今より二十年も前は、平成バブルの直前という事もあって、何だか賑やかな時代だっ  
た。特にその頃に少年時代を過ごした人は、忙しく働くお父さんとお母さんを見てきた  
はずである。  
 
くるぶし小学校に通う喜多嶋昇もその一人で、共働きの両親と姉の由紀、そして可愛  
がっている犬のポチと穏やかな生活を送っていた。昇は負けん気は強いが心は優し  
く、クラスの友達などともボチボチうまくやっていけるお調子者で、先生受けもまあま  
あといった感じ。将来の夢はファミコン名人。この事は小学校の卒業文集にも記すの  
だが、大人になってから物凄く後悔する事になる。が、それはさておく。  
 
「昇くん」  
名を呼ばれて昇が振り向くと、そこには近所に住む印南香織が息を切らして立ってい  
た。おそらく昇の姿を見つけ、駆けて来たのだろう。頬がふっくらと紅づいている。  
「おお、印南か。お前も今、帰りか」  
「うん。ねえ、昇くん。あたし、ドラクエU買って貰っちゃった。今からやりに来ない?」  
「ええ、すげえな!いくよ、いく!」  
ドラクエUと聞いて昇は色めきたった。この頃、爆発的に売れていた任天堂ファミリー  
コンピューター用ゲームとして世に出されたドラクエU。品薄でどこの玩具屋でも手に  
入らず、たとえあったとしても他の不人気ゲームとの抱き合わせでしか売ってくれなか  
ったりして、問題化したソフトである。もちろん、昇は持っていない。  
 
初冬の公園通りを赤と黒のランドセルが仲良く並んで揺れている。ここを抜ければ香織の  
家はもう目の前だ。昇の家はその裏側にあり、塀越しにランドセルを庭に放り込んでおけ  
ば手間がかからない。どうせ父母は仕事で遅くなるし、姉も部活で六時までは帰らないの  
だから。  
 
「昇くんもファミコン持ってたよね。ソフトは何持ってるの?」  
「・・・カラテカとスペランカー」  
「・・・ごめん。変なこと聞いちゃって」  
「いいんだ。玩具屋のオッサンの言う事を真に受けた俺が悪いのさ」  
当時は子供だましというか、やっぱり大人には狡さがあった。特に駄菓子屋、玩具屋では  
それが顕著で、ガンダムのプラモのパチモンをアメリカ製だとか言って、無垢な子供に売  
りつけたりしたものだった。また子供はそうやって、大人の嘘に耐性をつけていくのである。  
この場合、昇は玩具屋の店主に薦められ、定価で二本の問題作を買わされたという話だ。  
お年玉を削って買ったので、本当に悔しかった。  
 
香織の家に着くと、綺麗な女性が昇を迎え出てくれた。香織の母、香奈枝である。  
「あら、昇くんじゃないの。さあ、上がってちょうだい。後で部屋にお菓子を持っていくわね」  
そんな事を言われると、昇はにこにこと微笑んで頷いた。香奈枝は近所でも美しいと評判  
で、美味しいお菓子を手作りしてくれる優しいお母さん。今の所、昇が一番、お嫁さんにし  
たい女性のナンバーワンの座にいるお方である。  
 
昇がのぼせたように母親を見つめるので、香織は何だか面白く無い。なので、すぐ隣に  
ある昇の腕を力任せに抓ってやった。  
「いてて!」  
「デレデレすんな。ほら、私の部屋に行くよ」  
香織は香奈枝に少しだけライバル心を燃やしながら、昇を自室に招いた。せっかく一緒に  
いるのによそ見しないで。心の中でそう呟きつつ。  
 
香織の部屋にはテレビがあって、いつでも自由に見る事が出来た。この頃からテレビは  
一人、一台になりつつあり、家庭から団欒を奪っていったように思う。特に香織は一人っ子  
で親が甘やかし放題だったために、CDコンポやビデオデッキまで揃っていた。もちろん、  
ファミリーコンピューターも繋いである。そしてそこには眩い青色のカセットが挿し込んであ  
った。  
「おお、すっげえ!ドラクエUだ!」  
「へん、どう?凄いでしょう。パパが買ってきてくれたの」  
香織の父親は隣町の百貨店に勤めていて、手に入りにくいゲームソフトなんかを娘のた  
めに裏技を使い持って帰るという。要するに店頭に並ぶ前に売り場へ行き、買うのである。  
当時はそれくらいしないと、ドラクエUは買えなかった。  
 
「おお、カッコいいタイトルだな。さすがドラクエ」  
電源を入れた瞬間に鳴り響くサウンドに昇は痺れた。タイトルロゴも恐ろしく格好良い。  
「昇くん、やってていいよ。私、着替えるから」  
「そうか。悪いな」  
もはやドラクエに釘付けの昇は、部屋の隅で衣擦れの音をさせる香織には気も留めない。  
 
(鈍いというか、なんというか・・・)  
スモッグとセーター、そして襞スカートを脱ぎ、スリップ姿になった香織は、ファミコンの  
コントローラーを握りつぶさんばかりの勢いで手にしている昇の姿を見てため息をつく。  
スリップの下は下着が透けていて、Aカップながらブラジャーだってしてるのに、昇はこ  
ちらをまるで気にする気配が無い。  
 
(少しくらい気にならないのかなあ・・・)  
実をいうと香織は、最近とみに色気づいていた。母には及ばないが、胸だってちゃんと  
大きくなっているし、顔だってまずまず可愛いと言われている。昇には話してはいないが、  
他の異性からラブレターを貰った事もあるのだ。しかし、お付き合いはきちんと断った。  
その理由は、目の前でドラクエに夢中になっている男である。  
 
「昇くん」  
「どうした、印南」  
声をかけたが、昇は生返事をするだけで振り向こうともしない。その上、名字で自分を呼  
ぶ事が腹立たしい。私はちゃんとファーストネームで呼んでいるのに。香織はスリップも  
脱ぎ、女児用ブラとショーツ、後は靴下だけという格好で昇の傍らに寄り添った。こうな  
ったら強行作戦である。  
「ドラクエUは船で世界を回れるんだよ。スライム倒してレベルを上げたら、港に行こうね」  
言いながら、香織は胸を昇の背に押し付けた。無邪気を装い、昇をその気にさせるつもり  
だった。  
 
「ちょっと・・・重いよ、お前」  
圧し掛かられるような格好となり、昇は鬱陶しがった。しかし香織は、  
「だってこうしないと、画面がよく見えないんだもん」  
と言って、昇の胸に手を回すのである。おまけに半裸。ちょっと、お子様にしては行き過  
ぎな感がある。  
 
「アレ?お前、どうして裸なんだ?寒くないのか?」  
さすがの朴念仁も香織の様子がおかしい事に気がついた。だが、コントローラーからは  
手が離れない。今はちょうど戦闘の最中で、べギラマを喰らった所だ。  
「裸じゃないよ。ブラとパンツ穿いてるもん」  
べえ、と香織は舌を出した。やや小悪魔的なリアクションである。  
 
「印南、ブラジャーなんか着けてるのか?」  
「うん。クラスで一番早かったんだよ。ねえ・・・私のおっぱい、見たくない?」  
香織はちょっと流し目をくれるようにして呟いた。このセリフは、深夜にやっている大人向  
けの番組を見て、覚えたものである。自室にテレビがある強みだったが、しかし──  
「ううん、いつも姉ちゃんの見てるからいいや。それより、こいつどうやって倒せばいいん  
だ?教えてくれよ」  
昇はやはり、ドラクエの虜になっていた。がくり、とうなだれる香織。ここまでやっているの  
に。そう思うと、やけに無力感ばかりが募る。  
 
結局、昇は二時間あまりドラクエをやり倒してから、帰る事となった。裏庭に放り込まれ  
ていた弟のランドセルを発見した姉の由紀が、帰って来いと怒鳴ったからである。これが  
なければ、昇は何時間でもドラクエをやっていたに違いない。  
 
「じゃあ、俺、帰るわ」  
「うん。また、明日ね」  
名残惜しいが仕方が無い。しかし、ただで帰す訳にもいかぬ。昇を玄関まで見送った香  
織は、辺りをちょっと見回した後、チュッ──と、昇の唇にキスをした。  
 
「あっ!」  
「へへ・・・びっくりした?」  
呆気に取られる昇の顔を上目遣いに見て、香織は後ろで手を結びながら微笑んだ。  
「キスの感想はいかが?昇くん」  
お姉さんぶって話しているが、香織だってこれが初めてのキスである。胸はドキドキす  
るし、膝だって震えてる。しかし、こちらから仕掛けた以上、リードは奪っておきたい。子  
供ながら、香織は中々に切れ者だった。  
「なんか、レモンみたいな味がした」  
「リップスティックかな。ほら、クラスで流行ってるでしょ?味のついたやつ」  
香織が指を立てて唇をすっとなぞった。そう言えばクラス内の女子は皆、リップクリームを  
持っている。昇は自分の唇にも指を当て、不確かな異性とのキスの感触を反芻してみた。  
 
「バイバイ」  
香織が手を振ると、昇もつられて手を振り返す。気がつけば昇の目は、柔らかな香織の  
唇にばかり注がれていた。  
 
(キス・・・しちゃったんだよな)  
頬がかーっと熱くなり、胸がときめいている。昇は香織の顔がまともに見られなくなって  
いた。そう言えばさっき、下着姿で抱きついてきたっけ。しまった、もっとよく見ておくんだ  
ったと、心の中で他ならぬ昇の本心がそんな事を言う。  
「なあ、印南」  
「なあに、昇くん」  
何か言うべき事があるはずだ。昇はそう思うのだが、中々、気持ちが言葉にならないで  
いる。そして──  
 
「また、ドラクエやりにきて・・・いいか?」  
やっと出たのがこれである。しかし、香織は何やら察したような面持ちで、  
「いいよ。そのかわり、私の事を印南、じゃなくて、香織って呼んでくれたら・・・ね」  
そう囁いて、恥ずかしそうに家の中へ逃げて行ったのであった。  
 
おしまい  
 

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