彩太が教科書を忘れたって言うから、一緒に教科書を見ることになった。  
「ん」  
「ありがと」  
 席をくっつけて、ちょうど真ん中の溝に教科書を置く。  
 で、授業が始まったんだけど。  
「…………」  
 ちょっと彩太の方を見てみると、彩太はこっちを見ずにちゃんと前を見ていた。  
 あなたの真面目な授業態度はあたしも見習いたい所です。だけど距離が大分近すぎやしませんか。  
 ちょっと動いただけで彩太の体にぶつかっちゃいそうで集中できない。  
 いいや、後で彩太に写させてもらおう。  
 ノートをとる手を休めて、集中できない原因とは反対の方向、窓の方を向いた。  
 窓を隔てた空は青く染み一つなく。その下にはキラキラ光る滑らかな海。  
 水平線から少し目を落とすと、海の反射で黒く光る、教会の十字架が見えた。  
 穏やかな風景に、窓を一枚隔てた向こう側は別世界なんじゃないか、なんて錯覚を起こしそうになる。  
「智世、智世」  
「ん?」  
 そんな感慨にふけってると、小声で名前を呼ばれた。  
 振り向けば集中できない原因がちょっと眉を立ててこっちを見てる。  
「よそみしてちゃ駄目だって智世。先生がこっち見てたよ?」  
「だって集中できないんだもん」  
「そういう事言っちゃ駄目だよ」  
 ちょっと困ったような顔をする彩太。その癖、口許は微かに笑ってる。  
「集中できない原因に言われてもなぁ」  
「え?」  
「なんでもない」  
 先生に目を着けられるのも嫌だったから、減らず口を聞きつつ素直に顔を教科書に戻した。  
 せめて授業に参加してますよってポーズをとるためにノートを取る体勢をとる……んだけど。  
 肘が、彩太の肘とぶつかった。  
 
「彩太」  
「え?」  
「さっきから思ってたんだけど、距離近すぎ」  
 彩太は教科書の真ん中を抑えるようにして肘を突いてる。  
 自身の机どころかあたしの机の方に、ちょっと身を乗り出す感じだ。  
 そんな事しなくたって、教科書は見えるだろうに。  
「でもこうやって抑えてないと……」  
 ちょっと肘を上げる彩太。  
 すると開いてた教科書は、彩太が肘を浮かせた分だけページを閉じようとしてしまう。  
「……ね」  
「……」  
 暗にちゃんと勉強してないでしょ、って言われてる気がした。  
 ……恥ずかしい。  
 体がくっつくとかより他の事を気にした方がいいような気がしてきて、あたしは本当に授業に集中することにした。  
 顔を上げたり身じろぎすると肩や肘がぶつかるけど、気にしない。  
 気にしたりなんかしないってば。  
「智世」  
「……」  
「もうすぐ、文化祭だね」  
「……」  
「文化祭終わったら、クリスマスが来るよね」  
「……一ヶ月も後だけどね」  
「諭笑の聖歌、見に行く?」  
 諭笑はさっき窓から見えた教会がやってる聖歌隊に入ってる。  
 本人は教えてくれないけど、ピアノやってるおばさんに習ってオルガン伴奏をしているって聞いた。  
 今年辺りを最後にして、聖歌隊を抜けるかも、とも。  
「今年で止めるって聞いたし、最後にからかいに行ってもバチあたらないよね」  
「素直に行くって言えばいいのに」  
「行くんじゃなくて、行ってあ・げ・るんだよ」  
 あげる、と言う部分をわざわざ強調。  
 自主的に行くって感じだとなんかしっくり来ない。  
「諭笑の事になると素直じゃないよね、智世は……あ」  
「?」  
 顔を上げる。  
 と、彩太のすぐ横に立ってた先生と目が合って。  
 あたしと彩太はたっぷり絞られたのだった。  
 
 週番だった掃除を終えて教室に戻ると、何故か諭笑と真琴が委員長と一緒に居た。  
 委員長はいつもながら真面目な顔をしてるんだけどそこはかとなく表情が厳しくて、真琴はなんか怒ってる。  
 諭笑はというと、困ったような顔をしていた。  
「どうしたの委員長。二人が何かした? 不純異性交流でもしたとか」  
「不純異性交遊って、一体いつの時代の言葉よ……」  
 真琴は怒りからあたしへの呆れへと、表情を転じる。  
 場を和ますつもりで放った冗談に、真琴は乗ってくれたけど他二人は表情を変える所か一切スルー。  
「水上さん。昨日、高坂君と一緒に帰ったって言うのは本当かい?」  
「? ん。昨日は諭笑と一緒に帰ったよ」  
「証明できる?」  
 うわ、何これ。何だか委員長尋問モード入ってるよ。  
「ちょっと、何でそこまで高坂君の事疑ってるわけ? 二人もアリバイ証明する人が出てるんだからもういいでしょ?!」  
 あたしが面食らってると、真琴は下げていた眉を再び吊り上げて委員長に食って掛かった。  
 だけど委員長は真琴の剣幕なんてどこ吹く風、といった様子。  
 うーん、証明……ねぇ?  
「……あ」  
「何かあった?」  
「うん。諭笑さ、あの時コンビニでルーズリーフとか買ったじゃない?   
 あのレシート。たしかレシートって買った時刻とか書いてあるんでしょ」  
「あー!」  
 あたしの言葉にそう言えば、といった感じで声を上げる諭笑。  
 諭笑は早速お財布をポケットから取り出すと、そこからレシートの束を引き出した。  
 ぺらぺらとそれをめくる事数枚。  
「あった!」  
 諭笑は一枚のレシートを取り出して、委員長に渡した。  
 委員長はしばらくそれを眺めてから、諭笑に戻して。  
「――ごめん」  
 いきなり諭笑に頭を下げた。  
 何が何だか、こっちにはさっぱりなんだけど。  
 
「結局、何だったのよ?」  
 委員長が去った後。あたしは二人に当然ながら疑問をぶつけた。  
「あー。なんか一年の教室で昨日盗難騒ぎがあってさ」  
 今日のHRで先生がそんなこと言ってた気がする。  
「委員長いきなり高坂君をとっ捕まえて『あれは君がやったんじゃないか』なんて言い出したのよ」  
 それはまたいきなりだな委員長。諭笑が困惑するのも無理ないよ。  
「そりゃ大変だったわね、諭笑」  
「おー」  
「名誉毀損よね。録音機持ってたら委員長の発言、全部録音して然る場所に突き出してやったんだけど」  
 真琴はまだ委員長を怒ってるのか、ちょっと語調がキツい。  
 当の本人はさして気にした様子もなく、いつもの様にぼけーっとした表情をしてる。  
 何だかなぁ。かなり失礼な事をされたって感情、あるんだろうか。  
「でもなんで委員長、何でそんなこと言い出したのかな」  
「あー、それは、だな」  
「この前委員長、一年の教室に高坂君が居たのを見たんだってさ」  
 口ごもる諭笑の代わりに真琴が答えてくれる。  
「騒ぎがあったのはF組で、委員長が高坂君見たのはD組らしいんだけど」  
 目ぼしい物を探してたんじゃないか…って事か。  
「諭笑は本当に一年の教室に行ってたの?」  
 あたしの問いに諭笑はしばらくだんまりを通していたが、やがて  
「……あー。何だか秋だしなぁ。ちょっとセンチな気分に浸りたくなるんだよこの頃。  
 夕日がオレを呼んでるぜ、みたいな」  
「あーはいはいそーですか」  
「うわ心底どうでも良さそうな言い方だなぁ。傷つくぞ」  
 うるさい。  
「あはは……じゃ、私そろそろ帰るわ」  
「うん、また明日ね」  
「おー、じゃあな」  
 真琴が出て行って、教室に残ったのはあたしと諭笑だけになる。  
「オレらも行こっか」  
「ん、そうだね」  
 そしてあたし達も教室を出た。  
 
 諭笑の家からは、カレーの匂いがしてた。  
「今日はカレーか。母さんトモが泊まるもんだって思ってたからな」  
 諭笑の事は色々言ってるけど、あたしは昔から色々付き合いのあるおばさんが好きだ。  
 そして頭が上がらないというか、何か頼まれると嫌と言えないというか……  
 とにかく、おばさんの好意を無下にする、という事はあたしにとって最大に良心の呵責を覚えることなんだ。  
 今も、おばさんが泊まっていけば?と提案してそれを断る。という未来を予想しただけで、変に鼓動がうるさくなっている。  
「プレッシャーかけないでよ。今も正直言いだす自信が揺らいできてる所なんだから」  
「オレはトモが前言撤回して泊まってっても一向に構わないぞ?」  
「あたしが構うんだっつの」  
 あー何だか緊張してきた。  
 一端あたしは立ち止まり、深呼吸を繰り返した。  
 すーはー。すーはー。落ち着け、あたし。  
「ただいまー」  
「うわちょっと待って心の準備が……!」  
 慌てるあたしに諭笑は何を今更、という顔をする。  
「なにテンパる必要があるんだよ。母さんと話すだけだって」  
「そりゃそうなんだけどさぁ……」  
 でもまあ、諭笑の言うとおりだろう。ムダに緊張してもしょうがない。  
「――お邪魔します」  
 
 中にお邪魔すると、諭笑の言ったとおりおばさんはカレーを作ってた最中で  
「丁度良かったわ。トモちゃんも食べていきなさいな」  
 あたしはおばさんの厚意に甘えることにした。    
 でも、まあ甘えっ放しってのもアレだし。  
 今あたしはおばさんに頼んで台所に上がらせて貰い、簡単にサラダを作ってた。   
「ありがとねぇトモちゃん。お客様なのに手伝ってもらっちゃって」  
「いえ、夕飯ご馳走になりますから。これ位はしないとですよ」  
 と、言ってもおばさんの用意してくれた野菜や果物を切って、ボウルで混ぜるだけなんだけどね。  
 キュウリを切ってると、不意に後ろから伸びた手が缶詰のみかんを摘み食いしようとした。  
 おばさんは躊躇なくその手をはたく。  
「こーら。トモちゃんが居るのに行儀悪いことすんじゃないの」  
「へーい」  
 どうでも良さそうな声がして、肩と頭の上に重みが生じる。  
 諭笑があたしの頭の上に顎を乗せてるんだ。  
 昔から諭笑はよくあたしの頭の上に自分の顔を乗せて、あたしのしている事を覗き込んでいた。  
 だからこの格好はまあ、いつものことで。  
 多分、真琴があたしと諭笑は付き合ってるんじゃないか、なんて事言い出すのは、普段からこういう事を  
してるからなんじゃないかと思ってたりもするんだけど。まぁいいや、と放置してる。  
 昔はあたしが床に座ってる時じゃないと背が釣り合わなかったのに、今はこうして立ってても余裕で顎を乗せてくるんだから  
本当に、無駄にでっかくなったよなぁ。なんて思う。  
「ゆー君、包丁持ってる人にそういうことしないの。危ないんだから」  
「……そうなのか?」  
 いやあたしに聞かないでよ。注意されたのは諭笑でしょーが。  
「とりあえず、重くて野菜が切り辛いのは確かね」  
「そっか。ごめん」  
 諭笑が離れる。  
 それを見てておばさんはくすくす笑ってた。  
「本当、ゆー君ってトモちゃんには甘えたさんよねー。お母さんにはそういう事しないクセに、トモちゃんにはべったりなんだから」  
「あー? 母さんまさかして欲しいのかよ」  
「お母さんは、カレーをテーブルに出すって愛情表現がいいな」  
「あー」  
 気の抜けた返事をすると、諭笑はお皿にご飯を盛って、カレーをよそい始めた。  
 あたしも野菜と果物を全部切り終えて、仕上げにヨーグルトをかけた。  
 ヨーグルトサラダの出来上がり。  
 
「そう言えばさ。トモはうちに泊まらないってよ」  
 カレーとヨーグルトサラダをテーブルに並べて、三人でいただきますってしてから少し後。  
 不意に諭笑がそう切り出して、あたしはちょっとドキッとした。  
 正直、おばさんから言ってくる気配がないのでいつあたしから切り出そうか、タイミングを計ってたんだけどなかなか言い出せなくて  
どうしようかって思ってたところだから、諭笑から切り出してくれて凄くありがたいのだけど。  
「あら、そうなの?」  
「……はい」  
 おばさんに問われて、あたしは小さくもごもごと答えることしか出来ない。  
「母さんにはあんまピンと来ないかもしんないけど、やっぱ男の家に泊まってくのはばれると色々うるさいからさ  
そーゆー根も葉もない噂が立って、面倒なことになった奴もいるし」  
「嫌な話ねぇ。学校ってそういう目でしか男女間を見られないのかしら」  
「他人のそーゆー話には母さんだってがっついてんだろ……でもまぁ、そういう事だから」  
 はいはい、と頷くおばさんだったけど、その後真面目な顔になってあたしの方を見た。  
「でもトモちゃん、今の世の中って本当に物騒だから。何かある前に絶対に連絡入れてね?」  
「はい」  
 あたしが頷いてそれでこの話はおしまいになり、ごちそうさまでしたをした後、あたしは高坂家を出た。  
 ホントは皿洗いまで手伝うべきだって思ってたんだけど。  
 遅くならないうちに帰りなさいっていうおばさんの言葉に、諭笑に家まで送ってもらうことになったんだ。  
 
 諭笑とあたしの家はそんなに離れてる訳じゃないんだけど、通り道は街灯が少なくてかなり暗い。  
「思ってたんだけど、諭笑ってどんどんおばさんに似てきてない?」  
「あー? そうか?」  
「その語尾延ばしのとことかがね」  
 他愛もない話をしながら、ゆっくりと歩いてく。  
 夜風が吹いて、どこかの庭先に咲いているのか、微かに金木犀の匂いが運ばれてきた。  
「どっかでキンモクセイが咲いてるな」  
「ん、もう秋だもんね」  
「うん」  
「そういえばさ」  
「うん?」  
「さっきはありがとね。諭笑が言ってくれなきゃ、きっとあたしなかなか言い出せなかった」  
「………」  
 諭笑の歩みが止まった。  
 何だろう、って思ってると諭笑はこっちをしげしげと眺めてくる。  
「すっげー。オレトモに感謝されたのか?」  
 顔にあるのは純粋な驚愕の念。  
 そんなに驚くようなことだろうか。  
「トモにゃ怒られたり騙されたり欺かれたりしてるけど感謝されたことってホントないからなー」  
「ふうん、そんなに凄い稀な事態だったって訳ね」  
 前半部分は聞こえなかった事にしておこう。  
「おー、明日は槍が降るかもなー」  
「かもね」  
「小テスト満点とってるかもなー」  
「はいはい」  
「トモがオレに好きって言ってくれるかもなー」  
「はいはい、どう見ても腐れ縁です。本当にありがとうございましたー」  
「トモがオレにちゅーしてくれるかもなー」  
「チョーシにのんなバカ」  
 鞄持ってない方の手で諭笑の頭をはたく。  
「イテー」  
 大げさに頭を抱えて笑う諭笑。  
 ふと、街灯も家の明かりもない暗がりに入る。もう家の前まで来ていたのだった。  
「ホント、変わってないよね諭笑は」  
「あー?」  
 きょとんとこっちを見下ろしてくる諭笑の頭をなでようとしたんだけど、手が届かず髪を撫でる感じになった。  
 あたしに撫でられてる髪の毛はさらさら素直そうだけど、実はすごい頑固なくせっ毛で今もあたしの手に柔らかく反抗してる。  
 動物の毛を撫でているみたいで、結構気持ちがいい。  
「あたし達の後ろついてた頃と、変わってないなあって」  
「――――」  
「いいのか悪いのかって言えば、悪いところばっか言ってるけど、変わらずいい所はあるよ」  
「――でもオレ、背高くなったぞ。あんまり泣かなくもなったし」  
「表層的なこと言ってんじゃないの。あたしが言ってるのは本質の話」  
「――――」  
 諭笑は答えず、その表情も闇に紛れて分からなかった。  
 あたしは諭笑の髪を充分に満喫した後、手を離した。  
「……ん、諭笑ももう帰らないと」  
「おー」  
「じゃあね」  
「あー」  
 肯定とも否定ともつかない、曖昧な返事をした諭笑に軽く手を振って。  
 あたしは誰も居ない我が家に帰宅した。  
 

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