1.  
「……あの、この前の手紙の返事なんですけど」  
「…………うん」  
俺はごくりと息を呑む。  
緊張の一瞬。  
 
学校の屋上、放課後。俺は女の子と二人きりだ。  
相手は大谷サキちゃん。俺たちの学年では一、ニを争うかわいいお嬢様。  
夕日が彼女の顔をオレンジに照らし出す。  
 
「お断りします」  
あ、ああああ――――  
 
その瞬間、俺は思わず膝をつきそうになるほど脱力する。  
とはいえ、「尊敬する人:ラオウ」の俺は何があっても膝はつかないのだ。  
いや、格好をつけても意味無いが。  
 
「ど、どうして……?」  
聞いても無駄だと分かっても、聞いてしまう男の性(さが)。  
そして、答えてしまうのは女の引け目。  
サキちゃんは顔一杯に作り笑いを浮かべながら答えた。  
「だって……久我山くんの言葉、信用できないもん」  
「そ、そんなことない! お、俺は入学以来ずっと、大谷さんのこと見てた――」  
決め台詞を吐こうとした瞬間、サキちゃんの目線が鋭くなった。  
すげえ、怖い。  
「それ、C組の向井さんにも言ったよね、二週間前」  
げ、げげっ。ばれてる。  
「一ヶ月前には私のクラスの桐原さんに告白したんでしょう?」  
な、何故そんなことまで?!  
 
打ちのめされた俺を、サキちゃんは軽蔑するように見下ろしている。  
夕日が山の向こうに消え、俺の心もくらーく闇に沈んでいくようだった。  
「そういう人、わたし嫌いなんです」  
最後の一撃を放って、サキちゃんはさっさと非常階段を降りて行ってしまった。  
 
俺、久我山高志の、今年に入って五回目の失恋だった。  
 
***  
「ほんと、久我山は最低だね」  
その日の帰り道、俺は洵子といっしょに帰っていた。  
奈良橋洵子。幼稚園以来の俺のお隣さん。腐れ縁なのか、小学校はもちろんだが、中学高校とずっと同じだ。  
昔から口うるさい女だったが、高校になった今では「キツイ」としか言い様が無い。  
への字に結んだ口といい、一重の細い目といい、くっきりした眉といい、コイツの性格をよく表している。  
「うっせーなー。俺はただ好きになったから『好きです』と伝えただけだ。それのどこが最低だ」  
「だって、二ヶ月で五人に告白って、どう考えてもおかしいでしょう」  
ふん、と鼻を鳴らし、洵子は長い黒髪を手でかきあげた。  
俺を叱るときのいつもの仕草。  
これをやられると、何故か俺は口の中でもごもごとしか言い訳できなくなる。  
 
二人で並んで帰る道のりが長い。  
洵子の無言の抗議が、ほんの五センチ横からひしひしと伝わってくる。  
俺は家までの街灯を一つ一つ数えるようにして、早く帰り着くことだけを考える。  
こいつに捕まったのが災難だ。  
洵子は図書委員なんてものをやってるせいで、俺が帰るのを目ざとく見つけやがる。  
図書室からは校舎の入り口から校門まで丸見えなんだ、ウチの高校。  
 
「……だいたい、どうして久我山はそんなに彼女なんか欲しがるの」  
軽蔑したような言い方。ちょっと嘲笑うような響きも混じってる。  
半笑いで、俺の方をちらちら見ている。  
くそ、むかつくな。  
でも、俺はそれを黙殺するほどの度胸は無い。  
「だってさ、後藤も灰神楽も、ガンまで彼女持ちになっちまったんだぜ。 俺だけ独り身って、おかしいだろ?」  
三人とも俺の友達。ガンは小学校以来の洵子と共通の友達だ。  
だが、そう答えた途端、洵子はぷっと吹き出した。  
「後藤くんの彼女はずっと部活で一緒だった子で、お互い息ぴったり。灰神楽くんは頭いいし優しいし、至極当然。  
ガンちゃんなんて、小学校から好きだった子にやっと告白したんだもの。久我山とは真剣さが違うでしょう」  
「奈良橋はなんでいっつもガンの肩持つんだよ」  
俺は不満げに睨みつけ、ちょっと足を早める。  
でも、俺より運動神経のいい洵子は、ぴったりと俺の隣についてくる。  
 
「つまり見得なわけね。呆れた」  
「見得じゃねーよ、男には色々あんだよ」  
「例えば?」  
意外そうな顔をしている洵子に、俺はまた口ごもる。  
こいつの「何で」と「例えば」はしつこくていけない。でも、答えるまで質問を止めないのを、俺は知ってる。  
 
「……例えば、馬鹿にされるんだよ。その、『チェリー君』とか言われてよ」  
「――――サイッテー」  
ぞくりと俺の体が震えた。  
恐る恐る洵子の顔を伺うと、眉間に深さ八ミリぐらいのしわを作って、俺を睨んでいる。  
しまったと思っても、もう遅い。  
「女の子の体目当てなんだ。最悪、最低、ケダモノ、ヘンタイ」  
「う、うっせーな。仕方ないだろ、そういうの気になるんだから……」  
言い訳にもならない言い訳をして、俺はまた押し黙る。  
洵子も、もう口を聞こうともしなかった。  
 
幸運にも、俺たちの家はもうすぐそこだった。  
「じゃあな」  
「最低男。さっさと死んじゃえ、ば――か!」  
俺にそんな言葉を投げかけ、洵子は振り向きもせず家の中に消えて行った。  
ちぇっ、何だよ。  
俺の苦悩と焦りが女に分かるかってんだ。それこそ、あんなトカゲみたいな冷血女に。  
閉じられた洵子の家の扉にべーっと舌を出し、俺は隣に建つ自分の家に向かった。  
 
 
2.  
それから何日かたった日曜日。  
夕食後、突然電話が鳴った。  
相手は後藤の野郎だった。そして、俺を待っていたのは、一番聞きたくない報告だった。  
全身の力を吸い取られたようになって、俺は二階の自室に戻る。  
ベランダに出て、手すりにもたれかかり、夜空を見上げた。  
はあぁぁぁー。  
でっかいため息をつく。  
それが聞こえたのか、俺の姿を見つけたのか、隣の家の窓が開いた。  
 
「なーにたそがれてんのよ。またフラれたの?」  
肩越しに聞こえる洵子の嘲笑を、俺は首を振って否定する。  
「後藤から電話があってさ」  
ぽつり、と呟く。  
「今日、彼女とデートだったんだと。そんでさ……ラブホ、行ったんだって」  
「そういうこと安易に言いふらすから、あんたは最低なのよ。本気で死んだら?」  
 
洵子に馬鹿にされても、俺はもう全然平気だった。  
なんつーか、もうダメージを受けるだけ受けたから、これ以上殴られても痛くないっていうか。  
 
なんか、友達が遠くなっていくような気がした。  
後藤が大人の階段昇ってる同じ頃、俺は相変わらず休日をFFの攻略に費やして。  
皆はバレンタインのチョコはどんなのがもらえるのか、彼女のお菓子作りの腕前自慢してるってのに。  
土日でレベル○○まで言ったぜーなんて話、あの三人の前でしたらいい笑いもんだ。  
遊びに誘っても断れること増えたし、共通の話題もだんだん無くなって。  
あーあ……。  
学校、行きたくねえなあ……。  
 
「何、人の話無視してぼんやりしてんのよ」  
「うおっ」  
突然すぐ隣から声をかけられ、俺はのけぞった。  
いつの間にか洵子がすぐ傍に立っていた。  
何しろ俺たちの家の二階はベランダのおかげで握手できるぐらい近い。  
女でも軽く渡れる幅だ。  
「……そんなにさ、セックスしたいわけ? 何で?」  
洵子はもう完全に理解できない、といったように首を傾げている。  
そう直球で聞かれると俺も困るけど、言ったようにコイツの「何で?」はしつこい。  
「したいっていうかさ、友達がみんなその話してるのに、俺だけ除け者になるのが嫌っつーか」  
「久我山の考えること、ほんと、これっぽっちも分からないわ」  
二人並んで手すりにもたれかかりながら、俺たちはしばらく黙った。  
俺は別に洵子に分かって欲しいわけでもないし、洵子は洵子で、自分なりに考えをまとめているようだった。  
と、そのとき洵子が小さくくしゃみをした。  
大丈夫か? と声をかけるより、洵子が動く方が早かった。  
「とりあえずここ寒い。久我山の部屋いこ」  
そう言い終わる前に、洵子は勝手に俺の部屋に続く扉を開けていた。  
 
 
「……で、セックスだけどさ。久我山は『一番好きな人』としたいと思わないの?」  
「『セックスしてえよー!』って思うのも『一番好き』の範疇に入るんじゃねえの。俺はそう思ってるんだけど」  
というのは友達からこっそり回してもらった十八禁ゲームの台詞の受け売りだが、俺は割とマジだった。  
「それ、原因と結果が逆よ」  
「そうかなあ」  
洵子は俺のベッドに腰をかけ、脚を組んで俺を見下ろしている。  
というのは、俺が床にあぐらをかいているせいで、相手の方がずっと視線が高いからだ。  
なんだかそういう体勢だと、一方的に裁かれている気分になる。  
俺がむきになるのは、そのせいかもしれん。  
「だいたい、今『一番好きだ』って思ってる人間が、その後もずっと好きでいる保証なんて無いぜ?」  
「それでも、初めての経験が好きでもなんでもない人とだった、なんて何か惨めな気持ちになりそう。  
『今は好きじゃない、でもその時は真剣だった』の方がやっぱり納得もいくでしょう?」  
「女は膜あるし、最初とその後は全然違うから、そうかもしれないけどよ」  
「うわ、最悪」  
「ほっとけ」  
そこまで言って、洵子はまた何か考え込んでしまう。  
俺の方は議論する気はもともとないし、声をかけたりしなかった。  
「……そっか。男の子にとって、初めてなんて大事じゃないのか」  
ふと、洵子が呟く。  
「何か言ったか?」  
――ううん、何にも。  
洵子がそう答えて、この話題は打ち切りになった。  
 
「つーか、意外」  
「何が」  
洵子はもう話題に飽きたのか、俺のベッドの固さを確かめたり、本棚に手を伸ばしたりしている。  
考えてみりゃ、コイツが俺の部屋に来たの、小学五年生以来だな。  
「奈良橋の口から、『私の初めては一番好きな人にあげたい……』なんて乙女チックな言葉が出るとは思わなかった」  
「だっ、だだだだ、誰がそんなこと言ったのよ!?」  
おーおー、焦ってやがる。  
図書委員一筋の洵子は、俺たち男子一同のエロトークがどれだけえげつないかなんて知るわけない。  
ついに俺は勝機を見出した。  
「さっき言ったじゃん。『私の純潔は、私の大好きな人に捧げたい……その人のためなら、破瓜の痛みも喜びですぅ』って」  
「人のせ、台詞に、へ、へ変な、脚色すすすすんな!」  
動揺した洵子は、俺に向かって枕を投げつけてきた。  
へん、そんなもん当たるかよ。  
「いやー、奈良橋もなかなか乙女心に溢れてたんだなー。やっぱお前も女なんだな」  
「だから! そーいう女とか男とか安易な線引きしないで! 誰でもいいからセックスしたいなんて変態は久我山だけよ!」  
顔を真っ赤にして怒ってる。ほんと耐性無いなあ。  
でも、こんなにからかい甲斐のある奴だったかな? まあいいや。もう眠いし、そろそろ決め台詞吐いて追い出そう。  
 
「誰でもいいなんてこと、ないぜ」  
「……えっ?」  
突然深刻な口調で呟く俺に、洵子は意表をつかれたようだ。  
俺は上目遣いに、洵子をじっと見つめる。  
「奈良橋みたいな女の子だったら……話は別だけどな」  
「!!!!」  
言葉にならない悲鳴を上げて、洵子が後ずさった。  
わたわたとベッドの布団を持ち上げ、俺との盾にしてる。  
さー、これで終わりっと。「馬鹿変態、死んじゃえ!」の台詞が出て、こいつも帰るだろ。  
 
やれやれ、と俺は洵子が投げた枕を拾うために立ち上がった。  
部屋の隅に転がっているそれを拾い上げ、ぽんぽんとホコリを払う。  
さて、そろそろ例の台詞が……。  
そう思いながら振り返った俺が見たのは、耳まで真っ赤になりながら、ベッドの上でうつむいている洵子だった。  
 
 
3.  
「わ、私も……」  
「はァ?」  
布団をいじくりながら何か言ってる洵子に、俺は眉をひそめる。  
げ、待ておい。  
「私も、久我山なら、別に…………いい、けど」  
「ちょ、ちょっと待て! 馬鹿、何じょーだん本気にしてるんだ! 大体お前さっきと言ってることが違うし!」  
「……へ? な、何が?」  
おい、自分で「一番好きな人としかしない」って言ったじゃねーか。  
 
はっと何かに気づいたように顔を上げる洵子。  
顔を真っ赤にしながら目を見開いてるさまは、いつものへの字口の洵子とは別人みたいだった。  
俺は「冗談だ、じょうだん」と何度も繰り返す。  
ようやく俺が言った意味が分かったのか、洵子は慌ててベッドから立ち上がった。  
 
「あああああ、あた、当たり前じゃない! わた、わ、わたし、私だってじょ冗談で、冗談で言ったに決まっ……イタっ」  
あんまりどもり過ぎて、舌を噛んだらしい。  
俺から逃げるように壁に後ずさり、何度も「冗談冗談」と呟いている。  
ちょっと怖いぞ。  
 
「そうよ、冗談…………冗談、なんだ」  
「…………」  
突然、洵子の声が沈む。  
いや、確かにさ、ヤらせてくれるなら……って思わないことも無いけど。  
それは、洵子にだけは考えちゃ駄目だ。  
他の女の子は「カワイイ!→ヤリたい!」のコンボが決まるけど、洵子はそういう対象じゃなくて、もっと何ていうか。  
妹っていうか、姉っていうか、仲間っていうか、触れちゃいけないっていうか――アレ?  
俺何を考えてるんだ?  
 
お互い顔を染めながら、小さな部屋で見つめ合い、黙りこくっている。  
まずい。この空気は非常にまずい。  
とにかくさっさとこいつを追い出さなくては。  
俺はそう思うと、ぱっと洵子の腕を掴んだ。  
その瞬間、洵子の体が強張る感触が伝わってくる。  
でもそんなの無視して、俺は洵子をベランダの方に乱暴に引っ張って行った。  
戸を開け、洵子の背を押しながら言う。  
 
「じゃあな、また明日! 俺寝るから!」  
ところが、洵子は追い出そうとする俺の手をぎゅっと握って離さない。  
荒っぽく振りほどいても、すぐ握り直してくる。  
手を振りほどく、掴まれる、また振りほどく。それが何回か繰り返された。  
 
「……してみたいんでしょ」  
振り向いた洵子の顔は、いつもみたいに俺を凄い形相で睨んでいる。  
口を真一文字に結んで、眉がぎゅっと真ん中によって、目が釣り上がっていて。  
でも、普段俺はそれを「ウザってえ」としか思わないけど、今は――かわいい、と思う。  
 
知らず知らずのうちに、俺は洵子の問いにうなづいていた。  
それを見て、洵子は、  
「……そんなら、よろしい」  
とだけ言った。  
 
***  
何で、俺と洵子は服を脱いでるんだろう。  
洵子が恥ずかしいって言うから、灯りを消した俺の部屋は真っ暗だ。  
ぼんやりと月明かりに洵子の姿が浮かび上がっている。もちろん、細かい様子はよく分からない。  
ただ、一枚ずつ服を脱ぎ捨てる衣擦れの音だけがやけによく聞こえた。  
「……わ、私だけ脱いだってしょうがないでしょう。く、久我山も脱ぎなさい」  
「あ。わりぃ……」  
咎めるような口調に、俺は慌てて上着を脱ぐ。  
実際、こいつの前で服を脱ぐことにさほど抵抗はない。中学の頃にもそういうシチュエーションはあった。  
でも、今日は学生服から私服に着替えるわけでもないし、ましてや……  
上半身はTシャツ一枚になって、ズボンに手をかけたとき、俺の手が止まった。  
ハダカ見せるなんて出来ねえー。  
「なあ」  
「……なにっ」  
怖い。最悪に不機嫌なときの洵子の声だ。  
でもとりあえず言うべきことは言わないと。  
「とりあえず、いきなり裸は止めねえ? 俺すごく恥ずかしいんだけど」  
 
暗闇の向こうから、ちょっと呆れたような、でもほっとしたようなため息が聞こえた。  
「……じゃ、とりあえず下着は残す。それでいい? 私はブラとショーツと、あとキャミね。久我山はシャツとトランクス」  
「お前の方が一枚多いのかよ」  
「……うっさいな! じゃあ久我山はパンツ一丁がいいの?」  
なんでそこで俺だけ減るんだよ。目茶苦茶じゃないか。  
とは思ったけど、反論する勇気はないので黙って言うとおりにする。  
 
互いに下着姿になったところで、俺たちは向かい合った。  
洵子が着けているのは、ごくごくシンプルな白で飾りの無い下着だった。  
キャミソールは実用本位のデザインだし、ショーツなんてお尻全体をすっぽり覆う、子供パンツだ。  
そういや、洵子はジーンズのときに下着の線が出るのが嫌だ、とか前に言ってたっけ……。  
 
「……じ、じろじろ見てないで、こっち来なさいよ」  
「お、おう」  
睨みつけられながら、俺は一歩、また一歩と洵子の方に近づく。  
アイツが少し上半身を仰け反らせるのが分かった。きっと、後ろに逃げ出したいんだろうけど。  
でもそれを必死で堪えてる、そんな感じだった。  
 
拳一つぐらいの隙間を空けて、俺たちは向かい合う。  
洵子が、相変わらず怖い顔で俺を見上げていた。  
俺はどうしていいのか分からず、しばらくその顔を見つめる。  
見慣れた顔なのに、今じっと見つめてみて、初めて俺は色んなことに気づく。  
例えば、いつの間にかそばかすが増えたこととか、右目の方に小さな泣きぼくろがあることとか。  
でも、変わってしまったように思っても、やっぱり目の前にいるのは、小さい頃の面影を残す奈良橋洵子だ。  
 
「……キス」  
「うん」  
目をつぶって、そっと唇を持ち上げる洵子の肩を、俺は両手で抱く。  
とりあえず、第一の関門としては当然予想されたことだが、俺はとんでもなく緊張していた。  
ロボットみたいに顔を近づけながら、荒れた唇をちょっと舐めておく。  
考えてみりゃ、俺の初キスだなあ……洵子も初めてなんだろうか。  
コイツが男に言い寄られてるなんて話、聞いたこと無いし、見た覚えも無いから、俺が初めての相手なんだろうな。  
そう思うと、俺は不思議な感慨を覚えた。  
 
唇が触れる瞬間、突然洵子が目を開けた。  
鼻と鼻が触れ合う距離で急ブレーキ。  
「……一つだけ、お願い…………っていうか、約束して」  
「……おう、い、言ってみ」  
そう言ったはいいものの、洵子がえらく焦らすから、俺はどんな無理なことを約束されるのかどきどきモンだった。  
まさか、ヤラせてあげるからヴィトンのバッグでも買え、とか……ってそれじゃ援助交際か。  
そもそも洵子はそんなこと言い出す奴じゃないしな。  
 
「……あのね」  
泣き出しそうな声で洵子が言う。  
「…………してる間だけでいいから……昔みたいに名前で呼び合うこと。いい?」  
「それだけ?」  
こっくり。  
小さくうなづく洵子に、俺も乾いた声で「分かった」と答えるのが精一杯だった。  
昔みたいに、名前で。  
「じゃ、いくぞ……洵子」  
「うん、高志」  
 
洵子の唇はゼリーみたいにぷるぷるしてた。  
いや、それはアイツが、いやアイツも俺も、震えていたせいかもしれない。  
 
唇同士を重ねる軽いキスは、いつまでも続いた。  
俺は誰に教えられたわけでもないのに、ごく自然に洵子の唇を、自分の舌で割っていた。  
そのまま大胆に舌を相手の口に差し込む。  
「ん……」  
洵子は最初、うめき声を上げて逃げようとした。  
でも、俺はその体をぎゅっと抱きしめて逃げられないようにして、さらに舌を洵子の口に押し込んだ。  
抵抗していた洵子も、やがて諦めたのか、体の力を抜いて俺を受け入れ始めた。  
それどころか、俺の舌を自分の舌で優しく舐めてくれる。  
まるで子猫の傷を癒す親猫みたいに……  
 
「痛っ」  
洵子が突然叫んだので、俺たちは慌てて顔を離した。  
「どうしたんだ?」  
「くがや……あっ違、た、高志の舌が……さっき噛んだところに当たった」  
「……それは、洵子が間抜けなだけじゃん」  
俺がそう返すと、洵子は俺が初めて見る表情――ガキンチョみたいな膨れっ面をして見せた。  
やべ。すげー可愛く見える。  
「……キスはもういいよ。次いこ、次」  
「お、おう」  
 
そうだ。こっからが本番なんだ。  
…………大丈夫か、俺? 本当に出来るのか?  
そんなことを思いながら、洵子を優しくベッドのほうへ導く。  
二人揃ってその上に腰掛け、俺は洵子の肩を抱く。  
「ま、まず……」  
「脱がして」  
洵子はそう言うと、俺の手を取ってキャミソールの肩紐に導いた。  
俺はされるがままになって、洵子を包む白い薄い布を一枚剥ぎ取る。  
その下から現れたのは、たった今脱がせたキャミソールと同じぐらい、真っ白な洵子の肌。  
いつもは制服の下に隠されて、全く日焼けしていないんだから当たり前だけど、でも俺はちょっと驚いた。  
嘘みたいに白い。何ていうか、病的っていうか……洵子がこんな色白だったなんて、全然知らなかった。  
その白い体が、洵子の興奮した荒い息遣いに合せてゆっくりと脈打っている。  
思わず俺はお腹に指を這わせていた。  
「ひ、やん……! な、何?」  
「あ。いや、その、すげえ白いから、本当に肉か? とか思っちゃって……」  
「……人をバービー人形みたいに言わない」  
「はい。すんません」  
褒めてるんだけどな。何で怒られるんだ。  
それはともかく、俺はしばらく洵子のお腹を両手で撫でていた。  
洵子も、呆れたような顔をしながら、俺がしたいようにさせてくれた。  
 
「……あの、お腹ばっかりで、いいの……?」  
洵子にそう言われて、俺ははっと我に帰る。  
そうだ、まだまだ関門はたくさん残っている。ブラも、ショーツもまだ脱がせていないんだから。  
でも……はっきり言って愛撫の仕方なんか知らないし。  
戸惑っていると、洵子はまた同じように俺の手を取り、黙ってブラのホックに導いた。  
「こ、こう、か?」  
「ん……そ、あ……そう……」  
ぱちり、と小さな音がして、洵子のブラジャーが外れた。  
不安定に肩で引っかかっているそれを、俺は震える手で外す。  
するり、とそれが脱げ落ちると、洵子の胸が露になった。  
 
「……ないな」  
「し、失礼な! こ……これでもBカップなんだからっ!」  
「ちゅ、ちゅうとはんぱ……」  
 
バキッ  
 
殴られた。  
やべ、目茶苦茶怒ってるじゃん。目の奥に殺意が宿ってるよ。  
「……う、うん。これぐらいがちょうどいいかもな」  
フォローにならないフォローをしながら、俺は胸に手を伸ばす。  
触る段になると、さすがにお互い言葉が出ない。  
俺は勇気を振り絞って、下からちょっと揉んでみる。とたんに、洵子は痛みを堪えるような表情を浮かべた。  
痛いのか? そう思って俺が手を止めると、洵子は不満げな視線を投げてくる。  
触る。「あっ」  
さらに力を入れて触る。「ふぅ……」  
乳首もちょっと触ってみる。「……んっ!」  
それを指の腹で転がしてみる。「え、あ……あっ!」  
いつの間にか俺は洵子の胸に夢中になっていた。  
洵子も、俺の触るのに合せて艶めかしい吐息を吐いている。  
まるで洵子を操縦してるみたいな錯覚を覚えた俺は、考えられる限りの色々な刺激を与えてやった。  
 
次第に興奮してきた。  
俺は口に溜まった唾を飲み込み、黙って洵子の本陣……内股の方に手を伸ばしていった。  
そのとき。  
「んぁっ……あ、ちょ、ま、待った!」  
「な、なんだよおい」  
ここまで来て「やっぱ嫌」何て言われても、止める自信ねーぞ。  
でも、押し倒したらやっぱり犯罪か? うわ、どうしたらいいんだ。  
なーんて俺の葛藤にはお構いなく、洵子は俺をまっすぐに見ながら言った。  
「一緒に脱いでくれなきゃ……やだ」  
 
そんな上目遣いで言われたら、従うしかないじゃないか。  
くそう、かわいいなコノヤロ。  
俺は洵子の期待を帯びた視線を感じながら、Tシャツを脱ぎ、さらにトランクスに手をかけた。  
洵子も自分で言い出したことだから、俺が下を脱ぐのに合せて、丸めるようにショーツを脱いでいく。  
太ももを微妙に交差させて、一番大事なところを見えないようにするのが、ずるい。  
何しろ俺の元気棒はもうどうやったって隠しようが無いくらい張り詰めていたから。  
 
俺がトランクスを脱ぎ捨てるのと、洵子が足の先から丸めたショーツを抜き取るのはまさに同時だった。  
お互い全裸になって、黙ってお互いを観察する。  
ちょっとむっちり気味の太ももの間に、黒い茂みが僅かに覗いている。  
洵子がわずかに体を動かすたび、太もも同士が擦れ合い、黒々とした陰毛が微妙な陰影の中で揺らめく。  
「……えっと」  
洵子が口ごもる。  
「…………とりあえず、正直に感想言おうか? あ、怒るのは無し」  
ね? と洵子、首を傾げる。俺もつられてうなづいた。  
「えっと、じゃ俺から……お前、ちょっとダイエットしたほ……痛い痛い痛い痛い!!」  
腕をひねることはねーだろ! というかどこで覚えたそんな技!  
「最後まで聞けよ! で、でもその、綺麗っていうか……やらしい、と、思いますハイ」  
「……最初にそう言いなさい」  
はい、すんません。  
俺が頭を下げると、膨れ顔がようやくほころんだ。全く、難しい奴だ。  
 
俺が言い終わると、洵子が改めて俺の体をまじまじと見た。  
そうじっくり見られると、さすがに俺も辛い。何しろ特に運動もしてない体だし。  
元気棒も、学校のトイレで見比べた限りはとても「御立派」とは言えないレベルだし……。  
なんて思ってたら。  
「……ちょっと、びっくりした」  
てな答えが返ってきた。  
意味が分からず、俺は首をひねる。  
「……だって、昔はつるんつるんだったのに、色んなところに毛が生えてるんだもん。  
すね毛なんて、うちのお父さんみたいだし、お、オチンチンにもモジャモジャと……ちょ、ごめ、びっくりして、ぷっ。  
ぷはっ。ぷはははははははははははははははははははははははは」  
洵子は口を押さえたかと思うと、突然笑い出した。  
 
笑いのツボに入ったのか、俺が睨んでも肩を震わせてまだ笑っている。  
「ははははは…………。あー……ごめん。でも、おあいこだよ?」  
「うー。少し納得いかんが、まあよしとしよう」  
洵子の声が止み、俺が憮然とした表情を崩すと、また沈黙が戻ってきた。  
ついに最後の関門だ。というか、ゴールだ。  
それはお互い分かっているのか、洵子も俺も身動きできない。  
 
「……とりあえず、私仰向けになろうか?」  
「そ、そうだな。頼む」  
洵子の提案に、一も二もなく賛成する。  
ベッドに仰向けになる洵子の顔の脇に手をついて、俺はヤツに覆いかぶさった。  
顔と顔が近づく。  
「えっと、いきなりは、むり、だと、お、おもいます」  
「……俺もそれぐらい知ってる」  
そう言うと、俺は片手を洵子の両脚の間にするりともぐりこませた。  
返って来る反応は、固い。  
「緊張すんな」  
「だって…………」  
洵子の口が、声を出さずに動く。  
『スマイル、スマイル』だって?  
言われて初めて、俺はものすごい形相で洵子を睨んでいたことに気づいた。  
洵子の仕草でちょっと落ち着きを取り戻す。  
それから、わざとにっこりと営業スマイル。  
洵子も、それに同じような笑顔を返してくれた。  
 
手を茂みの方に伸ばしていく。  
さわ、と触れたところで、洵子に確認を取るように目線を向ける。  
うなづきが返って来る。  
俺は思い切って洵子の「モノ」に指を添えた。  
ため息みたいな声を上げて、洵子は俺のタッチに応える。  
どうしていいか分からない。だからとりあえず俺は上下に擦るようにして洵子を愛撫していく。  
「あ、そ、いっ、あ……いぃ……かも」  
「お、お前オナニーとかしないのか?」  
普段ならぶん殴られそうな質問にも、洵子は無言で首を振るだけ。  
つーことは、初めて気持ちよくするために触られてるわけか。  
じゃ、優しくしてやらないとな……。男のそれとは違って、繊細だっていうし。  
ときおりピクピクと体を震わせながら、洵子は未知の感覚に耐えている。  
俺は頭の中で「優しく、優しく」と呪文のように唱えながら、洵子の体をほぐしていった。  
 
「……そろそろ、いい、と、思うんだけど」  
俺の指に、洵子の湿りがたっぷり絡み付いている。  
それが多いのか少ないのかは分からないけれど、これ以上続けてもあんまり変わらないんじゃないか、と思う。  
俺の言葉に、それまで目をつぶっていた洵子がうっすら目を開け、そして……  
無言でうなづいた。  
 
俺は自分の棒を持って、ゆっくり洵子へと導いていく。  
先端が洵子の入り口に達した。すごく、熱くなってる。これ、本当に人間の体なのか、ってくらい。  
「ここでいいのかな……」  
「た、たぶん」  
洵子があいまいに同意したのを確認して、俺はぐっと力を入れた。  
「あっ……!」  
悲鳴を噛み殺すのが俺にも分かった。  
そして、洵子の中は思っていたより遥かにきつく、これ以上は絶対入らないとしか思えなかった。  
気持ちいいとか何とかいうより先に、「入れていいのか? 間違ったところに入ったんじゃないか?」という考えが湧く。  
「洵子、もしかして、これ……」  
「た、たぶん合ってるから……大丈夫だ、か、ら……」  
息も絶え絶えにそういう洵子が、たまらなく愛しい。  
そして、同時にこれ以上彼女を傷つけたくないという思いが頭一杯に広がる。  
でも。  
やめようか、そんな言葉が出るより先に、洵子は俺の背中に両手を回してきた。  
そして、俺を見つめながら黙ってうなづく。  
洵子の覚悟を知って、俺は勇気を分けてもらった気がした。  
下半身に細心の注意を払いながら、自分の分身を洵子の奥へと思い切って導いた。  
「ぁ、あっ……あああっ……!!」  
俺が中に進むたび、洵子は苦しそうな声を上げる。  
でも、俺はもうためらわなかった。最後の最後まで入れたところで、ようやく先端に硬いものが当たるのが分かった。  
 
「はぃった……の?」  
「ああ……みたい……」  
そう答えたものの、俺にも確信はない。  
さらに、俺を締め付ける圧迫感と、脈動、さらに温かさが、俺の思考を奪っていた。  
俺はいま、洵子と一つだ。  
そう思うと、もう俺は耐えられそうにもなかった。  
とても「動く」どころの騒ぎじゃあない。  
堪えても、どんどん最後の一線を越えるべく俺の中で何かが高まっていく。  
 
「あ、洵子……ごめ、も、もう、俺、だめみたい……」  
洵子は全て分かった、とでも言いたげにうなづくと、さらに俺の体を抱きしめた。  
「大丈夫だから……なか……」  
それだけで俺は彼女の言いたいことを理解する。  
そして、その言葉は俺の限界を振り切るのに十分だった。  
「あっ、で、でるッ……」  
「ん、んんっ……た、たかし…………」  
射精の瞬間、俺は洵子を力一杯抱きしめていた。  
全身で洵子の温もりを感じながら、俺は果てた。  
 
 
***  
射精が終わっても、俺たちはしばらくベッドの上で抱きしめあっていた。  
どちらともなく、顔を近づける。  
磁石のSとNみたいに、俺たちの唇は引き寄せあった。  
触れ合うだけだったけれど、長い長いキス。  
唇が離れたのが、終わりの合図だった。  
 
互いに無言で体を離す。  
俺がティッシュで性器にこびりついた自分の白濁液を拭っていると、洵子の手が横から伸びてきた。  
そのまま、洵子もティッシュを何枚か取ると、あぐらをかくような体勢で「後始末」を始めた。  
背を向けあったまま黙々と処理する。  
先に洵子がベッドから降りた。  
床に脱ぎ捨てられた下着と服をかき集めると、さっさとそれを身につけていく。  
俺はその一部始終を見ながら、自分も服を着ることにした。  
互いに裸なのに、不思議ともういやらしさは感じない。  
 
「じゃあね、久我山。また明日」  
「ああ、お休み奈良橋」  
洵子がベランダから出て行くのを見送り、カーテンを閉める。  
かすかな愛液と精液の匂いだけが、俺たちの営みの名残を感じさせた。  
 
 
 
エピローグ.  
 
「……あの、この前の手紙の返事なんですけど」  
「…………うん」  
俺はごくりと息を呑む。  
緊張の一瞬。  
 
学校の屋上、放課後。俺は女の子と二人きりだ。  
夕日が彼女の顔をオレンジに照らし出す。  
 
「馬鹿じゃない、あんた」  
あ、ああああ――――  
 
その瞬間、俺は思わず膝をつきそうになるほど脱力する。  
相変わらず眉間に皺を寄せた顔で、洵子は俺を見下ろしていた。  
ついに俺も膝をついてしまったのだ。  
「勘違いしないでよね。確かにセックスしてあげたけどさ。だからって久我山のこと好きになったんじゃないんだから」  
「……やっぱり、そーですか」  
 
「だいたい、久我山の言うこと、信用できないもん」  
「そ、そんなことない! お、俺は生まれてからずっと、奈良橋のこと――」  
決め台詞を吐こうとして、俺は思いとどまる。  
その言葉は、奈良橋へのラブレターにも書いた。「生まれてから、ずっと好きだった」って。  
でも、そんな飾った言葉でごまかせるような関係じゃないこと、俺も洵子も分かっている。  
大体嘘なのは明白だ。  
 
「ごめん。あれ嘘」  
あっさりとゲロする。  
肩をすくめながら、洵子は俺の方に近づいてきた。  
「……で? 本当はどう思ってるわけ?」  
なぜか穏やかな顔をしながら、洵子は俺の言葉を待っている。  
 
「……この前セックスしたとき、初めてお前のこと、かわいいと思った」  
「……ふーん」  
「それまで考えたことないくらい、お前のことがかわいく見えた。だから、これからもお前とセックスしたい」  
「……それが、久我山の本心って訳だ」  
俺は堂々とうなづく。  
そう。  
もう一度あんな夢みたいな経験できるなら、俺はなんだってする。  
 
洵子はしばらく逡巡した後、俺のほうを見てきっぱり言った。  
「とりあえず言っとく。『最低、最悪、ヘンタイ、ケダモノ、死ね!』」  
「……はい」  
反論の余地無しだ。  
ま、こんな台詞で彼女になってくれる女の子がいたら、こっちが驚くけどさ。  
なんて。なにやらすがすがしい気持ちになって、俺は洵子に背を向ける。  
やれやれ、俺の今年に入ってからの六回目の……  
 
「でも、今から言う二つの約束を守るなら、またしてあげないこともない」  
「……は?」  
振り向く俺。  
夕日を背に仁王立ちになる洵子の顔はよく見えない。  
でも、笑ってるような……?  
 
「約束その一。私を目一杯気持ちよくして」  
間違いない。洵子、笑ってる――  
 
「約束そのニ」  
俺は自然と笑みを浮かべる。  
声を合せて、俺たちは言った。  
 
『昔みたいに、名前で呼び合うこと』  
 
(終わり)  
 

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