”触手溜め”は、古くからこの地方に伝わる、伝統的な拷問・処刑法で、
主に若い女性を対象として執行されます。
取り立てて厳格な仕来たりが有るわけでもなく、執行の責任者である
各地の地方領主の裁量で、様々な工夫が凝らされてきました。
多くの場合、それは単に刑の執行にとどまらず、領民たちの格好の娯楽と
目されているようで、殆どの場合が公開刑となります。
”触手溜め”は、ちょうど”肥溜め”のような穴で、中には肥の代わりに
繁殖期を迎えた様々な種類の触手が満たされています。
穴には分厚い蓋がしてあって、その蓋は真中から2つ割れに開く構造です。
蓋の中央には、ちょうど人間の腰のくびれが収まる程の穴が開いていて、
その穴に罪人の腰を固定して、”触手溜め”の中に下半身を沈めます。
重く分厚い樫の木製の蓋は、罪人の腰を挟んだ状態で厳重に施錠され、
4人の屈強な拷問吏によって”触手溜め”の上に降ろされます。
罪人の脚は、閉じられないように拘束される場合が一般的ですが、
脚を閉じ合わせ身を捩り、力尽きるまで抵抗させ、その様子を観察して
楽しむような、悪趣味な”工夫”を講じる領主も少なくありません。
この地方には、人体に直接危害を加えたり、毒を持つような触手はおらず、
罪人が”触手溜め”な中で、「生きたまま喰い殺される」こともありません。
それだけに、刑の対象となった罪人の運命は凄惨を極めます。
”触手溜め”の刑に関し言えば、処刑よりもむしろ拷問として用いられる
場合の方が格段に残忍かつ執拗で、目的は対象の”発狂”となります。
”触手溜め”による処刑の場合、上半身は自由にされる場合が多く、
食事や水分は基本的に与えられません。
対象が舌を噛むか、衰弱して死に至った時点で刑の執行は終了です。
罪科の軽重によっては、口枷のみを施される場合や、死後の遺体の
処し方などに格差が設けられます。
最も重い罰は、罪人の死後、遺体を切り刻んで触手の餌とするものです。
拷問目的の場合は、罪人の女性は口枷を嵌められて上半身を拘束され、
自害を封じられた状態で”触手溜め”の中に放置されます。
口枷の隙間から流動食を流し込まれ、餓死することはありません。
睡眠に関しては、専属の拷問吏が対象の状態を判断し、”触手溜め”に
鎮静剤を投与して、触手の責め具合を慎重に調整します。
”触手溜め”の拷問は、専門の拷問吏によって執り行われます。
熟練の拷問吏は、最初の一刻ほどで罪人の精神的・肉体的限界を把握し、
下された判決に応じて発狂までの期間を調整します。
当然罪科が重いほど、その期間は長くなります。
おおよその目安としては、人をひとり殺した場合で、約1週間といった所です。
”調整”は、鎮静剤や興奮剤を始めとする各種の薬剤を”触手溜め”に投与
することによって行われます。
腕の良い拷問吏ともなると、多種多様な薬剤によって、多彩な責めを行います。
休息や睡眠を取らせる間も、鎮静剤を加減して緩やかに責めを継続させたり、
発狂の直前に興奮剤を大量に投与して、全ての触手に一斉に放精や産卵を促し、
子宮に触手の精を受け、卵を植え付けられる快感で罪人の理性を刈り取ったりと、
領主や見物人を飽きさせぬ仕掛けを演じます。
”触手溜め”の刑は、上記の基本形以外に、各地で様々に変化しています。
首と両手首だけを出して、全身を”触手溜め”に沈めたり、上で触れたように、
下半身を拘束しない場合や、拷問に際しても鍵付きの口枷以外は上半身を
自由にしたりと、領主と野次馬たちの興味を満たし、淫猥な興奮を煽る為に、
様々な工夫が重ねられてきました。
元来この地に生息しなかった外来の触手も次々に取り入れられました。
乳腺を拡張して乳房の中へと侵入し、そこで母乳を啜って繁殖する触手。
肛門から侵入して直腸に寄生し、腸内の排泄物を貪る触手。
膀胱内で毛糸玉のように絡まって、尿を濾過して栄養分を得る触手・・・
貴重な外来種は、富裕な領主や都市貴族の間で、高価な贈答品として
珍重されました。
この”触手溜め”の刑罰は各地で盛んに行われており、帝国政府や教皇領も、
現在のところその規制には及び腰です。
公式には認められていませんが、目を付けた麗しい娘を無実の罪に落とし、
あるいは城館の地下室にかどわかし、拷問それ自体に興ずる領主や豪商も
少なくないと言われていますが、その真偽は不明です。