『童話の消えた森』計画――そのプロジェクトは通称そう呼ばれている。  
 21世紀初頭にヒトゲノムの完全解析が行われたのと同じように、『魔法』『超常能力』といった人外の力それ自体の原理や構造を、  
あらゆる側面から“科学的に”解析、解明、そして完全再現するという、国連をバックにIMSO主体で行われた一大プロジェクトだ。  
 過去に幾度も試みられたがその都度失敗し、もはや不可能とされていたその理論を成功させたのは  
“時計男”と呼ばれる謎の人物の協力があっての事だと噂されているが、いずれにせよ計画が成功した事により、  
人類は新たなステージに到達した……らしい。俺にはいまいちピンと来ないが。  
 とにかく計画の完成によって、今まで一部の魔術師や退魔組織だけが独占していた魔法技術を、俺たち一般人も利用できるようになったわけだ。  
 反対に割を食ったのは当の魔術師や退魔組織の側だった。何せ何百年もの間修行した大魔術師が、  
数限りない手間をかけた儀式の末、ようやく行使できる大魔法が、ボタン1つ押すだけで再現できるのだから話にならない。  
こうして退魔師や魔術師の世界は見る影もなく衰退していく事になるのだが、俺達のような警察にとっては、クソ高い金を支払って、  
そうした魔術師の連中に魔物や魔法に関する事件の捜査協力を依頼する必要がなくなったので、ありがたい話ではある。  
 とはいうものの、現在この技術はIMSOによって特許の1つまで完全に管理された、事実上IMSOの独占技術となっている。  
極めて強力な魔法的技術が大量に一般社会へ流通すれば、既存の価値観が崩壊するからだ、というのが連中の苦しい言い訳だ。  
 まぁその言い分も納得できないわけじゃない。  
その辺のチンピラ犯罪者が携帯よろしくお手軽に火の玉や稲妻を撃ちまくったら、俺達警察はたまったもんじゃねぇし、  
その気になれば大陸1つ沈める事も可能だという大魔法が、戦火の軍隊にでも使われたら……ゾっとしない話だ。  
 それに独占といっても非合法的なものでない限り、IMSOに依頼すればタダ同然の手間賃で動いてくれるのだから、実用面では特に問題はないのだが……  
 ……そうした理論や技術では解明できない不可能犯罪が、よりによって俺達の管轄内で発生したのだ。ちくしょうめ。  
 
2.「童話の消えた森」  
 
「襲撃者の痕跡が何も残ってないって……どういう事だよオイ!!」  
「聞いての通りだよ。あのMartense03型強化外骨格の残骸に残されていたメモリーの中身は真っ白だった。  
それも破損の際にメモリーが損傷したわけではない。初めから何の命令も書き込まれていなかったという事だ」  
「つまり何だ……あのデカブツは自動操縦モードすら稼動せずに、  
ただ電源が入っただけの状態で勝手に動き出して、俺達に襲いかかったって言いたいのか!?」  
「現状ではそうとしか言えないな」  
「ふざけんな!! こっちはおやっさん共々殺されかけたんだぞ!?」  
「そう焦るな、まだ暴走事故から6時間しか経過していないのだ。これから何か新発見があるかもしれない」  
「お前も一度あのゴリラに襲われてみろよ。俺が焦る気持ちが理解できるだろうさ」  
「……とにかく、この一件は我々の方で調査する。  
進展があり次第連絡するから、お前は闇高野退魔師“G”氏と共に捜査を続行しろ。以上だ」  
「ふん……相変わらずだな五十鈴警視」  
「お互い様だ。緋硯警部」  
 
 普段はあまり人気のない署内唯一の給湯室前の廊下も、つい6時間前に魔物鎮圧用大型パワードスーツ暴走事故があったばかりでは、  
事後処理にバタバタ走り回る下っ端警官どもの姿で妙にせわしない。  
そんな周囲の光景など目に入らないように――当たり前か――静かに廊下の隅にちょこんと腰を下ろしているのは、  
真紅の着物に藤色の帯、黒いおかっぱ頭に光の無い瞳、安っぽい杖と緑茶の入った紙コップを持つ盲目の美少女――闇高野最強退魔師“G”氏だ。  
「おや、もう報告は終わったんですかい」  
 声をかけたわけでもないのに、近付いただけで俺だと判別できたらしいG氏は、緑茶入りの紙コップを軽く掲げて見せた。  
こいつ、実は目が見えてるんじゃねぇか?  
「報告といっても結局は何も分からず終いだ。勝手に動き出して俺達を襲ったとしか思えないとさ」  
 客人扱いの外部協力者ではあるが、こんな座敷童子みたいなガキに敬語を使う気にはなれず、俺は無遠慮にG氏の傍に腰を下ろした。  
強行犯時代はしょちゅうヤクザと勘違いされていた強面の大男と着物姿の盲目美少女というチグハグな組み合わせに、  
周囲の連中が露骨に奇異の視線を向けるが、知った事か。  
「やっぱりねぇ……人間の匂いがしませんでしたよ、あの機械人形からはねぇ」  
 外見とは正反対にやたら爺臭い口調のG氏は、やたら爺臭く音を立てながら紙コップの中身をすすった。  
「無人操縦なら人の匂いがしないのは当たり前だ」  
「いやいや、無人だろうが人間が関与していれば、人間の匂いは染み付くもんでさ」  
「何でそんな事がわかるんだよ。それが退魔師の力ってやつか?」  
「いやまぁ、肉の匂いには敏感なものでしてねぇ」  
 普段の俺なら、ふざけた事言ってんじゃねぇ、と小突き回す所だが、あの光景を見てしまっては別だ。  
 強化外骨格の特殊装甲を、抜き身すら見せずに切り刻んだ凄まじい剣技と、口笛一吹きで錆の粉に変えた奇怪な術。  
 この儚いとさえ称せる盲目の美少女は、恐るべき戦闘能力を持つ凄腕の怪人なのだ。  
 何者なんだ?このガキは……  
 俺は不審の眼差しを隠しきれずにいた。  
 
「そう見つめないで下さいな。あたし、照れちまいます」  
「……あんた、やっぱり見えてるんじゃないのか?」  
「いやいや、生まれつきの目無しですよあたしは」  
 確かに、そのどこかぎこちない動作は盲人特有のものだ。  
だが、あの驚愕を通り越して唖然とするような戦いぶりを見てしまっては、盲人どころか人間ですらないような気がする。  
やはり退魔師というぐらいだから、何か怪しい術でも使って周囲を探っているのだろうか。  
「ところで、ヤクザ屋さん家の襲撃事件の調査はどうするんですかね」  
「無論、これから続行だ」  
「へぃ……ところでダンナ、さっきから虫にでも刺されたんですかい」  
「…………」  
 無意識の内に左頬の傷を撫でていた事に気付いて、俺は憮然としながら立ち上がった。  
襲撃事件のゴタゴタで、もう夕方になってしまったが、まだ現場は保存しているはずだ。  
「今から現場に向かうぞ」  
「あわあわ、ちょっと待ってくださいよダンナぁ」  
 さっさと廊下を進もうとすると、G氏は慌てた様子でおたおたと立ち上がり、ぎこちなく杖で周囲の床を弄りながら、  
産まれたての小鹿よりも頼りなさそうに廊下を歩き出した――俺のいる側とは正反対の方向に。  
「……あんた、目が見えてるのか見えてないのか、はっきりしろよ」  
「どこにいるんですかダンナぁ?」  
 ――10分後、仲の良い親子よろしくG氏と手を繋いだ俺は、  
同僚の奇異を通り越して犯罪者でも見るような視線に耐えながら、駐車場までエスコートする羽目になった。ちくしょう。  
 
 安月給の国家公務員にとっては価値なんざさっぱりわからないが、  
とりあえず高価なのだろうと推測はできる程度に見栄えのいい調度品の数々が置かれた部屋――これがヤクザの組長部屋だとは世も末だ。  
まぁそれも死体の場所を示す白チョークの跡や、四方八方に刻まれた重火器の弾痕で全てが台無しになっているのはいい気味だが。  
「緋硯だ。例の件で再調査に来た」  
「ご、ご苦労様です」  
 現場保護テープの前で番をしていた若手警官に警察手帳を見せて、俺達はようやく本来の事件現場に足を踏み入れた。  
若手警官の顔が少し引きつっていたのは、俺の腕にひっしとしがみつくG氏を見たからだろう。  
ちくしょう、今後俺が署内でどんな渾名を付けられるのか想像しただけで気が滅入るが、今は絶望をこらえて仕事に集中しよう。  
 事件発生から3日が経過し、流石に死体は片付けられているものの、それ以外はほとんどが事件直後のまま現場保持がなされている。  
「ここが現場だ。IMSOの報告以来、何十回も調べつくしたから、今更何か見つかるとは思えないが……って、おいGさん!?」  
 ついさっきまで俺の腕にしがみついていたG氏は、いつのまにか若手警官の周りをウロウロうろついていた。  
イライラしつつ大声で呼びかけると、ペコペコ頭を下げながら危なっかしい足取りで傍に来たんだが……  
「……あんたみたいな退魔師の捜査方法はよくわからないが、犯行現場であまり勝手に動かれるとだな――」  
「見て見て、あのお巡りさんからアメ貰えましたぜ」  
「…………」  
 俺は無言で飴玉を取り上げると、素早く口に含んでバリバリと噛み砕いた。  
「ああー!?」  
「働け」  
「ううぅ……ヒドイですよダンナぁ……」  
 べそをかきつつ、G氏はまだ血の跡があちこちにこびり付いている絨毯の中に足を踏み入れた。  
ちょうど部屋の真ん中に当たる位置だ。ぞわり、と毛足の長い絨毯の中に杖の先端が埋まる。  
そのまましばらく微動だにしないので、声をかけようとしたその時――  
 虎落笛。  
 物悲しい調べが陰惨な事件現場を癒すように浪々と響き渡った。  
 あの時のように周囲の物体が灰燼と化すのではないかと一瞬身構えたが、始まりと同じく唐突に口笛は止んだ。  
「わかりましたぜダンナ」  
「お、おい、そんな事でわかるのか?」  
「へい、間違いありませんぜ」  
 自信たっぷりにG氏は頷いた。退魔師の捜査方法なんてさっぱりわからないが、おそらく何らかの術を使ったんだろう。  
「どうやら加害者の幼稚園児は何かの術で洗脳されたらしいですぜ。  
八九三さん達を皆殺しにできたのも、魔法の手助けがあったからですなぁ」  
 さすがに少しよろめいた。  
 ちょっと待てオイ!! IMSOの調査報告と全然違うじゃねーか!?  
 思わず抗議しようとした、その時――  
 
「……!?……それともう1つ……」  
 全身が凍りついた。G氏の一言はそんなつぶやきだった。  
「この匂い……懐かしい……忘れようったって……忘れられないわ……」  
 絨毯の毛足がザワザワと波立ち、調度品がカタカタと揺れ始めた。  
目に見えない波動が部屋中に満ちて、息をする事もできない。  
「こんな時代にまで……精神転移していたなんて……面白い……」  
 なな、な、何なんだこのプレッシャーは!?  
「今度こそ……――してやる」  
「おい! Gさん!!」  
 心臓が握り潰されそうな心地を味わいながら、俺は気力を振り絞って呼びかけた――が、  
「はいな、何ですかダンナ?」  
 あまりにもあっけらかんとした返事に、あやうくその場でずっこけそうになった。  
そのノホホンとした姿に、さっきまでの戦慄は欠片も感じられない。  
 何だったんだ今のは……気のせいか?  
「今のは……何だ?」  
「はぁ、ちょっと懐かしい匂いを嗅いだ気がしましてねぇ……  
でも断言できるほどはっきりとは分かりませんでしたわ」  
「……まあいい、それ以外の事は何か分かったのか?」  
「現時点ではこれ以上の事はちょっと……」  
 どうやらここまでのようだ。  
「署に戻るぞ。報告書を書く」  
「ああっ、待ってくださいよダンナぁ」  
 本来ならもう少し念入りに調査すべきだろうが、俺達はさっさと現場から引き上げた。  
得体の知れない不気味さに包まれて、これ以上あの場所にいる事に耐えられなかったからだ。  
 ……あの時、確かに盲目の少女はこう言った。  
『今度こそ……食い尽くしてやる』  
 
「仏教系の退魔師が肉食っていいのかよ」  
「まぁまぁ、固いこと言いっこ無しですよダンナ」  
 じゅうじゅうと食欲をそそる匂いと音が充満する焼肉レストランのボックス席で、俺とG氏は遅い夕食を取っていた。  
あの後、五十鈴警視の嫌味眼鏡に報告書を提出し、そのIMSOの報告と矛盾しまくった内容について散々突っ込まれたものの、  
また明日にでも再調査するという事でようやく開放されたのだ。  
まったく、襲撃事件の被害者なんだから、こんな日くらいは残業前に帰して欲しいぜ。  
 その後、一応は捜査のパートナーであるG氏を親睦会も兼ねた夕食に誘った――というか、飴玉の代価として強引に奢らされる羽目になった――のだが、  
まさか遠慮無しで焼肉を要求されるとは少し予想外だ。刑事の安月給を知ってるのだろうか?  
知ってて言ったのなら後でお仕置きしてやる。非性的な意味で。  
「お、お待ちどうさまー! カルビとホルモンの盛り合わせ8人前でーす!」  
 顔を引きつらせた店員の兄ちゃんから大皿を受け取り、さてまずはタン塩から焼こうかとトングを手にして――思わず固まった。  
「頂きますねぇ」  
 嬉しそうに両手を擦り合わせたG氏は、肉が山盛りの大皿を手に取ると、当然ながらまだ焼けていない生肉を……そのままガツガツと食べ始めやがった。  
「うぉおおおい!? ちょっと待て!!」  
「ああ、すいませんねぇ。取り皿に肉を分けなきゃ駄目でしたなぁ」  
「そうじゃねぇ! ユッケじゃあるまいし、何で生のまま食ってんだよ!?」  
「あたしの種族は、生肉が好物なんですよ」  
 何をわけのわかんねぇ事を……ああ、只でさえ盲目の着物少女と強面の中年男性という怪しい組み合わせが、  
さっきから他の客や店員の不信の目を招いているのに……周囲の視線が完全に変質者を見るそれだ……  
 頭を抱える俺に、G氏はハイライトの無い瞳で笑いかけた。  
「ダンナも『人食い』なんて渾名もらっていた割には、細かい事を気にし過ぎですぜ」  
 ちょっと待て、何でお前が強行犯時代の渾名を知っているんだ。  
 愕然としながら問いただすと、  
「五十鈴警視さんからダンナの個人情報を聞いたんですわ。いや、聞いたというより向こうが勝手に教えてくれたって言うのが正しいですな」  
 あのクソ眼鏡がぁあああ!!! 後で絶対にお仕置きしてやる!!! 性的な意味でもな!!!  
「どどど、ど、どこまで俺の事を知ってるんだ!?」  
「ええと……本名:緋硯 鯨人。20XX年、3月3日生まれ、37歳。身長198cm、体重138kg、血液型はO型。本籍は○○県○○市。  
家族構成は独身で、田舎に両親と妹が健在。柔道剣道空手合気道居合道その他もろもろ合計49段。  
射撃の腕前も達人級で、全国警察逮捕術大会及び全国警察拳銃射撃競技大会では現在怒涛の10連覇中。  
○○大学卒業後、警察学校を卒業後に○○県警に配属、強行犯配属後はその検挙率の高さと正確さで注目されるも、  
犯罪者に対する容赦の無さから『人食い』と恐れられる。現在は警視庁○○署刑事課超常現象特殊強行犯係に配属。  
趣味は飲酒と時計集め。左瞼から顎にかけて特徴的な切り傷あり。性格は無骨かつ無愛想……もがっ!?」  
 
「黙れ」  
 いつまでも喋り続ける口の中に焼肉を突っ込んで、俺の個人情報暴露大会を無理矢理黙らせた。  
あのまま語り続けたらイチモツの大きさまで口にしかねない。  
「むぐむぐ……うえっ、やっぱり焼いた肉は味気無いッスね」  
「どういう味覚しているんだよ……もういい、その話は終わりだ」  
「はぁ……じゃあちょいとお聞きしたいんですが、さっきのプロフィールにも出ていた時計集めの事なんですがね、  
ダンナはGショックって時計をご存知で?」  
 知らないわけがない。ぞんざいに傾くと、G氏は膨らみが皆無な胸元から小さなコイン状の物体を取り出した。  
薄汚くボロボロな錆びた鉄の塊にしか見えない……って、よく見りゃこれ腕時計?しかもGショックか!  
「こいつ何とか治せませんかねぇ」  
 根元からベルトは千切れているわ、全体を鑢にかけたように傷だらけだわ、当然ながら時刻表示すらされていないわ……  
堅牢性が売りのGショックを、どうすればここまで無残な姿にできるんだ?  
「無理に決まっているだろう。いくらなんでも乱暴に扱いすぎだ」  
「いやぁ、自分では結構大事にしていたつもりなんですがねぇ」  
「ウソつけ。そいつは今俺が使っている物と同じモデルだが、今年発売されたばかりなんだぞ」  
 確かに、事故か何かで破損したというより経年劣化したような壊れ方だが、  
どう頑張っても最新モデルを1年以内にここまでボロボロにするには、相当過酷な使い方をしたとしか考えられない。  
「……すいません」  
 心底申し訳なさそうな様子で、G氏はGショックの残骸を懐にしまった。いや、そんなに落ち込まれても俺が困るぞ。  
何だかこっちが苛めているみたいじゃねぇか。俺は他人の所有物の扱い方にまで口を出すような痛いマニアじゃない。  
無論、俺のコレクションを傷つけた奴には地獄を見てもらうがな。  
「……っと」  
 胸ポケットの携帯電話が気味悪く振動したのはその時だった。  
送られたメールのメッセージを確認した俺は、懐から財布を取り出し、G氏の胸元に押し付けた。  
「ひゃあっ! な、何ですか?」  
「悪いが急な呼び出しがあった。これで勝手に食べてくれ」  
「誰からですかい?」  
「コレだよ」  
 どうせ見えないだろうと小指を立てると、G氏は意味有り気な笑みを浮かべて見せた。  
やっぱりこいつ、目が見えてるんじゃないのか?  
「Gさんの方はこれからどうするんだ?」  
「飯を食ったら、その辺の軒下を借りて寝ますかねぇ」  
 流石にそれは気が引けるので、警察署に連絡を入れて仮眠室に泊まれるように手配した。  
っていうか宿くらい決めておけよ。退魔師ってのは本当に浮世離れしてやがる。  
「あー、今更だが1人で大丈夫か? 何なら警察署までのタクシーを手配するが」  
「大丈夫ですよ、目明きと違って夜道はかえって楽なんでね」  
 まぁ、こいつの実力なら暴漢に襲われるような心配もないだろう。  
「んじゃ、俺の分までたっぷり食べてくれ。また明日、署で会おう」  
「ご馳走様です……ああー!?」  
 帰り際にG氏のおかっぱ頭をクシャクシャに撫でてやると、実にいい悲鳴を上げてくれた。今度またやろう。  
「……さて、と」  
 店内とは正反対の凍てつく様な外の寒さにコートの襟を直しながら、俺は繁華街へと足を進めた。  
 
「だ、ダンナー!! この財布、中に千円しか入ってないー!?」  
 
「思ったよりも時間がかかったな」  
「仕方ないわよ、退魔組織の情報はレアなんだから」  
 ボリュームのある尻を振りながらコーヒーを入れるブロンド女を横目に見つつ、  
バスローブ姿の俺はノートパソコンに表示された情報を頭の中に叩き込んでいた。  
 この町の繁華街ならどこにでもありそうなソープランド――その中の泡姫の1人が、国内屈指の凄腕情報屋だと知るのは、  
署の管轄内では俺の他に何人いるのやら。  
「今日は少し元気がなかったわね、流石にもうお歳かしら?」  
「うるせぇ」  
 若干トウは立ってるが、すこぶる美人でナイスバディなこの女とは、  
情報屋としても肌を合わせる仲としても長い付き合いになるが、実はいまだに名前を知らない。  
本人曰く、自分のパーソナルデータが一番高価な情報なんだそうだ。  
いつも一言多いのとナルシスト気味な点が少し気に障るが、  
その仕事の正確さとソープ嬢としてのテクニックは、そうした欠点を補って余りあるのに十分だった。  
「そんな可愛い女の子が気になるなんて、趣味が変わったの?」  
「いいから向こうで飲んでろ」  
 モニターを覗き込む女を邪険に追い払うと、わざと聞こえるように「相変わらず嫌な男ね」とか  
「友達いないでしょ?」だのぶつくさ言い始めたが、あえて無視した。今はそれどころじゃない。  
 闇高野退魔師“G”――奴は何者なのか。  
 悪い奴ではないとは思うが、得体の知れない怪人物であるのも確かだ。  
正体不明の味方というのは、時には正体不明の敵よりも厄介な存在となる。  
だからこそ、わざわざ高い金を払ってパーソナルデータを洗っているのだが……  
「……骨折り損か」  
 だが、数か月分の給料を代価に手に入れた情報も、五十鈴警視から受け取ったものと大して違いはなかった。  
 ――赤い和服の盲人。絶世の美少女――  
 ――闇高野退魔剣法を極めた伝説の剣士。その居合の速さは物理法則をも超越する――  
 ――世界最高位の風使い。『虎落笛』と称される独自の風術を使う――  
 ――闇高野最古参メンバーの1人。外見年齢は6歳前後だが、活動期間から推定される実年齢は最低でも数万歳――  
 しかし唯一、この情報だけが少し気になった。  
 ――闇高野退魔師はそのメンバーの大半が人外の存在だと噂されている。  
特にトップの実績を持つ2人の退魔師は『邪神』と称される超高位存在の化身であって、“M”と呼ばれる個体は『食屍鬼(グール)』、  
“G”と呼ばれる個体は『盲目のもの』と呼ばれる『邪神』の一種族であるとの未確認情報がある(ただし“M”は引退後、現在行方不明)。  
また、闇高野の頂点に位置する“大神王(おおかみおう)”の異名を持つ大僧正も『邪神』の化身であると言われているが、  
詳細は一切不明――  
 『盲目のもの』?  
 『邪神』?  
 何の事やらさっぱりわからんが、どうやらこの辺りにG氏の正体を探る手がかりがある――  
古臭い言い回しだが、刑事のカンがそう告げていた。  
「なぁ、この部分の情報をもう少し詳しく調べてくれな――」  
 
 ぴちゃん  
 
 キーボードの上に落ちた真紅の液体に、俺の声は硬直した。  
雨だれのように断続的に落ちる赤い雫の正体は、今さら確認するまでもない。  
 ゆっくりと顔を上げ、天井を見上げた――そこには、  
「――ッッッ!?」  
 車に轢かれたカエルのようにグシャグシャに潰れた、情報屋の無残な死体が貼り付いていた。  
 
 ぐしゃん  
 
 まるで俺が見上げるタイミングを計ったかのように、情報屋の死骸が落下する。  
慌ててその場から転がり離れる俺を、そこだけは綺麗なままの顔が恨めしそうに睨んだ。  
 な、何が起こった!?  
 いつの間に――どうやって!?  
 とにかく何かやばい事が起こっているのは間違いない。  
まずはフロントに連絡しようと、廊下へのドアを開けた――が、  
「こ、こいつは――!?」  
 そこで俺が見たのは、廊下中に散らばるソープ嬢や客と思われる死骸の山だった。  
 くそっ!!  
 何が一体どうなってやがる!?  
『そう慌てないでくれたまえ』  
 唐突な背後からの声――素早く拳銃をかまえながら振り向く。  
 そこには、情報屋の生首を、優しく、静かに、愛しそうに撫でる、全裸の中年男性の姿があった。  
『おはよう、ハリー・エンゼル君』  
 
 
続く  
 

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