目覚ましの音に目を覚ます。  
 眠気の残る目をこすりながら、カーテンを開けた。  
 軽い音を立てて、薄暗かった部屋に光が入ってきて眩しかった。  
 ほぼ同じタイミングで起きたらしい。すぐ向かいの窓に、よく見知った男の子の姿があった。  
 窓を開けると、肌寒い風が適度に温まっていた体温と空気を奪っていき、少しだけ目が覚めた。  
「おはよう智世」  
「うん……」  
 あくびを噛み殺して頷く。いくら気心が知れてるとはいえ、人前で大口開けるのは女の子としてどうかと思って。  
「後ろの方、寝癖ついてるよ?」  
「ん……」  
 言われて頭に手をやってみると鳥の巣の如き感触が。  
 これは…かなりひどいなぁ。  
「……ちょっと時間かかるかも。彩太、先行ってていいよ?」  
「いい。待ってるから」  
「でも……」  
「そのかわり、可及的速やかに、ね?」  
「うん」  
 頷いて、そのまま開いてた窓を閉めた。  
 閉める間際に、ふわりと朝の風に甘い香りが漂って鼻腔をくすぐった。  
 垣根に植えている、金木犀の香りだ。  
 静かに甘い香りは、夏が本当に終わり、秋が来たのだということをあたしに教えていた。  
 
 いつもと同じ生活。  
 母さんにおはようって言って、ご飯食べて身支度して家を出た。  
「いってきます!」  
 そう言って玄関の扉を勢いよく開けると、何だか鈍く殴打する感触。  
 ……あれ?  
 顔だけ出して扉の裏側を見てみると、顔を抑えてる彩太がいた。  
「えぇと……」  
 ちょっと状況がわからなくて混乱。  
 つまりこれって……?  
「ごめん彩太!」  
 反射的にあたしは彩太に謝っていた。  
 よく分からないけど、あたしが悪いような気がする。  
「ううん、すごい近くでボーっとしてた僕が悪いんだよ。智世をびっくりさせようと思ったんだけど」  
「ある意味びっくりした」  
 いや本当に。  
 あたしの言葉に彩太は軽く笑って。  
「行こっか」  
「うん」  
 差し出された手を握って、歩き出す。  
 走る必要のない、のんびりした時間帯。  
 夏の熱を含まなくなった空気の中、いつもの道を歩いていく。  
「もうすっかり夏が終わったね」  
「うん。朝ね、金木犀の匂いがしたの。気付いた?」  
 ううん、と首を横に振る彩太。  
「もう秋なんだなあ」  
「10月に入ったしね…この前まではこれじゃ暑くてしょうがなかったんだけど」  
 冬服の紺色のセーラーを指差すと、彼も自分の詰襟をつまんでみせて  
「でも僕、正直まだこれだと暑いよ」  
 そう言ってうんざりした顔を見せる。  
「彩太がホックをきっちり上まで止めてるからだよ。1つ2つくらい外しておけばいいのに」  
「でも外してるとなんだかしまらないし……」  
 そんな、他愛もない会話を交わす。  
 
いつもと同じ朝だ。  
 いつもと同じなのだけど…少しだけ、違うことがあった。  
「あのさ、智世」  
「ん……?」  
「今度の日曜日さ、空いてる?」  
 問われて、ちょっと考える。  
 日曜日……は確か……  
「暇だよ。何かあるの?」  
 うん、と頷いて、だけどなかなか彩太は先を言おうとしない。  
「彩太?」  
「実はね、僕、招待券貰っちゃったんだ」  
「ショータイケン?」  
 一瞬何を言われたのか分からず、鸚鵡返しに問うあたしに、彩太は頷いた。  
「うん、遊園地の」  
「ああ……ショー体験ね。遊園地の」  
 そんなの貰ってどうするんだろう。ていうか、ショー体験の何を貰ったんだろう。  
「違う、招待券。つまり、タダ券だよ」  
 首を捻ってると、彩太に訂正された。しかも呆れ声で。  
 ……恥ずかしい。  
「ああ、タダ券ね。良かったじゃない。お土産よろしくね」  
 あたしがそう言うと、何故か彩太はちょっと暗い顔をした。  
 どうしたんだろうか。  
「……智世」  
「うん?」  
「あのね……招待券、貰ったんだけど」  
「うん」  
「2枚、貰ったんだよ」  
「うん……え?」  
 気が付けば、彩太とあたしは歩みを止めていた。  
 すこしだけ鼓動が早かったり、彩太の顔が赤い気がするのは……そういう事なんだろうか。  
「あたし、ひょっとして誘われてた?」  
 呆然と呟くと、彩太は黙ってこっくり頷いた。  
 でも……  
「諭笑は、どうするの?」  
 諭笑はあたしと彩太の幼馴染で、あたし達の弟分みたいな奴だ。  
 あたしと彩太と諭笑は、いつも3人で遊ぶことが多かったから。  
 2人っきりで遊びに行くのは諭笑を除け者にするみたいで、なんだか気が引けた。  
 
「あ、うん。でも……2枚しかないからさ。諭笑には悪いけど、二人で内緒で、ね?」  
「そっか……」  
 アイツ、遊園地とか大好きだから、きっとばれたら地団太踏んで悔しがるだろうな。  
 アヤとトモだけ楽しい思いしてズルイ! って。  
「ん……あたしとしては、お弁当一人前作るの減るから、楽でいいんだけどね」  
 あたしの言葉に、彩太は吃驚したような顔をした。  
「智世、料理できるの?!」   
 うわ、失礼な反応。  
「出来るよ! そんな、漫画じゃあるまいし」  
 砂糖と塩を間違えるとか。そんなことをしない限り、食べられない料理なんて出来ないだろう。  
 時折漫画でそういうのがあるけど、あれは一種の才能でファンタジーだとあたしは思う。  
「……タガメとか、入れないよね?」  
「何年前のことをほじくるのさぁ?!」  
 また、人の触れてほしくない過去を……!  
 幼馴染って言うのはこういう所が厄介だと思う。  
 自分自身が忘れていたいことを、こうして他の人が覚えててこっちに示してくるのだから。  
 むくれるあたしに、彩太は軽く笑った。  
「あはは。いや何となく智世が料理っていうとアレが真っ先に思い浮かんでさ。期待してるね?」  
「ん……期待されるからには、応えないとね」  
 しかし……彩他と二人で、お弁当持って遊園地、か。  
「彩太、これってさぁ……デート、って奴かな?」  
「……!!」   
 耳元でこっそり囁いてやると、見る見る内に彩太の顔が赤くなっていく。  
 あははは、愛い奴よのぅ。  
「ね、どうなのかな?」  
「っ知らないよっ! それより、急ぐよ!」  
 そう言って彩太は走り出した。  
 手を繋いでるあたしはそれに引っ張られる形になって、ちょっと体勢を崩しそうになる。  
「あん、ちょっと待ってよ」  
 転びそうになるのを堪えて、あたしも走り出した。  
 こっちの方もドキドキしてたり、はっきり答えてもらえなくてちょっと残念な気持ちがあるんだけど。それは彼には内緒。  
 時々こういう事があって、なんとなく生きてるっていいなぁ、なんて思える日々。  
 こうして、今日も一日が始まる。  
 
「おいトモ。トモー? トモっ!」  
「え?」  
 気が付くと、一人の男の子があたしの肩をつかんで、心配そうにこっちを見つめていた。  
「ちょっと諭笑。ちゃっかり人の肩に手ぇやってんじゃないわよ」  
「ちゃっかりじゃねーよ。さっきからずうっと俺トモのこと呼んでたんだぞ。  
 肩掴むまで無反応って、ちょっと寝惚けすぎじゃないか?」  
「……そうだった? ちょっと考え事してたからね。悪かったわ」  
 本当に無視はしていない。  
 ただちょっと……あたしがぼんやりしてただけの事だ。  
「そか? まぁいいけどな。あんまり立ってぼーってすんなよな」  
 今度はちゃんと反応したのに満足してか、彼は軽くあたしの肩を叩いて手を戻した。  
 教室で、昼休みなのにあたしは諭笑が心配してしまうほどぼーっとしていたらしい。  
「それよかさ、今日からトモ、また一人なんだってな?」  
「ん、まぁね」  
 確かにお母さんがお父さんの実家の方の世話焼きに行ったから、今夜からあたしは家に一人っきりだ。  
 秋口はお婆ちゃんの精神状態が悪くなるみたいで、いつもこの頃はあたしは一人暮らしをする羽目になる。  
 危ないかなって思わなくもないけどもう慣れた。  
「……ちょっと待って。何でアンタがそんな事知ってるの?」  
「へっへー。実は昨日の夜な、おばさんから電話あったんだ。トモのことよろしくねって。母さんがそー言ってた」  
「それ絶対にアンタに言ったんじゃないから。おばさんに言ったから」  
 んー……そんな風に心配してくれるなら、あたしも連れてってくれたらいいのに。  
 ま、学校あるし……休みでもない限りそれはないか。  
「そういう訳だから。トモうちくるだろ?」  
 ……は?  
「なんで」  
 あたしの当然な疑問を予想もしていなかったのだろうか。諭笑はすこしきょとんとした顔でこっちを見てきた。  
「なんでって……トモ一人じゃ起きれないじゃん」  
「アラームかけるから平気です一人で起きれますぅー。諭笑じゃあるまいし」  
 嫌味をまぶしたあたしの答えにちょっと諭笑は考えてから。  
「トモメシ作れないじゃん。ここは一念発起して母さんに料理習って俺の為に弁当をだなぁ……!」  
「何を根拠にそんな言い掛かりをつけるのか知りませんがちゃんと人並みに料理できますぅー  
……大体、何であたしがアンタのエサを作らなきゃいけないのよ」  
 沈黙が降りる。  
「………」  
「………」  
「トモのいけず……」  
 そんな事言ったって全部本当のことなんだからしょうがない。  
 
諭笑はおばさんにお弁当作ってもらってるわけだし、それを何であたしが代行しなきゃならんのか。  
 やれやれと思いつつこっちを見てる諭笑を無視してお弁当箱片手に席を立とうとする。  
 ……と、後ろから肩をポン、と叩かれた。  
「お二人とも、邪魔だったかなあ?」  
 にやにやしてるこの子は穂積真琴。あたしにとって、一番親しくしてる友達だ。  
 ……親友というより、悪友、っていったほうが適切だろうけど。  
「や、別に……」「なあ聞いてくれよ穂積ー。トモってば、すげえイケズでやんの」  
 あたしの言葉をひったくって諭笑は真琴にそう訴えた。  
 顔の前で乙女のごとく手を組んで、くねくねさせるさまは正直鬱陶しい。  
 真琴は、といえば相変わらずにやにやしてる。  
 ちら、とこっちを見てから諭笑の方を向いて  
「ほーほー。高坂君は智世に今度は何言ったのさ?」  
「トモな、今夜から一人暮らしなんだよ。それで女の子の一人暮らしって危ないだろー?   
 でオレ心配だから、トモにオレんち来いよって言ったのよ」  
 うわぁ。ストレートに伝えますかコイツ、バカだ。  
 いや、諭笑が色々な意味でバカなのは今更なんだけど。  
 
   
 これ、高坂諭笑はあたし・水上智世と腐れ縁というか幼馴染というか。そういう間柄の奴だ。  
 昔はあたしよりも小さくて泣き虫だった諭笑は、今は無駄に図体だけがでっかくなったけど本質は変わってない。  
 昔っからトモトモトモトモって、子犬みたいにこっちに纏わり付いてくるんだ。  
 今は子犬って言うか、人懐っこすぎる大型犬て感じか。  
 コリーみたいな賢さを感じさせる犬種ならいいのに、明るくて無駄に強い癖っ毛とか、全体的に薄い色素や警戒心  
のない顔立ちは、ゴールデンレトリーバーとかそんな感じの犬を思わせる。  
 抜けてても愛想と愛嬌があるから、クラスの催し物でも何かと中心に引っ張ってこられて、結構そういうの纏めるのも上手いんだけど。  
 あたしの言った冗談を頭から信じてたり、今みたいな言って欲しくない事を平気で漏らすあたりが、諭笑をバカだと判断してる理由だ。  
   
 
「へえぇ。智世もいけずっていうかむしろその方が当たり前よねぇ。高坂君積極的ー」  
「そうかぁ? トモが心配なのはオレだけじゃなくて母さんもだし、ていうかトモ家に呼ぼうって言い出したの母さんなんだけどな」  
「それを早く言わんかあっ!」  
 あたしの叫びに、諭笑がえ? という顔をして振り返った。  
 真琴のほうもなんだか呆気にとられた顔をしてる。  
「なに智世。お母さん公認なら香坂君ちに泊まれるの? なんていうか策略家ねえ。お姑さんへのフォローもばっちり?! みたいな」  
「なんだよー。オレが言ったら駄目で母さんが言ったらいいのかよー」  
 呆れてんだがこっちをおちょくってんだが分からない真琴といきなりいじけ出す諭笑。  
「や、行かないけどさあ。おばさんに心配されてるのか、あたし……」  
「そりゃートモ女の子だかんな。母さんにトモの事娘みたく思ってる節あるし。そ――」  
 何かを言いかけて、諭笑は動きを止めた。  
「――母さん父さんはトモがこっち来るもんだと思ってんぞ」  
「大丈夫だよ。おじさんもおばさんも心配性なんだから」  
「おー。だからさ、今日家にちょっと顔出してくれよな。そしたら多分安心すっから」   
「……ん。いいよ」  
「あーお二人さんお話中非ッ常ォーに申し上げにくいんですが」  
 つんつん。  
 脇を真琴につつかれる。  
「高坂君、丸山さんもう委員会行っちゃったよ。追っかけないと」  
 言われて慌てた様子でプリント数枚片手に立ち上がる諭笑。  
「ちょっと行ってくる。じゃ、トモ放課後な!」  
「ん」  
 ばたばたせわしない様子で諭笑は廊下を走っていった。  
 そういえば、アイツ今度の文化祭の実行委員だったっけか。  
 文化祭はもうすぐだから、色々忙しいんだろう。  
「迷惑かけてないといいけど」  
「いやいや智世。そりゃちょっと香坂君に失礼じゃない?」  
 あたしの言葉に笑う真琴。  
 彼女は片手に持っていたビニール袋を机に展開して、サンドイッチと紙パックのジュースを手にしていた。  
 あたしもお弁当箱の蓋を開いて食べ始める。  
「でもさー。諭笑って、かなり抜けてるじゃない」  
「そりゃ智世だけにでしょうよ。高坂君かなり気配りの人なんだから」  
 それは分かってるけど。  
「愛想と面倒見はいいからね。そっち方面は心配してないけど重要な事に限ってミスするから、アイツ」  
「あぁそっちねぇ。丸山さんも居るし大丈夫でしょ」  
「丸山さんに任せるしかないよね……あのバカ、近未来の流行・虫料理で屋台を出すとか言ってたんだよ」  
「……いやぁ、さすがに冗談……でもないかもね、高坂君だし」  
「諭笑だしね。ホント、丸山さんに任せるしか」  
 クラスの未来を勝手に丸山さんに託して、取り敢えずご飯を食べる。  
 見れば真琴はとっくにサンドイッチを平らげていて、ストローを咥えて空になった紙パックをぺこぽこ鳴らしていた。  
 やがてストローから口を離して、はあっとため息一つ。顎を机につける体勢になってこっちを見てくる。  
「――何で智世と高坂君って付き合ってないの?」  
 ……またそれか。  
 あたしはご飯をつつく手を休めずに、心の中で吐息した。  
 いい加減うんざり、という気持ちを篭めて、音を立てて箸を置く。  
「あのね真琴。諭笑とあたしはただの幼馴染なの。かなり長い時間一緒に居るけどさ、それだけなんだって」  
「それだけねえ」  
 不満そうに口を尖らせる真琴。  
「それだけだよ。あたしにとってさ、諭笑って弟の様なもんなのよね。だからそーゆー対象には今更見直せないんだって」  
「智世にとってそうでも高坂君にとってはそうじゃないかもよ?」  
 ……しつこいな。  
「諭笑にとってもそうだと思う。長いことの腐れ縁だもん。向こうにとってもあたしは空気みたいなもんでしょうよ」  
「空気。――空気、ね」  
 意味ありげにそう言うと、興味をなくしたように真琴は目を伏せた。  
 だってそうだろう。  
 諭笑は昔とちっとも変わらない面倒のかかるけど、ほっとけない弟。  
 トモトモって、あたし達の後ろを付いて回って、屈託なくじゃれ付いてくる。  
 あの頃から諭笑はホントにちっとも変わってない。  
 

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