「――行ってきます!」  
 お弁当を詰めた鞄を持って、勢いよく玄関の扉を開く。  
 天気はこの上ないほどの快晴。  
 夏の時よりも高い空は雲ひとつ見当たらないまっさらな青で、日の光が真っ直ぐに降り注いできて眩しかった。  
 昨日は夜のうちに雨が降ったらしく、空気は少し冷えて、アスファルトが濡れている。  
 彩太とは駅前で待ち合わせることにしてる。そして待ち合わせまでまだ余裕があったから、あたしは歩いて駅に向かうことにしていた。  
「いってきまーす」  
 あたしが玄関の扉を閉めるのと、彩太が檜槻宅から出てきたのは殆ど同時のことだった。  
「あ、智世?」  
「彩太」  
  お互いの姿を視界に納めて、二人でその場に立ち尽くしてしまった。  
「ナイスタイミング、だね」  
「うん、そろそろ智世も出る頃かなーって思ってたから」  
 どっちからという事もなく、笑い声が漏れた。  
 隣同士のあたし達。考えてみれば向こうで待ち合わせしなくても、こうして途中から一緒になるのも当然の事だったろう。  
「じゃ、偶然会ったことだし一緒に行こっか!」  
 いつも彩太の方から差し出される手を、今日はあたしの方から差し出した。  
 彩太も軽く頷いてこっちの手を取って。そしてあたし達は一緒に歩き出す。  
「ね、向こうに着いたら最初に何乗ろっか?」  
「ジェットコースター」  
「………」  
 あたしの問いに笑顔で即答する彩太。  
 大人しい顔して絶叫系とかに嬉々として乗る彼は、実はあたし達三人の中で一番度胸がすわってるんじゃないかと思う。  
 でも朝からそれはキツイです正直勘弁してください。  
「時間がたつとジェットコースターとかってどんどん混んでいくよ。待ち時間は短いほうがいいじゃない?」  
 そう言われると返す言葉もありません。  
「今日はいっぱい遊ぼうね」  
「……無理ない程度にね」  
 
 無理ない程度に、って言ったのに彩太は情け容赦なかった。  
 ジェットコースター・お化け屋敷・ゴンドラ・名前は知らないけどくるくる回るアレ  
 次に乗るものに迷うことなく、今はすいている乗り物を適確に選んでいく彩太。  
 お昼になる頃には遊ぶというより、最早挑戦するといった感じになっていた。  
「彩太ごめん。あたし限界きった」  
「え?」  
 高い所から急降下するアレに乗った後、次に行こうとする彩太にあたしはとうとう音をあげた。  
 いやもう本当に勘弁してください。  
「さっきから頭ぐらぐらしてるの。ちょっと、休ませて」  
「う、うん……大丈夫?」  
「ん……」  
 彩太に付き添われつつ、近くのベンチに座る。  
 下を向けば重い頭が地面に吸い込まれそうで、上を見上げれば閉じた目の奥で複雑怪奇な模様が渦巻いてた。  
「智世」  
「ん?」  
「ごめん。つい諭笑の時と同じペースで行っちゃった」  
「ん……諭笑と行ったんだ? 遊園地」  
 何気なくした指摘に、何故か彩太は動揺したようで返事がやや遅れてきた。  
「うん、ちょっとこの前皆でね」  
 皆って、誰なんだか――結構、気になるぞ。  
「集団デート?」  
「違うよ」  
 強い調子で否定される。そこまでムキになると逆にちょっと怪しいって。  
「じゃあ男の子だけで行ったの?」  
「うん」  
「デートでもないのに?」  
「――――」  
 彩太が盛大に溜息をつくのが聞こえたが、あたしは目を開かずにいた。  
 多分顔を見てたら追求できなくなる。そう思ったから。  
「――妬いてる?」  
 ……最初、何を言われたのか分からなかった。  
「な……っ!」  
 次に、理解して顔が沸騰するかと思うくらい熱くなった。  
閉じてた目を開けて彩太を見て。否定の言葉を放とうとして。  
「……うん」  
 結局、頷いてしまった。  
「や、妬いてるっていうよりね? ちょっともやもやしてる。諭笑と二人で他の子と遊びにいったんだなーって」  
 それを嫉妬って言うんだけど。そう言い訳せずにはいられなかった。  
 彩太に、心の狭い奴だなって思われたくなかったから。  
「誰と遊びに行く、なんて彩太の自由だもんね? あたしってば、彼女じゃあるまいし――」  
 ただの幼馴染なのに、と続けることはできなかった。  
 『ただの幼馴染』なんて思ってたら最初からこんな事、気にしてるもんか。  
 あたしはそれ以上何を言うこともできず、彩太は何も言わず、しばし味の悪い沈黙がおちた。  
「――智世」  
「……ん」  
「僕は諭笑と遊園地に行ったよ。でも智世の言ってる類のことは全くなかった」  
「…………」  
「本当だよ」  
「ん……信じる」  
 ごめんね、と小さく告げると彩太は気にしてないよ、と言ってくれた。  
 これでこの話はおしまい、と大きく彩太は背伸びをして明るい声で告げた。  
「僕、お腹がすいたな。お昼にしようよ」  
 
 昼御飯は遊園地に隣接してる公園で食べることにした。  
 場所取りは彩太にしてもらって、あたしはロッカーに預けていた鞄を取りに行っていた。  
「智世、こっち」  
 彩太の声がする方に行くと、少し道から外れた芝生の上に彩太がいた。  
 彼が敷いてくれていたマットの上に腰を下ろして鞄の中身を広げる。  
 重箱とか大き目のお弁当箱があれば良かったんだけど、生憎家の台所を発掘してもそういうものは見つからなかった。  
 おかずとお握りを詰めた幾つかのタッパーを取り出すのを見て、彩太はほっとした表情を見せる。  
「不安を裏切って美味しそうだね。良かった」  
「だからあたしも普通に作れるってば。木炭とかでも持ってくるとでも思ってたの?」  
「いや、やっぱりタガメとかコオロギとか」  
「あぁもう。それまだ引っ張りますかーっ?!」  
「だってさぁ、忘れようとして忘れられるものじゃないよね。カキコオロギ」  
 小学校のときのことだ。  
 夏休みの自由研究のテーマに困っていたあたしは、そのときテレビでやっていた特集をそっくりそのまま写す事にした。  
 テレビでやっていた特集は「人口増加に伴う食糧危機とその対策」。  
 それをビデオで録画して、何度も内容を見直しながら文章にまとめていった。  
 だがテレビの内容をまるまる写す、というのに後ろめたさを覚えたあたしは自分なりに考えたコンテンツをそれに付加したのだ。  
 『わたしの考えた未来のごはん』お婆ちゃんから聞いた、食料が少なかった時に行った工夫や食べた物をヒントにして描かれたそれは  
悪い意味で評判になった。  
 最初は芋粥など昔ながらのもので始まり、サツマイモのお握り・水団のお汁粉などそういう形にしなくても良いんじゃ? 的なものから  
イナゴのふりかけなどオーソドックスに気持ち悪いものをリストに載せたそれの中で、最も悪評が高かったのが彩太の言うカキコオロギだ。  
曰く、「夢に出てきた」「もうカキ氷の小豆がコオロギの頭に見えてしょうがない」とやたらに評判になった。  
 ちなみに全部絵ではなく、写真入り。つまり、あたしはそれらを全部料理して見せたという事なのだった。  
 そして料理をしたからには食べたのだろう。お婆ちゃんは食べ残しを許さない人だったから。  
 しかしあたしにはそのときの記憶があまりない。サツマイモお握りあたりはちゃんと覚えているのだが、カキコオロギを食べた記憶はないのだ。  
 だけど、その記憶の糸口は思わぬ方向からもたらされた。  
「僕、食べさせられかけたんだよ? カキコオロギ」  
「え、えぇっ??」   
 凄くびっくりしてあたしは素っ頓狂な声をあげてしまっていた。  
 ちょっと待って。思い出せる限りの記憶を再生してみてもあたしの中にはそんな記憶はない。  
「知らなかった?」  
 彩太の問いかけに素直に頷く。  
「じゃあ覚えてないかもしれないけどね、もともとカキコオロギの写真を撮ったのは諭笑だったんだ」  
 そうだったろうか……  
「智世は虫が苦手だったよね」  
「今でもね」  
「うん。それで智世がこっちに戻ってきた時どうしてもこれだけは撮れなかったってカキコオロギの事見せたんだ」  
 ……やっぱりあたしが考えたのか、アレ。  
 話的にあたしじゃなくて諭笑が考えてたんじゃないかなー、って事を期待したんだけど。  
「それで智世が諭笑にお願いしたんだよ。カキコオロギ作って撮って! って。滅多にない智世のお願いだからね、諭笑頑張ってた」  
 
 ……そう言われると、何となく思い出してきた。  
 そうそう。あたし諭笑に「お願い」って言ったんだよね。  
「それで諭笑がカキコオロギ作って写真に撮ったまでは良かったんだけど……」  
 あたしは諭笑に写真を受け取っただけで調理現場には居合わせていない。  
 だからそれは初めて知る事だった。  
「勿体無いから食べてみろって諭笑が僕に言い出したんだ」  
「うえぇっ」  
 その場面を想像してしまい、思わず顔をしかめてしまう。  
 自分で食べるとは言わないのね、諭笑……当たり前だけど。  
「僕だって嫌だって言ったんだよ。そしたら諭笑さぁ、トモの手料理でこういうのが出たら食べれるのか? とか言い出して」  
「出さないよ。っていうか凄い言いがかりよねそれ……」  
「隠蔽工作に必死だったんだよ。今にしてみれば何も言わずに埋めるっていう選択肢がないのが笑えるけどね」  
 そう言って彩太はちょっと肩をすくめて見せた。  
「それで、結局どうしたの?」  
「食べる食べないで押し問答してるときに高坂のおばさんが帰ってきて怒られた」  
 つまりうやむやになったって事だった。  
「彩太よくそんな昔の事覚えてるね」  
「そりゃこんな刺激の強い記憶、忘れるわけないよ……昔はよく三人で遊んだよね。この公園にも来た事あるけど、覚えてる?」  
 言われて、周囲を見回してみると確かにそこには見覚えがあった。  
 あの時は遊園地は建っていなかったけど、向こうに見える林と東屋はあの時にもあったものだと分かる。  
「幼稚園の時……だったっけ? 夏に皆で来たよね。かくれんぼとかして」   
「智世がなかなかのってくれなかったんだよね」  
 そうだった。昔のあたしは諭笑や彩太となかなか遊ぼうとしなかったんだっけ。  
 二人ともチャンバラとか荒っぽいのをやってて、女の子の遊びに応じてくれなくて楽しくなかったって言うのもあったけど、  
男の子と遊んでるっていうのが他の子に見つかると思うと恥ずかしかったんだよね。いつの間にか気にしなくなってるけど。  
 ……ませてたんだな、あたし。  
「あの時は諭笑がさんざん智世に駄々こねて、智世の方が折れたんだよね」  
「あの時以外も大抵はそうだったと思うよ」  
「うん。いつも諭笑が智世を引っ張ってきてた」  
 ふと、何故か彩太が苦笑した。  
 ? と首を傾げて見せると彩太は苦笑の原因を話してくれる。  
「いや、二人で遊びに来てるのに結局諭笑のことを話題にしてるから、やっぱり三人で来れば良かったかなぁって」  
 高校に入ってからあたし達は三人一緒で行動する機会がぐんと減った。  
 あたし達――特に諭笑――の行動範囲がまるで違うのだから、当然のことなのだけど。  
 確かに遊びに行くんだったら何とかして諭笑も誘ったほうが楽しかったとは思う。  
 でも……  
「あたしは、二人で来て嬉しいって思ってるよ?」  
「……え?」  
 不思議そうに聞き返してくる彩太に曖昧に笑ってみせてはぐらかす。  
 こういうのは言わないでも男の子の方に察してリードして貰いたい。っていうのは我侭なんだろうか。  
「御飯――さっさと食べちゃおうよ。午後も遊園地、まわるんでしょ?」  
 
 お昼を食べて胃に物が入ってるからか。午後はゆっくりと遊園地を見てまわった。  
 あまり激しいものにも乗らず、乗ったのは観覧車だけ。  
 あとは主にお土産とか、お菓子とか。  
 多分、目を回してたあたしに彩太が気を使ってくれたんだと思う。  
 気が付けばもう空は茜色で  
 彩太の提案で、あたし達は昔遊んだ公園から回り道をして帰ることにした。  
「そういえばさ、文化祭うちのクラスは占いの館するらしいよ」  
「ふぅん。それなら女子中心でやってくれるだろうから適当にさぼってようかな」  
「大道具設営とか期待されてるからね男子」  
「……そういう面倒くさい所だけこっちに持ってくるのはずるいよなあ」  
「当日はフリーだからいいじゃない。こっちはお祭りであるけるかどうかも怪しいっぽいもの」  
「何かリクエストあったら買っといてあげるよ。他のクラスは何するの?」  
「えっとね、A組とF組が劇でE組がパビリオン製作。C組が縁日でBが映画だったかな?」  
「映画?」  
「『三段腹タイタニック』だって」  
 そんな他愛もないことを話しながら、暗くなる道を手を繋いで歩いていく。  
 少し先を歩く彩太の顔はこっちには見えなかったけど、どんな表情をしているのか想像できた。  
「――あとね、今年もやるみたいだよ? フォークダンス」  
 少し、緊張した。まだ彩太はこちらの反応に気が付いていないみたいだ。  
「そうなんだ? 派手だよねアレ。篝火たいたりするし」  
「うん、あれね。毎年周囲の人から危なくないかって苦情があるらしいけど、やめたくないって声が多いんだってよ」  
 ここまではあたしの予想したとおりの会話の流れだった。次に彼の言う言葉も予想している。  
 ――へえ、どうしてだろうね。  
「ふうん。どうしてだろうね」  
 気づかれない程度に深呼吸を一回。落ち着いて、何気なく言おう。  
 でも発した声はやっぱりちょっとうわずってしまっていた。  
「あ、あのね? フォークダンスに誘うって、暗黙の了解で相手に告白って事になるんだって」  
 知らず知らずのうち、繋いでいた手に力がこもり汗がじんわり染み出ていた。彩太はこっちを振り向かない。  
「……それでね、あ、相手が誘いに乗ってくれたら告白OKって事なんだってさっ」  
 勤めて軽く言うのが精一杯だった。  
 彩太を見ることが出来なくて、下を向いて歩く。もう彩太がどんな顔をしているのか分からない。  
 さっきまでの会話が嘘みたいに黙って、二人で歩いていく。  
 ……ふと、嫌な思いが胸の奥を横切った。  
 それは、二人とも言わないだけでお互いにあると思ってた。  
 でも、もしかしたらそれはあたしの錯覚で、ずうっと独り相撲をしてたんじゃないだろうか?  
 そんなの嫌だ。認めたくない。  
 そう思ってても、ふと沸いたその考えは雨雲のようにもくもくと育っていく。   
 公園の真ん中に来たあたりでもうあたしの気持ちはずぶ濡れで、うっかりすると涙がこぼれそうだった。  
 彩太はこっちをふりむかない。  
 ただ、今まで黙々と動かしていた足を止めた。  
 
「……あのさ、智世」  
 こっちを向かないで言葉を発する彩太。  
「今日、楽しかったかな?」  
 いきなりの問いにあたしは考えるまもなく感じてたことを口にした。  
「――ん。とても」  
 沈黙。   
 長いことそうやってあたし達はそこに根が生えたみたいに身じろぎもせず立っていた。  
 本当は心の中で迷っていたんだ。何か言いたいのに、何を言えばいいのか分からなくて。  
「――あのね、智世」  
 沈黙を破ったのは彩太の方だった。  
「き、今日は僕。智世と遊びにきた、つもりじゃなかったから」  
 言われた意味が一瞬分からなかった。  
 ゆっくり時間をかけて脳が彩太の言葉を理解する。  
「彩太、それって」「智世とは! 今日は、その……デート……のつもりだったから」  
 どういう意味、と聞きかけたあたしの言葉をひったくって告げられた言葉は、またしてもあたしの頭を一瞬停止させた。  
 最後のほうはぼそぼそと呟くようだったけれど、あたしには確かに聞こえていた。  
「……あたしも」  
「うん?」  
「あたしも、彩太と同じつもりだったよ」  
 あたしがそう言うと、ぎゅっと握った手に力が篭められ彩太がこちらを振り返った。  
「そっか」  
 どことなく、気が抜けたような彩太の顔と声。  
「同じ気持ちだったんだ」  
「ん」  
 あ、まずい。  
 泣きそう、と思ったときにはもう涙が落ちていた。  
「泣かないでよ」  
「だ、だって」  
「うん」  
「だってさあ……」  
 握った手を引かれて、あたしは抵抗せずに彩太の腕の中に納まった。  
 肩に別の方の手が回されて、ぎゅっと抱き締められる。  
「言わないといけないって思ってて。ひょっとしたら同じじゃないんじゃないかなって思ってたから」  
「同じだったね」  
「ん……良かった」  
 空いてるほうの手を彩太の背中にまわしてぎゅっとする。  
 彩太の肩に頭を乗せて耳をすませると、首筋からトクトクという鼓動が聞こえてた。  
 大好き。  
 声に出さず、予行練習で何回か口にする。  
「智世」  
 名前を呼ばれて彩太を見上げると、彩太も至近距離からこっちを見ていた。  
 目を閉じて、互いの唇に唇で触れる。  
 初めてのキスはレモンとかの味はぜんぜんしないで、ただ、彩太の暖かさを唇で感じた。  
 暗い視界の中、すこし。唇から湿った暖かさが離れる。  
 目を開けると、びっくりするほど近くに彩太の顔があった。  
「いう事言う前に、先行でする事しちゃったね」  
 軽口のつもりだったんだろうけど、言われた側は照れくさくて仕方がない。  
「いざとなるとなかなか言えないもんだよね、お互いに」  
 顔を見ないように彩太の肩口に頭をくっつけてそう言うと、くつくつと体の奥で空気が震えて彩太が笑うのが分かった。  
「じゃあ、こうしようよ」  
「?」  
 あたしが顔を上げると、一拍おいて、ちょっと緊張して真面目な顔になった彩太はこう言った。  
「文化祭。フォークダンスの相手、予約していいかな?」  
 問いかけに対する答えは一つ。あたしは涙を拭って、明るく答えた。  
「勿論だよ!」  
 

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