「トモー」  
 昼休み。 真琴は先生に呼ばれてて一人で御飯を食べてると、突然背中から諭笑が抱きついてきた。  
 不意打ちできた重みと衝撃にびっくりして、飲み込んでいたものが逆流しむせた。  
「だ、大丈夫かよ?」  
「だ、誰のせいよ!」  
 苦しむことしばし、涙を堪えて諭笑の方を振り向くと  
「お、トモもうちょっと右寄ってみ」  
「え……こう?」  
「そうそう。そうすると潤んだ目尻が艶っぽいのと柔らかいのがくぁっ」  
 全然悪いと思っていないみたいなので取り合えず肘鉄。  
「つか、いつもアンタが前に回してる手はあたしの胸にしっかり当たってるんだけど。あれはノーカンかい」  
「あー、そうだったか?」  
「今も当たってるでしょうが」  
 言われて諭笑は気が付いたらしい。  
「おーそう言えば」  
 そう言って手を離すかと思いきや。  
  むにっと  
 腕をあたしの胸に沈めてきた。  
 ふにふにと数回、柔らかさを確かめるように上下する腕。   
 ――胸、触られてる?  
 怒りとか羞恥よりも先に、困惑と疑問が頭の中に湧いた。  
「――ええっとさ」  
 振り返るとかなり近くに諭笑の顔があって。  
 すごい近くから目を覗き込まれて、正直どきっとした。  
「んー?」  
 あたしのどきどきはどこ吹く風、といった様子でマイペースに首を傾げる諭笑。  
 やっぱりこれはあたしの思い過ごしで、彼にとってはいつもの延長上に過ぎないんじゃないかと思えてくる。  
「あたし今諭笑にセクハラされてない?」  
「されてないぞ」  
 そうですか。やっぱりあたしの被害妄想ですか。  
「痴漢はされてると思うけだはぁっ」  
「自覚があるんだったらやめんかいっ!」  
 目の前にあった顔を肩に乗せて、二本の腕で迷う事なく締め上げた。  
「ちょ、ちょっと待てトモ! これ息できね……!」  
「うるさい痴漢は問答無用で情け無用で可及的速やかに社会的に死ね」  
「社会的じゃなくて肉体的に死ぬ死ぬ死ぬ!」  
「何やってんの二人とも」  
 正真正銘呆れかえったという感じの声に振り向けば、真琴が声そのまんまの表情をして立っていた。  
 真琴の後ろのほうにいる丸山さんも呆れた、というより正直ひいてますねごめんなさい。  
「痴漢に私刑」  
「智世ー、今は普通人のマルちゃんもいるんだから言葉に気をつけなさいー?」  
 うわ、あたし一般人枠にいれてもらえてないんだ。  
 ……まあそうだろうけど。丸山さんのひきまくってる様子からしても。  
「う、んとね。諭笑があたしにセクハラしたから怒ってた」  
「ええっ?!」  
 結構大きく驚く丸山さんとヒュウっと口笛を吹く真琴。  
 ええと。この場合はどっちの反応が普通なんだろう? 絶対真琴のは普通とは違う気がする。  
「セクハラだってよ高坂君。これは一歩前進かなあ?」  
 犯罪者への? と突っ込みをいれそうになったけど丸山さんがいる手前、そうそう迂闊な事は言えなかった。  
 けど一歩前進って、何が?  
 答えを求めて諭笑の方を振り返ると諭笑は見たことのない表情を浮かべていた。  
 照れて嬉しそうな、少し後ろめたそうな。まるでカンニングして百点とったのを褒められたような感じの淡く苦い笑み。  
 けどその表情は、あたしが振り返ってからほんの刹那で消えてしまった。  
 後に残ってるのは、いつものお気楽そうにほにゃっと緩んだ顔。  
 ……何なんだか。  
 
 少し釈然としないものを感じながら締め上げていた腕をほどいて諭笑の腕を弄ぶ。  
 あたしにされるがままになってた諭笑の腕だったが、不意にひょいと右手だけあたしの支配下から逃げ出して、机にあった紅茶のペット  
ボトルを手に取った。勿論それはあたしので諭笑のじゃない。  
「あ、ちょっ」  
 とと言い終わる前に視界の隅でペットボトルが豪快に斜めになって、中身の水位が目に見えて下がっていった。  
「人のを飲むなっ!」  
「いいじゃんか、紅茶くらい」   
「よーくーなーいいぃぃっ」  
 奪い返そうとがばっと伸ばした手をひょいっとかわされる。  
 そうでなくても諭笑の方が腕は長くてあたしには不利なのがむかつくのに、こういう時の諭笑の動きはやたら機敏でさらにむかつく。  
 がばっ、ひょい。がばっ、ひょい。  
 ああもう、埒が明かない。  
 業を煮やしたあたしは諭笑の紅茶を持つ手を左手で押さえつけ、右手でなお抵抗する諭笑の手首から遂に紅茶を奪還したのだった。  
「片手に両手はずるいぞトモー」  
「うるさいバカ。食べ物と飲み物の恨みは凄いんだからね」  
 また獲られたら嫌だからあたしは急いで奪還した紅茶を一気飲み。  
 もともと半分飲んであったそれは5口半くらいで空になる。  
「あ、間接キス……」  
「んうっ?!」   
 な、なんだそりゃ?!  
「うお、トモまたかよ。大丈夫かー?」  
 諭笑に背中をさすってもらってなんとか息を吹き返す。  
 真琴の戯言だったらここまでダメージはなかったと思う。  
 人間不意打ちには弱いということなんだな……なんてイマイチ自身でも訳の分からないことを思いながらあたしにクリティカルを食らわ  
せた主を見た。  
「えと、大丈夫ですか? 水上さん」  
「う、うん……」  
「久しぶりに智世がうろたえてる所見たわぁ。やっぱアレね。何気ない一撃が一番くるのよねー」  
 真琴はにやにやしてる。  
「私だと二人のいちゃつきに介入できないしー」  
「何、それ」  
 これ以上変なことを言わないでよ。と言外にこめた不機嫌な声を返すと、真琴はにやにやしつつ肩をすくめて、席に戻ってった。  
 いつもはこの倍以上囃し立ててくる真琴だけど、今日はここらで終わりにしてくれるらしい。  
 ほっとしつつも、なんかもやもやした気持ちでいると、丸山さんがおずおずとした感じで口を開いた。  
「えっと、高坂君今日の事聞いてる?」  
「ああ放課後のか? 佐川に聞いた」  
 何のことかは分からないが、文化祭の集まりだろうか。  
 特に今日は何もなかった筈だから、急な集まりなんだろう。大変なんだなあ。  
 丸山さんは諭笑と、あたしの頭越しに二言三言会話すると「それじゃあ」って言ってグループに戻っていった。  
「……っつー訳で悪いトモ。今日は一緒に帰れないから」  
「ふうん、ご苦労さんね」  
「おー」  
 予鈴が鳴って諭笑が席に戻っていく。  
 しかし、最初に諭笑は何の用事でこっち来たんだろう。  
 まさかとは思うけど……今日は一緒に帰れないって言う為?  
「まさか」  
 ふと湧いた思いを口で否定する。  
 だってあたしと諭笑はよく一緒に帰ってるけど、それはたまたまが重なってるだけだ。  
 約束して帰ってるわけじゃないんだから『一緒に帰れない』なんて断りを入れる必要だってない。  
 たまたま家の方向が同じで、たまたま諭笑が幼馴染の弟分で気安い仲だから。  
 本当にそれだけだ。  
 それ以上の理由なんて、あるわけがなかった。  
 用事があったんじゃないかなんて、あたしの思い過ごし。  
 アイツはただなんとなくであたしにふざけて抱きついてきたんだ。  
 ホント、犬みたいな奴だ。昔から何も変わっちゃないんだから。  
「ね……彩太もそう思うよね?」   
 
 
 何故あたし達はこんなところにいる。  
 歌に合わせて手拍子取りつつ、そんな事があたしの頭の中をぐるぐる巡っていた。  
 時は放課後。場所はカラオケ。   
 天気は雨。さっきまで真琴と一緒に商店街をふらふらして遊んでたんだけど。  
 周囲は佐川君・本庄君・新田さん――諭笑の友達グループの人がいる。  
 まあ正直、諭笑と真琴としかろくに話さないあたしと違って二人はかなり交流が広い。  
 ちょっと用があって真琴を待たせてて戻ってみたら、なんか真琴が佐川君達と話してて。  
 「特にする事もなかったから」と真琴の提案で、佐川君達に混じってカラオケに行くことになったんだけど……   
 繰り返そう。   
 何故あたし達は、こんな所にいる。  
 あたしと隣の人の座っているところは微妙に隙間が空いている。  
 真琴は誰かと話してるし……お豆扱いですか、あたし達は。  
 彩太が苦笑してるのが分かる。  
 まあ、しょうがないかな。と思いながらぼーっとしてると、目の前にドサッと予約本とリモコンが置かれた。  
「水上さん、歌わないんですか?」  
「ん……さっきから予約してるんだけどね。でもしたそばから何予約したのか忘れちゃって」  
『鶏頭じゃないんだから覚えてなさいよ!』  
 歌ってた真琴がマイクで野次を飛ばして、周囲の子が笑った。  
 
 
 新田さんと一緒に歌って一息ついてると、ポケットの携帯が鳴った。  
 取り出してみると、相手は諭笑だった。  
「誰?」  
「ん、諭笑だった……ちょっと行ってくるね」  
「いや、ちょっと待ってくれます? 水上さん」  
 外に出ようとすると佐川君が呼び止めてきた。  
 ? と振り返ると彼はちょいちょいと手招きしてくる。  
 あたしは彼の言うままに近寄って、携帯を手渡した。  
 輝かんばかりの笑みを浮かべながら通信ボタンを押す佐川君。  
「……よう、高坂!」  
 ガチャン ツーツー……  
 いきなり切ったらしい。そんな音が携帯から漏れていた。  
 数秒後。  
 再び着信を告げる携帯に、満面の笑みを浮かべつつ佐川君はこっちにそれを返してくれた。  
「もしもし諭笑?」  
「トモ女に戻ったか。良かったぜ」  
「――何馬鹿言ってるの。今の佐川君だよ」  
「あー? 佐川? 何でトモが佐川と一緒にいるんだ?」  
「ん? ちょっとね」  
「ちょっとって何だよ……」  
 とんとん  
 背中をつつかれ促されて、あたしは佐川君と電話を変わった。  
「つう訳で高坂、俺等水上さんとカラオケいるからな……そう境ビルの所の……そう……悔しければまあ走ってくることだなわははは」  
 ぷつっ  
 高らかに笑いつつ携帯を返してくれた佐川君。  
「凄く楽しそうだけど、何言ってたの?」  
「『今から15分でそっち行くから待ってろ』だそうですよ」  
 あたしの問いに佐川君は諭笑の言葉を答える。今から諭笑がこっちに来るらしい。  
 しかも15分って……かなり走らないと間に合わないと思うんだけど。  
「さーて何分で来ますかね高坂は」  
「ん……18分くらいかなあ」  
 楽しそうな佐川君にそう応えて、テーブルに散らばってたお絞りを一箇所に寄せておく。  
 
 それから息を切らした諭笑が部屋に転がり込んできたのは、きっかり15分後の事だった。  
 
「水上さんって意外と楽しい人ですよね」  
 カラオケを切り上げて、ちょっとお腹がすいたから、時間のある人で何か食べていこうって事になって。  
 あたし達は『いつみ食堂』の暖簾をくぐった。  
 で、注文したあたしがきつねうどんをすすってる時、不意に音羽君がそんなことを言ってきた。  
 音羽君は、つい最近転校してきた人だ。ちなみに席はあたしの隣だったりする。  
「どういう人だと思ってた?」  
「うーん……怒らないで聞いてくれます?」  
「内容によるよ」  
 笑顔で言うと、音羽君は微妙に固まった。……何言おうって、思ってたんだか。  
 まあ予想はついてるけどね。  
「ええと。もっと物静かで……」  
「怖い人だと思ってた?」  
 あたしの言葉にちょっと迷って、音羽君は苦笑しつつ頷いた。  
「ガラ悪い人と喧嘩して、怪我して……長いこと入院してた、って聞いてましたから」  
 なんじゃそりゃ。  
 喧嘩って……噂に尾鰭が付き捲ってるなあ  
「トモー」  
「ん」  
 名前を呼ばれて、あたしは諭笑に七味を渡した。   
 受け取った諭笑は何を言うこともなく唐辛子をうどんにかける。  
 特に何てことない事……の筈なんだけど。  
「何。皆して、そんなじろじろと……」  
「あー?」   
 なんだか生温い視線とか感じるし、佐川君とか曖昧な笑顔を浮かべてる。  
 ……何なんだか。そう思ってると新田さんが手を上げてきた。  
「ねえねえ諭笑クン」  
「あー?」  
「諭笑クンと水上さんって付き合ってどれくらいになるの?」  
「はあっ?」  
 なんだそりゃ?!  
 諭笑への質問だったけど、そのあんまりな内容にあたしは思わず素っ頓狂な声をあげていた。  
「え? でもいつも一緒に帰ったりしてるし、今みたいにあうんで通じちゃったりしてるの見てると、絶対そうだとしか見えないんだけど」   
 新田さんの言葉に頷いたり同意の言葉をあげたりする皆。佐川君まで頷いてた。  
 彩太はじっとあたしを見てる。  
「ねえねえ、本当の所、どうなの?」  
「それは……」「諭笑はただの幼馴染だよ」  
 自分でも思いの外、強い声が出た。  
 あたしの声に、場が一瞬しんとなる。  
 それを破ったのは音羽君だった。  
「幼馴染、って?」  
「……あー、オレとトモな。まあ家が近くて付き合いもあってさ。幼稚園から学校まで一緒でさ……まーそういうこった」  
「腐れ縁かあ。高校まで続くなんて凄いじゃん。でも……」  
 なにか続けようとしてはっとした様に口を噤む新田さん。  
 周知の事実なんだから、そんなに気を使わなくてもいいのに。  
「あたしらの方が一歳年上でしょ? だからあたしらが小学校に上がる時とか『オレも同じがいい』って諭笑が無理言ったもんよ。その十  
年後に同じ学年になってるんだから、まあ現実って時々奇遇よね」  
 笑いながら軽く言うと、あからさまにほっとした顔をされてしまった。  
 気を使われてるんだか使ってるんだか、分からなくなってくるなあ。  
 
 いつみから出てみても、まだ雨は降り続いていた。  
「こうやって雨が降るごとに、寒くなってくんだよなあ」  
「降って止んでって、しばらく天気は不安定らしいよ」  
「なるべく学校行くときと帰る時だけは、降って欲しくないね」  
「後、外で体育ある時ね」   
 そんな事を喋りながら、コンビニでビニール傘を買って皆と別れた。  
 諭笑と二人で、いつもよりちょっと遠い道を帰ってく。  
 皆と別れてから、珍しく諭笑は何も言わなかった。  
 疲れたんだろうか。と思いつつ無言のまま歩いていく。  
 
 丁度横断歩道が赤になって立ち止まった時だった。諭笑が口を開いたのは  
「……珍しいよな」  
「え?」  
 こんな強く迷ったような諭笑の声を、あたしは滅多に聞いたことがなかった。  
 だからあたしも少なからず困惑してしまう。  
「珍しいよなって、今日みたいなの?」  
 諭笑は頷く。  
「だってさ、今までトモはオレが誘ったってついて来なかったじゃないか」  
「ん……」  
 言外に非難があるのを感じながら頷く。  
 2年前。まだ諭笑がここにいない時のあたしだったら、積極的に誘ったり誘われてたりしただろう。  
『だろう』じゃなくて『していた』と言うべきか。実際そんな感じで過ごしてたし。  
 でも、今のあたしは……  
「仕方ないじゃん。あたし1年留年しちゃってるし、そんなのいると場が盛り上がらんでしょ?」  
 今の学年で2年過ごした訳だけど。他の同学年の人とあたしに微妙な齟齬があるのは変わりがない。  
 丸山さんとか佐川君とかが砕けた口調じゃなくて、微妙に丁寧語で話しかけてくるのもそのせいだと思ってる。  
「今日はそんな事なかっただろ?」  
「ん……でも御免。この後でも誘われても行かないと思う」  
「何でだよ。じゃあ今日のはなんだったんだよ」  
「今日は偶然よ偶然……ホントはね。場が盛り上がらないとかじゃなくて、そういう所行った後がちょっと辛いの」  
 齟齬や隙間があっても皆に悪意があるわけじゃない。ちょっと遠慮とかがあるだけだ。  
「今日は、楽しくなかったのか?」  
「そんな事ない。ただ、今になってずしって来てる」  
 本当に、あの時は気にしていなかったんだ。佐川君があたしだけに丁寧語とか、新田さんがあたしじゃなくて諭笑に聞いた事とか。  
 あの時は何ともなかったちょっとした隙間が、過ぎた今になってずしっと来る。  
 我ながら嫌な性分だなあって思うけど、変えられる部分じゃないんだから仕方がない。   
「それは気にしてもしょうがないだろ」  
「……ん、そうなんだけどね」  
「気にしてもしょうがない訳だから悪い部分は全部天気のせいにしちまえ。トモがずしってきてるのは雨のせいだ。そうしとけ」  
「なにそれ」  
 滅茶苦茶な責任転嫁に思わず笑ってしまう。  
 けど諭笑は笑ってなくて、本当にそう思ってるらしかった。  
 信号が青に変わる。  
「雨なんて、さっさとあがればいいのにな」  
 その一言を最後に、あたし達は家まで無言で歩いていった。  
 明日も雨だと、天気予報は言っていた。  
 
 見上げれば狭く区切られた壁の上に草が簾の如くかかっていて、その向こうは網の目を透かすようにしてしか伺えなかった。  
 雨が降っている。草からひっきりなしに垂れてくる水滴と、背中の方に当たる水流が土砂降りの雨をしらせてくる。  
 体が凍ったように冷たくて、そのくせ喉の奥はからからで渇きっぱなし。  
 声が出ない。出そうとするだけの力がない。  
 怖くて不安で泣きたい気持ちがぐるぐるぐるぐる鉛のように重くなっていく。  
 ――ああ、そうか。  
 その時、鮮やかにそれが閃いて。あたしはすとんと納得していた。  
 そうか――  
 
 
 連打とは言わないけど、十分に失礼なレベルで連続してなるチャイムの音に目を覚ました。  
 ……朝っぱらから何なんだ。新手のピンポンダッシュか?  
 そんな風な寝覚めがいい訳がない。多分今のあたしは凄く目つき悪いだろうな。  
 本当にピンポンダッシュだったとしたら、いやそうじゃなかったとしても一発ガツンとしないと気がすまない。  
 ダッシュで部屋から出ていきなり玄関のドアを開けた。  
「うわっ!」  
 勢いよく開けられたドアは至近距離にいた犯人をいい音たてて殴りつけた。  
「朝から近所迷惑なことをするから因果応報よ」  
「近所迷惑以前にさっさと起きろよ!」  
 顔を抑えながら抗議の声をあげた近所迷惑な奴は、諭笑だった。  
「あらお早うこんな早くに起きるなんて珍しいわねでも人の寝覚め最悪にさせたのは悪いわよ覚悟なさい」  
「いいから落ち着けトモ。そして時計を見ろ」  
 言われて突きつけられた諭笑の腕時計は7時45分を指していた。  
「――って完璧遅刻じゃない!!」  
「さっきからそう言ってるだろーが!!」  
 言ってない。  
 そういう突っ込みはさておきあたしは慌てて部屋に戻った。  
 まだあたしは目が覚めたばかりで、着替えもしていなかった。  
 閉めた部屋の扉の向こうで、諭笑の足音がした。  
「勝手に家あがらないで! っていうか遅刻するから先行ってて!」  
「メシ抜く気だろ。トモが身なりやってる間になんか作ってやるから、道すがら食え」  
「だからそれだと諭笑が遅刻するでしょうが」  
「ここまで来たら一蓮托生だろ。いいから黙って早く着替えとけ」  
「……ん、ごめんね」  
「謝るなよ」  
 それから本当に黙って着替えた。  
 カーテンの向こうから漏れる光は弱く、雨の降る音が静けさを助長していた。  
 夢見が悪かったのは雨のせいだろうか。  
 どんな夢だったかはっきり思い出せないけど、凄く嫌な夢だった事だけは分かる。  
 枕に触れると布地が寝汗でしっとりしていた位だから。  
 着替えて鞄を持って、洗面所で顔を洗って髪を纏めて。  
 それから玄関に行くともう諭笑が待っていた。  
「おー、遅かったな」  
「女の子は色々用意があるの」  
「そうか」  
 特に追求することなく諭笑は手に持ってたおにぎりを投げてよこした。  
「ありがと」  
「バスはかなり待つことになるからそこで食っとけ。家出たら速攻走るぞ」  
「ん」  
 傘を持って玄関を出て。  
 鍵を閉めた後あたし達は傘もささずに走り出した。  
 冷たい雨の中にも金木犀は甘く香り、秋が深まっているのをあたしに教えていた。  
 

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