返答は、あたしとS君を貫く錫杖をこねくり回す事だった。  
凄まじい激痛と血反吐が湧き上がるが、それを気にする余裕はねぇ。  
「やっぱり、かみさまをふっかつさせるには、もっともっとちがたくさんひつようなのかなぁ……」  
「ごふっ!!……てめぇ……“チャウグナー・フォーン”神の復活と……  
それに必要な生贄としての“星の精”が……ぐうぅ……てめぇの目的だったのかよ……」  
「ぴんぽんぴんぽ〜ん♪ こうしてふっかつしたあたしのかみさまのてによって、  
せかいはおおいなる“チャウグナー・フォーン”さまのもとにしはいされるんだよ!!」  
 ……こいつはマジでやべぇ。あたしの知る限り、世界最大の危機だ。  
ドミノの言う事は決して大げさじゃない。大いなる旧支配者“チャウグナー・フォーン”――  
この恐るべき邪神が本当に復活すれば、間違いなく『あたしの知る人間の世界』は滅び去り、  
世界は“チャウグナー・フォーン”神と、その眷属“吸血鬼”によって支配されてしまうだろう。  
いや、支配されるだけならまだマシだ。それを快く思わない、他の邪神との戦いが始まったら……  
地球なんて、原型すら残らないかもしれない……  
 そして、その世界の危機は、まさに今、目の前で始まろうとしているんだ。  
 ぐりぐりっ  
「うぐはぁ!!」  
 錫杖の抉り込みがもっと深くなった。  
幸いにもあたしに刺さった錫杖は心臓をギリギリで避けてはいたが、  
S君の心臓は――ちくしょう!!――確実に貫かれて、滝のような鮮血を垂れ流している。  
 ドミノの瞳に狂気と焦燥の光が宿った。狂ったように錫杖を揺り動かした。  
 激痛と出血に、意識がどんどん遠くなる……ちくしょう……これまでかよ……  
「ほらほらほらほらぁ!! もっと、もっと、もっとぉ!!  
もっとたくさんちがながれないとぉ、あたしのかみさまがふっかつできないじゃな――」  
 
「量は十分ですよ」  
 
 初めて聞く声が、夜の密林に静かに浸透した。  
 ドミノの動きが止まった。消えかけたあたしの意識も留まった。  
蠢く触手も動きを止めて、燃え盛るかがり火すら静止したかもしれない。  
 それは、そんな声だった――  
「量はそれで十分です。でも、ぼくとMさんの血だけでは質が不充分です」  
 初めて聞く声――それなのに、あたしはこの声質に聞き覚えがある。この口調に聞き覚えがある。  
この響きに聞き覚えがある――まさか……そんな!!  
「あともう1種類、邪神の眷属である吸血鬼の生き血があれば――」  
「うそ……うそ……あなた、かくじつに……いきのねをとめたのに……」  
 ドミノが青醒めながら後退る。  
それと同じ速度で――“彼”は前に進んだ。  
ドミノの震える指の間からビー玉が零れ落ちる。  
“彼”の手が軽く揺れた。  
ドミノのビー玉は黒土の上に落ちて――ぱきり、と割れた。  
「何を言ってるんですか。『吸血鬼は復活する』……常識でしょう?」  
「S君!!」  
 どしゅ!!  
 あたしの叫び声は、残念ながら喜びの声じゃなかった。その声も、鮮血の吹き出る音にかき消された。  
 
「あ……がぁ……ぁああ……」  
 金魚みたいにパクパク開くドミノの口から、赤黒い血の塊がごぼりとこぼれる。  
その胸からは、お返しとばかりにS君の抜き手が生えていた……  
「ほら、こうして“チョー=チョー”の民である貴方の血が加われば、  
“チャウグナー・フォーン”神の復活に必要な生き血は完成します」  
「そ……ん……な……ぁ……」  
「何を嘆いているんですか。崇拝者が自分の神の為に我が身を捧げるのは、あたりまえでしょう?」  
 ぐしゃり、とマネキン人形が崩れ落ちるような動作で、  
バンパイア・ロード“ドミノ”は石畳の上に崩れ落ちて……それっきり、本当にそれっきり、動く事はなかった。  
 その体から溢れ出る血が、石畳に刻まれた溝にそって流れて行く。  
その先には、あの石造りの象の上で眠る、吸血鬼の神が――  
 かしん!!  
 しかし、その流れを食い止めたもの――それは、溝に食い込んだ一振りの錫杖だった。  
 それを予期していたかのように、ふてぶてしいまでにゆっくりとS君が振り返る。  
 ドミノの支配力が喪失したのか、ただの蔓草となった触手を振りほどいたあたしは、  
片膝を付いて荒い息を吐きながらも、真っ直ぐS君を見据えた。  
「……S君……だよな」  
「やだなぁ、ぼくがS以外の何だというのですか?」  
 S君は、あたしのよく知る声で笑った。あたしのよく知る顔で笑った。あたしのよく知る仕草で笑った。  
 それは、あたしのよく知るS君の笑いじゃなかった。  
「……何が起こったの?」  
「記憶を取り戻したんですよ。  
どうやら“チャウグナー・フォーン”神のかりそめの復活が、ぼくの記憶を揺さぶったらしいです」  
「……記憶が……?」  
「ええ、ついでにぼくの使命も思い出せました」  
 真紅の瞳に、鮮血の光が宿る。  
「ぼくは、“チャウグナー・フォーン”神を復活させるために、この惑星に召還されたのです」  
 森の木々が一斉に枝葉を揺り動かした。  
 風なんて、欠片も吹いていないのに。  
「ぼくを召還したのが誰なのかはわかりません。そこの女吸血鬼かもしれないし、  
ぼくの知らない誰かかもしれない。でも、そんな事はどうでもいいのです。  
ぼくは自分の使命に従い、“チャウグナー・フォーン”神を復活させようとしました。  
しかし、そこに邪魔が入った」  
「…………」  
「“イホウンデー”神の接触者……ええと、名前は脆木だったかなぁ?……に存在を知られたぼくは、  
彼の接触神の力で記憶を失ってしまったのです。後はMさんの知る通りですよ」  
「……では、あの地下室にいた最初のレッサーバンパイアどもは――」  
「ええ、ぼくの仕業です。  
どうやら、記憶を失っても完全に本来の自分を忘れたわけじゃなかったみたいですね」  
「……けっ」  
 あたしは足元に唾を吐き捨てた。  
それを見たS君の笑顔が一瞬硬直したが、すぐに元の穏やかな顔となる。  
「……情けない話だぜ。今の今まで全くその事に気付かなかっただなんてな」  
「ああ、そんなに自分を責めないで下さいよ。仕方のない事です。  
だって今までMさんはぼくに『魅了』されていたのですから」  
 
 小さな爆発が起こる間があった。  
「なん……だと?」  
「おかしいと思いませんでしたか? 得体の知れない邪神“星の精”を保護して、  
命をかけて守ろうとするなんて……とてもまともな行動じゃない。  
Mさんは無意識の内に、ぼくの意見に全面的に従うように『魅了』されていたのです。  
初めて出会った時から、ね」  
「…………」  
 その通りだ。なぜ、見ず知らずのS君を助けたのか?  
なぜ、邪神“星の精”という恐るべき存在と個人的に交流したのか?  
なぜ、これほど重要な問題を上に掛け合わなかったのか?  
なぜ、S君を退魔組織の手から守ろうとしたのか?  
なぜ、あんな『襲ってください』と言わんばかりの行動をしていたのか?  
全てがこれで説明できる。  
 吸血鬼の十八番は『魅了』――そんな事すら、あたしは忘れていたのか。  
「まんまと騙されたぜ……今まで利用されていた事にまるで気付かなかったなんてな。マヌケな話だ……」  
「仕方ありませんよ。これは記憶を失っていたぼくが、無意識の内に施した術なのですから。  
記憶喪失状態のぼくは、本当に嘘偽り無くMさんを慕っていたのです。  
自分でも利用していただなんて思っていなかったのですから、Mさんが気付かなくても仕方ありません。  
もっとも、あの2人の退魔師は、Mさんが『魅了』されている事には気付いたみたいですけどね」  
 ちくしょう……そういう事だったのかよ。  
「……反吐が出そうだぜ」  
「そんな事言わないで下さいよ。ぼく自身にとっても無意識の行動だったのですから……  
それに、その無意識の行動がMさんを救ったのですよ。  
あの地下室で吸血鬼達に輪姦されていた時、急に出現した人間の死体……あれはぼくが用意したのです」  
 ははは……笑っちまうぜ。最初から、あたしはS君の手の平で踊っていただけなのか。  
「でも、もう安心してください。“チャウグナー・フォーン”神の復活が目の前に迫った今、  
Mさんに協力してもらう事はもう無いのです。今まで本当にありがとうございました」  
 S君は深々と頭を垂れた。本当に、心の底から感謝しているように見える。  
「お礼と言っては何ですが……“チャウグナー・フォーン”神が復活された後にも、Mさんと平太さん、  
それにMさんの大事な人達と、その財産には絶対に手を出さないようにしますね……  
あっ!? いい事を思い付きました!!平太さんをぼくの同族にすれば、  
もうMさんが魂の共有化で死ぬ事はなくなりますよ。全ての問題は解決です!!」  
 ぱちぱちと、嬉しそうに手を叩くS君へ、あたしは引き摺るようにゆっくりと足を動かした。  
「なるほど、そいつはいいアイデアだな」  
 途中、くたばったドミノの懐をまさぐり、あたしの装備品一式を封じた針を取り戻す。  
「確かに、あたしにとって“チャウグナー・フォーン”神の復活なんてどうでもいい事さ。  
“食屍鬼”であるあたしにとっては、人間の世界がどうなっても知った事じゃないし、  
平太の身の安全が保障されればそれでいい」  
 針に封じた術を開放し、瞬時に黒袈裟と錫杖という、いつものスタイルになったあたしは――  
「だけどね、S君……きみは1つだけ重要な事を忘れてるよ。たった1つだけ、でも一番肝心な事をね」  
 真っ直ぐに、S君に向けて錫杖を構えた。  
「俺は“退魔師”だ」  
 風もないのに揺らめく草木が、乾いた音楽を奏でる。  
四方から照らすかがり火の光が、佇む邪神の影を八方から大地に刻んだ。  
 
「ははは……面白い冗談ですね」  
 S君は無防備のまま俺に背を向けると、“チャウグナー・フォーン”神復活の最期の鍵――  
ドミノの血をせき止めている、溝にはまった錫杖を抜こうとして――その全身に数万本の針が突き刺さった。  
 刹那、針に付与した魔法が発動して、S君を紅蓮の炎が焼き尽くす。  
その隙に、俺はドミノの遺体の元に駆け寄ろうとして――  
「ははは」  
 目の前に迫るS君の笑顔を見た。  
「――ッ!!」  
 S君は何もしていない。ただ目の前に出現して、いつもと変わらない笑みを見せただけだ。  
それだけで、俺の体は軽々と吹き飛んで、  
さっき吊るされていた円柱に激突し、それをへし折ってようやく停止できた。  
「ぐぉおおお……」  
 全身の骨と筋肉がズタズタになっているのを自覚しながら、  
俺は錫杖を支えに何とか立ちあがった。S君はと言うと、  
「やっぱりMさんは面白いですね。ほんと、そういう所が大好きですよ」  
 ドミノの遺体を軽々と担ぎ上げて、上空に放り投げた。  
くるくると木の葉のように宙を待ったドミノは、己の血をせき止めている錫杖の上に落ち、  
誇り高き吸血鬼の女王は、モズの贄の如き串刺しの姿を晒した。  
そこからどくどくと流れ落ちる血が、少しずつ、本当に僅かずつだが、  
溝にそって『吸血神』の元へ進んでいく……  
「ほらほら、早くしないとタイムリミットですよ?」  
 ちくしょう……やはりS君は完全に邪神“星の精”の力を取り戻してやがる。  
“食屍鬼”としての力を取り戻していない今の俺じゃ、120%絶対に勝てるわけがねぇ……  
だが、俺の目的は“チャウグナー・フォーン”神の復活を阻止する事であって、  
決してS君に勝つ事じゃない。それに、S君は完全に俺を舐めきって油断しまくっている。  
さっきの一撃で俺がミンチにならなかったのがその証拠だ。  
さっき、ドミノの死骸や生き血を直接“チャウグナー・フォーン”神に捧げようとしなかったのも、  
俺を焦らして遊んでいるつもりなのだろう。その油断に付けこめば――  
「――何とかしてやろうじゃねぇか!!」  
 俺は四方八方に針をばら撒いた。特にS君の方には念入りに。  
ただし命中はさせない。針が命中しても無駄だろうし、この行動の目的は――  
「わっ」  
 間髪入れず、ばら撒かれた針が一斉に大爆発して、広間全体を閃光と煙で満たした。  
S君の姿があっという間に煙に包まれる。その隙に、俺はドミノの元へ音も無く疾走した。  
一齧りでもいい。死肉を食べて“食屍鬼”に戻れば、“星の精”とも戦う事ができる。  
それが俺に残された最後の希望だ。  
 だが――  
 むにゅ  
「っ!?」  
「はははは、ぼくとそんなに遊びたいのですか」  
 俺の手がドミノに触れる直前、いきなり胸を背後から掴まれた。  
そのまま一気に後ろへ引っ張られて、ドミノの元から引き離される。  
 このやろう、いつまで胸に触ってやがるん――  
「んはぁあああっっ!?」  
 突然、胸に走った凄まじい快感に、俺はあられもない嬌声を漏らしてその場に崩れ落ちた。  
な、なに? 今の快感は……今まで体験した事のない夢のような気持ち良さ……きゃうぅん!!  
 
「きゃうぅん!!」  
「ははははは、やっぱりMさんはおっぱいが性感帯なんですね」  
 黒袈裟の上から乳房を揉みまくるS君の愛撫に、俺は快感に震える事しかできなかった。  
乳肉をたっぷりと持ち上げるように揉み解し、乳輪を指先でなぞって、乳首を押し潰す――  
ただそれだけの愛撫に、俺は抵抗もできない凄まじい快感を感じている……  
何、この気持ち良さは……こ、これが、本物の邪神による『人外の快楽』なの……  
んぁああん……ああっ……もう胸先が母乳でびしょびしょに……だ、ダメ……このまま飲み込まれて――  
「――た、たまるかぁ!!」  
 俺は渾身の力を込めてS君を後ろに蹴飛ばした。  
よろめきながらも、その反動を利用して再びドミノの元へ駆け寄ろうとして、  
「もう、乱暴だなぁ」  
 な、なぜ目の前にS君がいるんだよ!?  
「ぼくもお返し!」  
 慌てて急停止する俺の胸元が、さらしごと剥ぎ取られたのは次の瞬間だった。  
ぶるんっとまろび出る自慢の巨乳は、もう痛いくらいに乳首ばかりか乳輪まで勃起して、  
白い母乳を独りでに吹き出している。そこに、S君がむしゃぶりついた。  
「ぁああああっっ!! だ、ダメぇぇぇ!!」  
 ぅぅぅううう……や、やっぱり駄目だ……あまりに強力な『人外の快楽』の気持ち良さに、  
戦意も理性も根こそぎ奪われそうになってしまう……  
このまま快楽に溺れてしまえばどんなに幸せだろう……  
くそっ、こうして俺を肉欲の奴隷にして、屈服させるつもりかよ!!  
……でも、それも時間の問題になりそう……そのくらい濃密で激しい快感の怒涛……んきゃあぅ!?  
 突然、下半身に走った電撃のような快感――!!  
いつのまにか、黒袈裟の袴をたくしあげて、  
M字開脚になってる俺のアソコに、S君がクンニを始めたのだ……  
クリトリスを重点的に舌でねぶりながら、秘唇を撫で、ヴァギナとアヌスに指を挿し入れる――  
その直接的な快楽の責め苦に、頭の中が真っ白に焼き切れそう……  
 くちゅくちゅと淫猥な音と、切ない喘ぎ声が夜の森に響いた――  
「あっあっああっあっ……や……めろ…ぉ……あふぅぅうううっっ!!」  
「ははははは、まだ本格的に苛めてもいないのに、  
もうこんなにヒクヒクグショグショになっちゃって……そんなにぼくのモノが欲しいのですか?」  
 顔を愛液でびしょ濡れにしながら、S君はこちらにぐっと顔を近づけた。最高の笑顔を浮かべて。  
「くぅ……そぉぉ……こ…の……ガキがぁ……」  
「ははははははは、どうせぼくは子供ですよ。でも、そんな子供にこんなに感じちゃうなんて、  
Mさんは大人として恥ずかしくないのですか? ほら、こんな風に!!」  
 ずにゅ  
「――ッッッ!? ぁぁああ――!! あぁああああア――!!!」  
 頭の中が純白に爆発した――S君が、自分のペニスを挿入したの……  
でも、あんな小さなおちんちんなのに、入れられただけで俺は……あたしは絶頂を迎えた。  
そして、S君がおちんちんを1回ピストンするだけで、正確にあたしは1回イってしまうの……  
それがどんなに恐ろしい責めなのかは言うまでもないでしょう……それはまさに地獄、快楽地獄だった……  
「んぁあああああっっっ!! や、やめろバカぁ……やめてぇぇ……あはぁあああああっっ!!!」  
 
 泣きじゃくりながら目の前のS君に錫杖を突き立てて、  
ありったけの針を飛ばしても、S君には傷1つ付けられない……  
それならばと、あたしは瞳の色を金色に変えて、過去のS君に針で攻撃を仕掛けても――  
 ぴしぱしっ  
「!?」  
 数分前の棒立ちになっているS君は、迫り来る針を指一本で弾き飛ばして、  
そのまま『現在』の私に向ってウインクしながら指を振って見せた……な、なんだそれぇ!?  
 そしてそれは、未来のS君を攻撃しても同じ結果に終わった……  
 S君が本物の『邪神』である事を、そして『邪神』には人間の小手先の技なんて通用しない事を、  
あたしが本気で思い知らされたのは、その時だった……あたしも邪神のはしくれなのに。  
 だからこそ、何とかしてあの死肉を食らい、“食屍鬼”の力を取り戻さないと……  
でも……でも……んひゃあぁあああ!!  
「んひゃあぁあああ!!……あぁあああっっ!! あああっ!! イクぅ!! イキ過ぎちゃうぅぅ!!」  
「あははは、ほらほら、もっとイってくださいよ」  
 S君がぁ……ああぅ!……こうして腰を叩きつけながら……乳首をしゃぶる度に……  
くぅ!……理性がどんどん消えていって……ああぁ……あああぅぅ!!  
「あはははは、普通のセックスでこんなに感じるのなら、また色々苛めたら、もっと気持ちいいでしょうね」  
「ひっ……ひゃうぅぅ!! や、やだぁ!!……ぁああっっ!!」  
「丁度おあつらえ向きに、鎖付きの円柱も沢山ありますから、そこでたっぷり苛めてあげますよ……  
今度は全身の生皮でも剥いでみましょうか?」  
 あぐうぅぅ……だ、ダメぇ……そんな事されちゃったら……これ以上苛められちゃったら……  
本当に、もう戻れなくなっちゃう……退魔師の使命も女の誇りも忘れて……  
S君の肉便器になっちゃうのぉ……!!  
「いひゃあ!!……いひゃぁああああ……!!」  
「あははははは、そんなに喜ばなくてもいいですよ……じゃあ、とりあえず1回中で出しますね……ううっ」  
「ああぐぅううう!!!」  
 ドクドクと、灼熱の粘液が膣壁に染み込むのを、朦朧とした意識の中であたしは感じ取った……刹那、  
「あっ」  
 射精の快感で恍惚になっているS君を踏み越えて、俺は一目散にドミノの遺体へと駆け寄った。  
この辺の切り替えが瞬時にできるのが退魔師の条件だって、以前言ったろ?  
 やっぱり男って生き物は、イった瞬間はすぐに動けないらしい。すぐに俺の手はドミノに触れ――  
「だから無駄ですってば」  
 ドミノがむくりと起き上がった。S君の顔で。  
 次の瞬間には、俺の体はまた別の円柱に激突して、  
勢い余って後方の茂みにまで頭から突っ込んでいた。  
「あっははははははっ! 丁度いいですから、そこでやりま――」  
 
かり こり ぱくり  
 
 S君の――“星の精”の笑い声が止んだ。  
 
ばり ぼり みしり  
 
 木々のざわめきが止まった。  
 
くっちゃ ぺろ にちゃ  
 
 世界から全ての音が停止した。  
 
むしゃ ぱく ごくん  
 
 そうだ。『神』が降臨する時は、そんな世界が相応しい。  
「まさか……」  
 S君の声は絶対零度だった。  
『遊び過ぎだぜ、S君』  
 “食事”が終わり、幽鬼の如くゆらりと起き上がるは――  
『忘れてたのかい? 俺と同じように生贄にされていた女吸血鬼達の存在を』  
 肌は死者のそれに等しい褐色で――  
『そいつらは、ついさっきまでこうした円柱に繋がれていた』  
 瞳は金色に濁り――  
『その後、俺と同じように触手に弄ばれた挙句、  
ジャングルの中に引き摺り込まれたのを見てなかったのか?』  
 爪は猛禽――  
『で、俺はそれを食べさせてもらったわけだ』  
 牙は食肉獣――  
『俺の狙いはドミノじゃなくて、最初からこの死肉だったのさ』  
 黒髪は鬣と化し――  
『ありがとよ、上手くここまで誘導されてくれて、な』  
 犬狼に等しい耳と尾を持つ『邪神』、その名は――  
「“食屍鬼(グール)”!?」  
 身構えるS君の右腕が、  
 
ばくん  
 
 付け根から消滅する。  
『やっぱり不味いな。熟して無い肉は』  
 俺はあんぐりと口を開けて、小さなS君の指を見せてやって、  
『さあ、これで互角(ため)だぜ』  
 ごくり、と飲み込んだ。  
 肩から食い千切られた右腕の傷口を押さえながら、S君は1歩後退した。  
流石にもう、笑う余裕は無いようだ。  
「……まさか、そこまでやるとは思――ぐうっ!?」  
 俺に話しかけようとしたS君は、仰け反りながら左目を押さえた。  
その指の間には、30cmを超える長針が深々と突き刺さっている。  
 戦いの最中にボーッとしてるんじゃねぇぜS君……  
きみがこんな目に会うのは、全て油断していたからだ。  
俺を下手に弄ぼうとせずに、初めからマジ殺しに来ていれば、  
こんなチンケな策略なんて簡単に見破って、俺なんか瞬殺していただろうに……  
 ……くそっ、何をセンチメンタル感じてんだ俺は。しっかりしろ!!  
 
「……うぅぅ……くぅぅ……ぁぁあ……」  
 S君は左目を押さえながらその場にうずくまり、嗚咽を漏らしている。  
「ぁあぁあああ……うぅぅ……ぅぅぁぁあああ……あ……」  
 余程痛いのか、泣き声は留まる事を知らない。  
「あぁあああ……うぁあああああ……ぁああああぁん!!」  
 その声に途方もない悲しみを覚えながらも、俺は寸分の無駄もなくとどめを刺そうとして――  
「ぁぁあああああはあああははあああははははは――!!!」  
 ――ゾっとした。  
「あははははははははは!! あっはっはっはっはっはっはっはっは!!!」  
 泣いていたんじゃない。S君は笑っていたんだ。  
「あっはははははははっ!! ご、ごめんなさいMさん……くははははははははは!!  
別に、Mさんを馬鹿にするつもりは……ひゃははははははははは!!  
無かったのですが……くっくっくっくっく……あっはっはっはっはっは!!!」  
 正直に告白するぜ……俺は今まで(“食屍鬼”として)生きていて、  
これほど恐ろしい哄笑を聞いた事がなかった。  
今すぐ耳を押さえて、泣き叫びながらこの場を逃げ出したかった。  
人間がこの笑い声を聞いたなら、1秒と持たずに発狂死するほどの、  
宇宙的恐怖と窮極的狂気に満ちた笑い声――それは可笑しくて笑ってるわけじゃない。  
楽しくて笑っているわけじゃない。狂って笑っているわけじゃない。  
 人間が瞬きするように、呼吸するように、心臓の鼓動のように、  
それは“星の精”という種族の生物的反射行動に過ぎないのだろう。それはそんな笑い声だった。  
「ひゃははははははは!! でもね、Mさぁんあはははははははは!!  
互角というのは間違ってますよくははははははは!! 人間出身の邪神とねあっはっはっはっはっは!!  
ぼくのような純粋な邪神とはくっくっくっくっく!!  
神としての『格』が違うのですよひゃあっはっはっはっはっは!!  
それを今から教えてあげますはははははははは!!」  
『ほざいてろ!!』  
 数千万本の針が、高笑いするS君の全身を捕らえた。  
 ふっ  
『!?』  
 捕らえた筈だった。  
 虚空に消えたS君の残滓を素通りして、必殺の針は向いのジャングルを消滅させただけに終わった。  
 S君が……消えた?  
 いや、落ち着け。“星の精”には透明化能力があるんだ。  
だが、“食屍鬼”の力を取り戻した俺には、邪神の超感覚がある。  
周辺の物体は原子核一粒の動きまで感知できるし、魔力や存在波動係数も完璧に掌握できる。  
俺は目を薄く開けて軽く身を屈め、どの方向から攻撃が来ても対応できるようにした。  
そのままそれらの超感覚を100%使って、S君の気配を探ってみる――が、  
『……いない?』  
 周辺数千キロ以内に、S君の存在が感知できないだと?  
 どういう事だ? まさか、地球から逃げ出したのか――  
 
はははははははははは――  
 
 声が聞こえた。  
 目の前から。  
 ぞぶっ  
『ぐっ!?』  
 視界の半分が真紅に染まった。左目を抉られたのだ。  
 
あははははははははは――まずはお返しですよMさん――ふっはっはっははあはははああはははあ――  
 
 そのけたたましい哄笑は、すぐ目の前から聞こえる。なのに、S君の存在が感知できない!?  
 俺は声が聞こえる位置に向って闇雲に鉤爪を振り回したが、当然ながら文字通り空を切るだけだった。  
 邪神の超感覚でも感知できない透明化だと!?  
……面白れぇ、だが見えないなら見えないなりに攻撃の方法はいくらでもあるんだよ。  
プロの退魔師を舐めるんじゃねぇ!!  
 俺は四つん這いになって、全身の体毛を逆立てた。  
体内に収納してある針に邪神の力を注ぎ込み、凄まじい勢いで増幅させる。  
久方ぶりに湧き上がる力の奔流に、俺は確かなエクスタシーを感じていた。  
 そして――  
『ケツにワセリン塗ったか? たっぷりブチ込んでやるぜ!!』  
 アジアの一角が、白銀の大爆発に包まれた。  
 きっかり半径100kmに存在する、あらゆる素粒子一粒一粒から時空間の波動に至るまで、  
全ての“世界”に針を撃ち込んでやったのだ。  
アイススプーンでくり抜いたように、俺を中心に半径100kmの世界が概念レベルで完全消滅する。  
半瞬後、埃1つ落ちていないガラスのように滑らかな巨大クレーターの中心には、  
俺と“チャウグナー・フォーン”神とその祭壇、  
そして祭壇の上のドミノの死骸と生き血しか存在していなかった。  
 存在していない筈だった――  
 
ひゃはははははははは――  
 
 その哄笑が響き渡る中、俺の右腕は付け根から引き千切られていた……  
『ぐぉおおおお……くそったれぇ……』  
 
あっはっはっはっはっは――ダメじゃないですか――  
Mさんみたいな綺麗な女の人が、そんな言葉使いをしちゃ――くくくくくくく――  
 
 そして、何より俺を戦慄させたのは、右腕を引き千切られた瞬間が、  
俺が全包囲に針を放っている真っ最中だって事だった。  
 ドミノの死体と生き血がちゃっかり残っているのは、S君が直接守ったからだろう。  
つまり、俺の攻撃範囲外に逃れてから、俺を超遠距離攻撃したわけじゃない。  
 という事は……S君には俺の攻撃が通用しない!?  
 じゃあ、なぜ通用しないんだ?  
 S君の――“星の精”の特殊能力は『透明化』……自分の姿を消す能力。  
 ひょっとして……まさか……  
 S君が……存在していないって事か!?  
 
くすくすくすくすくすくす――そろそろ分かってきましたか?  
――Mさんの力では、ぼくに勝てないという事が――はははははははは――  
 
 くそっ……好き勝手ほざきやがって……  
左肩の傷口を押さえながら、俺は牙が折れそうになるまで歯軋りした。  
 なるほどな、今、この場にS君は存在しないらしい。  
 だが、過去や未来ならどうだ?  
 俺は影踏みを発動させた。過去に未来、地球から宇宙の果てまで、  
次元を超えて異世界に至るまで、あらゆる時空間を同時に隅々まで見通した――だが……  
 
【あらゆる世界、あらゆる空間、あらゆる時間軸、あらゆる宇宙において、  
過去、現在、未来、そして全ての場所に、“星の精”S君という者は存在しません】  
 
 ……それが、影踏みから返ってきた答えだった……  
 
 ち、ちょっとまて!? ついさっきS君は目の前に存在していたし、  
それ以前に今までそのS君の事で散々振り回されていたんじゃないか。  
今更S君がどの世界のどの時代にも存在していなかったなんて、  
そんな理不尽が通用するわけないだろう!!  
 
あははははははははははは――  
 
 それに、S君が存在していないというなら、この目の前から聞こえる笑い声は何だって言うんだ!?  
 
くっくっくっくっくっく――それが本当の意味で『消える』という事ですよ――  
残念ながら、Mさん程度の神格では『存在しないもの』に干渉するのは無理のようですね――  
あっはっはっはっはっはっは――  
 
 ばきん  
 口の中で牙が砕けた。  
 ちくしょう……悔しいが、S君の言う通りだ。  
存在しているのなら、どんな相手がどんな世界や時代にいようが、俺の牙で捕らえてみせよう。  
だが、『存在していないもの』にどうやって攻撃すればいいんだ?  
 くそったれ……これが人間出身の邪神の限界かよ……  
 絶望が物理的な疲労と化して、俺の両肩に圧し掛かる。  
それでも膝を付こうとしなかったのは、俺のちっぽけなプライドだ。  
『ぐっ!?』  
 まさにその左肩に、見えない牙が食い込んだのは次の瞬間だった。  
『ぐぁああああああああ――!!』  
 この絶叫は苦悶から来るものじゃなかった。あまりの快感に、俺は苦痛以上の絶叫を放ったのだ。  
 な、なにこの気持ち良さは……一瞬にして戦闘意思から理性まで根こそぎ奪い取られた“あたし”は、  
絶頂しながら両膝をガラスの大地についた……  
 バンパイアの吸血行為には、凄まじい快感が付属する――吸血鬼の基本だ。  
でも、まさかこれほど恐ろしい快楽を与えるなんて……  
これが世界最大最強最高の吸血鬼“星の精”の力なの……  
 
ふふふふふふふふふふふふふ――美味しいですよ――  
Mさんの生き血は――あははははははははは――  
 
『うはぁああああっっっ!! あぐぅ!!  
いやぁ……やめてぇ……あひゃうぅ!! んぁあああああっっ――!!』  
 セックスによる絶頂の数万倍もの快感――あたしの身体中にそれが刻まれる度に、  
あたしは心の底から泣き叫び、悶え狂って、のた打ち回る事しかできません……  
快楽のあまり発狂して、次の瞬間快感のあまり正気を取り戻すのを、  
秒単位で繰り返しているあたしの魂は、少しずつ、しかし確実に侵食されていきました……  
『……ぁああ……ぁ……ぁぅぅ……ぅうああ……』  
 数分も経たずに全身歯型だらけになったあたしはぁ……  
もう血と涙と涎と愛液を垂れ流しながらぁ……痙攣するだけでしたぁ……  
ぁぁあああ……あはぁははははは……あはぁ♪  
 
はははははははははは――別にMさんを殺すつもりはありませんから、心配しないでください――  
ただ、ぼくの同族になってもらうだけですから――ふははははははははは――  
 
 存在しないS君がぁ、高笑いしながらあたしの髪を掴んで持ち上げてぇ……  
いきなり口の中に勃起したおちんちんの感触がぁ……あはは……あはぁ……  
熱くビクビクしたペニスの感触は口の中にあるのにぃ……  
目にも見えないし、牙をがちがち打ち合わせても噛み切れないのぉ……  
あぐぅ……S君のおちんちんがぁ……固くってぇ……あったかくてぇ……おいしいのぉ♪  
 
うふふふふふふふふふ――  
こうして“食屍鬼”状態のMさんを犯してみたかったんですよ、ぼくは――くすくすくすくすくすくす――  
 
 ちゅぽん、と音を立てて見えないS君のおちんちんが抜かれますぅ……  
ああん、だめぇ……まだザーメン飲ませてもらってないのぉ……  
寄りすがるあたしを押さえ付けるように四つん這いにしたS君はぁ……  
尻尾をふりふりするあたしのお尻を持ち上げてぇ……  
あぁん♪……バックからケモノのように犯してくれるのぉ……!!  
『んひゃあああぁん!! あっあっああぁああ!! もっとぉ!! もっと犯してぇ!! Sさまぁぁ!!!』  
 
あっはっはっはっはっはっは――やっぱりMさんの身体は最高ですよ――  
吸血鬼になった後も、ずっとぼくの肉奴隷として飼ってあげますからね――ふははははははははは――  
 
 後背位で犯されながらぁ……首に牙を突き立てられてぇ……  
アナルに指をつっこまれてぇ……おっぱいをにぎりつぶされながらぁ……  
ぱんぱん、ぱんぱんってリズミカルにSくんのおちんちんがぁおちんちんがぁ♪  
あたしのからだを、こころを、たましいをぐちゃぐちゃにぃぃぃぃぃ!!!  
 
くくくくくくくくく――さあ、ぼくもそろそろ出したいのですが、  
どこに射精して欲しいですか?――あははははははははは――  
 
『んはぁあああああ!! 中に出してぇ!! あたしのオマンコに注ぎ込んでくださいぃぃぃ!!!』  
 どくどくん……  
 子宮に叩きつけられる邪神のエキスを感じながら、あたしの意識も永久の暗闇の中に堕ちていった……  
 
ははははははははは――あはははははははははは――  
あっはっはっはっはっはっは――ひゃぁあははははははははははははははははは!!!  
 
 ずるり、と音を立ててペニスが抜かれて、そのまま大地に沈んだあたしの白い肌の上に、  
髪結いを解かれた金色の髪がヴェールをかけるように覆いかぶさる。  
丁度、“食屍鬼”に戻れる制限時間が終わったのだ。  
 タイムリミット――これで、あたしの最後の希望も無くなった……  
「くすくすくすくすくす……さぁ、最後の仕上げといきましょうか」  
 もう、抵抗する事もできないと踏んだのだろう。  
再び姿を表したS君は、何の憂いもなくピクリとも動かないあたしの身体を抱き上げた。  
その通り、もう指一本動かせない今のあたしには、ドミノの死肉の元へ這い寄る力も無いし、  
これから殺されるわけではないから、シスター・ゲルダ戦のように自分の未来の死体を食べる事もできない。  
 ――もう、“食屍鬼”に戻れる方法は何もない――  
 今度こそ、本当に、あたしは敗北した。  
「うふふふふふふふふ……では、いただきます」  
 哄笑うS君の口が耳まで裂けて、うじゃけた牙が月光に輝き――  
まるで恋人同士がキスするような構図で、あたしの喉に突き刺さった。  
 全身の生き血が、精気が、魂が、あたしの一番大切な何かが……  
真紅の濁流と化して、S君の喉に吸い込まれて行く……  
 無言の哄笑が、偉大なる邪神の祭壇から闇の世界へ轟いた。  
「んふぅぅぅぅぅ……これからMさんは、一度仮初めの死を向えてから、ぼくの同族として復活します……  
あああぁぁぁぁぁ……なんて美味しい血なんでしょう……  
やっぱりMさんは、ぼくにとって至高の存在です……  
これから、ぼくと一緒に愛欲の日々を送りながら……  
地上が“チャウグナー・フォーン”神の栄華に包まれるのを……見守っていきましょう……  
2人で……永遠に……」  
『悪いが、お断りだ』  
「――ッ!?」  
 無言の哄笑が止まった。  
「ぐぁあああああああああ――!!」  
 代わりに夜空へ轟いたのは、ベアハッグで背骨と肋骨をへし折られるS君の絶叫だった。  
 
「そ、そんな……まさか……バカなっ!?」  
『やっと捉えたぜ』  
 褐色の肌、金色の瞳、黒いざんばら髪、スカベンジャーの牙と爪、犬の耳と尾――  
忌まわしき邪神“食屍鬼”の姿で、俺はS君にウインクを見せた。  
 そう、“あたし”は敗北した。  
 間違っても、“俺”が負けたわけじゃない。  
 女としてのあたしが負けても、退魔師の俺は負けない。負けるわけにはいかないのだ。  
「な……ぜ……どこにも……死体なんか……」  
『……なぜ、俺が母乳を出せるのか考えた事があるか?』  
「!!」  
『妊娠しているんだよ俺は。  
もっとも、普通は出産しないと母乳は出ないから逆にわからなかったかもしれねぇが……  
100年近く妊娠していれば、待ち切れなくて母乳の方から出ちまうらしい』  
「……そ…れは……」  
『そう、俺と平太の子だ。  
“食屍鬼”と人間のハーフだからか、100年近くも妊娠初期の胎児のままだった……  
それを……こんな形で……ははは……これで俺も地獄行き決定だぜ……』  
 吸血鬼に生き血を吸われた犠牲者が、新たな吸血鬼として復活する前に、  
限りなく死に等しい仮死状態となる。それはS君の説明通りだ。  
だが、吸血鬼化の為の仮死状態になって生命活動が極限まで低下すると、  
当然ながら胎内の赤子には、十分な酸素も栄養も行き渡らなくなり――  
「……まさか……まさか……自分の子を……!?」  
『我が子を食べる鬼子母神ってか……ありがとよ、S君……』  
 俺は――哄笑った。  
『これで、何の躊躇いもなく君を殺せる』  
 ――泣きながら。  
 
ばくん  
 
………………  
…………  
……  
 
 
 最後の生贄の血……ドミノの生き血が捧げられる事はなく、  
“チャウグナー・フォーン”神復活の儀式は失敗に終わった。  
 偉大なる“チャウグナー・フォーン”神は石の卵へと戻り、再び星辰が揃うまで永い眠りについた……  
 
「――ごめんなさい……ごめんなさいMさん……ごめんなさい……」  
 赤子のように泣きじゃくりながら、延々と謝り続けるS君の頭に、  
「男なら、いつまでも泣いてるんじゃない」  
 しかし、ゲンコツが振り下ろされる事はなかった。  
 首から下が食い千切られたように消滅したS君の生首を、  
あたしは我が子のように胸の中で抱いていた。  
 その涙でグショグショになった可愛い顔は、少しずつ、少しずつ、  
端の方からキラキラと輝く光の粒子と化して消えていく。  
 この惑星で活動する為の血肉を失った“星の精”は、  
しかし邪神たる不滅性ゆえに、星間宇宙の故郷で再び復活する。  
地上で過ごしたあらゆる記憶を失って。  
 邪神“チャウグナー・フォーン”神の復活は阻止して、S君は故郷に帰る。  
 全ての任務は完了した。  
 ミッション・コンプリートだ。  
「――だから、そんなに泣くんじゃない。S君が死ぬわけじゃないんだから、ね」  
「でも……ひっく……でも、ぼくのせいでMさんがぁ……Mさんの赤ちゃんがぁ……」  
「……S君は邪神だろ? これも神の与え賜う運命ってヤツさ」  
「……ひっく……やだぁ……そんなの……」  
「運命が自分の思い通りに動くのだったら、今ごろあたしは美少年ハーレムの女王様だぜ」  
 そう、運命は自分の思い通りには決して動いてくれない。  
邪神の端くれであるあたしですら、より大きな力の前では翻弄される存在に過ぎない。  
「でもね、S君……だからこそ――」  
 だからこそ、戦う価値がある。  
運命の濁流の中で、精一杯自分だけの詩を歌い、最後まで舞い続ける意味があるのだ。  
 あたしのラストダンスは、最後まで華麗に踊れただろうか――  
 
「……ねぇ、Mさん……」  
「……どうしたの?」  
「……約束……忘れてませんよね……」  
「約束?」  
「最後に……名前を……教えてくれるって……」  
「……メリフィリア」  
「……え?」  
「メリフィリア……それがあたしの名前」  
「……良い名前ですね……」  
「そう言ってくれたのは、S君で2人目ね」  
「……そうですか……あはは、嬉しいな……」  
「ふふ」  
「…………」  
「…………」  
「……お願いが……あるのですが……」  
「ん?」  
「……Mさん……ドリームランドへ……行ってください……」  
「…………」  
「死んじゃダメです……Mさんは……きっと平太さんも……同じ気持ちの筈ですから……」  
「…………」  
「……お願い……ですから……」  
「……わかったわ」  
「本当……ですか」  
「ええ、約束するわ」  
「……あはは……やったぁ……」  
「…………」  
「…………」  
「…………」  
「……もう1つ……お願いが……あるのですが……」  
「欲張りさんだな、S君は」  
「ごめんなさい……あの……その……Mさんの……赤ちゃんの事ですが……」  
「…………」  
「僕の命を……貰ってくれませんか……」  
「…………」  
「……僕の魂を捧げれば……赤ちゃんも……復活できる筈です……」  
「……それは……」  
「お願いします……それが……ぼくの……最後の……償いなんです……」  
「…………」  
「…………」  
「……わかったわ」  
「本当……ですか」  
「ええ、約束するわ」  
「やったぁ……えへへ……嬉しいな……Mさんの赤ちゃんになれるなんて……嬉しいな……」  
「甘えん坊な子になりそうね」  
「……嬉しいな……嬉しい……な……」  
「…………」  
「……」  
「…………」  
 
「……S君?」  
 
「…………」  
 
 ……胸の中で消えた最後の光を、あたしはずっと抱き締めていた……  
 
 
 どれくらい時間が過ぎたのか……  
「――無駄足だったかもしれないわネ」  
「――ドミノの死体がないようだが……また逃げられたか」  
 背後から聞こえる声の主は、今更確認するまでもなかった。  
「……生きてたのか」  
 そう言ったのは、誰だろう。俺はこんな声でしゃべる女じゃなかった筈だ。  
「砂使いを物理的に殺す事は不可能よン。肉体なんていくらでも砂蟲ちゃんで再構成できるんだから」  
「貴様に殺される直前、私は別人に姿を変えた。つまり、死んだのは私じゃない」  
 どうでもいい事だ。  
 俺は夢遊病者のようにふらつきながら、ゆっくりと歩き出した。足が自分の足じゃないようだ。  
「……闇高野から連絡が入った。平太殿が危篤状態らしい」  
「…………」  
「あと数時間の命らしいワ」  
「…………」  
 俺の歩みは止まらなかった。  
「今ならまだ間に合う。Mよ、ドリームランドへ行け」  
「…………」  
「死にかけた人間の赤子を救う為に、自分の魂を分け与える……  
そんな優しい“食屍鬼”が、こんな汚れた星で死ぬのは似合わない」  
 俺は無言で夜空を見上げた。  
 天球の彼方まで煌く星々に、鎮座する冷たい満月の光――  
――満天の星空ってヤツは、どうも好きになれない。  
「……ねぇ」  
 呟きは、誰のものだろう。誰への呟きなのだろう。  
「大人はね……嘘吐きなんだよ」  
 
 
 ――その日の夜、ある病院の一室で、1人の老人が静かに臨終を迎えた。  
如何なる苦痛もない、眠るように安らかな死であったという。  
 それ以来、毎日その老人を甲斐甲斐しく介護していた、親族と思われる女性も姿を消した。  
 
 
 ――美しき食屍姫の行方は、誰も知らない――  
 
 
 
『ひでぼんの書・外伝  ラストダンサー』  
 
完  
 

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